牟岐線の木造駅舎紹介8~焼失の駅、連絡船の駅

阿波橘駅の駅名標

※訪問は2021年8月4日

開業以来の木造駅舎が

阿南から2駅ほど飛ばしてしまったが、少し元に戻る

見能林駅。阿南からひとつ目の駅で利用者も多い。2022年は1日あたり384人。これは阿南より南の牟岐線内では羽ノ浦に次ぐ2番目の数字である。コロナ禍前までは600人以上の乗降があった

阿南駅からはわずか2キロということもあって周辺は町が広がる。商店もあり、コンビニも徒歩圏内

ただし駅舎はない。待合所があるのみ。バス停形式の駅舎になったわけでもない。1986年に火事があり、焼失した。まだ国鉄時代の話だが、以降駅舎は建てられず現在に至る

線路が弧を描く場所に単式ホームがある。地形上、以前からこの形だったようだ

こちらは時刻表。朝の通勤通学帯に阿南・徳島方面の本数が多いことが分かる。ただラッシュ時が終わると2時間に1本。1駅先の阿南からは常に30分に1本の運行があることを考えると極端に本数が少なくなる。ちなみに駅一覧で青く表示されているのは特急「むろと」停車駅。通過駅と停車駅が同じ数。1日1往復になり、朝の徳島行き、夜の牟岐行きだけになったことで別料金の優等列車ながら、目的は完全に通勤者用

バス停が遠いので要注意

その特急停車駅となる阿波橘

こちらは大きな三角屋根の駅舎が健在。以前は開業時の1936年3月27日(見能林も同日開業)からの駅舎が改築しながら使用され続けている。周囲は町が広がる

駅名の文字が印象的だが、JR化後のもののようだ

2005年までは簡易委託があったが、現在は完全無人化されている

この時の記事でも軽く触れたが、当駅はJRのきっぶがあれば、徳島バスも利用できる対象駅となっているものの、他駅とは異なり、駅から離れているので注意が必要

距離にして1・5キロ。徒歩で少なくとも15分は要する。国道55号のバイパスを横切って旧道を歩いていかなければならない。停留所は徳島バス橘営業所。随分と遠いが営業所がある場所が「橘町」である。それに対して駅の所在地は阿南市津乃峰町。ではなぜ「津乃峰駅」ではないのかというと、駅を開設する際、橘と津乃峰のどちらに設置するかでもめ、津乃峰に駅を設置する代わりに駅名を橘にした経緯があるため。つまりバスの営業所が橘を名乗るのは当然なのだが、駅名については、いつの時代も全国どこでも「もめごと」があるのは変わりない

さて、その橘営業所への道中には伊島連絡船の待合所がある。四国最東端の島。連絡船で30分。1日3往復が運航されている

島へは阿南橘駅からの徒歩を経ての連絡船が唯一のアクセス手段となっている

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牟岐線の木造駅舎紹介7~高校野球の思い出

桑野駅の駅名標

※訪問は2019年10月26、27日

最初の終着駅

阿南から先は2時間に1本と本数の少ない区間となるが、少なくとも現時点ではこの区間の方が駅舎は残っている。もちろん将来は分からないが

本来は徐々に南下しながら紹介したいところだが、少し飛ばした上で2駅紹介したい。というのも私の写真の管理が悪く、合わせて5枚の写真しか残っていないからだ

まず1駅目は阿南から3駅先の桑野駅

ロクな写真がなくて申し訳ない

駅前に駅は1936年に開業。前回そして前々回でも紹介したが、国鉄によって那賀川を渡ることができた鉄路の最初の終着駅。この後、牟岐線は戦時中の1942年までに牟岐までレールを延伸していくことになる

周辺は比較的大きな町が広がっていて駅前には、かつての旅館と思える建物もある。特筆すべきは「徳島県南部健康運動公園」の最寄りだということ。野球場、陸上競技場、テニスコートなどがそろう総合運動公園。2007年開業の野球場「JAアグリあなんスタジアム」では高校野球の公式戦も開催される

駅舎はおそらく開業時からのもの。無人駅だが、10年ほど前までは有人駅だった。特急「むろと」の停車駅で朝夕には2・5往復の当駅始終着の列車が設定されているが、牟岐線内の途中駅で始終着が設定されているのは、当駅と阿南、牟岐の3駅のみ。通勤通学時の需要を考慮したものだと思われる

甲子園で旋風

お隣の駅は新野

線路と平行して入口がある構造。牟岐線は桑野延伸の翌年に新野、阿波福井と2駅分だけが延伸されたが、当時からの駅舎で、JR民営化後に手が入った駅舎が多い中、こちらは板張りで当時の面影を色濃く残す

当駅は阿南光高校新野キャンパスの最寄り駅。阿南光といえば2021年の夏の甲子園に出場したが、2019年までは新野高校という名前で春夏の甲子園にも1度ずつ出場。そして両大会でジャイアントキリングを起こしている

1992年のセンバツでは初戦で横浜高校と対戦。下馬評ではもちろん横浜有利だったが、部員わずか18人の新野が終盤に一挙6点を挙げて7-3で逆転価値。「タケノコ旋風」と呼ばれた。1996年の夏の選手権にも出場。92年のセンバツはテレビで見ているだけだったが、96年は現場で担当として見ていたので、よく覚えている

対戦相手は明徳義塾。ともに初戦を突破しての2回戦で四国同士の対戦となったが、こちらも下馬評は圧倒的に明徳義塾で試合も7回まで3-0で明徳義塾がリード。「誰の原稿を書けばいいんだ」と考えていると、新野の無死一、二塁からのバスターエンドランなどが決まるなど、あっという間に同点そして9回に勝ち越し。その裏、明徳義塾の信じられない走塁もあって一死一、三塁から一死満塁のピンチを魔法のように0点で凌いで逃げ切り勝ち。私はもちろん、甲子園全体が「!」「?」の空気となったのを昨日のことのように覚えている

阿南光として出場した2021年の大会では、定年で最後の指揮となった中山寿人監督が甲子園までチームを導いた。私も大変お世話になった方だけに現場まで行きたかったがコロナ禍で自粛。電話だけにとどめた。「最後の最後でいい思い出をいただけました」と語られた電話口が印象に残る

その新野駅は、かつての島式ホームの1面がつぶされて単式ホームとなっている。こちらも1日1往復の特急が停車する。阿南光高校の最寄りとあって利用者数は桑野より多いが、1面をつぶしたおかげで構造的に折り返し運転ができないようだ

高校野球の思い出が多い両駅である

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牟岐線の木造駅舎紹介6~途中下車要注意、牟岐線の歴史をおさらい

阿南駅の駅名標

※訪問は2023年7月20日

徳島県第2の駅にして唯一の駅

阿南に到着。何度も書いているが、当駅がパターンダイヤの境界で徳島から阿南までは30分に1本という便利なダイヤになっているのに対し、阿南から先は2時間に1本程度と本数が少なくなる

その阿南駅は立派な橋上駅舎。2003年に現在の形となった

牟岐線では唯一のみどりの窓口設置駅(徳島駅をのぞく)。少し前までは他の駅にも設置があったが、今は当駅のみとなっている。発車案内もディスプレイ方式

2022年の利用者は2248人で県内2位(首位は徳島駅で1万1120人)。さらに言うと徳島県内の橋上駅舎は当駅が唯一である

各地には町の中心地と離れている駅が多数あるが、阿南に関しては駅周辺が阿南市の中心地となっていて便利。全国チェーンのビジネスホテルも進出している

2つの顔を持つ路線は全長77・8キロ

駅を紹介する度に断片的に書いてきたが、ここで牟岐線についてまとめておきたい

牟岐線は徳島県の東部を走る路線。元々は小松島港へ向かう徳島~小松島を船舶の海運会社が1913年(大正2)に敷設した。その後、小松島の手前の中田から古庄までを阿南鉄道という会社が1916年に敷設。そこからは国鉄によって工事が行われ、1936年に古庄のひとつ手前の羽ノ浦から阿南を越えた桑野までが開業(阿南駅はこの時に開設)。すべてが国鉄牟岐線となって、戦時中の1942年に牟岐まで到達した。メインルート外となった中田~小松島と羽ノ浦~古庄はその後、廃線となっている

元々は四国の南東部をグリルと回って高知までつなげる予定だったため、戦後に工事を再開。1973年に海部まで到達した。牟岐から先は「国鉄阿佐線」となることが決まっていて、工事は室戸岬を目指して、さらに続けられたが、高知県に入ってすぐの甲浦までが、ほぼ完成した時点で中断。できあがっていた部分は第三セクターの阿佐海岸鉄道に引き継がれて開業も、鉄路としての業績は低迷。バス、鉄道の兼用車であるデュアル・モード・ビークル(DMV)が導入されて話題となったのは一昨年の2021年のこと。と同時に阿波海南~海部の1・4キロはJRとしては廃線となった。ここ数年の動きは激しい

ちなみに牟岐以南の部分については鉄建公団による工事で、高規格の高架中心の路盤となっている

そして鉄道ファン的に注意が必要なのは全長が77・8キロということ。普通列車のみの運行で全線走破に2時間以上も要するが、100キロに満たないため、徳島から全線のきっぷを購入しても途中下車はできない。行き止まり路線のため、途中下車可能なきっぷを買うためには徳島より手前の駅から、あと22・2キロの距離が必要で高徳線なら香川県内の駅からの乗車券を買う必要がある

私は今回「四国バースディきっぷ」という誕生月に3日間、乗り放題のきっぷを利用したが、青春18きっぷのシーズンが終了すると別の企画きっぷや100キロ以上の乗車券がないと途中下車ができない。そして徳島県内では窓口のある駅や営業時間に制限のある駅が多いので、事前に調べた上できっぷを購入することが重要となる

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牟岐線の木造駅舎紹介5~かつての分岐駅は今も交通の要衝

羽ノ浦駅の駅名標

※訪問は2021年8月4日、2023年7月21日

貴重な直営駅

羽ノ浦駅。「はのうら」と読む

駅名標の自治体名が上書きされていて阿南市となっているが、かつては羽ノ浦町の中心駅だった。現在、1日1往復のみとなっている特急「むろと」の停車駅。そして牟岐線28駅(田井ノ浜を含め、徳島を除く)のうち、わずか4駅しかない貴重な直営駅のひとつである。ちなみに他の3駅は南小松島、阿南、牟岐でいずれも自治体の代表駅だが、平成の市町村合併で、その座を降りているが、歴史的経緯や利用者の規模で直営駅の座を守っている

開業は1916年(大正5)で、当時からの駅舎だとされる

真っ直ぐ南下していた鉄路

その開業時、線路の方向は今とは異なっていた

牟岐線は東へグルリと回り込むように阿南に向かって敷設されているが、元々の構想は微妙に違う。真っ直ぐ南下して、わずか2キロ先の古庄に伸びていた

敷設したのは小松島から阿南を目指した阿南鉄道という会社で中田から古庄までを1916年に開業(つまり羽ノ浦駅の開業時)したが、予算が足りず那賀川を渡ることができなくなり、古庄を暫定的な終着駅にしたところ、1936年に国鉄が現在の牟岐線で那賀川を渡り、阿南に向けて敷設。古庄までの2キロは意味を持たなくなってしまった

と同時に阿南鉄道は国鉄牟岐線の一部となり、盲腸線となった古庄までの区間は旅客営業をやめて貨物支線となったが、戦後の1961年に廃線となった

ただし阿南鉄道が地元にもたらしたものは大きく、羽ノ浦駅周辺から古庄にかけては大いに栄える地域となった

現在の国道55号は海沿いのパイパスとなっているが、以前は羽ノ浦駅を横断する形の県道130号が国道55号だった。県道130号はもちろん那賀川を渡るのだが、そのコースは羽ノ浦~古庄の鉄路に沿ったものとなっていて沿線は大きな町となっている

私的なことだが、一時よく現地を車で訪れたいたころは当地が給油地点で、現状は不明だが安いガソリンスタンドがあって貴重だった

利用者は県内8位

2022年の羽ノ浦駅の利用者は1日1348人で県内8位。牟岐線では阿南、南小松島に次ぐ第3位で直営駅となっているのもよく分かる数字だ

駅は1面2線の島式ホーム

2年前の訪問時は休憩時間だったようで窓口にはカーテンがかかっていたが、今年の訪問時はもちろん、改札でのきっぷ収集も行っていた

こちらは今年8月の羽ノ浦駅。当駅始終着の列車設定はないが側線は現役で保線車が停まっていた。徳島~阿南のパターンダイヤでは原則的に当駅で列車同士のすれ違いが行われる

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牟岐線の木造駅舎紹介4~モータリゼーションに対抗する非電化単線路線

地蔵橋駅の駅名標

※訪問は2023年7月21日

周辺は農地と住宅街

地蔵橋駅に到着。なお記事としては南小松島を先にしたが、実際の道程は阿南から朝にやって来て先に地蔵橋で降りた後、南小松島に折り返している

写真で分かる通り、かつて島式1面2線だったホームは片面がつぶされて1面単式ホームとなっている

こじんまりとした駅舎で周囲は農地と住宅街だが、ひとつお隣の中田までが小松島市だったのに対し、当駅からは徳島市に入る。徳島までは4駅で、わずか6キロということもあって1日500人ほどの利用者がある

開業は1913年(大正2)と古く、駅の年齢は110歳となった

古い梁に財産票が張られていた。大正15年(1925年)からの駅舎が使用されているようだ

かなり手が加えられているが、凝った柱の構造に「大正生まれ」を感じる

駅名は近くにかかる橋から命名された。駅舎と逆側に10分ほど歩くと自然にできた山としては標高6・1メートルと日本一低い弁天山がある

駅舎側が住宅街、逆側が農地となっている

日常化した大渋滞に鉄道が対抗

駅は完全無人化されている

目を引くのが時刻表

この時も説明したパターンダイヤで特急の運行を通勤時の1日1往復にする代わりに徳島~阿南間は普通を30分に1本運行している。優等列車や貨物列車が走らないので時刻も一定化。覚えやすい。非電化単線路線としては、かなり頑張った時刻表である

パターンダイヤの背景には徳島市内の日常化した大渋滞がある。この記事を読まれている方は鉄道ファンが主で徳島市周辺でハンドルを握る方は少ないと思われるが、ラッシュ時の徳島市内の渋滞は酷いの一言。徳島市に流入する道路は高松からの国道11号、吉野川沿いにやって来る国道192号そして室戸方面からの国道55号があるが、これらの道路はすべて徳島駅周辺の徳島市中心部を通るようにできていて、どちら方面も車は一歩も動かない状態となる

それでもまだ国道11号や192号には高松自動車道や徳島自動車道という補完する高速道路があるが、牟岐線に沿った55号には自動車専用道がなく、徳島中心部から小松島にかけては片側4車線という広大なバイパスとなったが、それでも渋滞は収まらず、現在「徳島外環状道路」という外周道路を建設中だが、数十年かかっても工事の進捗状況は遅く完成のめどが立たない状況だ

そこで鉄道の出番である

もちろん地方の鉄道は高校生が主役だが、30分に1本で時刻も一定のパターンダイヤは利用者には好評。特に徳島駅の出発時間は毎時0分、30分と実に覚えやすい時間となっている

こちらは満員のお客さんを乗せて徳島へと向かう列車。朝の多客の時間帯は車掌さんが乗車する

朝の8時ということで閉まっていたが、旧駅事務所は地域交流の場として地元に貸し出されている

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牟岐線の木造駅舎紹介3~「南」を冠する中心駅

南小松島駅の駅名標

※訪問は2023年7月21日

朝から多くの旅客でにぎわう

南小松島駅を訪問した至近は今年7月21日

列車が到着すると多くの乗降がある

到着は朝の8時過ぎで最も利用者の多い時間。この日から夏休みに突入しているので、高校生の姿は前日までとは異なるのだろうが、それでも多い。駅に降りる人も多いが、これから徳島市内への通勤通学を行う利用者はもっと多い

小松島市は徳島市のお隣でベッドタウンとなっている

こちらは駅舎。右側の空間はかつてJR四国が各地で経営していたパン店が入居していた。JRに移管して大きな変化のひとつとして「副業が可能になった」ことが挙げられる。意外と知られていないが、国鉄時代は「民業を圧迫する」との理由で飲食店やホテルの経営、不動産業などができなかった。副業が解禁になったことで売り上げに貢献する態勢が整い、JR四国でも利用客の多い駅は改装して店舗のスペースを作り出したがパン店については各地で撤退。残ったいくつかの店舗は別のパン店として再出発している

ちなみにJRから転換した各地の第三セクターについても国鉄と同じ理由で副業は禁止されていて、苦戦の原因となっていることを記しておく

当駅の開業は1916年(大正5)と前記事で紹介した中田と同じだが、財産票によると駅舎は1935年からのもの。前述した通り、JR移管時に改築され現在に至る

歩いた方が早い?

当駅は2022年の1日の乗降客は1418人で徳島県では6位。コロナ禍前までは1800人の利用があった。小松島市の中心駅だが「南」の冠が付くのは国鉄末期に廃駅となった小松島駅が存在したため。ただし長らく小松島の中心地は南小松島駅だった。小松島駅の誕生は1913年で、わずか3年違いで「南」が付くことになったとも言える。小松島駅の目的は当時、徳島で最も大きな港だった小松島港へ人と物を運ぶためだったので、駅の開設順が逆だったら「小松島港」という駅名になっていたかもしれない

そして、この小松島駅、実は南小松島駅とは実に近い

わずかに徒歩約10分

かつての小松島駅はステーションパークという公園となっているが、南小松島駅周辺から川を挟んで、ずっと小松島市中心街の街並みが続く。地図で分かる通り、川があるため南小松島駅からは線路を敷くことができず、ひとつ徳島寄りの中田からの分岐となっているが、南小松島駅から中田で乗り換えて小松島に行くより歩いた方が早かったのである。貨物輸送が衰えると小松島線が廃線となってしまったのは自然な流れだったのかもしれない

のぞみの泉が人気

南小松島は直営の有人駅(週末や時間帯によっては無人となる)。駅舎内には観光案内所も入居している。前回まで消えてしまった駅舎を紹介してきたが、さすがにこちらは大丈夫だと思う

ただし外から丸見えで、なおかつ清潔ではないというトイレの不備が最近ニュースとなっていたことは気になる点ではある

駅前には地下水の湧き出る「のぞみの泉」があり、地元の方が次々と水をくみに来ていた

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牟岐線の木造駅舎紹介2~駅舎への思いを強くさせた駅

中田駅の駅名板

※訪問は2021年8月4日

分岐駅、難読駅として有名

阿波中島駅で戦前からの駅舎とのお別れをしたその足で中田駅へ。今にして思うと、なぜ中田へ足が向いたのか、よく分からない。何かの予感が発動したのか、とにかく結果的には貴重な訪問となった

意表を突いた形の難読駅として有名。私的な感覚だが、難読駅には「元々の漢字が難しい」ものと「簡単な漢字なのに読み方が難しい」の2通りがあって、後者それも小学校低学年レベルでも読み書きできる漢字を使用しているものに価値があると考える。究極の形が「十三」だと思うが、こちらは駅の規模が大きすぎて難読ではなくなっている。普通しか停車しない支線の駅だったら難読駅クイズの常連になっているのになぁ、と思わずにはいられない

中田駅には、かつて小松島線の分岐駅という、もうひとつの顔があった。牟岐線は徳島から南下し、ここ中田から小松島線が分岐していたのだ。駅は1916年(大正5)の開業と歴史は古い。といっても、以前は徳島の船の玄関口だった小松島港へ直結するための、たった1区間、全長1・9キロという超ミニ路線。国鉄末期の1985年に廃線となったが、当時は「日本で一番短い路線」として知られていた

廃線跡は遊歩道として整備されていて簡単に小松島駅跡にたどり着くことができる

貴重な駅名標を撮りに

中田駅に到着。中田に足が向いた理由をあえて探すとなると、この駅名標を撮るため

同駅訪問はこの時、2回目だったが、駅舎に残る古い駅名標の写真を撮っていなかった。上書きされまくっているが、分岐駅だったことを示す貴重な駅名標。かなり古いものだと思われるが、徳島へ向かう際に「そういえば」と思い出して立ち寄った。もちろん、その後に起こることを知る由もない

通勤通学圏で利用者多数

小松島線の分岐としての役割はJR誕生を前に終わったしまったが、徳島まではわずか9・2キロ、列車の所要時間も15~20分と至近で通勤通学圏としては利便性に富むため、無人化されたもののコロナ前には1日の利用者が1000人を超えたこともある

かつての分岐駅の名残で駅前広場は広く、改築されながらも昭和戦前からの駅舎だった

財産票によると1936年(昭和11)からの駅舎。四国の駅はJR移管後、クリーム色を基本に塗装され直されているものが多いが、こちらもそのひとつ

構内踏切を渡ると島式の1面2線ホーム。真夏の青い空に小松島線の分岐の名残である側線が映えていた

そんな中田駅についての報が届いたのは昨年7月のこと。なんと駅舎が解体され、バス停駅舎に変わったというのだ。駅前にはマンションもあって、多数の利用者がいる駅だけにビックリした。訪問から1年も経っていない。雨の日の朝は雨宿りをするだけで大変だろう

と同時に駅舎の存続については全く油断ならないことを痛感。行ける場所であるなら、機会を逃さずに訪れ、記録を残しておかないと、と思った。今年7月にも現地を訪れ、いくつかの駅に降り立ったが、牟岐線の駅舎紹介はその一環である

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牟岐線の木造駅舎紹介1~きっかけは2年前の夏

阿波中島駅の駅名標

盛夏に大急ぎで駆けつける

話は2年前の8月4日にさかのぼる。猛烈に暑い日だった。私は牟岐線の阿波中島駅を大急ぎで目指していた

阿波中島駅。優等列車の停車駅ではなかったが、旧那賀川町の中心駅で周辺は開けている。住宅や店舗も目立つ

牟岐線はメイン国道である55号線に沿うように走っているが、国道からも近く、道路沿いにはロードサイド店が並ぶ

牟岐線では阿南のひとつ徳島寄り

前回の記事でも紹介したが、牟岐線は2019年にパターンダイヤを導入。牟岐線の特急を1日1往復のみにして他はすべて普通列車とする代わりに、徳島~阿南間については昼間も30分間隔で運行するというもの。距離にして24・5キロと牟岐線全体77・8キロの3分の1にも満たないが、この区間を利用する人にとっては利便性は増している

阿波中島駅は、その30分に1本区間にあるため本数は多い。利用者も400人近くあってJR四国の単線非電化区間の無人駅としては、かなり多い方だ

並列する2つの駅舎

財産票は昭和11年3月を示しているから当駅が開業した時以来の駅舎

無人化されて10年以上が経過。窓口は板でふさがれている

ホームはかつての島式の片側線路が撤去され、1面1線となっている

と、ここまでなら単なる駅舎紹介で猛暑に大慌てで四国を訪れた理由には何もならない。訪問の趣旨はここからである

ホームから駅舎に向かうと

駅舎の前に物置のようなものがある

近くで見ると、このバス停のようなものは「阿波中島駅」と駅名板が埋め込まれた新駅舎。駅舎解体の報を知り、押っ取り刀で現地に駆けつけた次第だった

別の角度から見ると新旧駅舎が並んでいる

駅構内には張り紙があった。駅舎新築と旧駅舎撤去の案内

全国各地で簡易駅舎への移行が進む。ただ大抵の場合、いつの間にかバス停のようになっている新駅舎を見るだけで、このように並立状態で眺めることは少なく、こうして見るとバス停化された駅舎がいかに小さいものかが、よく分かる。複雑な心境になるとともに軽いショックを受けた

悲しいことに何十年の歴史を持つ駅舎でも解体は一瞬で終わる。この日から、ちょうど2年が経過した今年7月に牟岐線に乗車したが、もちろん車窓から見えるものは、かつて駅舎があった広い空間とバス停化した駅舎だけだった

木造駅舎を中心に牟岐線の駅舎紹介をしていきます

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牟岐線の一部区間ではJRの乗車券でバスに乗車できます

阿南駅の駅名標

JRの時刻表にバスの時刻が

牟岐線の運行上の重要駅、阿南です

徳島から当駅までは昼間も30分間隔の運行が行われていますが、当駅から先(南側)は昼間は2時間に1本と、急に本数が少なくなります

その阿南駅の時刻表ですが

あれ?と不思議な感じがします。JRの時刻表に徳島バスの時刻表が併記されているのです。あまり見かけない、というか見たことのない時刻表です

結論から言うと、ここ阿南から南側はJRのきっぷで徳島バスに乗車することができるのです。災害などによる代行バス以外で、JRの乗車券で路線バスに乗車できるなんてことは基本的にあり得ません。なぜなら両者は競合関係の間柄だからです

長距離バスの一部区間を鉄道と共用

まずシステムから説明すると、適用があるのは徳島バスの「室戸・生見・阿南-大阪線」線。高知県を出て大阪へと至る長距離高速バスですが、その中の阿南~甲浦間では途中乗降ができる上、その中の阿南~海部高校間はJRの乗車券を持っていればバスに乗車できるという制度。牟岐線は徳島から終点の阿波海南までの距離が78キロしかなく、徳島から乗車した場合は、きっぷの制度上、途中下車はできないのですが、徳島バスに乗る場合は阿南の改札口を出て乗り換えること可能で、普通乗車券はもちろん、各種企画乗車券も利用可。青春18きっぷも利用できます

この制度には牟岐線のダイヤ変更が大いにリンクしています。牟岐線では特急「むろと」が1日3往復運行されていたのですが、2019年に徳島~阿南間を30分に1本の普通として運行を開始した結果、特急の運行が朝夕の1往復のみとなってしまいました。他はすべて普通列車で、特急停車駅である主要駅間の輸送が大変不便となってしまいました

それを解消するための制度が、徳島バスとの共用ですが、元々が競合会社同士ですので、その両社が手を結ぶのは独占禁止法違反になるということで、簡単にはできないことだったのですが2020年に地方交通については特例が認められたことで法的な問題はクリア。昨年4月に運用が開始されました

途中利用できる駅と停留所は阿南→阿波橘駅→由岐→日和佐→牟岐→浅川→阿波海南となっています

JRの時刻表にもバスの時刻表を掲載することが運用の条件となっています

田井ノ浜の帰りに利用

私は7月20日に利用しました

田井ノ浜訪問後、由岐まで歩いてきた私ですが由岐駅到着は13時半ごろ

大変立派な駅舎を持っているのですが、問題はダイヤで

ここからさらに南下して阿波海南方面へと向かうには、次の列車は14時52分で1時間半近くもあります。ただ列車より1時間近く早い13時55分にバスがあり、これは便利

駅舎向かいの役場前にバス停があり、こちらで待っていると

バスがやって来ました。JRの乗車券を見せてから乗り込みます。この日私が利用したのはJR四国のバースデーきっぷ。行く先を告げて着席します

この区間は空いている座席に座るシステムとなっています。私が目指すのは牟岐でしたが3人かけ使用のバスは快適。電源コンセントもありました

約30分で牟岐へと到着。バスの問題点として停留所が必ずしも駅前ではないという問題があります。牟岐では徳島バスの営業所に停まります。牟岐駅までは徒歩5分ほどですが、私は過去何度か牟岐に来たことがあるため困ることはなく、おそらく初めての人でも駅へ迷うことなく行けるとは思います

もっともJRなどの注意書きを見ると阿波橘駅に対応する「橘営業所」については「駅から1・5キロ離れています」と書かれているため、こちらは要注意

今年5月には牟岐線の終点である阿波海南駅に近い海部高校前停留所も対象となり、利便性は増しています。うまくバスを利用して牟岐線の旅を楽しみましょう

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青春18きっぷで相生-岡山途中下車のススメ~新設駅を一気に2駅進んでゴール

西川原・就実駅の駅名標

※訪問は2021年12月12日、状況が変化している可能性があります

「みどりの窓口」頑張っています

東岡山~岡山間は山陽本線、赤穂線の2路線の電車が乗り入れているため、運行本数の多い区間となっています。そしてこの間は国鉄末期に開設された駅、平成になっての新駅もあります。東岡山を挟んだ上道駅についてはすでに触れましたが、以前は瀬戸→東岡山→岡山しか駅がなかったのに国鉄末期から3駅も新駅が開業していることが、沿線のベッドタウン化を物語っています

高島駅は1985年3月の開業。国鉄駅だったのは、わずか2年

駅は新幹線の高架のふもとに設置されていて、この点は上道と同じですが、メインとなる駅舎(北口)が新幹線の高架側に設置されたため(つまり上道とは逆)橋上駅舎にはできはなかったようです

周辺は住宅街となっています

新幹線の橋脚のふもとに、こじんまりとした駅舎が建てられています。ただこんな小さな駅舎ですが

みどりの券売機とともに、みどりの窓口も頑張っています。こちらは2年近く前の写真ですが、少なくともこの記事を書いている時点では、まだ営業しているようです

考えてみると、相生~岡山間の各駅をたどっていくと、相生で最後に見てから、当駅が最初で最後のみどりの窓口となっています。つい数年前までは、みどりの窓口設置駅の方が圧倒的に多かったはずですが、いつの間にか当駅が唯一となってしまいました。直営駅や管理駅といった駅員さんがいる駅でも窓口がなくなる時代です

2面2線構造の当駅は南口も設置されていて、こちらは田んぼの中に改札口があるような構造となっていて人口が増えた2008年に設置。自動改札機と券売機があるだけの無人改札となっています

駅名標の「・」に要注目の平成駅

続く西川原駅まで来ると、岡山までは残り1駅。今回、紹介してきた相生以西の駅では唯一の平成生まれ(2007年開業)、つまりJR化後に新規開業した駅ですが、当駅の注目は

なんといっても駅名の間に入る「・」です。「・」は漢字ではなく記号で、ふだんよく見かける割に読み方を知らない人も意外と多いのですが、長年新聞社にいた私は「なかぐろ」「なかポツ」とか読んでいました。「なかぐろ」で変換するとすぐ出てきました

そして、よく見かけるこの記号ですが、JR駅では全くといっていいほど出てきません(JR以外では登場します)。唯一の駅が群馬県の「万座・鹿沢口」。では、当駅もJRでは二番目の「・」入り駅なのかというとそうではなく「西川原・就実」というのは、あくまでも愛称で正式駅名は「西川原」

ただし駅名標はご覧の通りで車内アナウンスも「西川原・就実」と案内されます。なぜこのようなことになったのかというと、当駅は学校法人の就実学園が駅の設置費用を負担した請願駅だから。駅名を決める際、出資側としては学校名のみの駅名を要望していたようですが、現在の形に落ち着きました

柱の縦型駅名標は「正式駅名」です

簡素な構造も利用者は多い

その西川原駅ですが

高架に盛土と簡素な造りです。以前は駅員さんがいましたが原則、無人化されました。受験などの多客期には臨時で駅員さんが派遣されます。簡易式のICOCA改札機と自動券売機のみが設置されていて駅舎はありません。ピンク色のものは小さな事務室。高架下にあるため雨天時はこの部分で待機するかホームの屋根のある部分で待つことになりますが、ホームへの階段部分に屋根はありません

階段以外ではスロープで登る形となりますが、こちらにも屋根はなし

と、このように簡素な構造の西川原駅ですが、岡山まで1駅という立地や学校があることで高島から2キロも離れておらず、岡山までも3キロないにもかかわらず、今回紹介してきた相生以西の駅では東岡山と1、2を争う利用者があります

その意味ではバリアフリーでエレベーターの設置が求められますが

高架上に後から設置しただけあってホームは狭く、エレベーターの設置スペースもないようです

これにて相生から岡山でゴール。こうしてたどっていくと平成の大合併や、さらにそれ以前の市町村合併前は、日本各地と同様、細かく自治体があって、それぞれのために駅が設置されたことがよく分かります。青春18きっぷ利用の際、ちょっと寄り道などいかがでしょうか

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