根室本線の廃線予定区間の全駅訪問~これが最後の光景

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下金山駅にやってきた列車

※訪問は2023年9月2日

空間が物語るものは

下金山駅では約1時間の待ち時間があった。最後の駅を味わうにはちょうど良い

ホームと駅舎の間に広い空間がある。側線があったことは明白だ

島式ホームは片側のレールがはがされ、1面のみが使用されている。富良野~東鹿越間の各駅でも、かつては貨物輸送の重責を担った痕跡が各駅にあったが、これほど見事にレールが消えているのは、ここだけ。たとえ使用されていなくてもレールが残るのとなくなっているのとでは受ける感じが異なる。大きな空白と空間が寂しさを後押しするようだ

ホーム側にある平仮名の駅名板

もちろん無人駅。「JR北海道」の文字があるのでJR移管時は有人だったのかと思って調べてみたが、それより前に無人化されていた

下金山駅は1913年(大正2)の開業。すでに山部、金山の両駅が開業していて、その間に設置された。目的はやはり木材輸送。1939年に駅そのものが若干の移動をしたこともある。現在の駅舎は国鉄末期の1983年にそれまでの駅舎を改築したものだが、ほぼ時を同じくして無人化されているので窓口は一度も使用されていない可能性もある。そもそもの無人化は貨物扱いの廃止が理由なので旅客を相手にしたきっぷ販売という意味合いは終わっていた

周辺には集落が広がる

当駅にはこの区間を走る1日1往復の快速のうち、上りの滝川行きは通過するが、停車駅の金山駅とは異なり、駅を中心に小さいながら集落が広がる

民家も商店のほか

郵便局もある

そしてバス停

3カ月前は泣きが入ってしまったが

1日3往復運行の占冠村営バスの停留所には、しっかり時刻が記されていた。これだったら安心して待っていられたと思うが、話としては盛り上がらない。今となっては記事に抑揚ができたことに感謝しよう。もっとも、そのおかげで当駅のみが未訪問のまま終わってしまったのだが

100年以上続いたありふれた光景が

周辺の散策を終え、駅に戻る。駅前には未舗装部分もあるもののロータリーがあり、手入れされた花壇があった

手元にJR移管後から1年の時刻表(復刻版)がある。石勝線が開通した後で、この時点ですでに1日7・5往復(うち1本は落合折り返し)となっているが、それに加え滝川から函館本線に入って札幌に向かう急行「狩勝」が1往復運行されている。狩勝の名前は現在、快速に受け継がれている。話は少しそれるが、この急行には「新得~札幌を途中下車せず札幌以遠に行く場合は石勝線・千歳線経由の乗車券・急行券でそのまま乗車できます」との注意書きがある。もちろん距離も所要時間も大きく異なっていて、今ならマニア垂涎の長距離急行となっていただろう。ただ当時は石勝線を走る特急そのものの本数が少なく、帯広を約1時間半後に出る特急が必死に追いかけても、わずか2分差で狩勝が先に札幌に到着する。たった2分というのも今だったら、大いに人気となっていたに違いない

駅舎隣の倉庫を改めて見学し

最後にもう一度駅名標の写真を撮る

バス転換後はどのような態勢になるのだろうか。都市間バスのノースライナーの項でも少し触れたが、現状、廃線予定の区間内では価格的にバスの方が鉄道より若干安い。ノースライナーは新得の後は富良野までの間、南ふらの(幾寅)と山部に停車するのみの、いわば特急である。それに対しバス転換となると、おそらく東鹿越を除く現在の各駅または、その近くに停車するのだろう。車両も路線バス仕様なのか観光バス仕様なのかは分からないが、現行の運賃をそのままあてはめると、場合によっては路線バス仕様(もしくは小型バス)の遅いバスの方が乗り心地が悪い上に運賃が高い、ということになりかねない

富良野方面行きの列車がやって来た

前日の宗谷本線ストップにより、初めて訪問した駅は2日間で落合、下金山の2駅のみになってしまったが、これも忘れられない思い出となった

「晩夏の雲と列車」。100年以上、あたりまえだったこの光景は来年からはもう見られない。私にとっては、ホームに入線する列車の姿そのものが、おそらく最後である

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