2年がかりの呉線全駅訪問~三津の杜氏で知られる開業以来の駅舎

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安芸津駅の駅名標

※訪問は2022年10月1日

「安芸」の「津」ではありません

安芸津駅に到着。全国各地には旧国名を冠する駅が多数あるのは、周知の通りで広島県内にも「安芸」を冠する駅はいくつもある。呉線内にも複数あるが、当駅については事情が微妙に異なる。津という地名があって、そこに国名を冠したのではなく、元々の自治体名は三津。当駅も1935年(昭和10)の開業時は三津駅だった。戦時中に周辺の自治体との合併があり、新たに誕生した自治体が「安芸津町」。戦後になって駅名も安芸津となった。2005年の平成の大合併を経て現在は東広島市となっている

なお三津といえば、愛媛県の松山にも三津駅があるが、こちらは伊予鉄道の駅。同名を避けたのか、後から駅を作った国鉄が「三津浜」と名付けたのは1927年と、安芸津駅より少し早かったが、「浜」が付いたおかげで呉線の駅は「安芸三津」ではなく、堂々と「三津」を名乗ることができるようになった。スタート時が安芸三津駅だったら、駅名は今もそのままだったかもしれない

観光列車の停車駅用の駅名標。忠海はウサギだったが、当駅は杜氏が描かれている。三津町は明治以降、軍用酒として採用されたこともあり、多くの酒蔵で栄え「三津の杜氏」は固有名詞化。県外にも広く流通して呉線も運搬で大いに寄与した。今も構内には貨物の側線が残る

開業時からの駅舎はちょっと変わった構造

駅舎は開業当時からのもの。安芸津町の中心駅だったこともあり、雄大な駅舎で駅前ロータリーは大きく、タクシーも停まっている

こちらは駅舎内

簡易委託の有人駅。かつてはみどりの窓口設置駅だったが、IC乗車が導入されたころにはすでに簡易委託化されていた。自治体が簡易委託を請け負っているようで、無人の時間帯もかなりある

2面2線構造だが、小さな盛土の上にホームがあるため、駅舎側のホームには小さな階段で入り、向かいのホームには地下道で向かう。戦前からの存在で跨線橋のない駅は呉線では珍しいが

駅舎内には、かつてもうもうと煙を吐きながらSLが入線していたころの写真があり、撮影は昭和43年、つまり1968年となっている。駅舎側のホームへの出入りは今と変わらないようだが、ホームの行き来は構内踏切で行っていたようだ。大きな貨物ヤードも写っている。呉線は電化ギリギリまでSLが走っていた路線でもあり、1970年の電化と同時にSLがすべて姿を消すというドラスチックな変貌を遂げている

ただ導線を拡大してみると、これらの案内は字体から、いずれもかなり古く国鉄時代からのもののようである

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