周防久保駅に到着したキハ40

2022年10月3日8時15分

駅からの大動脈

周防花岡から周防久保に到着。乗車列車は単行となりましたが周防花岡で多くの乗客が下車してしまったため、十分な容量となっています。ここで列車交換のため10分の停車

こちらは生野屋の時刻表。朝夕の通勤通学帯、中でも朝に特化したダイヤであることが分かります。私が乗車しているのは当駅8時12分発の岩国行き。この後、3時間以上列車がありません。その次も2時間半、2時間と間隔が空く。列車の停車時間を利用して駅訪問とするのは本意ではないが、3時間列車がないのでやむを得ません

駅舎を出ると国道2号線のバイパスが目の前を走る。その奥には新幹線と山陽自動車道。大動脈に寄り添いながら在来線はローカル線という光景が続きます

戦時中の決定

山陽本線は岩国~徳山間を瀬戸内海に沿って敷設されています。前記事でも触れましたが岩徳線より20キロ以上も長い。先にできたのは現在の山陽本線ですが、短絡で真っ直ぐつなげようとなるのは当然の流れ。工事が開始されたのは大正期で道路整備もまだまだの時代ですが、そもそもは古来からの山陽道が現在の2号線なので、その意味でも短絡線で岩国と徳山を結ぶのは自然なことで、全通時はこちらを山陽本線とすることで工事が開始され、1934年に全通して山陽本線となり、旧来の山陽本線は柳井線となりました

短絡で結ぶためトンネルも勾配もいとわずの工事で欽明路駅の東側にポッカリ口を開けている欽明路トンネルは3000メートル以上と当時としては、かなりの大工事。他にも1000メートル超1本を含む7本ものトンネルを掘りました。だが、これが後々にマイナス要素となってしまう

間もなく戦時体制に入っていくと、輸送力強化のための複線化が求められる。同様に軍も物資運搬も含めた海の需要が急速に高まります。SLの時代に長大トンネルはあまり好ましくない上、複線のためもう1本、3キロ以上のトンネルを造るのに一体、どれだけの時間と手間がかかるのだ、ということになり1944年の柳井線の複線化が完了したことで柳井線は山陽本線へカムバック。全通まで岩徳西線、岩徳東線と呼ばれていた「山陽本線」は岩徳線となりました。戦争まっただ中のこと。たった10年の山陽本線。戦後も改めて工事が行われることなく現在に至ります

短絡線の構想が戦後だったら、など「イフ」を挙げるとキリがありませんが悲運の路線となってしまったことは間違いありません

周防久保は1934年からの駅舎が、そのまま残ります。岩徳線では貴重な駅舎のある駅

国鉄時代に無人化されています。バス路線の多い駅でもあり、近くには住宅地があります

駅名標はきれいです

山陽本線時代の駅でもあり、ホーム有効長は長い。発車時刻となったので列車に戻ります

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