阪堺電気軌道

羽衣界隈から堺までを再確認してみた~堺市の東西問題を学びつつ、お昼から…

※訪問は2026年4月18日

堺東駅を阪堺線で目指すには?

阪堺線の浜寺駅前停留所から阪堺線に乗る。目指すは南海高野線の堺東駅である。時間はすでに14時近く。同行のしんさん(@sin103neko)と同駅近くの飲食店に行くことになった

だが、ここで「はて?」の疑問が出てくる。阪堺線というからには大阪と堺を結んでいて、このまま乗れば天王寺または日本橋近くの恵美須町まで連れていってくれるが、その堺東へはどうやって行くんだ?

堺市は何度も訪れているが土地勘がない。つまり鉄道駅と周辺施設の点と線しか分からないのだ

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5本の鉄道が南北を縦断する政令指定都市

かつては大阪以上に栄えた堺は和歌山とを結ぶ重要ポイントでもあり、南海が本線と高野線、JRが阪和線、地下鉄御堂筋線そして阪堺線と5本もの鉄道が南北を貫いて大阪とを結んでいる。南北にこれだけの鉄道がありながら東西はほとんど結ばれていない。高野線とJRそして地下鉄は三国ヶ丘、中百舌鳥で接続が図られていて、記事でも書いてきたように堺市の鳳駅と高石市の羽衣駅は接続されているが、中心部では結ばれていない。これが都市として積年の課題のようで、外から見ると選挙のたびに「東西問題」が論じられている印象だ

もっとも今回の私たちのような一見さんには、今や携帯アプリという便利なものがある

ということで10分ほど阪堺線に揺られて

大小路(おおしょうじ)停留所で下車。ここから堺東へのバスが出ているようだ

堺駅から堺東駅までの道程は2キロほどで、大小路からはその半分ほど。ローカル線の駅訪問なら普通に歩いてしまう距離だが、人間というのは交通機関がホイホイあるとホイホイ乗ってしまう生き物である

かつて栄えた地域

大きな交差点をわたると

石碑があった

他にも石碑と解説板があり、周囲を見渡すと商店街もある。ひょっとしてここはかつて大変栄えた場所ではないかと思い、ここから書くのは帰宅後に調べた話である

大小路というのは前掲の地図にだと分かりやすいが、堺市を東西に貫く大通りのこと。大阪と堺は今や同じ大阪府の隣町だが、律令時代からの区分では大阪は摂津国、堺は和泉国と別の国だった。その境界線がこの大小路。大阪と堺の境界は大和川だとてっきり思い込んでいたが、それは明治以降の分け方。堺の語源は摂津、和泉、河内の3つの国の境にあるとされていて海上交通の要衝にもなって繁栄した。この停留所付近は紀州街道との交点として栄えた。ちなみにこれから目指す堺東駅は1898年(明治31)の開業だが、当初の駅名は「大小路駅」だった

堺東駅までは徒歩20分ほどだが、堺駅から堺東駅まで大小路を走る「堺シャトルバス」が運行されていて、もちろん大小路停留所も経由する。昼間は平日が10分間隔、週末は12分間隔と頻発されている。運行は南海バス。かつて堺市の東西問題解決のため、臨海部も結ぶLRTを走らせる案もかなり具体化したが、南海の2駅だけでJRの堺市駅へ行かないことや道路が狭くなって予想される渋滞など反対の声も強く、お蔵入りとなってしまった

現在は運行の多いバスが市民の足となっている。写真を見返して気づいたのだが、阪堺線の停留所で私たちの先を歩いていた方は。われわれと同様の道程でバスで堺東駅へと向かっていた

バスがやって来た

今や堺市の中心部となった堺東駅。ということで、しんさんと向かった飲食店はというと

なんのことない昼呑みである。駅近くには昼間から開いている居酒屋が多数あって迷うほどだった

しんさんと鳳駅で待ち合わせしたのは正午で堺東駅に到着したのは14時半。高石市と堺市の一部をクルッと回った時間は2時間半ほどだったが、なかなか密度の濃い2時間半だった。しんさん、今回もありがとうございました

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羽衣界隈から堺までを再確認してみた~東洋一の海水浴場の証人は今のうちに

※訪問は2026年4月18日

浜寺公園駅から至近

荘厳な浜寺公園駅から浜寺公園までは一本道。というか至近である。かつては海水浴場に向かう道であり、関西でも指折りの別荘地。多くの店舗が並んでいたというこの道を歩くとすぐ

年季の入った駅舎が見えてくる。駅名板の文字がかすれそうになっているが「浜寺駅前」と書かれている。こちらが阪堺線の終点、浜寺駅前停留所である

わざわざ地図を表示するまでもないほどの距離だが、当停留所前の交差点を渡ると、そこが浜寺公園だ。そして記事の最後でもう1度利用することになるのが地図を掲載した理由のひとつ

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趣ある駅舎

阪堺線は路面電車なので基本的に駅舎はない。他には起終点である天王寺駅前、恵美須町そして本社のある我孫子道ぐらいだ。恵美須町には地元に溶け込んだ味のある駅舎が残っていたが、数年前に姿を変えてしまった

こちらは駅の入口。路線図と運賃が掲げられている。ロゴを見れば分かるが、南海の完全子会社である。阪堺線が浜寺まで到達したのは1912年(明治45)のこと。目的はもちろん海水浴場を中心としたレジャー施設で南海と競合するため、顧客争奪戦も起きたが、わずか3年後の1915年(大正4)に南海に合併されることとなった

原則的に乗降ホームは1面だが、縦に並ぶように複線区間のスタート地点にもうひとつ降車専用ホームがあり、メインのホームを電車が埋めている時は、そちら側で乗客は下車。先にホームにいた電車が出発するのを待って乗降ホームへと向かう

阪堺線では貴重な乗車券、定期券売り場がある。天王寺駅前、我孫子道と3カ所しかない貴重な窓口で、ここ浜寺駅前は月水金土の14時から19時までという変則営業となっている

レジャー地だけに昼間は週末の方が本数が多いのが特徴である

かつての海水浴場は

4月中旬だったが、昼間の気温は急上昇の夏のような1日で土曜日の浜寺公園は親子連れでにぎわっていた。ただし言うまでもないことだが、かつて東洋一と言われた海水浴場は今はない。戦後に一帯は連合軍に占領され、返還後間もなく工業地帯造成のための工事が始まり、工場と埋め立て地になってしまった。東洋一の砂浜を埋め立て地にするなど、平成や令和の世の中ではちょっと考えられない。おそらく猛烈な反対運動が起きるだろう。その場所に造られた公園が今のレジャー施設である

滞在中、たまたま14時になったので窓口が開けられた。営業日や営業時間を知らなかったので、この場面を見られてうれしかった

東洋一の海水浴場と別荘地でにぎわった浜寺には昭和の声を聞いて「阪堺電鉄」というもうひとつの鉄道会社が乗り入れを始めた歴史もある。こちらは戦時中に不要不急線として浜寺付近が廃止となり、戦後は大阪市電となった路線だが、3つの鉄道が乗り入れ、お隣の羽衣駅では阪和電気鉄道との集客バトルが行われたほど、鉄道会社にとって魅力的な場所だったのだ

それらを知る歴史の証人としての浜寺駅前停留所だが、実はしばらくすると姿を消すことになっている。前記事で南海の浜寺公園駅の高架事業について記したが、ここで最初の地図を見ていただきたい。地図をなぞると阪堺線と南海本線が交差していることが分かるだろう。阪堺線は海水浴場に近づきたいため、海側に進路をとった。そして後からできた方がオーバークロスするという鉄道の鉄則通り、この交差では路面電車が南海の上を行くという貴重な景色を見られるのだが、この交差は南海の高架工事の難所のひとつととなり、結論として交差をなくして阪堺線の停留所は南海の羽衣公園駅の東隣に隣接することとなった

乗り換えは便利になる(といっても現在もわずか100メートルだが)が、その結果としてオーバークロスそして歴史ある現在の浜寺駅前停留所の駅舎は姿を消す。その時期については高架工事の進ちょく次第でまだ未発表だが、大阪市内からもすぐに行ける場所だけに、ぜひ今のうちに目に焼き付けてほしい

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