師走の外房線各駅訪問~沿線の発展を物語る戦後生まれのコンクリ駅舎

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永田駅の駅名標

※訪問は2023年12月13日

本納から1駅戻る

本納から1駅千葉方面へと戻り永田で下車。本納は茂原市だったが、こちらは大網白里市。漢字4文字の都市として認知度の高い同市の中心駅は大網で、東金線との分岐駅でもあり、千葉方面から来運行運行本数が減少する境目となる駅でもあるが、元々は同市(当時は大網白里町)には大網しか駅はなく、1959年(昭和34)に、もうひとつの駅として永田駅が設けられた

明治期に房総鉄道という会社によって工事が始められ、最終的に千葉から大原までが鉄路で結ばれた後に国鉄となった外房線(当時の名称は房総線)は1929年(昭和4)には全通しているが、全通以降の新駅は少なく5駅しかない(うち1駅の大巌寺は戦前にできてわずか3年で廃止されている)

永田駅の後に開業したのは観光目的の行川アイランドのみなので、周辺人口の増加という必然性で設置された最後の駅となっている。千葉そして東京までの時間と距離、ベッドタウン化を考えると、やや意外でもある

昭和30年代を物語るようなコンクリート駅舎。このころ全国には規模は違えど国鉄の手によって同様の無骨な駅舎がいくつも造られた。建設費用や強度、耐火性を考えると最も効率が良かったのだろう。と同時にそれまでの主力だった木造駅舎は姿を消していく

周辺は住宅街

ホームから、やや低い場所に駅舎がある。構造は2面2線

駅入口から千葉方面ホームへはすぐ入れる。本納駅とは異なり、開閉式の自動改札機はなくIC乗車の場合はカードリーダーにタッチする

無人駅ではないが訪問時は無人の時間帯だった。営業時間を見ると朝夕の通勤通学を避けるようになっている。最も利用者の多い時間帯になぜ?と思われるかもしれないが、JR東日本のHPによると2022年度の当駅の1日あたりの乗車人員は786人で、うち定期利用が612人。利用者数は基本的には、この2倍となる。前記事で取り上げた本納は、もっと利用の多い駅で、1日の乗車は定期利用1093人を含む1402人。本納も、有人となるのは永田とほぼ同様の時間帯だったが、通勤通学帯は、ほとんどの旅客が定期利用者でピッと触れるだけで出入りするので駅員さんの出番はほぼないのである。IC利用時のトラブルについては、おそらく定期利用のもう片方の駅は、終日駅員がいるような、大きな駅である可能性が高いので、そちらで処理してもらおう、という発想だろう

ホームのキロポスト。こちらは駅舎の逆側だが、新興住宅街となっている様子が垣間見える

地図を見ても新しく設けられた駅を中心に住宅街が広がっていることが分かる

先に挙げた利用者数はコロナ禍の影響を受けた数字で、それまでは1日の利用者は1000人を超えていた

跨線橋からの眺め。駅の設置時はまだ非電化単線時代で、利用者も100人に満たなかったという

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