続九州新幹線の全駅訪問~線路の設置も気配りされたツルの飛来地

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出水駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

お出迎えは

鹿児島県に戻って出水駅に到着

まず目に入るのは

ツルのオブジェの出迎え。渡来が始まると全国ニュースになることで知られる越冬地で、本来は難読の地名に入る自治体名、駅名だがかなりの割合で「いずみ」と読める。考えてみると九州新幹線の先行開業の各駅「新八代」「新水俣」「出水」「川内」は、初見で読むのは難しいものばかりだが、ニュースになる機会が多いためか、読める駅ばかりとなっている

私の訪問時はまだ渡来の季節ではなかったが、ツルの情報について伝える「出水ラムサールナビ」によると10月17日に「初渡来を確認しました」とナベヅル5羽の渡来報告があり、1カ月半後の12月2日には1万1410羽にもなっている。2021年にはラムサール条約の湿地となった

海沿いを南下してきた肥薩おれんじ鉄道(旧鹿児島本線)は、出水平野の手前で平野の中心部を避けるように弧を描いている。これは大正期の1923年(大正12)に鹿児島本線が敷設される際、ツルの保護のため渡来地を避けるようにしたため。当時の鉄道には国策については自然保護など二の次の印象を持たれがちだが、そのあたりはきちんと配慮されていたのだ

旧駅舎が健在

その出水駅は肥薩おれんじ鉄道でも重要な拠点駅となっている

新幹線の改札を出ると地元の小学生もお出迎え。この向こうが新幹線開業の際に駅舎も新たにできた東口だが、旧来の玄関口となる西口に向かう

新幹線の改札口から西口までは跨線橋となっていて肥薩おれんじ鉄道のホームに直接入ることができ、その先が西口である

国鉄時代からのコンクリート駅舎が、今も使用されている。戦後間もない1951年に木造駅舎から移行した。当時の出水は機関区も設置されていて、貨物も含め大いににぎわう交通の要衝。そのためいち早くコンクリート駅舎となったため、昭和30~40年代に全国で建てられた、いわゆる国鉄コンクリート駅舎とは趣を異にする

肥薩おれんじ鉄道は別駅舎

肥薩おれんじ鉄道の出水駅も車両基地を備えた拠点駅のひとつで当駅始発の列車も設定されているほか、乗務員交代などで5分以上停車する列車も多い

駅舎はJRとは別となっていて、国鉄、JR時代に関係者が利用していた建物を改造して使用している

その西口には蒸気機関車C56が展示されている

解説にすべてが記されているが、1937年に製造された後は主に九州内で活躍。72年と73年にはお召し列車のけん引という重役を担った。お召し列車の運行に携わるというのは、運転士はもちろん、整備担当まで大変名誉なことだが、その年のうちに交通機関としての任務を終えている事実に、鉄道としての時代の節目を感じる

出水駅の新幹線ホームでは新幹線通学の高校生を何人か見かけた。川内まで11分、鹿児島中央まで23分。新幹線開業前は電車特急でも西鹿児島(現在の鹿児島中央)まで90分を要していた。電化(1970年)以前は、そもそも特急という設定がほとんどなく、急行で出水~鹿児島中央が2時間。通勤通学で利用するという発想にすらならない。非電化時代はともかく、電化後の在来線特急との比較だけでも新幹線が大きな革命だったことを感じる

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