青空フリーパス

一度やってみたかった名松線と近鉄の乗り換え~その1

伊勢八太駅の駅名標

2022年10月29日13時

松阪から名松線に乗る

せっかくこの沿線までやって来たので

今回の旅で初めて快速みえに乗車。さすがに一度くらいは乗っておきたいですよね

松阪までやってきました

国鉄型コンクリート駅舎が健在。しかも3階建ての立派な建物は、もはや希少価値です

ここから名松線ホームに向かいます

JR東海のキハ11。少し前までは同社の非電化区間で広く見られましたが、武豊線の電化により余剰となったキハ25が各地に配置されたため、現在は名松線の専用車両になっています。JR東海で単行(1両編成)が見られるのも当路線のみ

車内はこんな感じ。これが発車10分前で、この後バタバタと乗ってきた数人のお客さんとともに出発です

名松線についてはあらためてじっくり訪問してみたいと思っているので今回は軽く。過去に2度伊勢奥津~松阪間を乗車したことがありますが、いずれも2009年の台風による家城~伊勢奥津の長期運休前のことで6年半ぶりに復旧した2016年以降では初めてです

50分の乗車で家城に到着。今回はこちらで折り返します。ダイヤ上、必ず家城での列車交換があり、家城から先はJRでは他に越美北線の越前大野~九頭竜湖でしか見られない通票区間になっているので、それなりの停車時間があります

今回はその様子を見て戻ります。実は年明けの田丸駅訪問後にも来て、その時は伊勢奥津まで行っているのですけど

通票の手渡し作業があるため当駅は有人駅。窓口は閉まっていますが、列車が来た際はホームでの仕事があるためです。なかなか忙しいのです

駅舎内は手作り感であふれていて温かみを感じます。訪問の価値ありです

当駅は5年前の第100回夏の甲子園に初出場して話題となった県立白山高校の最寄り駅。平日は高校生であふれますが、この日は週末だったので静かでした

軽く、と言いながらも随分と詳細になってしまいました

ここからが本日の最後の目的です

目的にしながら寝過ごす

目的は「名松線と近鉄大阪線を乗り換える」です

名松線と近鉄の乗り換えなんて松阪でできるし、おそらくほとんどの方がそうするでしょうが、もうひとつ乗り換え駅があるのです。それが名松線の一志駅と近鉄の川合高岡駅。ちなみに運行は一体となっていますが近鉄の松阪は所属は山田線。川合高岡は大阪線なので「名松線と近鉄大阪線が唯一乗り換えできる駅」とも言えます

家城から一志は約20分。伊勢奥津と家城以外の名松線の駅で降りたことがないのでワクワク感でいっぱい。にもかかわらず

寝過ごしてしまいました(泣)

考えてみれば朝の5時台には名古屋駅にいたので、そろそろ眠くなるころ。ああ~、と思ったら発車した直後で、もう「降りま~す」とは叫べない

まぁ、しかしこれは軽傷で済むはず。次の伊勢八太駅で降りればいいのです

このように近い。名松線は2時間に1本の運行なので一志に行く列車はしばらく来ませんが徒歩可能です。乗車の際、なんとなく駅間の距離を見ていたのが役立ちました。欠点があるとすれば、せっかく初めての乗り換えを楽しもうとしているのに川合高岡駅が見えてしまっていること(笑)

しかもこの伊勢八太。なかなか味わいのある駅なんです

私一人の下車で出発を見送ると

単式ホームに秋のきれいな空と農地の風景が広がります

駅舎はなく待合所と妙に印象に残る駅名板がポツリ。そもそも「いせはた」とはなかなか読めない。人名としても通用しそう

ホームにはスロープで入るようになっています。この微妙な高さと空間は何でしょう。昭和初期の名松線開業時からの駅なので駅舎らしきものがあったのか、その予定地だったのか。調べましたが分かりませんでした。ただ駅名も雰囲気もとても気に入ったので、1日1駅紹介しているツイッターでは

さも普通に訪れたかのように紹介してしまいました(謝)

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古風なたたずまいが残る駅舎~紀勢本線・高茶屋

高茶屋駅にはかつての貨物ホームが残る

10月29日8時50分

ここはどうしても降りたかった

当日は名古屋を早朝に出て、まだ快速みえの運行時間ではなかったため亀山経由で紀勢本線を南下したのですが、参宮線各駅訪問の前に紀勢本線の駅もいくつか降りています。中でも「どうしても」だったのが、この高茶屋駅。古風で堂々としたたたずまい。参宮線の田丸もそうですが、古い駅は入口に小さな階段を設けていることが結構あります。バリアフリーという意識のない時代のことです

駅名板はいつからのものでしょうか。お伊勢参りの際、台地状の付近にあって休憩所となっていた高台のお茶屋さんに由来するようです

県内では有名な地名も駅名とは異なる

駅名標です。普通の読みのようですが私は「あれっ?」と思いました

戦時中まであった高茶屋村に由来する駅名ですが地名は「たかぢゃや」と濁音となる。そして私は駅名も濁音だと思い込んでいました。少し前までここには運転免許センターがあり(現在は移転)、幼少期に三重県に住んでいた私は大人たちの会話で「たかぢゃや」をよく耳にしていたのです。子供に免許センターなど関係ないのですが、それほど三重県民の間では名の知られた存在だったということです。駅名は濁らないなんて最初に耳にしてから50年以上知らなかった

こちらは快速みえとの列車交換の場面

当駅は普通のみの停車ですが、2面3線と立派な構造をしています。おそらく過去にも優等列車が停車することはなかったはずですが駅にいると快速も停まる。ただしすれ違いのための運転停車で客扱いはもちろんなし

私の訪問時には2面3線構造を生かし、特急の通過待ちも行われていました

紀勢本線と参宮線の前身にあたる参宮鉄道が宮川まで開業した19世紀、開業と同時に設置された当駅近辺は明治期にいち早く複線化されています。近鉄などない時代で輸送力強化が求められたのでしょう。しかし戦時中の金属供給で単線化され、以降複線に戻ることはありませんでした

戦争といえば、戦時中に当駅から近鉄の久居駅の間に海軍の軍事工場が造られました

高茶屋駅により近い広大な用地で、それを機に高茶屋村は津市に編入となりました。立派な駅舎となったのはそのころだともされます

軍の施設は攻撃対象となりましたが、駅舎は何とか残り戦後は一時期、連合軍の傘下に置かれたこともあるようです

海に近いことと駅の施設が立派だったことから戦後は国鉄末期まで貨物輸送も続けられ

今も貨物ホーム跡が残ります

そんな高茶屋駅は戦後、一帯が住宅地と文教地域となり、海側にはイオンモールができたことでその最寄りとして週末はにぎわいを見せます

私の到着時は週末ながら、朝の9時前でイオンを目指すにはまだ早い時間で、10年以上前に無人化された立派な駅の改札は誰もいませんでしたが、イオンに人が多そうな時は臨時で駅員さんが派遣されることもあるようです

紀勢本線や参宮線でも簡易駅舎化は進んでいて、高茶屋に負けず劣らずの立派な駅舎だったお隣の阿漕や参宮線の山田上口が数年前にバス停のような姿になっています。現状、当駅については何の情報もありませんが、過去の経験からすると、この手の駅舎訪問はできるだけ早めに、が鉄則です

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参宮線、今のうちに~思い出とまとめ

2017年9月の多気駅ホームと駅名標

6年前の思い出

短期間に2度も参宮線に乗車しましたが、その前となると5年半前の2017年9月までさかのぼってしまいます

この時は新宮に泊まって紀勢本線に全線乗車。特急「南紀」の「かぶりつき席」は自由席だったので、もちろん狙っていましたが残念ながら始発は紀伊勝浦のため、当然ながら座れず。多気で下車して参宮線に乗り換えました。当時は4両編成でしたが現在の基本形は2両編成のはず。JR東海では気動車特急の新型車両置き換えが話題になっていますが「南紀」はもうほんの少しだけ現役

多気は紀勢本線と参宮線の分岐駅で参宮線の起点駅。もともとは亀山~鳥羽が参宮線で亀山から当駅が紀勢本線になったのは戦後のこと。多気から新宮方面に向かう線路が後からできたため参宮線が本線のようにまっすぐ進む形となっています。このあたりは関西本線と草津線の分岐駅である柘植駅と同じ。草津からお伊勢参りを目指した現在の草津線が先なのです。とにかくお伊勢参りは重要事項でした

鳥羽駅はJR側と近鉄側に分かれていて観光拠点となる海に近い方は近鉄。伊勢市から鳥羽に向かうと後からできた近鉄が山中を通るのですが、池の浦シーサイド駅跡から鳥羽に向かう途中でJRをオーバーパスして線路は海側になります。車窓からはなかなかの力業のように見えます

そんなJRの駅はこちら

JRと近鉄のホームを自由に往来できていた時代、観光客はJRで来たとしてもJRの駅舎を見ることなく帰っていたのではないでしょうか

当時のJR駅は有人駅でみどりの窓口もありました。ただ訪問時は

………

休憩時間のようでした。今だから言えますが、これだと近鉄でやって来てタダで出られてしまうと思ったものでした

向こうに見えるのは近鉄ホーム。こちらはJRで0番線は今は使用されていません。終点駅ではあるものの、1番線が切り欠きホームという変わった構造でした

快速「みえ」は1番線、普通は2番線からの発車。指定席でなければ追加料金は必要ない快速ではあるものの、専用ホームで格付けをしているようでした

料金や運行本数は極端不利でないが

参宮線は多気~鳥羽の約30キロを結びますが、どちらかというと、この区間内のみの利用というよりは観光でのお客さん需要が大きい路線です。大阪から伊勢志摩を目指すとなると近鉄のほぼ独占となっているため近鉄との競合区間は名古屋からになると思われます

鳥羽を目指すなら、運賃は近鉄が1750円、JRが2500円と近鉄が安い。ただ名古屋から鳥羽へ近鉄で向かう観光客は特急利用となる可能性が高く、となると1340円の特急料金が必要で3090円

所要時間は近鉄特急が1時間35~40分、快速みえについては単線区間が多いことや時間帯による停車駅のバラツキがあり、早ければ1時間43分、遅いと2時間超。ただ昼間のダイヤを見ると何とか2時間切りを目指そうとする努力はうかがえます。また名古屋発については近鉄もJRも「毎時○分発」と覚えやすいようにそろえて利便性を図っています

もっとも近鉄特急は鳥羽まで1時間に2本運行されている時間帯も多く、伊勢神宮を目指す宇治山田までは常時2本運転されていてパッと乗ってしかも座席指定で確実に座れるという意味では少々高くなっても利便性でやはり強みがありそう。ただ4月から近鉄は運賃値上げがあるので200円ほど高くなります

こうして見ると名古屋から伊勢志摩については利便性で近鉄、料金でJRという感じでしょうか。ただ週末の日帰り旅行だと、以前紹介した青空フリーパスは乗り放題、降り放題で2620円ですので少々の利便性には目をつぶってJRを利用すべきかも

ただ快速みえは1時間に1本で自由席は追加料金なしという頑張っている運行ながら一般への認知度が少ない気がするのは皇室の方々が伊勢神宮を訪問される際、必ずといっていいほどニュース映像で紹介される近鉄特急を利用する場面。あの効果はかなり大きいと考えています

さて参宮線を訪問した今回の旅では他の駅でも降りていますので、次回はそちらにも少し触れたいと思います

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参宮線、今のうちに~JRホームからの近鉄の眺めが見どころ

伊勢市駅の記念撮影ボード

2022年10月29日12時

三重県内で見られる「全く同じ駅」

あらためて伊勢市駅です

近鉄と同じ駅になっています。これは本当に「同じ駅」で、分かっている方は分かっていると思いますが、中間改札も何もない。全く止められることなく両社のホームを行き来できます。駅舎は一応、JR側と近鉄側に分かれていますがどちらからでも入れるようになっています。初めて来た人は面食らうのではないでしょうか

スタートした時から別会社で相互乗り入れもなく、どちらも主要駅だというのに同じ改札内という構造は紀勢本線、参宮線と近鉄が並行する三重県内では他にも見られ、津と松阪が同じ形。かつては関西本線の桑名と鳥羽も同様でしたが、桑名は新駅舎誕生に伴い改札が分離され、鳥羽はJR駅の無人化に伴い別の入口となりました(ちなみに四日市はJRと近鉄が徒歩15分ほど離れています)

それゆえ、注意しなければならないこともあります

伊勢市駅には自動改札機が設置され、案内表示で分かるようにJR側の改札で、見たところJR仕様の改札機に見えますがICリーダーについては近鉄用。参宮線はIC乗車ができません。やったことはありませんが、JR系のIC乗車券もおそらく軽快に通してくれるもののJRの駅で降りようとすると大変面倒なことになるはずです。大きな文字で注意していますが、観光地だけに初めて来る人がついついやってしまうことも多いのでしょう

写真はJR車が到着した時の様子。無人駅からの整理券乗車や車内で車掌さんに発券した場合は自動改札は通れないわけで、ほとんどの方が自動改札機を使用しないという、現在の鉄道ではちょっと珍しい光景が見られます

伊勢市の駅舎です。もともとの駅舎を改修する形で現在のものとなっていますが基本は空襲で焼けて再築された駅舎と同じです

JRの駅舎を出るとすぐ参道

駅を降りるとすぐに参道。駅舎の写真で分かる通り、参道はJR側にあり、近鉄の駅舎は伊勢神宮とは逆側でやや寂しい上にJRと近鉄のホーム間の距離も長く参拝道まではやや距離がある形になっているのですが、そこは近鉄(当時は参宮急行電鉄ですが以降も近鉄と表記します)もちゃんと考えたようで当駅乗り入れのわずか半年後に、さらに1駅行った宇治山田を終着駅としました

1駅といってもこんな感じ

グルリ回り込む形で自社としての参拝駅を設けたことが分かります。ショートカットして歩けば電車賃を支払うまでもない距離です

伊勢市という駅名になったのは戦後のこと。意外に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも自治体名は「伊勢市」ではなく「宇治山田市」。近鉄がやって来た時の自治体名は宇治山田ですから当時としては違和感のない駅名でした。学校名が「宇治山田」なのも、そのためです

では、もともとの駅名は何だったのかというと「山田」。近鉄の駅は山田の次が宇治山田だったことになります。国鉄の駅名も伊勢市誕生から数年を経て伊勢市となりました

ちなみに国鉄の駅名で「○○市」と付けられているのは旧国名と都市名が同じになった場合に混同を避けるためのものが多い。三重県内には至るところに「伊勢○○」という駅があって、はるか彼方の伊勢市内にない駅があります。山口県の「長門市駅」、愛媛県の「伊予市駅」も同様だと思われます

近鉄を見上げる

駅のJR側構内には特急券を含めた近鉄のきっぷ売場が独立して、かなり大きなスペースで設置されています

当駅はJRも管理駅で全線きっぷうりばも設置される重要駅ですが、利用者は3倍も違います。近鉄利用もこちらの方が多いのでしょうから、利便性を考えるとこうなります

ゆっくり進む近鉄

JRと近鉄のホーム間はかなりの距離があると前述しました。その間に巨大な留置線があるからです。列車も停まっているため車庫のように見えるかもしれませんが、正確には「車庫の跡」です。明治期の開業と同時にできた車両基地で、当時は唯一の伊勢神宮への参拝路線として幹線扱いだったことが分かります。この車両基地のおかげで近鉄は基地の向こう側にホームを設置せざるを得ませんでした。その車両基地も7年前に廃止。今は留置線です

ただ車両が消えたおかげでJRのホームからは

近鉄がよく見えます。地図で分かるように近鉄はここから大きくカーブしながらJRをオーバーパスしていくので高架の上り降りはかなり減速します。カラフルな近鉄特急が、ゆっくりとそして数多く見られる光景は飽きない。ある意味皮肉な絶景が生まれたわけですが、この空間を有効利用するには道路も含め、駅の構造をガラリと変更する必要があるため、しばらくはこの光景が見られそうです

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参宮線、今のうちに~青空フリーパスを利用しています

伊勢市駅を出るとすぐ参道

2022年10月29日12時

在来線特急も使えます

伊勢市駅に到着しました

早朝に名古屋を出て、この日は土曜日ということもあり、その時点では名古屋駅も人が少なく、亀山~一身田の高校生でギューギュー以外は列車も降りた駅も比較的閑散としていたので(そういう駅ばかり利用していたという話もある)、あまりの人の多さに面食らいます。週末の観光客に学生さん。おそらく地元の方でしょう。待ち合わせの姿も見られます。勝手な推測というか、ほとんど正解でしょうが、近鉄の利用者が圧倒しているのでしょうね

さて今回利用したのは

こちらの青空フリーパス。利用が多すぎて、いちいち写真を撮っていないのですが、昨年6月、仮駅舎で営業中の半田駅は販売の券売機がなく窓口(全線きっぷうりばです)で購入。ICタッチ以外の自動改札機もなく、この手のきっぷでは珍しく入鋏となったため写真を撮っていました

写真がすべてを物語っていますが、かなり広範囲で使えます

東海道本線が豊橋の次で終わっているのは豊橋以東には熱海までの東海道本線と身延線、御殿場線に使用できる「休日乗り放題きっぷ」という同内容のフリーきっぷが存在するからだと思われます

恥ずかしながら、中央本線の木曽平沢という駅はこのきっぷを買うまで知りませんでしたが、奈良井のひとつ北側の駅で塩尻までは残り4区間と、かなりの場所

飯田なんて、その日のうちに帰って来られるのか、という感じですが青空フリーパスは特急料金を追加すれば、運賃部分は有効で在来線の特急も乗車できます。ですから中央本線、高山本線、飯田線もかなりディープな所まで到達でき、マニアックな乗り方としては特急と貨物列車しか走らない大垣~関ヶ原の新垂井線(実はこちらが本線ですが説明は略します)に乗車して車窓から新垂井駅の遺構を見ることも可能(左手車窓に一瞬ですから目を離さないようにお願いします)。ちなみに名古屋~奈良井の乗車料金は2640円なので日帰りでなく片道だけでも元がとれる計算です(参考までに名古屋から飯田までは乗車券だけで3740円もしますが新幹線利用は不可で乗継割引の適用もないため名古屋からだと少し微妙)

もうひとつの特筆すべき点は伊勢鉄道も利用できることで、こちらは青春18きっぷでは不可能な大きなポイント。このため快速「みえ」にも気兼ねなく乗ることができます。実はこの10月29日はF1の日本グランプリ開催日で、そちらの様子もうかがおうかとも一瞬、考えたのですが久しぶりの開催に前夜、名古屋の街で見かけたファンの皆さんの熱気が凄くて遠慮しました

料金は写真にある通り2620円で青春18きっぷの1回分よりは少し高いですが、書いてきた通り有利な点もあります。当日の購入が可能というのもプラスな点で、もちろん自動改札機も通れます。留意点としては土、休日だけの利用となっていること、そして何といっても最近の流れである窓口業務の終了や営業時間縮小に伴って、購入できる券売機が設置されているかどうかは事前にしっかりチェックすることです

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参宮線、今のうちに~JRが近鉄に勝る駅

2022年10月29日11時

名勝とは読みが異なる

二見浦の駅舎です。駅名からも想像できるし、あらためて説明するまでもありませんが夫婦岩で誰もが知る二見浦の最寄り駅で、駅舎はそれをイメージしたガラス張り

以前は学校か役場のような大きな木造駅舎でしたが20年前に現在のものとなりました。現在は伊勢市ですが旧二見町の中心駅

前記事でも触れましたが、伊勢市~鳥羽の観光地へのアクセスで立地的にJRが唯一、勝っている駅です

夫婦岩の二見興玉神社まで約1キロ。徒歩15分です

ただ漢字は同じですが景勝地は「ふたみがうら」で駅名は「ふたみのうら」と読みが異なる。もともと、どちらの読みもあるようです。ちなみに駅からすぐの小学校は「ふたみうら」です

駅にあった解説。とても分かりやすい。観光客に親切ですね

にぎわった面影が残る

駅前のロータリーは広く、参拝道に向け鳥居があります

鳥居側から見るとこのようになります。駅前広場の大きさが分かります

駅の構内はというと、これもまた大きい。有名観光地ですから、もちろん快速「みえ」停車駅です。現在、当駅にやって来る列車はほとんどが2両編成で、長くても4両編成。正直言ってホームは持てあまし気味

側線の跡がありますが、かつては長大列車が往来していたことを思わせます。おそらく現在は点字ブロックのところまでしか使用されないのでしょう

全国的に有名な二見浦の最寄りで観光の際は伊勢神宮とセットで訪れる方も多いと思われます。そもそも二見興玉神社でみそぎを受けてから伊勢神宮に参拝するのが習わしでした

今も変わらぬ観光地でもちろん多くの人が訪れるのですが、それにしては1日の乗降車は約500人と決して多くないというか、観光規模を考えると少ない。マイカー発達もあるでしょうし、宇治山田駅や伊勢市駅、内宮、外宮からの直接のバスアクセスで夫婦岩にもっと近いところまで行けるようになっていて、週末は内宮からのバスも含めると(内宮発は現在、コロナで休止中)、列車より多い本数が設定されています

駅も10年以上前に無人化されています

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参宮線、今のうちに~「参宮」の名が許される唯一の存在

二見浦駅の駅舎

10月29日11時

ほぼ全員が下車

列車は二見浦に到着

乗っていたお客さんのほぼ全員が降りてしまいました。参宮線にIC乗車券は導入されておらず、ワンマンの運転士さんも忙しそうです。考えてみれば隣駅は単式ホームのみで駅舎もない松下、その次が終点の鳥羽。快速「みえ」だったら名古屋を含めた主要駅から鳥羽への利用者もあったでしょうが(二見浦は快速停車駅)、私が乗っていたのは普通。鳥羽へは近鉄が圧倒しています。付近の主要観光地で立地的にJRが唯一、有利となっている駅。当日は土曜日で観光客も多かった。と同時にJRと近鉄の関係性を雄弁に物語る光景ともなっています

ご覧のようにこの付近では人の多そうな海沿いをJRが走るのに対し、近鉄は山の中を走っています。乗れば分かるのですが、近鉄の車窓はひたすら山中で人里の雰囲気はほとんどない。伊勢市から鳥羽に向け真っ直ぐ敷設されています。なぜこんなことになっているのかというと、近鉄がずっと後から線路を敷いたからです

正式名称は「神宮」

この関係を語ると、とても長くなるのですが、できるだけ短く説明すると、まず「お伊勢参り」が、移動手段が徒歩しかなかった古来から「一生のうちに一度は行きたいものだった」ことだったことに由来します

伊勢神宮の正式名称は「神宮」。最高の格式を持つため地名が入らない唯一の神社です。「伊勢神宮」とは他の神社と区別するための通称

そんな「神宮」ですから鉄道が日本にやって来た時に放っておかれるはずがない。参宮鉄道という会社が、まず宮川まで線路を伸ばし、やがて現在の伊勢市駅まで到達したのは明治のまだ19世紀。ちなみに、この参宮鉄道は現在の関西本線を作った関西鉄道という会社とも縁が深く、亀山から津まで関西鉄道が敷設したものを継続する形で津~伊勢市までを建設しました。ちなみに関西鉄道という会社は草津~柘植の現在の草津線も建設しています

少し話はそれますが柘植の駅に行くと奈良方面に向かう関西本線が大きくカーブを描いて離れていくのが分かります。そこだけを見ると草津線が本線のように見えてしまうほど。それは草津線が先にできたため

また地図を見ると名古屋からの関西本線と紀勢本線の接続は、かなり内陸にある亀山で、名古屋から、なんでわざわざこんな遠回りをして伊勢方面に向かうのかと思うかもしれませんが(三セク伊勢鉄道の前身となる国鉄伊勢線は戦後に開通)、それは大阪や京都からスムーズに伊勢神宮まで行くためです

この路線はやがて国有化されるのですが、明治のうちに、こちらも観光地である鳥羽まで延伸。当初は亀山~鳥羽が参宮線とされ、関西からだけでなく東京方面からの優等列車も乗り入れ、大いににぎわいました。需要に応じるため複線化が計画され、一部は実現しました

近鉄の追撃

ただ、こんな「おいしい路線」を他が放っておくわけがありません。その後、参宮急行電鉄という、こちらも「参宮」を冠する現在の近鉄の前身が大阪から伊勢までをつなげたのが昭和初期。先行する国鉄に対抗するため「特急」を運行。これが、その後「近鉄特急」となります

ただこの時点では国鉄側もまだまだ余裕があったのですが、戦後の伊勢湾台風からの復旧工事の際に名古屋~伊勢中川を狭軌から標準軌に改軌。大阪からだけでなく名古屋からも乗り換えなしで伊勢まで行けるようになり立場が完全に逆転。国鉄にとって不幸だったのは戦時中の金属供与でせっかく複線化した区間を単線に戻していたこと。複線電化と単線非電化では、なかなか勝負になりません

さらに近鉄は戦前から細々と走るローカル私鉄だった鳥羽~賢島間の志摩電鉄を買収。これが現在の志摩線。しばらくは国鉄の鳥羽駅から発車する飛び地路線でしたが、その後に鳥羽までの線路がつながり賢島へも直接行けるようになったため、亀山~多気が紀勢本線に組み込まれたことで、わずか30キロの路線になっていた参宮線は完全なローカル線になってしまいました。それが大阪万博と同じ1970年のことです

小学生の前半を三重県の名張というところで暮らしていた話は前記事でも触れましたが、当時「近鉄で直接、鳥羽と賢島へ行けるようになったので行ってみるか」という両親の話し合いがあって鳥羽と賢島まで泊まりがけの家族旅行に行ったことを今でもよく覚えています。「かしこじま」と読めるようになったのもその時。近鉄延伸がきっかけで鳥羽、賢島まで足を運ぶようになった人は多かったと思いますよ

そもそも近鉄大阪線沿線に住む小学校低学年の私はお伊勢参りは近鉄で行くものと覚えていて国鉄の駅があることすら知らなかった。当時SLが走っていたなんて前記事の田丸城に保存されている車両の説明書きで今年初めて知ったぐらいです。近鉄の鳥羽線はたった13キロしかありませんが、すでに差があった国鉄と近鉄の競争にさらにダメージを与えたわけです

ただ繰り返しますが「参宮線」を名乗れるのは唯一ここだけなのです。沿線には歴史がちりばめられています

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参宮線、今のうちに~田丸駅と最後のお別れとSL

田丸城の歴史解説板

1月7日14時10分

3ヶ月ぶりに再訪

年が明けて田丸駅を再訪。最後のお別れをしてきました。連休中でしたが何かイベントがあったのか高校生が多数下車していきました

前回も紹介しましたが惜別のメッセージがズラリ

駅前のロータリー。ちなみにタクシー会社もあります

駅前にはかつての旅人のオブジェがあります

江戸時代の当地は紀州藩(広大だったのですね)で各街道の合流点。お伊勢参りを終えた旅人は各街道を経てそれぞれ帰路または次の目的地に向かったそうです。合流点、分岐点として田丸宿は大いに栄えました。にしても、文字にすると簡単に「熊野詣」となりますが、えらく遠い。吉野、高野にも向かったと書かれていますが、現在、車で向かっても何時間もかかりそうな距離です

ちなみに翌日、名松線に乗って伊勢奥津駅も訪れたのですが、そこで見たものは

田丸にも記されていた伊勢本街道の解説。こちらは大阪へと向かう道で田丸宿もあります。現在のJRや近鉄の駅名と同じものも見られ、こういうものを見ると鉄路が敷かれた理由や、途中で未成線となった名松線のように敷かれようとした理由もよく分かります。ただ多気の次が奥津とは…。ここは歩くだけで1日かかりそうです。昔の人は皆さん健脚だったのですね

珍しく周辺散策

次の列車まで1時間あります。ということで今回は珍しく観光というか周辺の散策を行うことにしました。幸いなことに駅は玉城町の中心部にあるので城跡の訪問も含め、ちょうど良い環境です

5分ほど歩くと

町役場(右手の建物)と保育所が見えてきます。堀の内側に建てられているのが分かります。役場の向こうはすぐ城郭への入口です

登っていきましょう

相当な攻防の歴史があったようですが、各地の城郭と同様に明治維新とともに廃城となり、現在は城跡となっています

坂を登っていくと玉城中学校

駅から学校までは徒歩10分ほど。こうして見ると学校は完全に城の中です

写真で見るとよく分かる

そして天守の場所へ。途中、この季節とは思えない薄着のご婦人2人連れとすれ違いました。私より明らかに年上です。地元の方で日課なんでしょうね。お元気です。ここまで簡単に登ったように書いていますが盛夏だったら、途中で引き返したかもしれません(笑)

石垣の上に天守があったのですね

眺望は素晴らしい。桜の季節は華やかだろうし、四季それぞれの顔があるのだと思いました

SLは北海道から

城から降りていくとSLが展示されていました。もちろん静態保存ですが屋根もあって状態はとてもいい。てっきり参宮線で活躍していものかと思ったら

北海道で活躍していたものが町政80周年でこちらにやってきたそうです。確かにそう言われると先頭部分には雪かきが付いていて納得。初めて知ったのですが昭和13年から19年までの6年間で382両も製造されたのですね。戦時下の需要がうかがい知れます

参宮線では昭和48年つまり1973年までSLが走っていたと記されています。これも初めて知りました。私は67年から72年まで三重県で幼少期を過ごしていて、つまりはSLがバリバリの頃に県内にいましたが、住んでいたのは名張という近鉄しか走っていない町だったので全く知らなかったというか縁がありませんでした。ただ私が名張にいるころに近鉄は鳥羽まで延伸して賢島まで直接行けるようになり、近鉄特急もバンバン走っていました

参宮線の歴史については後述しますが、近鉄の鳥羽延伸が大きなダメージを被ったという事実は知っていたものの、まだSLが走っていたとは初耳です。郷愁というより近鉄特急にSLでは、とても対抗できないな、と思ってしまいました

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参宮線、今のうちに~このために来た

田丸駅にはさよならメッセージがビッシリ書き込まれていた

2022年10月29日10時10分

いよいよメインイベント

宮川からひとつ戻って田丸駅に到着。この日は6時24分名古屋発の列車に乗り、亀山経由で参宮線に入り、出発すらすでに3時間半。車内でウトウトする時間帯になっていますが、しっかり目覚めた。ここに来るためにホテルを早めに出てきたのですから

跨線橋を昇り降りして、まずは駅舎を拝見

うーん、これはほれぼれするような立派な駅舎だ

駅名板は宮川の巨大ホーローに対して、こちらは筆書き。かなり古いものであることは間違いない

柱は赤く塗られています

財産票によると大正元年(1年と書かれているところがまたいい)ですから1912年。昨年で110歳の誕生日を迎えたことになります。駅の開設は宮川まで線路が伸びた1893年なので、1回改築されていることになります

100年以上の歴史。間もなく姿を消す

田丸駅の所在地は三重県の玉城町。駅の開設時は田丸町で、伊勢神宮への要路となる当地の田丸城は古くから攻防が繰り広げられ、江戸時代になってからは、お伊勢参りの宿場町として栄えました。駅の設置も当然だったのですが、この歴史ある駅舎がなくなる、というのが今回の訪問の趣旨。その時点では解体の時期を知らず(今年の春ごろとされる)、慌てて駆けつけたのでした

玉城町には鉄道駅は、ここひとつしかなく町でも風格のある駅舎を引き取っての保存、管理も検討されたそうですが、調査の結果、耐震性に問題があるとされ、やむなく解体となりました。建て替えを行い、空洞の超簡素な駅舎にはならない予定です。現在、駅にあるものが、いくつか残されるといいですね

有人駅として10年前まで頑張ってきましたが、現在は無人

駅舎内の細かい造りに目が行きます

レンガの土台の上にコンクリートそして、その上に木造駅舎というのも独特な造りのようです

実は年明け早々にも最後のお別れのため再訪問してきました

駅舎内に設けられたメッセージボードには感謝と惜別の文字がびっしり書き込まれていました

参宮線については近鉄との比較や詳細な現状をさらにゆっくり見てから記事にしようと思っていたのですが、解体間近ということで今回の紹介となりました

まだ少し時間はあります。ぜひ田丸駅に足を運んでみてください

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参宮線、今のうちに~大みそかに開業した駅

宮川駅の柱駅名標

2022年10月29日10時

最初の終着駅、伊勢神宮参拝の拠点として栄える

前日、名古屋に宿泊した私は早朝から関西本線、紀勢本線といくつかの駅を巡りながら10時前に宮川で降りました

宮川駅の歴史は古く、開設は1893年というから明治26年。そして開業日が12月31日の大みそかというのが、特別な駅だということを物語っています

年明けを目前にした大みそかに開業というのは、あまり聞いたことがない。ただどんなに遅くても新年を前にスタートする必要があったのです

こちらが伊勢神宮参拝の「最寄り駅」となったからです

現在も伊勢市駅つまり伊勢神宮の最寄りまで徒歩で1時間近くかかります。そして鉄道の工事は宮川に阻まれ、やや遅れ気味でしたが日本に初の鉄道が走ってまだ21年しか経っていません。車なんてまだまだ。そんな時代に徒歩1時間の場所まで行けるのですから、当時としては画期的なこと。参拝の拠点駅として大いににぎわった記録が残っています。伊勢神宮への参拝は当時の人々にとって大きなイベントだったのですから

面影が残る。ビッグホーローも

木造駅舎が残ります

財産票によると昭和になってあらためて再築されたもののようですが、駅前のロータリーの大きさにも名残が感じられ

跨線橋から構内を眺めた様子。カーブ状にホームが設けられていますが、規模は大きい。駅舎新築のタイミングでカーブも緩やかになったようです

そして長い。参宮線が延伸された後も長大列車の到着や行き違いがあったため、構内は広いものとなっています。長大列車対応でホームの外まで複線区間が伸びています

そして何と言っても

この巨大なビッグホーローの駅名板。とても価値のあるものだと思います

ただそのように栄華を誇った宮川駅ですが、国鉄時代の末期に早々に無人化されています。参宮線そのものが近鉄に圧迫されたというか、伊勢や鳥羽に向けての導線として大きく水をあけられたためです

参宮線の沿線はどこも名所が多く、こちらも駅に隣接して離宮院跡があります

無人駅となっているため駅舎と逆側にある離宮院の側にも出入り口が設置されています

写真でお分かりのように参宮線にはIC乗車は導入されていません

実は駅リポートしては不完全な状態なのですが、早めに紹介しなければならない事情があります。また歴史と格式としては指折りともいえる参宮線について次回以降も報告させていただきます

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