JR

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~京都府唯一の駅は登録有形文化財

※訪問は2025年3月26日

1時間半の待機

松尾寺駅の時刻表。9時37分に到着して11時13分の敦賀行きで折り返す。1時間半の待ち時間があるが、それぐらいは滞在しないと、とこちらの駅については最初から思っていた

いくつかのトリビア

時系列は前後するが

ホームから階段を降りていくと、雰囲気のある木造駅舎が出迎えてくれる

あらためて駅舎。1922年(大正11)からの駅舎が健在。当駅はいくつかの「トリビア」を持つ駅でもある

まず読みは「まつのおでら」である。初見だと「の」はなかなか出てこない。そして松尾寺駅の最寄りということで駅名がつけられているが、名刹松尾寺は

駅から山を登ること、徒歩約1時間の場所にある。公共交通機関はなくタクシーもしくはマイカーでの訪問が一般的なようだ。駅の開業した大正時代はマイカーという概念はなく、現在とは徒歩に対する価値観は異なる。当時は立派な最寄り駅だった

そして駅の所在地は京都府舞鶴市。終着駅の東舞鶴は、帳簿上は舞鶴線の所属となっているので小浜線唯一の福井県にない駅となっている

そして駅舎は

登録有形文化財となっている。登録有形文化財の駅舎は全国に多数あるが、JRの駅というのは駅数を考えるとかなり少ない。登録有形文化財になってしまうと、自由に建て替えができなくなってしまう。立派な駅になるならいいが、ローカル線の現状は駅舎の建て直しは、ほとんどが簡易駅舎への転換である

舞鶴市に譲渡された駅舎

当駅の駅舎も取り壊しの危機があったが、地元から駅の保存を求める声が上がり、2008年に舞鶴市へ無償譲渡される形で決着。改修工事を経て現在のものとなった。古い駅舎の自治体への譲渡という話題が出ることがよくあるが、簡単なことではない。引き受けたからには、税金も含む駅の維持費を捻出する必要がある。利用の少ない駅がほとんどで、松尾寺駅の2022年度の1日あたりの利用者数は54人。自治体の住民のほとんどが利用しないわけで、予算の捻出に自治体も理由付けが必要となるため、JRからの譲渡の申し入れを断るケースや、後に維持をあきらめるケースが多い。国鉄の施設をそのまま受け継いだ三セクの駅に登録有形文化財が多いのは、そんな理由もある

駅舎内外はきれいに改修れていて

昔からのものが、そのまま残る

貨物で栄えたことを示す黒板が残るが、金額が記入されていたのだろうか。ただ一般の旅客に見えるように掲示するものではないので、駅舎に眠っていた業務用のものがこうやって掲示されていると思われる

駅舎内にはカフェが入居している。舞鶴市はお茶の名産地としても知られ、日本茶カフェ「流々亭(るるてい)」

お茶の販売も行われていて

舞鶴の茶葉を利用した紅茶を土産に買って抹茶ラテを味わう。営業時間は10時から17時で日・月曜日が定休日。「私のSNSで紹介させてください」と、お願いしながら掲載まで9カ月も要してしまい、申し訳ありませんでした

ユニークなバス停

駅の周辺も歩いてみよう

駅から国道27号までは歩いてすぐ。店舗の跡があった

バス停があった。小浜線の若狭高浜駅から東舞鶴駅を結ぶ府県境をまたぐバスが運行されていて、松尾寺駅近くを通る

停留所の建物では、視力検査ができるようになっていた

バス停の向かいには

どう見てもコンビニの跡。背後に駅が見える。コンビニが現役だったら、さらに時間を潰せる神駅だったかもしれない

あっという間の1時間半だった。ラッチを眺めながらホームに戻ることにしよう

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~まずは2時間近い乗車

※訪問は2025年3月26日

125系で出発

東舞鶴行きに乗車して出発である。小浜線で使用される車両は125系のみ。電車車両の125系は小浜線と加古川線のみしか運用に入っていない。後に詳しく触れたいが、2003年デビューと新しい車両でありながら、寂しさも漂う車両である

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メインディッシュを先にいただく理由

目指すは松尾寺駅である

どこにあるかというと

敦賀からはるか彼方78キロも先。東海道本線の大阪から姫路までが87キロなので、姫路市内に入るぐらいの距離を進むことになる。もちろん新快速はおろか快速もないのでトコトコ進むのみ。1時間50分もかかる。さらに言うと松尾寺駅は終点の東舞鶴のひとつ手前。小浜線は敦賀と東舞鶴をのぞくと全22駅。つまり21番目の駅となる。途中の駅がいくらでもあるだろうと思われるかもしれない。私もそうしたい。だが、そうはさせてくれない理由がある

こちらが敦賀駅の時刻表。私が乗車するのは7時49分の東舞鶴行き。その後の列車はというと、9時50分の小浜行きがあるように見えるが、そこには「土休日運転」と注釈がある。つまりこの後は3時間半ほど運行がないのだ。朝の通勤通学時間帯を過ぎると、お昼に1本運転があって、またしばらくお休み。逆方向も同様の運行体系なので、途中駅で降りてしまうと3時間ぼんやりすることになる。もうひとつ言うと、松尾寺駅は小浜線のメインディッシュ。この駅では多めに時間を確保しようと思っていた。それらの条件を合わせていくと、最初の選択は松尾寺駅の一択となってしまうのだ

若狭湾の絶景を見ながら電車は進んでいく。小浜線に乗車するのは2016年10月以来9年ぶり。その時は京都から山陰本線に乗り、福知山から東舞鶴を経て小浜で遅い昼食をとって帰宅した。前日や翌日の活動記録がないので、どのようなきっぷを利用をしたのか全く記憶にない。ひとつ言えるのは下車したのは小浜のみだったということだ

荒涼とした敷地とスノーシェッド

1時間50分かけて松尾寺駅に到着。見れば分かるが、かつてはすれ違い可能な構造だった

荒涼とした空き地と線路跡が残る

そして今は使用されていないスノーシェッドも。駅名から風光明媚なものを感じるが、かつては軍事路線その後は貨物の重要駅だった歴史を有する

6番線まであった構内

松尾寺駅は1922年(大正11)の開業。若狭高浜~新舞鶴(現東舞鶴)が開通して小浜線が全線開業した際に設置された。駅名は同名のお寺から

戦時中の1943年(昭和18)に転機が訪れる。当駅から海にかけて線路が敷設された。路線名は「第三海軍火薬廠鉄道側線」。随分おどろおどろしい名前だが、火薬工場への線路である。終戦を迎えると工場は連合軍に接収されたが、やがて舞鶴市へ返還。そこに日本板硝子舞鶴工場ができ、火薬を運んでいた線路は、そのまま工場と小浜線を結ぶ専用線となった。当駅は貨物駅として栄えた

こちらは駅舎内に張られていた当時の構内図。工場図に昭和61年11月1日現在とある。松尾寺駅の貨物線が旅客用の1、2番線とは別に3~6番線まであったことが分かる。昭和61年11月といえばJR移管の半年前。この貨物輸送はJRになっても続けられ全盛期は国鉄時代は福知山鉄道管理局で最大の貨物量だったという。1990年代に入って鉄道による貨物輸送は終わり、トラック輸送へと転換。工場は今も現役だ

ホーム近辺の探索は終わり、ようやく駅舎の外に出てみる

なんとも美しい木造駅舎がそこにあった

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線の小浜線を行く~青春18きっぷの出番

※訪問は2025年3月25日

名古屋折り返しの長浜泊

今回の旅のお供は青春18きっぷ。利用方法が変わって3日間の予定を立てた上で行動しなければならないが、最初は新快速に乗車して

米原ダッシュにチャレンジ。幸いにも車内は余裕があり、無事に着席。名古屋での用事を済ませ

再び米原へと向かう。写真を見て気づいたのだが、3月終わりの名古屋の18時はこんなに明るい

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敦賀まで行ければ良かったが

米原到着は19時10分。夕方以降の時間帯は大垣乗り換えのない米原直通があるので楽である。対面乗り換えで大阪方面への新快速に乗車するお客さんが多い中、私は北陸本線に乗り換え長浜で下車

というか長浜止まりである。12両でやって来た新快速はここ米原で8両を切り離し、4両編成の「新快速という名の各駅停車」となって敦賀方面へと向かう。その逆は数え切れないほど乗車したが、編成が一気に減る方面へは乗車回数が少ない。夜という時間もあって、ちょっと寂しい

今回の旅の目的は小浜線だ。敦賀と東舞鶴を若狭湾に沿って走る84キロの路線

もちろん乗車したことはあるが、小浜駅以外の駅で降りたことはほとんどない。途中駅の22駅を訪問する。前日入りなら、敦賀で宿泊するのが利便性に富むのは言うまでもないが、このころの敦賀駅近辺のホテルはおそろしく高かった。新幹線の敦賀延伸に合わせてチェーン店ホテルが進出しているが、まだ供給が追いつかないようだ。敦賀は仕事で随分訪れた場所で(といっても20年以上前だが)、当時のイメージは敦賀のホテル=安いだったが、今や全く事情が異なるようだ

ただ長浜に宿泊したことで、私的に前身したことがあった。全国47都道府県で宿泊したことのないのは山梨と滋賀の2県だったが、これで王手となった。近畿2府4県の宿泊は、ほとんどが日帰り圏のため、以外とハードルが高い。兵庫、京都は日本海側に泊まり、奈良は十津川温泉に泊まった。大阪は四国勤務時代は出張の地だった。新快速という便利な乗り物で直結している滋賀県は、なかなか宿泊の機会が生まれなかった

遅い出発になってしまったが

翌朝は長浜駅からスタート。有名な豊臣秀吉と石田三成の出会いの銅像を見て

7時2分の敦賀行きに乗車。鉄オタにしては随分遅い出発と思われるかもしれないが、敦賀で小浜線に乗り継ぐことを前提にすると、これが始発になってしまうのだ。5時50分、6時20分とこれより早い列車が2本あるが、結局は7時2分に収束してしまう

敦賀着は7時41分。この列車は小浜線との接続を考慮したもので、7時49分の東舞鶴行きに連絡している。小浜線の専用ホームにはすでに電車が待機している。ちょっと遅い時間となったが、小浜線の各駅訪問スタートである

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~起点そして分岐駅の立野駅を再訪問

※訪問は2025年8月26日

宿泊地の肥後大津へ

かつて日本一長い駅名だった「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅で、この日の南阿蘇鉄道の駅訪問を終えて本日の宿泊地としている肥後大津駅へ戻ることにした。戻るためには豊肥本線との接続駅で南阿蘇鉄道の始発駅でもある立野で乗り換える必要がある。来る時は1日2本しかない肥後大津からの直通列車だったため、この日は初訪問

その道中、立野を出た列車が白川を渡る際に通る立野橋梁、第一白川橋梁は車窓の見どころのひとつとなっている

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復興からの大工事

往路は満員で車窓を見る余裕はなかったが、肥後大津へと戻る時間帯は車内もすいていて、私も含め撮影会か始まる。橋の上では徐行運転をしてくれて景色を眺める時間もある

2016年の熊本地震で大きな被害を受けた沿線で、最難関とされたのは第一白川橋梁の復興だった。大正期から工事が始まり、1928年(昭和3)の完成時は川からの高さ日本一の高さ64・5メートルは日本一。その後、105メートルの高千穂橋梁(宮崎県)、70メートルの関の沢橋梁(静岡県)に抜かれたが、今も日本で3位。高千穂橋梁が営業列車の運行を終えたため、事実上第2位の座にある

この区間では3つの橋梁と2つのトンネルを経由するが、トンネルの被害も甚大で結果的に山全体を削ってトンネルをひとつなくす作業も行われ、新しい橋が完成したのは2022年。翌年の4月から強度の試運転が行われ、2023年7月の全線再開となった

2年ぶりの立野駅

立野駅に到着。乗り変え時間が約30分あるので外に出てみよう

南阿蘇鉄道の立野駅は単式ホーム。スロープを経てJRの立野駅へと移動する。直通運転される朝の2本はJRホームから出発する注意書きがある

駅舎は階段を上がったところにあるが、エレベーターも設置されている

こひちらが駅舎。熊本地震で被災したため、建て替えられた。南阿蘇鉄道がクローズアップされがちだが、豊肥本線も肥後大津~阿蘇が4年間にわたって運休している

木をふんだんに使った駅舎には

きれいな待合室がある。クルーズ列車の七つ星以外の特急はすべて停車。事実上、全列車が停車する駅となっていて立派な設備を持つが無人駅である。所在地は南阿蘇村で、特急が停車する「村」の駅でもある

1916年(大正5)の開業。しばらくは終着駅だった。豊肥本線は、ここから山中深く入っていくため、隣駅の赤水との間は有名なスイッチバック区間となる。当駅を訪れたのは2年ぶり

前回はスイッチバックを堪能した。訪問は2023年の6月29日。新駅舎の完成がこの年の3月なので、まだ木の香りが残っていた。そして

7月15日の全線再開を2週間後に控えた南阿蘇鉄道のホームは、その日までのカウントダウンに入っていた

JR九州でよく見かける姿だが、ホームのフェンスに時刻表が掲げられている

JRは島式ホームでホーム上に自動券売機が置かれている

震災からの復興を告げる看板を眺めながら肥後大津へと戻る。残る駅はまた明日

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~単行の直通列車はすし詰め状態

※訪問は2025年8月26日

必ず乗り換えの発生する要衝駅

あらためて肥後大津駅。すでに当駅始発の南阿蘇鉄道直通の列車が待っている

発車の10分以上前に駅に着くことができたので無事に「旅名人の九州満喫きっぷ」を購入。5月に九州を訪れ平成筑豊鉄道から田川井田経由で日田彦山線BRTに乗車した時にも利用したが、九州内の私鉄、三セクに乗車する際は本当に便利なきっぷである。ただし、これを買うということはこの旅行では九州新幹線をはじめとする優等列車には乗車しないということを意味する

その肥後大津駅の駅名標がこちら(撮影は2023年)。町名の由来について記されているが、初めて来た時に滋賀県の大津が地名の由来と知って驚いた記憶がある

そして当駅は電化、非電化の境界駅となっていて豊肥本線は熊本から当駅までが電化、当駅以遠が非電化となっていて特急以外の列車は必ず乗り換えが発生する。つまりすべての普通列車は当駅が始終着となる

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大きく異なる運行本数

そして肥後大津の時刻表がこちら

一目瞭然で運行本数が全くことに気付く。赤文字は特急なので、それを引いて考えると熊本に向けた電化区間は昼間でも1時間に2~3本の運行があるのに対し、阿蘇から大分方面については、昼間は2時間以上、普通の運行がない時間帯がある

それ無理もない話で2駅先が立野駅

これから乗車する南阿蘇鉄道の分岐駅そして豊肥本線はここからスイッチバックで山岳地帯を行く。つまり人口の少ない場所に入っていくのだから、列車の運行が少なくなるのも自然な流れである。逆に言うと肥後大津駅前のにぎわいを見ると、2駅先がスイッチバックとはとても思えない

あらためて時刻表を目にしていただくと、私がこれから乗車する9時26分を逃すと次は11時48分。その間に特急も走っていて、こちらは立野にも停車するのだが、立野で南阿蘇鉄道に乗り継ごうとすると、そちらの運行がなく、11時48分に乗車するのと同じ結果となる。飛行機早着の恩恵は本当に大きかった

突然にぎわう車中

2023年7月の南阿蘇鉄道全線復旧によって肥後大津からの直通列車が設定された。朝に2往復。これは朝の通勤通学で熊本市内方面に向かう人の利便性を高めるもので、9時26分発とは随分遅いと思われるかもしれないが、南阿蘇鉄道の終点である高森駅を出発するのが8時25分で肥後大津着が9時8分の折り返し。通学の時間帯は終わっているが、午前中に熊本に向かうという点では寄与している

もっとも朝の行動のピークとなる時間帯は終わっているので下りとなる高森行きは発車まで10分を切っても車内はこの通り。全くの貸切だ。これは楽しく過ごせそうだと思っていたら、熊本からやって来た9時24分着という高森行きへの乗継ぎ電車が到着すると、車内はあっという間に満員状態に。乗車している間に分かったのだが、台湾からのお客さんで軽装ぶりを見ると熊本市内に宿があって、ここまでやって来たようだ。アテンダントがいるわけでもないのに、うまい具合によく乗継ぎができるものだと感心していたら隣に座った方がスマホで帰りの乗継ぎを調べている。もう20年ほど海外に行ったことはないが、妙に納得してしまった

とにかく車内はすし詰め状態で正面は人しか見えないし、身体をひねって車窓を見ることもかなわない。終点高森の手前である見晴台までこの状態で向かった

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復旧の南阿蘇鉄道にようやく初乗車~飛行機早着という5分の奇跡からスタート

※訪問は2025年8月26日

あきらめから一転

大阪空港の熊本行きに乗り込む。ご覧の通り、7時45分発

バスで飛行機の手前まで運ばれる形式。JALの場合、伊丹空港から地方に向かう便は結構この形式が多い。ただこの時点で私はため息まじりだった

飛行機を予約したのは2カ月も前の話だが、とりあえずは深夜零時からのタイムセールに参加し、朝一番の便を押さえたものの、これだと現地での乗継ぎが悪く目的である南阿蘇鉄道に乗車するために2時間もの待ちが出てしまう

その時間をどうやり過ごそうと思案していたら、なんと奇跡が起きた

時刻表では空港着が8時55分。9時発の空港ライナーに乗車できれば、肥後大津発9時26分の南阿蘇鉄道直通列車に乗車できるのだが、電車の乗継ぎ時間5分とはわけが違う。降機してから到着ロビーを抜けてバス乗り場まで行くには時間がかかるとそもそも飛行機には遅延がつきものなので完全にあきらめ、次の列車は11時48分なので待ち時間はどう過ごすかなどと考えていたら、なんと5分の早着。しかも飛行機は最前列の座席をたまたま確保できていたため、先頭で降りて9時のライナーに乗車できたのだ

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空港ライナーとアクセス線計画

何の説明もなく「空港ライナー」と書いてきたが、これは肥後大津駅と熊本空港を結ぶ無料のシャトル便

県が運用にあたっていて30分間隔で運行されている。ワゴンタイプで9人乗り。満員になった場合は追加のバスが来るそうだが、ちょっと待たなければならない。私は出発ギリギリで8人目として乗り込めた

こちらも説明が後になってしまうが、空港と肥後大津駅は至近距離にある

車で15分。熊本空港はかつては熊本市内にあったが、1971年(昭和46)に現地に移転した。肥後大津駅は1914年(大正3)開業と110年もの歴史を持つが、当駅についてJR九州が力を入れ始めたのは1999年(平成11)に熊本から当駅間の電化から。この区間内は学校が多く、熊本から肥後大津までは30~40分と通勤通学圏内。さらには九州新幹線の全線開業まで博多と熊本を結んでいた特急「有明」が当駅まで乗り入れるようになった。駅での「肥後大津行き」の案内や列車の方向幕で駅の存在を知った人が多かったのではないだろうか

ちなみに現在、肥後大津駅と空港の約7キロを結ぶアクセス鉄道の計画が進んでいてJR九州も乗り気になっているため、近いうちに具体化しそうである

発展する駅周辺

ライナーが到着するのは南口(写真は翌朝のもの)。もともとの大津の町は北口が中心で

こちらは木造駅舎が健在で(写真は2023年6月のもの)、JRの直営は北口。南口はビジターセンターで駅員さんはいるものの業務委託となっているようで、みどりの窓口は北口にある。私は旅名人きっぷを購入する必要があったため、北口に行かなければならないが、その旨を告げると通してくれた。駅には阿蘇くまもと空港のサブ駅名が付けられている

空港が近いということもあり、駅周辺にはビジネスホテルが多く進出している。宅地としても開発が進んでいて、訪問は3回目だが、来るたびにマンションとホテルが増えている印象だ。今日1日ではとても南阿蘇鉄道の全駅訪問は無理なので、当駅近くのホテルに宿泊の予定。夕方に戻ってきてホテルにチェックインしたが、朝から猛暑の中を歩き回ったため、夜に出かけることなく南口からすぐのイオンで酒と食材を購入して夕食とした

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銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~ようやく跨線橋を渡ってみた

※訪問は2025年7月11日

4カ月を要してたどり着いたJRの改札

大鰐温泉駅の改札。4カ月前はここまで来ることはできなかった。ラッチはなく有人の時間帯は駅員さんが立ってきっぷの回収をするのだろう

ただしまだ6時40分。無人の時間帯だ。JR全線の乗車券、指定券を買うことができると記されているが、みどりの窓口とはなっていない。特急停車駅ながら扱いは簡易委託駅のようだ

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足湯も備える

大鰐温泉の駅舎。開業は130年前の1895年と明治期だが、現在の駅舎は昭和30~40年代の典型的なコンクリ駅舎。大鰐町の代表駅にして大鰐温泉の最寄り。最寄りというか、駅前が温泉街となっている。全国には「○○温泉」という駅名ながら、温泉街まで遠い駅がいくつもあるが、ここは名前に偽りなし。鎌倉時代んらの名湯で大鰐からの駅名変更も十分うなづける

駅前には大きなワニと一体となった足湯がある。「こんなところだったのか」が実感

3月に訪問した際の記事。当駅に来る前、弘南鉄道の石川駅からJRの石川駅の間を歩いた時、膝を痛めてしまい跨線橋を渡ることができずJRの方に行くのを断念した。ちなみにもう痛くはないが、まだ違和感が残っている状態だ

大鰐駅へと向かう

さてここからようやく本来の目的である弘南鉄道大鰐線の大鰐駅である。つまり大鰐温泉駅から大鰐駅へと向かう。弘南鉄道では南口にあたる駅舎はJRの駅舎の隣にある

以前は駅員さんがいたが、現在は無人化されている。券売機もなく単に待合室状態。私の訪問時はJRも無人の時間帯。前記事で「どちらで降りても事実上同じ」と記したのは、そういう意味合いだ。厳密にはJR、弘南鉄道とそれぞれの乗客が、それぞれのきっぷを持ってそれぞれの出入口を利用することになるが、今回の私は両社のフリーきっぷを持っているのでどちらも利用できる

4カ月前は渡れなかった跨線橋で、いよいよ大鰐駅へ

弘南鉄道の方へ行こうとすると跨線橋が狭くなる。そしてJRのきっぷしか持っていない人は、ここから先には行けない。駅に出口が複数あるのなら、○○口という風に方角や地名が入るものだが、弘南鉄道には北口と南口があるが、JRの出口は1つである。「JR出口」と表示されているのも、そのためである

弘南鉄道のホームにやってきた。ここは4カ月前にも見た光景。懐かしい

すでに中央弘前行きの電車が出発を待っている。訪問記事と読み比べていただければ分かるが、とにかく景色の違いに驚く。弘南鉄道とJRのホームの間はビッシリ雪が埋まっていたのに、今は青い夏の空。あまりにも対照的だ

共同使用駅の概念とは違うかも

弘南鉄道のホームまで来て目につくのは、こちらの注意書きである

わざわざ「JR」と上書きしたり、「弘南大鰐」の「弘南」の部分を隠してみたりという工夫ばかりが目につくが、これはどういうことかというと前述した通り、JRのきっぷしか持っていない人はこちらの出口からは出られません、との意味だ

JRで降りると線路を挟んで南北を往来するにはかなり回り道をする必要がある

こちらは3月訪問時のもので張り紙はめめめくれかけているが、通り抜けをするには入場料が必要だということが書かれている

訪問時の記事で「いろいろな形式はある」と前置きしながらも共同使用駅とした。ただ共同使用駅の概念のひとつとして「どこからも出入りできる」というのがあるだろう。ホームの導線に共有部分はあるとしても「隣接する駅」という表現が近そうだ

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銀世界から盛夏へ移行した大鰐線の残り駅を回収~異なる会社のパス2つを同時使用

※訪問は2025年7月11日

朝6時台の弘前発奥羽本線からスタート

朝6時20分の弘前駅

前日は津軽線の運休区間を回り、夕方までに弘前入り。本日は弘南鉄道大鰐線の残り駅回収と同社の弘南線の各駅訪問を行う予定。前回の訪問からちょうど4カ月。景色は大きく変わった。当時は弘前の駅前にも雪が残り、沿線はどこもまだ高く積もる雪に囲まれていた

まさに雪中行軍だったが、東北の夏はやや遅いとはいえ、もう盛夏といっても良い季節。朝の6時でも当然半袖シャツ1枚である。幸運にも宿泊していたホテルの朝食が朝6時からで、大盛ごはんを素早くかき込んで出発である

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初めてのフリーパス同時使用

6時27分発の奥羽本線秋田行きに乗車。大鰐線の駅訪問なのに、なにゆえJR乗車なのかというと、ここから大鰐温泉駅へと向かい、そこから大鰐線に乗車しようというプランである。すでにスマホで弘南鉄道のフリーパス「大黒様きっぷ」を購入している。そして弘前~大鰐温泉のJR区間は津軽線でも使用した北海道&東日本パスを利用する。結論から言うと、本日JRを利用するのはこの区間のみ。運賃にしてわずか240円だが、7日に東京から利用を開始したこのパスはもう十分に1万1530円の元を取っている。しかも明日の最終日も青い森鉄道でたっぷり乗下車するので本日の出番はこれだけで問題ない(ちなみに初日の出番も浜松町~上野のみだった…笑)

フリーきっぷというのは、とりあえず元を取るのが先決なので異なる会社のものを2枚同時に使用するということは、なかなかない。私も初体験。ほんの少しだけエグゼクティブな気分になれる

電車はわずか2区間の13分で大鰐温泉駅に到着。ちなみに弘南鉄道だと13区間で30分以上を要する。後方に弘南鉄道の出口があるが、当然ながらJRの出口から出よう。両社のフリーきっぷを持っているし、事実上ここから出ても大勢には影響ないのだが、それについては後述する

奥羽本線のこの区間は過去何度も乗車しているが、大鰐温泉での下車は初めて。もっと言うと、途中に石川駅があるだけの2区間約12キロの車窓をこんなに凝視したのは初めてのことだ。特に石川駅前後では「こんな風に大鰐線とクロスするんだ」「こんな風に別れてまた合流するんだ」と興味津々。これも3月そして今回の主役があくまで大鰐線だからだろう

行先案内にしびれる

向こうに弘南鉄道の大鰐駅と電車が見えている。跨線橋でつながっているが、JRは大鰐温泉、弘南鉄道は大鰐と駅名が異なる

JRの大鰐温泉駅は開業が1895年(明治28)と古く今年で130歳。新宿駅とも「10歳」しか変わらない。当時の駅名は大鰐である。地名の由来については調べるまでもなく駅に解説があった

アイヌ語に基づくという。JR東日本の東北の駅では、このような地名の由来についての案内板をよく見かけてとても勉強になるし、何より調べる手間が省けてブログ記事の作業がはかどる(笑)

弘南鉄道の大鰐駅開業は1952年(昭和27)と、ずっと後のことだ。敷設は弘前電気鉄道が行い、駅名は国鉄との同名に気を遣ったのか、嫌がったのか弘南鉄道に営業が譲渡された際に「弘南大鰐」という駅名となっている。大鰐駅に戻ったのは1986年のこと。ただJR移管後の1991年(平成3)にJRの駅名が大鰐温泉となって現在に至るため、弘南鉄道の駅は55年もの歴史を持ちながら、JR(国鉄)と同駅名だったのは1952~1970と1986~1991の半分にも満たない。駅名の追っかけっこをしている感じだ

改札を出ようとして振り返ると跨線橋手前の番線案内に目が釘付けとなった

奥羽本線の各駅、弘南鉄道大鰐線の各駅に混じって「大阪」の文字。明らかに異彩を放っている。東北地方に大阪という地名があるのかと思ってしまいそうだが、おそらく日本海縦断特急「日本海」の停車駅だった名残だろう。定期運用の終了は2012年春とまだ13年しか経っていないが、はるか昔のことのように感じてしまう。2028年春の大鰐線廃線とともに案内板も作り替えられて大阪の文字も消える運命だと思う。ただ見方を変えると何度も作り直すのは面倒なので、少なくともそれまでは残るはず。この駅で最もしびれた瞬間だった

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~あと一年半 また来ます

※訪問は2025年7月10日

5分間停車の奥津軽いまべつ

三厩駅から海へと伸びる坂道をワゴン車のわんタクが駆け上がってきた。蟹田方面へと戻ろう

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津軽二股駅2019年

わんタクは奥津軽いまべつで約5分間のお手洗い休憩をとる。代行バスは基本的に休憩時間はないが、乗車していた感覚だと、その旨を伝えれば少し待ってくれそうではある。三厩駅や今別駅にもお手洗いはあるが、バスの停留所から簡単に行けて複数の利用でも問題ないのは新幹線駅でもある当駅だ

ただ代行バスについては基本的な考えとしては、ここは津軽線の津軽二股駅。渡り廊下のようになっている駐車場を横切ると道の駅があって、そこが津軽二股駅だが、5分間で行って戻ってくるにはダッシュが必要なので体力に自信のある方でないとおすすめしない

ここ津軽二股から青森までは北海道新幹線と津軽線が並行して走る区間(正確には新幹線の駅は新青森)となるが、整備新幹線である北海道新幹線と津軽線は並行して走っているのに、なぜ並行在来線の扱いを受けていないのかと思う方もいるかもしれない。整備新幹線の基本的な考えだと、この区間は三セク転換されることになり、現に北海道側は木古内~五稜郭の江差線が道南いさりび鉄道に転換されている

これは新幹線がJR北海道、津軽線がJR東日本と別会社だからで、両線はそのままの形で存続することになった。その分、奥津軽いまべつと津軽二股は近くにある駅というだけで、乗継ぎや連絡はほとんど考慮されていなかった。私は前記事でも記したように2019年にここ奥津軽いまべつを訪れ、北海道新幹線開業前の津軽今別駅時代にも訪問している

北海道新幹線の開業前は函館から特急「白鳥」で当駅を訪れ津軽今別で下車。津軽二股駅まで降りて津軽線で青森駅へと向かった

2019年は仙台から東北新幹線に乗り、奥津軽いまべつで下車。津軽二股から三厩へと向かったのは前記事で記した通りだが、その後は再び津軽二股まで戻り、青春18きっぷオプション券を利用して木古内から函館へと向かった

これがその時の写真だが、ビルのような奥津軽いまべつ駅。階段でチャレンジしようとすると115段の案内があり「三江線の宇都井駅と同じだ」と思った記憶がある。もちろんエレベーターを利用したけど。とにかく待ち時間が長く、道の駅で食事をしても時間が余り、奥津軽いまべつ駅の待合室で延々とテレビを見たことも覚えている。エアコン完備で快適だった

津軽二股で下車し、青森行きの列車を見送った時の動画がこちら

この時は3年後の大雨被害は考えもしておらず、軽い気持ちで撮ったため、ハンパなものにしかなっていないが、貴重な動画になってしまった

先を遠慮したわけ

お昼前に蟹田へと戻ってきた。朝の7時とは違って駅員さんのいる時間帯となっていた

今回の旅はここまで。津軽線の廃線予定区間には7つの駅がある。わんタクはまだまだ運行がある。今回訪れたのは3駅。津軽二股は以前も訪問しているので残り3駅。頑張れば、この後もすべて回収できそうだが、ここまでにしておいた。代行バスなら何も考えずにバンバン乗り降りするが、地域の貴重な足でもあるわんタクを、鉄オタがフリーきっぷを利用してタダ乗りするのもどうかと思ったからだ

蟹田以北の津軽線廃線後のJRの関わり方は、まだ確定していないが、現時点では完全にバス転換した後も何らかの形で運行には関与することになっているようだ。日田彦山線BRTの項でも触れたが、ここが最も大切な部分だと思う

おそらく来年の夏にも北海道&東日本パスを使用する。その時は残る3駅も必ず訪問したいと思っている

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不通区間の津軽線28・8キロを訪ねる~最果ての管理駅の現在

※訪問は2025年7月10日

中小国駅から約1時間

三厩駅へと到着。中小国駅からわんタクで約1時間の道程だった

駅前では朝の7時すぎに蟹田から今別まで乗車した代行バスが「休憩中」。このバスは8時2分に当駅に到着し、同7分に三厩体育館まで行って終着となる。ここまで戻って待機なのだろう。17時40分に三厩体育館を出て当駅経由で蟹田に向かうので長い休憩である

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聖徳太子がいなければ

三厩駅は平成の大合併まで存在した三厩村に基づく。「厩」とは、なかなか難しい文字だが、馬小屋で生を受けたという聖徳太子の「厩戸皇子」という名前を学校で習った方なら、触れた経験のある文字だ(ただし書け、と言われても書けないが)

村の名前も馬に基づく。当地には平泉で亡くなったとされる源義経が当地で3頭の馬を得て北海道へと逃げたという伝説があり、地名となった

当駅は今別町から外ヶ浜町に入ってすぐ(外ヶ浜町は飛び地となっているので、正確には1度外ヶ浜町から出て再び入る形となる)の場所にあるが、観光案内図でも義経ゆかりの場所が記され、義経が北海道に渡った伝説についても解説がある

かつては有人駅

三厩駅は1958年(昭和33)の開業。蟹田から延伸された終着駅となった

代行バスが三厩体育館まで行くのは、その付近が三厩の中心部だからだと思われる。駅自体は海から徒歩で10分ほどの高台にある

三厩駅が有名となった理由のひとつとして有人駅だったことが挙げられる。信号システムが遅れたおかげで、1日5本しかやって来ない駅にもかかわらず駅員さんがいたばかりか、今別、津軽浜名の3駅を管理し駅長もいた。映像や写真で積雪の中、駅業務に従事する職員の様子が紹介されていた

2019年に無人駅となったが、有人駅だった面影はまだ残る

龍飛埼への観光拠点としての役割も担い、駅舎内のこのイラストも駅が紹介される度に登場していた

ホームへと入る。錆びたレールはこの先で終わっている。以前と大きく様変わりしたのは、この部分で後述する

ホームとレールは今別駅と同じ光景。ずっと島式ホームだったが、2019年の無人化の際に片方だけの使用となった。ここに列車が来ることはもうない

2019年の思い出

三厩駅に来るのは6年ぶり。前回は2019年の8月終わりだった

この日のことは今もよく覚えていて、前夜は仙台に宿泊。仙台から東北新幹線で奥津軽いまべつで下車して津軽二股から津軽線に乗車。三厩駅へと赴いた。津軽二股から青春18きっぷを利用することにしたので、津軽線の車掌さんにサインをもらった。三厩駅は訪問の2カ月前に無人化されていたためで、2度とできない思い出となった

車内は18きっぱー専用列車のようになっていてホームは同業者(鉄道ファン)であふれていた

使い古されたサボが印象的

現在の錆びたレールと行き止まりの草むらを前掲したが、この時はポイントがあり、その先にスノーシェッドに守られた車庫が残っていた。無人化に伴い、ポイントも車庫もこの後撤去されることになる

駅でずっと一人

この時は、列車がすぐ折り返すということで滞在時間わずかで同業者とともにゾロゾロと再び列車に乗り込み青森方面へと戻ったが、今日は30分ほど時間がある。ただ6年前と決定的に異なるのは、当時は人であふれていた駅が、今回はやって来たのも1人、駅から出発したのも1人だったということ。つまり私がこの日、この時間帯にたまたま訪問しなければ、誰も来る人はいなかったということになる。「たまたま来た私1人だけ」のフレーズは過去何度も書いてきたが、鉄道ファンにも人気だったこの地で同じ体験をするとは思ってもいなかった

ホームから駅舎を眺める。宿泊もあった大きな駅舎だ

駅舎内の手作り観光新聞そして

駅ノート。訪問時は私1人だったが、間隔を空けずに次々と書き込みがある。駅を訪れた人の熱い思いが伝わってくる内容だった

お手洗いを借りた時に繰り返し書かれている「マムシ注意」の文字が気になって、草むら部分に入ることはできなかったが、前回がわずかな滞在で終わっただけに充実の時間だった

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