JR

10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その2 「善光寺駅」は山梨県にあり

※訪問は2024年10月26日

今も見られる風景

元善光寺駅に到着。現在どんどん姿を消しつつある車掌さんが駅のホームで集改札にあたるシーン。JR東海ではIC乗車区間以外ではワンマン運転でない限り、まだまだこのような姿が多く見られる。特に飯田線は駅の数が多く、出発した途端に次の駅に到着という場面もあって車掌さんは大変そうだ

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大正期からの駅舎

善光寺の駅舎。木造駅舎が健在だが、JR移管後に取り付けられたであろう駅名板もかなりおつかれのようだ。JRになって37年という時の流れを感じさせる

無人駅で窓口もふさがれているが1日の利用者数は2022年のデータでは369人

財産票は駅舎が開業時からのものであることを示している

当駅は1923年(大正12)の開業。飯田線の原型は3線の私鉄だったことについては後に触れていくことになるが、当時敷設にあたった伊那電気鉄道が辰野から南下していき当駅までたどり着いた。それが3月のことで8月には飯田駅まで延伸されたので半年にも満たない終着駅だった

やがて戦時中の1943年(昭和18)には戦時買収によって国有化されるが、その際、駅名を「座光寺」に変えている。国鉄内に「善光寺駅」が先にあったため、変更されたのかもしれない。ただこの善光寺駅は有名な長野市内の善光寺の最寄りではなく、山梨県甲府市に今もある。身延線の駅で甲府から2駅目。甲斐善光寺の最寄り。善光寺は日本各地に数え切れないほどあるので、各地に「善光寺駅」があっても不思議ではないが、今も営業している「善光寺駅」は4駅。日豊本線に「豊前善光寺」(大分県)があり、そしてもうひとつが長野電鉄の「善光寺下」。こちらが最も有名な善光寺の最寄り。ただし大正期の開業以来、ずっと駅名は善光寺下である

元善光寺に参拝

リニアの駅予定地は線路を挟んで逆側となるが、せっかく来たのだから元善光寺に参拝しよう

駅前に案内があるので分かりやすい。道も広くて迷うコースではない

グーグル地図では徒歩10分となっているが、徒歩の場合は山門の階段から昇っていけるのでそんなにはかからない

どちらも行先が「元善光寺」となっている途中の標識がユニークだった。文字だけにすると、まぁこうなる

山門に到着。写真だとはるかかなたにあるように見えるが、実際はそうでもない。階段が苦手な方はスロープでも上り下りができる

本堂に到着。駅から歩く人は見かけなかったが、土曜日とあってかなり人がいる。マイカー訪問が主体なのかもしれない

解説を読んで善光寺のルーツが大阪にあることを知る

また先述したように、駅は一時「座光寺」を名乗っていたことがあり、現在も周辺の住所は「飯田市座光寺」だが、お寺が座光寺と呼ばれるゆえんについても記されていて、いろいろ勉強になった

両方をお参りするべき、ということである

珍しく観光などをしてしまったが、こちらは駅を知る上でも大事なことだったので来た甲斐は大いにあった。いよいよリニア駅の予定地へと向かおう

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10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その1 元善光寺はどんなところ?

※訪問は2024年10月26日

思い出す2年前のグルグル回り

こちらの続きとなります

塩尻から岡谷へ。10分ほどで到着する

ちょっとだけ懐かしい。というのは

ちょうど2年前の10月にも、ここにやってきたから。フラリと立ち寄ったら、本当に沼にはまってしまった。新幹線も乗り放題のきっぷを手に一体、何を思ってこのような行動になったのか、理由が今も思い出せない。なんとなく、から急に点火したいつもの行動だろうけれど

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辰野をまたぎ飯田線へ

2年前と同じく切り欠きホーム0番線乗り場へ。当駅始発の飯田線は原則的にはここから出る。前回はJR東日本区間のフリーきっぷだったので、乗車は中央本線旧線の辰野までだったが、今回はJR東海の飯田線が目的なので辰野から先まで向かう。岡谷~辰野はJR東日本の中央本線区間だが、実際は飯田線の一部のような運用となっているため、この区間を走る電車はJR東海の車両が多い

今回は別会社をまたげるフリーきっぷの季節ではなかったため、乗車券を購入

芦屋から東海道本線に乗車し、新大阪から新幹線に乗って名古屋まで。中央本線を北上して塩尻から岡谷を経由して飯田へと向かう。JR西日本からスタートしてJR東海→JR東日本そして再びJR東海という経路。このコースのきっぷは初めて購入したが、経由の岡谷を入れるのではなく「川岸」を入れることで飯田線の文字はない。ちょっと感心。川岸というのは、沼にはまる前から気になっていた岡谷~辰野にある唯一の駅で

これはいろいろな意味で盛り上がった。JR東日本の駅にもかかわらず、やってくる列車はほとんどがJR東海の車両ばかり。大正期の開業以来の駅舎も素晴らしかった。そして訪問直後に駅舎の改築が発表され、簡素駅舎となった、という悲しい結末もあった

リニア駅を訪ねてみよう

今回の目的は「リニア中央新幹線の駅予定地を見に行こう」である。この景色が、その後にこうなった、という移ろいは、ある意味貴重。開業までは10年以上かかりそうで、かなり時間があるが、私は以前、後に北海道新幹線の新函館北斗駅となった渡島大野駅に2年続けて行ったことがある。とにかく今のうちに行ってみよう

ただしどこに設置されるのかぐらいは予習して旅立たなければならない。調べてみると既存の駅に併設、または駅名変更したり、既存の線路上に設置されるのではなく単独の新駅らしい。リニア新幹線の駅予定地としては、最初から飯田が挙がっていたが、飯田駅に併設ではなく、最も近い駅は元善光寺らしい

こちらも興味のあるところだ。長野市にある善光寺については誰もが知っているし、私も行ったことがあるが、同じ県内の元善光寺については知識はあるものの、訪れたことはない。ならば元善光寺から飯田で宿泊して、その後はトコトコ飯田線を南下、豊橋まで行ってみよう

ということで岡谷から元善光寺へ勇躍向かったのだが、12時29分岡谷発の列車に乗り込み、到着は14時41分と、なんと2時間超。この間の距離は76キロで、すぐご近所というわけではないが、とにかく駅数が多い。さすが元私鉄だけある、と感心するよりグッタリしてしまった。いつも言っていることだが、私は同じ乗り物に1時間以上続けて乗っているとイヤになってくる

中央本線である岡谷~辰野は9・5キロあって、その間にあるのは川岸だけだが、辰野から元善光寺の66・4キロは31駅目。駅間距離が1キロそこそこの区間がかなり出てくる

ちなみに全く同じ区間を車で走ると中央道経由で半分の時間で着いてしまう

最終的に飯田には16時ごろに着かなければならないので、途中駅での下車は断念(この区間の飯田線は、おおよそ1時間に1本の運行)

とにかくヤレヤレの到着である

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その6 やっぱり列車でゴールしなきゃ

※訪問は2024年10月11日

2つの駅名板

中土駅の駅舎には2つの駅名板がある。ひとつは前記事のサムネで掲載したもの。そしてもうひとつは

年季が入ったもの。前者は駅舎の外に、そしてオールドバージョンは

駅舎の外側つまり列車で降り立つと、こちらが迎えてくれる

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シールを張って一路糸魚川へ

中土駅ともサヨナラの時間が来たようだ

南小谷駅でも同じものがあり、1カ月前に張った。今回ももちろん張る。来た全員が張り付けるとは思わないが、南小谷より利用者が圧倒的に少ない当駅なので、見かけたら思わず張ってしまうのではないか。首都圏や近畿圏は重ねて張るしかないのだが、遙か彼方からの人もいるようだ。対馬はビックリ。福岡からの方は「ネタじゃねぇぞ」との書き込みも

駅でともに降りた同業者の青年は、この後北小谷まで行き、増便バスの停留所まで歩き(徒歩10分ほど)、白馬から松本経由で東京に帰るという。前日からの旅程を聞いたが、若いとパワフルでいいな、と思った

中土から1区間、同乗してお別れである。私はこのまま糸魚川へと向かう。ふと顔を上げるとキハ120の車内は私を含め4人

そういえば中土駅ではこのような注意書きがあった

頭の中が鉄道だらけになると「通過」という意味が間違って脳内に伝わってしまうが、バスの世界では、ここには立ち寄らないという意味になる。今は国道から離れてしまうと、何かと不自由な時代である

大糸線の現状

私が乗車したのは中土を10時10分に出て11時3分糸魚川着のキハ120。10時4分に南小谷を出ているが

こちらの記事でも記したように白馬方面からの接続が極めて悪い列車で乗車が少ないのもうなづける。この後、根知で2人、姫川で1人の乗車があった

ここで糸魚川と南小谷をのぞく2022年度の非電化区間である大糸北線各駅の利用者数を記すと

中土 2人

北小谷 4人

平岩 4人

小滝 4人

根知 8人

頸城大野 16人

姫川 4人

この中には今回私が使用した秋の乗り放題パスや青春18きっぷなどのフリーきっぷの利用者は含まれていない。また中土で出会った同業の青年は途中下車を繰り返していたが、そちらも含まれないので実際に乗降した人の数とはかい離があるが、日常ということを考えると決して良い数字とは言えない

一方、増便バスについては長野県のHPに9月12日の記載があり、6~8月の利用状況について

6月 1日平均約25人(1便平均3人)

7月 1日平均約48人(1便平均6人)

8月 1日平均約112人(1便平均14人)

となっている。認知度が増して夏休みに入ると利用者が増えていることが分かる。現に9月に私が利用した日も18人の乗車があった。もっともこちらはあくまで白馬~糸魚川全体の利用者であって各駅の利用者数とは異なることに留意が必要。鉄道もそうだが白馬や信濃大町から大糸線を経由して糸魚川から新幹線に乗り換えると各駅利用者には入らない。また私見だが、バスの数字にはフリーきっぷ利用者も含まれている気もする

景色を眺めながら糸魚川へ

平岩駅を過ぎると姫川温泉が見えてきた。3年前に宿泊した際、部屋から「お~い」と手を振った。翌日、乗車すると車窓から部屋で手を振る浴衣の宿泊者がくっきり見え、私もそんな風に見えていたのかと、ちょっと恥ずかしくなったことを思い出す

12月から増便バスは冬季期間となり停留所が変更される。現在は白馬から南小谷までの各駅に停車しているが、南小谷までノンストップとなり、代わりにスキー客の利用が多い白馬八方バスターミナルが新たな停留所となる。また平岩、小滝の両駅は通過するが、駅とは離れた場所の温泉施設や道の駅が停留所となっている中土、北小谷の両駅は停車が続く

大糸線用となっている糸魚川の切り欠きホームに到着。やはり列車の到着は気分が落ち着く。大糸線については非電化区間であるJR西日本の大糸北線ばかりが何かとクローズアップされるが、JR東日本の区間も信濃大町から北上していくと、一定の乗客がある途中駅は白馬と神城ぐらいで、この後の記事でも出てくるだろうが、多くの駅で「ぼっち」を体験した。沿線には多くの温泉があるにもかかわらず、もったいない気もする

手元に1988年3月号の時刻表(復刻版)がある。すでにJRへの移管は行われていたが、南小谷をまたぐJR東日本、西日本の両線を走る列車がまだ1日2往復残っている。大阪から北陸本線、大糸線を経由してのシュプール号も健在。このシュプール号、いつも大阪駅で多くのスキー客が列車を待っていた光景は覚えているが、始発駅が西明石だということを知ってちょっと驚いている

増便バスを出すぐらいなら、大糸線そのものを増便すれば良いではないか、との声も聞こえてきそうだが、平岩、中土の両駅でも紹介したように大糸北線では駅の交換設備がなくなっていき、現在すれ違いができるのは根知駅のみで列車本数を簡単には増やせない状況にある。ただ白馬行きの増便バスで分かる通り、JR東日本と西日本をまたぐ列車があれば需要は少し増えるのではないか。それが無理なら、せめて接続の便を図るべきだと思えてならない

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その5 大糸南線で唯一の非電化駅

※訪問は2024年10月11日

国道は離れた場所を行く

中土駅の駅前

3年前は「交通 安全宣言」の向こうから南小谷駅へと向かう小谷村村営バスがやって来たことを覚えている

ただ交通安全をうたうほど車の交通量があるわけではない。いわゆる「塩の道」で大糸線とほぼ並行して走る国道148号は中土駅から離れた場所を走る

増便バスは駅前まで来て再び国道に戻るのにはかなりの回り道となるため、停留所は温泉施設「サンテインおたる」に設けられている。同所から中土駅までは1・2キロ離れていて徒歩なら15分以上かかりそうな距離である

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元は合成地名

駅名は、かつてあった中土村に基づく。これはいわゆる合成地名で「中谷」「土谷」の2つの地名の頭文字をとって村名にしたもの。1958年(昭和33)に北小谷村、南小谷村と合併して小谷村が発足した際に自治体としては消滅しているが、駅が開業した1935年(昭和10)はまだ中土村が存在した。ただし駅の所在地は南小谷村だった

村の中心地は徒歩なら小1時間ほど離れた場所にあったが、地形上、中心地に鉄路を通すことは不可能だったのだろう

こちらは駅舎内の様子。きれいにまとめられていてテーブルもある。こちらは少なくとも開業時のものではない。そしてきれいに清掃されている

かつての駅の写真が飾られている。戦争を挟み20年以上も終着駅だったことで写真にも重みがある。駅員さんの姿も写っているが

もちろん現在は無人駅。国鉄末期には無人化されていたがきっぷ売り場の窓口跡に

かつてホームにあったと思われるホーロー駅名標が保存されていた

きれいな駅舎内とともに地元の方の愛情を感じる

電化、非電化の分かれ目

駅前には商店そしてタクシー会社があるが、商店については現役ではない。たばこ店のホーローと遠くからも識別できる「たばこ」の文字はローカル線の定番である

再びホームに出る。時刻は10時を回ってきたが暑くなってきた。先ほどの商店前には自販機はある。冷たい缶コーヒーを買って白馬から着てきたセーターを脱いでバッグにしまう。2時間ほど前、一ケタの気温に白馬駅でブルブルしていたのがウソのようだ

島式ホームだが、平岩駅と同様に片側は役割を終えていて、と同時に構内踏切もすでに踏切ではなくなっている

大糸線では1957年(昭和32)の全通から間もなくして電化の機運が高まった。元より松本~信濃大町の信濃鉄道が敷設した区間はすでに電化されていたため、工事は延伸という形で進めめことができる。当初の目的だった国防の意義はなくなっていたが、温泉、登山、スキーと当時の観光の要素がすべてそろっていたため、国鉄によって敷設されたしなの信濃大町以北も電化して観光路線として強化することになった。工事は順調に進み、白馬(当時は信濃四ツ谷)までは早くも1959年に、翌年には信濃森上までが電化された。その後は少し時間がかかったが、1967年に南小谷までが電化。そして…と言いたいところだが、電化はここまで。現在の形となった

当駅も含め、大糸線の県境部分は数々の自然災害が発生した場所でもある。豪雨に山崩れ、地震。中土駅も豪雨で何度か水浸しになった。駅舎が新しく感じるのは、その度に修復が行われたからだろう。電化に伴う難工事と自然災害への危機感が電化の歩みを止めた。その結果、戦前に開業した松本から当駅までの大糸南線で南小谷~中土のみが非電化区間となった

かつては転車台もあった終着駅に現在やって来る列車はキハ120の単行。民営化時に電化区間と非電化区間で、かつての大糸南線で1駅だけ所属会社も変わることになるとは、電化工事がストップした時点では誰も考えなかったに違いない

2022年度の中土駅の1日あたりの利用者は2人となっている

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その4 3年前の忘れ物

※訪問は2024年10月11日

3社のJRが乗り入れる長野県

平岩発9時30発に乗車。もちろん、と言っていいのかどうか分からないが、乗車したのは私1人。すると車内には20人のお客さん。自分の予想をはるかに超えていたので、ちょっと驚いた。秋の乗り放題パス期間ではあるが、同業者(鉄道ファン)の姿は少ないようで、観光や登山の方がほとんどのようだ。1駅隣の北小谷では1人が降り、3人も乗車してきたので、これも意外。3年前に訪れた北小谷は乗下車ともに私だけでホームで小1時間ぼんやりしていた記憶があるが、北小谷で降りた人も乗車してきた人も地元の方のようだ

そして平岩駅から2駅目の中土駅に到着。駅名標を見れば一目瞭然だが、隣は南小谷でJR東日本との境界駅でJR東日本管轄。JR西日本の駅名標もここまでということになる

南小谷はJR東日本とJR西日本が接続する在来線唯一の駅。北小谷そして中土は長野県に所在する。考えてみれば、長野県はJR3社の在来線が走る貴重な県である

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JR西日本の最東端駅

平岩と中土は2区間で11キロだが、途中の駅はひとつだけにもかかわらず所要時間は20分と長い。大糸線の難工事部分で山中をぬうように走る線路にはJR東日本ならではの速度制限があるからだ

さて中土駅で降りたのは私ただ1人…という予想だったが、私を含め2人。ただし同業者。私よりもはるかに若く、後で車内も含め話をしたが東京から来たという。ローカル線の駅で同業者と2人きりになった時の「あるある」だが、互いが写らないよう気を遣いながらの撮影会となった(笑)

こちらは時刻表。9時50分に着き、10時10分の糸魚川行きで去る予定。駅にいられるのは20分だが、3年前と比べると十分な時間だ。というのは3年前は小谷村村営バスのお世話になって当駅から南小谷へと移動したのだが、バスの時刻が列車の到着からわずか3分後という慌ただしさで、とにかく写真を撮れるだけ撮っているうちにバスが見えたので即撤退となった

美しい木造駅舎が健在である。中土駅の開業は1935年(昭和10)。信濃大町から徐々に伸びてきた大糸南線の終着駅となった。大糸線は全通までは糸魚川~小滝が大糸北線、松本~当駅が大糸南線という名称が与えられていた。以降、戦争を挟んで1957年に大糸線が全通するまで20年以上にわたって終着駅の役割を果たしていた

駅舎は開業時からのものと思われるが、かなり手は入っているようだ。シャッターは地元消防団のもので、道具置き場となっている

JR西日本最東端の駅でもある。かつては北陸本線の谷浜駅(新潟県)だったが、三セク移管によって中土駅が、その座についている。なおJR西日本が管轄する線路となると北陸新幹線の上越妙高駅(新潟県)が最東端となるが、境界駅である上越妙高はJR東日本の管轄となっているため、最東端の駅となると中土になる

それほど多くの時間はないが、駅舎内とその周辺も見ていくことにする

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その3 山中の県境を駅から楽々と徒歩越え

※訪問は2024年10月11日

【動画あり音声注意】

ホームは棒状化

平岩駅のホームから前記事とは逆方向の眺め。昨日までの2日間、ずっとJR東日本の駅名標ばかり見てきたのでJR西日本の駅名標が新鮮に感じる。JR各社の壁を越えて移動できるフリーきっぷ(この時は秋の乗り放題パス)のありがたみを知る瞬間でもある

そしてご覧の通り、始終着列車の設定があるにもかかわらず島式の1面2線構造は1面のレールがはがされ棒状化されている。全国のローカル線で必ず出くわす光景

少し時間があるので再び駅舎の外に出てみよう

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3年前に驚いたこと

駅前の周辺案内図を見る。駅周辺は姫川温泉。姫川をはさんで数軒の温泉宿がある。元々は大糸線の全通に合わせて作られた温泉街だが、全盛期よりは数を減らしている。3年前は

駅舎に向かって左側のこの道を宿へと向かった。平岩駅の開業に合わせて作られた温泉だけに、駅からすぐ到着する

温泉で癒やされ、翌朝の出発前、テレビの天気予報を見て不思議に思った。長野県の天気予報なのだ。ニュースも長野県内のもの。宿に向かって降りた平岩駅は糸魚川市つまり新潟県にあるので、ここは新潟県のはず。首をかしげながらフロントに向かうと置いてあった新聞も信濃毎日新聞。さすがに宿の方に尋ねると「ここは長野県なんです」

宿予約の際、住所をしっかり見ていなかった自分のリサーチ不足ではあるがビックリした

地図で分かる通り、姫川が県境となっていて徒歩5分。つまり駅は新潟県だが、こちらの温泉街は長野県にある。全国の県境は随分と経験したつもりだが、山中の県境は峠か深い渓谷の印象が強く、まさか歩いて楽々と越えられるものとは思ってもいなかった(ちなみに新潟県側には新しい温泉旅館が1軒ある)

そういえば、その時の旅でお世話になった小谷村のコミュニティバスも温泉街を通って

これは3年前の写真だが、部屋や露天風呂から、まるでテーマパークのアトラクションのようにキハ120がよく見えた。実は今回も当地での宿泊を考えたが、旅程の都合で無念の断念となった

キハ120で次の駅へ

ちょうど総選挙前だったので、駅前には立候補者の掲示板が用意されていた。駅は新潟5区となっている

こちらは駅前の看板。平岩駅の開業は1957年(昭和32)で、戦後も10年以上が経過して人々にレジャーの余裕ができ始めていたころだった。大糸線の全線開通を機会に当駅を温泉、登山そしてスキーの拠点としようとしたのだろう。かつて新宿から大糸線経由で糸魚川まで運行されていた急行「アルプス」は、現在の大糸北線内では平岩が唯一の停車駅だった

現在やってくる列車はキハ120の単行のみである

南小谷行きのキハ120がレールをきしませながら入線してきた。ホーム案内の電光掲示の左側矢印は、もはや意味がなく、電光案内そのものが不要となっているが、しっかりと現役である

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その2 駅舎を抜け待っていたのは

平岩駅の駅名板

※訪問は2024年10月11日

新潟県に入って私のみの下車

南小谷から約20分。増便バスは新潟県に入って最初の駅となる平岩に到着。増便バスは当駅前後の北小谷、小滝ではいずれも駅から遠いところに停留所が設けられているが、ここ平岩駅では高台の国道から分岐して一度駅まで降りてくれる。それは駅が新設された国道から離れているという意味でもあり、駅の場所が地元の方の生活圏から離れているという意味にもなるが、平岩はそうではない。駅周辺には民家も多い

駅からどうやって国道に戻るのだろうと思っていたら駅前の駐車場でグルリと方向転換して去っていった。バスには南小谷から私を含め5人が乗車。先に乗っていた3人も含め計8人の利用客がいたが、当駅で降りたのは私1人である

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3年ぶりの訪問を出迎えてくれた景色

平岩には3年ぶりの訪問。2021年9月のことだった

コンクリート駅舎となっているのは、開業が大糸線全通時の1957年(昭和32)のため。先の記事でも記したが、大糸線の信濃大町~糸魚川は国鉄によって敷設された。険しい山中をぬうように敷設されたのは国防上の理由からだが、1935年に南側は中土まで、北側は小滝まで開通した後、難工事となる長野と新潟の県境部分は戦局の悪化に伴い、工事が中断。日本海から東京、名古屋へ向けての国防上重要となる鉄路は艦砲射撃を避けるため、できるだけ山中が良いというのが敷設理由だったが、計画時とは変わって時代はすでに航空機となっていて、山深い場所にわざわざ線路を新設する理由がなくなっていたのだ。工事が再開されたのは戦後がかなり経ってからで大糸線の全通は戦後10年以上も経過していた

駅前には石碑があり、一部は欠けてしまっているが、全通までの苦労が刻まれている

財産票は昭和31年11月となっている。駅の開業は翌年の8月なので駅舎そのものは早々に竣工していたことになる

こちらは駅名板

県境の駅というこで今でも1日に2本の糸魚川との折り返し列車が運行されている。周辺は温泉地で登山客需要もあったため、JR移管後もしばらくは有人駅だった

駅舎からホームへは階段で上がる。すると

なんだ、この素晴らしい景色は。時刻は朝の9時20分。山と雲に溶け込む雑草に囲まれたホームの風情が素晴らしい。右側には除雪車が間もなくやってくる雪の季節を前に出番を待っているようだ。ちなみに

こちらが3年前の写真。ちゃんと動いている。当時の景色の記憶がほとんどないと思っていたら、当日は曇天だった

3年前は当駅からすぐの姫川温泉に宿泊している

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その1

南小谷駅のホーム側改札付近

※訪問は2024年10月11日

1カ月を経ての再訪

前回までの大糸線の各駅訪問は3月の話。なぜ記事化するのに半年も置いたかというと、全駅訪問が終わっていなかったこともあるが、雪景色が全く季節に合わなかったからである。といっても、一昨日あたりから急に冷え込みが厳しくなり、急速に冬の足音が聞こえてきた。大糸線の訪問は9月の上旬、10月の上旬にも行っているため、季節的には真逆になってしまうが、ご容赦ください

そして9月に次いで10月も大糸線増便バスに乗ってきた。季節というより時系列が飛びまくるが、こちらは3月までの限定運行ということで早めに掲載することにする

ちなみに1回目はこちら

スタートは気温8度の白馬から

スタートはハロウィーンムードの白馬駅から。1カ月前にも来ているが、気候がたった30日で全く異なる。前回は汗をダラダラかいていたが、この日の朝は8度。もちろん息は真っ白。前々日から当地は急に寒くなったようで、この2日間、宿では就寝の際、暖房をつけた。季節外れの夏日が続いていた神戸から信州に来て温暖差に身体もビックリだが

8時1分発の南小谷行きに乗車。これを逃すと次は11時23分と3時間20分後なので、絶対に譲れない電車である。白馬駅近辺でお勤めの方もいるのだろう。かなり混み合っていたが、南小谷へ向けてはガラガラとなった。本日は1カ月前と同じく南小谷から大糸線増便バスに乗る。ただ前回は単にバスで糸魚川まで行っただけだったが、今回は駅にも立ち寄り、最後は鉄路で糸魚川へと向かう。手には「秋の乗り放題パス」。毎年、鉄道の日の10月14日前後に登場するきっぷで、使用ルールは青春18きっぷと同じ。ただし3日間の連続利用、グループ利用禁止という決まりがある一方で自動改札機を通ることができる。つまりこの12月に発売される青春18きっぷとほぼ同じ内容だが、この頃はそのような改訂があるなど夢にも思っていない

約20分で終点の南小谷へと到着

南小谷は管理駅で、人はずっといるのだが窓口は9時過ぎからのようで、まだ開いていない

1カ月前はエアコンのお世話になり、冬場はコタツも登場するという待合室もまだ閉まったまま

勝手知ったる増便バス

こちらは駅舎。前回で勝手は分かっているので安心だ

時刻表も理解済み。実は前日、大糸線の駅回りでも利用したのだが、それはその時に紹介する。今から乗車するのは8時47分の1便。時刻表を見てもらえれば分かるが、このバスは白馬を8時30分に出ている。列車の紹介で8時1分に乗り損ねると大変、と記したが、増便バスがあるうちはカバーできる

というか

駅の時刻表で見てもらえば分かるが、白馬発8時1分に乗車しても南小谷着に同20分に着いた後、糸魚川行きは10時4分発で1時間40分もの待ち時間がある。白馬を次に出るのは11時23分で、もちろん10時4分には乗れない。11時23分白馬発は11時42分に南小谷着で、12時7分発糸魚川行きに25分の接続と、ようやく接続らしくなる。ちなみに白馬からだと始発となる6時57分発も南小谷での接続が図られている。要は「痛いところに手が届く」時間帯に設定されているのだ

だったら白馬を8時30分に出ればいいではないか、の声も聞こえてきそうだが、とにかく気温が一ケタの朝である。バスにお手洗いがないのは前回で確認済み。生理現象を考慮すると、ここは電車で南小谷まで行くのが無難というもの

ほんの少し色づき始めた山と川の景色を見ているうちに

数分遅れ気味でバスが到着。まずは大糸北線の駅を目指そう

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~雪景色旅のちょっとしたエピローグ

安曇追分駅の駅名板

※訪問は2024年3月7日

駅前食堂のある風景

前日からの積雪が残る大糸線沿線だったが、不思議なことに有明駅あたりから雪の量は減って当駅付近はかなり少なくなっていた。この後、松本まで戻ったが松本に近づくにつれ、残雪量は増えていったので、前日の雪は松本中心のものだったようだ

安曇追分の駅前風景。2軒の駅前食堂があった。のれんが出ているので営業中だと思われる。旧国鉄の駅というのは町外れに設置されることが多く、そこそこの都市でも駅を降りてみたら何もない、ということが多く、そんな中で癒やされるのが駅前食堂。ただその風景も失われつつある。お客さんはいても後継者がいない、というのが大きな理由のひとつのようだ

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なぜか私が

さて、なぜいきなり駅前食堂の話から始めたのかというと、安曇追分駅の駅舎内が「緊急駅前食堂」になったからである

前記事でも紹介した駅舎内の様子だが、実は写真はこの角度のものしかない。撮ろうにも撮れなかった。というのも私と同じ電車で下車したご婦人の3人組グループが持参のお弁当を広げて食べ始めたから。弁当といっても駅弁ではない。自宅で作ったものだ。もちろんお茶もペットボトルではなく水筒持参である。私も昼食のお時間だが、松本駅近くのコンビニで買った恒例のコンビニおにぎり。外は寒いので駅舎内でほおばる。同世代の男性1人、女性3人が駅舎内でランチタイムというシュールな光景。どこからどうというわけではなく会話になり、話を聞くと今日の朝、神奈川県からやって来たという。この駅近辺の一体どこへ?と尋ねると、ある施設の名前。名前だけなら私も知っているが、徒歩ではちょっと無理な場所だと推測できる上、そこって穂高駅からのバスがあるんじゃないの?

「どうやって行くのですか」と、おそるおそる尋ねると当駅からバスが出ているのだという。なるほど、で、バスは一体何時に?と聞くと

「知らない」

秒で答えが返ってきた。私のあ然メーターはあっという間に振り切れてしまった。そういえば駅前の停留所の時刻表なんて見た景色はなく、即お弁当を広げていた。「大丈夫?」と言うと「なんとかなるでしょ」の回答。もちろんここには観光案内所などないので、私が代わりに調べてあげた

「バスは次は○時○分発で降りるのは○○という停留所。ただ帰りは○時○分に乗らないと戻ってこられませんよ」

だが、出発のバスまではかなりある。「タクシーがあるでしょう」と聞かれたので「ここには常駐してないよ」。ついでにグーグル先生とナビタイム先生の両者による徒歩時間を調べると軽く1時間以上はかかるようだ。伝えると「わー、そんなにかかるんだ。ありがとう」とサラリ。決してつっけんどんな言い方ではなく、自然な感じだったので、それ以上私も突っ込まなかったし、とりあえず施設までたどり着けば、帰る方法は教えてくれるだろう

ただ私が感じたのは、ケセラセラ的な旅の原点である。私も成り行き任せの旅は好きだし、ブログ内でもケセラセラという言葉はよく使うが、さすがに列車の数がどのぐらいあるかは調べている。ましてや地方でバスに乗るとなると、事前準備は入念の上に入念である。今はスマホひとつあれば、沿線情報は入手できるし、タクシーも呼べる。自分の若いころはそうだったなぁ、と思った次第(ただ時刻表は必ず調べていた)

半年あまりでなくなったもの

松本まで戻ってしなのに乗り込む。あずさとの並びだ

手には大阪までのチケット。乗継割引の使用はこれが最後である。もちろん分かった上での購入

名古屋経由のしなのは数多くお世話になった乗継割引のひとつ。在来線特急が半額になることで、ちょうど駅弁代になる。これからは駅の立ち食いそば&きしめんで済まそう

こちらは前々日に新潟駅で買った青春18きっぷ。この時は新潟、松本、一ノ関、三ノ宮、三次と各地でハンコをもらったが、もうそれもできない。半年ちょっとで、長年私の旅を支えてきたものもすっかり姿を消し、ひとつの曲がり角を感じている

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成り行きで大糸線の全駅訪問になってしまった話~18きっぷ駅舎とホーム越しの絶景に旧駅名を思う

安曇追分駅の駅名標

※訪問は2024年3月7日

リアルすぎる駅舎と財産票

有明のお隣の安曇追分に到着。この日最後の訪問駅だ。大糸線では安曇野市には9つもの駅があるが、最も北にある駅となっている。市内には篠ノ井線の駅も2つあるが、ちょっと意外なことに「安曇」が付く駅は当駅ひとつしかない。ちなみにサムネ写真の駅名標で分かるようにローマ字にすると「azumi」で、こちらは安曇野市も同様に「azumino」だが、ひらがなにすると駅名は「あずみ」で自治体名は「あづみ」となっている

ホームは島式の1面2線。ただ写真で分かるように上り下りでホームは固定されていない。構内踏切の駅でよくある形式だが、すれ違いがない場合は、駅舎と反対側のホームを使用して遮断機ができるだけ降りないようにしている

その構内踏切を渡って駅舎に入ろうとすると、いきなりこのような文字のお出迎え。手書きの明朝体が凄い。否が応でも期待は高まる

そしてまさに期待通りの駅舎。当駅は1915年(大正4)の開業。有明から信濃松川(当時は池田松川)まで延伸された際に設置された

この後の記事を読んでくれなくなるかもしれないので、書くのに躊躇してしまうが大糸線の古い駅舎というのは、数が少なくなっている。元々、ホームと待合所のみの駅が多いのもあるが、この十数年で新しく生まれ変わったり簡易化したりで、この後の記事では年季の入った木造駅舎はほとんど出てこない。その分、こちらで楽しんでいただきたい

JR東日本の駅では見かける機会が減っている財産票が当駅には残る。ただ残ってはいるが判別不能だ。「昭和」の文字の下に、わざわざ「大正」と手書きされているので、もちろん張られたのは昭和になってからだろうが、張ってから竣工期を書こうとしたものかもしれない。「財産票そのものが財産」のたまにある例だが、開業時からのものだと判断しておこう

分岐駅の歴史と絶景

かつて当駅からは池田鉄道という昭和戦前に12年だけ運行された幻の鉄道が運行されていた。鉄道の来なかった池田町への運行を地元有志が担ったものだが、痕跡はほとんどない。わずかに駅舎側にあるホームらしきものの小さい土台がそうではないか、と推察できるぐらい

池田鉄道については、また別の駅紹介で行う予定だ

駅は現在、安曇野市による簡易委託で窓口は午前中のみの営業となっている。安曇野市は篠ノ井線の駅も含め、各駅で簡易委託を担って頑張っているが、それに応えた形になったのが、2022年春の青春18きっぷのポスターら当駅が選ばれたこと。安曇野市のHPによると、大糸線の駅が18きっぷのポスターに選ばれたのは初めてのことだったという

駅を出たところからホームの駅名標を写そうとしたら

いやいや、これは絶景としか言いようがない。昨日は曇天だったが、今日は晴天で北アルプスの山々が美しすぎるし、ホーム周辺の残雪もいい味付けとなっている

実は当駅は開業時の駅名は「アルプス追分」だった。しかし登山者にとっての最寄りは、お隣の有明駅で、間違って当駅で下車する登山者が多く、わずか4年で現駅名に変更されたという歴史がある。ただこうやって景色を目の当たりにすると、ここはまさにアルプス追分である

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