ダイエー曽根店

開業50年超 日本最古のダイエーを訪ねる~その2 取り壊しは誤情報?

ダイエー曽根店のお好み焼き店

※訪問は2024年10月17日

そもそもの訪問のきっかけは

こちらは衣料品売り場。とにかく最上階を目指す

今回、20数年ぶりに当地を訪れたのは店舗取り壊しの情報が春から流れ続けていたからだ。とくにユーチューブでは訪問記が多数挙げられ、SNSでは「10月から取り壊し」に基づいた情報があふれていた

これは早めにお別れを言いにいかなければならないな、と思いつつなかなかきっかけがなく、時が流れていったが、現地を訪れたX(旧ツイッター)のフォロワーさんから「まだ大丈夫」との声をいただき、この日の訪問となった。確かに当初言われていた10月にとっくに入っているが、ダイエー曽根店のHPは何も変わらず、今週のチラシが入っている

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貴重だった駐車場は今も変わらず

当店が重宝されてきたのは駐車場の存在だ。「そんなあたりまえのことを言うな」との声が聞こえてきそうだが、私が生活のために当店を利用していた90年代、梅田から15分ほどの大都市圏で、万単位の利用者がある駅前のスーパーに駐車場は少なかった。近隣の人が徒歩や、せいぜい自転車で通うものがスーパーマーケットだった

当時、私は服部天神(そのころの駅名は服部)と庄内の間ぐらいのやや服部寄りに住んでいた。最寄りは服部で徒歩10分弱。ただ徒歩圏にスーパーがないのが悩みで、買い物はいつも駐車場のある曽根まで車で出かけていた。この景色は今も変わらない。日常的に都市部のスーパーを車利用している方なら、この光景に違和感を覚えるのではないだろうか

今も人が受付を行うアナログ式なのだ。現在は無人で機械が受付をするシステムがほとんど。この仕組みは少なくとも私の周囲にはない

お好み焼きで一息

6階にやってきた。喫茶店、中華といろいろなお店があり、どこに入るか迷ってしまう。私の記憶にある姿とほとんど変わらない。理髪店はヘアカラーのお店に姿を変えたようだが

迷った末にお好み焼き屋さんに入ることに

関西の人間らしく、お好み焼き定食。美味い

お店の方に建物の取り壊しについて尋ねてみた。と、帰ってきたのは、やや意外な答え

「ここのところ、来られるお客さんにずっと聞かれ続けているのですよ。ただわれわれは何にも聞いていないので」

どちらかというと、その質問は、もうウンザリという風情だった

ことの発端は豊中市の発表

瞬く間にダイエー曽根店取り壊しのニュースとなったのは豊中市の発表による。古い建物の耐震性の診断に当ビルも含まれていて、他の建物の多くが「耐震改修」「実施済み」とある中、当ビルについては「建替え」「令和6年10月着工予定」となっている。つまり10月から取り壊し工事が始まる、ということだ。だが、この記事を書いている時点で工事が始まったという情報は流れていない。それどころかダイエー曽根店のHPでは、おせち料理の受付まで記されている。少なくとも10月から解体工事が始まるというのは誤情報だったことになる。考えてみればお店で働く方々の処遇もあり、店舗の閉店は、それなりの告知があって行われるものだ。私もフライング発進した感はあるが、発表主が豊中市とあっては信じるのも無理はない

ただ、ことは老朽化ではなく耐震性。何らかの処置は必要だというのは想像に難くない。気になるのは

道を挟んだ向かいにスーパーの「KOHYO」が営業していること。曽根駅の高架下にあり新しい。ダイエーと同じく、こちらもイオン傘下の店舗で、こんな近い所で競合しているのは、やや不思議でもある(三宮でも隣同士で営業しているが)

考えてみれば、デパート並に「なんでもそろう」が、全盛期のダイエーの標準店舗だった。6階の飲食店街などは、ショッピングセンターのフードコートに慣れきった今の私たちにとっては、斬新な昭和の姿である

お好み焼き店は12月の予定まですっかり決まっているという。飲食街の雰囲気を味わうだけで貴重な体験だし、フロアに立つと20代、30代前半のころが蘇ってきた。必ず年内にもう一度訪れようと決めて曽根駅へと向かった

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開業50年超 日本最古のダイエーを訪ねる~その1 新入社員を迎えてくれた建物

曽根駅の駅名標

※訪問は2024年10月17日

20数年ぶりに下車

おことわり 今回の記事は10月17日時点での情報です

大阪府豊中市にある阪急宝塚本線の曽根駅で下車。以前はあたりまえのように降りていた駅だが、久しぶり。20年は軽く超えていると思う

2面4線の高架駅で規模は大きい。ただ優等列車の停車は朝の通勤通学帯の梅田行き準急のみで、基本的には普通のみ。4線のホームを持つのは待避用のためだが、昼間については待避線の出番はないダイヤとなっている

私が初めてこの駅で降り立ったのは1986年(昭和61)4月の社会人になりたて。当時は同じく2面4線ながらも地上駅で構内踏切でホームを移動する構造だった。宝塚本線内では蛍池駅も構内踏切だった(今もホームに構内踏切の跡が残っている)が、今にして思うと昼間でも10分間隔で普通と急行が上下で運行される駅で、よくもまぁ構内踏切が設けられていたなぁ、という感じがするが、当時は何も考えずに受け入れていた

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目指すは駅前のダイエー曽根店

今回の目的は駅前のダイエー曽根店訪問である。こちらのダイエーには初めて曽根駅で降りた後、10年以上にわたってお世話になった

6階建てでビル全体がダイエー。こちらも今となっては凄いことで、単なる食料品スーパーではなく、総合ショッピングセンターとなっているダイエー唯一の存在である

そもそもダイエーそのものが全国で姿を消している昨今だが、近畿圏ではまだかなりの店舗が残っていて、特に神戸市内では多くの店舗があり、商品はイオンのものばかりながら、日常的にダイエーを利用している人は多いと思う。ただしいずれもが食料品スーパーにほぼ特化したもので、曽根店のように衣料も扱っています、飲食店のテナントも入っています、というショッピングセンター形式は当店が営業を開始した1971年はダイエーでもよくある形態だったが、徐々に姿を消して今は当店のみ。神戸・三宮店も数年前にスーパー以外はすべて専門店の形式となった。さらに言うと、いつの間にか最古参のダイエーとなっている

買い物、飲食、バス待ち、床屋と用途多数

社会人生活の最初の住居は同じく宝塚本線の庄内だった。その後、服部へと転居する。梅田から見ると庄内は豊中市に入って最初の駅で、以下服部、曽根と続く。理由は当時の会社の最寄り駅が服部だったから。ただ場所は服部駅から徒歩20分と結構な距離で、そのため通勤用のバスを1時間に1本ほどの割合で走らせていた。とはいえ服部の駅前は狭く、バス乗り場は曽根に設けられていた。だから何かと曽根で降りることは多かった。バスは1時間に1本なので早めに行って、6階の飲食店街で食事をしたり、コーヒーを飲んだり。今でも覚えているが、出張から大阪空港に帰ってきて蛍池経由で曽根で降りたものの、バスは行ったばかり。参ったなぁ、と大きい荷物を持ったまま理髪店での時間つぶしとなった

1階は普通にスーパーで

途中に衣料や雑貨のコーナーはあって5階は100円ショップや文具店、眼鏡店などが入居している。私が向かうのは6階の飲食街である

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