※訪問は2026年3月12日(ダイヤは3月14日の変更前のものです)
いよいよ大詰め
日南線の各駅訪問もいよいよ大詰めになってきた。89キロ全27駅(南宮崎駅のぞく)も今回が26駅目。危惧していた悪天候や寝坊(こちらが最も重要)もなく、徒歩の気力もあったため、まだ最終日3日目のお昼前。夕方の飛行機で帰るが、もう大丈夫だろう

曽山寺駅から南宮崎方面へ1駅。運動公園駅で下車。さすがにこの駅名は戦後生まれだ。全国には「運動公園」駅がいくつかある。いずれも自治体によって造られた野球場や陸上競技場、体育館などのスポーツ施設が集まった地区の最寄りとして駅が設置されている
なぜ「運動公園」ができるのかというと、それは国からの補助金が出るからだ。ここ宮崎県の運動公園は1979年の国体に向けてのもの。神戸の地下鉄には総合運動公園駅があるが、こちらはユニバーシアードの主要施設ができたため。運動公園でなくとも、五輪に向けた標準記録を計測できるような陸上競技場は高校総体なども含めた大イベントに合わせて建設されたものが多い。もっとも当初は戦後の復興の意義付けがあった国体も打者一巡した現在は意味付けが変化。開催県が優勝するために公務員を大量に採用しなければならないなどの負担も問題となった(ただし国体をきっかけに居住することとなった他の都道府県出身の選手が、その後指導者となり、優秀な選手、チームを輩出した例は多い)。国民スポーツ大会と名を変え、大会があるからとの理由で大施設ができるようなケースは減っている
日南線で最も新しい駅?

単式ホームを出ると、そのまま外へ。IC乗車の人はリーダーにタッチする。窓口はあるが、これはあくまでも臨時のもので当初から無人駅である。駅の目的からもちろん貨物の扱いはなかった

そして名所案内も何も解説にあるのは運動公園の施設一覧である。総合運動公園として開発された場所は、その後に住宅地が開発されたり、学校を招へいした場所もあるが、当駅周辺にあるのは農地と運動公園である
案内を見て「巨人のキャンプ地のサンマリンスタジアムがない」と思った方もいるかもしれないが、サンマリンスタジアムの最寄りは、お隣の木花駅。木花駅については、最後の訪問駅となったので、その際に紹介するが、現実に巨人のキャンプ見学に訪れた人は、勘違いして当駅から長めの徒歩をすることになる例が多い
ちょっとややこしいが、案内にある「ひむかスタジアム」は2000年まで巨人のキャンプ地で、サンマリンスタジアムの完成によって巨人のキャンプ地もそちらに引っ越した。ただし第2球場として二軍のキャンプ地となっているほか、一軍が使用する場合もあるので、ウロウロしてしまうようだ

駅はいたって簡素な造りだ。開業は1984年(昭和59)。新駅がほとんどない日南線では、貴重な存在で、最も新しい駅ということになるが、正式には違う。というのも利用者が少なく1971年に廃駅となっていた田吉駅が、1996年の宮崎空港線の開業によって復活したからだ。25年もの間、姿を消していた駅なので、開業は1996年ということになる。つまり運動公園駅は2番目に新しい駅となっている
そもそもの設置理由は「運動」ではない

駅を出ると階段の下を走る国道220号を渡ることなく、駅直結のペデストリアンデッキを行けば、そのまま運動公園に入ることができる

ちょっと色あせているが園内マップもある
ただこうして見ると至れり尽くせりのように感じるが、駅ができた理由は、実は「公園」であっても「運動」ではない
運動公園内の主な施設が完成したのは1974年で国体開催は1979年。駅の開業の5年も前だ。国体で多くの人が訪れた時も駅はなかった。ではなぜ駅が設置されたかというと、「宮崎フラワーフェスタ」の会場となっていたからだ
フラワーフェスタの会場が平和台公園から運動公園に移ったのは1981年のこと。春に行われるこのイベントは、毎年国道220号の渋滞を生んだ。この渋滞緩和のために鉄道駅を設けようと開業したのが、ここ運動公園駅である。開業日の3月18日はフラワーフェスタに合わせたもので、当初は臨時駅だったが、1987年のJR移管時に正式駅に昇格した
フラワーフェスタは1995年にこどものくにに場所を移し、2011年を持って歴史に幕を降ろしている。このような駅の平均利用者数はイベントの数やイベントの内容にも左右されるが、巨人のキャンプ地の最寄り駅でなくなったことが響いているのかどうか、現在の1日あたりの利用者数はおそらく40人程度だとみられる。私が訪れた春休み前の平日のお昼前に下車したのは、もちろん私だけだった
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