姫川駅

大糸線の非電化区間を1日4往復補完する増便バスに乗車~その2

南小谷駅の改札

※訪問は2024年9月10日

所要時間は列車と同じ

南小谷は1日1往復ではあるが、特急「あずさ」が新宿からやって来る。所在地は「小谷(おたり)村」で、なかなか初見では読めないが大糸線に乗車していると何度も繰り返しアナウンスされるので1度乗車すると読めるようになる。電車特急の終着駅が「村」というのも、ある意味凄いことだ

列車が到着すると構内に増便バスの案内アナウンスが流れる。青春18きっぷでも乗車できる旨も放送された。この日は2024夏の18きっぷ最終日である

時刻表によると南小谷から糸魚川まで約1時間。これは列車とほぼ変わらない。ただし必ずしも既存の駅前に停車するわけではなく交通新聞社の時刻表にも欄外に「北小谷駅のバス停留所は駅から約750メートル、中土駅のバス停留所は駅から約1200メートル離れています」と記されている。750メートルはギリギリ許容範囲だが、1200メートルはちょっと離れすぎだろう。大糸線の電化区間内は駅間が近い場所がいくつもあるが、おそらくそれよりも長い

定刻より3分ほど遅れてバスがやってきた。私はバスについては詳しくないが、空港のリムジンバスでよく見られる形式である

なにゆえ山中を通るのか

大糸線は松本と糸魚川を結ぶ105キロの路線。歴史をさかのぼると、元々は信濃鉄道という私鉄が松本~信濃大町に敷設したことに始まる。沿線には観光地も多く利用も好調。1916(大正5)に全通すると、わずか9年後には電化を完了させた

と同時に信濃大町から糸魚川に至る旧千国街道は、新潟から信濃に塩を運ぶ古来からの役割に加え、軍事面でも注目されるようになった。有事の輸送はもちろん、山中奥深くにあることが「敵の攻撃を受けにくい」となったのだ。有事に備えた山中の鉄路には現在の天浜線もあてはまるが、計画時はまだまだ航空機ではなく海上からの攻撃の時代。海沿いの線路よりも山中の線路が「いざ」という時に役立つという発想だった。元は鹿児島本線としてスタートした肥薩線も、海沿いルートを走る鹿児島本線に名称を譲りながらも有事の貴重なルートであり続けた

そのような経緯で昭和に入ると国の手によって糸魚川を目指す工事が始まった。1935年(昭和10)には南小谷を越えて中土まで開業。糸魚川からは小滝までが開業した。それぞれが大糸南線、大糸北線と名付けられた。間もなく信濃鉄道も国家買収。通常、両端の駅にちなんだ路線名は、それぞれの駅名から1文字ずつ取るものだが(水郡線のように事実上の始終着駅から1文字取ることもある)、途中駅の信濃大町から「大」の字をとった大糸線という名称は、国鉄が工事に着手した際に決められ、信濃鉄道の買収後もそのままにされたゆえのものである

ただ小滝~中土は冬季の積雪にも見舞われる山中の難工事で、全線開通となったのは戦後10年以上も過ぎた1957年。国防という当初の役割は終わっていた。そもそも人が少ないと分かっていた場所にあえて敷設した路線。戦後に行われた電化工事が南小谷までで終わったこと、国鉄民営化の際に電化、非電化区間で会社が変わったこと。北陸新幹線の開業で大糸線沿線の観光地へは新幹線利用の方が早くなったことなど、マイナス要素が積み重なった

現在、糸魚川から松本までの経路をグーグル先生に尋ねると北陸新幹線を利用した長野経由のコースが案内される。そちらの方が早い。黒部観光の入口となる信濃大町へも長野からのバスルートが優勢である。大糸線105キロのうち非電化区間はわずか35キロしかないが、糸魚川から白馬、信濃大町、安曇野といった観光地へ移動するのは本数も少なく直行列車もない。いわば負の積み重ねとなっているわけだが、今回の増便バスは今夏の青春18きっぷ期間中は、かなりのお客さんを乗せていたと聞く

18きっぷの最終日、1時間のバス旅を始めよう

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グリーンきっぷの2日間~大糸線の1区間でJR西日本完乗のゴールに感動

糸井川駅の大糸線キハ120

2月22日10時10分

最北のキハ120に乗る

今朝までJR西日本の未乗区間だった上越妙高から糸魚川までの1区間を戻り糸魚川で下車

北陸本線は新幹線開業によりえちごトキめき鉄道となりました。新幹線の改札口とえちごトキめき鉄道の改札口は別で1度外に出る必要がありますが、ほぼ並んでいます

これから乗車するのは大糸線。こちらはJRが運行していて糸魚川ではホームを間借りしています。大糸線の表示もありますね

ホームに降りると

切り欠きホームの向こうには既にキハ120が待っています。JR西日本のローカル線に投入されているキハ120は中国地方のイメージが強いかもしれませんが、北陸でも越美北線、高山本線そして大糸線でも走っていて大糸線が最北の運用。こちらに乗ります

やはりJR西日本のフリーきっぷ旅をするからには道中で1度はキハ120に乗らないと

大糸線の駅名標ですがえちごトキめき鉄道仕様ですね

最後の4キロが残ってしまった

2021年の9月に大糸北線の全駅訪問を行ったことは前回の記事で触れましたが、このときに「やらかし」があったのです。そもそものやらかしは私ではないのですが、その時もグリーンきっぷで大阪から金沢→糸魚川と進んで大糸線に乗車。大糸北線はJR西日本の最後の未乗路線として私的にわざわざとっておいた路線で宿も平岩駅近くの姫川温泉に確保して万全の態勢だったのですが、なんと路線トラブルでサンダーバードの始発が大阪駅から出発できないアクシデント。遅延によって金沢での新幹線接続ができず予定していた大糸線に乗れませんでした。旅程の方は急きょ組み直して全駅訪問は果たしたのですが、本数の少ない大糸線を糸魚川の駅で1時間以上ぼんやり待つのも何だし気候も良かったので「プラプラ歩くか」と散歩がてら姫川まで歩いたのです

線路は4キロありますが、外に膨らんでいるので徒歩はショートカットで進めます。実際はグーグルの行程とは異なり市役所まで真っ直ぐ南下してクニャクニャと細い道を歩きましたが難なくたどり着き、2日で全駅訪問を終えて翌日に糸魚川まで戻ったのですが、列車本数の少なさから帰りは根知駅からバスで糸魚川まで戻りました(糸魚川~根知の路線バスはそこそこの本数がある)

ということは、つまり糸魚川~姫川の1区間は乗らずに終わったわけです

気付いたのは帰宅してから。とはいえ簡単に行ける場所ではないので、ずっと機会を伺い、今回のきっぷが出たのを機に糸魚川~上越妙高とともに訪問することにしました。ですから前日の鳥取県では寒さにヘタレて現地で予定変更しましたが、ここだけは、たとえ吹雪であろうと新幹線と列車が動く限りは決行です

ただ問題は環境で姫川はホームだけの棒状駅で寒さをしのぐ場所がないことは前回の訪問で分かっています。ならば、もう1駅先の頸城大野まで行こう。ここなら駅舎がある。2区間進んでも完乗ですから

選んで良かった

10時31分発の列車はトコトコ進んでいきます

もちろん単行のワンマン運転。南小谷までがJR西日本区間ですべて無人駅。車内は20人ほどのお客さんが乗っていました

姫川を過ぎて無事に全乗ミッション完了。後はウイニングランのようなものですが車窓が急に変わりました

一面の銀世界。ちょっと驚きました。姫川では少し残っている程度だったのですが姫川~頸城大野のたった1・8キロでこんなに変わるとは

ホームに降りた時に「ワーッ」と声が出そうになりました。列車の有効部分だけ、きれいに除雪している姿もいいし

ホームからの眺めも最高

駅舎の姿も美しい

駅舎左手には駐車場ですが車の出入りした形跡はなく、というかもう入れません

右手の駐輪場では手押しで進んだ激戦の跡があります。ちなみに姫川で老夫婦の2人が降り、頸城大野で降りたのは私一人

大糸北線の各駅で見られる書体の駅名板

駅舎内。ただ幸運なことに無風で全く寒くはありません

時刻表。私が降りたのは10時39分の南小谷行きで54分の糸魚川行きに乗るため、わずか15分の滞在。寒さも考慮して短いで済むようにしたのですが、こうも暖かいともっといたかったなぁ、と相変わらず勝手なことを考える(笑)

2人のお客さんがやってきました。糸魚川へ向かうようです

駅名標をしっかり撮って撤退することにします。それにしても大分北線は優等列車どころか快速も走っていないのに私の乗車は必ずグリーンきっぷという路線になっています

この風景を見られたのですから、今にして思うと未乗区間になっていて良かった

松本と糸魚川から少しずつ進んできた大糸線。元々は国防ラインとして計画されましたが大糸北線の中土~小滝がつながって全通したのは戦後の1957年です

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