IGRいわて銀河鉄道

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その20(長閑な1時間待ち)

小鳥谷駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

迷った末に

奥中山高原駅から少し八戸方面へと戻る。まだ時計は11時と午前中だ。といっても6時過ぎに青森駅を出ているのですでに6時間が経過しているが

乗車したのは一昨日に乗車した金田一温泉駅行き。つまりは青森県には入らない。今回の旅でひとつ目標にしていたのは、青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道の境界駅である目時駅だった。ギリギリ青森県にある駅で、そのため境界駅となっているが、山中の県境で利用者は少ない無人駅。ただし八戸から南下する列車は以前も記した通り、半数が目時のひとつ手前の三戸止まりで、盛岡から北上する列車にもこのようにひとつ手前の金田一温泉駅止まりがあったりして、私の訪れた時間帯は運行が少ない時間帯となっている。つまりは会社のルール上、境界駅となっているだけで「目時行き」という列車は存在しない。JRの東北本線として存続していれば脚光を浴びることはなかったのかもしれないが、料金表などで必ず登場する駅となった

ただ本数の事情などで今回は断念。ということで

小鳥谷(こずや)駅で降りてみることにした。難読に興味を持ったフラリ下車である

旧村名に基づく

駅舎は木造。財産票を探してみたが見当たらず、築年数は分からなかった。分かっているのは1891年(明治24)開業で奥中山高原駅と同年齢だということ。トタン屋根は手が入っているが、柱の形状などは、かなり歴史を感じるものとなっている

駅名は1957年(昭和32)まで存在した小鳥谷村から。一戸町との合併当時、小鳥谷村は奥中山高原駅(当時は中山駅)、小繋駅の3駅を含む自治体だった。そもそもの話をすると明治の町村制施行の際までは、小鳥谷村、中山村、小繋村と、それぞれ別々の村だった。町村制施行は1889年と鉄道がやって来る直前だったので、駅ができた時はすでに小鳥谷村だったことになる

ここで折り返しの盛岡行き列車を1時間待つことになった。ただいわて沼宮内から北は、昼間は2時間に1本の運行なので、真っ直ぐ進むと、どの駅でも2時間待ちになってしまうので1時間待ちは覚悟の上だ

小鳥谷という地名は室町時代の武将で、その後に当地を支配した小鳥谷氏に基づくとされる。地名として定着したのは江戸時代から

有人駅である。周囲に飲食店はなさそうな感じなので、駅舎と周辺で朝のコンビニおにぎりの残りを食べながら過ごす。涼しい風が通り抜けて快適だ

駅から徒歩10分ほどに国の天然記念物である樹齢数百年とされる藤島のフジがある

こちらは解説文

時間つぶしに最適(?)

なクイズもある。当然そんなつもりはなく設置されたのだろうが、JR東日本の文字が残る。目を凝らすと解答が分かるようになっているのが結果的にミソとなっている

この日は休みだったが、駅舎は物販や休憩所として使用されることもあるようだ

2面3線構造。早朝に当駅始発の県境をまたぐ八戸行きが設定されている。1時間はあっという間に過ぎ、盛岡へと戻ることにする

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その19(誤記?で生まれた駅名)

奥中山高原駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

伝説の駅名物語

奥中山高原駅に到着

当駅は1891年(明治24)の開業と130歳を超える長い歴史を持つ。当時の駅名は中山。日本鉄道という東北本線などを敷いた民間会社だったが、しばらくして国有化され、大正に入り、国鉄内にある同名の駅名を変更する動きが全国で行われた際に、当駅も横浜線の中山駅と区別しようということになった。駅の歴史は岩手県の駅が古いが、国名を入れる対象は古い方となり「陸奥中山」に変更することが決定。ただ書類提出の際に「陸」の文字を入れ忘れてしまったところ、書類そのままが受理されたため「奥中山」という駅名になった伝説が残る

その過程で誰も気付かなかったのか、後から指摘はなかったのか、とツッコミを入れたくなるところだが、とにかく1915年(大正4)以来、ずっと変わらず「奥中山駅」として存在し続けている。「高原」が付いたのは三セク転換から

ただ駅名というのは強さを発揮するもので

奥中山はすっかり地名となっている

学校名や郵便局、店舗も含め奥中山である

東北本線の最高標高

駅舎は昭和に入ってからものとされる。木造駅舎にトタン屋根という北国らしい構えで丘の上に建つ形となっている

当駅にはもうひとつの顔があり、標高427メートルと旧東北本線では最も高い場所にあった駅だった。駅の北側で十三本木峠という最も高い地点に到達。旧東北本線と並行する国道4号の最高標高でもあり、古くから交通の難所だった。後に建設された東北自動車道はこの峠を避けて建設されたほどだ

そのためSL時代は峠を越えるため、最大で3両もの機関車が連結されていた

SLの運行があった1960年代までは鉄道写真のメッカとして知られていて駅舎内には当時の写真が飾られている。ちなみに国鉄ではこの峠を奥中山峠と呼んでいた

ワンちゃん駅長

その写真と並び、かつての名誉駅長の写真も飾られている。近年、当駅を有名にしたのはこちらである

当駅の駅員さんが飼っていたことで幼いころからともに「出勤」。利用客のアイドルになり、やがて名誉駅長となりニュースでも取り上げられた。ついこの間のことだと思っていたが、天国に旅立ったのは2009年。もうそんなになるのか、と思う

有人駅で1日の利用者は287人。十三本木峠の最高地点の手前ということで大きめの集落があり、前後の駅に比べると利用者はかなり多い

構造は2面3線。現在は柵に遮られているが、長大列車の待避もあった名残でホーム有効長は長い。中間線も設けられていたようだ。山中の駅だけあって「奥中山」と言われても違和感は感じない。間違いが「陸中山」だったら、さすがに気付いたか。滞在中に少し雨が降ったこともあってか、東北本線最高地点の駅は涼しく、寒いとまではいかなかったが汗もかかない良い季候だった

もう少し沿線の駅を巡ってみることにする

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その18(意地の列車乗り継ぎ)

八戸駅の駅名標

※訪問は2024年7月5日

ここまで来れば…

昨日以来の八戸駅に到着。青いラインが青い森鉄道、緑のラインがJR東日本の八戸線。私の好きなタイプのJR東日本で見られる分かりやすい駅名標

小湊から八戸までは約1時間。ここで大きな決断を迫られる。この電車は9時26分に八戸へ到着し、9時30分発の盛岡行きに接続する。お手洗いの時間も危ない(列車内にお手洗いはある)絶妙すぎる乗り継ぎ時間だが、その次の盛岡行きは、なんと4時間後の13時35分。八戸以南の列車の半数は青森県内で完結する三戸行きで県境そして会社を越える運行は少ない。朝の通勤通学帯を過ぎると、お昼休みに入ってしまうのはローカル線の特徴だが4時間空きは辛い。八戸~青森の青い森鉄道は1時間に1本あるので、この時間帯を利用して青い森鉄道の各駅を巡りつつ、4時間を待つあるいは八戸で宿泊する作戦もあるが、今日も明日も好天とはいえ、今日は最終宿泊日。明日は花巻空港からの飛行機を確保しているので、鉄道と天候だけは何があるか分からないというのが、鉄オタ生活で得た、ある意味唯一の教訓である。日本の鉄道会社というのは、まず新幹線だけは何とか頑張って走らせようとして(その分、施設の備えは万全だ)、次が特急がバンバン走る在来線、その次が利用者の多い在来線ときて、すぐに止まってしまうのがローカル線である。特に戦前からの路盤をそのまま利用しているローカル路線はもろい。その意味では旧東北本線の三セクは、路盤的には力強いものを持っているはずだが、とにかく今夜は盛岡までは到達しておくことが無難だろう

ということで車内の1時間で相当悩む。ひとつ簡単な解決策があって、それは八戸から二戸まで1区間、新幹線に乗車することだ。ここは1時間に1本の運行がある。何なら青い森鉄道を満喫して夜の新幹線で盛岡までダイレクトに向かうという最終手段もある。旅の初日や2日目なら2000円~3000円を課金して、1区間の新幹線乗車を選択をしただろう(結局乗らなかったので詳しい料金は分かりません)。北海道&東日本パスでしかできない三セク内乗り放題の特権を使えば、料金的にかなり元はとれる。ただもう旅の最終盤。品川からグリーン課金もせず、トコトコ多くの列車に乗ってきたのだ。ここは意地でも別料金の課金はなく終わりたい

目指すは岩手県内の駅

ということで9時30分の盛岡行きに乗車

ということで盛岡行きのホームへと急ぐ。右側のラッピング列車が乗車するIGRいわて銀河鉄道。左側が八戸線の久慈行き。ここで初めて知ったのだが、久慈行きは9時29分発で乗車列車は八戸線にも接続していた。ちなみに右側で見切れてしまっているが、これは9時33分発の大湊線直通の快速「しもきた」である。来た方向を戻る列車にはなるが、どれも魅力的ではある

しかし、ここは真っ直ぐ南下である。岩手県内にもうひとつ、どうしても行きたい駅があるので、そこを目指す。ちょうど1時間かけて

お目当ての駅である奥中山高原駅に到着した

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その14(青森で宿確保に苦戦)

八戸駅の駅名標

※訪問は2024年7月4日

主役の座を譲った駅

県境を越える列車の空白があるため、金田一温泉から一戸へいったん戻る。規模の大きな駅は東北本線時代は交通の要衝の座にあった

特急の停車駅で機関区も設けられた。SL時代は給水のため、列車が必ず一休みする場所でもあった。東北新幹線の八戸延伸の際に東北本線は三セクかされたが、新幹線駅がお隣の二戸となったことで鉄道駅としての地域の顔は二戸に譲ることになった

大きな構内と今は使われない長大ホームが往時を伝える

そして岩手県とはいったんお別れ、次の列車でいよいよ青森県へと入る

大湊線には18きっぷの特例あり

八戸へと到着。すでに青い森鉄道に入っている。青い森鉄道は青森県最初の駅となる目時から青森までの旧東北本線を引き継いだ路線だが、運行は必ず八戸で分断される。これはJR時代からの運行の形式で三セク転換されても、パターンは踏襲されている。そして八戸駅の乗り継ぎがあまりにも絶妙で、わずか5分。しかも次の列車は1時間後。ちょっと悩みながらも先へと向かう列車へと乗り換えた

悩みというのは、この時間になっても宿のメドも立っていないこと。最終的には青森までは必ず行くことにしているのだが、できれば途中のどこかで宿を確保したい。青森で宿泊すると夕方以降に到着して飲んで、翌朝早い時間に宿を出て終わりという行動になってしまうので、できればお昼の時間帯に到着して駅周辺を味わってからUターンというのが旅程的には好ましい。しかも、おそらくだが、県庁所在地の宿は高いのである

となると、都市は限られていて、最初の候補はここ八戸。以前も紹介したが、八戸の中心地は八戸駅ではなく本八戸でホテルの数も圧倒的

こちらは八戸から2駅。予約サイトを見ると、本八戸まで行けば安価に泊まれる。ただ本八戸駅の場所は繁華街から徒歩10分ほどの場所にあり、ちょっと遠い。八戸駅行きのバスは繁華街の真ん中を通るが、せっかく乗り放題のパスを持っているのにバス代を払うのはしゃくだ。そもそも朝が早いことは確定しているのだから、2駅分で行動を制限されるのはあまり好ましくない

ということで夜はチェーン店居酒屋が中心とはなるが、別に八戸駅近くにも問題ないだろう。複数のホテルチェーンが進出しているし、久しぶりに八食センターにでも行ってみようか、などと考えていたが、ちょっと今回の旅の基準からはかけ離れた高さだ(初日の東京は別として7000円を上限に考えていた)

ということで沿線の次の候補地として考えていた三沢に向かうことにする

ここで少し話はそれるが、八戸からは青い森鉄道の線路を使用するJRの大湊線が出ている。野辺地で分岐して大湊へ向かう路線は東北新幹線が新青森まで延伸された際、自社路線と一切接続しない飛び地路線となったことで有名になったが(現在は七尾線も加わっている)、前記事でも触れたIGRいわて銀河鉄道の線路を使用する花輪線とは異なり、青春18きっぷでも通行できる特例が設けられている(青い森鉄道内では途中下車不可)ので今の季節は安心して下北半島を目指してほしい

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その13(青森との県境まで来た)

金田一温泉駅の駅名標

※訪問は2024年7月4日

青春18きっぷでは通れません

優先順位1位の渋民駅訪問を終えた後は盛岡方面へと少し戻る。前記事でも触れたが、渋民のひとつ盛岡寄りとなる滝沢までは、昼間も1時間に2本の運行があるからだ

盛岡から二つ目の厨川駅は開業時の1918年(大正7)からの駅舎が残る

この駅に来たのは、駅舎が魅力的なことがもちろん第一義だが時刻表を見て

気動車に乗れると思ったから。IGRいわて銀河鉄道にはJRの列車も走っている。好摩駅で分岐する花輪線が乗り入れているためで、花輪線の列車は盛岡駅でも基本的にはIGRいわて銀河鉄道のホームから出発する

ということで、お隣の滝沢までJR東日本の非電化区間の王者であるキハ110に乗車。この時点では今回の旅では最初で最後となる気動車乗車のつもりだったので「記念」の感覚が強かった

さてIGRいわて銀河鉄道を介しての花輪線だが、ここに特例は存在しない。北陸新幹線の開業によって三セク転換された旧北陸本線沿線では途中駅から分岐するJR線に乗車の際、途中下車しない限りは青春18きっぷで乗車できる特例がいくつか設けられているが、花輪線にはない。盛岡から好摩を経て花輪線の各駅に向かう場合、途中下車せず乗り通してもこの区間の料金660円が必要となるので注意が必要。もっとも私が持っている北海道&東日本パスでは、どこをどう乗ろうと乗りたい放題、降りたい放題だ

そのキハ110には多くの学生さんが乗っていて滝沢駅でドッと降りる。車内は一気に人がいなくなった。盛岡~滝沢の1時間に2本の運行には花輪線の列車も器用に組み込まれている

滝沢駅のある滝沢市は10年前までは「5万人を抱える日本で最も人口の多い村」として知られていた。盛岡のベッドタウンとして住宅が増え、岩手県立大学か開校したことによって人口が急増。今は当駅折り返しも設定されている。サブ駅名は「学園の杜」。一番目立つところにある広告が、それを物語っている

青森県はすぐそこ

滝沢からは一気に北上。というか、この先のいわて沼宮内を過ぎると本数が大きく減るので選択肢も限られてくる

いわて沼宮内の通過時は昨年3月を思い出した

東北新幹線の全駅巡りの途中で当駅で降り立ち、盛岡までは新幹線のダイヤが薄いためIGRいわて銀河鉄道に乗車したのだが、目の前で雪が積もっていく吹雪に遭遇。ホームで震え上がった。今日の景色は車内のお客さんの服装も含め、全く別の世界である

1時間揺られて到着したのは金田一温泉駅

文字通り、金田一温泉の最寄りでバスで約5分と近い。読みは「きんたいち」なのが留意点。金田一駅として1909年(明治42)に開業したので歴史は古い。JR移管のタイミングで現在の駅名に変更された。江戸時代にはすでに温泉地として名をはせていた

座敷わらしの里にもなっていて

その解説がこちら。IGRいわて銀河鉄道の各駅にはミニ解説が設置されていて読むと楽しい

当駅まで来たのは、IGRいわて銀河鉄道で北上すると岩手県最後の駅となるからだ。次の目時は青い森鉄道との境界駅で共同使用駅となっているが、所在地は青森県。岩手県は47都道府県で北海道に次ぐ広さを誇る。つまり県の面積は日本一。昨日、宮城県から岩手県に入り、東北本線と旧東北本線を北上してきたが岩手県は広いと実感した

そして当駅訪問のもうひとつの理由。それは乗車電車が当駅止まりだったため。行こうにも行けないのである

こちらが時刻表。上り下りとも11往復。昼間は2時間に1本の運行となっていて私は11時31分に当駅着。青森県に入るためには1時間20分後まで待たなければならない。乗車電車は12時発の盛岡行きとなって折り返す。さすがに12時50分までは待っていられないので、折り返し電車でもう少しだけ岩手県にとどまることにした

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その12(一直線に啄木の故郷へ)

渋民駅の駅名標

※訪問は2024年7月4日

盛岡駅で痛恨のホーム間違い

朝の盛岡駅で

蕎麦と卵かけご飯の朝食。駅の立ち食いそばのお店でよくお世話になるこの朝食セットは関西も岩手県も共通のようだ。満員電車で50分立ち放しの疲れもこれで癒やされた。そしていよいよ北海道&東日本パスの特性を思い切り生かすべくIGRいわて銀河鉄道に乗車する。旧東北本線の盛岡~青森が三セク転換されたIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道にも乗降自由なのが、このきっぷの最大のストロングポイントで青春18きっぷでは乗降できない区間でできるだけ乗って降りてみようというのが、今回の旅の主目的。ここまで来るのに2日以上要したが、自分の漠然とした予定では順調な方だ

と思っていたら、ここで痛恨のミス。IGRいわて銀河鉄道は盛岡駅の専用ホームから発車する。ここにはJRとは全く別の改札があり、IGRいわて銀河鉄道と途中の好摩駅まで同線を走るJRの花輪線車両はこのホームから出発する

ただし、これには例外があり、朝のラッシュ時に限っては、わずかながら東北本線との相互乗り入れが行われていて、この列車はJRのホームから出発する。私が乗車しようとしたのは、その例外の列車で、そばのお店もそちらの改札に近い方にある。計画は完璧であった…はずだが、これが全くの勘違いで乗ろうとしていた電車は従来の専用ホーム発だったのだ。要は深く考えずに専用ホームへ向かっていれば乗れたという、何ともなオチ

IGRいわて銀河鉄道の専用改札は階段を降りたところにあって、かなり離れているので、もう間に合わない

ということで駅ビルのカフェで時間をつぶして

今度こそ専用改札へ

青い森鉄道の車両による同線の八戸まで直通する電車に乗り込む。目的は渋民駅である

まずは何も考えずに訪問

この八戸行きは実は貴重な乗り物で、いわて銀河鉄道のダイヤを見ると盛岡から滝沢までは昼間も30分に1本の運行が保証されていて、滝沢から東北新幹線の駅でもあるいわて沼宮内までは1時間に1本、そこから先の県境部分に入っていくと、さらに厳しくなって2時間に1本ぐらいの運行になってしまう。今から行く渋民駅は滝沢のひとつ向こうで、1時間に1本ヘッドの場所にある。とにかく、ここには必ず行くと決めていたので真っ直ぐ渋民を目指す

約20分で渋民駅に到着。国鉄時代からの木造駅舎が残る

「啄木のふるさと」とサブ駅名が付いている

渋民村(現在は盛岡市)は歌人の石川啄木の出身地として知られる。跨線橋には啄木の歌が並べられ

駅の外にも啄木。石川啄木記念館までは徒歩で30分(現在は工事で休館中)だが、啄木の息吹を感じようと全国から啄木ファンが訪れるという

もっとも26歳という若さで大正期にこの世を去った啄木は、この駅のことを知らない。当駅は戦時中の輸送力強化の際に信号場として開設。旅客駅となったのは戦後の1950年(昭和25)。啄木が利用していた駅は好摩駅だとされる

石川啄木の女性関係や金銭感覚は、もし今の時代に生きていたら世の中に出ることすらかなわなかったものかもしれないが、それでも生活した各地で詠んだ歌は広く愛されている。有名な上野駅の石碑をはじめ、函館や釧路の町を歩いていても、ばったり啄木に出会うのは、そういうことだろう

とにかく目的のひとつは達成したので、この後はゆるりと北上することにする

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新幹線単独駅巡り再び~日本に5つの自治体

いわて沼宮内駅のIGRいわて銀河鉄道の駅名標

※新幹線単独駅ではありませんが初訪問なので記事に加えます

2023年3月2日15時50分

「いわて」の付いた由来

盛岡で乗り継ぎに余裕があったので一度駅前のホテルにチェックインしてから再び駅へと戻り、再び新幹線に乗車。いわて沼宮内に到着です

東北本線時代は沼宮内という名前で2002年に東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸された際に駅名変更となりました

3階建ての立派な駅舎はその時に完成しました。岩手広域交流センターにの中に駅が設けられている形になっていて駅の中の人は多い

「いわて」の名前ですが、一見すると「岩手県」を想像してしまうかもしれませんが、ちょっと違う

駅前の像で分かる通り、ホッケーに力を入れている岩手町の「いわて」。当駅が岩手町の代表駅であることを分かりやすくするため「いわて」の3文字が入りました

駅前の岩手町の案内図。都道府県名と同じ市町村名でありながら県庁所在地でないという自治体は日本に5つあって、そのひとつ。他は茨城町、栃木市、山梨市、沖縄市です。ちなみにメディアには「県庁所在地を報じる時は県名は略する」というルールがありました。つまり盛岡市での出来事を報じる時は「盛岡市で行われた○○」、岩手町での出来事を報じる時は「岩手県岩手町で行われた○○」と表記されるわけです

JR東日本の新幹線駅で最小

こちらは新幹線の改札口。随分コンパクトですが新幹線駅の利用者はコロナ前でも1日に150人程度でJR東日本の新幹線駅では最小の利用者

これは到着時のホームの案内表示ですが、次の列車が2時間後、その次も2時間後

駅の時刻表を見ると2時間に1本の停車で、始発も遅め。東京へもっと早い時間に行きたい場合は、IGRいわて銀河鉄道に乗って向かうことになります。このあたりは本数が少ないから利用者が少ないのか、利用者が少ないから本数が少ないのか微妙なところですが、IGRいわて銀河鉄道でも30分で盛岡まで行けてしまう近さも本数の少ない理由のひとつになっていると思われます

急な吹雪で厳寒に

私も盛岡に戻りますが、新幹線を待つよりIGRいわて銀河鉄道の方が早いので、そちらに乗車することにします。話の順序が遅くなってしまいましたが、盛岡以北の東北新幹線は整備新幹線となるため、並行する在来線は新幹線開業時に三セク化されています

こちらはIGRいわて銀河鉄道の改札口。今回利用しているきっぷは同線にも乗車できます

こちらはIGRいわて銀河鉄道の駅名標。背後に新幹線の高架。しっかりホッケーが描かれています

ここで偶然にも貨物列車がやってきました

貨物列車が見られるのは三セク乗車の楽しみですが、白石蔵王から少しずつ北上してきた今回の旅で初めて見た光景があります。それは雪に覆われたホーム。同じ岩手県でも一関や水沢あたりでは雪は全く見なかったのですが随分と異なる光景。そのうち横殴りの猛烈な雪が降り始め、私はホームで震え上がっていました。思えば10日ほど前に米子で猛烈な寒さに出会い、その後「随分と暖かくなったなぁ」と感じていたのですが、その考えは大いに甘かったようです

写真では分かりにくいかもしれませんが、激しい雪の中やってきた電車にありがたく乗ることにしました

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