小浜線tabiwaパス

125系の旅再開6月の小浜線を行く~九州で得たホテルの知恵を生かす

※訪問は2025年6月24日

なぜか一時帰還

朝の7時過ぎに東美浜駅にいた私だが、それから40分ほどが経ったころ

なぜか敦賀駅前のホテルでモリモリと朝食を摂っていた

小浜線の時刻表が理由にある

こちらは敦賀駅の時刻表。6時16分の東舞鶴行きに乗車した私だが、この日は平日。6時49分、7時49分の列車の後は11時18分まで列車がないのだ。3時間半の空白。さらに言うと、その次も2時間の空白がある。朝の通勤通学時間帯を終えるとお昼まで運行がなく、その後も夕方ぐらいまで運行がないという、過去何度も紹介したローカル線の運行パターン。夕方前になると1時間に1本程度の運行があるのが特徴だが、沿線の学校の帰宅時間を考慮していると思われる

幸いにして3月の訪問時に京都府に近い側の各駅訪問はほぼ終えているので、今回は小浜~敦賀の各駅が対象となっているので、ゆっくりしていても何とかなる。またこちらも偶然ながら、泊まったホテルが11時チェックアウトだったので、後は部屋で休憩だ

この「早朝に駅巡り」からの「ホテルに戻っての朝食」は、日豊本線の佐伯~延岡の宗太郎越え前後区間で佐伯や延岡のホテルで利用させてもらった手段で、なかなか役に立っている

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ほとんどお昼前

ということで11時に敦賀駅へと向かい

小浜線ホームからあらためて125系に乗車

30分少しかけて

藤井駅に到着。当駅は1961年(昭和36)の開業。前記事で紹介した東美浜駅と8月1日の同日開業だ。当時の所在地は三方町で現在は若狭町。こちらも東美浜駅の記事で触れたが、この年に無煙化した小浜線は駅を増やすことが可能になった。ただし新駅の多くは貨物や手荷物の扱いはなく旅客営業のみの扱い

ということで最初から駅舎のない棒状ホームと待合所のみの簡素な構造

周辺には農地が広がり、その中に単式ホームが溶け込んでいる

6月とあって、ホームへの入口にあるアジサイの花がきれいだった

目を見張る待合所で感じた予感

ホーム中ほどの待合所に入ってみると

ここは目を見張る世界。周辺の森なのか猛禽類が主人公の絵が描かれている。ツバメやカモの姿もある

「みかたの自然が好きです」と書かれている。小学校の卒業記念の作品なのだろうか。平成8年とあるから1996年で30年前の作品。書いた生徒さんはもう40歳を超えていることになる

と、ここで過去にも体験した予感が脳裏をよぎる

小学校はどこにあるのかと調べていくと学校のHPへとたどり着き、そこには

明倫小学校は令和4年3月31日をもって閉校となり、三方小学校と統合しました

と記されていた。私が訪問する3年前のことのようだ。学校HPによると創立は1873年の明治6年と日本で初めて鉄道が走った時からと、ほぼ同じ歴史を持つ学校で、駅から約500メートルの場所にあり、約150年もの間、地元の子供たちを受け入れる場所だった

こういう時はいつも「学校があるうちに来たかった」と思ってしまう

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125系の旅再開6月の小浜線を行く~待合所でアニメの聖地という事実に気づく

※訪問は2025年6月24日

棒状ホーム+待合所

東美浜駅にやって来た。当駅から敦賀市を離れて美浜町に入るが、ご覧のように単式ホームに待合所があるだけの簡素な構造。ホームの逆側では田んぼの緑が映えている

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ふと目についたもの

電車が去った後がこちら。周囲に何があるかと聞かれると、特に何もない。開業は1961年(昭和36)。小浜線は1922年(大正11)に全線開業したが、無煙化は1961年。蒸気機関車に比べて停車と加速が容易になり、この年から新駅が続々と誕生。3年間で7つもの駅が新規開業した。小浜線は両端の敦賀と東舞鶴をのぞくと駅数は22だが、3分の1近い駅がこの間に設置されたことになる。そしてそれら新駅の形状は、ほとんどが東美浜駅と同様の簡素な構造だ

集落の合間に駅を設置したイメージで2023年度の1日あたりの利用者数は64人で22駅中19位と、かなり下の方にいるが、周辺を見渡すと納得もいく

ホームの中央部にある待合所に入ってみると駅ノートが置いてあったのだが

それがこちら。以前も記したが、私はアニメのことは全く分からない。いつも「○○らしい」で終わるだけ。昨年訪れた弘南鉄道でも同様のことがあった。ただこの駅ノートを見て、この駅がアニメファンの聖地巡礼のひとつであることは分かる

細かい部分も克明に描かれる

駅は柱の上にコンクリートを載せただけのもの

ホームへは階段またはスロープでも入れるようになっている

舞台となったのは「中二病でも恋がしたい!」というアニメで「東浜見駅」として登場するらしい

あまり掘り下げていくとボロが出るので、簡単にしておくが、アニメでは125系の車内が克明に描かれ

駅前に設置されたお手洗いも、このままの形でしっかり登場するという。小浜線の本数が少ないため(鉄オタ的にはこのぐらいなら標準仕様だが、鉄道に興味のない都会の方からするとかなり少なく感じそうだ)、当駅までたどり着くのに、かなり苦労された方もいらっしゃるようだが、到達の喜びは鉄オタも同じである

さて時間はまだ7時過ぎだが、朝の通勤通学時間が終わると、なかなか列車がやって来ない小浜線は、そろそろ閑散アラートが鳴り始めている。ここは私もアラート前に次の行動に移ろう。実はホテルはチェックアウトしておらず、まだ部屋に荷物は置き放しである

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125系の旅再開6月の小浜線を行く~かつては軍の村として栄えた駅

※訪問は2025年6月24日

敦賀駅から2駅目の粟野駅に到着。到着といってもまだ6時半にもなっていないし、誰も降りない(そもそも数人しか乗っていない)し、誰も乗って来ない。ただ自治体的なことを言うと、敦賀市はここまで。隣の東美浜駅は美浜町となっている

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かつては粟野村

開業は1917年(大正6)。小浜線が敦賀~十村で産声を上げた時に設置された。他の駅は河原市(現美浜駅)、美方、十村しかなく。この間にある他の駅はすべて戦後の開業である。つまり小浜線の1期生。当時は粟野村に所在した(1955年から敦賀市)。村名は中世に付近が粟生野(あわうの)郷と呼ばれていたことに由来する。古代には「粟」が付く地名は全国で見られ、古代に重要な農作物であった

小浜線が開業したころは小さな自治体がいくつもある時代だったが、ここには当然のように駅が設置された

その理由として徒歩20分弱のところにある国立病院機構敦賀医療センターを挙げなければならない

かつてこの場所には日本陸軍の兵舎があった。地図を見れば分かるが、付近は川に挟まれた場所で度々水害に見舞われるため、農地には適さない原野だった。先日まで記していた豊橋鉄道渥美線の沿線も原野に陸軍の施設ができたから始まったものだったが、この地域も同様の環境にあった。何もない原野に陸軍の施設を造ることになったため、川の改修工事が行われて安全度が増した。現在、医療センターの一帯が住宅地になっているのは、軍の施設のために河川工事が施されたことにも起因する

駅は島式の1面2線。側線跡も残る

構内踏切を渡り、かつて側線があったと思われる場所の向こうに駅舎がある

電化時に建て直し

駅舎は見るからに新しいもの

駅舎は交流施設ということになっていて2004年(平成4)からのもの。小浜線はその前年に電化された。粟野駅には変電所が設置され、駅舎も改築となった。リニューアルというより、古い駅舎を解体しての新築だ

当駅はJR移管後も有人駅だったが、間もなく無人化。交流施設らしく広いスペースを持っているが、無人駅を前提に造られている。豪雪地帯だけに大きな待合室はポイントが高い

解体されたかつての駅舎は開業以来のもので、多くの兵士が利用していたことを思われるもっと大きなものだった

駅は高台にあり、駅舎を出るとスロープ。「すべり止め用剤」の文字が豪雪地帯を感じさせる。駅の場所は街の中心部から離れているが、すでに存在した陸軍の施設のために駅は必須だったのだろう

30分ほど駅にいると人が集まってきた。7時ともなると学校へと向かい始める時間。というか、これは6時59分発の列車で次は1時間後の7時59分。学校の場所によっては、間に合わない時間となる。駅まで高校生が家族に送ってもらう地方で必ず見かける光景。3月に当地を訪問した時は春休み中で、それでも高校生ばかりだったが、今回は6月の平日。この後もほとんど高校生とともに列車に揺られることになる

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125系の旅再開6月の小浜線を行く~早朝から幻の列車の表示を眺めて活動開始

※訪問は2025年6月24日

これがウワサの爆走快速か

一夜明けて6時前の敦賀駅。夜はかなりの雨が降っていた。天気予報は決して良くないが、なんとか踏みとどまってくれることを祈ろう

敦賀駅の改札口。まず目を引くのが「臨時」とだけ記された米原行き。これは今や伝説となった米原~敦賀を1日1往復設定されたノンストップ快速である。朝は6時31分に敦賀を出て、途中長浜も通過してノンストップで7時8分に米原に到着。夜は22時48分に米原を出て23時20分に敦賀着。運行時刻で分かるように地元の人でないと敦賀に宿泊しないと乗ることができない

2024年3月に敦賀延伸を果たした北陸新幹線との接続が図れないため消滅した特急が、東海道新幹線との接続を行っていたために、その代替として運行されるようになった、臨時の肩書きが付きながら毎日運行されていた快速。しかし表示には快速の文字はなく、臨時の文字があるだけ。間違って乗車して「お~い、どこにも停まらないぞ」という苦情が出たかどうかは分からない(アナウンスはしつこくされるだろうが)が、この無機質な表示にはちょっと感動した

時間に余裕があるのなら乗ってみたいが、あいにく今日1日で小浜線の残り駅をすべて回収するという任務があるので、さすがにパス。と考えていたら、今春のダイヤ変更で消滅してしまった。その意味でわずか2年で廃止となった、なかなか現代では見かけることのない幻の快速だが、あくまで臨時としてきたのは利用が少なければ廃止するという実験的だったものかもしれない

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始発の125系はガランと

それにしてもこの発車案内、新幹線が偉い扱いを受けているのはよく分かる。今や米原~敦賀が残るのみとなった北陸本線も湖西線に分岐する列車も含め別枠。ここまでは理解できるが、ハピラインふくいと小浜線は別会社であるにもかかわらず、同じ枠に押し込められている。思わず小浜線を探してしまった。このあたり、うがった見方をすると、いつ小浜線がなくなってもいいように備えているのでは、と思ってしまう

ただその一方で、小浜線のホームに向かおうとすると路線の歴史が分かりやすくひとつのパネルに収められている。どのタイミングで100周年が来たのかも一目瞭然

そしてホームには東舞鶴行きの125系がスタンバイ。というか今、着いたばかりで早朝からの部活動があるのか、高校生が降りてきた

さすがに6時過ぎの時点では、まだ沿線にある学校に通う高校生の姿は少なく車内はガランとしているが、せっかく前乗りした小浜線は朝に頑張らないと、わざわざホテル代を払った意味がなくなってしまう。これでも私の計画によると最後の駅にたどり着くのは、1年で最も日が長いこの時期でも日没寸前になる。とにかく頑張って出発である

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125系の旅再開6月の小浜線を行く~貴重なルートで向かうはずが

※訪問は2025年6月23日

名古屋駅から出発

この日の私は2枚の乗車券を手にスタート。芦屋→名古屋と名古屋→敦賀。今日は名古屋での要件を済ませて、そのまま敦賀へと移動。翌日に小浜線の未訪問駅の回収を行う。名古屋から敦賀への乗車券を先に買ったのは、名古屋での日程がタイトですぐ乗車できる態勢をとっておきたかったから。それにしても名古屋~敦賀の乗車券が芦屋駅で年に何枚販売されるのだろうか

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凝視の予定が崩れる

名古屋からは特急「しらさぎ」で敦賀へ向かう。東海道本線から米原を経て敦賀へと向かうこの特急は大垣を過ぎると「本線」を走行する。普通で大垣から米原へと向かうと垂井を経て関ヶ原へて向かうが、このコースは東海道本線の別線である垂井線として扱われている。ただし関ヶ原から大垣へと向かう下り線路は東海道本線である

話は少しややこしいが、戦時中に大垣→関ヶ原の昇り勾配を避けるため、この区間に迂回路ができた。そして垂井駅にあった下り線の線路は撤去。上り線と下り線が大きく離れることになり、垂井駅の代替として新垂井駅が設けられた。戦後になって垂井駅の下り線は復活。ただし戦時中に設置した迂回の下れ線はそのまま残され、後に新垂井駅は廃止となったものの、現在も貨物列車と特急列車は、この迂回路を走行する。1度線路がなくなったこともあり、迂回路が東海道本線となり、1度なくなって復活した下り線は垂井線という別路線となったが、場合によっては迂回路を新垂井線という支線扱いにすることもある

つまり何がしたかったかというと、特急でしか味わえない車窓を、ちょうど良い機会なので楽しもうとしたのだ。廃駅となった新垂井駅を垂井駅でレンタサイクルを借りて見に行ったことはある。迂回路を走る列車にも乗車したことはあるはずだが、全く記憶にない。ふだんここを走る特急に乗る機会はほぼないのでチャンス。時刻は18時前だが、この季節は1日が長い。十分に堪能できるだろう…

と思ったのだが

なぜかその後、新幹線ホームに。延々と前置きしたが、何のことはない。この日、東海道本線の米原方面は沿線トラブルということでストップ中。新幹線は動いているということで、米原まで新幹線移動という凡庸なコースとなった

そして元々、敦賀までは特急利用のつもりだったので

連絡抜群のしらさぎで敦賀を目指すことに

本来は名古屋始発のしらさぎが米原始発の終点までわずか30分という特急に変更されて待機中

こんな時ぐらい全車自由席にしろよ、と言いたいところだが、厳格な全車指定席はそのまま。ガラガラの列車で指定席料金をしっかり徴収されるのかとブツブツ言っていたが

何のことない。チケットレス乗車するととてつもなく安価だった

とにかく無事に

敦賀に到着。敦賀を最終目的地にする人がどれぐらいいるのかは分からないが、とにかく明日は早朝から活動するつもりである

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