岡山駅でパノラマグリーンに乗車

2月21日9時30分

振り子式を迫力で体感

特急やくもは振り子電車です。これまであまり意識していませんでしたがパノラマカーの先頭車で前面展望していると車体ごと傾いているのがよく分かります

視線は真っ直ぐですが架線の柱がこんなに斜めになっている。迫力のある光景です

やくもに充当されているのは国鉄車の381系。伯備線が電化された国鉄時代の40年前から、内装は変えられているものの、ずっと使用され続けている、まさにクラシックカーです。長年走り続けている理由は他に振り子電車がないから。それは伯備線の歴史でもあります

岡山を出たやくもは倉敷から伯備線に入り、中国山地を横断。伯耆大山で山陰本線に合流すると、すぐ米子。この後は島根県に入り、松江そして出雲市まで運行されます。地図でお分かりでしょうが、ゴワゴワ感が凄い。線路がグニャグニャしているからです。大正期から部分開業していき全通は昭和初期。中国山地を行く他の路線と同じような時期で、当時の技術ですから川沿いに敷設するしかなかったのは、これも同じ。線形は悪く特急の看板を掲げ、少しでもスピードアップを図るなら振り子式にするしかないのです

思いがけないドラフト1位指名

山陽新幹線は1972年3月に新大阪~岡山が開業しました。3年後に岡山~博多が一気に全通となるので短い区間の先行暫定開業。「ひかりは西へ」キャンペーンの先頭部隊だったわけです。せっかく岡山まで新幹線がつながるのだから、何か「目玉」がほしいと目をつけられたのが伯備線です

今でこそ1時間に1本の特急が走る幹線ですが、それまでは決して高い地位にあるとはいえませんでした。1968年10月の時刻表(復刻版)を見ると伯備線の優等列車は1日3往復でいずれも急行。当時の特急はローカル線なんて走りません。うち1本は有名な集合と離散を繰り返す「ちどり」で宇野を「しんじ1号」として出発すると岡山で「たいしゃく2号」を連結。新見で芸備線で広島に向かうたいしゃくが別れた分、今度は広島からやって来た「ちどり1号」が合流して米子までともに向かうというもの

文字だけだと何のことやら分からないこの列車には、さらにストーリーがあってたいしゃく2号は備後落合で松江から木次線経由でやって来た「ちどり1号」と合流して供に広島へ向かい、しんじ1号は山陰本線から益田で山口線へと入り、終点が小郡(新山口)という蜃気楼列車かミステリートレインのような運行。今、企画列車にすると発売と同時に完売すること間違いなしです

長い説明となってしまいましたが、伯備線の地位は今ほど高くはなかったということ。閑散区間の代名詞のようになっている芸備線の新見~備後落合間にも1日3往復の急行が走っていて、普通を見ると新見~米子が1日6往復、新見~備後落合が1日8往復なので本数は芸備線の方が多い。目をつけられたのが芸備線~木次線のルートだったら島根県へ向かうメインルートは今ごろひょっとして…

ともあれ新幹線を岡山で乗り換えて山陰方面へ向かうメインコースとして大いに脚光を浴びることになります。私は小学生でしたがクラスメートが家族旅行で新幹線→やくもと乗り継ぎ出雲大社へ行った自慢げに話していたことが思い出されます。やくもという言葉を初めて耳にしたのは、その時です。10年後の78年10月の時刻表を見ると、まだ非電化だった岡山~米子間ですが1日6往復の特急「やくも」と2往復の急行が走っています。その後、着々と複線部分の拡大工事が進み、82年の全線電化から今に至ります

甲子園に1度も出たことのない無名校の選手がドラフト1位指名を受けて殿堂入りレベルの大選手になったようなものです。そもそも68年の時刻表では伯備線と芸備線は見開きで、それぞれ1ページずつしか与えられていないのですから明暗が分かれたことになります。また大きなあおりを受けたのは山陰本線で大阪、京都から鳥取、島根へ向かうメインルートからも外れていくことになりました。ちなみにやくもは伯備線の運用となるまでは新大阪から

先日までの記事で北上線を「悲運の路線」としましたが全く逆の路線ということになります

ただ線形だけは多少の改良を加えてもどうしようもなく、振り子列車が必要とされ、振り子列車の開発には大変なお金がかかるため、ずっと国鉄車両が使われてきました

備中高梁あたりで「このあたりは少し積もっているな」と感じていた雪は新見まで来ると猛烈な吹雪のような状態となってきました。2月の終わりごろ、かつて何度も伯備線を利用しましたが、こんな雪は初めて見ました

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