川内から宮之城線廃線跡巡り、鹿児島交通枕崎線跡地の思い出

宮之城線跡の薩摩長野駅の駅名標

※訪問は2018年9月14日

前日は加世田泊

前回の記事で少しだけ2018年9月の鹿児島の旅について触れたが、ちょうど川内駅訪問のタイミングとなったので、その時に行った宮之城線の廃線跡巡りについて、振り返ってみたい

まず前日の9月13日だが、指宿枕崎線で枕崎まで南下した後、バスで宿泊地の加世田へと向かった。現在の地図は鹿児島中央から枕崎に至る線路しか描かれていないが、1984年までは鹿児島交通枕崎線が枕崎を結んでいた

現在は道路しかないので道路での表示となるが、薩摩半島は鉄道でグルリと回れるようになっていた

加世田駅の場所はバスターミナルとなり、南薩鉄道記念館となっている

1983年の豪雨で沿線が甚大な被害を受け、一部で運行が再開されたものの、全線復旧することなく翌年に廃止されている

展示物は充実している。加世田からは枕崎や伊集院はもちろん、鹿児島市内の中心部まで路線バスが鹿児島交通によって運行されている。1~2時間に1本と本数も多く、所要時間は90分で、それとは別に鹿児島空港行きのバスもある

路線バス利用だったので立ち寄れたのは加世田のみだったが、翌14日は川内駅でレンタカーを借り、宮之城線跡をじっくり回ることができた

JR移管直前に廃線

宮之城線は川内を起点に薩摩大口までの66キロを結んでいた。1987年1月、国鉄民営化(同年4月)の直前に廃線となった

薩摩大口は鹿児島本線の水俣と肥薩線の栗野を結んでいた山野線との乗り換え駅でもあったが、山野線もJR移管後の88年2月に廃線となっている

廃線から30年以上が経過しているが、沿線には駅跡などが多く残されている。すべてを紹介していくとキリがないので一部だけ紹介する

樋脇駅(薩摩川内市、廃線当時は樋脇町)

当時の駅舎と構内がそのまま残されている

そして路線名にもなった宮之城

宮之城町(現さつま町)の代表駅であり、さつま町の中心部にある

跡地は鉄道記念館となっていてバスターミナルの役割も果たしている。バス停名は今も「宮之城駅」(行き先によって同じ敷地内でも停留所の名前が異なるので注意)。廃線跡を巡るような川内駅行きのバスももちろん出ているが、鹿児島中央行きのバスの方が本数は多い

スイッチバックの謎を理解

次いでやって来たのが薩摩永野駅跡。一度も乗車できないままだった宮之城線だが、かねてより不思議なことがあって、地図を眺めていると当駅はスイッチバック構造だったのだ。地図でも当駅付近のみが突き出した形になっていることが分かる

その理由は現地で分かる

観光案内図に「永野金山ものがたり」の解説があった。当地は江戸時代に発見された金山により、薩摩藩の財政に大きく寄与。戦後間もなくまで掘り出しが続いたという。1924年(大正14)に川内~樋脇が開業した宮之城線は1935年に当地まで到達した後、約2年間は終着駅だった。まだ金山は続いていて、関連した人口も多いということで、そこに鉄路を通すため、わざわざ山中まで難工事をしてスイッチバック構造で敷設したのだった

跡地には鉄道記念館が建てられている

当時の駅名標をそのまま持ってきたようだ

周辺駅の駅名標が並ぶ

もうひとつ重要なことは当駅は鹿児島空港とは至近だということ。鹿児島空港から当地、宮之城を経て出水へ至るバス路線は本数も多めに設定されているが、ここから空港までは路線バスで30分もかからない。今年10月の鹿児島訪問時も、そのバスの車窓を眺めながら出水に行こうとしたが、

そして終着駅の薩摩大口。当駅は乗り換え駅として機関区もあり広い構内を持っていたため、廃線跡の規模も大きい。駅付近は旧大口市(現伊佐市)の中心部で大きな町である。最初にこちら側に来れば、廃線跡だとすぐ分かったのだが、道路を挟んだ逆側に行ってしまい、そこにあるのは

およそ廃線跡とは思えない立派な建物。ウロウロしていて分かったのだが、これは駅の跡地に建てられた大口ふれあいセンター。ただ幸運なことにビル4階が「大口歴史民俗鉄道記念資料館」となっていることを知り、早速訪問

こちらの展示物もなかなか充実したもものだった。平素は施錠されているが、1階の受付で訪問の旨を伝えると開けてくれる。なかなか1日では回りきったり見学するのが大変な廃線跡だが、大切に保存されているものも多く、訪問はオススメである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

続九州新幹線の全駅訪問~みずほの一部も停車する肥薩おれんじ鉄道の終着駅

川内駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

新幹線開業時に大きく変化

川内駅に到着。これで九州新幹線のすべての駅を訪問したことになる。2018年の9月にも川内に来たが、その時は新幹線ホームに立っていない。その時は宮崎空港から日南線で志布志まで行き、旧大隅線沿線を走る路線バスに2時間揺られ垂水下車。フェリーで鹿児島に渡り、当地で1泊した後、指宿枕崎線で指宿、西大山、枕崎を経て加世田までバス。加世田で宿泊した後、バスで伊集院へ。ちょうどサッカーW杯の直後で「はんぱねぇ~」が流行語になっていた大迫勇也選手の母校である鹿児島城西高校の最寄りが伊集院だったので、よく覚えている

その後、川内まで来て当地泊。翌日は改めて鹿児島へと向かい、今度は肥薩線で八代(正確にはSL人吉の終着熊本)まで行った。八代駅の項で紹介したのはその時の写真である

川内駅は大きな橋上駅舎を持つ。開業は1914年(大正3)と古く、国鉄時代から拠点駅として機能してきた。戦後に建てられた、いわゆる国鉄コンクリート駅舎が続いていたが、2004年の九州新幹線部分開業時に現在の駅舎となった。新幹線開業の直後に周辺の町村と合併して川内市から薩摩川内市となったが、駅名はそのまま川内である

薩摩川内市が誕生した際、甑島(こしきしま)の上甑村、下甑村も参加している。読み書きともに難易度激高の島への高速船乗り場へは当駅からバスで向かう。改札を出ると分かりやすく案内がある。キビナゴで知られる甑島は観光地でもあるが、大きく「通常運行」と目立つように表示されていることで分かる通り、気候の影響を受けやすいので運行には注意が必要

鹿児島本線の「飛び地」で他駅とは事情が異なる

肥薩おれんじ鉄道との共同使用駅となっているが、改札は共通で八代から117キロにも及んだ肥薩おれんじ鉄道はここが終着。川内から鹿児島中央までは再び鹿児島本線となり、約50キロがJRとなる。いわば鹿児島本線の「飛び地」。九州新幹線の成り立ちを各地に照らし合わせると、こちらも三セク移管となりそうだが、西九州新幹線のような時限的措置がとられるわけではなく、恒常的にJRのまま推移しそうだ。しかもIC乗車が可能。いろいろ「大人の事情」があるのだろうが、推測で私が触れるわけにはいかない。ひとつ言えるのは、今回のようにJRしか乗れないきっぷを手にした場合、利用者目線からだと大いに助かるということ

こちらは新幹線の改札(写真は2018年のもの)。その横にあるのが

在来線と肥薩おれんじ鉄道の改札がある(写真は2018年3月のもの)

新幹線については部分開業時した時からの鹿児島中央をのぞく他駅とは大きな違いがあって、当駅には鹿児島中央~熊本の速達タイプの「さくら」が停車し、わずかではあるが最速達タイプの「みずほ」も停車する

肥薩おれんじ鉄道の一部乗り入れ

在来線の構造は島式ホームの2面2線。左にホームが見えるが現在は使用されていない。廃線となった宮之城線ホームも加え、以前は3面5線だった

車止めの向こうが肥薩おれんじ鉄道。つながっていた線路をさえぎるように車止めが置かれていて、その向こうにホームとしては同平面の肥薩おれんじ鉄道が島式ホームを持つ

JR線乗り放題の権利を生かして鹿児島本線の駅を回った。当日は薩摩川内市内に宿泊し、翌朝はお隣の隈之城駅へ。肥薩おれんじ鉄道は朝夕のみ一部列車が川内のひとつお隣の隈之城まで直通するので、そちらに乗ってみたかった

なぜ1区間のみ乗り入れるかというと、隈之城の駅前にはれいめい中学・高校があるから。多くの高校生が降り、折り返し列車内は閑散としていた

くまモンに癒やされる列車に揺られて川内に到着となるが、列車は在来線ホームを通過するかの勢いで進み、肥薩おれんじ鉄道のホームに到着。車止めの写真を掲載したが、片側のホームはつながっている

乗車してきた列車が見える。肥薩おれんじ鉄道の駅舎はホーム上。同一ホームだが、JRが1、2番線なのに対し、3、4番線がふられている

こちらは肥薩おれんじ鉄道の駅名標。奥に貨車が見えるが川内はJR貨物の駅でもある

前回は鹿児島中央まで在来線に乗車したが、今回はきっぷの特性を生かし新幹線乗車である。川内~鹿児島中央は在来線で約50分だが、新幹線だとわずか11分。1区間利用はかなりあるようで乗車は8時16分だったが、通勤と思われる会社員の姿が多く見られた。車両基地の関係もあって早朝には川内始発の鹿児島中央行きという1区間だけの列車も運行されている

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

続九州新幹線の全駅訪問~線路の設置も気配りされたツルの飛来地

出水駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

お出迎えは

鹿児島県に戻って出水駅に到着

まず目に入るのは

ツルのオブジェの出迎え。渡来が始まると全国ニュースになることで知られる越冬地で、本来は難読の地名に入る自治体名、駅名だがかなりの割合で「いずみ」と読める。考えてみると九州新幹線の先行開業の各駅「新八代」「新水俣」「出水」「川内」は、初見で読むのは難しいものばかりだが、ニュースになる機会が多いためか、読める駅ばかりとなっている

私の訪問時はまだ渡来の季節ではなかったが、ツルの情報について伝える「出水ラムサールナビ」によると10月17日に「初渡来を確認しました」とナベヅル5羽の渡来報告があり、1カ月半後の12月2日には1万1410羽にもなっている。2021年にはラムサール条約の湿地となった

海沿いを南下してきた肥薩おれんじ鉄道(旧鹿児島本線)は、出水平野の手前で平野の中心部を避けるように弧を描いている。これは大正期の1923年(大正12)に鹿児島本線が敷設される際、ツルの保護のため渡来地を避けるようにしたため。当時の鉄道には国策については自然保護など二の次の印象を持たれがちだが、そのあたりはきちんと配慮されていたのだ

旧駅舎が健在

その出水駅は肥薩おれんじ鉄道でも重要な拠点駅となっている

新幹線の改札を出ると地元の小学生もお出迎え。この向こうが新幹線開業の際に駅舎も新たにできた東口だが、旧来の玄関口となる西口に向かう

新幹線の改札口から西口までは跨線橋となっていて肥薩おれんじ鉄道のホームに直接入ることができ、その先が西口である

国鉄時代からのコンクリート駅舎が、今も使用されている。戦後間もない1951年に木造駅舎から移行した。当時の出水は機関区も設置されていて、貨物も含め大いににぎわう交通の要衝。そのためいち早くコンクリート駅舎となったため、昭和30~40年代に全国で建てられた、いわゆる国鉄コンクリート駅舎とは趣を異にする

肥薩おれんじ鉄道は別駅舎

肥薩おれんじ鉄道の出水駅も車両基地を備えた拠点駅のひとつで当駅始発の列車も設定されているほか、乗務員交代などで5分以上停車する列車も多い

駅舎はJRとは別となっていて、国鉄、JR時代に関係者が利用していた建物を改造して使用している

その西口には蒸気機関車C56が展示されている

解説にすべてが記されているが、1937年に製造された後は主に九州内で活躍。72年と73年にはお召し列車のけん引という重役を担った。お召し列車の運行に携わるというのは、運転士はもちろん、整備担当まで大変名誉なことだが、その年のうちに交通機関としての任務を終えている事実に、鉄道としての時代の節目を感じる

出水駅の新幹線ホームでは新幹線通学の高校生を何人か見かけた。川内まで11分、鹿児島中央まで23分。新幹線開業前は電車特急でも西鹿児島(現在の鹿児島中央)まで90分を要していた。電化(1970年)以前は、そもそも特急という設定がほとんどなく、急行で出水~鹿児島中央が2時間。通勤通学で利用するという発想にすらならない。非電化時代はともかく、電化後の在来線特急との比較だけでも新幹線が大きな革命だったことを感じる

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

続九州新幹線の全駅訪問~JR在来線の「終点」八代へ寄り道 肥薩線の復旧を願う

八代駅の1番線ホーム

※訪問は2023年10月3日

新八代から1駅

八代の中心駅はもちろん八代駅

新八代から鹿児島本線に乗り換え

新八代は鹿児島本線の九州新幹線が部分開業した2004年に八代~千丁間に設置。元々、この駅間には距離があったので、そう違和感はない

もっとも地図で分かる通り、線路は弧を描くように敷設されている(理由については後述)ので真っ直ぐ歩くと30分ほどで行ける

その八代は九州新幹線の開業で八代~川内が三セクの肥薩おれんじ鉄道となったため、鹿児島本線の「終着駅」となった(川内~鹿児島中央は新幹線と並んで走るがJRの鹿児島本線である)。線路はつながっているが、ここから先は肥薩おれんじ鉄道となっている。駅名標の「だん」は肥薩線の段駅で、当駅を出るとしばらく両線は併走するので、JRのお隣の駅は段となっている

肥薩おれんじ鉄道の起点駅

鹿児島本線の終点ということは、肥薩おれんじ鉄道の起点駅。ホームは奥の0番線。ただし一部列車は新八代まで乗り入れ運転を行うため、その車両はJRと共有のホームに入線するが停車位置は異なるので注意が必要

肥薩おれんじ鉄道ではIC乗車ができないため、乗り換えの途中にICリーダーがポツンと置かれている

駅舎は2019年に新築されたばかりのもの。明治からの駅舎が頑張っていたが、2016年の熊本地震の際で駅舎は残ったものの、一部に破損があったため安全面の考慮もあって建て替えとなった

JRとホームはつながっているが、会社は別ということで駅舎は別となっている。JRの駅に隣接する形で肥薩おれんじ鉄道の本社があり

本社に隣接して駅舎がある。有人駅

JR貨物の駅でもあり、構内は広い

肥薩線の思い出

JRのホームで時刻表を見る

肥薩線については2020年の豪雨で甚大な被害を受けたため運休が続く

きっぷ売り場にも爪痕はまだ消えていない

2018年9月、肥薩線の八代~人吉を「SL人吉」で巡った

こちらは一勝地駅

同駅に停車中のSL人吉

こちらは坂本駅での停車中

各報道によると11月24日に熊本県は肥薩線沿線12自治体との協議で、上下分離方式(線路や施設を自治体が持ち、鉄道会社が運行を担う)による復旧案を決めたという。自治体が負担する復旧費の12億7000万円は県が出費し、運行再開後の維持費は見込み7億4000万円のうち県が6億9000万円を負担。市町村の負担は5000万円に抑えるというもの。この案を元に近くJRとの話し合いに入るという

八代駅は町の中心部から、やや離れた場所にある。国鉄の駅と町の中心部が離れているのはよくある光景だが、当駅の場合は事情が異なっていて、もともと駅は町の中心部で私鉄の終着駅として1896年(明治29)に開業した。最初に示した地図では、線路が弧を描く、さらに西側。その後、鹿児島本線として現在の肥薩線を球磨川に沿って敷設することになり、町の中心部ではスイッチバック構造になって何かと不便ということになり、中心部に向かっていた線路を強引に東に向けるようにしたため、弧を描く線形となった。最初から肥薩おれんじ鉄道のルートで鹿児島本線が計画されていたら、もっと異なる駅事情となったかもしれない

5年前の時点では、まさかこんなことが起きるとは思っていなかった。肥薩線については吉松~人吉間については過去3度乗車したが、人吉~八代については、この一度きり。ぜひ肥薩線の旅をもう一度したいと思っています

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

続九州新幹線の全駅訪問~完全途中駅となったかつての「始終着」駅のなごり

新八代駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

新幹線開業時は対面乗り換えで接続

新水俣から新八代へと1駅、熊本方面へ戻った

2004年3月の九州新幹線部分開業から全線開通の2011年3月まで鹿児島本線との接続駅として有名となった。接続駅つまり始終着駅だった

接続方法は現在、西九州新幹線の武雄温泉駅で行われているのと同様のホーム上の対面乗り換えで、博多方面からの「リレーつばめ」で到着すると、向かいの新幹線に乗り継ぐもの。私は開業直後にその方式で鹿児島中央まで行ったが、ホーム上での対面乗り換えを果たしただけで駅舎の外には出なかった。今回が事実上の初訪問

乗り換えの名残がそのまま残る

ホーム構造は一見、2面3線構造だが、実質は11、12番線の2面2線で、柵で覆われた番線をふられていないホームがひとつ。これが対面乗り換えの名残である。リレーつばめは、このホームに入線して乗客は12番線から発車する新幹線へと乗り継いでいた。当時はリレーつばめの発着するホームが11番線で、現在の11番線は使用されず、ホームだけが将来の全線開通に備えて設置されているだけの存在だった

ホームの端まで来ると本線とは別に線路が地上に向けて降りていく。現在は保線用の車両が走り、かつての狭軌部分は姿を消している

現在は各停パターンのみの停車

現在の新八代駅は単に新幹線と鹿児島本線の乗り換え駅。交差する形で両駅が設けられ、駅舎はそれぞれ独立している。かつては対面乗り換えだったが、一度改札を出ないと乗継ぎができない

在来線のホームに立つと、新幹線の高架の真下にいることが分かる

新八代駅に停車する新幹線は昼間は1時間に1本。「さくら」と「つばめ」のみの停車だが、ほとんどがさくら。さくらは九州新幹線の速達型だが、熊本~鹿児島中央については、各駅に停車するパターンと川内のみ停車の2パターンがあり、当駅停車は前者のみ。つまり先行開業した区間では各駅停車パターンしか停車しない

始発着駅なので全列車が停車するのは当然だが、部分開業→全線開業となった駅というのは県庁所在地など県を代表する駅が多く、全線開業後に列車によって通過されてしまうことはあまりない。東北新幹線の八戸がそれに該当するが、多くの速達型も停車する。各停パターンのみ停車となったのは現状では当駅のみである

改札内の様子。九州新幹線ではよく見られる形

当駅で特筆すべきは待合室にある純正キヨスクの存在。コンビニとの提携や独自ブランドの登場もあって各地の純正キヨスクは姿を消しつつある。ちなみに「キヨスク」は国鉄時代からのもので、JR各社に引き継がれたが、JR移管後にJR東日本のみが「キオスク」と読み方を変えている。キオスクは国文字など国鉄のものを今も大切に引き継ぐJR東海では今もかなり見られるが、他社では絶滅危惧種常態。私の認識する限りではJR九州では当駅と武雄温泉駅しか残っていない貴重な存在。しかも以前からなじみの深い大文字のキヨスクは当駅のみである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

続九州新幹線の全駅訪問~肥薩おれんじ鉄道の駅にも要注目の新水俣

新水俣駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

乗り換えのない駅はなし

熊本から新八代を飛ばして新水俣駅に到着。時刻表の関係で効率優先とすると、こうなる

2004年に先行開業した九州新幹線の新八代~鹿児島中央。この間の駅で他の鉄道との乗り換えのない、全くの新幹線単独駅はない。新八代は在来線との接続駅となったことで新幹線との交差地点に新駅が設けられたし、出水は元々がJR鹿児島本線の駅。川内も同様で鹿児島中央は言うに及ばない(新幹線開業とともに駅名が西鹿児島から変更となった)

新水俣も新八代と同様、JRも肥薩おれんじ鉄道も新駅が設けられた駅となるが趣は多少異なる

新幹線の改札付近

こちらは新幹線側の駅舎。ホームは2面3線構造で部分開業時は当駅~鹿児島中央という、新八代のみ行かない列車が設定されていた

観光物産協会も入っている

一瞬の交差に設けられた新駅2つ

コンコースの入口には肥薩おれんじ鉄道との乗り換え案内がある。新幹線の改札を出てすぐなので迷うことはないだろう

新水俣駅は旧鹿児島本線の肥薩おれんじ鉄道と新幹線が一瞬交差する場所に設置されている。両社ともに新駅だ。肥薩おれんじ鉄道は海側の水俣市街地に向かうが、新幹線は山中を突っ切る

元々の鹿児島本線は現在の肥薩線ルートで、鹿児島へはそちらの方が距離が短い。軍事的な理由や都市の多さから海沿いを行く鹿児島本線があらためて敷設されたが、各都市を順番に回っていくため、線路の距離も長い上、線形も良いとは言えない

新幹線はその欠点を解消すべく、できるだけ直線的に敷設されたため山中を行く形となった。そのため比較的駅が多く設置されている九州新幹線の中では珍しく、新八代~新水俣は同じ熊本県内にありながら42キロも離れている

元々は信号場

肥薩おれんじ鉄道の新水俣駅は新幹線の駅舎外にある

駅名板と時刻表がポツンとあるのみ。ホームへは構内踏切で向かう。駅舎のない無人駅だが、列車交換(すれ違い)は可能

それもそのはず。元々は「初野信号場」という列車交換のための設備だった。初野というのは地名である。信号場というのは両隣の駅間が長い単線区間などで列車交換をするために設けられた施設。駅となっていないのは、場所が山中など周囲に何もない場所が多く利用者が見込めないから

ただ信号場だけに設備は整っていて、ホームさえ設ければ駅に昇格させるのは比較的容易だ。そこに目をつけて駅を新設したのは素晴らしいアイデアだと思う

構内踏切で細い通路を通ってホームへと向かう

ちょうどくまモンとともに列車がやって来た

写真で分かる通り、ホーム幅は極めて狭い。信号場に頑張ってホームを造った苦労がうかがえる。肥薩おれんじ鉄道はJR貨物が走り当駅を通過するため(観光列車は大部分が停車する)、ホームには転落防止柵が設置されている上、徐行での通過となっている

肥薩おれんじ鉄道の駅名標。お隣が水俣市の中心駅の水俣で約4キロ

新幹線の駅舎の横を去っていくくまモン。なかなか良い光景。これだけでも価値がある

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

続九州新幹線の全駅訪問~熊本以南の全駅回収と全線乗車を目指す

鹿児島中央駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

早朝の大阪空港から

大阪国際空港いわゆる伊丹空港の朝7時前というのは、おそらく1日で最も混雑する時間。大阪空港には騒音問題に起因する時間制限があって、7時より早い時間に飛行機が飛ぶことができない。その分、7時になると「それっ」とばかりに全国各地へと飛行機が飛んでいくことになるが、利用客はというと、公共交通機関が早朝に対応できないため、6時を過ぎてから続々とモノレールやバスで空港にやって来る

旅に出る時は常に早い出発を心がけているが、7時5分の出発となると保安検査の並びを含めると出発ロビーに着いた瞬間、飛行機に乗り込んで出発という慌ただしさ

向かった先は鹿児島。鹿児島空港と鹿児島中央駅を結ぶバスは頻度が高く、そう待たずに乗れる

今回は6月に行った九州新幹線全駅訪問の続きである。九州新幹線は新八代~鹿児島中央が部分開通した直後に乗りに行ったが、それ以来ごぶさた。今回は熊本以南の新八代、新水俣、出水、川内の各駅を訪問予定。新八代と川内は訪問済みだが、再訪としよう

市街地から離れているので少々値段は高い。もっとも山中にある分、いろいろな場所へとバスの便が出ている。川内や新水俣へのバスも興味があったが、時間が合わなかった

ちょっと高価なフリーきっぷ

鹿児島中央駅へと到着。5年ぶり。早速ネットで購入済みのチケットを発券する

60歳以上で購入できる「ハロー!自由時間ネットパス」を発券。6月は北九州版の世話になったが、全九州版は1万円も高い(南九州版はない)。いくら乗り放題とはいえ3日間で2万円近くJRを利用するのは、私のようなローカル線や普通に比重を置く鉄オタには、なかなか難しい

博多~鹿児島中央は新幹線の指定席利用なら1万640円。往復でちょうど元がとれるレベル。正直、いろいろ考えたが、各駅訪問を初日で終えると、後は日豊本線~久大本線を利用して久留米から新幹線で博多に向かう予定となっている。細々と新幹線や在来線特急に乗るので、おそらく十分元はとれるだろう

6回の指定席権利をまず行使する。北海道フリーパスもそうだったが、基本的に自由席専門の人なので、いつも余ってしまう。自由席でも100%座れるはずだが、熊本まで「さくら」の2人シートを利用しよう。山陽新幹線内で人気の2人シートだが、私はあまり利用しない。のぞみの16両編成に比べて8両編成のさくらとみずほは隣に誰かが座る確率が極めて高いため

ただ今回は、時間帯からも、そう人はいないだろう。ここで乗ってみよう

自動券売機には親切な案内があった。以前、JR西日本でも出たフリーパスも券売機のどこから指定券を発券するのか最初は分からなかった。結果的には、このJR九州の券売機と同じ「回数券の座席指定」から入るのだが、使い方が全く分からず、みどりの窓口で尋ね、何のことない、窓口で発券してもらった。この「ハロー-」パスは通年発売で、しかも利用者は60歳以上。問い合わせが多いので、このように表示したのだと思うが、こんなちょっとした気遣いがうれしいものである

なぜ熊本へ?

ということで無事に発券

鹿児島中央では、ほんのわずかな滞在で熊本に向かうことになる

だったら熊本から出発した方が早いではないか、と思われるかもしれないが全くその通り。ただ、JALのタイムセールは1カ月以上も前の販売で、この時点では詳細な旅程が決まっていなかったのだ。まずは購入ということで鹿児島としたら、後に旅程を詰めたところ熊本からの出発が圧倒的に便利だった次第。もっとも利用するのは「ハロー-」なんで料金は同じである

予想通り、さくらの車内はとても快適だった。あくまで自分の感覚だが、九州新幹線は熊本を境に利用者が大きく変わる

そして、なぜ新八代へ行かず、訪問済みの熊本行きに乗車したかというと、新八代~鹿児島中央の駅のみ訪問すると、熊本~新八代が未乗区間になってしまうからだ

熊本へ到着。熊本空港利用と比べると時間はかなりロスしたが、ようやくここからスタートである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~訪問手段は鉄道のみの駅で地元の皆さんと触れ合い

東八尾駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

越中八尾から運行が極端に減る

越中八尾から1駅。東八尾で下車し、これで高山本線のJR西日本区間は下車完了

JR西区間の高山本線には運行に大きな特徴があって、富山~越中八尾は多くの区間運行が行われているのに対し、越中八尾~猪谷は極端に本数が減る。これは猪谷を挟んだJR東海区間もそうで、猪谷~飛騨古川は本数が少ない。だが、その中でも路線バスのある駅とない駅があって後者は難易度が増す上、山間部は駅間が離れているため徒歩もままならず、悪条件がそろっている

JR東海区間については、この時に触れたが、JR西区間についてはどうなのかというと、本数が少ない東八尾、笹津、楡原のうち笹津と楡原については、路線バスがかなりある。特に笹津については

昨年同時期に訪れた時の記事で「路線バスが多くいので不安なし」と紹介している

ところが東八尾については、周辺にバス路線というのが走っておらず、なかなか行くのが難しい(正確に言うと徒歩15分ほどのバス停から越中八尾方面へ朝夕に1~2本出ているほか、富山駅行きのバスも早朝に2本出ている)。越中八尾からは約4キロなので、もう少し気候が良ければ歩くが、今の時期、私には無理である

ちなみに周辺が大きな町である越中八尾からもバスでは富山駅まで行けない。付近を走るコミュニティバスがあるだけ。なぜこのようなことになっているかというと、それは高山本線の線形にある

猪谷を出て富山駅に向かう高山本線はしばらく国道41号と併走。楡原、室津の両駅はほぼ国道沿いにあるが、国道が真っ直ぐ富山駅に向かうのに対し、高山本線は大きく西に弧を描き、やや遠回りするように富山駅へと向かう

昭和初期の敷設の際も、八尾町に配慮して弧を描く計画だったが、地元から「これだと八尾の中心部を通らない」との声が出て弧が大きくなった。その後の道路の充実で国道とは大きく異なる経路となったため、路線バスのルートからは外れてしまったのだ。室津から富山駅へは私鉄路線があったことも影響している

越中八尾~富山については列車本数も多い上、特急停車駅にもなっているので訪問難易度は高くないが、東八尾だけがポツンと残る形になっている

戦後生まれで駅舎なし

その東八尾は単式ホームと待合所だけがある駅となっている

こちらが駅の入口。簡易な構造だがお手洗いはちゃんとあって手前の白い建物がお手洗いで、奥の黒い建物が待合所

盛土にあるホームからはのどかな光景が広がる。民家が点在していて他は農地。手前に貨車がポツンと置かれているのが違和感があるようでないのがいい。景色に刺激を与えている

駅の開業は戦後の1956年。それまで越中八尾と笹津の間は駅間が8キロもある上、前述の事情で私鉄路線も路線バスもない。あまりにも不便ということで駅の設置運動が起きて開業となった。当初から1面1線構造の無人駅

私が乗車したのは15時前。すでに下校が始まっていたようで、高校生が降りて四方へと別れていった。駅前は何もないようだが、1日の利用者数は62人。これは猪谷や楡原よりも大きい数字だ

ホームがにぎやかになり

こちらは待合所。翌日に城端線でも見かけたものと同じで老朽化したものが県内で一斉に建て替えられたようだ

東八尾の時刻表。2時間に1本程度の運行で昼間は4時間ほど運行がない。私が乗って来たのは14時46分の猪谷行きで、15時39分の富山行きに乗車する。50分ほどの待機

駅を出たところにあるのは城生神社。角川といい坂上といい、今回の旅は駅近くで神社によく出会う(角川は駅構内だったが)

縦の駅名標とキロポスト。岐阜から205キロもある。本日のスタートは美濃太田だったが、行ったり来たりしながら180キロ近く移動してきたことになる

そんな中、ホームが急ににぎやかになった。付近のウォーキングをされている地元の方々で5人のグループ。皆さん、明らかに私より人生の先輩だ

先頭でやって来た男性に「こんにちは」とあいさつすると、どう見ても地元の人間ではないと瞬時に判断されたようで「どちらから?」。「神戸からです」と答えると、驚いた様子で「なんでここに来たの?」

ここからは北海道の落合駅と同じく「全国の駅を訪問しているんです」と話すと「へー、そんな人がいるんだねぇ」

そのうち後続の方々が合流してきて、男性が「この人、神戸からわざわざ来たんだって。全国の駅を回るのが趣味らしい」と紹介されて、ちょっとしたスター扱いになりかけたが、一人の女性が「そんな趣味は世の中にない」と一言。私についての「取材」は、ここで終了である(笑)

その後、列車到着までの歓談で「何もないのがこのあたりのいいところ」という話になり、そんな環境が気に入られ、有名人の別荘があるということも教えてもらった。なかなか有意義な情報だった

富山に到着。高山本線のキハ120は2両編成で、途中駅からは乗車してきた多くの乗客とともに下車。回収できなかった駅は秋へのお楽しみとしよう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~これはムリと関西人の難読駅へ

越中八尾駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

時刻表とにらめっこして出した結論

前記事で絶対オススメとした角川駅の時刻表。現在の時刻は12時半。つまり坂上から11時58分の列車で到着して12時36分の猪谷行きに乗ろうとしている。というか他に乗り物がない。高山寄りの飛騨細江、杉崎は未訪問駅だが、列車は3時間後。飛騨細江までは6キロほどあり、歩いてもおつりが来るぐらいだが、この猛暑の中、山中の国道を歩くのは無理というものだ

そんなこともあり、90分の待ち時間があった坂上でいろいろ考慮した挙げ句に導き出した答えは「今日明日での高山本線全駅訪問は不可能」ということ。青春18きっぷは明日まで。つまり、また来なければならないのだ

ちょうど「氷見線、城端線を三セク化」の報道が出たころだった。こういうのは一度流れが決まると話がどんどん進んでいくものだ(結果としては非電化区間ということで、もう少し時間がかかることになった)

ならば明日は富山から高岡に出て氷見線の各駅を訪問しよう、と急きょ予定変更。早い話が18きっぷの最終日は高山本線でなく氷見線となった。おそらく10月には鉄道の日記念のフリーきっぷが出るはず。高山本線の全駅訪問は、その時に完了させよう

同業者も避ける列車

となると話は早い。高山本線のJR西日本区間では東八尾の1駅のみが未訪問。東八尾へと向かうことにする

ということで今年もやってきた猪谷に約30分。富山県とJR西日本の最初となる当駅には13時7分に到着。ただこの列車には、ほぼ誰も乗っていないぐらいガラガラなのは昨年の経験で知っていた。18きっぷのシーズンに同業者(鉄道ファン)が避けるほど。なぜかというと猪谷で接続も折り返しもないから。猪谷から次の富山行きは15時20分発、高山行きは15時8分。猪谷ではJR東海とJR西日本の列車が接続するダイヤとなっているが、朝と昼はこの1本だけが猪谷で行き止まりとなっている。だから同業者にも人気はなく、一般客は岐阜県内の飛騨古川まででほとんど降りてしまうため、途中から車内は寂しくなる。見たところ、猪谷まで来たのはほぼ全員が同業者のようだが、私を入れて5人だった

時間はあるので国道まで出てみた

ただ猪谷からの乗継ぎが2時間ないと断定するのは、正確には多少異なっていて駅から5分ほど歩いたバス停に行くと富山駅行きの路線バスはそれなりの本数があって、この時間帯なら時間的にちょうどいい13時35分が出ていて、楡原駅、室津駅近辺を通る

また猪谷は特急停車駅なので、富山行きは14時10分、高山方面行きは13時40分にそれぞれ「ひだ」がある。昨年は猪谷で30分待って高山までひだへ特急課金した

そして今回の私はというと

1時間待ちで越中八尾まで特急課金。八尾方面へはバスが通っていないので必然的にこうなる。毎度のことながら猪谷駅の無人駅の駅舎内で急に話し始める券売機にはビックリさせられた(笑)

重厚な駅舎の越中八尾駅

ということでわずか20分、越中八尾に到着。十数年ぶりにやってきた

平成の大合併まで八尾町の中心駅だった。1927年(昭和2)に富山から当駅まで高山本線の祖が開通。駅舎は当時からの立派な豪華な木造である。特急ひだも全列車が停車する

関西人泣かせというか、ほぼ100%「やお」と誤読してしまう。大阪の同名の都市は河内音頭で有名すぎるからだ。大阪府の駅は明治生まれ。読みは異なるが、同名だったので「越中」がつけられたと思われる。この後、列車に乗ると明らかに関西から来たと思われる学生さん風の18キッパー2人が「やつお、とは読めへんな」と話していたが、誰もが同じ感想を持つと思われる

ちょっといい味を出している案内板が残る

カウントダウンに入っているようだが、みどりの窓口が現役

駅名板の横には速星駅と同じく、輝く「みどりの窓口」がある。駅舎内のテレビではプロ野球中継。そういえば速星も駅舎内にテレビがあり、ワイドショーを見た。駅舎内でテレビというのは、ありそうで意外とない素晴らしいサービスだが、無人化されるとどうなってしまうのだろう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~絶対オススメ!廃ホームで参拝できる駅

角川駅近くの神社踏切

※訪問は2023年9月9日

本日のメインイベント

坂上駅のホームで列車を待っていると出発の数分前に、ご婦人がやってきた。今年はローカル線の駅でぼんやりしていると、他の旅客と2人だけになる機会が多く、四国のとある駅では、話していると現在私が住んでいる最寄りから、たった2駅のご出身でお互いビックリした

この坂上駅で、お話ししたのは、ちょっと前まで首都圏でお住まいだったという方。最寄りはかなり著名な駅で、少なくとも時刻表を前もって把握した上で駅に行く必要はない。「乗り遅れるわけにいかないので大変」と笑っていた。前記事の坂上駅の項でアユ釣りでにぎわうという話題に触れたが、これはその方から聞いたもの。アユ釣り客を対象とした旅館もあるようだ

その会話の中で「次は角川で降りるつもりです」と話すと「皆さん、列車内から写真を撮ってますよ」

ふーむ、やはりそれほど認知度があるのか、と感心。というわけで

ひとしお隣の角川で下車した。これは読めそうで、なかなか読めない。平成の大合併で飛騨市となった旧河合村唯一の駅。開業は1934年(昭和9)で高山本線の全通時のこと。駅前はすぐに宮川で小さな集落があるだけとなっていて、旧河合村の中心部とは、やや離れている

宮川に沿って折れるように高山本線も折れるあたりで振興事務所が旧村役場。駅名は中心部の地名に基づくもの。だから駅前にはほとんど何もない

かつては開業以来の駅舎があったが、2011年に現在の簡易的なものとなった

車窓から見えるもの

ただ駅前には特に何もなくても駅構内のホーム上には目を引くもものがある

線路の向こうのホーム上に見えるもの。それは神社の鳥居である。しかもホームにはあるものの、元は2面構造だったと思われる駅はホームがはがされ、現在は単式構造。これは目を引く。冒頭の「車内から写真を撮っている」というのも、よく分かる

昨年、この付近を通った時に驚いたが、その時は下車がかなわなかった。そもそも、この神社にたどり着けるのか。1年越しの楽しみで、当駅は本日のハイライトである

参拝への道

2面2線から単式になったホームというのは入れなくなっているものが多い。というか自然に還っているものがほとんどで、人工的にも自然的にも入れないものだ。しかし、ここは神社である。見た目には自然には還っておらず、定期的に手入れが行われていると思われる。単式化された際に跨線橋は撤去されたようで直接は行けないが、何とか方法はあるはず、と様子をうかがうとホームの坂上寄りに踏切が見える。ここから回り込めそうだ

線路に沿って歩く。3分ほどで踏切が見えてきた

踏切の名は、ズバリ「神社踏切」。いつから、この名前になったかは分からないが、参道として公認されているようなものだろう

踏切を渡ると右手奥に見えるのが神社の森

無事に到着。「諏訪神社」とあり、神社そのものは無人だが、参道は手入れされていた

振り返るとこのような景色。できればホームが現役のうちに来て列車を降りて即参拝としたかったが、こうやって回り道するのも、それはそれで風情がある

階段を上って参拝。立派な神木に守られている

社までたどり着き参拝することができた

ぜひ訪問を

駅に戻ろう。あらためて見ると、それなりの規模の貨物ヤードがあったことが分かる

駅そのものは国鉄時代に無人化されていて

もちろん無人駅。小さな階段を昇ってホームに入る構造となっているが、元の駅舎は大きくて左に見える階段跡が当時の入口だったようだ。ここから見ても背後の鳥居が目立つ

駅舎の隣にはコミュニティバスの車庫があり、お手洗いもある

駅から神社までの往復は15分もあれば大丈夫。元々、神社があった場所に線路が敷かれたのか、何らかの理由で神社が引っ越してきたのか、それは分からなかった。列車の本数は決して多いとはいえないが、ぜひ訪問してほしいオススメ駅である

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります