私鉄

JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る BRTから三陸鉄道へ

盛駅のJR駅舎

10月14日16時30分

路線バスで100キロ

大船渡線BRTの終着、盛に到着しました。もう周囲は薄暗くなりつつあります

柳津から最初のBRTに乗車したのが11時47分。途中、気仙沼での1時間半の休憩を挟んでいますが、5時間後のBRT完乗となりました。ちなみに食事もせずにやって来たとすると15時7分の到着となります

考えてみれば約100キロの路線バスで旅したことになります

地図を眺めるとかなりの移動ですね。全国各地の路線バスはよくお世話になりますが、北海道以外で100キロも路線バスで移動したのは初めて

3月の東日本パスは青春18きっぷの季節とすっぽり重なります。どこから入ってどう出るかを決めなければなりませんが、BRTは青春18きっぷでも使用できます。うまく組み合わせると、良い旅ができると思います

三陸鉄道との結点

盛駅は大船渡線と三陸鉄道南リアス線の乗り換え駅

JRと三陸鉄道の駅舎が並んでいます

盛の駅名標。JR(BRT)は終点です

岩手開発鉄道という鉄道ファンには有名な貨物専用の鉄道会社(旅客輸送については廃止)が石灰石の輸送を担っています。私は貨物には詳しくないのですが、いわゆる「ホキ」が並んでいることは分かりました

JRと三陸鉄道の線路もつながっています。かつては釜石を目指していた国鉄盛線が現在の南リアス線の原型です。ただ国鉄時代は釜石までは、つながらず途中で終わっていました。三セク転換が決まったことで工事が再開され、1984年の南リアス線開業と同時に盛~釜石が全通しています

盛線の部分開業は1970年。3年後に釜石まで15キロの所まで進んで工事は中断。70年代に全国で見られた「赤字になりそうだけど工事が進められていた」路線のひとつで、手元に1982年の時刻表(復刻版)があるのですが、21・5キロの盲腸線だった盛線は1日わずか5往復の運行。三陸鉄道ができなければ20年にもたたずに終わった路線になっていたかもしれません

夕方なので高校生の皆さんの下校時間で駅前はにぎわいをみせていました

盛は大船渡市で最も利用者の多い駅ですが、港に近い大船渡駅があり、盛と大船渡の間がメインストリート。かつては盛のお隣の駅が大船渡で、かなり距離がありましたがBRT転換後は途中に2つの駅を設けて利便性を図っています

三陸鉄道で本日の宿泊地である釜石に向かいます

三陸鉄道といえば

のんさんのポスターが出迎えてくれました

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一度やってみたかった名松線と近鉄の乗り換え~その3

川合高岡駅の駅名標

2022年10月29日14時45分

すぐ見えています

いよいよ川合高岡に向かいます。もう今さら「いよいよ」ではないのですが、寝過ごさずに一志駅に到着したと過程すると駅舎を出ると普通に住宅街が目に入ってきます。右手が踏切となっている通りに出て左手を見ると

信号の向こうに見えてます。駅に地図がありました

一目瞭然の近さ。駅前の信号待ちに引っかからなければ徒歩3分ほどで、盛夏でも文句を言わず歩ける距離です

そして地図でも分かる通り、付近は旧一志町の中心地です。一志町の発足は戦後で、それまでは川合村、高岡村が別にあり、駅名はそれにちなんだもので、1930年11月の開設時(当時は参宮急行電鉄ですが近鉄と表記します)から変更されていません

またJR(国鉄)と私鉄というと、国鉄の方が先にできたのだろうと思われる方が多いかもしれませんが、名松線と近鉄大阪線については事情が異なります

川合高岡駅の開設時点では、まだ大阪までの線路はつながっていませんでしたが、わずか1ヶ月後の1930年12月に全線開通しています。同年には急ピッチで現在の伊勢中川~伊勢市(現在の近鉄山田線)も開業しており、大阪から直接、伊勢神宮まで行けるようになりました。12月20日の全通というのは初詣に間に合わせるためのものでしょう

これに対し名松線は名前の通り、松阪から名張を目指して同時期に工事が行われていたものの、近鉄が全通した時点ではまだ家城にも至っておらず1935年に伊勢奥津までたどり着いた時点で工事は中止。もともとは桜井から名張を経て松阪を結ぶ予定でしたが、すべて近鉄が先に線路を通してしまったため、工事を続ける意味がなくなってしまったのです

一志駅は名松線の全通後に伊勢田尻駅として設置されています。つまり川合高岡よりもかなり後。現役名となったのは一志町の発足から10年以上も経ってのことで、町の歴史を考えると代表駅は川合高岡になるのかもしれません

根性で帰阪

川合高岡はの駅舎です

名古屋から出たこの日は亀山で紀勢本線に乗り換えた後は、ずっと非電化路線ばかりに乗車していたので架線を見ると新鮮ですね

信号待ちをしていると大阪方面への電車が行ってしまいました。実は近鉄の時刻表は一切調べていません。名松線と違って本数はあるだろうと、あまり気にしていなかったのですが時刻表を見てぼう然

昼間は1時間に1本しかない。コロナ禍で30分に1本の運行が減便されていたことを知らなかった。私が逃したのは14時46分で、たまたま30分に1本のダイヤに戻るタイミングで助かりましたが、もう1時間早ければ1時間待ちのところでした

当駅は急行通過駅です。近鉄の急行は伊勢中川を出ると川合高岡、伊勢石橋、大三(おおみつ)の3駅だけを飛ばして榊原温泉口から桜井まで16駅も続けて停車するという、なかなかの運転。もっとも昼間の普通はすべて東青山止まりで東青山~青山町も急行が1時間に1本という運行です

無人駅でICリーダーはあるものの、訪問時は使えなかったので乗車票を発券。近鉄でこの機械のお世話になるとは思いませんでした

ホームは2面2線

名張行きに乗車

名張では特急に連絡しますが特急料金920円を節約して急行に乗車。当駅始発だったので確実に座れます

鶴橋着は17時12分。川合高岡から、ほぼ2時間。青春18きっぷに近い乗車でした

鶴橋で精算してJRに乗り換えました

ネット時代を実感

年明けの1月にも一志駅と川合高岡駅を歩きました。この日は松阪に宿泊して伊勢奥津まで名松線に乗車した後、一志まで戻ってきたのですが一志からの乗車が多くて驚きました。ちなみに3連休で青春18きっぷ期間でもあり、乗車客が(私を含め)ほぼ全員、同業者(鉄道ファン)だったのですが、この乗り換えが広く知られているんだなぁ、と思いました。両駅は「近い」というだけで乗り換え案内はされていません。当然ダイヤの接続も考慮されていません

名松線も本数は多くなく、川合高岡も普通のみの停車ということで、この乗り換えは知る人ぞ知るだったのですが、今はサイト検索でも普通に出てきたりします。ネット時代を感じます

さて話は戻って一志駅

窓口が閉鎖されお金の置き場だけ舌のように残る、よく見る形ですが時刻表に注目。名松線のダイヤはほぼ均等に2時間に1本。これを見て将来の名松線全駅訪問に、がぜんやる気が出てきました。普通は朝の通勤通学時間に本数を増やすもので、それを利用して各駅を回るのが効率的なのですが、その方法は使えそうにない。本数は少ないながらも一部区間はコミュニティーバスはあるのですが週末はお休み。となると青空フリーパスは使えず、と、なかなか難関が多く、これはかえってファイトがわきます。作戦を練った上で、いつかぜひ実行したいものです

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一度やってみたかった名松線と近鉄の乗り換え~その2

一志駅のホームと駅名標

2022年10月29日14時40分

一志は貴重な駅舎のある駅

伊勢八太駅から歩くこと25分。一志駅に到着しました

思うほか時間がかかったのは川合高岡駅をできるだけ見ずに進もうとした結果、小さな川を渡れず行き止まりをくらって来た道を戻ったりしたから。せっかく初めての乗り換えを味わいたいのに、その導線が先に判明するのは嫌じゃないですか

伊勢八太駅の写真はのどかな田園風景が広がっているように見えますが、駅のホームがある側は普通に住宅街。歩いているうちに近鉄の線路が迫っていることも分かる。名松線というと、いかにも秘境の山中を走るイメージがありますが、それは家城を過ぎたあたりから

地図で見るとよく分かりますが

先の記事で紹介した高茶屋駅からも近い。久居経由で津もすぐで十分な通勤通学圏です

こうして眺めるとJRと近鉄が競合関係にあるのもよく分かります。もっとも利用実態は競合というよりコールドゲームなんですが

一志は棒状駅ですが

駅舎はあります。名松線はホームと待合所のみ、という構造の駅が多いので駅舎がある駅は貴重。階段でホームに上がる形になります

高度な引っかけ問題

財産票によると駅舎は1968年と比較的新しい。コンクリートなのも分かります。ホームを約300メートル松阪方面に移動させた時に建てられたそうです。その際に駅名も伊勢田尻から一志となりました

国鉄末期に無人化されていますが荷物受け取りの跡も窓口の跡も残っています。ラッチ(改札口)はなく

よく見かけるきっぷの回収ボックスが残りますが、JR東海はきっぷも料金もきちんと回収するので出番はないと思われます

一志の駅名標。こうして見ると両隣の駅の漢字は想像つかないですね。ながめて分かったのですが、かなり高度な引っかけ問題になっていて伊勢八太は前回紹介したので分かるとして、もうひとつも、いかにも「伊勢○」という駅のように思ってしまいます

正解は「井関」なんですが、伊勢八太を知ってしまうと逆に正解は永遠に出てこないかもしれません

誰もが知る国民栄誉賞受賞者を輩出

一志というのは、かつての町名です。現在は津市となっていますが、津市になったのはまだ最近で2006年なので20年も経っていません。旧町役場も最寄りとなっていますが、両隣の伊勢八太、井関よりもかなり後に開設されていて、近鉄の川合高岡よりも後の開設です

この一志町はレスリングの吉田沙保里さんの出身地。知らない人はあまりいないでしょう

地元が紹介される時は必ず「津市出身」となって、それは間違いではないのですが、最初に五輪で金メダル獲得した時はまだ合併前で「一志町出身」。「一志町ってどこ?」と話題になりました。次の大会で連続金メダルに輝くと「津市出身」となっていたので「あれ?」と思いました

全国的な平成の大合併で多くの都市や町村が自治体としての名前から消えましたが、こういう時、地元の方は一抹の寂しさを感じるのかもしれません。駅名だけしっかり残っているのは良いことです

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終日の沼にはまる~ノープランから、なんとなく見た看板が

塩尻駅名物の定員1人立ち食いそば

2022年10月23日9時

しなの鉄道からスタート

前夜は友人宅に泊めてもらいました。この日はしなの鉄道の屋代高校前駅からスタートです。三セク移管後に新設された駅で文字通り屋代高校の最寄り駅。同校へのアクセス駅としては近くに長野電鉄屋代線の東屋代駅があったのですが、こちらは2012年に廃線となっています。もっとも東屋代は利用者が少なかったのに対し、こちらは効果抜群でコロナ禍前には1日に2000人もの乗降がある駅となっていました

まずは篠ノ井へと向かいます。こちらはパス対象外なのできっぷを購入

実を言うと前日と前々日は時刻表とにらめっこしながらの旅でしたが最終日の今日は全くのノープラン。本日中に帰宅するだけ。まずはきっぷの有効区間内である篠ノ井まで出ます

しなの鉄道といえば115系のイメージですが、かなり減っていると聞きます。私も数年ぶりに乗るのですが向かいのホームにいる新型車両を初めて見ました

と思ったら、やって来たのは115系のしかも湘南色。ちょっとラッキーな気持ちになって乗り込みます

複数の選択肢

とはいえ、この時点で本当に何も決まっていません。いつもならある程度の方向は前夜に決めるのですが、友人たちとおしゃべりをしていたのでそれはなし。とにかくJR東日本管内に入って、このまま乗れば長野に行きます。篠ノ井で乗り換えれば松本方面。短時間での決断が求められますが時刻表を見て篠ノ井駅で5分の接続で名古屋行き特急のしなのがあることが判明。とにかくJR東日本管内では特急は乗り放題なのです。ですから特急に乗るチャンスがあれば、とにかく乗るというセコい考えです

篠ノ井駅の駅名標。多車線との分岐な感じは大好きです

今回の「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」の期間、特に週末は新幹線や在来線特急は満員続きでした。まだ記事にしていませんが前週そして今週も利用して、それを実感しています。ただ一昨日、昨日の新幹線は私が乗車したのが各停タイプだったことや人の流れが逆方向だったこともあって自由席には楽々座れました。記事にもしましたが、在来線特急のしらゆきの自由席混雑は指定席に乗車して回避しています。しなのも、まだ朝なのでガラガラです

この時点でまず考えたのが松本で降り、大糸線に入るあずさに乗ること。1日1本だけ大糸線に乗り入れるあずさは松本で50分の接続。いい感じです。調べてみると指定もガラガラなので問題なさそう。ただ正午に南小谷に着いた後に北上すれば早々に別料金となってしまう上、戻ってくると単純な往復になっておもしろみに欠ける上、途中の駅など回っていては松本で結構な時間になってしまう。だから却下。次に考えたのが篠ノ井線内の駅巡り。姨捨以外はほとんど降りたことがありません

途中区間で特急も使えるし、こりゃいいや、とほぼこの線にしました。ただ乗車したしなのは明科には停車するものの、そこからの接続が今ひとつ。うーん、中央東線パターンも含め、とにかく塩尻まで行ってから考え直そう、となりました。これが沼への入口となるのですが

塩尻で見たもの

これは篠ノ井線から中央西線でJR東海に入るもの

こちらは中央線の西線と東線。塩尻はいろいろな駅名標が楽しめていい。アイキャッチの定員1人立ち食いそばも健在です

篠ノ井線も120周年なんですね。これはなかなかの歴史です。塩尻駅の新駅40周年というのにも目を引きました。学生時代に来たことがあるのですが当時は今とは中央本線と篠ノ井線の立場が逆で名古屋~松本間を直通する列車にスイッチバックが必要となっていました

次に目にとまったのは

こちらの案内。磐城から松本までの450キロもの区間が東京近郊区間になったことが大いに話題となりましたが、それに関係するのがIC乗車券。ふーん、と眺めていたのですが、この案内が大きな沼への入口となってしまいました

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東日本の新幹線単独駅を巡る~グルリ一周

軽井沢駅の駅舎

2022年10月21日14時40分

※単独駅の訪問は終わっていますが、同一行程なのでタイトルはそのままにしています

在来線特急で新幹線間を移動

長岡駅に到着しました。さすがに何度か来ています。時間はまだまだ早い。燕三条で乗り逃した弥彦線の分、上越線や信越本線の駅巡りに多少は充てることができそうですが、最初の予定が狂った分、朝の6時過ぎから行動していた私は完全に燃料切れ。10月後半でしたが昼間は暑く、宿泊したホテルが大浴場付きだったこともあり、15時にチェックインしたところ「今から入れますよ」と言われたため、ビジネスホテルで一番風呂に入ってしまうと、もう何もやる気が起きず活動限界となってしまいました

翌日は朝7時すぎに長岡駅からスタート。前日の分を少しでも取り戻すため、信越本線の三条駅や弥彦線の燕駅などいくつかの在来線駅を訪問。11時前に東三条に戻ってきて

特急「しらゆき」の上越妙高行きに乗ります。長岡から乗っても同じなのですが、新幹線駅ではない東三条から特急に乗るという体験は、今後なかなかないと思われるので東三条から

しらゆきは新潟県内で新潟、長岡といった上越新幹線の駅と北陸新幹線の駅である上越妙高を結ぶ貴重な優等列車。直江津から長野方面が三セクのえちごトキめき鉄道に転換されてしまいましたが、しらゆきは、その間を結ぶ貴重な在来線特急となっています。1日4往復で、うち2本が新井まで運行されます。新潟県内だけを通るという在来線特急では珍しい体型ですが、それでも新潟~上越妙高は2時間と距離は長い。かつて常磐線の「フレッシュひたち」として活躍した車両が使用されていて懐かしい

さて、ここで私は今旅初めての指定席利用を行うことに。新幹線にはいっぱい乗ってきましたが、駅訪問が主眼のため短い区間ばかりで、すべて自由席だったのです。この先も同様の行程なので、せっかくだから、この1時間半は指定席の権利も使おう、えきねっとにも一度ぐらい登板してもらおうと指定席を利用。しらゆきには過去2度乗車したことがあるのですが、それほど混雑してはいませんでした。車両は4両編成指定と自由が2両ずつ。自由席が半分を占めるのは区間利用も多い特性に対応しています。結果的に指定席もそれほど混雑しせず、窓際に陣取った私の横には誰も来ることなく上越妙高に至ったのですが、途中から「自由席が混み合っているので座席に荷物は置かないようにお願いします」のアナウンスが連呼されてビックリ。今回の150周年記念パスの威力を思い知ったのでした

再び新幹線に

12時25分に上越妙高に到着。駅名標はえちごトキめき鉄道のものとなっています

北陸新幹線に乗り換え。当駅は北陸新幹線内のJR東日本とJR西日本の境界駅。管理は前者なので駅名標は東日本スタイルです。駅の所在地は上越市で当初の仮称も「上越駅」でしたが、妙高市の中心部にも近く議論の末に現駅名となりました

13時発のはくたかに乗り込み20分で長野に到着。長野駅では同一ホームの3分連絡で各停パターンのあさまに連絡します。各停といっても安中榛名はかなり通過されるのですが

そして軽井沢に到着。前日の安中榛名から、ほぼグルリと一周したことになります。実は乗車したあさまは貴重な安中榛名に停車するパターンで、行ってしまえば、それもおもしろいなぁ、とも思ったのですが安中榛名まで行ってしまうと、その後の行程がまたややこしくなるので軽井沢下車

同時刻に東三条を出発した場合、長岡から上越新幹線に乗って高崎乗り換えの方が40分ほど早いのですが、新幹線に乗る距離が短かったり、高崎乗り換えで新幹線料金がリセットしてしまうことなどで、普通に運賃を支払うと1000円以上、高崎経由が高くなります

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あけましておめでとうございます~リニア館

2023年元日 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします

実は初めてです

9月26日の10時半

名古屋駅から、あおなみ線に乗ります。リニア館へ。実はあおなみ線に乗るのもリニア館へ行くのも初めてです。こういうのって「いつでも行ける」「いつでも乗れる」と思うと意外と行かないものです

25分で終点の金城ふ頭駅に到着

リニア館は歩いてすぐです

前を行く方の服装でお分かりのように、この日は9月下旬とは思えない暑さで私は日陰となる屋根のある部分をテクテク歩いていきました

あおなみ線の一日乗車券を購入しました。名古屋~金城ふ頭は360円ですが、一日乗車券で入館料が1000円→800円と200円の割引になるため、元は取れます。私は各駅訪問という目的もあるため、どうやっても元は取れるのですが

かなりはしゃげます

※展示物の写真については掲載確認済み。係の方によると動画は制約があるそうですが写真については他のお客さんが写ることに留意すればSNS掲載は大丈夫だそうです

あまり説明せずに写真だけで十分だと思いますが

オッサンでも結構楽しめます

リニア館というのですから基本テーマは東海道線の歴史、つまりスピードの歴史と未来のリニア線です

3時間がテーマだったのですね。子供の時に初めて新幹線に乗ったころは親や学校から「東京~新大阪は3時間10分」とヘビロテのように教え込まれました

私の場合はどうしても古いものに目が行ってしまいます

古い車両のリバイバルが言われますが、外見はともかくとして同じ座席に長時間座るのは、今はもう無理です。こういう急行車両で夜を徹して走るというのは、ごく一部の方にしか受け入れられないと思います。学生時代にいわゆる大垣夜行で東京から帰省していましたが、当時はそんなものだと思っていましたから受け入れていましたが、大垣夜行が進化したムーンライトながらの踊り子号車両でも「しんどい」の声は多かったぐらいです。リクライニングの有無もそうですが、向かいに他人や他のグループがずっと座っているのって、かなりキツい

鶴見線のイメージが強いのですが、JR東海のイベント電車にもなっていたのですね

国鉄バスの第1号。昭和初期に登場したようですが、路線図は愛知環状鉄道のコースです。多治見に行くことなく終わり名前だけが残った「岡多線」が愛知環状鉄道に引き継がれたわけですが、バス小さい! この大きさで需要はまかなえたということでしょうか

いろいろ写真を掲載していくとキリがないので、ぜひ現地で体感してください。人気のシュミレーターのほか、お食事処では駅弁販売を行っています。現地にいる間にお昼時を迎えたため、かなりの人気でした

この日の私には、あおなみ線の中島駅から南方貨物線の遺構を巡るというテーマがあり、お昼過ぎには去ることとなったのですが、いくらでも時間をつぶせるものでした。ちなみに遺構巡りは、あまりの暑さに、わずか30分で投了という結果が待っていました(泣)

というヘタレな私ですが、あらためまして今年もよろしくお願いします

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ありがとうございました

2022年も終わろうとしています

今年は人生において大きな変化があった年になりました。言ってみれば36年ぶりの変化です

社会人になったのは、まだ昭和の1986年。世間的に分かりやすいのは阪神タイガース唯一の日本一の翌年。鉄道の視点からすると、国鉄最後の年。今にして思うと社会人1年目の出張は国鉄に乗って出かけていたのですよね。明確に覚えていますが、人生初の出張は高松。宇野ダッシュの最初で最後の経験でした。そもそも高松までの往路は飛行機でしたから。伊丹~高松の空路がまだあった時代。乗ったのはYS11と、これまた今にして思えば貴重です

そこから36年の時を経て会社員生活を7月いっぱいで無事卒業。こちらのブログを開始したのは9月でこの記事が91本目となります

最も印象に残っているものは

全部の振り返りをしているとキリがないのですが、副次的な要素も含めると最も印象に残っているのは遠方への旅ではなく

能勢電鉄です。騒ぎにならないうちに能勢電鉄の「山下発山下行き」「旧阪急2000系の1700系」とのお別れをしておこうと出かけたところ、当日の運行当該編成が、その1700系だったという一石二鳥というか王手飛車取りというか、まさに僥倖、超ラッキー

能勢電鉄のホームページでは、惜別のヘッドマークを付けた1700系の運行について、日付ごとに、どこの運用に入るのかを発表していたのですが、私は知らなかった

当日、山下駅の朝は随分と撮り鉄さんがいて、まだ惜別まで1カ月もあるのに、おかしいなぁ、と首をひねったものですが、まる1日こちらの運用に入るのであれば、そりゃあ来ます

その意味で自分の体験はもちろん、動画としても貴重なものになりました

実は能勢電鉄には11月30日にも訪れていまして、まだ記事にしていませんが、平日の朝7時半というラッシュ時に川尻駅のホームに行くと

いきなりいらっしゃいまして驚きました。この日も運用についての調べはしていません

当日は能勢電鉄の全駅下車(ラッシュ時ということもあり、すぐ終わりました)が主眼だったので、1駅でお別れとなりましたが、印象深いです

意外と難しい、あてのない旅

そして時間ができたら、ぜひやってみたかった念願の旅というのはこちら

1週間自由に乗れるパスで、あてのない旅をすること。こちらのポイントは自動改札機を通れることと、もうひとつ大きいのは青春18きっぷより微妙に早く運用が始まること。混雑を避けられます

行くところまで行って飽きたらホテルをとる、とい66日間(きっぷは7日使用できますが私に与えられた時間は6日間でした)。こんなの時間がないとできませんから、憧れていたのですが意外と難しい、というか洗濯が面倒だ(笑)。結局、5泊のうち2泊は都内の部屋に洗濯機があることで有名なホテルチェーンを利用することに

また旅に出ると必要以上に呑んでしまうので疲労がたまります。道中の1泊を郡山にしたのですが、何やら体内の危険信号が働き、当日はサイゼリヤでパスタ+サラダ+ドリンクバーのみの夕食で終わるという、初の旅先ノンアルコールを経験。福島の地酒をとても楽しみにしていたのですが、こちらは年齢の影響もあるのかもしれません

そして当日に確保しようとすると宿もなんだかんだで大きな都市になるのですよ。それは高山本線の時にも学びました。ただこちらについては来年また再チャレンジしたいと思います。そもそも東京を起点にすると、必ず飲み会が入ってしまうので、来年はもっと北の方をスタート地点にしたいと思います

と、とりとめのない話をダラダラと書いてしまいましたが2023年もよろしくお願いします

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その25~北陸鉄道の駅からは離れています

8月26日8時30分

朝の通勤電車で

宿泊地の小松から約30分。野々市に到着です。この後は北陸鉄道にひたすら乗る予定で帰路途中にある芦原温泉に寄って春から2回に分けての敦賀~金沢間の北陸本線全駅訪問となるわけですが、この日は青春18きっぷを利用する予定はなく、芦原温泉は特急停車駅でもあるので、そう大変ではない。事実上、当駅でコンプリートのようなものです。朝の通学通勤電車なので4両編成。お客さんはいっぱい。小松始発を選んで乗りました。朝は本数も多いので、このあたりは選び放題です

北陸新幹線の高架下駅としては異色

当駅も北陸新幹線の高架が上を通る形になっています。その形状はいくつかありますが共通するのは新幹線の高架ができるタイミングで駅舎も改築されているということです。こちらも

南口が10年前に新築されています。元々はこちらの南口だけでした

こうして見ると、すっぽり高架下にできています

では新たにできた北口はというと

ユニークな形状。野々市北口プラザとなっています。新たにできたとはいえ25年前のこと

南口側のホーム(上り)には両出口への案内があります

こうして見ると他の北陸新幹線の高架下駅とは、ちょっと異なることが分かります

他の駅は新築時に橋上駅舎化されているのに、こちらはされていません。橋上駅舎は線路をはさんで、南北(または東西)どちらにも行けるのが利点で改札もひとつで済むため全面改修の時は、橋上化されることが多いのです。そうならなかったのは、先にできていた北口プラザが立派すぎて、さすがに壊せなかったからではないでしょうか

もうひとつの野々市駅

さて「野々市駅」と言えば、かなり以前に紹介したことがあります

もう2ヶ月以上も前の記事です。こちらも野々市駅ですが

かなり離れています。歩いて行こうという距離ではないですね。関西では私鉄同士や私鉄とJRでよく見かける光景ですが、他地域では珍しい

これは地形的なものによるようで、野々市市というのは南北に長い上、市域が入り組んだりしていています。JRの駅は野々市市をかすめるように走る北側にあり、北陸鉄道の駅も市境にあります。JRの駅は戦後に地元が全額出費した請願駅として設置されているので同名駅が2つ存在するのも納得だったと思われます

ちなみに野々市市のホームページによると、最も市役所に近い最寄り駅は北陸鉄道の額住宅前で徒歩20分ですが駅の所在地は金沢市です。野々市市では市内に細かくコミュニティーバスを走らせることで住民サービスを行っています

駅の全景です

請願駅としての出発でしたが、地形上、野々市市以外のニーズもあり利用者は右肩上がりで(コロナ禍以前の数字)、米原や長浜など滋賀県の駅も含めた北陸本線の利用者ランキングは乗降客4000人で11位。特急が1本も停車しない駅としては北陸鉄道との乗り換え駅である西金沢に次ぐ2位となっています。昨年無人化されました

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その19~ひとつ手前の存在感

8月25日14時40分

大切な駅

西金沢までやってきました。もう金沢までは、あと1駅です。もっとも、この後再び金沢市から出ていくのですが

ご覧のように北陸新幹線の高架下に橋上駅舎が設けられています。1面2線の島式ホーム

特急停車などはないのですが重要な駅です。私が乗車した電車も一番多いのは次の終点・金沢で降りる方ですが、こちらでもかなりの方が降り、そして乗ってきました

貴重な乗換駅

駅舎の外に出ると

屋根付きの通路があり

奥にあるもうひとつの駅まで延びています

ご覧の通り、北陸鉄道の新西金沢駅と目と鼻の先です。もちろん乗換駅

※2枚目の写真は翌日撮影したものです

北陸鉄道は現在、北鉄金沢~内灘の浅野川線と野町~鶴来の石川線の2路線を持っていますが、それぞれ孤立した路線となっています。また浅野川線は金沢駅に乗り入れていますが(北鉄金沢はJRの金沢駅とほぼ同じです)、石川線は野町という、やや街外れ(金沢の繁華街でもあね香林坊までは徒歩10分ぐらいですが)が終点。そのためJRとの唯一の接点が、ここ西金沢で貴重な乗換駅。正式な駅名は新西金沢。なんでも大正時代から、この駅名だそうです。「新○○」という駅名は近年のものとばかり思っていましたが大正期にもあったのは、ちょっと驚き

時間帯にもよりますが北陸鉄道では貴重な有人駅。私はこの日と翌日、現地に滞在しましたが計3回お世話になりました。利用者が多いのは当然です

かつては乗り換えとなる側に駅舎があり、逆側の方は不便でしたが10年ほど前に現在の橋上駅舎となり、両側に出られるようになっています。利用者が多いのですから当然と言えば当然ですね

もちろん、みどりの窓口あり…と言いたいところですが、さる10月いっぱいで閉鎖。無人駅となっています。駅員さんが花束を受け取るニュースが流れていました。まだ1年以上あるのですが、三セク転換はすぐそこまで迫っている実感があります

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妙見の森フリーパスお早めに

最後も1700系で

リフト乗り場の傍らでふと目についたもの

「駅跡」となっています

終わっていたのですね。全然知りませんでした。スタート時から、かなり話題になっていたはずですが…

昨年12月に終わっていました。残念。そしておつかれさまでした

ケーブルの駅まで戻ると時間もお昼近くになってきて臨時便も出る盛況ぶり。バーベキューのお客さんも目につきました

来た経路を戻ってリフト→徒歩→ケーブル→徒歩で妙見口の駅に戻ってきました。帰路は道も分かっている分、はっきり言って楽勝でした。考えてみれば、元々「妙見」という駅名だったものが戦後に「妙見口」に変わっています。この「○○口」というのは鉄道というよりバスでよく見かけるのですが「○○駅口」という停留所で駅まで相当歩かされたことが何度もあります。事情は分かりませんが「妙見という駅名なのに随分と駅から遠いじゃないか」と苦情が出たのかもしれませんね

駅に行くと

なんと1700系がお出迎え。ここから川西能勢口に向けて戻るだけですが、これはうれしい偶然だったなぁ。鎧のブラインドもしっかり使われている。平野駅で降りてみたかったので、そちらでお見送りしましたが、楽しかったです

大変お得なフリーパス

さて今回使用した

妙見の森フリーパスは、めちゃくちゃお得なきっぷです。能勢電鉄単独、プラス阪急、プラス大阪モノレール&阪急と3種類があって、それぞれ1200円、1600円、2000円。私はプラス阪急を利用しましたが、まずケーブルとリフトの料金はというと、それぞれ片道400円です。つまりケーブルとリフトを利用して往復すると1600円。これだけで元がとれてしまうのです。さらにプラス阪急なら能勢電鉄に加えて阪急各駅、プラス大阪モノレールなら同じくモノレールと阪急が乗り放題、降り放題。さらにいろいろな店舗や施設での割引特典もあり、相当にお得です

こちらの発売は12月4日の日曜日まで。同月17日のダイヤ改正より2週間ほど早いので、お早めの利用をおすすめします。発売場所や各種割引については能勢電鉄のホームページをご参照ください。例えば阪急ならどの駅でも販売しているかというとそうではなく、例えば神戸市内なら三宮駅だけのようではないので、こちらは注意が必要。またケーブルとリフトは水、木曜日は休業(祝日をのぞく)ですので留意してください

さて肝心の私ですが当初は夕方まで、いろいろな駅で降りてやろうと目論んでいたのですが、当初予定していた徒歩が疲れたのか

社会人生活をスタート(昭和です)した庄内で久しぶりに降りて、随分変わったなぁ、などと歩き回って昔から残る喫茶店でご飯を食べ、15時過ぎに帰宅となりました。その時の反省と言ってはなんですが、動画撮影したものが、うまく映っていなかったりしたこともあり、期間内にもう1度訪れたいと思っていたりします

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