※訪問は2026年4月18日
駅前の広場が伝えるもの
あらためて高師浜駅

マンション群に溶け込む駅前の小さな広場が特徴的。車が入るロータリーがあるわけでもない終着駅とそこにある駅舎が、大正モダンを今に伝えている
高石駅までは徒歩10分
前記事でも伝えたが、高師浜線は南海本線の羽衣駅から始まり、わずか1・4キロ進んで終着駅に到着する。羽衣駅までは歩いて20分。というか南海本線の高石駅にもほど近い
徒歩で約10分。両駅までの近さを考えると、3年間の運行休止期間は、少々不便な代行バスに乗らなくとも、ふだんよりちょっと歩けば良かったのだ
と、ここまで書いてくると、そもそも何でこのような路線ができたのか、という疑問がわいてくる。路線ができた大正時代、マイカーというものはほぼなく、道路事情も今のように良くはなかったころ、駅を利用する市民は今よりずっと健脚だったはず。住居を購入したり、借りたりする場合、駅から徒歩20分と聞かされると「うーん」となってしまうかもしれないが、当時は徒歩20分の場所に駅ができるだけで大喜びの時代だ。わざわざミニ支線を造る必要はないと思うが、その理由を示す説明書きが駅前にある

1904年(明治37)から1905年にかけての日露戦争時、ロシアの捕虜収容所が高師浜にあった。元々は名前の通りの砂浜に造られた巨大な施設だったが、戦争が終わって捕虜は帰国。すでに砂浜ではない広大な土地だけが残った。しばらくは陸軍の施設として使用されていたものの、やや持て余し気味。そこで発案されたのが、土地の高級住宅街化。おりしも東羽衣駅の記事で伝えた浜寺海水浴場が1906年に開場。別荘地ともなった浜寺は一大レジャー地域となった
後発の阪和電気鉄道も目をつけるほど栄えることとなったが、隣接する高師浜一帯も高級住宅街にとようというプランが生まれたことに伴って敷設されたのが高師浜線だ。さすがに高級住宅街だから高級車が並ぶという時代にはまだ至っておらず、高級住宅街という言葉の意味合いも現代とはやや異なるが、新たな住宅街に住む人々が、できるだけ歩かなくて済むように高師浜線が敷設されたのだ
駅舎も高級住宅街にふさわしいものとして造られた
少しの変化

高師浜駅は無人駅。かつては改札を抜けるとそのままホームだったが(今もホーム跡は残る)、高架化されて、やや急な階段を昇ることになった。運休期間中にバリアフリー化が進んでエレベーターが設置された
5年前の訪問と比べ、エレベーターの設置以外に変わったことと言えば

駅名標だろうか。現在はサムネ写真のものとなっている

車両は支線用の2200系が使用されていた
埋め立て工事も行われ、高師浜は地名だけのものとなっているが、まだ浜があったころから駅舎は周辺を見守っていたのだ
次は新しくなった高師浜線で羽衣駅を目指す
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