私鉄

牟岐線の木造駅舎紹介12~DMV導入で思いがけず終着に

阿波海南駅の駅名標

※訪問は2023年7月20日、音声注意

唐突に終わる鉄路

牟岐線の終着駅である阿波海南駅に到着。ご覧のように単式ホームの先でレールは唐突に終わっている

2019年10月にも現地を訪問したが、同じような角度で撮影したものがこちら

間違い探しのクイズにもならないぐらい分かりやすい。鉄路ははるか先まで伸びていたし、そもそも駅名標には隣駅が記されている

当駅は2020年11月1日に牟岐線の終着駅となった。元々は牟岐線の終点だったお隣の海部までの区間が廃線となったからだ。廃線といっても鉄道路線がなくなったわけではない-と書くとなんだかややこしいが、この区間はJRから切り離される代わりに阿佐海岸鉄道に編入される形となったからだ

阿佐海岸鉄道に鉄道兼バスのデュアル・モード・ビークル(DMV)が導入されたための措置

こちらは海部駅(2019年10月撮影)。ご覧の通りの高架駅で道路上から線路へと入る切り替えポイントとしては不適切だ。そのため地上駅である阿波海南が接点に選ばれ、と同時にこの1区間はJRではなくなった

戦後に国鉄の新路線となるはずも

牟岐駅の項でも触れたが、1942年に鉄路が牟岐まで到達した時点で延伸工事はストップしている。その先は「国鉄阿佐線」として高知県に入り、室戸岬をグルリと回って奈半利を経由。後免で土讃線と合流して高知駅に向かう計画だった。壮大な計画すぎて戦時中に工事が一度終わったのは当然のこと

機運が再び高まったのは戦後10年以上が経ってから。工事が再開され、1973年に阿波海南を含む海部までが開通。この時点では新線は、わずか11キロだったことで牟岐線に組み込まれた

その後も工事は続けられたが、おりから国鉄の赤字が問題となっている時期で国鉄再建法により、工事は1980年に中断。ただ工事はほぼ完了しており、せっかくの設備がもったいないと海部から先のすでに出来上がっている区間については1988年に新たに設立された阿佐海岸鉄道によって工事が続けられることになり、1992年に海部~甲浦8・5キロが開業。甲浦は高知県に入ってすぐの場所にある

牟岐以南は鉄建公団によって工事が行われたため高規格。特に海部~甲浦はすべて立派な高架線となっている

時を同じく土佐くろしお鉄道によって後免から室戸岬を目指す鉄路もでき、2002年に後免~奈半利が開業。しかし工事はそこまで。奈半利と甲浦の間はバスで結ばれたまま現在に至る。そしてDMVの登場である

海陽町の中心駅、数奇な運命

途中駅時代から阿波海南は海陽町の中心駅。駅前にはコンビニなど商業施設も多い。駅にはタクシーも常駐している

かつては駅舎もあり、駅員さんもいたが撤去。代わりに駅前に建てられた海陽町海南駅前交流館が事実上の駅舎となっている。ちなみに旧国名の「阿波」が冠せられる駅は当駅までである

こちらがDMVの停留所。ここでバス↔鉄道に変換するため、正式には「信号場」と呼ぶそうだ。牟岐線との連絡も図られたダイヤとなっている

DMVに乗車するのは別の機会にするとして、私はここで折り返し。ただ乗車すると撮影できないバスから鉄道への変換は動画で撮影

何かレールとしっくりこなかったのか一度チェックが入った

無事にさっそうと去っていった

DMVについては改めて時間を作ってじっくり乗ってみたい

それにしても単式ホームの途中駅から終着駅になった阿波海南駅については数奇な運命を感じてしまう

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~エピローグは坂道

伊勢石橋駅の駅名標

2023年3月15日

全駅訪問完了はいいものの

井関駅で名松線全14駅(松阪駅のぞく)訪問を終えたのはいいものの、大きな問題があります

当然ですが帰宅しなければならないのです。別の言い方をすれば、ここ井関駅からの脱出。とにかく近鉄の駅へと向かわなければ大阪方面へは帰れない。逆に言うと近鉄のどこかの駅へ行ければ、後は何とでもなります

名松線は路線そのものが行き止まり構造で、家城~伊勢奥津の山中の駅から近鉄の駅へはつながりようがない。家城~松阪間の平野部の駅と近鉄の駅とは、車だとすぐの場所にあるのですが、両者を結ぶバスというのがほとんどないのです

そもそもゴール方法に問題があって、伊勢奥津から松阪行きに乗車して井関で降りた以上、次の松阪行きは2時間後でさすがにそれは待っていられません。ということで乗り継ぎが便利な一志そして松阪での乗り換えは不可能。もっとも逆方向の伊勢奥津行きですら1時間半後ですから、現在の時刻が16時過ぎということもあって、それも待っていられないし、乗ったところで先のアテがありません

道中からどうしようと迷っていたのですが、ひとつ薄いながらアテがあったのは、井関駅だからこそあるバスです。山中から、ここ井関を経て近鉄の川合高岡駅を経由、最後は久居駅に行くバスが1時間に1本ある。これは貴重な存在なのですが、下調べでは、なぜかこの時間だけ2時間空いている。ただバスについては下調べと現実が微妙に異なっていることも過去にかなりあって、それに期待したのですが駅前のバス停でチェックすると、当然のように下調べの通りでした

ということで

またもや徒歩

結局は最後も徒歩ということになりました。最も簡単なのは川合高岡まで行くことでバス道に沿って歩けば30分ちょっとで歩けるはず。しかし調べると、もうひとつ伊勢石橋という駅の方が距離的には近いようです。川合高岡は何度か行ったので、ここは一度も行ったことのない伊勢石橋まで歩いてみることにしましょう

こんな感じの行程となります

井関駅から西へ歩き踏切を渡ると、あとはほぽ一本道のようですが、なかなかの茂みが待ち構えていますね。当然のように難問を突きつけられました

凄い坂が待っていました…泣

地図ではそこまでは分かりません。ただここまで歩いてきた以上、引き返すことはもう無理。今日はかなり歩きましたが上り坂は初めて。携帯アプリがない時代だったら、絶対にあり得ないコース

小さい峠のようになっていて、そこを下って雲出川が見えると川に沿って大きめの集落がありました。ただここから近鉄の駅へはまだかなりの距離があって、珍しい光景だな、と思いつつ

夕陽を眺めながら、今日のお友達である雲出川を渡りましたが、後で調べると伊勢川口の項で触れた中勢鉄道は川沿いにこの集落付近を抜けていて途中には駅跡に駅名標のレプリカも建てられているとか。もっとも、この時の私は疲労困憊、先を目指すことばかりを考えていて、そんな余裕はありませんでした

近鉄大阪線の駅とは思えず

その後、再び農村地帯に入り、進んでいくと架線が見えてきました。これで終わりだと思うとドッと疲れが出てきます。電化区間の駅というのは、写真撮影で架線がじゃまになることも多いですが、遠方から見つける時は便利ですね

その伊勢石橋駅。着いて驚いたのですが

全くのホームだけの駅でした。どうもかつてあった駅舎は撤去されたらしい。中勢鉄道との乗り換え駅の役割も果たしていたようですが、そんな雰囲気はありません

もちろん近鉄大阪線の駅なので複線。両側にホームと待合所があるのみ

こちらが時刻表。少し前まではもっと本数があったのですが、コロナ禍で昼間の運行が1時間に1本となりました。私の到着は17時前でしたので30分間隔の時間帯。名松線と比べると夢のような本数です

ちなみに私が滞在する間、17時という帰宅時間帯だつたにもかかわらず、ホームは私の貸切でした

電車がやって来たので、これで全駅訪問の旅は終了です

ホームはずっと貸切でしたが降りる人も誰もいませんでした。なお、この付近の近鉄の駅では当駅のみ極端に利用者が少なくなっています。他の駅では名松線の1日の乗客より多いのではないか、というほど利用者がいるのですが、事前知識なしで訪れた近鉄の駅がピンポイントで「駅舎なし」「貸切」と名松線の駅と同じワードだったことが、何かこの日を物語っているようでした

なお、気になる名松線の将来についてですが、JR東海の社長は昨年の記者会見でJR各社が軒並み路線ごとの収支を発表する中、東海のみが発表していないことについて「収支という形で発表する予定はない」「(JR東海管内でバス転換や廃線についての)予定は当面ない」と話しています

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日本唯一の直交ダイヤモンドクロスは今が「旬」

ダイアモンドクロスを横切る名鉄築港線

2022年6月11日17時50分

※時刻表は当時のものです

1年前の話を書く意味

ちょうど1年前の17時半すぎ

名古屋鉄道の大江駅にいました。大江は名鉄常滑線の駅で今から乗車する築港線の分岐駅。築港線は1区間1・5キロのミニ路線。出発するとすぐ着いてしまいます

単純往復するだけなので、方向幕はLED表示は必要なく「室内サボ」が掲げられています。もちろん列車種別は「普通」のみです

さて1年前の話をわざわざ今する意味は時刻表にあります

大江駅の築港線時刻表。ご覧のように朝と夕刻にしか電車は走りません。先日、103系の引退で話題になった神戸の和田岬線と同じです

当ブログをスタートしたのは昨年の9月で、その時はすでに17時を過ぎると、かなり薄暗い季節となっていたため、次に日が長くなるのを待っていたら1年が経過したという次第

目的地は駅から徒歩数分

電車は瞬時に終点の東名古屋港に到着

改札口すらない無人駅ですが、駅員さんはいる駅です(後述します)

線路に沿って道路を歩いていくと、すぐ目的地に到着です

今や日本で唯一

踏切から中を見ると写真の左右を走るのが乗車してきた名鉄で、中に入れないように鎖が張られているのが名古屋臨海鉄道の貨物線。ご覧のように線路同士が90度直角に交差しています。線路同士が平面で交差する際、交差の間がダイヤモンドのような形になることから、ダイヤモンドクロス(ダイヤモンドクロッシング)と呼びます。ターミナル駅で見られるように、ほとんどは斜交となっているのですが、このように直角で交差するものは、今や日本で3カ所のみ。他は松山市の伊予鉄道と高知市の土佐電鉄ですが、前者は路面電車と普通鉄道、後者は路面電車同士となっていて、普通鉄道同士は当地が唯一のものとなっています

私の世代だと阪急の西宮北口駅における今津線と神戸本線の直交をいつも見ていて、珍しいものだという認識は当時は全くなかったのですが、今となっては貴重な体験をしたことになります

その音をお聴きください

直角に交差している分、レールの継ぎ目の音が独特で、その部分が目視できるので分かりやすいですね

写真ではこのようになります

貨物運行は不定期

さて、見るとホームも何もありませんが、こちらは「名電築港」という名鉄と名古屋臨海鉄道の貨物駅

ただ普通にイメージする貨物列車は現在は走っていません。では何のための貨物線かというと、車両や資材を運搬するためのものです。名鉄に新車両が運搬される場合、JRの笠寺から写真で言うと手前側からやって来ます。写真の奥でスイッチバックする形で東名古屋港駅方面で折り返し、名鉄に入っていきます。廃車回送の場合は、その逆コースとなり、資材運搬にも使用されていますが、特殊な運搬任務にあたるため運行は不定期です

列車に見とれているうちに18時を軽く回ってしまいましたが、もちろんまだまだ明るい

築港線の乗車方法

大江駅で築港線に乗下車する際は必ず中間改札を通る必要があります。1区間だけの路線なので東名古屋港駅に向かう場合は、先に旅程を終える形となっています。これは和田岬線や東武の大師前(東京都)と同じシステム

ただ微妙に異なるのは東名古屋港駅には列車運行時には駅員さんがいるということ。1区間のみの築港線ですが、単線のためスタフ通票による運行が行われているため、その係の人員が必要なわけです。スタフ受け渡しの場面ももちろん見られます

何気に私の気を引いたのはホーローによる注意案内。なかなかいい感じです。現地にはバス路線も走っていますが、大江駅をはじめ、名古屋中心部へのスピードが圧倒的に違うため、築港線は需要の多い路線で1日に約5000人もの利用があります

現地を訪れる際の注意点としては、週末の運行が少なくなる点。時刻表を見ていただければ分かりますが、土曜日はまだそれなりの運行がありますが、日曜は朝5往復、夕方3往復のみの運行しかないので、ご注意ください

今年の夏至は6月21日。1日の日照時間が最も長い季節になりますので、ダイヤモンドクロス訪問は今が旬です

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由利高原鉄道に初乗車5~まごころ列車に見送られ

由利高原鉄道に乗車するとおひなさまの出迎えがあった

2023年3月4日9時40分

「おひなさま」のお出迎え

話は若干前後しますが、曲沢から子吉に迎う列車に乗り込むと出迎えてくれたのは

おひなさま

事前に知識を入れていなかった私はビックリしてしまいました

「おひなっこ列車」で車内は華やかに彩られています。幸運なことに、子吉からの列車も当該車両。矢島から羽後本荘までも、もちろんこちらだったので楽しかったです

さまざまなイベント列車

由利高原鉄道では四季を通じてさまざまなイベント列車を走らせています

私の訪問時はこちらの、おひなっこ列車でした。その他にも「こいのぼり列車」「たなばた列車」「かかし列車」「ハロウィン列車」「クリスマス列車」が季節ごとに運行され、その他にも有料の「納涼ビール列車」「忘年会列車」などが運行されています(詳細は同社のホームページで)

おひなさまは由利本荘市の江戸時代の3つの藩「亀田藩」「本荘藩」「矢島藩」に「ひな街道」に基づくもの

実は今回、矢島藩は四国の高松から転封されたものだということを初めて知りました。高松には2年半ほど勤務していて、それなりに知識はあったつもりですが、高松藩というのは当初から松平家=徳川の親戚の藩だったとずっと思い込んでいました。元々は生駒氏の藩だったものが、幕府のおとがめを受け、引っ越しを余儀なくされたのですね。しばらく当主は江戸にいたそうですが、高松から矢島への引っ越しは大変そうです。有名すぎる栗林公園も当初は生駒氏によるものだったとか。各地を巡ると60歳にして、いろいろ勉強になります

まごころ列車に乗車

雪の中、発車を待つ列車

由利高原鉄道鳥海山ろく線では

矢島発9時40分→羽後本荘着10時21分

羽後本荘発10時55分→矢島着11時34分

の午前中1往復を「まごころ列車」として運行しています(水、木を除く)。アテンダントが乗車して沿線案内をしてくれるほか、グッズ販売や記念品配布もあります

大変にぎわっていました

グッズについては由利鉄中華そばとか欲しかったのですが、鉄道旅のつらいところで、旅の途中では、なかなか荷物を増やすことができません

でも、かわいい乗車記念グッズをいただきました

曲沢駅の項で「鳥海山は見えなかった」と記しましたが、実を言うと初めての地なので、どれが鳥海山か、よく分からなかったというのが実情。アテンダントの方が「残念ながら今日は鳥海山は見えません」とアナウンスしてくれたので分かった次第です

車窓の雪景色は徐々に消え、羽後本荘に到着しました

第三セクターというのは「民業を圧迫する」との理由で副業ができません。駅前や観光地に土地を有していても、そこにホテルを建てて経営する、というのはできないわけです。かつて国鉄を苦しめた理由のひとつでもあります

このため、各地方の三セクでは、さまざまな工夫を行って企業努力をしています。短い時間ではありましたが、そんなことを強く感じ、そして楽しかったひとときでした

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由利高原鉄道に初乗車4~本社所在地の終着駅は木造新築

矢島駅の駅名標

2023年3月4日9時30分

終点は元の矢島町の中心駅

鳥海山ろく線の終着駅である矢島に到着しました。写真で分かる通り、周辺は雪に包まれています。そしてこれもまた写真にある通り、同線の車両基地があります

大きな駅舎は2000年に新たに建てられたもの。新駅舎ながら森林の地らしく木造駅舎になっているのがポイント。最近の新駅舎で木造というのは、なかなかないので貴重な存在です

元々は支線予定

国鉄矢島線時代の駅名は「羽後矢島」で開業は1938年。香川県の観光地である「屋島駅」があったため、国名が冠されたといいます。三セクの鳥海山ろく線になった際に矢島駅となりました

駅は旧矢島町の中心地にあります。平成の合併で沿線はすべて由利本荘市となりましたが、三セク転換時は本荘市、由利町、矢島町の3つの自治体を走っていました。由利町の中心駅が前郷駅で、横荘鉄道の構想では、ここから横手に線路が伸びることになっていて、横手と羽後本荘が線路でつながった際に旅客や木材運搬で必ず重要になるだろう、ということで1922年の羽後本荘~前郷が開業してから15年以上が経って前郷~羽後矢島が開業。いわば支線のように敷設されたのですが、羽後矢島駅の開業直前に国鉄買収され、路線名称も矢島線と決まってしまいました。横手側からの路線は国鉄とはならなかったことが運命の分かれ道ともなり、間もなく戦時体制に入ったこともあり、線路はつながることはなく、横手側からの線路は戦後に廃線となりました

現在の由利本荘市の誕生によって三セクは秋田県と由利本荘市が主要株主となっています

ギネス記録も

今回利用したのは週末に販売される「楽楽遊遊乗車券」というフリーきっぷ。お値段は1100円で羽後本荘~矢島が片道610円なので単純往復だけで十分に元が取れます。沿線の施設や飲食店での割引特典もあり

駅にはギネス記録の記念板もあります。これは2015年11月3日に埼玉県の川越工業高校の生徒さん13人が単一電池のみで動く「電車」を製作。パナソニックの単一電池600個を使用した電車が前郷~矢島間を往復。時速10キロというスピードながら生徒やギネス認定員ら9人を乗せた乾電池列車が22・615キロを走り乾電池車両による20キロ超走行のギネス記録を達成したことを記念したもの。元々、乾電池を使用した電車が普通の線路を走行した例はなく、往復2時間47分をかけて走り切りました

矢島駅にはグッズ売り場もあり、横荘鉄道の開業から100年を迎えたことを記念した6駅の入場券セットを購入。なかなか満足度の高いものとなりました

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由利高原鉄道に初乗車3~駅?郵便局?

子吉駅に入居しているのは玉ノ池簡易郵便局

2023年3月4日8時20分

どこからどう見ても

曲沢から羽後本荘へ戻る形で子吉で下車しました。こう見ると普通の駅の光景と何ら変わりませんが、外に出ると全く異なる風景に出会える

これはどう見ても郵便局以外の何ものでもありません。駅舎の中に郵便局が入居しているユニークな駅です

大正期の開業時に開設

子吉駅は1922年の横荘鉄道開業時に設置された古い歴史を持ちます。長らく旧駅舎が使用されてきましたが2011年に現駅舎に改築。郵便局が駅舎に入居しました

こちらは駅舎内の様子。玉ノ池簡易郵便局が入居しています

土曜日ということで郵便局はお休み。駅の待合室のみの機能。もちろん時刻表や運賃表も掲示されています。集札や出札は行っていないようですが、ぜひ郵便局が開いている時間に訪れたいもの

駅の前を走っている国道からは駅と郵便局、どちらも分かりやすく表示されている

新駅舎が誕生した際に植樹が行われたようで、10年以上が経っているとはいえ、まだ木としては幼いようです

駅を離れます。子吉は羽後本荘から2駅目。羽後本荘まで行って折り返してきた列車なので同じ車両になりますね

駅舎に郵便局が入居する例としては内房線(千葉県)の江見駅もあります

こちらは昨年12月訪問時のもの。その時も残念なことに週末で郵便局は開いていませんでした。当駅は業務委託駅で、郵便局の開いている時間帯は駅業務を行っています

再び車窓は雪景色

このまま終点の矢島へと向かいます

もちろん最初に訪れた曲沢も通過しますが、ふと気付くと

車窓はすっかり雪景色。昨日の午前中に青森県で見た光景に再び会うことになりました。鳥海山ろく線は全長23キロで、それほど長い路線ではなく、真ん中あたりの曲沢でも雪はほとんど消えていたのですが、こんなに景色は変わるのですね。ちょっと感動しました

そして矢島駅に到着です

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由利高原鉄道に初乗車2~農地にポツンとたたずむ駅

2023年3月4日8時

全12駅の旅

羽後本荘駅の0キロポストに見送られて出発です

由利高原鉄道は全長23キロ、羽後本荘も含め12駅の路線で非電化単線。全線乗車しても40分ぐらいの行程です

ほとんど廃線が決まりかけていた矢島線を地元の皆さんの努力で三セクとして生き残らせてから、もう40年近くが経とうとしています

大きなテーブルがあって観光仕様にもなっている。後で気付かされるのですが車両によっては、いろいろな装飾や工夫が行われています

本当に何もない絶景駅

約20分で曲沢駅に到着。三セク転換後に新設された駅で、わざわざ新設するからには学校があったり、会社や公園などの公共施設があって、その利便性を図るためのものが多いのですが、この駅の特徴は「周囲に何もない」ことです

ホームへは道路から通路を歩いて入ります。写真で分かる通り、周囲は本当に何もありません

グーグル地図でも何も記入されていません。地図をいくらズームしても、やはり何もない

1面だけのホームにはポツンと待合室があるだけ

待合室に掲げられた駅名板も年季と風雪を感じさせるものとなっています

駅の設置理由は「絶景」です。360度パノラマ(由利高原鉄道のホームページでよく分かります)で鳥海山の美しい姿がよく見える

「何もない駅」としてテレビで紹介されたところ、話題になりました。1日の利用者は1人とか2人とか。フリーきっぷの利用者はカウントされないはずなので、駅に降り立つ旅客は私のような鉄オタか、撮影をする人がほとんどだと推測されます

ただ、これまた日頃の行いなのか、当日はスッポリ雲に覆われて見えない状態。なかなか行けない場所なので本当に残念でした

それでも最近ならいざ知らず、平成元年にこのような駅を意図的に開設したのは、なかなかのアイデアだと思います

出発の時間となりました。また違うデザインの車両がやって来ました。次の駅に向かいましょう

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由利高原鉄道に初乗車~名称は鳥海山ろく線

羽後本荘駅の駅名標と由利高原鉄道の車両

2023年3月4日7時20分

羽後本荘に宿泊

前夜は18時前に羽後本荘に到着

羽後本荘の駅名標です。そのままホテルへ

一夜明けた羽後本荘駅。朝の7時過ぎですが、曇っていてまだ薄明るい。立派な橋上駅舎が2年前に完成。それまでは昭和50年代に改築されたコンクリート駅舎でした。旧本荘市で現由利本荘市の代表駅。特急も停車する管理駅ですが、前記事の岩城みなと駅の項でも触れた通り、有人ながら窓口はなくきっぷ販売は指定席も発券できる自動券売機となっています

待合室に過去の写真とともに羽越本線の周辺駅の歴史も掲示されています

現在は羽越本線の一部が1922年の羽後本荘駅開業当時は陸羽西線だったことが分かります。そのひとつ下に耳慣れない「横荘鉄道」という文字が見られますが、これこそが今から乗車する由利高原鉄道の元になったものです

スタートはJR駅の一部から

改札内は同じになってしまうのですが、JRと由利高原鉄道は別の改札口となっています。そして由利高原鉄道には窓口はちゃんとある

羽後本荘駅は4線のホームを持っていますが、1~3番線をJR、4番線を由利高原鉄道が使用します。すでに発車準備は整っていますね。会社名は由利高原鉄道、路線名は鳥海山ろく線。JRに乗って当駅に向かうと到着時には「鳥海山ろく線はお乗り換え」とアナウンスが入ります

歴史ある23キロの第三セクター

由利高原鉄道は羽後本荘駅から山中に入り、終点の矢島駅を結ぶ23キロの三セク

国鉄末期の1985年に国鉄「矢島線」が三セク転換されました

歴史は古く、先述した横荘鉄道が羽越本線の全通(1924年)より先の1922年に羽後本荘~前郷を開通させました(陸羽西線から羽越線に名称が改められたのは1924年)。1922年といえば大正11年ですから歴は相当古い

ならば「横荘」とは何なのか、という話になりますが「荘」は羽後本荘だと容易に察しがつきますが、「横」はというと奥羽本線の横手です。横手と羽後本荘の両方から線路を伸ばしてつなげる予定で、横手側からの方が先に工事が始まり、昭和初期までには順調に線路が延びていき、前郷で接続された後の繁栄も考慮されて前郷~矢島も延伸開業されたほどでしたが、日本各地の未成線と同じく、戦時体制とともに工事は中断。その後、線路が結ばれることはありませんでした

路線にとって不幸だったのは、矢島延伸(1937年)間近になって横荘鉄道は国有化され「矢島線」となったにもかかわらず、横手からの路線は国有化されず、名称も羽後鉄道から羽後交通横荘線となったものの、天災などの不運もあって徐々に路線は縮小。1971年に全線が廃線となってしまいました。現在は横手と羽後本荘をバス路線が結んでいます

矢島へ出発

残念ながら時間の制約があって今日は、それほど多くの駅で降りることはできませんが、全線乗車は果たすつもりです

由利高原鉄道側から見たの駅名標は鳥海山ろく線仕様となっています

乗り込むと約20分で

曲沢に到着。ここはぜひ降りてみたい駅でした

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新幹線単独駅巡り再び~日本に5つの自治体

いわて沼宮内駅のIGRいわて銀河鉄道の駅名標

※新幹線単独駅ではありませんが初訪問なので記事に加えます

2023年3月2日15時50分

「いわて」の付いた由来

盛岡で乗り継ぎに余裕があったので一度駅前のホテルにチェックインしてから再び駅へと戻り、再び新幹線に乗車。いわて沼宮内に到着です

東北本線時代は沼宮内という名前で2002年に東北新幹線が盛岡から八戸まで延伸された際に駅名変更となりました

3階建ての立派な駅舎はその時に完成しました。岩手広域交流センターにの中に駅が設けられている形になっていて駅の中の人は多い

「いわて」の名前ですが、一見すると「岩手県」を想像してしまうかもしれませんが、ちょっと違う

駅前の像で分かる通り、ホッケーに力を入れている岩手町の「いわて」。当駅が岩手町の代表駅であることを分かりやすくするため「いわて」の3文字が入りました

駅前の岩手町の案内図。都道府県名と同じ市町村名でありながら県庁所在地でないという自治体は日本に5つあって、そのひとつ。他は茨城町、栃木市、山梨市、沖縄市です。ちなみにメディアには「県庁所在地を報じる時は県名は略する」というルールがありました。つまり盛岡市での出来事を報じる時は「盛岡市で行われた○○」、岩手町での出来事を報じる時は「岩手県岩手町で行われた○○」と表記されるわけです

JR東日本の新幹線駅で最小

こちらは新幹線の改札口。随分コンパクトですが新幹線駅の利用者はコロナ前でも1日に150人程度でJR東日本の新幹線駅では最小の利用者

これは到着時のホームの案内表示ですが、次の列車が2時間後、その次も2時間後

駅の時刻表を見ると2時間に1本の停車で、始発も遅め。東京へもっと早い時間に行きたい場合は、IGRいわて銀河鉄道に乗って向かうことになります。このあたりは本数が少ないから利用者が少ないのか、利用者が少ないから本数が少ないのか微妙なところですが、IGRいわて銀河鉄道でも30分で盛岡まで行けてしまう近さも本数の少ない理由のひとつになっていると思われます

急な吹雪で厳寒に

私も盛岡に戻りますが、新幹線を待つよりIGRいわて銀河鉄道の方が早いので、そちらに乗車することにします。話の順序が遅くなってしまいましたが、盛岡以北の東北新幹線は整備新幹線となるため、並行する在来線は新幹線開業時に三セク化されています

こちらはIGRいわて銀河鉄道の改札口。今回利用しているきっぷは同線にも乗車できます

こちらはIGRいわて銀河鉄道の駅名標。背後に新幹線の高架。しっかりホッケーが描かれています

ここで偶然にも貨物列車がやってきました

貨物列車が見られるのは三セク乗車の楽しみですが、白石蔵王から少しずつ北上してきた今回の旅で初めて見た光景があります。それは雪に覆われたホーム。同じ岩手県でも一関や水沢あたりでは雪は全く見なかったのですが随分と異なる光景。そのうち横殴りの猛烈な雪が降り始め、私はホームで震え上がっていました。思えば10日ほど前に米子で猛烈な寒さに出会い、その後「随分と暖かくなったなぁ」と感じていたのですが、その考えは大いに甘かったようです

写真では分かりにくいかもしれませんが、激しい雪の中やってきた電車にありがたく乗ることにしました

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ゆいレールに初乗車~終着は「てだこ浦西」

てだこ浦西駅のホーム

※実際の道程とは異なります

石嶺からは新駅

2003年に那覇空港~首里が開業したゆいレール

2019年に首里以遠の4駅4・1キロが延伸開業しました。最初の駅が石嶺です

那覇空港からずっと那覇市内の駅ですが、ここ石嶺が最東端となります

石嶺の駅舎です

最初の開業から16年もの歳月を経たのはモノレール設置にあたっては並行する道路も拡幅の必要があったことと、開業区間の黒字見込みが必要とされたからです

浦添市に入る

経塚(きょうづか)からは浦添市に入ります

こちらは駅名標。新区間に入ると住宅街の色合いが強くなってきます

周辺道路も切り通しとなっています

そして浦添前田。浦添市役所や浦添城跡への最寄りとなります

発車案内の下には接近標がありますが「前駅」はあっても「前々駅」がありません。お隣が終点のてだこ浦西なので「前々駅」がないわけですが、終着駅間近を感じさせます

1000台の駐車場

そして終点のてだこ浦西へと向かいますが、その手前にゆいレール唯一のトンネルがあります。分かっていたので写真も動画も態勢を整えていたのですが、私に技術がなく反射して自分ばかりが写ってしまったので(泣)使い物になりませんでした。急にフッと暗くなるので、ぜひ体感してください

終着駅に到着です。「てぃーだ」は沖縄の方言で「太陽」のこと。「てだこ」は「太陽の子」の意味です

先頭の車止め部分。これを見るために、どんな路線でも終着駅まで行きたくなりますね

ゆいレールでは唯一、改札が地上にあります

てだこ浦西は各地に向かうバス路線のターミナルとして整備中。そして最も大きな特徴はパーク&ライドの拠点となっていること。約1000台分の駐車場が整備されています

構造は1面2線で昼間は2番線のみを使用しています。1番線の発車が23時となっています。駅訪問は時計で分かる通り14時45分。もちろん停車中の列車に乗るわけですが、8時間も先の案内が早々に表示されているパターンは、なかなかレアです

ゆいレールの各駅について駆け足で紹介してきました。初乗車でしたので、何かとつたない部分や伝えきれないことが多く申し訳ありません。車社会の沖縄は渋滞も激しく、那覇市内ではバスがなかなか定時運行できないことが問題になっていましたが、ゆいレールの登場で市内アクセスは大きく改善されました。また観光客にとってバス、特に路線バスというのは、なかなか難敵で駅に着いたのはいいけど、一体どの乗り場から、どこ行きのバスに乗ればいいのか分からないという経験を誰しもがしたことがあるはず。それはバスの行き先表示が終点になっているためで、地元の住民でさえもなじみのない場所は「どこ?」となってしまうことも多い。その点、路面電車やモノレールなどの都市交通は分かりやすいですね

開業時は「車社会でモノレールに乗る人なんているのか?」という不安の声も多く出たそうですが、コロナ禍は残念だったものの、その前には黒字を達成しています

今回唯一の心残りは

こちらの京急ラッピング。最初に首里に向かった際に気付いたもので、慌てて写真を撮りながら「今度会ったらしっかり撮ろう」と思ったのですが、巡り合わせが悪かったのか、二度目の出会いはありませんでした。次回はしっかり「確保」したいと思います

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