私鉄

大都会に残る未成線跡~南方貨物線その3

あおなみ線の中島駅を降りるとすぐに怪しい形の構造物

2022年9月26日12時30分

3カ月の空白を経て

前回の訪問から3カ月後。あおなみ線の中島駅にいました

ホームから名古屋貨物ターミナル駅の建物が見えます。そもそもが貨物線だったあおなみ線ですが名古屋駅から、ともにやって来た貨物専用線はここで唐突な感じで終わっています

前記事までで説明した笠寺からの貨物線はここにつながる予定でした。夏場はの暑さは未成線訪問には全く適していない。涼しさも増してきた9月の終わりに今回は「終点」となるはずだった中島から歩いていきたいと思っています

さて前夜は名古屋に宿泊していたにもかかわらず、駅への到着時間が12時半という遅い時間になった(名古屋~中島の所要時間は10分)のには理由があって、朝は

のんびりリニア館を訪れていたから。当然、開館時間に合わせるので早朝というわけにはいきません。まさに「のんびり」と満喫していました。この行動が後に大いに後悔することになります

話を戻します

駅を降りた地図で付近のチェック。当駅はバス路線も多いので先に予習しようというわけです。地図は南北が逆(北が下)になっていますが、自分の向かう方向を見るにはわかりやすい。あおなみ線以外にニョロニョロと描かれているのが貨物線。駅の北側で終わっている感じがよく分かると思います

ターミナル駅は先に完成

南方貨物線が目指したターミナル駅は1980年10月に開業。1967年に工事が開始された貨物線は1972年には全通・開業する予定だったので、これでも随分遅れていますが、それでも駅だけが先行開業。名古屋から西側からの貨物列車はスムーズに入れるようになりました。しかし東側からの列車は名古屋からずっと東海道本線を西に行った稲沢駅(もう名古屋市ではない)でスイッチバックを行う不便な運行が続くことになります。機関車がけん引する貨物列車は単純に方向を変えることができません。「機回し」という機関車は先頭に付け替える作業が必要となるからです

この作業は現在も続けられていて、東側から来た貨物列車は名古屋駅を2度通ることになります。名古屋駅にいると「名古屋は随分と貨物運行がにぎやかだな」と感じるのは、そのため。その煩雑な作業を解消するのが南方貨物線の目的でもありました

中島駅からあおなみ線沿いに南側へ歩いていくと

さっそく不自然な構造物

不自然な空き地

こちらも

このあたりも

そして会社の建物や事務所もあります

高架はあおなみ線。看板を見ると、会社はいずれもJR東海関連のようです。南方貨物線の用地はJR東海に引き継がれました。現役路線の高架下での営業というのは限られますよね

建物の構造を見ると、このあたりであおなみ線と別れて左側に向かうようです。その先は森のようなものが見えます。歩き始めて、まだ10分ほどです

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その1

笠寺駅から歩くと最初に未成線と会う

2022年6月12日11時30分

完成間近の高架脚?

東海道本線の笠寺駅

こちらは駅名標ですが

音楽やスポーツイベントが行われる日本ガイシスポーツプラザの最寄り駅として有名です。駅の写真は昨年11月のものですが

駅直結でとても便利。このようにイベント告知もあり、快速の臨時停車も行われて多くの人でにぎわいます

当駅はJR貨物、名古屋臨海鉄道の貨物駅としての顔を持ち、多くの側線を持っています。6月でしたが、まだそれほど暑くはない日でした。鉄オタはガイシホール方面には、ほとんど興味を示さず、側線の端はどうなっているかを確認するため、側線に沿ってトボトボと歩きます

すると

側線の切れ目となる道路を挟んだ先に建設中とも思える橋脚が見えてきました

実際には東口から出て線路沿いを歩いてから踏切を渡っているので、徒歩時間は10分ほどですが、側線の端までにしてはかなりの距離と時間で規模の大きさが分かります

しかし、これは建設中のものではありません。「南方貨物線」という未成線跡です

ほぼ完成も列車は走らず

南方貨物線は旅客、貨物ともに好調だった昭和30年代の国鉄黄金時代の香りがまだ残る中、東海道新幹線が開業した少し後の1967年(昭和42)に工事が始まりました。名古屋駅を貨物と旅客の両列車が走ることで名古屋駅は満員状態となって、これ以上需要に応えられないということで、名古屋の南側に新たに貨物駅を設けて貨物列車は名古屋駅を通らないようにしようという計画

言われてみると東京駅や大阪駅に貨物列車はやって来ません。両駅を通らないよう専用貨物線が設けられているからです。名古屋も同様の構造にしようとしたのは自然な流れで計画そのものはかなり前からありましたが、先に新幹線計画と建設が始まったため、一度貨物線計画は凍結。新幹線開業によって東海道本線の優等列車はかなりそちらに振り分けられましたが、結局はゴーサインが出ました

専用線は武豊線との結点となる大府からスタート。笠寺までは既存の東海道本線を複々線とし、笠寺から新貨物駅までは新たに新線を建設するというものでした。複々線計画については東海道線の車窓で確認できます。明らかに複々線の用地と思われる不自然な空白があるからです

笠寺からは貨物新駅の間に建設される新線となります

ただ結論としては施設は国鉄時代にほぼ完成したものの、実際に列車は一度も走ることなく未成線に終わりました。貨物新駅は設けられて運用が開始されたものの(もちろん今も現役です)、そこに至る短絡線は未成線となりました。大都会でほぼ完成しながらの未成線というのは、かなり珍しいですが、35年が経過しても遺構は多く残っていて、中には街の風景に溶け込んでいるものもあります

その遺構見学を昨年の6月、9月、11月と3回に分けて行いました。実際に歩いたルートは微妙に異なりますが、大体こんな感じです

なぜ3回も足を運ぶことになったのかというと、他にやることがあったり、暑くてヘタレたりとかなのですが、比較的お手軽に行けるのは大都会の未成線ならでは

次回から順番に紹介していきます

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グリーンきっぷの2日間~日本一を目指し歩く

富山地方鉄道の軌道線電車

2月22日13時30分

富山大学へ徒歩圏内

西富山から富山駅へ戻ります。現在は13時30分で次の列車は15時45分と、なんと2時間後。高山本線の富山~越中八尾間は本数は多いとはいえ、お昼休みの時間があります。ローカル線ではよくある光景

しかし私には強い武器。徒歩です(笑)

決して無理な徒歩ではありません

富山地方鉄道の軌道線の富山大学前停留所まで徒歩20分。実際の私は県道まで出て富山大学に沿って歩きました。これが最も確実でアプリに頼らなくても行けるコースだと思います

大学のキャンパスなので出入り口はいろいろある。停留所が大学の端にあるので目指す場所によっては西富山駅の方が便利なぐらい。もっとも列車の本数は圧倒的に違いますが、県道沿いには富山駅行きのバスが30分おきに走っていました

ここが大学の正門のようです。そこから間もなくのところに停留所が見えてきました

富山大学前停留所。2020年10月に富山地方鉄道の軌道線も含めた全線乗車を行ったのですが、その時に訪れて以来

路面電車独特のコーン終点がいいですね

折り返し形式のホームは単線。少し先から複線となります

こちらは駅名標。前回の訪問時は薄暮の夕闇だったので昼間に来ることができて良かった。西富山から徒歩20分でした。歩くと、うっすら汗がにじむ感じで24時間前とは大違いの陽気ですが、徒歩はここで終わりではありません。駅名標に目的地が記されています

ハッシュタグ不可能な駅

さらに400メートルほど歩いて目的地が見えてきました

停留所まで行くと目的の駅名標があります

長!仮名にすると32文字。日本一長い駅名となっています。さらに言うと日本一の座を奪われ、再奪回したという、これもまた変わった経歴の持ち主

ことの起こりはネーミングライツで、それまでは「新富山」という駅名だったものが2015年に「富山トヨペット本社前(五福末広町)」に変更。この時点で仮名24文字で日本一長い駅名となったのですが、2020年に京福電鉄が「等持院駅」を「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」に変更したことで26文字で首位に。ところが富山トヨペットの会社組織変更によって会社名が変わり、2021年年明けに現駅名となり、1年も経たないうちに首位に返り咲きました。文字表記も25文字(こういう場合は()も含めるようです。当駅はスペースも入れると26文字で、こちらを含めるかどうかは微妙なようです)で、こちらはぶっちぎりの首位です

元の駅名もまだ残っていますね。私はツイッターも運営していて1日1駅の紹介をしていますが、当駅については、あまりの長さにハッシュタグ不可能と判断して掲載できませんでした

構造は普通に2面です

以前の駅名を新富山と説明しましたが、その前は「新富山駅前」でした。新富山が富山地方鉄道射水線の始発駅だったからです。こちらは軌道線ではなく鉄道線。今は大部分が廃線となっていますが、富山駅を経由して新湊までを結ぶ路線で、無料の渡し船で知られる越の潟~新港東口が、まだ陸路でつながっていた時代に運行されていました。大部分が廃線としたのは、越の潟から新湊(現駅名は六渡寺)までが万葉線として残っているから。無料の渡船は私も2回乗船しました。前回の訪問も実は高岡から万葉線に乗って渡船→バス→岩瀬浜からのもの。その行程をダイレクトにできたかと思うと別の旅情がわき上がってきます

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グリーンきっぷの2日間~在来線特急乗り継いで500キロ

スーパーはくとのグリーン指定券

2月21日17時50分

3時間20分の旅

倉吉から3時間20分ほど。終点の京都に到着です。3時間超えは長いといえば長いですが、あっという間に感じました。私鉄の有料特急にもいえることですが在来線特急というのは、都会部分を走る時、多くの人がホームに並んでいる中を悠然とやり過ごすエグゼクティブ感がたまらない。そんな車窓を眺めていると、すぐでした。新幹線にはその感覚は生まれませんから

特にスーパーはくとは姫路~京都間では追加料金なしの電車では凶暴ともいえるスピードを持つ新快速が15分間隔で運行される、その合間をぬって走るので気動車としては驚くべき速さです。当初は電化計画があり、智頭急行側はやる気満々だったそうですが、因美線の電化がJR西日本の予算不足によって実現されず気動車になった経緯があります

姫路を過ぎると車窓からもホームも人の姿が増えていきます。西明石からは複々線ですが、姫路から西明石までは単なる複線。この間は貨物列車も走るし、普通(明石以東は快速になります)も走る。遅延が起きた時、確かに有料特急の存在はじゃまなのかもしれません

ちなみにJR西日本のフリーきっぷは、フリー区間に智頭急行が含まれているものがほとんど。今回のきっぷもそうでした

同一ホームでサンダーバードを待つ

京都に到着。スーパーはくと完乗のミッションは終了しました

有名な0番線ホーム。各地に存在する0番線は切り欠きなことが多いのですが京都駅は違います。そのまま出発できる。案内表示にある18時9分のサンダーバードに乗車します。米子から一気に当日中に金沢まで行くなんて、なかなか強引な移動ですがきっぷの有効期間が2日間しかないのと、この日のうちに金沢まで行かないと翌日の重要ミッションに影響が出るため、この日のうちに移動です

今回の移動で最も乗り継ぎがタイトだったのは、ここで20分しかない。朝の雪で伯備線も数分の遅れが出ていてヒヤヒヤしていましたが無事乗り継げそう

すぐに次の電車が来る(サンダーバードの前に草津線直通が入る)ので慌ただしく作業が行われます

その間、ちょっと外の空気を吸いに行く

寒い。車内でウトウトしていた目が一瞬で覚めました

写真ではよく分からないかもしれませんが雪が舞っています。日が長くなってきたなぁ、なんて感じる余裕はなくすぐ構内に戻る

サンダーバードの入線。おそらく前身の雷鳥時代から何百回も乗っていますが京都から乗車したのは初めてです

そもそも在来線特急同士の乗り換えをした記憶がほとんどない。JR四国で宇和島方面から岡山へと行く際に「宇和海」と「うずしお」を乗り換えたことはあります。四国で働いていた時は高松から同様に「いしづち」「宇和海」を何度も乗り換えました。高知で「南風」と「あしずり」を乗り換えたこともあります。ただこれは予讃線、土讃線という同一路線によるもので、全く赤の他人の路線の乗り換えをしたのはいつ以来なのか全く思い出せません

座席は念願のこの席。念願も何も座席確保の時点で1人席はここしか空いていませんでした。グリーン車って繁忙期以外はそんなに混んでないイメージですが、サンダーバードのグリーンはいつもお客さんでいっぱいの印象です。何か特別な気分に浸れる席です

金沢到着は20時13分。倉吉から520キロの鉄道移動でした。米子からだと570キロ。東京~新大阪より長い距離を移動したことになります。朝の新神戸~岡山~米子を入れると今日は一体どのぐらい乗ったのでしょう…もう計算しません(笑)

それよりも心配なのは、金沢に近づくと夜の車窓からも分かったしんしんと降る雪。明日は少しは暖かくなってほしいと祈るのみです

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グリーンきっぷの2日間~スーパーはくとが京都始発の理由

スーパーはくとのグリーン券

2月21日14時

スーパーはくとのグリーンに初乗車

倉吉駅に戻ってきました

ラーメンを食べたばかりなのに駅弁を購入(笑)

まぁ、食べられますよ。朝の6時の朝食以降は何も食べていなかったのですから。順調に行けば、この後は夜の8時過ぎまで何も食べられません

肉系かカニ系か迷ったのですが、肉系としました

少しだけ時間を戻すと

14時24分発のスーパーはくとに乗るべく改札へ。常時駅員さんがいるステンレス改札は減少する一方なので貴重な鉄道風景になりつつあります

ホームでは既にスーパーはくとがスタンバイ

山陰本線内は倉吉~鳥取間しか走らない上、途中の停車はないので地上ホームとしてはここだけでしか見られない光景です

発車まで10分以上ありますが、さすが始発駅(上り下りの概念だと終着駅)。もう乗れるようです

スーパーはくとのグリーン車は初めて乗ります。入口が格好いい。原則5両編成でグリーンは4号車の半分。スーパーはくとにもパノラマカーはありますが、グリーンは対象となっていません。両端の指定席か自由席がパノラマカーの可能性あり。可能性としたのは私が乗車したのは写真のように貫通式なので、この場合はパノラマにはならないからです

座席は1対2。在来線グリーン車で見る形

グリーンの網棚は飛行機のような開閉式で、細かい部分でこだわりを感じる。なお普通車も含めて電源コンセントあり。後からの設置ですがニーズに対応しています

非電化も高速運転

鳥取から因美線に入り、智頭から智頭急行に乗り入れ。山陽本線の上郡で再びJRの線路に戻り、後は山陽本線と東海道本線をひた走ります

姫路で山陽新幹線と接続するダイヤとなっていて名古屋、東京へスムーズに行けます。もちろん新大阪、京都にも新幹線乗り換えが多少速いですが、乗り換えの面倒と運賃を考えると、ほとんどのお客さんはそのまま乗車すると思われます(ここは重要な点)

智頭急行については改めて取り上げたいと思いますが、元々は国鉄智頭線として計画され工事も始まっていながら、国鉄の経営悪化によって凍結されていた路線が第三セクターとして1994年に開通したものです。特筆すべきはほぼ高架の高規格路線となっていること。鳥取自動車道の全通は2013年で約20年後ですが、自動車専用道に先駆け最高時速130キロという気動車最速の高速運転を実現したことでバスに優位性を逆転されることはありません。好調な路線です

智頭急行の登場は影響が大きく、山陽新幹線+伯備線のルートで近畿圏から米子へのコースが新たにできたのとは対照的に同じ県内の鳥取は速達性という意味で取り残されていたのですが、京都~鳥取間は山陰本線の特急に比べ1時間近くも短縮されました。その後、岡山から鳥取のルートにも利用され、今は特急のスーパーいなばが走ります。考えてみれば岡山と鳥取は隣県で因美線という路線があるにもかかわらず、わざわざ兵庫県経由でしかも上郡でのスイッチバックまでして特急を走らせるというのは凄いアイデアです

気になるニュース

鳥取県の山中に入ると雪景色が広がります

こちらも岡山と鳥取の県境付近、特に岡山側は豪雪地域となっていますが、お構いなしにビュンビュン走ります

そのように利便性に優れたスーパーはくとですが、気になるニュースが昨年5月から入っています。鳥取県知事が「JR西日本がスーパーはくとを姫路発にしようという提案を必ず持ち出してくる」と語ったもので、県議会の答弁ですから公式発言です

スーパーはくとには智頭急行所有の車両が使用されますが、JRは智頭急行に使用料を払っています。この金額が年間15億円で姫路発にすることによって大幅に縮小したい意向のよう。うがった見方をすれば、新幹線からの乗り継ぎにすると新幹線代ももうかると計算しているのでは?とも思ってしまいます

しかし京都からのお客さんは別として大阪や神戸の人がわざわざ新幹線乗り継ぎを選択するとは、とても思えません。新快速で姫路に向かうでしょう。ただいつも混雑している新快速に乗ってから乗り換えるぐらいならバスを選択するというのが普通の考え。好調な輸送が一転、旅客の大幅減を招くのは自明です

そもそも、なぜスーパーはくとが京都始発になっているかというと、山陰本線ルートの代替機能を担っているから。1988年3月の時刻表(復刻版)が手元にあります。既にJRに移管され、伯備線の電化も完了。城崎温泉(当時の駅名は城崎)までも電化されていますが、京都~鳥取は特急「あさしお」が1日3本、大阪~鳥取は、これは今もある特急「はまかぜ」が同じく3本運行されています。城崎止まりの特急も普通や快速での乗り継ぎが設定されていて現行のダイヤよりはるかに多い。これらが智頭急行の登場で、ほぼすべて消滅してしまったわけです。それを今さら京都、大阪からの直行はやめます、では話が成り立たない

ただスーパーはくとの京都~大阪間の利用者が少ないことは鳥取県知事も認めているようです。好調な利用者をわざわざ減らすなど論外なので、落としどころがあるとすれば、そのあたりだと思います

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 三陸鉄道完乗と久慈市の思い出

10月15日17時

久慈ダッシュに遭遇

久慈へと向かう車内は混んでいて座れてはいても身をよじることなど不可能でラグビーボールのつり革を眺めることぐらいしかできませんでした

宮古から三陸鉄道の終点である久慈までは70キロとなかなかの距離。1時間50分かけて久慈へ到着。これで盛からの約160キロを完乗しました。160キロというと東海道本線の東京~清水が169キロなので、その長さが分かります

ここからは八戸線に乗り換えて本日の宿である本八戸を目指すわけですが、三陸鉄道の久慈到着が16時54分で八戸線の久慈発が17時ちょうどと接続が良すぎる。こういう時に何が起きるかというと

JR連絡口の「久慈ダッシュ」。乗ったと思ったらすぐ発車。乗車列車は当然混雑している上に、夕闇に包まれているので完乗の感慨を味わう間もありませんでした。おそらく3月に利用期間が来るファイナルも同様の混雑が予想されるので、宮古での混雑も含め、利用を予定している方は留意してほしいと思います

あまちゃん以前に訪問

さて久慈の滞在は事実上、0分になってしまいましたので少し思い出話におつきあいください。過去1度だけ久慈を訪れたことがあります。11年前の2012年4月のGW直前のこと。3月に八戸線が東日本大震災から1年を経て全面復旧したので乗りに来ました

宿泊地はもちろん久慈ですが、テレビドラマの「あまちゃん」は2013年4月からですから、まだ世間ではそれほど知られていません。私はもっと不勉強。夏の甲子園で当時から注目選手だった川上憲伸の徳島商と死闘を繰り広げたのが岩手代表の久慈商(現在は久慈東)が死闘を繰り広げたことを知っていたくらい

当時は東京で勤務していたのですが、同僚がかつて岩手で勤務していたため「海女さん」「翡翠(ひすい)」「鉄の町」「柔道」「石油備蓄基地」など、それから1年も経てばすっかり有名になっていたことを教えてくれました

東京から久慈へは二戸まで新幹線に乗車し、JRバスで向かうのがメインルート。約70分で結びます

震災からまだ1年で東北新幹線も「はやて」が多く走っていました(はやぶさは時速300キロ以上の列車)

せっかく行くのだからと

大奮発でグランクラスに初乗車

セコい私は、せっかくなんで酒をいやほど飲んでやろう、なんて思っていたのですが午前中ということもあって、たいして飲めなかったことを今でも覚えています

それでも東京から二戸まではやてのグランクラスに乗るなんて今は不可能ですから、貴重な体験です

三陸鉄道にも少し乗りました。こちらは久慈から田野畑までが復旧した直後。時間の関係で陸中野田までしか行けなかったのですが

道の駅が併設されている当駅で久慈までのきっぷを買うと

硬券だったため、感動しました

久慈の繁華街は駅を中心に形成されているようです

どう頼んだのか記憶にないのですが次から次へと魚を食べました。写真だけがいっぱい残っています

ホテルの住所が「川崎町」で、川崎製鉄の大きな工場があったことにちなんでいると知って感心しながら翌朝、駅に行き

後に「本州を走る最後の非冷房キハ40」として有名になった列車で八戸へ向かいました

車窓がとても良かったです

この時は八戸までの1時間40分をたっぷり堪能しました

さて昨秋の現実はどうかというと本八戸着は18時34分。大きな街なので夜の街に繰り出し2軒も行ってしまいました。明日は最終日。そういえばこの2日間、一度も優等列車も有料列車も乗っていませんね

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 多客にじぇじぇじぇ

宮古駅の駅名標

2022年10月15日12時15分

ユニークな企画列車

釜石から宮古に向かいます

ギャラリー列車のヘッドマークが付けられています

車内には全国から寄せられた風景画を展示。10月いっぱいで1編成のみの運行だったようで幸運でした

絵で埋め尽くされています

車内にはAKB48のメンバーが2013年に訪れた際のサインも

釜石~宮古間は盛岡~宮古~釜石を結ぶJR山田線の一部区間で東日本大震災前までは宮古~久慈が北リアス線、盛~釜石が南リアス線でその間をJRの線路でつなぐ形となっていました

東日本大震災の後、8年の歳月をかけて今から乗車する釜石~宮古間が三陸鉄道として復旧しました。現在はすべてをリアス線として第三セクター最長の163キロにも及ぶ路線名となりました

東京からの「始発」と重なる

1時間半揺られて宮古に到着

まずゴルゴ13にゴミの注意をされる。「はぁ、気をつけます」と頭を下げて改札を出たころはまだ余裕だったのですが

人が散らばったタイミングで駅舎の写真を撮ったのですが、かなりのにぎわいです

宮古までの乗車列車は同業者(鉄道ファン)の姿もチラホラいましたが、ボックス席を一人で利用とはいかないまでも、余裕をもって座れていましたが、宮古から先は大変な雰囲気が漂います

乗車列車の宮古到着は13時46分。実はその直前の13時30分に盛岡から宮古に山田線の列車が到着していました。山田線はダイヤの薄い(少ない)列車で盛岡と直通する列車は1日4往復しかありません(ほぼ並行して走る特急・急行バスが1時間に1本の間隔で運行されている)。山田線の盛岡発が11時9分。その前は盛岡発6時32分なので、東京からは無理。つまり東京からやって来ようとすると11時9分が「始発」になるのです

今日は土曜。前日にBRTに乗車する際「明日は凄い人なんだろうな」と思ったことが三陸鉄道でも起きているわけです。青春18きっぷでは三陸鉄道には乗れませんが、東日本パスでは乗ることができる。週末パスでも乗ることはできません。BRTの項でも触れましたが、誰しも考えることは同じです

8年ぶりの宮古

次の久慈行きは15時5分発。13時54分発にも乗り継げたのですが、それではあまりにも余裕がないので、ここで昼食とします

宮古は駅周辺が町の中心部となっています

宮古には8年ぶり。2014年4月に北リアス線が完全復旧した時に来ました

三陸鉄道の本社建物。以前の宮古駅は三陸鉄道とJRが別の駅舎になっていて、こちらが三陸鉄道の駅舎でもあったのですが、2019年に釜石~宮古が三陸鉄道として復旧した際にJRの駅舎が共通の駅舎となり、駅の管理者もJRから三陸鉄道へとなりました

駅前にはC58の車輪とプレートが設置されています

戦時中の1944年3月に雪崩で鉄橋が崩落、貨物列車が脱線した事故を伝えるものです

渋めの食堂に入り

腹ごしらえ。駅に戻ります

管理は三陸鉄道ですが、みどりの窓口ありはあります。発券業務は三陸鉄道に委託されているはず。8年前に来た時は東京で用事があり、東京経由の大阪行きという乗車券を買ったのですが「宮古~大阪の乗車券って、どのぐらい売れるのだろう」と思ったものです

発車案内は両社ともにあります

山田線の時刻表。ある意味、壮観です

時計で分かる通り、乗車は発車5分前。なんとかギリギリ座れましたが、発車直前に乗り込んでくる方も多く、出発時は

じぇじぇじぇ~!の混雑ぶりでした

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る ドラマロケ地と本州最東端の駅

2022年10月15日9時20分

テレビドラマのロケ地

恋し浜のお隣の甫嶺へやってきました

列車だと真っ直ぐにトンネルを抜けていきますが、車だと海沿いを回り込む形

駅の場所は越喜来湾の奥深い場所。「おきらいわん」と読むそうです。難しいですね

盛り土の上に設けられています。恋し浜ほどの段数ではありませんが、ホームへは階段で入ります

単式1面1線。国鉄盛線時代からの駅ですが、駅の設置は1973年。この時代はすでに駅舎のない駅は普通に造られていて当初からホームのみの駅だったようです

ホームからの眺め。湾の入口に防潮堤が造られています。東日本大震災では大きな津波に襲われ、駅も盛り土が削られレールが流失する被害に見舞われました

盛り土の駅は防潮堤の役割を果たしてくれたそうです

上野樹里さん主演のドラマ「監察医 朝顔」のロケ地になっています

かつて金山があったそうで「金のしずく」の愛称が付けられています

本州最東端の駅は復活したばかり

釜石をまたいで次に訪れたのは岩手船越。山田町になります

かわいい駅舎です

甫嶺駅からは50キロ近くありました。三陸鉄道の釜石~宮古間は震災前まではJR山田線の一部でした。三陸鉄道として復旧するまで8年もの時間を要しました

駅舎はJR時代のものを使用しています

地図でも分かるように線路は海岸を伝うように敷かれているため、地形に沿って東側にせり出す形になっています。つまり

本州最東端の駅

解説文もあります

ホームへは駅舎からも駅舎の横からも入れます

駅舎内の様子

2面2線ですれ違いができる構造。ホーム同士は構内踏切で結ばれています

柱の駅名標。手書き感がいいですね

かつては貨物輸送も行われていたようで側線が残っています

かなりいい時間になってきました。釜石駅まで戻ってレンタカーを返却し、再び三陸鉄道に乗ることにします

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 恋愛スポット恋し浜駅

恋し浜駅に到着した三陸鉄道の列車

2022年10月15日8時50分

恋4駅のひとつ

東日本パス2日目の午前は三陸鉄道の駅訪問。ただし今日の宿泊地は八戸でお昼過ぎには釜石を出なければならないのでレンタカー利用です。東日本パスではレンタカーの割引もあります。駅のみどりの窓口でも受付はありますが、釜石ではJRの駅レンタカーというより、隣接するトヨタレンタカーが請け負っているので、直接トヨタレンタカーに向かっても大丈夫

目指すのは恋し浜駅

仙台から八戸までは三陸沿岸道路という専用自動車道があり、車でもスイスイ着いてしまいます

こちらは大船渡市で盛の手前まで戻る形になりますが30分。三陸鉄道でも所要時間は、ほぼ同じ。盛からだと3駅目。15分もかかりません

ホームまでは、かなりの階段がありますが、スロープでも行けます

その階段脇には

ピンクのポストと自販機。駅名から想像できるように、恋愛のパワースポットとしても有名になっています

日本に「恋」が付く駅は4駅しかありません。JR北海道の母恋(室蘭市)、西武鉄道の恋ヶ窪(東京都国分寺市)、智頭急行の恋山形(鳥取県智頭町)とこちら。私も4駅目の訪問となりました

駅の開設は1985年。線路はすでに国鉄盛線として開業していましたが三陸鉄道に転換された後、トンネルとトンネルの間に新設されています

駅名の変更で話題に

元々は地名から「小石浜」という駅名でした。その後、地元で獲れるホタテが「恋し浜」というブランドだったことから、駅名変更の要望が出て2009年に現駅名になると全国から訪れる人が一気に増えました

階段を登りきると「幸せの鐘」。デザインになっているのは「恋し浜」というブランドのバラだそうです。なかなか細かい

そして有名なのは待合室にある「ホタテ絵馬」。ホタテ貝を利用しての絵馬で恋愛祈願以外にも合格祈願、勝利祈願があるようでした

こちらは平仮名のみですので駅開設時からあるもののよう。なかなか「そそる字体」です

恋し浜駅誕生時にできた歌だそうです。以前は「藍の磯辺 小石浜」という愛称でしたが「愛の磯辺 恋し浜」になっています

駅名標です。ホームからは越喜来湾が一望できます。このタイミングで列車待ちのご婦人が来て少し話を。駅は高台にあるため津波の被害は免れたものの、すぐ下に見える黄色の屋根の工場まで襲ってきたそうです

列車がやってきました。朝なので2両編成。観光用列車も定期運用に入っているのですね

ふと気付くと駅には若いカップルの姿。列車で来たのでしょうか。おじゃまかもしれないので退散することにしました

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JR東日本パス ファイナルを前に~秋を振り返る 憧れの街釜石

釜石駅の駅名標

2022年10月14日17時40分

駅から街への距離に注意

盛から約50分。釜石に到着しました。東日本パスの特徴は三陸鉄道も利用できることです。これで翌日は大変な思いをすることになるのですが、この時点では知るよしもありません。もう既に真っ暗です。駅のイルミがきれいですね

本日は釜石に宿泊します。その時は気付かなかったのですが、今こうして写真を見ると記念撮影の方がチラホラ。行程は分かりませんが、皆さん私と同様に東日本パスでここまで来たのだと思われます

釜石に来たのは初めてです。以前から1度来たいと思っていました

気仙沼もそうでしたが、釜石もJRの駅から街の中心部まではやや遠い。国鉄時代にできた駅は基本的にその形が多いので、あまり深く考えずに駅前の宿をとると夜に食事をするのも大変、ということがよくあります。鉄道というのは需要を考慮して、それなりに人口のあるところにできました。ただ既に街が形成されているところにはレールが敷けないので街外れに駅が設ける、という理屈は考えてみれば当然なんですが、今と違ってネットで事前に情報を知ることができなかった時代は駅を降りると何もなかった、という経験を私も数多くやらかしてきました

釜石の駅舎は中心部とは逆側に駅舎があり、そこから回り込むようにして川を渡り街の中心部へ向かうことになるので歩くと15分ほどかかります。ホテルもこの付近に集まっています。私はその中間点あたりに宿をとりました

ホテルに荷物を置くと夕食の時間で刺身を堪能して

最後は白ご飯までいただいて大満足でした

ラグビーの街

さてホテルに着くと

早速のお出迎え。釜石はラグビーの街でもあります

到着時は夜で分かりにくかったのですが翌朝の駅でも

並んでいました。スタジアムを造り、ラグビーW杯の会場都市になったのも記憶に新しい

私が東京で学生生活を送っていた時代が、ちょうど新日鉄釜石の日本選手権7連覇の時で毎年1月15日の成人の日に国立競技場で行われる日本選手権と、スタンドで揺れる大漁旗は風物詩でした。大学のスター選手ばかりでなく、地元出身のたたき上げの選手が赤いジャージーで躍動する姿を私もスタンドから見ていました。地元からの応援のおじさんたちもラグビーに詳しくてビックリしたものです

県民の皆さんには申し訳ないのですが、昭和の当時、私が岩手県で知っている都市となるとまず釜石を挙げていたように思います。そんな人が全国にも多かったのではないでしょうか

駅を降りると歓迎の文字にも「ラグビーの街」と刻み込まれています

もう40年近く前のことですが、そんな思い出があるだけに、ぜひ訪れてみたい町のひとつでした

三陸鉄道とJRが乗り入れ

私的な思い出話が長くなりすぎました

ようやく鉄道の話です

釜石駅にはJRの釜石線と三陸鉄道が乗り入れ

駅舎もJRと三陸鉄道が並んでいます。ホームが一体化しているのは盛駅と同じ構造。以前はJRの単独駅でしたが三陸鉄道の開業で盛と釜石がつながり、山田線の宮古~釜石間が三陸鉄道になったことで両社の駅となりました

両社の車両が並びます

こちらがJRの改札。管理駅でみどりの窓口あり。駅舎は東日本大震災の翌年に大きく改装されています

三陸鉄道の入口。三陸鉄道の開業は新日鉄釜石の7連覇のころですが40年前とほぼ同じだと思われます

三陸鉄道は窓口に発車標があるのがいい

こちらはホーム。震災前まで宮古~釜石間はJRの山田線だったこともあり、盛から当駅を経て宮古へ直通する列車は、この4番線にしか入れなくなっています(つまり当駅ではすれ違いができない)

釜石駅の開業は戦時下に入りつつあった1939年。釜石線の全通は戦後で、戦時中は釜石の鉱山と製鉄所の輸送のため貨物列車が宮古経由でフル稼働していました

朝の景色。「釜石に来た」という実感を得ることできました

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