
※訪問は2025年3月10日
ちょっと迷った末に

こちらは鯖石駅前の「継電器室」。当駅が交換可能駅になった時に設置されたものか。次の中央弘前行きは約30分後にやって来る。それまで雪景色でも眺めて過ごそうか、と思いつつ地図を眺めていると、ふとあることに気付いた。「30分以内に歩けば宿川原駅も訪問できるんじゃないか?」
ただしこれは正直迷うところではある
痛む膝と地方幹線道路あるある
鯖石と宿川原の距離感はこんな感じ
線路の駅間距離は1・3キロで歩いても大して変わらない。徒歩20分と指南されたので十分間に合いそうだ。ただ石川駅から義塾高校前駅まで歩いた際、水たまりを飛び越えた時にズキンとなった膝が痛い。しかしここで宿川原を回収すれば義塾高校前から大鰐までの6駅すべてが回収できる。7月にも当地訪問を考えているため、大鰐のひとつ手前の駅をポツンと残しておくのはいかがなものか。ちょっと迷った末に

ゴーサインである。こちらは鯖石駅近くにあったもの。何か確認しようと思ったが雪で近づけない。というか余裕がない。とにかく前へ進むのみ
宿川原への道程は7号という幹線国道を進む平坦コース。以前の記事にも書いたが、この日は気温10度超えで晴れそして無風。積雪に目を奪われがちだが、徒歩には絶好のコンディション。これだけの積雪を眺めながら気持ちよく歩ける環境というのは、そうはなさそうなぐらいの徒歩日和だったが、とにかく膝が痛い
それでも歩く

駅間徒歩を行う時は、二度とない機会だと思ってまめに写真を撮るのだが、後で見るとこの1枚しかなかった。よほど余裕がなかったのだろう
ご覧の通りさすが一桁国道。歩道もきれいに除雪されていて歩くことに何も問題はない。もちろん車はビュンビュン走っている。もっとも「地方幹線道路あるある」で車の通行量は凄いが歩いている人はほとんどいない。朝だったらワンちゃんの散歩の方に出会うものだが、15時という時間ではそれもない。ドライバーの方からすると、大きめのリュックを背負って足を引きずりながら誰もいない国道を歩く年寄りはきっと奇異な不審者に見えたに違いない。実は「通報されたらどうしよう」とちょっと思った(笑)
そして列車出発の10分前に無事到着した
移動の歴史を持つ利用者「2」の駅

無事に到着した駅は奥に見える山の積雪と重なった景色が美しい

スロープから単式ホームに入る。待合所があるだけの簡素な構造。当駅の開業は1952年(昭和27)で、大鰐線の1期生だが見た目が妙に新しいのは2002年に移転しているからだ
地図で見ると鯖石寄りに宿川原大橋があるが、以前はもっと大鰐寄りにあった。駅は橋に寄り添うような場所にあったが、橋の移転と同時に鯖石寄りに200メートル移転した。当駅は町村制施行で大鰐村(現大鰐町)の一部となった宿川原村に基づく。「宿川原」を検索すると全国に無数に同様の地名があることが分かる。その中にはもちろん南武線の宿河原駅(川崎市)もある。「宿川原 時刻表」で検索したところ、こちらの駅は上位ではなく南武線の駅のほか、大阪府茨木市の宿川原停留所が出てくる。1970年の万博会場付近はかなりウロウロした方だが、恥ずかしながら国道171号沿いのこの地名は全く知らなかった。そしてバスの本数も多い。検索上位に来るはずだ
話は少しそれたが、川に近い宿という意味で全国に多くの「宿川原」があるのだろう。地図にある駅近くを通る県道201号はおそらく国道7号の旧道で集落がある。ただ駅と橋の移転は集落からやや離れただけでなく平川の向かいにある集落からも遠くなってしまい、そのためか当駅の2003年度の1日あたりの利用者数は、わずかに2人とJRの閑散ローカル線のような数となっている

ホームの向かいはりんご畑となっている。これはこれで美しい景色で現在は全く異なる景色となっているのだろう。ただ駅の実用という意味では、りんご畑に面しているのでは利用者が少ないことは容易に想像できる

電車がやって来た。山の積雪にりんご畑そして単式ホーム。鉄道の写真としては映えるものかもしれないが、かつては集落と橋の結点に駅が存在したことを思うと、少し寂しい気持ちになってしまう


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