宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その2

勝田駅の駅名標

※2024年7月2日

今回の旅の「ルール」

品川駅の常磐線ホームに到着したのは6時25分。当然だが右側ホームの電車に用事は全くない

今回の旅は常磐線を北上、仙台から東北本線を北へ向かう予定となっている。「予定」と記したが、実は予定なんてものはほとんどなく

①きっぷで乗車できる列車で青森を目指す

②降りたいと思った駅で降りる

③飽きたら何時であろうと、その時点でその日は終了。つまりホテルはその日暮らし

と、一応ルールは決めたが、どこかの県で気になる駅が続けば、青森まで到達しないことも十分ある。気になる駅といえば格好いいが、どちらかというと暑さでやる気がなくなり、早々にその日の活動を終了することが多くなるだろう、ということだ

さすがの首都圏電車はグリーンの誘惑を振り切る

乗車したのは6時35分の品川始発電車。ホームに降りた時は出発までまだ10分近くあったので、座席には余裕がある。私は「2人分だけのロングシート席」が好きだ。多少窮屈だが、爆睡態勢の時は身体ごと預けてられるから

当初は高輪ゲートウェイから新橋まで行って乗車するつもりが、時間があったので品川まで戻る形で始発乗車(フリーきっぷなのでどのように動こうが問題ない)としたのだが、結果的にはそれが大正解。品川を出発時はまだ空きがあったが、新橋から早くも立ち客が出るようになり、東京からは普通に混雑の電車となった。新橋ではホームの並び方次第では座れない可能性も高かったわけでホッとした。それにしてもまだ7時にもなっていない下り電車、それも15両編成(JR西日本の通勤電車は最長でも12両)の座席があっという間に埋まってしまうのだから、さすが首都圏の電車である

この後、7時台に千葉県に突入するわけだが、沿線には一体いくつの高校があるのか、と思ってしまうほどで、下り電車の車内はすっかり高校生専用列車と化した。最後にドッと高校生が降りたのが牛久で時刻は7時45分

何となくの予定では、今回の旅では乗車電が最も長く乗り続ける列車になるはずで、普通車グリーンに乗るのもおそらく最後の機会。実は品川駅でかなり心が揺れたが、グリーン料金の値上げでSuical利用でも1550円もするの何となくの予定では、今回の旅では乗車電が最も長く乗り続ける列車になるはずで、普通車グリーンに乗るのもおそらく最後の機会。実は品川駅でかなり心が揺れたが、グリーン料金の値上げでSuical利用でも1550円もするのでヤメ。というか時間帯的にも下りということもあって、そんなには混まないだろうという私の考えが甘かったのだ

ということで乗車電の終点、勝田に到着。2時間15分の普通車は同じ列車に1時間乗ると飽きてしまう私には、なかなかしんどい時間だった

勝田は水戸のひとつ北側の駅。車両センターがあり、多くの列車が始終着となるため知名度が高い。全列車が停車する。ひたちなか海浜鉄道の接続駅としても有名。かわいい単行列車が停車中だった

10年以上前、ひたちなか海浜鉄道への乗車とあんこう鍋を求めて降りたって以来の訪問となった。ただし今回のきっぷでは乗れないので先へと向かう。ここからはいくつかの駅で降りつつ北上しよう。まだ時間は朝の9時である

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その1

高輪ゲートウェイ駅の入口

※2024年7月2日

スタートは高輪ゲートウェイ駅

7月2日、朝6時前の泉岳寺交差点。ホテルを出て高輪ゲートウェイ駅へと向かう。ここが旅の出発点ともいえる

話は前日にさかのぼる

かなり激しい雨の大阪空港から8時半の飛行機に乗って羽田へと向かい

10時すぎに京急の羽田空港駅へ。随分と人が少なく感じるが、何らかのトラブルで遅延が発生していたためだ。もっとも今日に関しては少々の遅延は気にならない。というか本日は都内宿泊なので何とでもなるだろう

泉岳寺のホテルに荷物を預け高輪ゲートウェイ駅の券売機へ

目的のものを発見

そしてゲット。きっぷの有効期限は7日だが、6日に帰る。そして今日は都内で飲み会があるので正式な出発は明日となる。だったら、もっとゆっくり東京へ行けばいいと思われるかもしれないが、飛行機のチケットは5月のタイムセールで確保したので、その時点では東京からすぐ鈍行旅を開始する可能性があったため朝の飛行機にしたのだ。飲み会が決まったのは6月に入ってからのこと。さすがに都内だけはできるだけ早めに宿をとらないと「空きがない」「高い」の二重苦に陥ってしまうので、その時点でホテルを予約した。高輪ゲートウェイ駅から旅の出発とは、いかにも企画したようになってしまったが、飲み会の会場やホテル価格から泉岳寺になったということ

長年憧れの北海道&東日本パスとは

北海道&東日本パスは7日間にわたってJR東日本とJR東日本の普通列車が乗り放題となるフリーきっぷ。利用期間は7月1日から9月30日までで(販売は9月24日まで)、きっぷのルールは青春18きっぷとほぼ同じだが、大きく異なる点として

①利用期間は連続7日間

②きっぷは1人1枚でグループ乗車はできない

③青い森鉄道、いわて銀河鉄道、北越急行も利用できる

がある。特に大きいのは①で使用開始日を指定して購入し、旅を始めた時点で払い戻しはできないのだ。その分、長期間で5回利用の青春18きっぷの1万2050円と比べて7日1万1330円と安くなっているが、ある意味時間に余裕がないと、なかなか利用できない(乗り方によっては3日ぐらいで十分元はとれるが)きっぷなのだ。要は時間のある学生さんか、私のようなリタイア組向けのきっぶだといえる

また③の旧東北本線の三セク利用できるのも大きい。同じ鈍行旅で北上すると盛岡から北はJRの通しきっぷは利用できず、私の「本業」である降り鉄をするための途中下車をするには、それぞれの会社のフリーきっぷ購入をする必要があって経費的にかなり高くつく。現在、青春18きっぷで東京から青森まで行こうとすると日本海回りのダイヤが薄く、なかおつ距離の長い区間を行く必要があり、かなり不便だが、北海道&東日本パスなら最短ルートで到達できる。そして何より、私にとって大切ないろいろな駅での降り放題が可能になる

それなりの準備をしてから出発

会社員時代から、これを使って旅をしてみたいものだとずっと思い続けていて2年前の夏に早速利用してみたが、私の準備不足もあって常磐線~水郡線で郡山まで行った時点で引き返し、後は伊東線などに乗ることになってしまった

その分、今回は起点と終点だけは最初から決めることにした。まず最後は当然ながら神戸の自宅に帰らなければならないので、スタートは東京としても帰りにもう1度東京まで戻ってしまうと、東京(ギリギリまで踏ん張ると熱海まで乗れるが)からの交通機関代金が発生する上、仮に東北のどこかまで行くとして再び東京まで戻ってくるのが肉体的にも精神的にも大変な負担になる。別な言い方をすると、正直かったるく新幹線別料金が登場する可能性も高い。そこでタイムセールで花巻~大阪の飛行機をあらかじめ確保し、最終日は飛行機で東北から直接帰ることにした。自分がぼんやりと描いていたイメージでは青森空港あたりから帰るのが便利そうだったが、東北の飛行場で自分が利用したことのない空港が大館能代、山形、花巻の3空港だったので、確実にルート上にありそうな花巻とした

到着当日は

川崎新町

以前はなかった小田栄

久しぶりの浜川崎など、南武線支線の駅などを訪問、歩きつつ(当支線は駅間距離が短く歩いた方が早い場所もある)、せっかくのフリーきっぷを少しでも有効に利用しながら適度に汗をかいて夜の飲み会に備え、夜も翌日に響かない程度に、こちらも適度の飲酒としホテルにも22時にも戻った

まずは品川駅から常磐線に乗り込むことにする

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2024年夏のホテル選びのコツを自分の経験から考えてみる

インバウンドで一気に値上げ

いよいよ夏本番。旅行に出かける機会も増える季節ですが、その際に必ず出くわすのが宿選び。半袖となった6月から各地をウロウロしている私ですが、昨年までとは大きく変化したと感じているのが宿のお値段。コロナ禍も明け、円安で訪日外国人旅行者が急増していることで、価格がかなり上がっていると感じています。そこで自分の経験から今夏のホテル選びについて考えてみたいと思います

大都市をあえて避ける

すでに昨年からの経験となりますが、ホテル代が高いなぁ、と感じるのは東京です。下手するとコロナ禍前より高いと感じることもしばしば。大阪については地理的に私が宿泊することはないのですが、かなりのお値段らしい。他の地域で言うと高いと感じたのは札幌、仙台、名古屋、福岡。いずれも各エリアを代表する大都市。以前から何度か宿泊しているホテルもあって、比較しやすいのですが「設備は確実に古くなっているのに何で高くなってるの?」と言いたくなる宿もチラホラ。そこで年明けあたりから一計を案じて宿泊する都市を工夫するようにしてみました

今年お世話になった都市をいくつか挙げると三原(広島)、中津(大分)、松阪(三重)、桐生(群馬)、北上(岩手)、丸亀(香川)など。共通するのは「県庁所在地など近隣の大きな都市から微妙に離れている」「有名ホテルチェーンも進出してホテル数もそこそこ多い」という点です。これは効果絶大というか、実際に泊まってみると電車で20~30分の大都市に比べると2000~3000円は安い。チェーン店ホテルには立地場所や季節によって価格が大きく変わる所と大都市でも中小都市でも価格はあまり変わらない所の2パターンがあり、それぞれ一長一短がありますが、2000~3000円安いというのは前者のパターンでの体感。またホテル予約サイトのページを開けた瞬間の体感でもあります。これだけ値段が異なるとビール代も含めた夕食分に値します

古めのホテルをあえて選んでみる

こちらは分かりやすい。施設そのものが古いホテルというのは、価格も安めの設定です。単に価格が安いだけでなく、朝食のみならず夕食までセットになって8000円未満という所もあって重宝しました。ホテルに大浴場まであると、もはや旅館感覚で旅先には行ったものの覚えているのは駅前風景だけという体験もしました

ただ施設が古めのホテルというのは個人的な衛生感覚も影響してきます。こちらに関しては予約サイトの口コミ欄で確認していただきたいと思います

そしてもうひとつ、これは現代の旅では避けて通れないものになっていますが、新しいホテルは、テーブルからベッドサイドまで部屋のあちこちにコンセントやUSBポートまで設置されているのに対して古いホテルはコンセントの数や位置が不満なものが多い。私の場合だけの例でもホテルでは「スマホの充電」「モバイルバッテリーの充電」「デジカメのバッテリー充電」「PCまたはタブレットとの接続」と最低でもこれだけの電源が必要です。にもかかわらずテーブルの上にはコンセントが空いているコンセントが1つしかなかったりする。他のコンセントを探すと風呂の入口とかで、それは掃除機用ではないのか?なんて思ったりすることもしばしば。ただこの点は大丈夫で、フロントでお願いすれば延長コードは貸してくれます。宿によってはテーブルの引き出しに既に延長コードが入っていることも。後は自分の備品として100均で売っているコンセントタップを用意しておけば、事足ります

また猛暑で大変ではありますが、駅からの徒歩距離を5分から10分にすることでグッと格安料金になることもあります

ホテル選びは細かい条件を重ねていくとキリのないものでもあります。私はいくつかのチェーン店ホテルの会員にもなっていて、予約サイトとの併用でチェックインの手間を考えたりやポイント運用を行うようにしていますが、せっかくの旅ですので納得のホテル選びをしてくださいね

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~500本目の記事はゴールのこの駅

高木駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

※動画あり音声注意

スタートは松浦鉄道

いつもお読みいただき、ありがとうございます。今回の記事が当ブログ500本目の記事となります。開始したのは2022年9月6日。674日での到達となりました。あいさつだけの1回目の後、最初の記事は松浦鉄道

見返すと文中の見出しもなく、やや読みにくい。そして写真が随分と小さく、これは鉄道ブログとしては致命的です。最初に写真を掲載したところ、スマホで閲覧した場合に、写真が出てくるのにおそろしく時間がかかったことで小さくしたのですが、その後に大きな写真も軽くする方法をさすがに覚えて現在に至るという情けない話で、まだまだ試行錯誤の途中ともいえます

ただこのトシになると、わずか2年前のことでも細かいことは忘れてしまうものですが、こうやって読み返すと「そうだったなぁ」と思い出が蘇ってきて、自分にとっても有意義なブログになっていると思います。X(旧ツイッター)と当ブログの2編成で情報を発信していますが、駅単体の客観情報はXで、詳細な訪問記と主観を交えたものはブログで今後も伝えていくつもりですので、よろしくお願いします

それぞれの記事の閲覧数が自分から見られるようになっているのですが、本数を重ねていくうちに当時は「反応少ないなぁ」と思っていた記事のカウンターが結構なものになっていて、この記事を書くためにさかのぼってみると驚くような数字になっていたりしてビックリするとともに励みになっています

最後だけはこの駅と決めていた

ということで福塩南線最後の訪問となったのは

高木駅。時刻表も見ずに福山をスタートした福塩南線の各駅訪問だが、最後はここにすることだけは決めていた

正確に言うと当駅は2019年12月に訪問済みで、福塩南線の全駅訪問は前回の上戸手駅で終わっているが、さすがにここまで来て、この駅に寄らないわけにはいかない。現在、全国で「高木駅」は唯一となっている。他にもあったが廃線、廃駅となった。同じ読みの「高儀駅」は城端線の項目で紹介したが、これは漢字が異なる

2023年の名字ランキングは1位「佐藤」、2位「鈴木」、3位「高橋」で、それぞれ百数十万人がいるそうだ。ただ駅名となると「佐藤」「鈴木」はなく(京急に鈴木町という駅は存在する)、高橋駅(佐世保線)がようやく登場する。意外と人名と駅名の親和性はないようにも思えるが、そもそも旧国鉄では旧国名をつけたりして同名駅を避けるようにしている

さて、この高木駅の位置はというと、お隣の鵜飼駅、その次の府中まで、それぞれ駅間距離は1キロと900メートルしかない

道路も2・1キロ。つまり2区間分でも30分で歩けてしまう距離なのだ。当駅から福塩線は福山市から府中市に入る(厳密には新市駅の敷地の一部は府中市となっている)が、駅周辺はすでに府中の街中の雰囲気

駅は鵜飼とほぼ同じ構造でスロープでホームに入る。1914年(大正3)の開業。住宅街にある単式ホームと待合所のみの駅

3年前と同じ景色だった。当然今回も駅名標前で自撮りを行ったが、すでにホームで電車を待っている人がいて、ちょっと恥ずかしかった(笑)

福山行きの105電車がやって来た。時間は12時40分。福山を出て4時間ほどで全駅訪問を達成したことになる。高木駅を最後に固定しなければ、もっと早く終わっただろう

実は福塩線では北線の河佐、吉舎の2駅が未訪問で、府中に近い河佐駅はこの日のうちに回収しておきたいと考えていたのだが、府中の「午後の始発」は15時。予想外に早く全駅訪問が終わってしまったため、2時間以上の待ち時間が府中で生じることになってしまった。それはちょっとかったるいかなぁ、と福山に戻って帰路につくことにしたのだが、それから3カ月後に福塩北線で苦労することになる。それについては、また後日

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~大きなビルを背後に持つ棒状駅

上戸手駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

ひときわ目立つビルとのコントラスト

戸手駅から上戸手駅に到着。見ての通り、単式ホームの駅だが駅舎の写真を撮ろうとすると大きすぎる存在がある

駅舎があって線路があり、その向こう側にそびえる2つのビル。すっかり雨が上がった直後だったのでコントラストが美しい

そのビルは「自重堂」の本社

地図でも分かる通り、大きな敷地である。駅から徒歩だと写真で分かるように踏切を越えればすぐたどり着く。自重堂とはワークウェアを中心とした大手アパレル。創業が1924年(大正13)で同社のHPによると関東大震災の直後で自戒の意を込めて自重の2文字を社名に盛り込んだという

2022年の駅の1日の利用者は874人。旧新市町の中心駅である新市駅より利用者は多い

駅舎は新築のコンクリート製

駅舎は戸手駅と同様のコンクリートの簡易的な駅舎である。2021年の利用開始と戸手駅とほぼ同時期。それまでは待合所のみだったことも同様。また駅前の広いスペースから、かつてはもっとしっかりした駅舎があったと思われるが、いつのころまでどのような建物があったのかは分からなかった。また現在の駅舎ができるころにホーム上屋が撤去されたようだ

開業は1914年(大正3)。当時の駅名は「両備天王」。国鉄となった1933年(昭和8)に現在の駅名となった。駅の近くにある素盞嗚(すさのお)神社は「天王社」とも呼ばれる

駅名変更は90年も前のことだが、かつての駅名を伝えるものが駅に通じる踏切である

名前は天王東踏切。過去にも今はない学校名がそのまま踏切の名前になっている駅を紹介したが、全国各地で由緒ある名前の踏切を見かけることがある。ちゃんと読みをふってあって「てんのお」と読むことを知る

踏切にはこのような注意書きがある。確かにそう言われると見にくい。ただ警報器に遮断機まで備えられているので、さすがに気付くだろう。そう思っていたら警報器が鳴っているにもかかわらず突っ込んだ自転車が渡りきれずに立ち往生。詳しくは書かないが、結果的には私が遮断棒を持ち上げて救出することになり、事故は起きなかった。ただ目の前で実際にそんな場面に遭遇するとは思わなかったのでビックリ

踏切から駅へと戻る。小さな階段で電車を待つ。さて、いよいよあと1駅である

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~ちょっとした山中の徒歩移動で出会った旧駅名標

戸手駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

雰囲気の異なる駅間徒歩

近田駅からお次の戸手駅までは徒歩移動である。もう何回も繰り返しているが、昼間は1時間に1本の福塩南線は1駅ぐらいなら歩いた方が早い区間がほとんどである。今回も空白を埋めるために徒歩となったが、駅間のレール距離は1キロしかなく歩いても大したことはない

今回はわずか15分。どこの駅もそうなのだが、都心の私鉄並みというか下手すると、それ以上に駅間は近い区間が多い

ただ地図を見て分かるのはちょっとこれまでとは雰囲気が異なる点。住宅街の中を走っている印象の福塩南線だが、これから県道ルートを行こうとすると住宅の少ない徒歩区間となるようだ

ルートを細かく見てもらえば理解できるかもしれないが、最初は絶対に車の通れない坂道に案内され、やがて県道に出る。この道路は万能倉~駅家の移動でも利用した県道で、その延長上にある。石見銀山街道と記されているが、石見銀山から港へ運ぶためのもので、日本海側の港に向けての街道や山中を抜けて瀬戸内海へと向かう街道など4つの街道があったとされるが、瀬戸内海方面へと向かう街道は笠岡へ向かうコースと尾道へと向かうコースがあったとされ、福塩線特に福塩北線の成り立ちと密接なつながりを持っている

地図では線路とくっついての道路となっているが、やや高台を通る。地図を見るとさらに北川に旧古代山陽道がある。かつては現在のメイン道路である国道486号ではなく、こちら側がメインコースだったのだろう。もっとも駅家付近ではひっきりなしに車が走る県道も、このあたりは閑散としており、車とはほとんど出会わなかった。その分、雨もあがって快適な徒歩コースだった。もっともこの記事を書いている7月8日の最高気温35度とかいう気候だったら、とてもじゃないが歩いていないだろう

新しい駅舎と出会う

駅前の広場に出てくると簡易的な駅舎と出会う

コンクリートで真新しい。駅の開業は1914年(大正3)。現在は福山市新市町だが2003年(平15)までは新市町。1955年(昭和30)までは戸手村。駅前の広大なスペースから、そこにはそれなりの駅舎があったと思われるがJR移管後に解体されたらしく、しばらくは待合所のみの駅だった。現在の姿は3年前から。簡易的なものではあるが、駅舎が約30年ぶりに復活したことになる

ホームに上がるとかつては列車交換のできる対面ホームだったことが分かる。その向こう側にもスペースがあり、さらにもう1本線路が敷かれていた形跡があるが、いずれにせよ現在は棒状化され事実上1面1線構造

しかしその廃ホーム上には貴重なものが残されている

おそらく国鉄時代の駅名標。備後本庄駅にも残されていることはすでに紹介したが

備後本庄駅のものとは違って木製の駅名標である。おそらく鳥居式駅名標だったと思われるが、鳥居を構成する上の部分がどこかに行っている。気候によって朽ちてしまったのか、あまり上部だけがないまま放置されているのは見たことがないが、その割には文字はしっかり読み取れる。このように雨ざらしで置かれると、やがて消えていくものだが、きれいに残っている。文字部分だけを更新したのかもしれないが、いずれにせよ貴重なもの。福塩南線では備後本庄駅のものが有名だが、木製のこちらもぜひ見てほしい存在だ

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~目をひく高い高い駅名標

近田駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

福塩南線では利用者最少

近田駅に到着。単式ホームと待合所のみという福塩南線では定番の形となっている

駅前の道路と入口が近くスロープ状でホームに直接入る形になっているのもよく見かける。開業は他の多くの福塩南線の駅と同じく1914年(大正3)。福塩南線のシリーズを始めてから、あまりにも「1914年」と入力するので、ここのところPCさんもすっかり記憶したらしく「1」と打ち込むと「1914年()」と表示されるようになっている(笑)

現在は福山市だが、1975年(昭和50)までは駅家町。さらにその20年前までは近田村が存在した。駅名は、その近田村に基づく

駅の周辺は住宅街だが、「街」という意味では、お隣の駅家駅周辺がにぎわいを見せる。またメイン国道となる486号まではやや距離があり、ロードサイド店もそちら方面に集まっているため人の集まりはそちら側に向かっているようで、駅の利用者は少なく、1日の利用者数(2022年)は福塩南線では最も少ない。とはいえ386人。平野部の住宅街を進む福塩南線では、利用者一桁の駅は存在しない。二桁もない。このあたりは歴史の違いだけでは片付けられない福塩北線とは別路線とも言われるゆえんだろう。

またこれは次の駅へと関連してくるが、駅の北側を走る県道、つまり万能倉駅から駅家駅まで歩いたルートは「石見銀山街道」の名がある通り、かつては駅周辺のメインルートだったのだろう

ひときわ目立つ駅名標

他の駅と少し異なるのは待合所の位置。ホームからは4段しかない小さな階段を降りるのだが、この空間はかつてもう1本の線路があったように思える。島式ホームだったことがあるのか貨物ヤードがあったのかは分からないが、線路跡のスペースのようだ。とはいえ待合所そのものもかなりの年代もの。国鉄時代の早い時期に現在の形になったものと思われる

そんな近田駅で目を引くのが

頑張る駅名標。ホームには2つの駅名標があり、ひとつは1枚目の駅到着時のもので、もう1枚がホームのフェンス外に建っているもの。「建っている」というより「立っている」と表現した方が分かりやすい。かつて線路があったであろう場所に設置されている。ホームのフェンスより高くしないと意味がないので精一杯背伸びする光景が、なかなかほほえましい。長大ホームではないので、わざわざホーム上に加えもうひとつを設置しなくても良さそうなものだが、かなりきれいに更新されている。これを見るだけでも駅訪問の意味はある

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~いろいろな意味で目前の棒状駅

鵜飼駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

府中の手前まで来た

駅家から一気に6駅北上して鵜飼で下車。すでに府中市に入っている。平成の大合併があったため、福塩南線約23キロの駅は福山市と府中市にしか存在しない。というか、福塩北線残り55キロを含めた全78キロの所在地を見ても他はほぼすべてが府中市と三次市。わずかに備後三川が高校駅伝で有名な世羅郡世羅町にあるだけで唯一の「郡部」となっている。

呉線の項でも少し触れたが、広島県の自治体は14の都市と9の町が存在する。村はない

その鵜飼駅は福塩南線の「始終着駅」である府中のひとつ手前。ただひとつ手前といっても

福塩南線の記事を始めていろいろな駅で何度も繰り返すことになるが、非常に近い。線路にして900メートル。道路はほぼ線路に並行しているので15分ほどで歩けてしまう。付近は府中市の中心部といってもいい場所だ。ついでに言うと、逆側の隣駅も極めて近いが、こちらはメインイベントとして最後の訪問駅とすることを決めていたので、その時に触れよう

簡素なホームと待合所

鵜飼駅は他の福塩南線の多くの駅と同じく1914年(大正3)の開業。単式ホームと待合所があるのみの簡素な構造。ホームにはスロープで出入りする。周辺は住宅街。有人駅だった時代もあるようだが、宅地化で周辺が大きく変化したのか駅舎があったのかどうか、そのスペースはどこだったのかも判然としない。地図で分かるが駅からすぐの場所にファミリーマートとセブンイレブンと2軒のコンビニがある。コンビニがあれば街中というものではないが、福塩南線では駅からすぐコンビニというのは貴重な存在である

地図を見ていただければ分かるが、駅の真ん前にはほっともっとがある。こちらも住宅街ゆえんだろう。ほっともっとで弁当を購入して1月にホワホワと上がる白飯の湯気でも楽しみながら、まさに「駅弁」を楽しむことを真剣に考えたが、ほぼ上がりかけとはいってもまだ小雨が降っている。天気予報では大幅に回復するらしいが待合所のみの環境で、食べているうちに雨が強くなると悲惨だと思い、企画としてはボツとなった

屋根があるとはいっても待合所はこれだけのスペースしかない。券売機を置いているぐらいなので雨はそれなりに避けられるのだろうが、踏み出す勇気がなかった。この企画は10分以上も歩いて見つけた弁当屋さんに感激して駅舎で食べた約3カ月後の芸備線の市岡駅に引き継がれることになる

もっとも弁当屋どころか自販機ひとつのありがたみも全く違うのだけど

中国山地はすぐそこ

府中方面に去っていく電車を見送ると天候もあって、もやがかかっているようだ。福山からいわゆる福山平野を走ってきた福塩南線だが、府中を過ぎると中国山地に分け入っていくことになる。府中以降の11駅訪問は、決して大げさではなくなかなか大変だ。3年前に一泊二日で福塩北線全11駅訪問を目指したが2駅取りこぼしたほど。その2駅は市岡駅の後にようやく回収できた。ほっともっとも中国山地も目前の駅である

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~分かっていたこととはいえ…目の当たりにした新駅舎

駅家駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

ついに徒歩移動の時

福山を朝の8時に出発したころは、まだ本数の多い時間帯だったが、万能倉駅に到着した9時半には1時間に1本の昼ダイヤと、ついに1時間に1本の時間帯に入ってしまった。ということで、ここはやむを得ない。お隣の駅家まで徒歩移動である

とはいっても、大騒ぎするほどのものではない

この区間は線路とほぼ並行に県道が走っていて、しかもほぼ平坦。駅間徒歩移動というより散歩レベルである。面倒なのは朝の三原駅から降っている雨だが、この時間帯は小降りになってきた。過去何度か書いているが、徒歩に適した気候は気温10度、風雨なしだと確信している。気温は適正でも風が強いと体感温度は下がるし、雨はどちらかというと論外である

ということで歩を進める。住宅街の道路なので足下は確か。心配は泥はねだけ

しばらく歩くと商業施設が目立つようになり、駅が近いことを感じる

5年前との違いをかみしめる

そして到着した駅家駅。ご覧の通り「簡易」とは言わないが「簡易的」駅舎である。しかも新しい。当駅は約4年前の2019年12月にも訪れているが、その時の写真がこちら

お分かりだろうが、大正期の開業時(1914年)以来の駅舎がサイズもほぼそのままで残っていた。さらに言うと有人駅だった。2020年に無人化され、翌年に旧駅舎は解体されている

駅名はかつての駅家町に基づく。鉄道が通った時には駅家村。1975年に福山市となり、駅家町は消滅しているが、大昔からあった地名ではない。前記事で紹介した万能倉村などが合併して新しい村が誕生した際、駅家という村名が誕生した。旧山陽道の宿場があつたことで名付けられた

関西弁なら叫び声だが

関西の人間が駅を見つけたら「駅や駅!」と叫んでしまう駅名として広まったこともあるが、この駅家という町名はよく考えられたものだと今にして思う

「駅」という言葉の意味を知らない人は日本にまずいないだろう。ただ日本に鉄道が導入された時は事情が異なっていた。「station」を日本語(和訳)する際、どういう言葉が適切かと検討された結果「停車場」が採用されたが、それまでの宿場の呼び名のひとつでだった「駅」の代わりになるものとしてstationに人が集まるようになったため、次第に元々の駅(宿場)はさびれ、いつの間にかstationが駅と呼ばれるようになり、一般への認知度では停車場を上回るようになった。その後、お上の方で2つの言葉の棲み分けがされ、鉄道用語には停車場は残っているものの、駅を含め「列車が停まる場所」という広い意味となっていて、日常会話に出てくることはなくなっている。

では「駅」とは何かというと、律令時代に設けられた街道の施設のことで、ここには馬と厩舎のほかにも休憩所や宿が設けられていた。だから人も集まる。「駅家」とも呼ばれた。文字に馬ヘンが入るゆえんである。だから「駅」という言葉は日本に鉄道が導入されるより千年以上も前からある由緒ある言葉なのだ。逆に言うと鉄道関連以外で「駅」を使う言葉は日常的にほぼない。だから自治体名や駅名となって残っているのは意義がある

現在の駅舎は

現在の駅名板も由緒ある言葉に敬意を表していたおしゃれなものとなっている

こちらはホーム側から見た駅舎。正面からのものも含めレンガでアクセントを出している。路線内の他の簡易的な駅舎とはほんの少し違う

もっとも駅舎内に窓口というものはなく、風の通り道としては吹き抜けだ

こちらは2019年12月に改札内から撮ったもの。姿は見えないが、在席の駅員さんが対応すべく改札口は開いている

湯田村、万能倉そして駅家と3駅訪問してきたが、いずれも由来を考えるだけで興味が尽きない駅だと思う

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~超難読駅は開業時からの駅舎が残る貴重な存在

万能倉駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

両隣も全く漢字が浮かばない

万能倉駅に到着。狭いホームでの列車交換が行われると平日の9時半というラッシュ終了後の時間帯でもホームは人があふれる

さてサムネにも使用した駅名標の写真をあえてもう1度使用する

当駅もそうだが既出の「みちのうえ」そして「えきや」。初見で3駅を漢字で書ける人は、まずいないだろう。当駅は、かつてあった万能倉村に基づく。ただし駅が開業した1914年(大正3)には周辺の複数の村と合併して駅家村(駅名標の行先のひとつはこう書く)となっていた。ただ駅家村の誕生は1913年と駅が設置される1年前なので、すでに駅名は決まっていたのかもしれない。駅の所在地は今も福山市大字万能倉で地名として残る

かつての山陽道の宿に近く、多くの倉庫があったことが地名の由来ともされる。またこれは駅家の由来にも通じるものがあるのだが、馬の鞍を作る場所があり「ウマノクラ」がなまって「マナグラ」になったという説もあるという。いずれにせよ超難読であることは間違いない。そもそも最後の「倉」が「グラ」と濁音付きになるのが難読に輪をかけている。かくいう私も、今こうして記事を書くまでは「マナクラ」だと思い込んでいて「えっ?」となった次第

開業時からの駅舎

駅舎それも簡易的ではない古いものが残る。規模は小さくなり、手も入っているが、原型は開業時からのものだろう。これは福塩南線においては重要なことで、沿線には古い駅舎がほとんど残っていないのである。というか、ちゃんとした駅舎を見かけることが少ない。そもそも駅舎があったのか、いつ解体されたのかも調べても分からない駅が多い。その中で当駅については10年以上前に無人化されながら、現在もそのままである

改札は消えたが、窓口の跡もしっかり残る

ひとつの要因として、当駅折り返しの列車が設定されていたことがあるのかもしれない。1日に1本、福山をお昼の13時台に出て当駅が終着、15分ほど待機した後に福山行きとして折り返す電車があったが、2021年秋のダイヤ改正で消滅した。湯田村駅の項でも触れたが、現在の福塩南線は1日3往復の井原鉄道直通乗り入れ以外の電車はすべて福山~府中の運行で、区間運転はない。福山を13時台に出る府中行きはないので注意が必要である(井原鉄道乗り入れが1本あるので神辺までは行くことができる)

大正期からの息吹を難読の駅名と合わせて伝える万能倉駅。勝手な考えかもしれないが、難読駅には古い駅舎が似合う気がする。ただ沿線内の様子を眺めていくと駅舎がこのままの姿で残る可能性は小さい気がしてならない。早いうちに木造駅舎の入口に乗っかる「万能倉 MANAGURA STATION」の文字を見つめにいってほしい

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