フリーきっぷ

悲運の岩徳線を行くその2~山陽本線から「降格」した歴史

周防久保駅に到着したキハ40

2022年10月3日8時15分

駅からの大動脈

周防花岡から周防久保に到着。乗車列車は単行となりましたが周防花岡で多くの乗客が下車してしまったため、十分な容量となっています。ここで列車交換のため10分の停車

こちらは生野屋の時刻表。朝夕の通勤通学帯、中でも朝に特化したダイヤであることが分かります。私が乗車しているのは当駅8時12分発の岩国行き。この後、3時間以上列車がありません。その次も2時間半、2時間と間隔が空く。列車の停車時間を利用して駅訪問とするのは本意ではないが、3時間列車がないのでやむを得ません

駅舎を出ると国道2号線のバイパスが目の前を走る。その奥には新幹線と山陽自動車道。大動脈に寄り添いながら在来線はローカル線という光景が続きます

戦時中の決定

山陽本線は岩国~徳山間を瀬戸内海に沿って敷設されています。前記事でも触れましたが岩徳線より20キロ以上も長い。先にできたのは現在の山陽本線ですが、短絡で真っ直ぐつなげようとなるのは当然の流れ。工事が開始されたのは大正期で道路整備もまだまだの時代ですが、そもそもは古来からの山陽道が現在の2号線なので、その意味でも短絡線で岩国と徳山を結ぶのは自然なことで、全通時はこちらを山陽本線とすることで工事が開始され、1934年に全通して山陽本線となり、旧来の山陽本線は柳井線となりました

短絡で結ぶためトンネルも勾配もいとわずの工事で欽明路駅の東側にポッカリ口を開けている欽明路トンネルは3000メートル以上と当時としては、かなりの大工事。他にも1000メートル超1本を含む7本ものトンネルを掘りました。だが、これが後々にマイナス要素となってしまう

間もなく戦時体制に入っていくと、輸送力強化のための複線化が求められる。同様に軍も物資運搬も含めた海の需要が急速に高まります。SLの時代に長大トンネルはあまり好ましくない上、複線のためもう1本、3キロ以上のトンネルを造るのに一体、どれだけの時間と手間がかかるのだ、ということになり1944年の柳井線の複線化が完了したことで柳井線は山陽本線へカムバック。全通まで岩徳西線、岩徳東線と呼ばれていた「山陽本線」は岩徳線となりました。戦争まっただ中のこと。たった10年の山陽本線。戦後も改めて工事が行われることなく現在に至ります

短絡線の構想が戦後だったら、など「イフ」を挙げるとキリがありませんが悲運の路線となってしまったことは間違いありません

周防久保は1934年からの駅舎が、そのまま残ります。岩徳線では貴重な駅舎のある駅

国鉄時代に無人化されています。バス路線の多い駅でもあり、近くには住宅地があります

駅名標はきれいです

山陽本線時代の駅でもあり、ホーム有効長は長い。発車時刻となったので列車に戻ります

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グリーンきっぷの2日間~明治生まれの駅舎で締める

戸出駅の駅名標

2月22日14時20分

パンダさんじゃなかった

富山駅の軌道線からの乗り継ぎが大変よく、ギリギリで「つるぎ」に乗車することができました。これに乗ると城端線にうまく乗り継げます。「金沢のサンダーバードの発車までの時間をどうしよう」と時刻表を何度もパラパラめくっていた悩みが一気に解決

富山~金沢の2区間だけを編成車両の一部だけ利用して運行するという、つるぎですが需要の多い区間を1時間間隔から30分間隔に補完する、なかなかのアイデアだと感心します

城端線の新高岡駅は新幹線とは改札外連絡の無人駅で単式ホーム。高岡までは1駅で新幹線からの乗り換えでの需要はかなりあるほか、大きなイオンの最寄りも兼ねています。城端線は昼間は1時間に1本の運行ですが、イオンのおかげもあって高岡~新高岡はバスも頻発しています

10分もかからない絶妙な乗り換えでキハ40に乗ります。昨日の今ごろは鳥取県にいたわけですが、24時間後に富山県で再びタラコに乗るというのは感慨深いものがあります

ホームにいた女子高生が「1両かな、2両かな」と会話していました。確かに容量が2倍違うのですから、その差は大きい。やって来たのは2両編成。下校の高校生でにぎわっていました

車内で目をひいたのは津波の際の注意事項。私が気づいていなかっただけなのかもしれませんが、かなり斬新でした。というのも過去に見たものは

こちらが特急「くろしお」の車内のもので

こちらが紀勢本線の普通で見たもの(ともに2021年12月の撮影)。いずれもパンダさんがモデルになっていて、かわいいな、と思っていたのですが、これが和歌山仕様だったことを知りました。確かにジャイアントパンダがはしごで降りたら相当な時間を要しそう

130歳近い年齢にしびれる

今回向かうのは高岡方面ではなく城端方面。10分で到着したのは

戸出です。旧戸出町の代表駅で、こちらの素晴らしさは

こちらの駅舎

まだ北陸本線もない時代に開業した城端線ですが当駅は、ほぼ1897年の開業時の姿のまま

こちらが明治30年の財産票。まもなく126歳の誕生日となります。長い歴史を持つ城端線ですが、当時からの駅舎が残るのは他に福野と城端の2駅だけです(城端駅の開業は戸出、福野より半年ほど遅い)

一部は手が入っていますが、他はほとんど変わらない

「計量器使用事業場」。これは初めて見ました。調べると、はかりなどの計量器を適切に扱う事業所としての認可だそうです。旅客の荷物を扱う駅に与えられていたもののようですが、考えてみると日本中の駅がそうだったことになります

利用者の多い駅で、今は簡易委託駅としてきっぷ販売を行っています

訪問時は、まだストーブがありました

戸出周辺は灯油(植物油)作りが盛んでかつては「灯油田」の表記もあったそうで、お隣の駅は「油田(あぶらでん)」

駅舎のホーム側に掲げられていた城端線の案内図。JR移管後に設置されたもののようですが、新高岡駅ができる前のもののようで、年季は入っています。ホームには多くの高校生がいたのですが頭上にある写真を撮っていると「わー、こんなのあったんだ」と見上げていました

その後、新高岡に戻って金沢へと向かいました。北陸新幹線と北陸本線の特急をフリーで乗れるきっぷは過去にも利用しましたが、それぞれの駅にローカル線が接続しているので発売されるタイミングは貴重です

サンダーバードで帰ります

最後の指定券

出発前に用意したきっぷは無事すべて使うことができました。パノラマグリーンから始まり、かなり「乗っている時間」が長かったですが、未乗車区間の穴埋めも含め、後半は適当旅でローカル線の乗車や駅巡りもでき、密度の濃い旅となりました

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グリーンきっぷの2日間~高山本線の駅の奥深さ

千里駅の駅名標

2月22日12時40分

昭和2年からの木造駅舎が残る

千里駅に到着しました。高山本線は富山県の富山~猪谷がJR西日本、岐阜県の猪谷~岐阜がJR東海と棲み分けされていますが、富山県内のわずか36キロも富山~越中八尾と越中八尾~猪谷で本数が大きく異なります。千里は越中八尾のひとつ手前。現在は富山市ですが、かつて婦中町でした

駅前に地図がありました

婦中鵜坂駅も描かれていますが設置は富山市になってから

1927年の開業以来の木造駅舎が残ります

お隣の速星でも見た駅名板に風格を感じます

ホーム側。まだまだしっかり使えそう。駅舎と逆側からもホームに入れるようにんっています。周囲は住宅街

嘆息する長い有効長

越中八尾からの折り返し列車に乗車。この時間帯は富山~越中八尾でも前後2時間運行が空いているため列車の混雑ぶりも納得できます。ちなみに猪谷までの普通は4時間運行がありません

富山のひとつお隣の西富山で下車

こちらの特徴はなんと言っても有効長。「立入禁止」の文字の先も複線状態のレールが続いています

近くまで行くとよく分かります

先ほどまでの写真は富山方面でしたが高山方面もずっと複線状態が続く

当駅はJR貨物の駅にもなっています。といっても今は貨物の取り扱いは行っておらず、貨物については臨時駅扱い。写真で見ると駅周辺は新しい家が並んでいますが、かつては貨物設備があった場所。平成に入ってもその光景は見られていました。今も駅の敷地そのものは広く、長大な貨物列車に対応するため長い長い有効長がとられています

さらに言うと貨物もなくなり、ほとんど使用されていなかった駅舎と逆側のホーム(富山方面)ですが、婦中鵜坂駅が設けられ、高山本線が増発した影響で「復活」。ローカル線で1度使用されなくなったホームが復活する例は少なく、いろいろな意味で奥が深い

千里と同時期に開業した木造駅舎が残ります。車寄せの部分は千里と似ていますね

昭和2年の財産票

駅名標は婦中鵜坂を追加していますね

さて高山本線は富山から迂回するような形で伸びてきています

目と鼻の先とは言いませんが、富山大学のキャンパスも近い

JR製の駅名板を見ながら富山大学方面に向かうこととしましょう

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グリーンきっぷの2日間~富山から再度のキハ120

富山駅に停車中の高山本線のキハ120

2月22日11時

思いつき旅のスタート

糸魚川駅に戻ってきました。同駅は海に向いた以前からの日本海口と新幹線開業に際して整備されたアルプス口の2つの出入り口を有し、新幹線用地確保のため撤去された大正時代からのレンガ車庫の一部が玄関に移設されています

アルプス口には「糸魚川ジオステーション ジオパル」があり、かつて大糸線を走ったキハ52が展示されています

解説文はなかなか詳しい。トワイライトエクスプレスの車両も展示されています

さて前日の早朝に家を出て「やくものパノラマカー」「スーパーはくとの全線完乗」「JR西日本の未乗区間の完乗」と予定していたミッションはすべて果たしました。ここからの時間は、いつものケセラセラ思いつき旅とします

前年の積み残し回収へ

こちらの行動は何となく決めてはいたのですが、糸魚川から新幹線で2駅

富山で降ります。約30分の乗車はさすがにグリーンではなく自由席

北陸本線は「あいの風とやま鉄道」に三セク変換されていて駅の管理も同社が行っていますが、JR西日本の高山本線のホームもその中にあり、主に専用の切り欠きホームを使用します。このあたりの構造は糸魚川と同じ

案内表示にある12時19分発の越中八尾行き普通に乗ります

昨年9月、夏の青春18きっぷの5回目利用で富山駅にいたところ、電話がかかってきて急きょ、お昼過ぎに帰宅しなければならなくなったことで行けなかった駅の回収を行う予定

持っているきっぷは猪谷までなら特急「ひだ」にも乗車できる。ひだは越中八尾にも停車します。このようにホイホイ特急に乗車できる機会はなかなかないので、あーでもない、こーでもない、といろいろ考えたのですが、特急に乗車した場合、その後のダイヤがあまりにも薄いので断念

でもいいではないですか。私にはキハ120という強い味方がいる。そもそも普通しか停車しない駅に行こうとしています。高山本線のキハ120は他地域と大きく異なり2両編成。キハ120=単行のイメージとは少し違う仕様となっていますが、2両編成にふさわしいというか乗り込むと満員で座ることもできない状態でビックリしました

ほとんどが高校生で制服を見ると、いろいろな学校の生徒さんがいるようです。平日のお昼過ぎにこの状態は驚きましたが、試験でもあったのでしょうか。しかし朝の通勤通学帯はここに勤め人も加わるのでしょうから、おそらくもっと凄い数。2両での運行も納得。青春18きっぷの季節でない限り、こういう状況のキハ120に乗車したことのない私は何だか頼もしいというか、うれしくもありました

20分ほどの乗車で千里に到着しました

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和田岬線の18きっぷは要注意

和田岬駅の駅名標

電化以来走り続け

西日本グリーンパスの旅の最中ですが、和田岬線について優先して報告させていただきます

7日朝、和田岬線に乗車してきました。過去数え切れないほど乗ってきましたが、103系の終了が発表されてからは初めてです

あえて徒歩経路を示してみました

正式には山陽本線の支線で1区間2・7キロという超ミニ区間。長らく非電化でしたが2002年のサッカー日韓W杯の会場が現在のノエビアスタジアムになったことで、その前年に電化されました。ただ現実には混乱するとのことで試合当日は運休したという逸話があります。ただしW杯に向けて電化したとは公式には発表されていません。現在もJリーグの公式ガイドでは最寄り路線とはなっていない。このあたりの話を書き始めると長いので別の機会に譲りますが、電化以来、ずっと走り続けてきたブルーの103系が3月18日に引退します

前後にそれぞれ別のヘッドマークを付けて現在運行中

東海道・山陽本線の普通電車は3両+4両の7両編成ですが和田岬線を走る電車は6両の変則編成

扇風機が回ることはもうなさそうです

ご覧のように車内のつり革広告部分にも惜別がズラリ

朝と夕方のみの運行で和田岬駅近くの工場や営業所、学校に人を運ぶことが目的のため朝と夕にしか運行されません

ですから、朝は和田岬行きが満員で兵庫行きがほぼ無人状態、夕方は和田岬行きがほぼ無人で兵庫行きが満員というのが特徴

朝の和田岬着の電車からはドッと人が降りますが103系の6両編成で本数はかなりありますから、ギューギュー詰めという事態にはなりません。昔の客車が牽引していたころは戦後の買い出し列車か、という光景が日々見られていましたが、市営地下鉄も開通した現在はそうではなくなりました

通勤に特化した路線ですので土日はグッと本数が減ります。今も土曜ダイヤがあるのが特徴で土曜はそれでも平日の17往復に対して12往復とそれなりの運行はありますが、日曜はなんと朝夕1往復の計2往復と地方の閑散区間もビックリの運行。もっとも地下鉄は終日走り続けているし兵庫駅からも30分程度で歩けます

青春18きっぷ利用者は要注意

1区間だけの路線ですので和田岬駅は無人駅で料金は兵庫駅の中間で集約して支払います。和田岬駅から手ぶらで乗車した場合は中間改札手前にある券売機で目的地までのきっぷを購入。兵庫駅で下車する場合は、まず中間改札にきっぶを通し、改めて駅の改札口から出ます

もちろんIC乗車券を持っている場合はタッチすれば抜けられます

と平時はこれでいいのですが、問題は自動改札を通れないきっぷの場合。今の季節だと青春18きっぷがそれにあたる

写真は過去のものですが中間改札は原則的に無人。この場合は左の青い機械のお世話になります。これはJR西日本の各駅で見かけるもので

こちらは別の駅のもの。きっぷを青い台の上に置き、インターホンで係の人を呼び出すと向こうで読み取って改札機を開けてるのですが、運が悪いとなかなか出てくれない時があってイライラ。過去何度か18きっぷのJR西日本都市部分の利用はおすすめしないと書いてきました

元々は「自動改札を通れないきっぷを持っている人はごく少数だろう」という前提の制度というか機械です。今回のようにドッと押し寄せてくる可能性についてはあまり前提となっていません。こちらのインターホン前で行列ができているのも私は見たことがない。いても先に1人。ただ自動改札を通れるはずのきっぷが通れない時のトラブルが生じた場合は思わぬ時間を浪費することもあります。このパターンには過去2回遭遇したことがあります

今回のようにひとつの小さな改札に人が集まる時は、時間がかかる可能性もあります。私が見ていても最大で3人の列ができていました

18きっぷ利用の方は早めに駅へ行きましょう

ちなみに運行時間帯以外はこのように中間改札は閉鎖され、ホームには入れません。また現在、和田岬線の両駅ホームにはJR西日本の社員の方がいます和田岬駅が無人であるのをいいことに悪いことはしないでくださいね

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グリーンきっぷの2日間~大糸線の1区間でJR西日本完乗のゴールに感動

糸井川駅の大糸線キハ120

2月22日10時10分

最北のキハ120に乗る

今朝までJR西日本の未乗区間だった上越妙高から糸魚川までの1区間を戻り糸魚川で下車

北陸本線は新幹線開業によりえちごトキめき鉄道となりました。新幹線の改札口とえちごトキめき鉄道の改札口は別で1度外に出る必要がありますが、ほぼ並んでいます

これから乗車するのは大糸線。こちらはJRが運行していて糸魚川ではホームを間借りしています。大糸線の表示もありますね

ホームに降りると

切り欠きホームの向こうには既にキハ120が待っています。JR西日本のローカル線に投入されているキハ120は中国地方のイメージが強いかもしれませんが、北陸でも越美北線、高山本線そして大糸線でも走っていて大糸線が最北の運用。こちらに乗ります

やはりJR西日本のフリーきっぷ旅をするからには道中で1度はキハ120に乗らないと

大糸線の駅名標ですがえちごトキめき鉄道仕様ですね

最後の4キロが残ってしまった

2021年の9月に大糸北線の全駅訪問を行ったことは前回の記事で触れましたが、このときに「やらかし」があったのです。そもそものやらかしは私ではないのですが、その時もグリーンきっぷで大阪から金沢→糸魚川と進んで大糸線に乗車。大糸北線はJR西日本の最後の未乗路線として私的にわざわざとっておいた路線で宿も平岩駅近くの姫川温泉に確保して万全の態勢だったのですが、なんと路線トラブルでサンダーバードの始発が大阪駅から出発できないアクシデント。遅延によって金沢での新幹線接続ができず予定していた大糸線に乗れませんでした。旅程の方は急きょ組み直して全駅訪問は果たしたのですが、本数の少ない大糸線を糸魚川の駅で1時間以上ぼんやり待つのも何だし気候も良かったので「プラプラ歩くか」と散歩がてら姫川まで歩いたのです

線路は4キロありますが、外に膨らんでいるので徒歩はショートカットで進めます。実際はグーグルの行程とは異なり市役所まで真っ直ぐ南下してクニャクニャと細い道を歩きましたが難なくたどり着き、2日で全駅訪問を終えて翌日に糸魚川まで戻ったのですが、列車本数の少なさから帰りは根知駅からバスで糸魚川まで戻りました(糸魚川~根知の路線バスはそこそこの本数がある)

ということは、つまり糸魚川~姫川の1区間は乗らずに終わったわけです

気付いたのは帰宅してから。とはいえ簡単に行ける場所ではないので、ずっと機会を伺い、今回のきっぷが出たのを機に糸魚川~上越妙高とともに訪問することにしました。ですから前日の鳥取県では寒さにヘタレて現地で予定変更しましたが、ここだけは、たとえ吹雪であろうと新幹線と列車が動く限りは決行です

ただ問題は環境で姫川はホームだけの棒状駅で寒さをしのぐ場所がないことは前回の訪問で分かっています。ならば、もう1駅先の頸城大野まで行こう。ここなら駅舎がある。2区間進んでも完乗ですから

選んで良かった

10時31分発の列車はトコトコ進んでいきます

もちろん単行のワンマン運転。南小谷までがJR西日本区間ですべて無人駅。車内は20人ほどのお客さんが乗っていました

姫川を過ぎて無事に全乗ミッション完了。後はウイニングランのようなものですが車窓が急に変わりました

一面の銀世界。ちょっと驚きました。姫川では少し残っている程度だったのですが姫川~頸城大野のたった1・8キロでこんなに変わるとは

ホームに降りた時に「ワーッ」と声が出そうになりました。列車の有効部分だけ、きれいに除雪している姿もいいし

ホームからの眺めも最高

駅舎の姿も美しい

駅舎左手には駐車場ですが車の出入りした形跡はなく、というかもう入れません

右手の駐輪場では手押しで進んだ激戦の跡があります。ちなみに姫川で老夫婦の2人が降り、頸城大野で降りたのは私一人

大糸北線の各駅で見られる書体の駅名板

駅舎内。ただ幸運なことに無風で全く寒くはありません

時刻表。私が降りたのは10時39分の南小谷行きで54分の糸魚川行きに乗るため、わずか15分の滞在。寒さも考慮して短いで済むようにしたのですが、こうも暖かいともっといたかったなぁ、と相変わらず勝手なことを考える(笑)

2人のお客さんがやってきました。糸魚川へ向かうようです

駅名標をしっかり撮って撤退することにします。それにしても大分北線は優等列車どころか快速も走っていないのに私の乗車は必ずグリーンきっぷという路線になっています

この風景を見られたのですから、今にして思うと未乗区間になっていて良かった

松本と糸魚川から少しずつ進んできた大糸線。元々は国防ラインとして計画されましたが大糸北線の中土~小滝がつながって全通したのは戦後の1957年です

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グリーンきっぷの2日間~JR西日本の未乗区間を埋める

北陸新幹線のグリーン指定券

2月22日8時

貸切のグリーン車

もい全国的にもすっかりおなじみの光景。朝の金沢駅。今日の最高気温は6度の予報ですが雪は夜のうちにやんだようで、この時間でかなり少なくなっています

駅前は本当に立派になりましたね。私が金沢にひんぱんに仕事で訪れていたのは20年以上前のことで、当時の金沢駅は全国の都市でありがちな「何もない駅前」でした。町の中心部(繁華街)は香林坊と片町という歩くには、ちょっと距離のある場所で初めて訪れた昭和の時代に駅前のホテルに泊まり困ったのは忘れられない思い出ですが、今は駅近辺と繁華街とは逆方向の港側の再開発が進んで、中心部まで行かなくても完結できるようになっています

例によって牛丼店で朝食。今日はいつお昼を食べられるか分からない日程なのでしっかり食べよう

考えてみればグリーン車ばかりに乗る旅で毎朝牛丼店で朝食というのも妙な話ですが、あくまでもグリーン車は手段のひとつなので食事の豪華さは別問題なのです

金沢からは北陸新幹線に乗車

もちろんグリーンです。6回の権利のうち4回目。元々はやくものパノラマグリーンに乗るためのもので他は別に普通車でもいいのですが、せっかくの権利なのでありがたく利用します

北陸新幹線のグリーンは2回目です。2021年9月以来

落ち着いた色がいい。そしてなぜこのように写真をバンバン撮れているのかというと、車両には私だけの貸切で発車したから。お隣の新高岡で一人乗って、富山からは数人が乗車してきましたが、貸切グリーンというのは、なかなか心地の良いものです

3日間きっぷもあるのだが

さて今回利用した2日間きっぷ。3日間用と5日間用は一人では利用できないと最初に記しましたが実は一人用もある。JRで受け付けるものではなく主要旅行会社で発券してもらう「西なびグリーンパス」というもので、こちらは一人利用も可能。50歳以上などルールはほぼ同じで3日間用が3万円、5日間用が3万5000円と、やや割高(2日間用はない)になりますが、十分に元はとれる料金です

今回もそちらを利用する手はあったのですが、やめました。理由はというと

絶対にローカル線に乗りたくなるから

2年前は5日間の夏休みをとって5日間用を利用。3日間は北陸方面へ行き、1度帰宅して残る2日間は山陰方面に出かけました。つまり今回とは逆の行程でパノラマカーの座席を確保したにもかかわらず「そうでない日」に当たったのは、この時。そして5日間で何をしたかというと

大糸北線(JR西日本管内)の全駅訪問

越美北線の全駅訪問チャレンジ

山陰本線の益田~浜田の全駅訪問

グリーンとは無縁のものばかり(笑)。地方に行くと必ずこうなるというか、ローカル線に乗りたくなるのですよ。ということで今回は煩悩(?)を捨てるべく2日間のきっぷにして日程を凝縮させました

車窓では

雪景色とそうでない景色を見ながら

1時間で上越妙高に到着。昨秋の東日本パスで長岡方面から特急「しらゆき」で来て以来です

石川県から新潟県まで。約170キロを1時間で走るのですから新幹線はやはり速い

昨年10月は、ここから北陸新幹線に乗って軽井沢へと向かいました。その時にふと「糸魚川~上越妙高」が未乗車区間になっていることに気付きました。これはいつか必ず埋めなければならない、と思っていたところで今回のきっぷが登場。新幹線にホイホイ乗れるきっぷというのは、なかなか出ないのでこのチャンスを逃すわけにはいきません

雪の中、しらゆきが停まっていました

いい景色ですね。ただ当然ながら寒い

そして駅名標でも分かるように当駅はJR東日本の管轄。昨秋のきっぷでは、ここから金沢方面には行けず、今回のきっぷでは長野方面に行けないという境界駅

「あなたの持っているきっぷは、ここでは取り扱いできません」と書いてある。でもいいのです。ここからは自由席で金沢へ向けて折り返しますから。滞在30分で金沢行きのはくたかに乗り込みます

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グリーンきっぷの2日間~在来線特急乗り継いで500キロ

スーパーはくとのグリーン指定券

2月21日17時50分

3時間20分の旅

倉吉から3時間20分ほど。終点の京都に到着です。3時間超えは長いといえば長いですが、あっという間に感じました。私鉄の有料特急にもいえることですが在来線特急というのは、都会部分を走る時、多くの人がホームに並んでいる中を悠然とやり過ごすエグゼクティブ感がたまらない。そんな車窓を眺めていると、すぐでした。新幹線にはその感覚は生まれませんから

特にスーパーはくとは姫路~京都間では追加料金なしの電車では凶暴ともいえるスピードを持つ新快速が15分間隔で運行される、その合間をぬって走るので気動車としては驚くべき速さです。当初は電化計画があり、智頭急行側はやる気満々だったそうですが、因美線の電化がJR西日本の予算不足によって実現されず気動車になった経緯があります

姫路を過ぎると車窓からもホームも人の姿が増えていきます。西明石からは複々線ですが、姫路から西明石までは単なる複線。この間は貨物列車も走るし、普通(明石以東は快速になります)も走る。遅延が起きた時、確かに有料特急の存在はじゃまなのかもしれません

ちなみにJR西日本のフリーきっぷは、フリー区間に智頭急行が含まれているものがほとんど。今回のきっぷもそうでした

同一ホームでサンダーバードを待つ

京都に到着。スーパーはくと完乗のミッションは終了しました

有名な0番線ホーム。各地に存在する0番線は切り欠きなことが多いのですが京都駅は違います。そのまま出発できる。案内表示にある18時9分のサンダーバードに乗車します。米子から一気に当日中に金沢まで行くなんて、なかなか強引な移動ですがきっぷの有効期間が2日間しかないのと、この日のうちに金沢まで行かないと翌日の重要ミッションに影響が出るため、この日のうちに移動です

今回の移動で最も乗り継ぎがタイトだったのは、ここで20分しかない。朝の雪で伯備線も数分の遅れが出ていてヒヤヒヤしていましたが無事乗り継げそう

すぐに次の電車が来る(サンダーバードの前に草津線直通が入る)ので慌ただしく作業が行われます

その間、ちょっと外の空気を吸いに行く

寒い。車内でウトウトしていた目が一瞬で覚めました

写真ではよく分からないかもしれませんが雪が舞っています。日が長くなってきたなぁ、なんて感じる余裕はなくすぐ構内に戻る

サンダーバードの入線。おそらく前身の雷鳥時代から何百回も乗っていますが京都から乗車したのは初めてです

そもそも在来線特急同士の乗り換えをした記憶がほとんどない。JR四国で宇和島方面から岡山へと行く際に「宇和海」と「うずしお」を乗り換えたことはあります。四国で働いていた時は高松から同様に「いしづち」「宇和海」を何度も乗り換えました。高知で「南風」と「あしずり」を乗り換えたこともあります。ただこれは予讃線、土讃線という同一路線によるもので、全く赤の他人の路線の乗り換えをしたのはいつ以来なのか全く思い出せません

座席は念願のこの席。念願も何も座席確保の時点で1人席はここしか空いていませんでした。グリーン車って繁忙期以外はそんなに混んでないイメージですが、サンダーバードのグリーンはいつもお客さんでいっぱいの印象です。何か特別な気分に浸れる席です

金沢到着は20時13分。倉吉から520キロの鉄道移動でした。米子からだと570キロ。東京~新大阪より長い距離を移動したことになります。朝の新神戸~岡山~米子を入れると今日は一体どのぐらい乗ったのでしょう…もう計算しません(笑)

それよりも心配なのは、金沢に近づくと夜の車窓からも分かったしんしんと降る雪。明日は少しは暖かくなってほしいと祈るのみです

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グリーンきっぷの2日間~スーパーはくとが京都始発の理由

スーパーはくとのグリーン券

2月21日14時

スーパーはくとのグリーンに初乗車

倉吉駅に戻ってきました

ラーメンを食べたばかりなのに駅弁を購入(笑)

まぁ、食べられますよ。朝の6時の朝食以降は何も食べていなかったのですから。順調に行けば、この後は夜の8時過ぎまで何も食べられません

肉系かカニ系か迷ったのですが、肉系としました

少しだけ時間を戻すと

14時24分発のスーパーはくとに乗るべく改札へ。常時駅員さんがいるステンレス改札は減少する一方なので貴重な鉄道風景になりつつあります

ホームでは既にスーパーはくとがスタンバイ

山陰本線内は倉吉~鳥取間しか走らない上、途中の停車はないので地上ホームとしてはここだけでしか見られない光景です

発車まで10分以上ありますが、さすが始発駅(上り下りの概念だと終着駅)。もう乗れるようです

スーパーはくとのグリーン車は初めて乗ります。入口が格好いい。原則5両編成でグリーンは4号車の半分。スーパーはくとにもパノラマカーはありますが、グリーンは対象となっていません。両端の指定席か自由席がパノラマカーの可能性あり。可能性としたのは私が乗車したのは写真のように貫通式なので、この場合はパノラマにはならないからです

座席は1対2。在来線グリーン車で見る形

グリーンの網棚は飛行機のような開閉式で、細かい部分でこだわりを感じる。なお普通車も含めて電源コンセントあり。後からの設置ですがニーズに対応しています

非電化も高速運転

鳥取から因美線に入り、智頭から智頭急行に乗り入れ。山陽本線の上郡で再びJRの線路に戻り、後は山陽本線と東海道本線をひた走ります

姫路で山陽新幹線と接続するダイヤとなっていて名古屋、東京へスムーズに行けます。もちろん新大阪、京都にも新幹線乗り換えが多少速いですが、乗り換えの面倒と運賃を考えると、ほとんどのお客さんはそのまま乗車すると思われます(ここは重要な点)

智頭急行については改めて取り上げたいと思いますが、元々は国鉄智頭線として計画され工事も始まっていながら、国鉄の経営悪化によって凍結されていた路線が第三セクターとして1994年に開通したものです。特筆すべきはほぼ高架の高規格路線となっていること。鳥取自動車道の全通は2013年で約20年後ですが、自動車専用道に先駆け最高時速130キロという気動車最速の高速運転を実現したことでバスに優位性を逆転されることはありません。好調な路線です

智頭急行の登場は影響が大きく、山陽新幹線+伯備線のルートで近畿圏から米子へのコースが新たにできたのとは対照的に同じ県内の鳥取は速達性という意味で取り残されていたのですが、京都~鳥取間は山陰本線の特急に比べ1時間近くも短縮されました。その後、岡山から鳥取のルートにも利用され、今は特急のスーパーいなばが走ります。考えてみれば岡山と鳥取は隣県で因美線という路線があるにもかかわらず、わざわざ兵庫県経由でしかも上郡でのスイッチバックまでして特急を走らせるというのは凄いアイデアです

気になるニュース

鳥取県の山中に入ると雪景色が広がります

こちらも岡山と鳥取の県境付近、特に岡山側は豪雪地域となっていますが、お構いなしにビュンビュン走ります

そのように利便性に優れたスーパーはくとですが、気になるニュースが昨年5月から入っています。鳥取県知事が「JR西日本がスーパーはくとを姫路発にしようという提案を必ず持ち出してくる」と語ったもので、県議会の答弁ですから公式発言です

スーパーはくとには智頭急行所有の車両が使用されますが、JRは智頭急行に使用料を払っています。この金額が年間15億円で姫路発にすることによって大幅に縮小したい意向のよう。うがった見方をすれば、新幹線からの乗り継ぎにすると新幹線代ももうかると計算しているのでは?とも思ってしまいます

しかし京都からのお客さんは別として大阪や神戸の人がわざわざ新幹線乗り継ぎを選択するとは、とても思えません。新快速で姫路に向かうでしょう。ただいつも混雑している新快速に乗ってから乗り換えるぐらいならバスを選択するというのが普通の考え。好調な輸送が一転、旅客の大幅減を招くのは自明です

そもそも、なぜスーパーはくとが京都始発になっているかというと、山陰本線ルートの代替機能を担っているから。1988年3月の時刻表(復刻版)が手元にあります。既にJRに移管され、伯備線の電化も完了。城崎温泉(当時の駅名は城崎)までも電化されていますが、京都~鳥取は特急「あさしお」が1日3本、大阪~鳥取は、これは今もある特急「はまかぜ」が同じく3本運行されています。城崎止まりの特急も普通や快速での乗り継ぎが設定されていて現行のダイヤよりはるかに多い。これらが智頭急行の登場で、ほぼすべて消滅してしまったわけです。それを今さら京都、大阪からの直行はやめます、では話が成り立たない

ただスーパーはくとの京都~大阪間の利用者が少ないことは鳥取県知事も認めているようです。好調な利用者をわざわざ減らすなど論外なので、落としどころがあるとすれば、そのあたりだと思います

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グリーンきっぷの2日間~山陰本線のダイヤに悶絶

倉吉駅の駅名標

2月21日13時30分

久しぶりの倉吉駅に驚く

倉吉に到着しました。十数年ぶりにやってきましたが、橋上駅舎化され立派になっていてビックリしました。以前来た時は廃線となった倉吉線のホームが残っていたのですが…

ホームの端には記念碑が残っていて

旧跨線橋の橋脚の一部を残しています。神戸工場から運ばれ100年も利用されていたんですね

以前来た時は、もちろんこの跨線橋を使用したのですが、何も考えていませんでした。なくなった後にこのような形で「そうだったんだ」と価値が分かる「鉄道あるある」です

ここからは特急「スーパーはくと」に乗車します

ただ事前に旅程を決める時はそうではなかったのです

JR西日本の在来線特急で乗ったことのない列車が3つあります。「きのさき」「びわこエクスプレス」「おはようエクスプレス&おやすみエクスプレス」。後の2つについては通勤用の特急でそれぞれ東海道本線と北陸本線を走る。もともと本数の多い路線に運行されるので乗車そのもののハードルは高くないように見えて、必ず草津や米原、もしくは敦賀や金沢の宿泊が必要となるので意外と難しい。しかも運行が平日のみという条件が付くシビアさで、どちらかというとあきらめています

それに対しきのさきは京都から城崎温泉に向けて1日4往復もしているので、それほどハードルは高くないはずなのですが、自分の住んでいるところから山陰本線を経ての京都という行程はふだんほとんど使わず、大阪から福知山線を経るこうのとりばかり使うことになります

つまり意図的に乗車しないと乗れないのですが、今回はいい機会なので乗ってみましょうと調べたのですが、鳥取から行こうとすると、これがまた難しい

まず前提として米子から京都を目指す際、鳥取で必ず運行が分断されることが挙げられます。そして鳥取県と兵庫県の県境越えとなる、この区間は優等列車が運行されておらず(1日1本のはまかぜがありますが朝6時発と全く使えない時刻です)、電化区間の城崎温泉まで行ってようやく大阪や京都に向かう特急が出ています

そして鳥取での乗り継ぎがまた厳しい。県境越えの本数が少なくなるのでそうなるのですが、一部の列車を除くと鳥取での双頭な待ち時間を強いられます

鳥取までは特急があります。米子~鳥取は「スーパーまつかぜ」と「スーパーおき」、倉吉~鳥取はスーパーはくともありますが、ここからが辛い。一番驚いたのが今回の旅程に一番合いそうな

米子12時17分発のスーパーまつかぜ。こちらは

鳥取着13時24分

そして

鳥取発城崎温泉行き普通13時19分!

なんじゃあ、それは。椅子の上でズッコケてしまいました。5分ぐらい何とかならんのかい

ちなみに次の鳥取発はと見ると15時12分発と2時間近く待たなければなりません。それだけに、このたった5分を何度も確認してしまいました

この13時19分発に乗った場合、城崎温泉でこうのとりに2分、福知山ではしだてに3分という絶妙な特急乗り換えで18時7分に京都に着くので、鳥取での5分など待っていられないのだと思います。そもそも大阪や京都に行きたいのなら、スーパーはくとに乗ってください、ということなんでしょう

ということで、ハイハイとばかりスーパーはくとに乗ることにしました。そもそも福知山での乗車特急は、きのさきではなくはしだてなので、あっさり変更です

ミッションはスーパーはくと完乗に

だったらということで旅程を組んだ時点で倉吉~京都のスーパーはくと完乗に変更しました。考えてみるとスーパーはくとには数え切れないほど乗っていますが、三ノ宮と鳥取の間しか乗ったことない上、グリーンには乗ったことがないので、これもまたいい経験です

1時間時間があるので、お昼にしましょう

倉吉駅は街の中心部からは離れています。倉吉線で2つ先の打吹という駅が中心部でちょっと歩ける距離ではありません。バスは頻発しています

歴代倉吉駅の経緯も複雑で、まずは現在の倉吉は倉吉駅として開設。その後、倉吉線の前身となる軽便鉄道ができて町の中心部に倉吉駅ができたため、倉吉は上井駅に改称しました。これはすべて明治期の出来事。この状態が60年も続き、やはり特急停車駅が町の顔だろうということで戦後に再び上井から倉吉に駅名が変更され、倉吉は打吹駅となって廃線を迎えました

以前来た時は駅前はなんもないなぁ、と思ったことを覚えていますが、それ以降に発展したようです

食事の場所には困らない感じでしたが、こうも寒いとラーメン一択。身体も温まりました

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