キハ40

宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~わざわざ内陸部に鉄路がやってきた

※訪問は2026年3月10日

日南駅の後は隣駅を優先的に

飫肥駅に到着の様子。ふだんは道中も大切な記事の要素にしているため、駅の紹介は訪問順にしているが、前記事で日南駅を紹介したからには、飫肥駅か油津駅の少なくともどちらかを紹介しないと話がうまく進まないので、訪問順は日南駅のかなり後になった飫肥駅を紹介する

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要衝、城下町として栄える

まずは予備知識がないと、なかなか難読である。難読駅には大きく2種類に分かれていて「漢字そのものが難しい」「簡単な漢字なのに思わぬ読み」があるが、こちらは前者。ただし飫肥藩、飫肥城で有名な地域でもあるので、知識がある方も多いはずだ

地名については平安時代の文献にすでに登場していて「火に負わせる」「細長い帯状の土地」「肥沃な土地」などの説があるようだが、土地そのものの特徴を表した後者の2つは町の発展に大きく寄与した

駅の位置は町の中心から川を渡った場所にある。地図だけで分かるが、酒谷川が「ひ」の字を描く場所にある。敷設の際は川を2度も渡ることが手間だったのと、すでに街ができていて線路が入り込む余地がなかった2つの理由が考えられる

この独特の地形が町を発展させた。まず都城と港町の油津を結ぶ中継地だった。ここから川を下ると油津の港に出る。川のおかげで土地は肥沃である。そして何よりも川が生み出す地形は天然の要塞として重宝された。豊臣秀吉が全国統一を果たすまで、伊東氏と島津氏が100年にもわたって攻防を繰り広げた100年戦争の場所にもなった。江戸時代から明治維新までは長く伊東氏の飫肥藩としての安定した治世が続き、交通の要衝として九州の小京都と呼ばれるほどの発展を遂げた

ここでようやく鉄道の話となるが、志布志から伸びてきた線路が飫肥までやって来たのは1941年のこと

日南線(当時は志布志線)は南郷から油津までは海沿いを走るが、油津から突然進路を山中に向かってとり、飫肥へと向かうのだが、飫肥は外すわけにはいかない重要な町だった

飫肥の駅舎も飫肥城を模した立派なものとなっている

市民のとった選択

そして前記事からの日南駅、油津駅との関係に戻る

市町村合併の際に飫肥町と油津町がもめ、折衷案としてその間にあった吾田駅に市役所を設置したのは、前記事で記した通り。2つの町が対立した結果の折衷案としては、動橋駅~大聖寺駅の間の加賀温泉駅(北陸本線)や西那須野駅~黒磯駅の間の那須塩原駅(東北本線)が有名だが、これはどちらの駅に特急を停車させるか、新幹線の駅を設置するかの対立に困った鉄道側も間に入っての案だった。それに対し、日南駅の誕生(改名)は市民、町村の話し合いによって生まれたもので、主役が異なる

こちらは駅舎内の様子。日南市の簡易委託駅でベンチとテーブルは飫肥杉を用いたもの

駅名板にも飫肥杉が利用されている

1950年という戦後間もない時期の市町村合併は、後の自治体合併のモデルのひとつにもなったという

当駅に来た時間はすでに夕刻になろうとして高校生が下校する時間にもなっていた

飫肥、日南、油津の3駅だけで、古代から現代までの歴史を学べるのである

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~駅と地域の成立を知る

※訪問は2026年3月10日

快速で1時間、日南駅へ

田吉での乗車から1時間と3分かけて日南駅に到着。田吉から乗車したのは快速「日南マリーン号」。当時は1日1往復の運行で下りは午前、上りは夕刻の運行だったが、現在は下りのみの運行となり、時間も20時台と旅人はなかなか乗車しづらい時間となっている。当時の停車駅は日南の手前の飫肥(おび)まで快速運行で飫肥以南が各駅停車だった。「降り鉄」としては途中の通過駅では下車できない列車なのだが、これを逃すと2時間列車がないので強制乗車となる。もっとも今回の旅の優先事項は日南線の鹿児島寄りの閑散区間なので一気に日南まで運んでくれる列車だ。ちなみに日南までの到達時間は普通よりも20分ほど早く着くことができる

ご覧になれば分かるが、かつては2面あったホームが今は棒状化されている

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駅名標に注目

下車してまず目をひくのが駅名標

随分と派手だ。これからもいくつかの駅で登場するので先に説明すると、「宮崎だいすきポケモン」に任命されている「ナッシー」と「アローラナッシー」を描いた列車が2024年12月に運行を開始。その際に7駅がキャラクター駅名標に変更された。サムネの駅名標は駅舎のホーム側に掲げられたものだ

日南駅の駅舎。基本形は昭和30年代の国鉄コンクリート駅舎だが、正面部分に飫肥杉を使用した駅名板を設けるなどして2020年に大幅なリニューアルが施された

駅舎内も美しく変更

日南市が簡易委託する有人駅できっぷ売場の窓口のほか、コミュニティースペースは待合室としても利用できる。さすが日南市の代表駅としてのたたずまい…と言いたいところだが「代表駅」との表現は微妙に違うかもしれない

紆余曲折の末の「日南駅」

その説明の前に、まずは当駅の歴史を紐解かなければならない。開業は1941年(昭和16)。国鉄の志布志線の一部として開業した。田吉駅の記事でも説明した通り、現在の日南線の北側は、かつての宮崎交通線の路盤を利用した区間だが、北郷~志布志はかつての志布志線区間となっている。志布志線とは1987年3月と国鉄民営化の直前に廃止された路線で、日豊本線の西都城と志布志を結んでいた。まず大正期に西都城と志布志が結ばれ、昭和になって志布志から北上するように北郷まで延伸された。当駅はその過程で設置され、駅名は「吾田」だった

戦後の1963年になって宮崎交通線部分と志布志線の北郷~志布志間がつなげられ、新たに日南線が誕生。そして全国で国鉄線が相次いで廃線となる中、志布志線は廃線となり、もともとは志布志線だった日南線の志布志以北は生き残るという運命をたどった。もし日南線が誕生していなかったら…という話である

そして日南駅のたどった軌跡も日南線とオーバーラップしてくる

日南駅を降りると大通りがあり、すぐの場所に日南市役所があるが、前述した通り、日南駅は開業時は吾田駅だった。それは吾田村に所在したからである。戦後間もなく周辺自治体同士の合併話が持ち上がった。その際、かつて城下町として栄えた飫肥町と漁港など経済の中心地として栄えた油津町との主導権争いとなり、どちらに役場を置くか、自治体名はどちらをとるのかで大いにもめた。最後は折衷案としてその間にあった吾田町(村から町となっていた)に役場を置くことで合意。1950年に日南市が誕生して2年後に駅名も日南駅と改められた。日南というのは日向の国の南という、その時に作られた新たな都市名。プロ野球のキャンプ地としてメディアに登場することの多い日南市だが、実は地名そのものから苦労と知恵を持ち合った産物でもある

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宮崎と志布志まで89キロ18きっぷでの日南線3日間~25年の雌伏から復活した駅とスイトピー

※訪問は2026年3月10日

間に合わなかった場合は

宮崎空港から1駅。田吉駅に到着。宮崎空港線はわずか1・4キロの路線なので出たと思ったら着く。ただ前記事で記した通り、乗り継ぎを考えると、この電車に間に合ったことは大きな意味を持つ

もしこの宮崎空港発8時32分に乗れなかったら、どうするつもりでいたか。答えは簡単

約2キロの道程を歩くことにしていた。この区間は路線バスも走っているのだが、私の行程には合わなかった。目的の日南線列車の田吉発の時刻は9時20分なので時間はたっぷりある。ただ旅の最初に飛行機を降りていきなり徒歩というのは、ちょっとやっていない気がする。そもそも空港からの移動に徒歩という手段をとったことはなかなか記憶にない

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利用者少なく廃止も

田吉駅は公式には1996年(平成8)の開業。ただし1度廃止されてから四半世紀を経て復活した歴史を持つ。もともとは1913年(大正2)に宮崎交通線(当時は宮崎軽便鉄道)の駅として開業したので実は生誕から110年を超えている。今後の記事でも触れていくが、日南線の北側はかつて南宮崎(開業時の駅名は赤江)からの宮崎交通線の路盤を引き継いだもので、駅もおおむね引き継がれているが、1962年(昭和37)に宮崎交通線が1度廃止され、翌年に国鉄の日南線が開業すると、田吉駅も装いを新たに開業した。だが、利用者が低迷したことで、1971年には廃駅となってしまう。このまま時は過ぎていったが、1996年に復活を遂げる。同年に宮崎空港線が開業。その分岐駅としてカムバックしたのだ

無人駅で小さな待合室とも言っていい駅舎と島式ホームだけの駅。ここから志布志寄りで日南線と空港線が分岐するが、南宮崎からの日南線の電化区間はここまで。電車はあくまで宮崎空港線のもの

こちらが訪問当時の時刻表。宮崎方面は日南線と空港線の両者が乗り入れるので本数はもちろん多いが、これだけを見ると日南線も空港線も同じような本数に見えるが、空港線には田吉を通過する特急も走っているので、空港線の方が本数では勝る。ちなみにこれから乗車するのは快速マリーン号(当時)で、途中駅のいくつかを通過し、10時37分の特急は基本的に週末の運転なので、普通列車については3時間以上、快速を入れても2時間運行のない時間がある。そして行き先は青島、油津、南郷と細かく設定があるが、終点の志布志まで行く列車はごくわずかである

ホームの向こう側つまり空港側には建物に制限もあって農地が広がる。1日の利用者数は狭いホームでも分かるように数十人程度とみられるが、空港と逆側の県道沿いにはロードサイド店のほかにスーパーもある比較的大きな街が広がっていて、駅が廃止になってしまうレベルものではない。昭和40年代以降、車社会が浸透していって拡大したものだろう。また当駅は南宮崎にもそう遠い場所ではないことも利用者の少ない要因になっていると思われる

旅の最中の圧倒的一番人気

さて私は旅に出ると3時間おきぐらいにXで状況を投稿するようにしているが、今回の旅で圧倒的な一番人気を獲得したのは、こちらだった

「赤江地区だからあかえスイトピー」。これはなかなか刺さった。どういう工夫があるのかはあえて書かないが

まだスイトピーの季節ではなかったが、これは私の世代にはあまりにもハマリ過ぎだった。かなり気分をよくして、ようやく日南線の旅の本格スタートである

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