南方貨物線

大都会に残る未成線跡~南方貨物線最終項

名鉄常滑線。上に見えるのが新幹線で手前が南方貨物線

2022年11月10日12時

小学校の土地を売却→戻る

堀川を渡れば本日のゴールである道徳駅まではすぐ。そしてハイライトにもなります

新幹線の高架沿いに歩くと

橋脚が復活し

その下に小型の倉庫が並んでいます

レンタル倉庫として利用されています。ただし県道を渡ると、すぐに小学校があって橋脚の北側を迂回して歩く必要があります

こちらの明治小学校は南方貨物線の予定地に敷地の一部があり、建設に協力してその一部を売却したものの、未成線になったことで返却されたという経緯があります

空港連絡線構想?

橋脚に沿って歩くと名鉄の常滑線が見えてきました。この先で交差します。もうゴールは目前

さらに先に進むと

東海道新幹線、名鉄との交差部分となります。ここが散策のハイライトのひとつ。一見、3線が交わるところで、うちひとつが建設中のようにも見えますが、言うまでもなく手前の橋脚は未成線。そもそも見て分かる通り、架線がじゃまして、この高さでは進めません

1983年から84年にかけて名鉄は高架化されています。南方貨物線の工事が再中断(以降、工事が行われることはなかった)した直後。南方貨物線の施設の再利用については名鉄常滑線に合流させて中部国際空港(2004年開業)を目指す、という案もあったそうですが、1989年に新装なった金山総合駅が具体化した後です。名鉄にとって何のメリットもないので、あっさり却下されています

結局、南方貨物線の計画は貨物ターミナル駅が1980年に開業しただけで終わり、投入された400億円近いお金は全くムダになってしまいました

国道側から見ると、国道と名鉄の間の部分だけポツンと残されています。撤去工事を行うには名鉄の運行にも影響しそうです

ここから名鉄の駅は豊田本町も道徳も同じような距離ですが、6月は道徳駅までだったので今回も道徳駅をゴールとします

道徳に到着したのは12時40分。愛知県武道館を出たのが10時ちょうどだったので2時間40分の散策でした。この間、2度の休憩と1度の買い物タイムをはさんでいます

おすすめ散策路

堀川を渡ってからのコースです。実際は公園の中は突っ切って進んでいます

さて昨年11月に全路散策を終えてから今日まで記事にしなかったのは、その後の寒さを考慮したからです。今はちょうど良い季節です

未成線や廃線跡の探索というのは基本的に進み始めたらゴールまで行くか、引き返すかの二択となりますが、南方貨物線についてはJRの笠寺から、あおなみ線の中島駅の間に名鉄、地下鉄の駅があるほか、バス路線もあり、途中離脱が可能。道中に飲食店やコンビニの店舗や公園もあり、お手洗いも含めて休憩ポイントも多い。大都会とはいえ、ここまでの「至れり尽くせり」は他になかなか例がありません

休憩もなく迷うこともなければ、おそらく全行程は徒歩3時間ちょっとだと思われますが、多少迷ったり、食事を含めた休憩を行うのも、ある意味楽しいものです。もちろん、前述した公共交通機関を利用して、ほんの一部だけを見るのも可能。昭和の国鉄時代の遺構がこれだけしっかり残っているのも珍しいことなので、鉄道貨物の栄枯盛衰を感じながら、春の陽気とともにぜひ訪れてほしい場所です

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その9

下部が利用されている部分は南方貨物線の橋脚が残る

11月10日11時45分

またもや川の壁

橋脚再発見で快調な歩み

これは振り返りなのですが、その先は

またもや川で向こう側に行けません。目の前にあるのは堀川。その名の通り、川沿いに北上していくと熱田神宮、大須観音の西側を通って名古屋の中心街へと向かい、納屋橋、錦橋を経て名古屋城のお堀へと至ります。中川運河とは違って庄内川とつながっていますが、都市部分から下流にかけての水質汚染は問題となっています

とにかく渡らないとどうしようもない

迂回して渡る

新幹線が走ります。こうして東海道新幹線沿いを歩いていると、本当に「ひっきりなし」に新幹線が運行されていることが実感できる。正午ごろでこうなのですから、本数の多い朝はもっとすごいのでしょう

血税投入ゆえに

国鉄からJRに管理者が変わる際、ほぼ完成しているこの施設をどうするかの議論になりました。建設は国鉄で国の予算をもらって工事をしている。資金はいわゆる「血税」で、400億円近いお金が投入されています。貨物需要がなくなったからといって放棄します、とは簡単にいかない

有力な選択肢のひとつとして当然、旅客化もありました。貨物線の活用は東京ではうまくいっています。お休み中の線路を生かして東京駅から羽田空港まで直通できる新線の工事も始まっています

大阪では新大阪から分岐して大阪駅を避け、環状線の福島駅で合流する貨物線が「くろしお」や「はるか」の特急運行に利用され、この3月からは地下の新線が建設されて大阪駅近く(駅名は大阪)を通る発展を遂げました

ただそれは現在の状況を見るから言えるのであって、埼京線が山手貨物線を利用して新宿まで到達したのは1986年で成田エクスプレスは91年。JR移管は87年ですから、南方貨物線の議論は、東京でもようやく貨物線利用が開始されたころだったのです

南方貨物線の目的がそうだったように、そもそも貨物線というのは都心の駅を避けるように造られています。池袋、新宿、渋谷と東京駅とは離れた貨物線が走る位置にも大きな流動があるのは東京という巨大都市だからであって、他都市ではなかなかそうはいかない

先日、国鉄色の103系が最終ランで多くの鉄道ファンが訪れた神戸の和田岬線も、その先には港に向けて広大な貨物線が敷かれていました。東側の港には神戸臨港線があり神戸駅の南側を出て三ノ宮のすぐ東側の灘駅~六甲道駅間で東海道本線と合流していましたが、三ノ宮を避ける形になっていたため電化もされていたものの阪神・淡路大震災後に廃線となっています。臨海部の貨物線で生き残ったは旅客利用から始まり、旅客線となった和田岬線だけでした

今回、未成線沿いに歩いていくと多くの住宅街やマンションがありましたが、まだまだ工場と倉庫中心の街並みで、名古屋駅を避ける形の運行では採算がとれない、と旅客化も断念。未成線化が決定しました

迂回して対岸までやってきました

奥は新幹線。再び遺構を利用した構造物が姿を見せます

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その8

南方貨物線の橋脚

2022年11月10日11時

見失ってお買い物

名古屋高速を越えて振り返ると、このあたりの建物が橋脚の幅でできていることがよく分かります

普通に住宅が建てられていますが、幅がずっとそろっています

しかしその先で痕跡らしいものを見失ってしまう。前を新幹線がバリバリと通過していきます

新幹線のところで公園は終わっています。ちょっと困ってしまいましたが、南方貨物線は笠寺から新幹線に沿って建設され、途中で新幹線から別れて、あおなみ線に向かって進んでいったはず。となると、どこかこのあたりに分岐点があったのでしょう。とにかく新幹線沿いに進んでいこう。中島駅側から進んできて初めて新幹線と出会いました。となるとゴールは見えてきたかもしれません

新幹線と近づいたり離れたりしながらウロウロしていると西友ストアがありました。歩いているうちにちょっと事情ができて百均とかないかな、と思っていたのでちょうど良かった。こちらでお買い物。先ほどもスーパーを見ましたが、未成線跡や廃線跡でスーパーというのは、そう多くはありません

新幹線の分岐線?

このあたりは、ここまで見てきた住宅街とは異なり、少し古めの建物も目につきます。それはそれで不安になるのですが、とにかく新幹線を見失わないよう歩いていくと

これは?という建物が見えてきました

こんな風に歩いてきました。大通りの向こうには

新幹線に沿って「いかにも」の形の住宅があります。これは橋脚跡にできたものでしょう。先ほどの建物の向かいですから

大通りを渡ると、その向こうの建物は、もう確定的

その背後に見えてきました。このころは橋脚を見ると本当に安心してしまうようになっていました(笑)

ここも貨物車置き場となっています

こうして見ると新幹線の分岐線でも建設しているのか?と思ってしまいますね

ただこのように2本の線路が並ぶ、というのは1970年代前半の環境問題がクローズアップされた時代では、なかなか受け入れられなかったのかもしれません

幻の新幹線深夜運転計画

国鉄では山陽新幹線が全通した際は新幹線の深夜運行を計画していました。まだまだ寝台列車華やかなころですが、深夜から早朝にかけて新幹線の運転を取りやめるのではなく、深夜は数十キロと大幅に速度を落として博多を目指すというもの。高速で走る新幹線は日々の保守作業が欠かせないのですが、深夜に限っては単線運行とし、空いている線路を点検に充てるというアイデアで、実際その計画に沿って建設されたとされるのが兵庫県の4駅です

開業時から当時の新幹線としては短い区間に新神戸、西明石、姫路、相生と4駅も設けられました。深夜の単線運転なので待避線はできるだけあった方がいい。新神戸が地形上、2面2線でしか建設できなかったことも影響しました。距離や都市の規模を考えると神戸、姫路の2駅でよさそうなものですが2駅を追加。さらに言うと姫路は新幹線の駅としては他にあまりない乗車ホーム部分が2面3線構造となっているのも、そのなごりです

なぜ兵庫県に退避場所が多く設けられたかというと、当時は遠い将来の四国新幹線や中国新幹線の計画も視野に入っていたため。新大阪~岡山間には多くの列車が集中することを見越し待避できる駅を増やしました。姫路については何かトラブルがあった際に列車を留置する場所が必要だ、ということで単なる通過線ではなくホーム部分をひとつ追加する形にしました

もっとも、計画は新幹線以外でも空港や道路の騒音問題、反対運動の盛り上がりや高度経済成長の終焉によって消え去り、現在に至ります。名古屋地区の話ではありますが、新幹線全体に与えた影響は大きかったわけです

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その7

南方貨物線の橋脚の横で子供たちが遊んでいる

2022年11月10日11時

オフレールステーション

名古屋港線との合流地点をさらに先に行くと右手にはコンテナがゾロゾロ

オフレールステーション…ではないですね。貨物車置き場となっているようですが、事実上「墓場」のような雰囲気も

一方、かたわらの公園では子供たちの歓声が聞こえる。平日のお昼前ということで、まだ小学校に上がる前のお子さんたちが多いようです

付近のマンションは未成線がほぼ確定した後にできたものばかりだと思われますが、公園横の列車が走らない橋脚と動かない貨物車。物心ついた子供は必ず「あれ何?」と尋ねてくるはずで、その場合、親の皆さんはどのように説明するのでしょう。そもそも小学校では地元の歴史について必ず教えるはずなので、その場合は一連の構造物について学習するのか、教えるのか、とか考えてしまいました

痛手となったスト権スト

鉄道による貨物輸送に大きなダメージを与えたのが1975年11月末に行われたスト権スト。「国鉄の職員にもストライキの権利を」を掲げて1週間近く国鉄がストップしたもので日本中が混乱しました。ただ当時の状況を説明すると「スト権」を求めるのは分からないでもない。今では信じられないことですが、私鉄は普通にストライキをしていました。スト権ストのころは私も中学生となっていて記憶も明確ですが、全国でストライキとなると台風情報のように、テレビのニュースはストライキ情報を流し続けていました。「労使交渉が決裂したのでスト突入」から解除までのニュースを見ながら、うちの父も「明日は国鉄で行くか」と話していたものです

ストのおかげでプロ野球が中止されるぐらいですから影響は大きかった

今だったらライバル私鉄がストで止まってJRしか動かない、となったら、むしろかきいれどきとばかり張り切ったかもしれませんが、当時は「あちらはストができるのに、どうしてこちらはストができなすのだ」という理論となりました

そんな中、ストライキをされて最も困るだろうと予想されたのは旅客運輸ではなく貨物運輸。通勤通学の旅客は別の交通手段でも会社や学校に行けるし、何だったら休んでもいい(当時は在宅勤務という言葉はない)のですが、生鮮品などをはじめ、貨物には必ず期日内に届けないといけないものが多数あります

これに対して国側が行ったのは全国でトラックをかき集めることでした。テレビのニュースを見ながら「すごい数だな」と感心したのを覚えていますが、とにかくトラックを集めるだけ集めて列車代行を行った。「なんとかいけそうです」と安堵の表情の荷主がテレビに映る

この結果起きたのは「国鉄離れ」。全国で道路の整備が進むタイミングでもあったため、荷主からの信頼を失った鉄道貨物は大きくシェアを落とし、その後も減退一途。各地の鉄道駅で「貨物ヤード跡」が残ることになりました

すでに多くの赤字を抱えていた国鉄はさらに赤字が膨らむことになり、民営化の流れが加速することになります

そんなスト権ストがあったのは住民の反対運動によって南方貨物線の工事が中断していた、ちょうど真っ最中。工事に着手したころとは貨物輸送のニーズが変わっていたわけです

公園と橋脚は名古屋高速道路と出会ったところで、いったん途切れます。大きな道路に面しているので広告も分かりやすい

この真下を地下鉄の名港線が走っています

切れ目の向こうには橋脚を利用したというかサイズに沿った建物も見えます。中川運河と同じく向こう側に行けないのではないかとヒヤヒヤしましたが

すぐ北側に信号があってたどり着くことができました

現在はここ。まだしばらく公園が続きます

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その6

南方貨物線の橋脚の下には貨物車両が置かれている

2022年11月10日10時10分

超大回りを強いられる

中川運河と出会ったところで橋脚の姿は消えました。地図によると運河の向こう側に公園の「続き」があるはずですが、それにしてもこうやってじっくり見たのは初めてですが中川運河って大きいですね。予備知識なしに出会うと、この一級河川は何だ?と思うに違いない。貨物列車で運ばれてきた物資を輸送するため大型船も運航可能にしたのですから大きいのは当然ですが、日本における「運河」のイメージとはかなり違う。一般の河川のように山の源流からの水の流れがないので、そりゃあ水質も悪化します

以前も記しましたが、水に浸かっていると橋脚の腐敗が進みやすく崩落の可能性も高まるので廃線や未成線では真っ先に撤去される運命にあります

しかしここで探索を止めるわけにはいかない。右を見ても左を見ても運河を渡る橋はかなり離れている。ほぼ等距離のように感じますが右(南)側に向かうことにしました

途中、電気の量販店でお手洗いを借りたので徒歩20分。武道館から運河までが徒歩10分だったので、それよりはるかに長い距離を歩きました

そして地図では運河の横堀が続いているのですが実際は

すっかり埋め立てられていました。何に使用されるのか分かりませんが、少なくとも橋脚の姿はない。重機の向こうに南郊公園の「続き」が見えます。これまたやむを得ないので南側のホームセンター側から公園に再合流

スーパーに突き当たる。左側は公園なので確かに車は行き止まりです

スーパーとホームセンターに沿って再北上。付近は新しそうな住宅街となっています。一南方貨物線の沿線は港に近いこともあって工場や倉庫が多いのですが、その合間と合間に住宅街が形成されている光景を一連の探索でよく見ました。この付近も地下鉄名港線が通っていて名古屋中心部へのアクセスは容易です

貨物線と交差

再び公園の続きに戻ってきました

進んでいくと右手に橋脚が復活。歩いているうちに橋脚を見ると「安心する」妙な体質となってしまいました(笑)

ただ手前はきれいにお化粧されて再利用されているようですが、いったん途切れた向こう側は長年放置状態のようです

正面の緑の幕はテニスコート。声が聞こえてきます。もう肌寒いのですが、皆さん薄着で元気にボールを追ってらっしゃる。その傍らで橋脚を追う私は何なんだ、とつい思ってしまいます

マンション群に囲まれた未成線の橋脚という光景もなかなかのもの。考えてみれば分かりますがマンション群の中の鉄路が廃線や未成線になることって、基本的にはありません。それだけ人が多いということですから。貨物専用線という特殊な事情があり、おそらくマンションも先ほどの住宅街も未成線がほぼ確定してからのことでしょうが

テニスコートの部分は遊歩道が狭くなっています。その先には

鉄路がありました。こちらは貨物の名古屋港線。現役路線です。南方貨物線はこの貨物線をオーバーパスする予定でした

前回も掲載した公園の地図を再掲すると

今は左側の線路と公園が交差する場所にいます。こうして見ると名古屋港線に接続する計画だったのですね

線路を越えた逆側から。私は貨物のことは詳しくありませんが、この線路を真っ直ぐ行くと、今や幻の駅となった「ナゴヤ球場正門前」駅にたどり着くはず。そして明治時代から多くの貨物輸送でにぎわったこの路線も今は週に3本の運行となっています

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その5

愛知県武道館横の南方貨物線橋脚

2022年11月10日9時30分

今度こそ大願成就を

前回から1カ月半が経過。またもやあおなみ線に乗車し南荒子駅で下車。今日こそは完全走破しますよ。妙に暑い日があると困るので10月はパスして11月まで待って、もう朝はかなり冷え込むぐらいとなっています。さすがに歩くことは苦にならないでしょう

私も前回の失敗を踏まえ少し賢くなりました

前回ギブした武道館前からリスタートですが、荒子ではなく南荒子からバスに乗るのが効率が良いようで1時間に2本という時刻も調べてバスに乗車

武道館前で降ります。紅葉した木が物語るように季節は冬に向かって進んでいます

武道館の横には橋脚。現地では何も思いませんでしたが、こうして見るとなかなかのコントラストです。武道館の開館は1993年なのですでに橋脚はあり、所有者が国鉄からJR東海となって、せっかく建設した路線をどうしようかと論議していたころです。旅客路線として使う案もあったので「武道館前」という駅ができていたかもしれません。確かに武道館は鉄道のアクセスはそれほどよくはない

貨物の因縁がここにも

橋脚の北側は南郊公園となっています。ここは中川運河の一部を埋め立てた公園です

となると中川運河とは何か、という説明が必要になってきます。現在のあおなみ線「ささしまライブ駅」近辺は「笹島」という貨物駅でした。だったら笹島駅まで列車で運んだ貨物を名古屋港まで運べばいいじゃないか(もちろん港から鉄道という経路も成り立ちまて)、となったのが大正時代。昭和初期に掘られた運河は大型船も運行できる立派なものでした

今でも船たまりは残っていてクルーズ船が運行しているようです。あまり歩くことはないと思いますが、これから歩く南郊公園付近をゴールとしてみました。徒歩だと1時間というかなりの距離ですが地図を拡大すると運河は南北だけでなく細かく掘られていたことが分かります

ただこの笹島駅は結局のところスイッチバックせざるを得ない構造となっていて、その解消も兼ねたものが南方貨物線というわけです

この中川運河は排水に対する考えが今ほどなかった昭和初期のものですから、その後、現在に至るまで水質汚染が名古屋の大きな問題のひとつにもなっています

南方貨物線は用地獲得が容易なこの部分を走りました

橋脚の上は屋根がついているようだけど何に使用されているのだろう、なんて思いながらスタート

気持ちよく歩いていこうとすると、ちょうど公園の地図がありました

いつ掲げられたものか分かりませんが、興味深いというか一帯を明確に示してくれています。南北が逆になっています。右の縦の線路があおなみ線で左の縦の線路が今も現役の貨物の名古屋港線(現役といっても本数は極めて少ない)

あおなみ線から分岐する白い線が南方貨物線。未成線なので白で描かれているかもしれませんが、前回の9月、私はあおなみ線からの分岐をたどって南郊公園の南側(地図では上)にある武道館まで来たわけです。武道館が描かれているので少なくとも93年以降の地図ですね

地図は、とにかく公園を歩いていけばいい、と教えてくれています

ということでズンズン歩く。散歩の方が、いいナビゲーターをしてくれます。そして橋脚もズンズン進む。それなりの年齢の方のようなので南方貨物線について聞いてみようかと思ったぐらいです

歩いていくと遊歩道が狭くなっていって

この青い建物が地図で示したTOTAL GAKUENです

橋脚を再利用していますね

今は営業していないのでしょうか

と、ここで大きな問題が

目の前の中川運河を渡れません

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その4

南方貨物線の橋脚

2022年9月26日12時40分

北海道の山中を思い出す

森の中に入っていくと公園というか遊歩道のようになっていました。貨物線の敷地が名古屋市に払い下げられて森になったと推察されます

そして現れた橋脚。高架線の遺構とポツンと置かれたベンチの対比がシュールすぎる。同行者がいれば、間違いなくここに座って記念撮影をしていたはず

橋脚が2つあるのは、ひとつが中部鋼板の工場への引き込み線となっていたからでしょう

この部分は橋脚がスパッと切断されています。下が遊歩道になるにあたって危険を考慮したのか。だったら、どうして他の部分が残されているのかは分かりません。単純に撤去費用が惜しかったからか

この光景を見て思い出したのは北海道の山中で見た越川橋梁です

訪問は2010年9月。こちらは斜里(現知床斜里)と根室標津(廃止)を結ぼうとした根北線の未成線部分で橋梁は早々にできたものの、斜里~越川の部分開通から十数年で廃線となったため、橋梁は使用されることなく終わりました

こうして今、写真だけを見ると戦前にできたものだけあって全く違いますが、国道の改良工事で国道の上の部分だけが切り取られている構造が似ているな、と思い浮かんだ次第

そもそも斜里町の山中と名古屋市内では随分と到達難易度が異なる。初めて行ったのは、これより数年前で携帯の電波が入らなくなり「こんなところでレンタカーにトラブルがあったら、どうしよう」と不安になったのを覚えています。南方貨物線沿線は携帯電話が広まった初期から圏外になったことはないはず

ただし越川橋梁

登録有形文化財ですが、南方貨物線はそうではありません

季節外れの猛暑

話を戻しましょう

遊歩道を歩いていくと看板で名古屋市の土地になっていることが分かります。そして写真ではよく分からないかもしれませんが随分ニャンコに出会う

器用に乗っかって決めポーズ。お見事!

ホーム跡のようなものがありました。ホームにしては小さすぎるし低すぎる。何でしょう?

この後は工場の敷地の南側に沿っていくことになります。道路も途切れ途切れで回り込みを必要とする。その道中で正保小学校の前を通ります。開校が1979年。南方貨物線は73年から80年にかけて住民の反対により工事が中断されています。ちょうどそのさなか。現在の「沿線」はすっかり住宅街ですが、工事の計画時では、まだそうでもなかったことが事象として分かります

再び橋脚。建物の入口部分だけ撤去されています

橋脚の下の部分は駐車場となっていますが、こうして見ると完全に現役の橋脚です

さて、この日の名古屋は9月末にもかかわらず最高気温が30度超えという真夏日。歩き始めて20分ほどで、かなりバテバテになってしまいました。ネコの写真を撮っていたのは休憩中です

建物と一体化した橋脚が途切れているのは名古屋市道環状線とぶつかるから

右側にチラリ写っているのは愛知県武道館。この橋脚から向こうが「本番」なのは、よくよく分かってはいたのですが、申し訳ありません。炎天下にギブアップ。たった30分の散策でした

近くにバス停がありました。あおなみ線の南荒子駅~地下鉄高畑駅~あおなみ線荒子駅という路線のようです。考えてみれば、朝のもっと早い時間帯に廃線跡を回ってからエアコンの効いたリニア・鉄道館に行くべきでした。あおなみ線のフリーきっぷを買うのだから、1度離れてもまた名古屋から乗り直せばいいのです

徒歩コースは、おおよそこんな感じ。正確にはあおなみ線の東側にある遊歩道を歩いています

ということで、もっと涼しくなってから再々チャレンジすることにしました。それにしても家電量販店や駐車場付きのコンビニがあって、これだけ交通量の多い200万都市の片側3車線道路に未成線があるなんて想像がつきません

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その3

あおなみ線の中島駅を降りるとすぐに怪しい形の構造物

2022年9月26日12時30分

3カ月の空白を経て

前回の訪問から3カ月後。あおなみ線の中島駅にいました

ホームから名古屋貨物ターミナル駅の建物が見えます。そもそもが貨物線だったあおなみ線ですが名古屋駅から、ともにやって来た貨物専用線はここで唐突な感じで終わっています

前記事までで説明した笠寺からの貨物線はここにつながる予定でした。夏場はの暑さは未成線訪問には全く適していない。涼しさも増してきた9月の終わりに今回は「終点」となるはずだった中島から歩いていきたいと思っています

さて前夜は名古屋に宿泊していたにもかかわらず、駅への到着時間が12時半という遅い時間になった(名古屋~中島の所要時間は10分)のには理由があって、朝は

のんびりリニア館を訪れていたから。当然、開館時間に合わせるので早朝というわけにはいきません。まさに「のんびり」と満喫していました。この行動が後に大いに後悔することになります

話を戻します

駅を降りた地図で付近のチェック。当駅はバス路線も多いので先に予習しようというわけです。地図は南北が逆(北が下)になっていますが、自分の向かう方向を見るにはわかりやすい。あおなみ線以外にニョロニョロと描かれているのが貨物線。駅の北側で終わっている感じがよく分かると思います

ターミナル駅は先に完成

南方貨物線が目指したターミナル駅は1980年10月に開業。1967年に工事が開始された貨物線は1972年には全通・開業する予定だったので、これでも随分遅れていますが、それでも駅だけが先行開業。名古屋から西側からの貨物列車はスムーズに入れるようになりました。しかし東側からの列車は名古屋からずっと東海道本線を西に行った稲沢駅(もう名古屋市ではない)でスイッチバックを行う不便な運行が続くことになります。機関車がけん引する貨物列車は単純に方向を変えることができません。「機回し」という機関車は先頭に付け替える作業が必要となるからです

この作業は現在も続けられていて、東側から来た貨物列車は名古屋駅を2度通ることになります。名古屋駅にいると「名古屋は随分と貨物運行がにぎやかだな」と感じるのは、そのため。その煩雑な作業を解消するのが南方貨物線の目的でもありました

中島駅からあおなみ線沿いに南側へ歩いていくと

さっそく不自然な構造物

不自然な空き地

こちらも

このあたりも

そして会社の建物や事務所もあります

高架はあおなみ線。看板を見ると、会社はいずれもJR東海関連のようです。南方貨物線の用地はJR東海に引き継がれました。現役路線の高架下での営業というのは限られますよね

建物の構造を見ると、このあたりであおなみ線と別れて左側に向かうようです。その先は森のようなものが見えます。歩き始めて、まだ10分ほどです

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その2

2022年6月12日11時30分

公園のオブジェ?

前回の続きです。笠寺からの未成線訪問はここからスタート。信号を渡りました。ただ、この先に難所が待ち構えています。廃線跡もそうなのですが川にかかる橋脚や鉄橋は腐食が進むと危ないので真っ先に撤去される運命にあります。周辺に民家や農地もないので工事もしやすい

ということで、いきなりグルリと回ると、また現れました

前後はないのに、ここだけ残されている、というか橋脚の前後は普通に民家が建っています

ここは公園に隣接していて角度を変えると、こんな感じ。お子さんが楽しく遊んでいましたが、まるで公園の施設の一部のようです

笠寺からはこのように歩いてきました。貨物線は新幹線とともに川を渡ったのでしょう

南方貨物線は東海道新幹線と寄り添うように建設されています。建設用地の確保が容易だったからだと思われます

建設にあたっては高架化が原則となりました。騒音問題を抱えていたからです

工事は67年に開始され、笠寺と新貨物ターミナル駅まではわずか7キロの工事ですから、5年後には開通する予定でした(貨物線なので部分開通というのは、あまり意味がない)が、なかなかそうはいかなかった

当時は環境問題や騒音問題が全国でクローズアップされたころで、名古屋地区では新幹線の騒音問題に大きな声が上がっていました。こちらは後に「新幹線の騒音・振動を止めよ」というスピードが命の新幹線の運行停止を求めるに等しいような裁判へと発展します

そんな状況下で、新幹線に並行してもう1本路線を造り、こちらは深夜も運行する上、貨物専用なので旅客駅もなく、沿線住民にとっては迷惑しかないということで猛烈な反対運動が起きて工事はペースダウン。話し合いが決着するのに時間を要している間に今度は国鉄の財政事情が悪化して建設中止となりました

完全に施設の一部になっている部分も

さらに歩いていくと新幹線と交差したであろう箇所は完全に施設の一部となっています

倉庫として活用されているようですが、沿線を歩いていくと倉庫に転用されたものが数多く見られます

少し先は

新幹線をアンダーパスした部分で、こちらは事務所に

芸術的な利用もあります

再び新幹線と接近しようとしています

こちらは倉庫でしょうか

新幹線はこの先で名鉄とクロスします。もちろん南方貨物線もクロスするわけですが、この日は他に寄りたい場所もあったため、ここまで。ちょうど名鉄常滑線の道徳駅の近くまで来たので

名鉄に乗ることにしました。写真を掲載したのはごく一部で、他にも未成線の跡はいくつも見ることができます

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その1

笠寺駅から歩くと最初に未成線と会う

2022年6月12日11時30分

完成間近の高架脚?

東海道本線の笠寺駅

こちらは駅名標ですが

音楽やスポーツイベントが行われる日本ガイシスポーツプラザの最寄り駅として有名です。駅の写真は昨年11月のものですが

駅直結でとても便利。このようにイベント告知もあり、快速の臨時停車も行われて多くの人でにぎわいます

当駅はJR貨物、名古屋臨海鉄道の貨物駅としての顔を持ち、多くの側線を持っています。6月でしたが、まだそれほど暑くはない日でした。鉄オタはガイシホール方面には、ほとんど興味を示さず、側線の端はどうなっているかを確認するため、側線に沿ってトボトボと歩きます

すると

側線の切れ目となる道路を挟んだ先に建設中とも思える橋脚が見えてきました

実際には東口から出て線路沿いを歩いてから踏切を渡っているので、徒歩時間は10分ほどですが、側線の端までにしてはかなりの距離と時間で規模の大きさが分かります

しかし、これは建設中のものではありません。「南方貨物線」という未成線跡です

ほぼ完成も列車は走らず

南方貨物線は旅客、貨物ともに好調だった昭和30年代の国鉄黄金時代の香りがまだ残る中、東海道新幹線が開業した少し後の1967年(昭和42)に工事が始まりました。名古屋駅を貨物と旅客の両列車が走ることで名古屋駅は満員状態となって、これ以上需要に応えられないということで、名古屋の南側に新たに貨物駅を設けて貨物列車は名古屋駅を通らないようにしようという計画

言われてみると東京駅や大阪駅に貨物列車はやって来ません。両駅を通らないよう専用貨物線が設けられているからです。名古屋も同様の構造にしようとしたのは自然な流れで計画そのものはかなり前からありましたが、先に新幹線計画と建設が始まったため、一度貨物線計画は凍結。新幹線開業によって東海道本線の優等列車はかなりそちらに振り分けられましたが、結局はゴーサインが出ました

専用線は武豊線との結点となる大府からスタート。笠寺までは既存の東海道本線を複々線とし、笠寺から新貨物駅までは新たに新線を建設するというものでした。複々線計画については東海道線の車窓で確認できます。明らかに複々線の用地と思われる不自然な空白があるからです

笠寺からは貨物新駅の間に建設される新線となります

ただ結論としては施設は国鉄時代にほぼ完成したものの、実際に列車は一度も走ることなく未成線に終わりました。貨物新駅は設けられて運用が開始されたものの(もちろん今も現役です)、そこに至る短絡線は未成線となりました。大都会でほぼ完成しながらの未成線というのは、かなり珍しいですが、35年が経過しても遺構は多く残っていて、中には街の風景に溶け込んでいるものもあります

その遺構見学を昨年の6月、9月、11月と3回に分けて行いました。実際に歩いたルートは微妙に異なりますが、大体こんな感じです

なぜ3回も足を運ぶことになったのかというと、他にやることがあったり、暑くてヘタレたりとかなのですが、比較的お手軽に行けるのは大都会の未成線ならでは

次回から順番に紹介していきます

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