大都会に残る未成線跡~南方貨物線その4

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南方貨物線の橋脚

2022年9月26日12時40分

北海道の山中を思い出す

森の中に入っていくと公園というか遊歩道のようになっていました。貨物線の敷地が名古屋市に払い下げられて森になったと推察されます

そして現れた橋脚。高架線の遺構とポツンと置かれたベンチの対比がシュールすぎる。同行者がいれば、間違いなくここに座って記念撮影をしていたはず

橋脚が2つあるのは、ひとつが中部鋼板の工場への引き込み線となっていたからでしょう

この部分は橋脚がスパッと切断されています。下が遊歩道になるにあたって危険を考慮したのか。だったら、どうして他の部分が残されているのかは分かりません。単純に撤去費用が惜しかったからか

この光景を見て思い出したのは北海道の山中で見た越川橋梁です

訪問は2010年9月。こちらは斜里(現知床斜里)と根室標津(廃止)を結ぼうとした根北線の未成線部分で橋梁は早々にできたものの、斜里~越川の部分開通から十数年で廃線となったため、橋梁は使用されることなく終わりました

こうして今、写真だけを見ると戦前にできたものだけあって全く違いますが、国道の改良工事で国道の上の部分だけが切り取られている構造が似ているな、と思い浮かんだ次第

そもそも斜里町の山中と名古屋市内では随分と到達難易度が異なる。初めて行ったのは、これより数年前で携帯の電波が入らなくなり「こんなところでレンタカーにトラブルがあったら、どうしよう」と不安になったのを覚えています。南方貨物線沿線は携帯電話が広まった初期から圏外になったことはないはず

ただし越川橋梁

登録有形文化財ですが、南方貨物線はそうではありません

季節外れの猛暑

話を戻しましょう

遊歩道を歩いていくと看板で名古屋市の土地になっていることが分かります。そして写真ではよく分からないかもしれませんが随分ニャンコに出会う

器用に乗っかって決めポーズ。お見事!

ホーム跡のようなものがありました。ホームにしては小さすぎるし低すぎる。何でしょう?

この後は工場の敷地の南側に沿っていくことになります。道路も途切れ途切れで回り込みを必要とする。その道中で正保小学校の前を通ります。開校が1979年。南方貨物線は73年から80年にかけて住民の反対により工事が中断されています。ちょうどそのさなか。現在の「沿線」はすっかり住宅街ですが、工事の計画時では、まだそうでもなかったことが事象として分かります

再び橋脚。建物の入口部分だけ撤去されています

橋脚の下の部分は駐車場となっていますが、こうして見ると完全に現役の橋脚です

さて、この日の名古屋は9月末にもかかわらず最高気温が30度超えという真夏日。歩き始めて20分ほどで、かなりバテバテになってしまいました。ネコの写真を撮っていたのは休憩中です

建物と一体化した橋脚が途切れているのは名古屋市道環状線とぶつかるから

右側にチラリ写っているのは愛知県武道館。この橋脚から向こうが「本番」なのは、よくよく分かってはいたのですが、申し訳ありません。炎天下にギブアップ。たった30分の散策でした

近くにバス停がありました。あおなみ線の南荒子駅~地下鉄高畑駅~あおなみ線荒子駅という路線のようです。考えてみれば、朝のもっと早い時間帯に廃線跡を回ってからエアコンの効いたリニア・鉄道館に行くべきでした。あおなみ線のフリーきっぷを買うのだから、1度離れてもまた名古屋から乗り直せばいいのです

徒歩コースは、おおよそこんな感じ。正確にはあおなみ線の東側にある遊歩道を歩いています

ということで、もっと涼しくなってから再々チャレンジすることにしました。それにしても家電量販店や駐車場付きのコンビニがあって、これだけ交通量の多い200万都市の片側3車線道路に未成線があるなんて想像がつきません

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