※訪問は2025年10月5日
最終盤の訪問地

深戸駅にやって来た。時刻は14時すぎ。まだまだ早いように感じるかもしれないが、ダイヤの関係で1時間半もの待機をしなければならない。ということは美濃太田から岐阜経由で帰宅することを考慮すると、そろそろタイムリミットが迫っている
三角ラッチにしびれる開業時からの駅舎

こちらが駅舎。開業は1928年(昭和3)。美濃下川(現大矢)駅から当駅まで到達した越美南線が次に議場八幡まで延伸されるまでの約1年半、終着駅だった
ひかれるのは

三角形の木製改札。木製の改札が残る駅はたまに見かけるが、三角形というのはあまり記憶にない。これでは改札口に立って集札業務ができない気もするが、出入口のスペースが思ったより広くなかったのか、構造理由についてはナゾである
当駅は1966年から実質3年間だけ走っていた急行「おくみの」の停車駅だった
列車そのものは、その後もしばらく存続したが、1969年から越美南線内は普通として運行したため、路線内の優等列車としてはわずか3年運行しただけ。これが越美南線唯一の優等列車の歴史となっている
停車駅は美濃太田を出ると加茂野(現富加)、美濃関(現関)、美濃市、美濃下川(大矢)、深戸、郡上八幡、美濃弥富(郡上大和)、美濃白鳥、二日町(白鳥高原)、北濃となっていた。下りについては美濃白鳥からは普通列車扱いとなっていたので、北濃から急行として運行される下りは二日町は通過していたが、半数の駅が三セク転換時に駅名変更となっていて時代を感じさせる。深戸は駅名変更のない貴重な存在となっている
開業時は下川村に所在。美並村を経て現在は郡上市。駅の住所は郡上市美並町三戸となっていて、越美南線の開業前の三戸村に基づく。三戸村とは深戸村、相戸村、三日市村が合併した際に1文字ずつとった合成地名だ。深戸は「深い所」という意味で、地形に基づいたものという説と湿地帯だったという説がある
喫茶店と井戸(?)の跡

駅舎には開業時と同じ歳月を示す財産票が張られている。そして

喫茶店の跡も。窓の造りがおしゃれな店舗だったようだが、10年以上前に閉店となり、そのままとなっている。駅そのものは国鉄時代の早い時期に無人化されている
興味深かったのはこちら

形から想像するに、これは井戸だろうか。その向こう側の建物は倉庫のようにも見えるが、全く分からない。実は私の関心が高まったのは、この井戸跡のようなものにも

しっかり財産票が張られていたこと。JR東海という会社は駅舎だけでなく倉庫や場合によってはお手洗いにもきっちりと財産票を張る細かさがあって、降り鉄としてはとても助かるのだが、長良川鉄道はJR東海になったことはない。名古屋鉄道管理局時代から、このように細かく財産票が張られていたのか、そもそも国鉄時代はあらゆるものに財産票を掲示していたのかは不明である

駅を出るとすぐ長良川で民家は少ない。桜の季節は美しい景色が見られそうだ
駅舎と逆側には少し離れたところに集落がある

駅前の自転車置き場の標語

こちらはホームつまり駅舎と逆側の風景。石碑が気になったが、おりからの雨とホームの向こう側へは大回りをしないとたどり着けないので断念した

美濃太田からは38・5キロと、そう遠くはないかつての急行停車駅だが、1日あたりの利用者数は29人である
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