JR西日本

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~舞鶴など昔の話

何事も今のうちに

こちらは前日の17時40分に東舞鶴駅に到着した際のホームの様子。小浜線から舞鶴線へすぐ乗り継げるようになっている。何の気なしに撮った写真だが、しばらくすると車両が代替わりして、かなり時間が経ってから「あの時乗ったなぁ、見たなぁ」と思うことがしぱしぱ。すっかり様変わりするのは駅だが、車両については全く専門外の私でも懐かしさのあまり写真を眺めてしまう。つい先日、青春18きっぷで岡山へと出向いた際、赤穂線に乗ると「食パン改造車」に出会った。以前は「ラッシュ時にこんな2両編成に詰め込むなんて酷いな」と思っていたものだが、もう間もなく姿を消すと思うと感慨がこみ上げてくる

もっとも北海道で話題となったキハ40についてはJR西日本では広い範囲でバリバリの現役。いわゆる「タラコ車」だが、こちらはまだまだ主役の座から降りそうにない

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早朝の東舞鶴を歩く

朝は悠然とバイキングの食事でスタートする。今日についてはのんびりと駅訪問をしながら敦賀へと向かうつもり。どうやっても今日だけで全駅訪問は無理なので、気候が変わったころに再訪の予定。また同時進行のように湖西線の各駅訪問も行っていて、いくつかの駅で降りながら帰路へとつく。湖西線も小浜線同様に北陸新幹線の影響を受ける可能性のある路線で、こちらは今後の様子を見てから記事化したい

まだ7時になっていないアーケードを駅に向かって進む

「ようこそ」の案内表示にロシア語まで入っている

駅の改札口には7時前に到着。有人になるのは8時からだそうで、随分遅く感じるが、ここから出発する人より8時ごろから降りてくる人の方が多いのだろう

こちらが時刻表。京都までの特急が8本もある。この特急は福知山駅で大阪方面への特急と神業連絡を行うが、小浜線と比べ随分と待遇が違う。しかも始発が5時台なのに比べ、終電は20時39分しかも小浜止まりと店じまいも早い。流動の特性がこのようになっているのだろう

駅で見た写真

改札の外にもお手洗いがあるのでま繁華街とは逆方向の出口に行くと、かつて多くの線路が並んでいたと思われる場所は芝生広場。規模の大きさを感じる

そして駅構内の写真。軍港だった舞鶴は終戦と同時に引き揚げの舞台となる。国外にいた日本人の多くが戦後3年でほぼ帰国したのに対し、ソ連によるシベリア捕虜抑留もあって、ソ連からの帰国は遅れ、最後の帰国は1958年と戦後13年も経ってから。舞鶴港へ最初に帰国船が到着したのが1945年10月7日で、舞鶴市では10月7日を「舞鶴引き揚げの日」としている。以降、66万人もの人が舞鶴港へ引き揚げてきた

30年以上前、当時港で取材した元新聞記者の方に話を聞いたことがある。引き揚げてきた人、迎えた家族、引き揚げ船が着く度に夫を探す家族の話はいずれも中身の濃い話だった

と同時に原稿を送る苦労も聞いた。今のようにネットにつなげば写真を送れる時代では当然なく、FAXなんてものが登場するのは何十年も後だ。原稿については電話で吹き込む(電話で原稿を読み上げて会社にいる人が原稿用紙に書く。私もギリギリその時代を知っている)ことができるが、写真についてはそうはいかない。有力な送信手段は伝書鳩だった。ハトの足にフィルムを装着して「空輸」する。訓練されたハトは無事、大阪まで運んでくれたそうだが、ハトにも個体差があって締め切りに到着しないこともしばしば。「○○新聞のハトは優秀やった。うちのはアカン」と30年以上前のことをボヤいていた

さらにもうひとつ、これは舞鶴とは関係ない余談だが、今から70年前の大阪鉄道管理局。建物は平成の声を聞いても大阪駅の北側にまだ残っていたと思うが、そこに詰める鉄道担当の記者には「国鉄パス」なるものが国鉄から与えられていた。全国の国鉄路線が年中乗り放題という大判振る舞いなもので、携わった方は、ほとんどこの世を去っていると思われるので、その頃の話をすると、新幹線などというものは走っていない時代、顔写真も張っていないパスは重宝され、社内では夏休みの日程を社員がそれぞれ割り振って使い回ししていたとか。その後、とある新聞社が「国鉄が記者にこのような便宜をはかっている」という記事を出して、そのパスもなくなったという。今だったらあっという間に世の中に拡散して大変なことになりそうだが、ある意味牧歌的な話ではある

話は随分横道に行ってしまったが、閑話休題

1時間以上トコトコと揺られて棒状ホームの駅で降りた

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~東舞鶴に宿泊して知ったこと

※訪問は2025年3月26日

京都府の一部も金沢支社の管轄

小浜線の終点となる東舞鶴駅に到着。以前は多数の側線を持つ大きな駅だったが、今は高架の島式1面2線のみの駅となっている。当駅までが小浜線、当駅より先が舞鶴線となっていて線路はそのままつながっているし、一見すると途中駅のように見えるが、運行は完全に分断されていて、列車によっては短い乗り継ぎ時間で、そのまま前進できる

小浜線はJR西日本の金沢支社の管轄となっているため、小浜方面からやって来ると、当駅の手前までが金沢支社の管轄つまり松尾寺駅も含め、近畿2府4県となる京都府の一部まで金沢支社の線路と駅があることになる。東舞鶴駅は帳簿上では舞鶴線の所属となり、駅そのものは近畿統括本部の管轄となっている

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全く異なる東舞鶴と西舞鶴

東舞鶴駅は高架駅。地上駅時代だった以前とは駅の様子もすっかり変わり、管理駅の座も降りているが、重要駅であることに違いない。到着が17時40分だったということは、写真を改めて見て思い出したのだが、春を間近にこの時間帯でもまだ明るい

今日は東舞鶴に宿泊する。朝に長浜を出て小浜線内をウロウロしながらここまでたどり着いた。駅を降りるとすぐに大きなアーケードがあって街の規模を知る。駅は過去に何度か来たが、街を歩くのは初めて。もちろん宿泊も初めてである

前回の若狭高浜駅の記事で高浜町が舞鶴の経済圏にあることを初めて知ったと記したが、初めて東舞鶴に宿泊して知ったことがある。こちらについては「そんなことも知らなかったのか」と言われそうだが、事実なのでしょうがない。それは「東舞鶴と西舞鶴は全く別の町」だということ

あまりに鉄オタ生活が長くて、全国にある「東○○駅と西○○駅」の違いぐらいにしか思っていなかったが、古くからの城下町である西舞鶴と軍港として発展した東舞鶴は全く性格の異なる都市で、別の自治体だった。西舞鶴地区は元々が舞鶴町、東舞鶴地区は新舞鶴町という自治体で、昭和になって、それぞれが舞鶴市、東舞鶴市となり、戦時中に軍の意向もあって合併して現在に至る

確かに駅の歴史を見ると、開業はともに1904年(明治37)11月3日と同じ日だが、西舞鶴駅は舞鶴駅、東舞鶴駅は新舞鶴駅としてスタート。つまり自治体名と同じ駅名だった。といっても駅名だけ眺めると、すっかり新幹線の「新○○駅」に慣らされてしまった現在は、同じ自治体にある駅と思ってしまいそうだが

駅から徒歩で10分ほどのホテルに宿泊。チェックインの手続きをしている間にあたりはすっかり暗くなっていた

2食付きのプランを選択。最近は外に出るのがおっくうなのと、コスト的な両面で、このようなプランがあれば積極的に利用している。館内のレストランでシチューの夕食を摂り、後は近所のコンビニで購入した酒とつまみを部屋でチビチビやりながら長浜からの1日は終了。明日は今日とは逆にゆるゆる敦賀方面を目指すことになる

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~高浜町の中心駅かつては優等列車も停車

※訪問は2025年3月26日

夕陽が迫る中の訪問

若狭高浜駅に到着したのは17時ちょうど。3月末の訪問は夕陽が迫っている

観光名所の入った顔出しパネルのお出迎え。駅名から想像できるように高浜町の代表駅である

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生まれ変わった駅舎

開業は1921年(大正10)。小浜から当駅までが延伸された際に設置された。翌年に東舞鶴まで延伸されて小浜線は全通した。前回の青郷駅の記事でも触れたが、延伸時は府県境を越えた松尾寺までの約10キロ、途中駅はなかった

ホームは2面3線構造。小浜線というローカル線での3線ホーム。これだけで、かつては主要駅だったことが想像できるが3番線は日常的には使用されていない。それでも線路そのものは現役でレール磨きなどを兼ねて、たまに列車が入ってくる。かつては小浜線にも急行が走り、金沢から日本海側を通って出雲市に到達するという、今にして思うと夢のような列車が走っていた。当駅はその停車駅だった。名古屋始発の急行もあった。すでに金沢や福井にはJRの在来線は走っておらず、宮津や天橋立も三セク化されたが、年に1度のリバイバルでも運行されれば、あっという間に座席は埋まってしまうだろう

駅舎には観光協会も入居している。きっぷ販売は簡易委託で行われている。実は訪問日の2週間ほど前にみどりの窓口の営業が終了していてタッチの差で間に合わなかった

駅舎は2階建てで「まちの駅・ぷらっとHome高浜」との合築で2階はギャラリースペース。現在の姿になったのは2007年(平成19)。それまでは開業以来の木造ながらも洋風テーストの味わいがある駅舎だった。駅舎が立派になるのは良いことだといつも言っているが、以前の写真を見ると、これはちょっと惜しい気がする

駅周辺は高浜町の中心部

当駅にも張り板があるが、ニュースでも取り上げられる高浜発電所は、当駅から見ると京都府寄りにあり、最寄り駅という表現が正しいかどうか分からないが三松駅や青郷駅の方が近い

こちらは舞鶴の都市圏

駅前で目を引くのは

こちらのバス停。これだけだとピンと来ないかもしれないが松尾寺駅の記事で紹介した路線だ。当駅から小浜線に沿うように走り、もちろん三松駅や青郷駅の近くも通って東舞鶴へと向かう。県境を越える路線バスというのは珍しい存在で、ここが舞鶴と結びつきの強い地域であることが分かる

運行は平日に5本。こういうのは現地に行かないと、なかなか知識を得られないもので、何年か前に山陰本線の閑散区間である益田~東萩の各駅を訪問した際、鉄道だけではとても回りきれないのでバス路線を調べたところ、山口県に入って4駅先の須佐駅まで、それなりの本数のバスがあることが分かり、かなりお世話になった。益田からすぐ県境に入り、そこは萩市だが、萩市になったのは平成の大合併からで、今も益田と結びつきの強い地域であることを知った

日没がそろそろやって来るようだ。本日は東舞鶴に宿をとってある。舞鶴市へと向かうことにしよう

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~福井県最西端の駅は大きなログハウス

※訪問は2025年3月26日

京都府はすぐそこ

青郷駅へ到着。時間は16時すぎ。本格的な春を前に1日は徐々に長くなっている。ただ若狭湾に面した各駅の桜はまだ動きを見せていない。雪の季節が終わって、さぁこれから、といったところなのだろう。ご覧のように1面1線の棒状駅

駅は高台にあり、階段で駅舎と改札へと向かう。屋根の形状で駅の規模が想像できる

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戦時色強い中での開業

青郷駅の開業は1940年(昭和15)。小浜線の全線開通は1922年(大正11)で、戦後10年以上が経ち、SLから気動車へと車両が変わったことで7つもの駅が開業したことは前記事に記した。ただ全通以降、こちらもすでに紹介した若狭和田駅が1925年に海水浴場用の停車場として開業したこと以外に大きな変化はなかったが、戦時色が強まったこの時期に駅が設けられたのは若狭高浜~松尾寺の約10キロもの間に駅がなかったこともある(三松駅は戦後の設置)し、このあたりまで舞鶴の軍港域が広がっていたことも大きい

当時は青郷村。戦後の1955年から高浜町となった。高台を走る線路に後から設置されたのでホームは昔と変わらず狭い

階段を降りて駅舎へと入る。丸太で造られた建物が下車した利用者を出迎えてくれる

駅舎には「ロッジ青葉」と書かれている

駅は簡易委託だが、水曜と日曜は窓口は終日閉まっていて、私が訪問したのは、たまたま水曜日だった

立派な待合室があるが、窓口が閉まっていると中には入れないようで施錠されていた

中をのぞくと立派な部屋で冬用にストーブもある。無人の時にストーブはさすがに点けられないだろうが、中に入れないのはちょっと残念

ロッジ青葉と名付けられているのは、若狭富士とも呼ばれる青葉山登山の拠点となるため

駅舎はまさにロッジ。もともとは開業時以来の木造駅舎だったが、電化後の2004年(平成16)に現在の姿に生まれ変わった

駅のふもとに広がる街

向こうに駅舎が見えるが、駅前の坂を降りると町に出る。このあたりは元々「青村」といって青郷村の中心部だった

国道沿いに商店や郵便局がある。京都方面へ車を走らせるとやがて町並みは途絶え、府県境へと向かう。当然ながら福井県最西端の駅だ

峠の青葉トンネルを抜けるとやがて松尾寺駅。途中に駅名となった松尾寺もある。距離にして5キロ。車だとあっという間だ。ただ現在は車であっという間でも峠を控えた青村は古くから交通の要衝で鎌倉時代には文献に登場。駅付近の地図を拡大していただければ分かるが青城という城を中心に戦国時代までは地域を治めていた

開業時から残るものも

駅へと戻ると三松駅にもあった「電源立地特別交付金施設」(三松駅は電源立地地域という表記だった)の張り板。こちらについては前記事で自分の考えも述べたので、ここでは特に触れない

ただ20年前にすっかり生まれ変わった青郷駅だが、変わらぬものも残されている

ホームにある瓦屋根の待合所。加斗駅で見かけたものと同じような造りだが、駅舎は生まれ変わり、ホームへの階段に立派な屋根ができても、こちらはそのまま。おそらく駅舎からホームに向かうには階段を昇る必要があるため、ギリギリにならないよう残されたのだろう

財産票はしっかり残されていた。駅の開業は昭和15年の11月1日なので、まさにこの駅と同じ歴史。この小さな待合所で85年前に列車を待った人と同じ空間を味わえようになっている

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~簡素な棒状駅が駅舎で見違えるように

※訪問は2025年3月26日

意外と難読な駅

加斗から約20分。三松駅にやって来た。高浜町にある若狭和田駅から小浜市の加斗駅に行き、再び高浜町に戻ってきたことになる。読みは「みつまつ」。意外と難読だ。初見だと読めない人の方が多いのではないか

ご覧の通りすれ違いのできない単式ホームのみの構造だ

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もともとは待合室のみの駅

開業は戦後の1961年(昭和36)。小浜線はこのころから無煙化され、気動車が投入されたことで細かく停車することが可能になった。敦賀と東舞鶴をのぞくと全21駅の小浜線だが、3分の1にあたる7駅が昭和30年代の開業だ。この頃になると国鉄も意識が変わっていて駅=駅舎の意識はなくなっていて、待合所のみの簡素な構造の駅が全国で設置されている。この7駅もいずれも単式ホーム+待合所のみの駅だった

「だった」と記したのは当駅においては事情が異なるからだ

現在はラ・ポルト三松という洋風のおしゃれな駅舎が建てられている

ガラス張りの駅舎にはお手洗いもある。春が間近の3月末とはいえ、若狭路はまだまだ冷え込む。利用者にはありがたい構造だ。車いす用のスロープも設置されている。小浜線は2003年に電化されたが、その後の2005年に新たに駅舎が建てられ、駅前の駐車場が整備された

駅の目の前を国道が走っていてロードサイド店やコンビニもある。少し歩くと海岸に出て海水浴場がある。2023年度の1日あたりの利用者数は156人。路線内では前回まで紹介した加斗駅の108人を上回っていて、主要駅のひとつである三方駅とほぼ同数だ。ただし路線内には駅舎のないホーム+待合所の構造ながら当駅より利用者の多い駅は存在する

張り板に目がいく

駅で目につくのは

柱に張られた板。簡単に言ってしまうと原発によって駅舎が建てられたということになる。このように紹介すると「原発のおかげで造ってもらった」という、どちらかというとシニカルな意見が必ず出てくるが、私が思うには、これは地域の選択なのだから外部から何も言うことはない。それなりのリスクを背負って受け入れたわけである。まず私には自分の暮らす町に原発がやって来る、やって来るかもしれないという経験をしたことがない

そもそも「電源立地地域」の駅の張り板は何も原発に限ったことではなく、大糸線の沿線でも見かけた。こちらは水力発電所によるもの。張り板がイコール原発と考えるのは、ちょっと違う

「降り鉄」としての意見を言わせてもらうと駅が立派になるのは良いことだ。このような寒冷地で日々利用する100人以上の方は喜んでいるはず

ただその一方で、このように路線内の駅が立派になって、わずか20年で廃線へ向けた動きがあることが話を複雑にしているのも事実である

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~高校の新聞部に感謝

※訪問は2025年3月26日

駅舎内の理髪店といえば

駅舎に入る理髪店と聞いて真っ先に思い浮かぶのは

因美線の因幡社駅。2020年の8月23日。予備知識なしで朝8時過ぎに駅に降り立った私は人の気配がするので様子を見たところ

駅舎内に理髪店が入っていて、すでにテレビがつけられていて驚いた記憶がある。駅が無人化された1970年代からずっと入居していたそうだが、私の訪問後まもなく50年の歴史に終止符を打ったようだ

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美方高校新聞で歴史を知る

あらためて加斗駅駅舎。加斗という地名は加斗庄という荘園から来ていて鎌倉時代にはすでにあっという。明治の町村制施行で加斗村が誕生し1955年(昭和30)から小浜市。駅舎はおそらく1921年(大正10)の開業時からのものだ

入居する理髪店が営業している時間帯はきっぷ販売も行う。カタカナの「キップ売場」の文字がなかなかいい

駅舎内に2022年の美方高校新聞が張られていた。これだけで歴史が分かるようになっていて、とても優れている。理髪体験記まであって完成度も高いし、上から目線に感じられてしまうと申し訳ないが、長らく記者をした私が高校生の時には、これだけの原稿はとても書けなかったと思う

ほとんどが、この記事の受け売りになってしまうが、店主のご婦人は戦後間もなく加斗駅前で開業した理髪店が実家で、1973年にご主人とともに実家を継いだ。時を同じくして加斗駅は無人駅となり、駅が荒れないように夫婦で駅の掃除をしたり、花を植えたりしていた。JR移管の10年以上前で、国鉄の民営化など、まだ具体化していないころである。

そのような日々の活動を行ううちにJR西日本の社員とも知り合いになり、ボランティア活動を20年以上続けた1995年に理髪店が立ち退かなければならなくなったところで、簡易委託のきっぷ販売を条件に駅舎内での理髪店営業を持ちかけられ、以降30年間営業を続けている。厳密には1973年の無人化から半世紀以上にわたって駅を守ってきた。2018年にご主人が亡くなられた後も、一人で店と駅舎を守り、予約制で理髪店を続けているという。駅や駅付近に住んでいるのではなく、小浜線を利用して毎朝の通勤だ

駅で降りてみて、このような物語に触れることはなかなかないが、たまに出会うと目頭が熱くなってしまう

1日の利用者数は約100人

同じ場所には「加斗の宝物」と書かれた絵が張られていた。当駅とお隣の勢浜駅が旧加斗村の村域にある駅。ただ勢浜駅は小浜市になってからの開業だ

加斗駅の1日あたりの利用者数は108人(2023年)。駅舎には徳川家康の人生訓があり「堪忍は無事長久の基」だそうだ。「うーん」とうなりながら、やって来る列車を待った

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~床屋さんが守る開業からの木造駅舎

※訪問は2025年3月26日

もうひとつのメインディッシュ

若狭和田駅から敦賀に向けて2駅目。加斗駅に到着。この時間帯になると列車の本数も、やや増える。電車に揺られる時間も減ってきて、ようやく駅訪問の時間が来たという感じだ

そしてこの駅は今回の小浜線で松尾寺に次ぐもうひとつのメインディッシュである。「もうひとつ」と記したのは、やや質が異なる、和食と洋食のようなイメージだろうか

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瓦屋根のホーム待合所

掲載した写真にもホームの待合所が写っている

瓦屋根の待合所という変わった構造。観光地にある駅では、たまに見かけるが、ここは観光地ではない。オリジナルの待合所のようだ

近づくと財産票もしっかり張られている。大正10年(1921年)3月とある。駅の開業は同年4月なので、開業に先駆けて造られ、100年以上頑張っていることになる

当駅は小浜線が舞鶴方面へと延伸される途中、小浜から若狭高浜までが開業した際に設置された。小浜線は翌年、全線開通している

当時は加斗村に所在し、戦後の1955年(昭和30)から小浜市。今も加斗は地名として残る

駅の位置は内陸部にあるが、20分ほど歩くと加斗海岸に出る。線路沿いに西側に歩いていくと海が開けて鯉川シーサイドパークへと行くことができる

かつては島式1面2線ホームだったようで、線路がはがされた部分は空白になっている。その向こうには貨物ヤード跡も残る

路線内の貴重な駅舎

駅舎に向けてはかつて構内踏切があっただろう敷地内を抜けていく。木造駅舎が見える。駅舎があった小浜線内の多くの駅舎は前記事の若狭和田駅の項でも触れた通り、この20年で大きく様変わりしている。開業時からの姿を、ほぼそのまま残すのは先に紹介した松尾寺駅と、ここ加斗駅の2駅だけだ。木はきれいに手入れされていて、駅舎にはBSアンテナも見える。生活感を感じる

改札から駅舎内へと向かう

駅舎内のイスには丁寧に座布団が置かれているが、なんといっても目を引くのは「キップ売場」というカタカナ文字そして理髪店のサインポール。当駅は駅舎内に入居しているのだ

もちろん駅舎入り口にも理髪店のサインポール

松尾寺駅は取り壊しの危機から舞鶴市のものとなって後に登録有形文化財となったが、当駅は登録有形文化財でもなければ、小浜市のものでもない。その意味では小浜線内の唯一無二の駅だが、理髪店が入居しているために、ほぼ手つかずで形を残している。駅前には花壇がきれいに並んでいた。いわば理髪店が守る駅となっているのだ

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~お腹いっぱいの大満足でした

※訪問は2025年3月26日

待ち時間を有効に

こちらは東小浜駅の時刻表。朝の通勤通学時間帯にそれなりの本数があって、しばらくお休み。正午ごろに1往復だけあって、また夕方までお休みというローカル線の典型的なダイヤとなっている。それでも14時台から動きがあるのは、本数の多い方だ。沿線には高校が複数あり、それに対応したものだと思われる

今から12時20分発の東舞鶴行きに乗車するが、2時間の空きは有効に利用しよう。ふだんの駅訪問では列車のダイヤ優先で時間がなければ、コンビニおにぎりやコンビニ惣菜パンでやり過ごすのがスタイルだが、時間もちょうど良いのでどこかでランチとしよう。そういえば朝の7時に長浜から電車でやって来たが、それこそ朝食は長浜駅近くのコンビニで買ったおにぎりのみだ

その後のダイヤも調べると、「若狭○○」が3駅続く若狭本郷、若狭和田、若狭高浜の3駅のどこかが候補になるが、若狭和田に決定。駅前の規模は本郷と高浜だろうが、各駅訪問には若狭和田が良さそうだ。コンビニが駅近くにあることは確認しているので、最悪何も口にできないということはない

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ピースフルな駅舎

約30分で若狭和田駅に到着

ご覧の通り、単式ホームのみの構造

駅前には「WADA BEACH」の文字。若狭和田海水浴場の最寄り駅。もともとの駅の設置理由が海水浴客向けで、1922年(大正11)の小浜線全線開通から3年後の1925年に仮停車場として設置された。当時の所在地は和田村。正式な駅となったのは昭和に入った9年後である。和田村は1955年(昭和30)に高浜町となった

若狭地方は関西圏からの海水浴客でにぎわい、小浜線も重要なアクセスを担っていた。私も幼少期に若狭まで両親に連れられ海水浴に来たことがある。1960年代終わりごろの話で、どこの海水浴場に行ったのか全く記憶にないが、交通手段はもちろん鉄道である。すでに世の中は車社会に突入していたが、自動車専用道などは数えるほどしかなかった時代。マイカーは浸透しつつあっても、道路というハード面が不備だったので、もちろん長距離バスもなく、アクセス手段はまだまだ鉄道が優勢だった

そして駅舎。観光案内所「ピースフル和田」が併設されている。開業時代からの駅舎がずっと残っていたが、2005年(平成17)に現在の駅舎となった。おしゃれな洋風である。小浜線の電化は2003年。路線内の駅舎の多くはこのころに変化している。現在各地で見られる簡易化ではなく、むしろ立派なものとなった。電化も駅舎の改築も原子力発電所によるものが大きいが、小浜線を語る上で避けられないものなので、どこかでまとめたいと思う

地元の繁盛店で大満足

10分ほど歩いたうどん店で、うどんとカツがセットとなった定食。地元の有名店らしく平日の13時を過ぎた時間でもお客さんは多く、私ももちろん大満足

駅前の漁港を眺めながら駅に戻る

駅舎内の待合室の様子と、こちらは到着時の窓口の様子

訪問時は自治体への簡易委託駅だったが、いずれは無人駅になる予定だという。並びの様子を見ると、そうなのかなぁ、と思ってしまうが、おなかいっぱいの満足感とともに次の駅を目指そう

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~新幹線を待つ駅

※訪問は2025年3月26日

美しい若狭湾を眺めながら

松尾寺から敦賀方面へと戻る。すぐに福井県へ入り、美しい若狭湾を眺めながら進む。海沿いに走る単線区間ということで、JR西日本名物の速度制限区間があるが、日常的に利用される方はイライラするかもしれないが、旅人は目の保養になる

列車は東小浜駅に到着。約50分のトコトコ移動。最初に乗車した敦賀から1時間50分かけて松尾寺、そして50分かけて東小浜と、なんとも効率が悪いが、通勤通学時間帯以外は空白の多い路線なので、やむを得ない

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超難読駅になった可能性も

こちらは東小浜駅と、その周辺地図だが駅の住所が「遠敷」だということが分かる。「おにゅう」と読む。かなり古い地名で、もともとは「小丹生(おにふ)」と記されていたものが、7世紀には転訛して現在の読みと漢字が充てられるようになった。隣町となる小浜が発展するまで長らく若狭国の中心地だったため、文献にも多数登場するので地名の歴史も分かりやすくなっている

駅の開業は1953年(昭和28)と戦後で、その際も駅の所在地で由緒ある地名の遠敷を駅名にすることが地元の要望だったが、難読すぎるということで東小浜となった。確かにこれは読めないが、もし実現していれば、難読駅クイズの上位常連駅となっていたことは間違いないだろう。ちなみに私のPCとスマホは「おにゅう」と入力すると、ちゃんと一発変換できた

駅舎は小浜市総合福祉センターとの合築で、とても大きい

ガラス張りの待合室があり、夏や冬も快適に過ごすことができる

小浜市への簡易委託駅となっていて、きっぷ売り場もあるが、改札業務は車内で行う。単式ホームのみの構造で、ラグビーの強豪として知られる若狭東高校の最寄り駅で、時間帯によっては多くの生徒が下車するが、大量の利用者をさばきやすい構造となっている

新幹線を待つ

基本的な順序からだと逆になってしまうが、駅正面からの写真がこちら

大きな駅舎に大きな駅名板。そしてその横に「北陸新幹線小浜・京都ルート 早期実現」の看板がある。北陸新幹線の新駅を当駅の西隣に設置することが、すでに発表されている。東小浜駅の西側には舞鶴若狭自動車道の小浜インターがあり、車との接続も便利。小浜駅の周辺が手狭なので、こちらに新しい小浜駅(駅名未定)ができる。大阪方面への延伸については、2016年に敦賀から小浜を経て京都へと至るルートが決定した…はずだったが、工事は敦賀駅から先は全く手が付けられていない

京都市内で地下水枯渇のおそれがあるとのことで、長大トンネルが多くなる京都・小浜ルートについて懸念の声が出て、石川県から米原ルート再考の声が出たと思ったら、先日あらためて8つのルートの再考案が出てきた。小浜・京都ルート以外はこれまでに議論されて一度却下された形になったものばかりで、9年を経て「振り出しに戻る」となってしまう可能性もある

京都・小浜ルートはトンネルが多い分、工事費もかかるルートになっていて、簡単に着手できず、予算確保の時間を費やしているうちに、他の意見が出てきたと形だ

すでに春休みに入っているはずだが、お昼すぎのホームは高校生でにぎわっていた。3月末といえば、まだまだ寒い日もあるはずだが、この日の気候は春の訪れを感じるもの

このころら最初の訪問を行った小浜線の紹介がなかなかできなかったのは、私が様子見をしていたこともある。もっとも、まさか8ルート再検討なんていうものが出てくるとは思ってもいなかったが

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若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~京都府唯一の駅は登録有形文化財

※訪問は2025年3月26日

1時間半の待機

松尾寺駅の時刻表。9時37分に到着して11時13分の敦賀行きで折り返す。1時間半の待ち時間があるが、それぐらいは滞在しないと、とこちらの駅については最初から思っていた

いくつかのトリビア

時系列は前後するが

ホームから階段を降りていくと、雰囲気のある木造駅舎が出迎えてくれる

あらためて駅舎。1922年(大正11)からの駅舎が健在。当駅はいくつかの「トリビア」を持つ駅でもある

まず読みは「まつのおでら」である。初見だと「の」はなかなか出てこない。そして松尾寺駅の最寄りということで駅名がつけられているが、名刹松尾寺は

駅から山を登ること、徒歩約1時間の場所にある。公共交通機関はなくタクシーもしくはマイカーでの訪問が一般的なようだ。駅の開業した大正時代はマイカーという概念はなく、現在とは徒歩に対する価値観は異なる。当時は立派な最寄り駅だった

そして駅の所在地は京都府舞鶴市。終着駅の東舞鶴は、帳簿上は舞鶴線の所属となっているので小浜線唯一の福井県にない駅となっている

そして駅舎は

登録有形文化財となっている。登録有形文化財の駅舎は全国に多数あるが、JRの駅というのは駅数を考えるとかなり少ない。登録有形文化財になってしまうと、自由に建て替えができなくなってしまう。立派な駅になるならいいが、ローカル線の現状は駅舎の建て直しは、ほとんどが簡易駅舎への転換である

舞鶴市に譲渡された駅舎

当駅の駅舎も取り壊しの危機があったが、地元から駅の保存を求める声が上がり、2008年に舞鶴市へ無償譲渡される形で決着。改修工事を経て現在のものとなった。古い駅舎の自治体への譲渡という話題が出ることがよくあるが、簡単なことではない。引き受けたからには、税金も含む駅の維持費を捻出する必要がある。利用の少ない駅がほとんどで、松尾寺駅の2022年度の1日あたりの利用者数は54人。自治体の住民のほとんどが利用しないわけで、予算の捻出に自治体も理由付けが必要となるため、JRからの譲渡の申し入れを断るケースや、後に維持をあきらめるケースが多い。国鉄の施設をそのまま受け継いだ三セクの駅に登録有形文化財が多いのは、そんな理由もある

駅舎内外はきれいに改修れていて

昔からのものが、そのまま残る

貨物で栄えたことを示す黒板が残るが、金額が記入されていたのだろうか。ただ一般の旅客に見えるように掲示するものではないので、駅舎に眠っていた業務用のものがこうやって掲示されていると思われる

駅舎内にはカフェが入居している。舞鶴市はお茶の名産地としても知られ、日本茶カフェ「流々亭(るるてい)」

お茶の販売も行われていて

舞鶴の茶葉を利用した紅茶を土産に買って抹茶ラテを味わう。営業時間は10時から17時で日・月曜日が定休日。「私のSNSで紹介させてください」と、お願いしながら掲載まで9カ月も要してしまい、申し訳ありませんでした

ユニークなバス停

駅の周辺も歩いてみよう

駅から国道27号までは歩いてすぐ。店舗の跡があった

バス停があった。小浜線の若狭高浜駅から東舞鶴駅を結ぶ府県境をまたぐバスが運行されていて、松尾寺駅近くを通る

停留所の建物では、視力検査ができるようになっていた

バス停の向かいには

どう見てもコンビニの跡。背後に駅が見える。コンビニが現役だったら、さらに時間を潰せる神駅だったかもしれない

あっという間の1時間半だった。ラッチを眺めながらホームに戻ることにしよう

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