中土駅の駅名板

※訪問は2024年10月11日

国道は離れた場所を行く

中土駅の駅前

3年前は「交通 安全宣言」の向こうから南小谷駅へと向かう小谷村村営バスがやって来たことを覚えている

ただ交通安全をうたうほど車の交通量があるわけではない。いわゆる「塩の道」で大糸線とほぼ並行して走る国道148号は中土駅から離れた場所を走る

増便バスは駅前まで来て再び国道に戻るのにはかなりの回り道となるため、停留所は温泉施設「サンテインおたる」に設けられている。同所から中土駅までは1・2キロ離れていて徒歩なら15分以上かかりそうな距離である

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元は合成地名

駅名は、かつてあった中土村に基づく。これはいわゆる合成地名で「中谷」「土谷」の2つの地名の頭文字をとって村名にしたもの。1958年(昭和33)に北小谷村、南小谷村と合併して小谷村が発足した際に自治体としては消滅しているが、駅が開業した1935年(昭和10)はまだ中土村が存在した。ただし駅の所在地は南小谷村だった

村の中心地は徒歩なら小1時間ほど離れた場所にあったが、地形上、中心地に鉄路を通すことは不可能だったのだろう

こちらは駅舎内の様子。きれいにまとめられていてテーブルもある。こちらは少なくとも開業時のものではない。そしてきれいに清掃されている

かつての駅の写真が飾られている。戦争を挟み20年以上も終着駅だったことで写真にも重みがある。駅員さんの姿も写っているが

もちろん現在は無人駅。国鉄末期には無人化されていたがきっぷ売り場の窓口跡に

かつてホームにあったと思われるホーロー駅名標が保存されていた

きれいな駅舎内とともに地元の方の愛情を感じる

電化、非電化の分かれ目

駅前には商店そしてタクシー会社があるが、商店については現役ではない。たばこ店のホーローと遠くからも識別できる「たばこ」の文字はローカル線の定番である

再びホームに出る。時刻は10時を回ってきたが暑くなってきた。先ほどの商店前には自販機はある。冷たい缶コーヒーを買って白馬から着てきたセーターを脱いでバッグにしまう。2時間ほど前、一ケタの気温に白馬駅でブルブルしていたのがウソのようだ

島式ホームだが、平岩駅と同様に片側は役割を終えていて、と同時に構内踏切もすでに踏切ではなくなっている

大糸線では1957年(昭和32)の全通から間もなくして電化の機運が高まった。元より松本~信濃大町の信濃鉄道が敷設した区間はすでに電化されていたため、工事は延伸という形で進めめことができる。当初の目的だった国防の意義はなくなっていたが、温泉、登山、スキーと当時の観光の要素がすべてそろっていたため、国鉄によって敷設されたしなの信濃大町以北も電化して観光路線として強化することになった。工事は順調に進み、白馬(当時は信濃四ツ谷)までは早くも1959年に、翌年には信濃森上までが電化された。その後は少し時間がかかったが、1967年に南小谷までが電化。そして…と言いたいところだが、電化はここまで。現在の形となった

当駅も含め、大糸線の県境部分は数々の自然災害が発生した場所でもある。豪雨に山崩れ、地震。中土駅も豪雨で何度か水浸しになった。駅舎が新しく感じるのは、その度に修復が行われたからだろう。電化に伴う難工事と自然災害への危機感が電化の歩みを止めた。その結果、戦前に開業した松本から当駅までの大糸南線で南小谷~中土のみが非電化区間となった

かつては転車台もあった終着駅に現在やって来る列車はキハ120の単行。民営化時に電化区間と非電化区間で、かつての大糸南線で1駅だけ所属会社も変わることになるとは、電化工事がストップした時点では誰も考えなかったに違いない

2022年度の中土駅の1日あたりの利用者は2人となっている

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