宗太郎駅に行ってきました(後編)

2023年5月9日6時40分

周辺には民家が数軒

宗太郎駅の駅名標です。山中の峠越えの駅だけに両隣の駅も7キロ前後離れています

駅からの俯瞰。奥に見えるのが国道10号。日豊本線はこの国道沿いに走っていて幹線国道だけに駅への訪問は比較的容易(ただし見る限り、国道からの道路は決して道幅は広くない様子)です

ユニークな地名

かつては駅舎が存在したと思われる場所にポツンと、きっぷの回収箱がありました。一応、ラッチ(改札)に囲まれています。年間にどれだけの切符が投入されるかは分かりません

この駅が有名なのは「宗太郎」という愛らしい駅名によるものも大きい。大分と宮崎の県境付近の峠越えは古代から交通の難所として知られ、江戸時代に管轄の岡藩(「荒城の月」で知られる豊後竹田城で有名)に命じられた洲本宗太郎という人が付近の調査、管理をしていたことにちなみ「宗太郎峠」と名付けられ、以降、列車や車の時代が到来しても難所の横断は宗太郎越えと呼ばれ続けています

記念碑や井戸も

駅は2面2線構造。1日1・5往復はあくまで停車列車の話で、当駅を通過する特急列車は終日バンバン走っています。そのため、佐伯~延岡間は特急の停車駅はないものの、すべての駅がすれ違い可能な構造です

駅の出入り口は小さな階段。ただ前述した通り、通過列車は多いため、上下ホームは跨線橋での移動が必要

跨線橋から見ると、長大編成のすれ違いに備え、構内の複線部分は大きくとられていることがよく分かる

駅入口側には

井戸がありました。現役ではない様子

跨線橋を渡ったところには

記念の石碑。手前まで入れるようになっているので近づくと

肝心な部分が歳月のおかげで読めません。左側にうっすら残る文字からは「大分保線事業所長」によるものだと分かりました。宗太郎駅は大正期に信号場として開設され、戦後間もなく駅に昇格。おそらくその時のものだと推察されます

駅の入口側とは逆側のホーム(延岡方面)には待合所がありますが、ここには駅ノート入れとともに石がズラリ。ひとつひとつにメッセージが書き込まれていて、風変わりな「駅ノート」となっているようでした

宗太郎駅に対するダイヤの誤解

駅を去らなければならない時間がやってきました。わずか15分の滞在。もう少しいたかったですが、さすがにこれに乗らないわけにはいきません

手元に2017年3月の時刻表(ダイヤ改正版)があります。当時は現在と同じ早朝の1往復のほかに南延岡発16時43分の佐伯行き、佐伯発17時14分発の南延岡行きがあり、それに乗車すれば17時20分に宗太郎に到着して18時10分に離れられるという、今の季節なら十分明るいうちに行動できる運行がありました。また夜の20時台も0・5往復ではなく1往復運行されています。それ以外にも南延岡から宮崎県の端にあたる市棚まで朝に1往復の設定がありました(ただし市棚からの折り返しが8時37分発で延岡着が9時1分と微妙に通勤通学帯からは遅い時間です)。それらの運行は2018年3月のダイヤ改正で姿を消し、現在のダイヤとなっています

宗太郎駅のダイヤについては多少の誤解があって、先日紹介した羽越本線にも存在した「普通列車も多くが通過する駅」と一部で思われているようですが、それは違って、そもそも運用がこれだけしかないのです。つまり宗太郎だけがクローズアップされるのであって宗太郎~延岡の5駅はすべて同じダイヤなのです

ただ少し驚いたのは延岡行きの宗太郎6時54分発の列車には数人の乗客がいたこと。今回の旅は青春18きっぷの期間でもないGW直後の平日という最も旅客の少なそうな日を選んでいます。宗太郎にやって来る時とは逆で1号車部分のみが開放されているため、車両の半分を占めるグリーン座席も座れるようになっているため(グリーン券は車内で購入のシステムだが、当然のように誰も乗っていない)、普通座席部分が狭くなっていることもあるのでしょうが、宮崎県に入ると駅に停車する度に通学の高校生が何人かずつ乗り込んできました

こちらは列車交換のために3分間停車した日向長井駅でホームに降りて撮影したもの

高校生は全員が延岡で降りていきました。延岡発の佐伯行きは20時7分発。高校生の帰宅としては、ちょっと遅い。おそらくコミュニティーバスを利用するのでしょうが、どうやって帰宅するのだろう?と思ってしまいました

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宗太郎駅に行ってきました(前編)

宗太郎駅の駅名標

2023年5月9日午前6時

早朝から注釈付き列車に乗車

前夜のうちに宮崎県の延岡に入り駅近くのホテルに宿泊

そして朝の6時には駅にいました。5月上旬ですが、西国だけに、まだ夜が明けつつある雰囲気でした

乗車するのは6時10分の普通佐伯行き。奥に見えているのは6時2分の宮崎方面行きで、今から乗車する電車とは違います。そもそも電車の形が違います

今から乗車する列車には注釈があって

何やら不思議なことが書いてあります。文脈だけを読み取ると4両編成で、そのうち1両にしか乗れないことになっている。2両編成で、うち1両が送り込み用の回送扱いというのはJR四国でよく見かけますが、4分の3が乗車不可というのは、あまり聞いたことがありません

やって来たのは特急列車

間もなく乗車列車がやって来ました。6時6分南延岡始発の佐伯行き。なんと特急車両が運用に入っています

九州ではおなじみの787系。 1両分しか客扱いしませんが、車掌さんも乗車しています

30分ほどですが、優雅に特急車両の旅を楽しむことにします。1両分しかお客さんがいないので乗車状況は分かりやすい。南延岡はひとつお隣の駅で、ここからの乗車はなかったようで無人で入線。延岡から乗車したのは私を含め3人。一目で分かりますが、当の私を含め3人とも目的地は同じ「同好の士」です

宮崎県からしか行けない大分県の寝坊厳禁駅

普通という名の特急車両に揺られること30分。目的地の宗太郎に到着しました

延岡から25キロ。宮崎県から大分県に入ったところにある県境の駅。「宗太郎」という駅名と県境ならではの雰囲気に加え、1日の利用者が1人にも満たないことで鉄道ファンの中は知らない人がいないほど有名ですが、特筆すべきは時刻表

ご覧の通り、1日1往復半。しかも朝の6時台に大分方面と宮崎方面の列車が1本ずつあった後は20時35分の佐伯行きがあるだけ。延岡方面に至っては6時54分が始発にして最終電車です。日本中に閑散路線は数多くありますが、これはもう究極のダイヤ

時刻表もあまりに余白部分が多すぎて告知ボードのようになっています

そしてこれが何を意味するかというと、当駅を訪れようとすると私が乗車した列車に乗り、15分後の延岡行きで引き返すしかない。つまり大分県にあるにもかかわらず宮崎県からしか行けず、寝坊は絶対に許されない。もっと言うと、日常的に当駅に行く(人がいるかは不明)には南延岡~宗太郎間に住むしかなく、それ以外の地域からだとホテルが多数ある延岡に前日から宿泊するしかないわけです

なおバス路線ですが、大分県にあるため延岡側からのバスはなく、宗太郎のバス停は地元の方向けの予約制デマンド運行。県境を越えて1時間ほど歩けば延岡市のコミュニティーバスが来ていますが、週3回の運行で、なおかつ延岡まで直接は行けないという状況。また両隣の重岡、市棚両駅にも徒歩では1時間半以上かかる上、駅まで行ってもダイヤ的には変わりがない(重岡駅からは佐伯中心部まで行けるバスがありますが本数は少ない)ので、まさに「脱出困難」駅

貴重な15分間を堪能することにします

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日本唯一の直交ダイヤモンドクロスは今が「旬」

ダイアモンドクロスを横切る名鉄築港線

2022年6月11日17時50分

※時刻表は当時のものです

1年前の話を書く意味

ちょうど1年前の17時半すぎ

名古屋鉄道の大江駅にいました。大江は名鉄常滑線の駅で今から乗車する築港線の分岐駅。築港線は1区間1・5キロのミニ路線。出発するとすぐ着いてしまいます

単純往復するだけなので、方向幕はLED表示は必要なく「室内サボ」が掲げられています。もちろん列車種別は「普通」のみです

さて1年前の話をわざわざ今する意味は時刻表にあります

大江駅の築港線時刻表。ご覧のように朝と夕刻にしか電車は走りません。先日、103系の引退で話題になった神戸の和田岬線と同じです

当ブログをスタートしたのは昨年の9月で、その時はすでに17時を過ぎると、かなり薄暗い季節となっていたため、次に日が長くなるのを待っていたら1年が経過したという次第

目的地は駅から徒歩数分

電車は瞬時に終点の東名古屋港に到着

改札口すらない無人駅ですが、駅員さんはいる駅です(後述します)

線路に沿って道路を歩いていくと、すぐ目的地に到着です

今や日本で唯一

踏切から中を見ると写真の左右を走るのが乗車してきた名鉄で、中に入れないように鎖が張られているのが名古屋臨海鉄道の貨物線。ご覧のように線路同士が90度直角に交差しています。線路同士が平面で交差する際、交差の間がダイヤモンドのような形になることから、ダイヤモンドクロス(ダイヤモンドクロッシング)と呼びます。ターミナル駅で見られるように、ほとんどは斜交となっているのですが、このように直角で交差するものは、今や日本で3カ所のみ。他は松山市の伊予鉄道と高知市の土佐電鉄ですが、前者は路面電車と普通鉄道、後者は路面電車同士となっていて、普通鉄道同士は当地が唯一のものとなっています

私の世代だと阪急の西宮北口駅における今津線と神戸本線の直交をいつも見ていて、珍しいものだという認識は当時は全くなかったのですが、今となっては貴重な体験をしたことになります

その音をお聴きください

直角に交差している分、レールの継ぎ目の音が独特で、その部分が目視できるので分かりやすいですね

写真ではこのようになります

貨物運行は不定期

さて、見るとホームも何もありませんが、こちらは「名電築港」という名鉄と名古屋臨海鉄道の貨物駅

ただ普通にイメージする貨物列車は現在は走っていません。では何のための貨物線かというと、車両や資材を運搬するためのものです。名鉄に新車両が運搬される場合、JRの笠寺から写真で言うと手前側からやって来ます。写真の奥でスイッチバックする形で東名古屋港駅方面で折り返し、名鉄に入っていきます。廃車回送の場合は、その逆コースとなり、資材運搬にも使用されていますが、特殊な運搬任務にあたるため運行は不定期です

列車に見とれているうちに18時を軽く回ってしまいましたが、もちろんまだまだ明るい

築港線の乗車方法

大江駅で築港線に乗下車する際は必ず中間改札を通る必要があります。1区間だけの路線なので東名古屋港駅に向かう場合は、先に旅程を終える形となっています。これは和田岬線や東武の大師前(東京都)と同じシステム

ただ微妙に異なるのは東名古屋港駅には列車運行時には駅員さんがいるということ。1区間のみの築港線ですが、単線のためスタフ通票による運行が行われているため、その係の人員が必要なわけです。スタフ受け渡しの場面ももちろん見られます

何気に私の気を引いたのはホーローによる注意案内。なかなかいい感じです。現地にはバス路線も走っていますが、大江駅をはじめ、名古屋中心部へのスピードが圧倒的に違うため、築港線は需要の多い路線で1日に約5000人もの利用があります

現地を訪れる際の注意点としては、週末の運行が少なくなる点。時刻表を見ていただければ分かりますが、土曜日はまだそれなりの運行がありますが、日曜は朝5往復、夕方3往復のみの運行しかないので、ご注意ください

今年の夏至は6月21日。1日の日照時間が最も長い季節になりますので、ダイヤモンドクロス訪問は今が旬です

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満員の代行バスで旅を締める

酒田駅の特急いなほパネル

3月4日11時10分

特急いなほに乗車

いなほは秋田~新潟を結ぶ特急ですが、1日7往復の運行のうち、秋田と新潟を直接結ぶのは2往復のみ。多客期は一部延長運転が行われますが、5往復は酒田~新潟の運行となっています。酒田駅が新潟支社と秋田支社の境界となっているため、普通の運行は酒田で分断され、特急を利用しない場合は乗り換えが発生します

とはいえ

秋田~余目間は未乗車区間のため、酒田で下車。すでに山形県に入っています。ここでランチタイムと。昭和30年代に建てられた典型的な国鉄コンクリート駅舎ですが、2年前にリニューアルされました

美しい余目駅

酒田からは普通に乗車。15分ほどで

余目に到着。駅名標で分かる通り乗り換え駅

駅名標は新しいものですが、ホーム上の乗り換え案内はクラシックなものが残ります。新庄へ向かう陸羽西線の乗り換え駅

来るのは2度目ですが、黄色の文字が美しい。階段もその色に準じていて離れたところからも目立ちます

陸羽西線はバス代行中

時間的には東京に向かうことになっていて、本当は特急で新潟まで行き、上越新幹線で東京に行く方が圧倒的に早く、新幹線も乗れるJR東日本パスを有効利用できるのですが、この日はちょっと違うことを考えていました

余目駅の跨線橋ですが、新庄へ向かう陸羽西線ホームへの通路は塞がれています。現在、陸羽西線と交差する道路のトンネル工事に伴い、バス代行が2024年度中までの予定で行われています

この代行バスに乗ってみたくなりました。最上川に沿って走る陸羽西線ですが、バスからだと以前乗車した鉄道とはまた異なる景色が見られるはず

こちらは前日、古川駅に張られていたバスの時刻表。陸羽西線は酒田から直接乗り入れる運行があったため、バスで酒田からも行けるようになっていますが本数は圧倒的に余目からが多く、また久しぶりに美しい余目駅を見たい願望もありました

余裕の行動だったが…

積み上げられた雪の向こうですでにバスは待機しています。しかし過去に陸羽西線に乗車した記憶は大してお客さんはいなかったものなので

たまたまやって来た観光用の快速「海里」を眺めるなどして余裕の行動

バス出発の15分前もこんな感じで、まぁ大丈夫だろうと、この後に乗る山形新幹線の発券を行うなどして駅舎内にいました。そもそも寒いので並びたくない

ところが発車10分を切った時点で再び駅舎外に出ると、一体どこから集まってきたのかと思うほどの並びになっていました。考えてみれば、前日、川部駅で実感したように、今は東日本パスと青春18きっぷが重なる時期。人が多いのも当然。慌てて並びに参加しましたが窓際席は確保できない、どちらかといえばギリギリセーフの状況。実はバスはもう1台待機していて、運転手さんが並びの人数を何度も数えていましたが、もしかすると予備車両だったのかも。そんな理由でバスの車窓からの写真はなしとなりました

雪の車窓をながめながら旅を終える

鉄道の時刻表の感覚では大いに余裕があった新庄からの山形新幹線の乗り継ぎですが、バスは若干の遅れが発生。新庄からの新幹線は2時間に1本しかないためヒヤヒヤしましたが、無事間に合いました

こんな機会はめったにないため、指定券は余目で発券。4回まで利用できる指定席ですが、前回と同じくほぼ自由席だったため、今回の旅で唯一の指定席となりました

山形と福島の県境の雪景色を見ながら旅は事実上、終了。東北新幹線の各駅訪問、長年の念願だった羽後亀田駅も訪問できて充実の旅でした

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由利高原鉄道に初乗車5~まごころ列車に見送られ

由利高原鉄道に乗車するとおひなさまの出迎えがあった

2023年3月4日9時40分

「おひなさま」のお出迎え

話は若干前後しますが、曲沢から子吉に迎う列車に乗り込むと出迎えてくれたのは

おひなさま

事前に知識を入れていなかった私はビックリしてしまいました

「おひなっこ列車」で車内は華やかに彩られています。幸運なことに、子吉からの列車も当該車両。矢島から羽後本荘までも、もちろんこちらだったので楽しかったです

さまざまなイベント列車

由利高原鉄道では四季を通じてさまざまなイベント列車を走らせています

私の訪問時はこちらの、おひなっこ列車でした。その他にも「こいのぼり列車」「たなばた列車」「かかし列車」「ハロウィン列車」「クリスマス列車」が季節ごとに運行され、その他にも有料の「納涼ビール列車」「忘年会列車」などが運行されています(詳細は同社のホームページで)

おひなさまは由利本荘市の江戸時代の3つの藩「亀田藩」「本荘藩」「矢島藩」に「ひな街道」に基づくもの

実は今回、矢島藩は四国の高松から転封されたものだということを初めて知りました。高松には2年半ほど勤務していて、それなりに知識はあったつもりですが、高松藩というのは当初から松平家=徳川の親戚の藩だったとずっと思い込んでいました。元々は生駒氏の藩だったものが、幕府のおとがめを受け、引っ越しを余儀なくされたのですね。しばらく当主は江戸にいたそうですが、高松から矢島への引っ越しは大変そうです。有名すぎる栗林公園も当初は生駒氏によるものだったとか。各地を巡ると60歳にして、いろいろ勉強になります

まごころ列車に乗車

雪の中、発車を待つ列車

由利高原鉄道鳥海山ろく線では

矢島発9時40分→羽後本荘着10時21分

羽後本荘発10時55分→矢島着11時34分

の午前中1往復を「まごころ列車」として運行しています(水、木を除く)。アテンダントが乗車して沿線案内をしてくれるほか、グッズ販売や記念品配布もあります

大変にぎわっていました

グッズについては由利鉄中華そばとか欲しかったのですが、鉄道旅のつらいところで、旅の途中では、なかなか荷物を増やすことができません

でも、かわいい乗車記念グッズをいただきました

曲沢駅の項で「鳥海山は見えなかった」と記しましたが、実を言うと初めての地なので、どれが鳥海山か、よく分からなかったというのが実情。アテンダントの方が「残念ながら今日は鳥海山は見えません」とアナウンスしてくれたので分かった次第です

車窓の雪景色は徐々に消え、羽後本荘に到着しました

第三セクターというのは「民業を圧迫する」との理由で副業ができません。駅前や観光地に土地を有していても、そこにホテルを建てて経営する、というのはできないわけです。かつて国鉄を苦しめた理由のひとつでもあります

このため、各地方の三セクでは、さまざまな工夫を行って企業努力をしています。短い時間ではありましたが、そんなことを強く感じ、そして楽しかったひとときでした

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由利高原鉄道に初乗車4~本社所在地の終着駅は木造新築

矢島駅の駅名標

2023年3月4日9時30分

終点は元の矢島町の中心駅

鳥海山ろく線の終着駅である矢島に到着しました。写真で分かる通り、周辺は雪に包まれています。そしてこれもまた写真にある通り、同線の車両基地があります

大きな駅舎は2000年に新たに建てられたもの。新駅舎ながら森林の地らしく木造駅舎になっているのがポイント。最近の新駅舎で木造というのは、なかなかないので貴重な存在です

元々は支線予定

国鉄矢島線時代の駅名は「羽後矢島」で開業は1938年。香川県の観光地である「屋島駅」があったため、国名が冠されたといいます。三セクの鳥海山ろく線になった際に矢島駅となりました

駅は旧矢島町の中心地にあります。平成の合併で沿線はすべて由利本荘市となりましたが、三セク転換時は本荘市、由利町、矢島町の3つの自治体を走っていました。由利町の中心駅が前郷駅で、横荘鉄道の構想では、ここから横手に線路が伸びることになっていて、横手と羽後本荘が線路でつながった際に旅客や木材運搬で必ず重要になるだろう、ということで1922年の羽後本荘~前郷が開業してから15年以上が経って前郷~羽後矢島が開業。いわば支線のように敷設されたのですが、羽後矢島駅の開業直前に国鉄買収され、路線名称も矢島線と決まってしまいました。横手側からの路線は国鉄とはならなかったことが運命の分かれ道ともなり、間もなく戦時体制に入ったこともあり、線路はつながることはなく、横手側からの線路は戦後に廃線となりました

現在の由利本荘市の誕生によって三セクは秋田県と由利本荘市が主要株主となっています

ギネス記録も

今回利用したのは週末に販売される「楽楽遊遊乗車券」というフリーきっぷ。お値段は1100円で羽後本荘~矢島が片道610円なので単純往復だけで十分に元が取れます。沿線の施設や飲食店での割引特典もあり

駅にはギネス記録の記念板もあります。これは2015年11月3日に埼玉県の川越工業高校の生徒さん13人が単一電池のみで動く「電車」を製作。パナソニックの単一電池600個を使用した電車が前郷~矢島間を往復。時速10キロというスピードながら生徒やギネス認定員ら9人を乗せた乾電池列車が22・615キロを走り乾電池車両による20キロ超走行のギネス記録を達成したことを記念したもの。元々、乾電池を使用した電車が普通の線路を走行した例はなく、往復2時間47分をかけて走り切りました

矢島駅にはグッズ売り場もあり、横荘鉄道の開業から100年を迎えたことを記念した6駅の入場券セットを購入。なかなか満足度の高いものとなりました

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由利高原鉄道に初乗車3~駅?郵便局?

子吉駅に入居しているのは玉ノ池簡易郵便局

2023年3月4日8時20分

どこからどう見ても

曲沢から羽後本荘へ戻る形で子吉で下車しました。こう見ると普通の駅の光景と何ら変わりませんが、外に出ると全く異なる風景に出会える

これはどう見ても郵便局以外の何ものでもありません。駅舎の中に郵便局が入居しているユニークな駅です

大正期の開業時に開設

子吉駅は1922年の横荘鉄道開業時に設置された古い歴史を持ちます。長らく旧駅舎が使用されてきましたが2011年に現駅舎に改築。郵便局が駅舎に入居しました

こちらは駅舎内の様子。玉ノ池簡易郵便局が入居しています

土曜日ということで郵便局はお休み。駅の待合室のみの機能。もちろん時刻表や運賃表も掲示されています。集札や出札は行っていないようですが、ぜひ郵便局が開いている時間に訪れたいもの

駅の前を走っている国道からは駅と郵便局、どちらも分かりやすく表示されている

新駅舎が誕生した際に植樹が行われたようで、10年以上が経っているとはいえ、まだ木としては幼いようです

駅を離れます。子吉は羽後本荘から2駅目。羽後本荘まで行って折り返してきた列車なので同じ車両になりますね

駅舎に郵便局が入居する例としては内房線(千葉県)の江見駅もあります

こちらは昨年12月訪問時のもの。その時も残念なことに週末で郵便局は開いていませんでした。当駅は業務委託駅で、郵便局の開いている時間帯は駅業務を行っています

再び車窓は雪景色

このまま終点の矢島へと向かいます

もちろん最初に訪れた曲沢も通過しますが、ふと気付くと

車窓はすっかり雪景色。昨日の午前中に青森県で見た光景に再び会うことになりました。鳥海山ろく線は全長23キロで、それほど長い路線ではなく、真ん中あたりの曲沢でも雪はほとんど消えていたのですが、こんなに景色は変わるのですね。ちょっと感動しました

そして矢島駅に到着です

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由利高原鉄道に初乗車2~農地にポツンとたたずむ駅

2023年3月4日8時

全12駅の旅

羽後本荘駅の0キロポストに見送られて出発です

由利高原鉄道は全長23キロ、羽後本荘も含め12駅の路線で非電化単線。全線乗車しても40分ぐらいの行程です

ほとんど廃線が決まりかけていた矢島線を地元の皆さんの努力で三セクとして生き残らせてから、もう40年近くが経とうとしています

大きなテーブルがあって観光仕様にもなっている。後で気付かされるのですが車両によっては、いろいろな装飾や工夫が行われています

本当に何もない絶景駅

約20分で曲沢駅に到着。三セク転換後に新設された駅で、わざわざ新設するからには学校があったり、会社や公園などの公共施設があって、その利便性を図るためのものが多いのですが、この駅の特徴は「周囲に何もない」ことです

ホームへは道路から通路を歩いて入ります。写真で分かる通り、周囲は本当に何もありません

グーグル地図でも何も記入されていません。地図をいくらズームしても、やはり何もない

1面だけのホームにはポツンと待合室があるだけ

待合室に掲げられた駅名板も年季と風雪を感じさせるものとなっています

駅の設置理由は「絶景」です。360度パノラマ(由利高原鉄道のホームページでよく分かります)で鳥海山の美しい姿がよく見える

「何もない駅」としてテレビで紹介されたところ、話題になりました。1日の利用者は1人とか2人とか。フリーきっぷの利用者はカウントされないはずなので、駅に降り立つ旅客は私のような鉄オタか、撮影をする人がほとんどだと推測されます

ただ、これまた日頃の行いなのか、当日はスッポリ雲に覆われて見えない状態。なかなか行けない場所なので本当に残念でした

それでも最近ならいざ知らず、平成元年にこのような駅を意図的に開設したのは、なかなかのアイデアだと思います

出発の時間となりました。また違うデザインの車両がやって来ました。次の駅に向かいましょう

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由利高原鉄道に初乗車~名称は鳥海山ろく線

羽後本荘駅の駅名標と由利高原鉄道の車両

2023年3月4日7時20分

羽後本荘に宿泊

前夜は18時前に羽後本荘に到着

羽後本荘の駅名標です。そのままホテルへ

一夜明けた羽後本荘駅。朝の7時過ぎですが、曇っていてまだ薄明るい。立派な橋上駅舎が2年前に完成。それまでは昭和50年代に改築されたコンクリート駅舎でした。旧本荘市で現由利本荘市の代表駅。特急も停車する管理駅ですが、前記事の岩城みなと駅の項でも触れた通り、有人ながら窓口はなくきっぷ販売は指定席も発券できる自動券売機となっています

待合室に過去の写真とともに羽越本線の周辺駅の歴史も掲示されています

現在は羽越本線の一部が1922年の羽後本荘駅開業当時は陸羽西線だったことが分かります。そのひとつ下に耳慣れない「横荘鉄道」という文字が見られますが、これこそが今から乗車する由利高原鉄道の元になったものです

スタートはJR駅の一部から

改札内は同じになってしまうのですが、JRと由利高原鉄道は別の改札口となっています。そして由利高原鉄道には窓口はちゃんとある

羽後本荘駅は4線のホームを持っていますが、1~3番線をJR、4番線を由利高原鉄道が使用します。すでに発車準備は整っていますね。会社名は由利高原鉄道、路線名は鳥海山ろく線。JRに乗って当駅に向かうと到着時には「鳥海山ろく線はお乗り換え」とアナウンスが入ります

歴史ある23キロの第三セクター

由利高原鉄道は羽後本荘駅から山中に入り、終点の矢島駅を結ぶ23キロの三セク

国鉄末期の1985年に国鉄「矢島線」が三セク転換されました

歴史は古く、先述した横荘鉄道が羽越本線の全通(1924年)より先の1922年に羽後本荘~前郷を開通させました(陸羽西線から羽越線に名称が改められたのは1924年)。1922年といえば大正11年ですから歴は相当古い

ならば「横荘」とは何なのか、という話になりますが「荘」は羽後本荘だと容易に察しがつきますが、「横」はというと奥羽本線の横手です。横手と羽後本荘の両方から線路を伸ばしてつなげる予定で、横手側からの方が先に工事が始まり、昭和初期までには順調に線路が延びていき、前郷で接続された後の繁栄も考慮されて前郷~矢島も延伸開業されたほどでしたが、日本各地の未成線と同じく、戦時体制とともに工事は中断。その後、線路が結ばれることはありませんでした

路線にとって不幸だったのは、矢島延伸(1937年)間近になって横荘鉄道は国有化され「矢島線」となったにもかかわらず、横手からの路線は国有化されず、名称も羽後鉄道から羽後交通横荘線となったものの、天災などの不運もあって徐々に路線は縮小。1971年に全線が廃線となってしまいました。現在は横手と羽後本荘をバス路線が結んでいます

矢島へ出発

残念ながら時間の制約があって今日は、それほど多くの駅で降りることはできませんが、全線乗車は果たすつもりです

由利高原鉄道側から見たの駅名標は鳥海山ろく線仕様となっています

乗り込むと約20分で

曲沢に到着。ここはぜひ降りてみたい駅でした

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ホームから望む夕陽

岩城みなと駅の駅名標

2023年3月3日16時50分

※時刻表は当時のものです

あまりの寒さに予定変更

大変名残惜しいですが、羽後亀田駅を去ることにします。「町の顔」確かにその通り。バス停のような簡易駅になってしまったのでは悲しすぎるので、いつまでも美しい駅舎であってほしいですね

羽後亀田駅の時刻表。ところどころ空きますが、1時間に1本程度の列車はあります。当初の予定では16時2分の酒田行きに乗る予定でした

羽越本線の秋田~余目間には普通すらも多くが通過する駅が3駅あります。桂根、折渡、女鹿の3駅でいずれもJR移管後に信号場から昇格した駅です。そうしょっちゅう来られる場所ではないので、そのうちひとつでも訪ねておきたい、と思い。羽後亀田のお隣である折渡に訪問する予定でした

時刻表を見ると分かりますが、私が秋田から乗車してきた16時2分は折渡通過ですが、17時31分は停車します。そしてこれが折渡駅の最終列車。ほとんどの普通は通過で1日に上りが3本、下りが5本しか停車しません。ただ羽後亀田と折渡の距離はたったの3キロで、地図を見るとほぼ道路が並行している。これは迷わず40分もあれば十分歩けるはず。つまり羽後亀田から徒歩移動して羽後亀田17時31分発で折渡同35分の列車を捕まえるのです。となれば本日宿泊予定の羽後本荘に順調に着くことができる

という自画自賛的な作戦を考えたのですが、結論からすると

寒すぎてヤメ

元々気温は低かったのですが、夕暮れも迫ってきて急激に気温が下がってきました。駅間徒歩移動には夏より冬の方が絶対に良いと考えている人間ですが、ここまで寒いともう無理です。何より、せっかくの羽後亀田駅ですから、もう少し長く滞在したくなりました

目指すは新駅

そこで1駅戻って岩城みなとを目指すことにしました。こちらも羽後亀田から1駅。ちなみにこの間には二古信号場があります。山中ではなく海と国道沿いの信号場で、誰も住んでいない場所にポツンとある信号場のイメージとは全く異なり周囲には集落もあるように見えますが、70年代に駅から信号場へと降格してからは、JR移管時も駅に戻ることはありませんでした。そのすぐ先にあるのが岩城みなとです

ホームを降りると新しい駅舎が出迎えてくれます。それもそのはず。開設は2001年で旧岩城町の中心駅となるべく新たに開業しました

こちらが駅舎。夕闇が迫っています

駅前にはウェーブ岩城という新しい建物があり、図書館などが入居しています。駅前は新興住宅街となっていて、役場も至近。岩城町の中心機能が集められて新たな駅が誕生した形となっています。岩城町は2005年に周辺の町と本荘市と合併して由利本荘市となりました

道の駅も徒歩圏内で島式の漁港があります

窓口とお別れ

岩城みなとは簡易委託できっぷ売り場があります

ただ、その傍らには

こんな張り紙も。羽後亀田駅と同じく、3月17日で窓口を閉鎖して無人駅となる案内です。由利本荘市の中心で特急停車の管理駅である羽後本荘駅では一足先に指定席発券機能もある自動券売機に移行。そしてこの3月17日をもって岩城みなと、羽後亀田のほか羽後岩谷、西目の計4駅が一斉に無人化されました(羽後本荘は発券窓口はありませんが駅員さんはいます)。つまり市内のJR駅から、すべて発券の窓口がなくなってしまったわけです。時代の流れとはいえ急過ぎます

岩城みなとは海の見える駅でもあります

ホームからの風車と海は駅のみどころでもあります。この日は雨予報だったのですが、雲の合間に夕陽がなんとか顔を出してくれました。晴れた日の夕陽はもっと美しいのでしょうね

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