JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その21~難読駅に改名

8月25日15時45分

漢字4文字の難読駅

明峰から1駅移動で

能美根上駅に到着です。すでにアイキャッチで分かるかもしれませんが、漢字4文字の難読駅となっています

なかなか読めないですよね

「伊勢○○」「長門○○」など国名が先頭に付くものを除くと漢字4文字の駅名にはいろいろ理由があり、2つの地名を合わせたものが多く、こちらもその一例。平仮名だけだと、どんな漢字になるのか想像かつかないかもしれません。むしろローマ字表記の方が間にハイフンが入っているのでヒントになっているかも

ただ当駅の場合、2つの地名を足したというよりも新自治体と旧自治体の合わせ技です。元々、このあたりは能美郡根上町だったものが合併によって能美市となりました。「のうみ」でなく「のみ」と読むのと、元々難読だった「ねあがりまち」の組み合わせとなったことで、この駅名に。ほぼ時を同じくして現在の橋上駅舎となりました

100年以上別の駅名

しかし元から難読駅だったわけではありません。大正期の駅開設から、ついこの間まで「寺井」という駅でした。これはすぐ読めますよね。わざわざ難読にするというのは今風ではありませんが、ここに至る経緯が少しややこしい

寺井というのは「寺井町」という、能美市の誕生によって根上町とともになくなった自治体です。ではなぜ駅名の大幅変更になったかというと、「寺井駅」があった場所が「根上町」だったから。いきさつにはいろいろな説があるようですが、寺井は当駅の東側、国道のあたりです。そして地図を見ると南からやって来た線路は、なぜか国道から離れていくように海沿い(西側)にカーブして当駅に至り、そしてまた国道に近づいていくという不思議な弧を描いています。元々は寺井に駅を設ける予定だったのが、当時の鉄道忌避の空気が線路を避けさせ、駅名だけは寺井のまま残ったという説が有力なようですが、確たる証拠はないようです

平成の合併で誕生した能美市が駅名に能美の名前を入れる(能美市の鉄道駅はここだけ)のと、正しい地名を入れることで現駅名を要望し改名となりました。わざわざ長い駅名にすることをJRもよく承諾したと思います

スーパースターの登場で読める地名に

ただ難読だった地名は一人のスーパースターによって「読める地名」となります。松井秀喜選手。高校時代からスターだった彼の出身地がメディアで紹介される度に「根上町」(当時は単独の自治体でした)が出てくるので多くの人が町の存在を知ることになります

私の訪問時の改札は

これだけの立派な駅舎ですから、みどりの窓口ありです。ただ今回もまた

こちらの張り紙。訪問時は残り1週間でした。入場券を購入

窓口の方が「子供用ですか?」と尋ねてこられました。おそらく入場券を買い求める方が多いのでしょう。それはそれで、ちょっと寂しい気がしました

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その20~JR発足後の貴重な駅

8月25日15時半

ホームだけの簡素な駅

明峰駅で降りました。軽いカーブ状に設けられた駅はご覧の通り簡素な構造。あるのはホームと待合所だけで、もちろん無人駅。地方のローカル線ではよく見かける姿ですが北陸本線では意外と少ない。敦賀~金沢間では、こちらと南今庄だけです。両者に共通するのは戦後生まれということ。それでも南今庄は北陸トンネル建設に伴うコース変更、新線付け替えによる駅で1962年生まれですが、こちらは88年と、とびきり若い。路線そのものに歴史があるため、明治生まれの駅がズラリ並ぶ中、ある意味異色の存在です

果たす役割大きい

88年というとJR移管後です。地元からの要望が多く設置されました。ですからお隣の両駅との距離が近いのも特徴です。ただ周辺は学校のほかにもいろいろあって

なにげに松井秀喜ベースボールミュージアムには駅としては一番近い。まぁ歩く方はほぼいないと思いますし、公式HPでも能美根上駅や小松駅からのタクシーを推奨しています。ちなみに車だと5分ぐらいの明峰駅にはタクシーはいません。念のため

ただ東側の国道に行くとドンキホーテやイオン、ユニクロなども並んでいます。駅の周辺には駐車場が多く、パーク&ライドの利用者もかなりいそうです。高校もあるからでしょうが、動橋と同じぐらいの利用者がいるので新設駅としては成功です

小さな階段を上がってホームに入ります。ホームは土台にコンクリート板という簡素な造りで、これはローカル線でよく見る光景

ホームからはこんな感じ。ICタッチが設置されています。訪問時は8月で夏休み中でしたが、夕方になろうかという時間でホームには高校生の姿が見られました。しっかりお手洗いもあり

若い駅とはいえ30年以上が経っているので、そろそろ年季が入り始めていますね

ユニークなのは

地下道となっている自由通路。改札内の地下通路のような構造です

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その19~ひとつ手前の存在感

8月25日14時40分

大切な駅

西金沢までやってきました。もう金沢までは、あと1駅です。もっとも、この後再び金沢市から出ていくのですが

ご覧のように北陸新幹線の高架下に橋上駅舎が設けられています。1面2線の島式ホーム

特急停車などはないのですが重要な駅です。私が乗車した電車も一番多いのは次の終点・金沢で降りる方ですが、こちらでもかなりの方が降り、そして乗ってきました

貴重な乗換駅

駅舎の外に出ると

屋根付きの通路があり

奥にあるもうひとつの駅まで延びています

ご覧の通り、北陸鉄道の新西金沢駅と目と鼻の先です。もちろん乗換駅

※2枚目の写真は翌日撮影したものです

北陸鉄道は現在、北鉄金沢~内灘の浅野川線と野町~鶴来の石川線の2路線を持っていますが、それぞれ孤立した路線となっています。また浅野川線は金沢駅に乗り入れていますが(北鉄金沢はJRの金沢駅とほぼ同じです)、石川線は野町という、やや街外れ(金沢の繁華街でもあね香林坊までは徒歩10分ぐらいですが)が終点。そのためJRとの唯一の接点が、ここ西金沢で貴重な乗換駅。正式な駅名は新西金沢。なんでも大正時代から、この駅名だそうです。「新○○」という駅名は近年のものとばかり思っていましたが大正期にもあったのは、ちょっと驚き

時間帯にもよりますが北陸鉄道では貴重な有人駅。私はこの日と翌日、現地に滞在しましたが計3回お世話になりました。利用者が多いのは当然です

かつては乗り換えとなる側に駅舎があり、逆側の方は不便でしたが10年ほど前に現在の橋上駅舎となり、両側に出られるようになっています。利用者が多いのですから当然と言えば当然ですね

もちろん、みどりの窓口あり…と言いたいところですが、さる10月いっぱいで閉鎖。無人駅となっています。駅員さんが花束を受け取るニュースが流れていました。まだ1年以上あるのですが、三セク転換はすぐそこまで迫っている実感があります

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その18~新幹線駅かと思う立派な駅舎

前回の補足

前回どうしても言っておきたいと思いながら忘れてしまったことを補足します

昭和の初期以前と思われるこちらの時刻表。下段には貨物列車と思われる時刻も掲載されています。上りにある行き先の「中ノ郷」に注目。こちらは北陸本線の敦賀以南の旧線にあった駅。現在は敦賀以南の車窓のハイライトのようになっていますが、敦賀以北と同様に旧線が存在。ただこちらも峠の難所越えが課題となっており、中ノ郷は山陽本線の瀬野八のように機関車の補機を付ける場所でした。今は廃線となっているので駅は存在しません。ここで名前を見るとは思ってもみませんでした

目を見張る駅舎

8月25日14時20分

美川に到着です

旧美川町の中心駅。駅に降りた景色からは見えませんが、すぐに手取川の河口そして海です

なんといっても、目を見張るのは

新幹線駅かと思ってしまう立派な駅舎。少し前までは入口上の四角の部分からペデストリアンデッキのように通路が出ていて駅前のオブジェにつながる、さらに豪華な景観でした

現在は白山市となっていますが、こちらの駅舎は美川町時代の30年近く前に改築、というかほぼ新築されたものです。駅舎内には「コミュニティプラザ ふれ愛」ちなっていて、イベント広場、地元物販の販売そしてカフェも設置されています

小松うどんを食べたばかりだったので立ち寄りませんでしたが、後でHPを見るとカレー、ラーメンなどほとんどがワンコイン、コーヒーも200円。朝の7時から夜の8時までやっていてアルコールやおつまみも提供されているようです。うーん、しまった。食事は別としてもコーヒーぐらいでくつろいでも良かった、と帰ってから後悔しました

さて毎度毎度、同じような話になってしまいますが旧美川町の中心駅として、みどりの窓口も設置されていたのですが

昨年閉鎖され、今は無人駅となっています。規模を広げるべく造られたであろう改札部分が、ちょっと寂しい

長いホームを持っています。2面3線の典型的な国鉄造り。当駅も明治の19世紀開設ですから歴史を感じます

ホームの新駅舎に面する部分にひっそり埋め込まれたキロポスト。米原からの距離が微妙に合いません。旧線時代からのものでしょうか

とにかく、こちらのカフェに立ち寄る、という宿題が残りましたね

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その17~幻の新幹線駅と貴重な時刻表

8月25日13時

大正時代からの駅舎

この日は小松に宿泊予定だったのでホテルで荷物を預け身軽になってから再び駅巡り

小松うどんをいただきました。雨で涼しげではありましたが夏。それでも温かいうどん。なんだかんだで早朝に家を出てから、かなり時間が経っている。疲れている時の出汁って胃袋を優しく包み込む感じで身体がしゃっきりしますね

オーソドックスにきつねうどんとしましたが、甘さも身体を和らげます。カマボコかわいい

そして

加賀笠間に到着したのは14時。カラフルで一見、コンクリートブロックのように見えますが、瓦屋根の木造駅舎。かなりアルミ補強されていますが、大正期の駅開設からのもののようです

駅名板も格好良いですね

新幹線新駅構想

さて当駅近くでは、長らく新幹線駅誘致が行われていました

北陸新幹線の白山車両基地は、このように至近です。道路で回り込んでこの距離ですから、直線だともっと近い。新幹線の駅は金沢の次は小松となっていました。となると白山市の中心駅である松任からは現在停車している一部特急が姿を消し、優等列車のない都市になってしまう。ただ車両基地だけあって白山市では金沢駅とを行き来する新幹線を見るだけになる、基地を有効利用できないのか、と最初は山陽新幹線の博多南駅のような構想提案からスタート。つまり金沢から1区間だけの路線を造れないのかということです

これに対し、JRがその後の延伸もある、と難色を示したことで、その後は本格的な駅設置運動となりました。結果的には金沢からの距離が新幹線として近すぎる(金沢~松任は普通で10分、金沢~加賀笠間は同15分)、利用者の数が見込めないということで見送りになりました。ただ、その代わりと言えるかどうか分かりませんが、車両基地の北端あたりに北陸本線の新駅である「西松任」が建設されることが昨年決まりました。こちらは普通駅としては意義のあるもので、松任駅から離れている白山市役所や運動公園への最寄りとして機能する予定です。再来年の春に北陸本線のこの部分は三セク化されますが、現時点では北陸本線の新駅扱いです

過去の時刻表が

金沢まで15分ということで住宅街の拡大や学校の存在で利用者は増加傾向、今も1日の乗員は1500人を超える当駅ですが昨年無人化されました

従来の西口だけでなく、東側にも住宅街が増えたということで東口も設置されています

駅舎では、こんなものがありました

かなり以前の当駅時刻表。時間が午前・午後表示なので相当古い。かつて鉄道は普段の生活に基づく午前・午後表示でした。24時表記は海軍で使われていたもの。それが戦時色が強くなるにつれ「頭に午前、午後が付くのは面倒」ということになり、海軍の24時表記が採用され現在に至っています

この「発」という文字は麻雀以外で初めて見ました(笑)。1日10往復だったのですね。行き先も大阪どころではなく明石(西明石ではない)、姫路そして上野も。丁寧に「汽車」と書かれているのを見るまでもなくSLでしょうから、どのぐらいかかったのでしょう。何事もないように深夜運行があります。23時19分発姫路行きとか、10時5分の上野行きとか一体何時に着いたのだろう、と考えているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまう充実のひとときでした

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その16~石川県の入口

8月25日12時半

市役所最寄り、加賀市の代表駅

小松の手前から再び福井側に戻ってきました

福井県側というより北陸本線だと福井県から石川県に入って最初の駅である大聖寺

意外と難読かもしれません。開設は1897年の明治30年

福井県最後の駅だった牛ノ谷は随分ひっそりしていましたが、こちらは大きな町です。というより加賀市の代表駅。市役所の最寄りです。大聖寺藩の城下町。領内にあったのが久谷村。九谷焼は有名ですね

大聖寺駅前のロータリーの石碑と説明文

影響大の特急通過

しかし、市の中心駅でありながらも

動橋駅の項でお話した通り、以前は停車していた特急はほぼすべて加賀温泉に集約され、サンダーバードはすべて通過。停車するのは平日朝夕の通勤用特急と夜の一部しらさぎのみです

加賀温泉駅とは逆で「特急を探せ」ですね。それでも県境の駅として朝には大聖寺始終着の電車が設定されています

これまでも紹介してきましたが、温泉の最寄りだった駅からは北陸鉄道が温泉地を結ぶ鉄路を運行させていました。当駅から出ていた山中温泉への山中線も加賀温泉駅の誕生と時を同じくして廃線となっています

昨年までは、みどりの窓口もあったのですが閉鎖。無人駅となっています。そういえば以前訪れた時は屋根に「大聖寺駅」と大きな文字看板があったのですが消えていました

そんな状況から、駅の賑わいを失わせてはいけないと加賀市が駅舎を取得。改修を行い「大聖寺ゲートウェイ」としてベーカリーカフェや自習室を設けました

付近の高校生にとっても駅を有効なスペースとするためのものだそうです

自治体が駅舎を買い取ったり、管理責任者になるというのは各地で、ちょこちょこ聞かれる話ですが、町のシンボルを有効に残すという意味ではもっと広まってほしいと思います

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その15~広い駅前

8月25日12時

利用者の多い駅

再び石川県に入り、粟津で下車しました。北陸本線の普通電車(敦賀~金沢では現状、快速はありません)の運行は昼間は1時間に1本の運行ですが、お隣の小松から金沢にかけては1時間に2本の運行となります。つまり1時間に1本区間の最後の駅にもなるのですが、ここから小松市に入って利用者は多く1日の乗車数は政府データによると約1500人。さすがに特急停車駅の加賀温泉には勝てませんが、かつては特急停車駅だった動橋や大聖寺は上回っています

十数年前まで貨物駅だったこともあり構内は広く、ホーム構造も2面4線と立派。駅舎も堂々としたものですが入口の「粟津駅」横にあった「JR」の文字はすでに外されていました

戦後すぐの駅舎のようです

温泉連絡駅の役割も

粟津駅の構内にはこのようなものも見られます

当駅は開湯1300年、北陸で最も古いという粟津温泉の最寄りという役割も担っています

粟津温泉まで約4キロ

駅前のロータリーはかなり広い。かつて北陸鉄道の粟津線が当駅から延びていたからです。4キロもないミニ路線だったようです。駅の跡がそのままロータリーになっています

現在は温泉まではバス路線となっています。生活路線でもあるため1時間に1本程度と、かなり本数の多い路線ですが、このバスは小松駅から出ているもので特急停車駅でもある小松からの利用もあるようです。また各旅館の送迎は同様に特急が停車する加賀温泉でも行っているようで、両駅とも新幹線の駅となるため、北陸新幹線の敦賀延伸後は温泉への最寄りという地位はさらに小さくなっていくのかもしれません

それでも利用者の多さから今春までは、みどりの窓口も置かれる有人駅でしたが

今はこんな感じで無人駅となってしまいました。三セク化に向けて早めに動き出しているようです。ただ付近には企業や学校もあり、金沢への通勤通学圏でもあるため利用者自体は大幅に減ることはないと思われます

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その14~県境感あふれる

8月25日10時50分

狭いホーム

牛ノ谷に到着しました。基本的にこの地域は2両編成なのですが、朝の通勤通学時間帯は4両となります。既に昼間時間帯となっていますが、朝の運用を残したままの編成なのでしょう

ご覧の通り、1面2線の島式ホームながら大変細い(狭い)。こちらを特急が1時間に上下2本ずつの割合で通過していくのですから、ホームの真ん中には手すりがついているのもうなずけます

阪急の中津や春日野道のような構造ですが、それらの駅とはちょっと違うのはお客さんの数。1日20人程度なので実際、手すりにつかまって通過電車を待つことはあまりないと思われます。ご覧のようにカーブがあるため通過列車も減速があります

ご覧のように屋根付きの待合所もホーム上にあるため、ここで待つこともできる。この日は時折雨がパラついていたので私もお世話になりました

福井県最北の駅

すぐに牛ノ谷峠があって石川県との県境です。裏手はほぼゴルフ場で、これもまた温泉+ゴルフがセットになることの多い、この地域らしいのですが地図上では他にめぼしいものは見当たりません

当駅は元々、信号場として開設。その後、駅に昇格しました。前回した細呂木は越前、加賀という昔の国としての境でしたが、こちらは鉄道としての境です。もちろん福井県最北の駅

駅舎へは跨線橋ではなく構内踏切で入ります。こんな景色だけ見せられるとローカル線の単線区間を想像してしまいますが、れっきとした複線電化区間。ちゃんと遮断機が付けられているのは、特急の運行が多く通過列車の危険性があるからでしょう

ちゃんと駅舎があっていいですね

立派な瓦屋根の駅舎です。春からの各駅訪問で気付いたのは車寄せ部分の柱の強化です。乗車はICタッチだけで券売機はありません。飲料自販機はあります。周囲には何の店舗もないので助かります。この日は夏とはいえ雨模様だったので、お世話にはなりませんでしたが

駅前では車がしっかり転回できるようになっています。ダートですけど。中央の電信柱が何とも言えません

駅前はこんな感じで民家がポツポツ。すぐ向こう側を国道と北陸自動車道が走っているのですが、森に包まれて見えないため車のエンジン音だけが響いています。もうお昼に近いですが「コケコッコー」とどこからともなく何度も聞こえてきました

逆側から見るとこんな感じ。県境の駅って素敵なものが多いですよね。それぞれ雰囲気は違いますが同じ北陸本線なら新疋田、山陽本線の三石、高徳線の阿波大宮…どれもいいです

接近音「エリーゼのために」が鳴り響いて貨物列車が通過していきました

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その13~鉄道以前の重要地

8月25日10時40分

静かな駅で降りる

動橋から加賀温泉も越えて4駅上り電車に乗りました。つまり福井方面へ逆戻り。この時間帯になると1時間に1本の運行ですから行ったり来たりしながら駅を回っていきます。ここは再び福井県。今回は芦原温泉~金沢間の全駅訪問

細呂木です。加賀温泉、動橋と比較的、町の中の駅でしたが、このあたりは山中。駅名標に見える牛ノ谷が福井県の最後の駅となりますが、細呂木駅近辺も静かです

地図には関所跡も入れました。こちらについては後述します

鉄道写真の有名地

春に回った福井県内の駅で何度か触れましたが、こちらの駅舎も1948年の福井地震で全壊。再建されています。現在の造りから想像すると、おそらくもっと横に長かったものが縮小されたのでしょう

1面2線のホームからは跨線橋で駅の出口に向かいますが、屋根の感じから駐車場になっているあたりまで駅舎があったのではないでしょうか

跨線橋から見て左がホーム、右が駅舎です

動橋が無人駅になった1970年ごろ、こちらも無人駅になっていて待合室から駅への入口にポツンとICタッチが置かれています

こちらは逆側(ホーム側)からの景色。当駅付近はレールがカーブを描いていて、有名な鉄道撮影地でもあるそうです

本来の細呂木は少し離れている

さて駅名はかつての細呂木村にちなんだものですが、その地名(住居表示)は今も残っています。地図で見るとレジャーで知られる北潟湖あたり。現在、北陸自動車道も国道8号も線路の山側を走っていますが、昔の北国街道は北潟湖のあたりを通っていて、越前と加賀の国境に越前最北の宿として細呂木があり、国境につき関所が設けられていたようです。車で5分ほどですから2~3キロほどでしょうか。旧国鉄の駅と街の中心部が離れているのはよくあることですが、ここでも線路が離れているため駅は、やや街外れに設けられたようです

当駅の設置も古く、動橋と同じ明治30年(1897年)と19世紀です。当時は今よりさらに山深い環境だったはずですが、それでも駅が設けられたのは細呂木という地の重要性からでしょう

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JRのうちに…北陸本線各駅を訪ねる その12~加賀温泉駅誕生の理由

8月25日10時

お隣の難読駅へ

加賀温泉のお隣である動橋にやってきました

かつての町名ですが、なかなか難読です。まず「いぶり」のハードルが高く、次の「はし」も「ばし」と濁って読んでしまうことが多いのではないでしょうか

片山津温泉、山代温泉への最寄り駅で、かつては温泉まで北陸鉄道も当駅から出ていました

かつては特急停車駅

しかし、こうして見ると加賀温泉駅からも、かなり近い。そこに今回のテーマがあるのですが、かつては温泉へのアクセスもあり特急停車駅でした。ところが現在の加賀温泉駅である作見をはさんだ大聖寺も山中温泉、山代温泉へのアクセス駅だったことで、両駅の地元では北陸本線に特急が登場したころから誘致(停車)合戦が起こり、千鳥停車(交互に停車すること)や両駅に停車など、いろいろなパターンが試されてきましたが、そのうちに特急の両駅停車はおかしい、という話になっていきました。一駅挟んではいますが連続停車のようなものです

特急の連続停車については武生、鯖江の項でも触れました

今となってはなんてことないのですが、当時は特急停車はひとつだろう、という空気で、となると二択を迫られた形となった国鉄は1970年に

中間の作見駅を加賀温泉駅と改称。特急停車駅とした上で動橋、大聖寺の両駅は特急通過駅とする

という形で解決しました。なかなか思い切った作戦で当然のように地元では猛烈な反発があり、加賀温泉駅のスタートは当初予定より遅れてしまったようですが、この解決策がヒントになったのか、似たような話は上越新幹線の燕三条駅設置でもありました。ただ単純に温泉地を訪れる利用者目線だけなら「加賀温泉」という分かりやすい名前の駅だけに特急が停まった方が分かりやすいのも確かです。まだまだ北陸自動車道なんてない、温泉訪問は鉄道で、の時代です

その後の動橋駅

動橋は明治期に誕生と歴史は古い。おしゃれな階段とか特急停車駅の風格を持っています

財産票によると窓のアルミ補強などされているものの現在の駅舎が生まれたのは明治30年というから、まだ19世紀です

ちなみに加賀温泉駅がスタートする時、旧来の作見駅より少し動橋寄りに駅が移動して設置されたそうで、そりゃあ動橋とも近くなります。特急も通過するようになった当駅は、かなり早めに無人駅となっています

かつての優等列車停車駅とあってホームは長い。そして今はきたる三セク化に向けて準備が進んでいるようです

駅名板の「動橋駅」の上が不自然にぽっかり空いていますが、ここには「JR」の文字が入っていました

ただ今も利用者は比較的多い駅です。駅舎の中には

駅の年表がしっかり残されていました。じっくり読めるものですよ

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