中萱駅の駅名標

※訪問は2024年9月9日

読める?読めない?

再び松本駅方面まで戻ってきた。とにかく松本~信濃大町の本数が比較的多い区間の駅から先に回収しておかないと、急激に本数が減る信濃大町以北の駅をじっくり回るわけにいかなくなる

ということでやって来たのは中萱駅。難漢字を使用する難読駅で読めない方も多数いそうだが、関西の人間はかなり読める。特に京阪を日常的に利用していると読めるはずだ。大阪府寝屋川市に「萱島」(かやしま)という駅があり、難読駅クイズにしばしば登場するが、大阪市内からの折り返し電車が多数設定されているため、萱島駅に用事がない人でも自然に覚える。またホームを萱島神社の御神木が貫いていることでも有名。「かや」と「がや」で濁音の有無はあるが「なかがや」と何となく読めるはいずだ

スポンサーリンク

社務所風の駅舎

1面のみの棒状ホーム駅だが、駅舎は一目見ると忘れられないものとなっている

社務所風のつくり。当駅は1915年(大正4)の開業。同年1月に現在の北松本~豊科が開業。やや遅れて5月に当駅が路線内に設置された。遅れて設置された駅ではあるが、旅客のみならず貨物の取り扱いも行われていたようだ

現在の駅舎は国鉄末期の1986年に改築されたもの。近くの貞享義民社を模したもの

駅前に石碑があり

解説文を読めば、事情はすぐに分かる

多田(なかがや)加助は当地で庄屋も務めていた。貞享3年(1686)、不作が続くにもかかわらず重い年貢を課され続けた農民のため、減免を当時の松本藩に願い出たところ、何千人もの農民が松本城へと押し寄せる一揆へと発展。藩はこの願いを聞き入れたものの、1カ月後に約束を反故にするばかりか、加助を含む28人が捕えられ処刑された。刑死の際に「恨みを晴らす」と加助が絶叫した際、松本城が傾いたという伝説も残る

後に藩主が変わって加助を義民として復権。加助らを祀った加助神社が後に貞享義民社となった。周辺には義民ゆかりの地が今も残り、地元で伝説が大切にされ続けたことが分かる。現在の駅舎は一揆から300年の節目に行われた300年祭を記念して改築されたものだ

午前中は簡易委託駅

あらためて中萱駅

訪問時は夕刻で窓口は閉まっていたが、有人駅となっている

午前中のみ駅員さんがいる簡易委託駅。単式ホーム構造ながら、松本まではわずか8・4キロ。当駅周辺から松本市への通勤通学も多く、1日に約700人が利用する駅となっている

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

スポンサーリンク



      </section data-src=