きっぷ

参宮線、今のうちに~田丸駅と最後のお別れとSL

田丸城の歴史解説板

1月7日14時10分

3ヶ月ぶりに再訪

年が明けて田丸駅を再訪。最後のお別れをしてきました。連休中でしたが何かイベントがあったのか高校生が多数下車していきました

前回も紹介しましたが惜別のメッセージがズラリ

駅前のロータリー。ちなみにタクシー会社もあります

駅前にはかつての旅人のオブジェがあります

江戸時代の当地は紀州藩(広大だったのですね)で各街道の合流点。お伊勢参りを終えた旅人は各街道を経てそれぞれ帰路または次の目的地に向かったそうです。合流点、分岐点として田丸宿は大いに栄えました。にしても、文字にすると簡単に「熊野詣」となりますが、えらく遠い。吉野、高野にも向かったと書かれていますが、現在、車で向かっても何時間もかかりそうな距離です

ちなみに翌日、名松線に乗って伊勢奥津駅も訪れたのですが、そこで見たものは

田丸にも記されていた伊勢本街道の解説。こちらは大阪へと向かう道で田丸宿もあります。現在のJRや近鉄の駅名と同じものも見られ、こういうものを見ると鉄路が敷かれた理由や、途中で未成線となった名松線のように敷かれようとした理由もよく分かります。ただ多気の次が奥津とは…。ここは歩くだけで1日かかりそうです。昔の人は皆さん健脚だったのですね

珍しく周辺散策

次の列車まで1時間あります。ということで今回は珍しく観光というか周辺の散策を行うことにしました。幸いなことに駅は玉城町の中心部にあるので城跡の訪問も含め、ちょうど良い環境です

5分ほど歩くと

町役場(右手の建物)と保育所が見えてきます。堀の内側に建てられているのが分かります。役場の向こうはすぐ城郭への入口です

登っていきましょう

相当な攻防の歴史があったようですが、各地の城郭と同様に明治維新とともに廃城となり、現在は城跡となっています

坂を登っていくと玉城中学校

駅から学校までは徒歩10分ほど。こうして見ると学校は完全に城の中です

写真で見るとよく分かる

そして天守の場所へ。途中、この季節とは思えない薄着のご婦人2人連れとすれ違いました。私より明らかに年上です。地元の方で日課なんでしょうね。お元気です。ここまで簡単に登ったように書いていますが盛夏だったら、途中で引き返したかもしれません(笑)

石垣の上に天守があったのですね

眺望は素晴らしい。桜の季節は華やかだろうし、四季それぞれの顔があるのだと思いました

SLは北海道から

城から降りていくとSLが展示されていました。もちろん静態保存ですが屋根もあって状態はとてもいい。てっきり参宮線で活躍していものかと思ったら

北海道で活躍していたものが町政80周年でこちらにやってきたそうです。確かにそう言われると先頭部分には雪かきが付いていて納得。初めて知ったのですが昭和13年から19年までの6年間で382両も製造されたのですね。戦時下の需要がうかがい知れます

参宮線では昭和48年つまり1973年までSLが走っていたと記されています。これも初めて知りました。私は67年から72年まで三重県で幼少期を過ごしていて、つまりはSLがバリバリの頃に県内にいましたが、住んでいたのは名張という近鉄しか走っていない町だったので全く知らなかったというか縁がありませんでした。ただ私が名張にいるころに近鉄は鳥羽まで延伸して賢島まで直接行けるようになり、近鉄特急もバンバン走っていました

参宮線の歴史については後述しますが、近鉄の鳥羽延伸が大きなダメージを被ったという事実は知っていたものの、まだSLが走っていたとは初耳です。郷愁というより近鉄特急にSLでは、とても対抗できないな、と思ってしまいました

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参宮線、今のうちに~このために来た

田丸駅にはさよならメッセージがビッシリ書き込まれていた

2022年10月29日10時10分

いよいよメインイベント

宮川からひとつ戻って田丸駅に到着。この日は6時24分名古屋発の列車に乗り、亀山経由で参宮線に入り、出発すらすでに3時間半。車内でウトウトする時間帯になっていますが、しっかり目覚めた。ここに来るためにホテルを早めに出てきたのですから

跨線橋を昇り降りして、まずは駅舎を拝見

うーん、これはほれぼれするような立派な駅舎だ

駅名板は宮川の巨大ホーローに対して、こちらは筆書き。かなり古いものであることは間違いない

柱は赤く塗られています

財産票によると大正元年(1年と書かれているところがまたいい)ですから1912年。昨年で110歳の誕生日を迎えたことになります。駅の開設は宮川まで線路が伸びた1893年なので、1回改築されていることになります

100年以上の歴史。間もなく姿を消す

田丸駅の所在地は三重県の玉城町。駅の開設時は田丸町で、伊勢神宮への要路となる当地の田丸城は古くから攻防が繰り広げられ、江戸時代になってからは、お伊勢参りの宿場町として栄えました。駅の設置も当然だったのですが、この歴史ある駅舎がなくなる、というのが今回の訪問の趣旨。その時点では解体の時期を知らず(今年の春ごろとされる)、慌てて駆けつけたのでした

玉城町には鉄道駅は、ここひとつしかなく町でも風格のある駅舎を引き取っての保存、管理も検討されたそうですが、調査の結果、耐震性に問題があるとされ、やむなく解体となりました。建て替えを行い、空洞の超簡素な駅舎にはならない予定です。現在、駅にあるものが、いくつか残されるといいですね

有人駅として10年前まで頑張ってきましたが、現在は無人

駅舎内の細かい造りに目が行きます

レンガの土台の上にコンクリートそして、その上に木造駅舎というのも独特な造りのようです

実は年明け早々にも最後のお別れのため再訪問してきました

駅舎内に設けられたメッセージボードには感謝と惜別の文字がびっしり書き込まれていました

参宮線については近鉄との比較や詳細な現状をさらにゆっくり見てから記事にしようと思っていたのですが、解体間近ということで今回の紹介となりました

まだ少し時間はあります。ぜひ田丸駅に足を運んでみてください

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参宮線、今のうちに~大みそかに開業した駅

宮川駅の柱駅名標

2022年10月29日10時

最初の終着駅、伊勢神宮参拝の拠点として栄える

前日、名古屋に宿泊した私は早朝から関西本線、紀勢本線といくつかの駅を巡りながら10時前に宮川で降りました

宮川駅の歴史は古く、開設は1893年というから明治26年。そして開業日が12月31日の大みそかというのが、特別な駅だということを物語っています

年明けを目前にした大みそかに開業というのは、あまり聞いたことがない。ただどんなに遅くても新年を前にスタートする必要があったのです

こちらが伊勢神宮参拝の「最寄り駅」となったからです

現在も伊勢市駅つまり伊勢神宮の最寄りまで徒歩で1時間近くかかります。そして鉄道の工事は宮川に阻まれ、やや遅れ気味でしたが日本に初の鉄道が走ってまだ21年しか経っていません。車なんてまだまだ。そんな時代に徒歩1時間の場所まで行けるのですから、当時としては画期的なこと。参拝の拠点駅として大いににぎわった記録が残っています。伊勢神宮への参拝は当時の人々にとって大きなイベントだったのですから

面影が残る。ビッグホーローも

木造駅舎が残ります

財産票によると昭和になってあらためて再築されたもののようですが、駅前のロータリーの大きさにも名残が感じられ

跨線橋から構内を眺めた様子。カーブ状にホームが設けられていますが、規模は大きい。駅舎新築のタイミングでカーブも緩やかになったようです

そして長い。参宮線が延伸された後も長大列車の到着や行き違いがあったため、構内は広いものとなっています。長大列車対応でホームの外まで複線区間が伸びています

そして何と言っても

この巨大なビッグホーローの駅名板。とても価値のあるものだと思います

ただそのように栄華を誇った宮川駅ですが、国鉄時代の末期に早々に無人化されています。参宮線そのものが近鉄に圧迫されたというか、伊勢や鳥羽に向けての導線として大きく水をあけられたためです

参宮線の沿線はどこも名所が多く、こちらも駅に隣接して離宮院跡があります

無人駅となっているため駅舎と逆側にある離宮院の側にも出入り口が設置されています

写真でお分かりのように参宮線にはIC乗車は導入されていません

実は駅リポートしては不完全な状態なのですが、早めに紹介しなければならない事情があります。また歴史と格式としては指折りともいえる参宮線について次回以降も報告させていただきます

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終日の沼にはまる~トリを飾るのにふさわし過ぎる駅だった

信濃川島駅の縦駅名標

2022年10月23日16時30分

降りたのは私一人

中央本線の新線と旧線の環状線。ようやく最後の駅

正確には16時36分で降りたのは私一人。というより、手前の小野でほとんどの人が降りてしまいました

もう少しいい角度の写真を撮りたかったのですが、ご覧の通り黄色い線がここ。ホームが狭くて角度がつけられない。そして駅名標が2つ並んでいます

川岸にも残っていた旧式のものと

観光仕様のもの。わざわざこれが作られた理由は分かりませんが、JR東日本のすべての駅にある標準的なものは設置されていません。というより、2つ並べて置かれることの方も珍しいのですけど

ホームからの景色は

こんな感じで自転車置き場がポツンとある以外は、何もありません。ただ目の前の国道153号は塩尻と伊那を結ぶ重要道路なのでひっきりなしに車が往来します。生活音は全くなくエンジン音だけが響くローカル線の駅でよく見かける光景だといえます

ただここまでは車窓からも見られる。この後、私はひたすら感嘆することになります

驚きの連続

当駅の住所は辰野町大字上島。まとまった集落ははここから南へ10分ほど歩いたところで上島の街はさらに南側にある。両隣の辰野と小野が明治の敷設時に開設された駅であるのに対し当駅は戦後10年が経ってから。辰野と小野のちょうど中間点に設けられていて上島の集落に接した場所に駅を作ると辰野までの距離が近すぎて運行上、あまり役に立たない(すれ違いがしにくい)と考えられたとしか思えません

自転車置き場にはポツンと1台。これはホームから見て分かりましたが、ホームへの階段の向こうにポッカリとトンネル。入ってみます

ホーム下のトンネルをくぐるとすぐ右手の階段を昇るようになっていて、すでに撤去されたホームへ向かうのですが、そこには何と

駅舎があります。一瞬、物置か倉庫かと思いましたが、奥には電話ボックスも見えるので、これは駅前ロータリーなのでしょう

ちゃんと駅名板もあるし

もちろんドアも開いて中もきれいに掃除されています。椅子も設置されているので駅舎です。というか正確には待合室なのかもしれません

振り返るとこんな感じ。駅舎(待合室?)側にはかつてホームがあり2面2線構造だったのですが撤去されてしまいました。ホームの撤去はよくある話ですが、普通は駅舎側が残される。その意味では驚きです

ちなみに駅舎側もひたすら農地で、民家がポツン、ポツンと見えるだけ。なぜこのような構造になったのか不思議ですが、個人的な推測としては国道153号の源流となっている三州街道の旧道は、この地点では駅舎側を通っていて、駅の設置時点ではこちら側に比重が置かれていたのではないかということ。そのうち153号側が重要になっていき現在のホームが残ったのではないでしょうか。国道まではロータリーというより小さな未舗装の道があるだけだもの

ある意味の斬新さ驚いて再びホームに戻ります

駅舎が逆側にあるということで時刻表はホーム入口にあります。形状からすると駅名標だったのでしょうか。奥に待合所も見えますが、その位置まで車両が到達することはなさそう

さらにこの駅にはキロポストが2つあって驚く

岡谷からの13・9キロの下の部分が消えてしまったのか

ホームの勾配標の向こうにはもうひとつキロポストがあって、こちらは新線ができる前からのもののようですが東京駅からの距離とは微妙に合いません。神田からのものでしょうか

ちなみに現状、中央本線で唯一、すれ違いのできない駅となっています。また利用者ですが、私の使用している資料だとデータなし(汗)。ウィキペディアには乗員8人と記されていたので乗降16人ということになります。17時4分発の電車がやってきました。私はこの30分間、駅を独り占めです

生活音のない中、アナウンス音だけが響きます。電車は既に点灯。これに乗らないと大変というか、ちょっと夜の当駅にポツンと一人1時間半は怖いかも。秋の陽が落ちるのは早く、東塩尻信号場付近ではもう真っ暗で何も見えませんでした。思いつきから終日の新線旧線環状線の沼にはまってしまい、モバイルバッテリーも残り0%になってしまいましたが、最後の最後で良い光景に出会えました。とても満足です

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終日の沼にはまる~塩尻の思い出

10月23日15時30分

懐かしい写真

再び塩尻駅へ戻ってきました。今日、塩尻のホームに降り立つのは4回目です。朝の10時に着いて、そこから6駅を訪ねるのに5時間半が経過してまだ終わっていない。岡谷については特急利用しているにもかかわらずです。実に効率の悪い行動をしている。もっと早く新線と旧線の環状線回りを思いついていたら、本数の多いみどり湖は後回しにするとか、いろいろやりようはあったのでしょうが、しょうがない。ここで50分の待機

塩尻駅というば、ここですよね

日本で唯一のホームぶどう園。ただ長大な塩尻駅のホームの端にあるので自分が利用するホームが別だと結構遠い

私が初めて塩尻駅に降り立ったのは今から30年ぐらい前のことでした。駅を降りたら相当な積雪。翌朝の仕事に備えて前日夜に入ったのですが、雪の中の業務でかなり大変でした。ですから鉄道関連の思い出は全くありません

次に訪れたのが、それから20年近くが経過した2011年の9月。この時は休暇で新宿からあずさに乗って小海線をウロウロして諏訪湖近くに宿泊。翌日は松本に泊まって塩尻まで戻って今回主役の旧線を経て辰野に行き、ひたすら飯田線を南下。途中で疲れてしまって飯田に宿泊しました

その時、塩尻で乗車した電車は今も明確に覚えています

郵便車を改造したクモハ123系。今は宇部線や小野田線の運用として有名ですが123-1から123-6までがあり、新線ができて旧線が支線扱いになった時にやってきたのが、この123-1。そのままJR東日本の所属となりました

ただそんな事情は後から知ったことで、いきなり目の前に現れてビックリ。今は技術が進んでいますが、当時は電車というのは床下に入れるものが多く最低単位が2両とされていた中、郵便車を改造して1両単行として宇野線で走っているのは高松に住んでいた時に見ていましたが、JR東日本が1両だけ所持しているのは知らなかった

2から6までは今も宇部線や小野田線で現役のはずですが、トップナンバーのこちらは今はありません。フォルダを引っかき回しても、この写真しかないということは1枚しか撮っていなかったのかも。もっと撮っておけば良かった。今としては惜しいことです

待合室では120周年のちょっとした写真展が行われていました

こういうものを見ていると時間はすぐに潰せます

帰路も決定

そして帰還コースも決まりました。朝の時点ではいろいろ考えていて大糸線を抜けて糸魚川から北陸新幹線→北陸本線、乗り放題なので新型あずさで新宿まで行っての東海道新幹線、あずさを甲府で降りて身延線→東海道新幹線などなど。ただ飯田線で豊橋まで行って…というコースは頭の片隅にもなかった(笑)。話としてはおもしろいけど、そもそも家までたどり着くのかという話ですよね

ただこの時間になってしまうと中央本線の名古屋経由というノーマルなルートしかありません

早めにきっぷを確保しましょう。乗り継ぎ割引があるのでエクスプレス予約は使いません

週末や行楽シーズンの夕方以降の名古屋行き特急「しなの」は、いつもめちゃくちゃ混むのでヒヤヒヤしましたが、何とかこの時点では数席空いていました。私が乗る時がたまたまそうなのか分かりませんが、しなのって当日のきっぷ需要が多いようで前日のシートマップで楽勝、と思っていても、いざ乗ると人だらけということが多い。この日も乗車すると自由席は座れない人もいる混雑だったようです

ともあれ、座席も確保できたことで最後の信濃川島に向かいます

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終日の沼にはまる~車窓を含め見どころの多い小野駅だった

小野駅の駅名標

10月23日14時30分

信号場跡と盆地の一望は必見

電車のダイヤの悪さなど諸条件が重なって、たった4キロお隣の信濃川島訪問が2時間後になってしまいました。実際の私の行動は、ここにいてもしゃーない、と40分後の塩尻行きで1時塩尻に戻ってしまうのですが、中央本線旧線の見どころなどもお伝えしたいと思います

東京方面からやって来た線路は松本盆地を目指す上で、いずれにせよどこかの峠を越えなければなりません。明治期に選ばれたのは善知鳥峠でした。「うとう」は海鳥(PCで入力すると一発変換できました)で山中に迷い込んだヒナを追って親鳥がここまでやってきたという言い伝えによるものですが、当時の敷設技術なのでできるだけトンネルを造らないように線路は行きます。峠越えのため、塩尻と小野の間は駅間が10キロもありますが塩尻から来ると車窓左手に盆地が一望できます。盆地が一望というと松本から篠ノ井線を北に行った姨捨駅が有名ですが、それに似た感覚があります。少し残念なのは森の木が多すぎて全面展望とはいかないところですが、それでも一見の価値はあります

そして姨捨といえばスイッチバックですが、ここにもスイッチバックがありました。単線区間で駅間が10キロもあるため、どこかに信号場(すれ違う場所)を設置しないと列車本数が増やせないと昭和になって設置されたのが東塩尻信号場。そしてせっかくだからと戦後は臨時駅(国鉄では仮乗降場と呼んで北海道にはかなりあった)のようにして付近の住民が旅客利用もできるようにしていました

ここで以前記事にしたみどり湖駅近辺の地図をもう一度

かつて信号所があったあたりは旧線と新線が接近していることが分かります。みどり湖駅の設置は信号場廃止による利用者救済の意味もあったようです

塩尻からの車窓では右手となりますが、その跡は廃止から40年が経ってもしっかり残っています。ホーム跡も残ります

ホーム跡は明確には写っていませんでした(謝)。ぜひ乗車して確認してください

小野宿で栄える

さてようやく小野駅です

かつては小野宿として栄え、明治期の線路敷設とともに駅も設置されました。駅前は国道です。屋根の文字が国鉄ぽい

入口の駅名板の雰囲気は縦と横で異なりますが川岸駅で見たものと同じ。同時期に付けられたものなのでしょう

簡易委託できっぷを発売していますが15時までのようで、駅でボーッとしていると「閉めますがきっぷはよろしいでしょうか?」と声をかけてくださりました

こんな文字がありました

さて実際の私は訪ねていないのですが、行けば良かったと激しく悔いたことを紹介しておきます。当駅から徒歩10分のところに神社があります

小野神社と矢彦神社という2つの別の神社が並んでいるのです。しかも矢彦神社については神社だけが辰野町の飛び地になっていて、なかなか興味深い。私は寺社仏閣については詳しくないし、実際に訪問もしていないのでこれ以上のことは語れませんが、40分後の電車でわざわざ塩尻まで戻って、そこで1時間の時間つぶしをするのなら参拝してみたかった。帰宅してから知っても遅い。思いつき旅で駅と線路の点と線ばかりだけ見ていると、こんなこともあります

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終日の沼にはまる~アジフライが導き出した答えは?

塩尻駅の3方向駅名標

2022年10月23日13時30分

18きっぷでも行けるんじゃない?

みどり湖から1駅。塩尻に戻ってきました。みどり湖駅にあった料金表が残像として残っています

新線と旧線の「環状線」7駅のうち5駅は訪問しました。今回はここで打ち止めにして塩尻以北の駅を訪問する手もあるし、せっかく特急も乗り放題のチケットを持っているのだから、先ほどはたった7分で終わったあずさにもう少し乗ってみたい気もします。ただあと2駅かぁ、となるとここで終わるのもハンパな気がする。そもそも残る2駅へのダイヤが薄いのです。なかなか悩む。いずれにせよ次の旧線は14時19分なので腹ごしらえ

アジフライ定食のお供に時刻表という、いかにもオタクな行動に店員さんに「どこに行かれるのですか?」と話しかけられるほど(笑)

そもそも「環状線回りは青春18きっぷで十分では?」という前提がある。いっぱい新幹線に乗ったので既にきっぷの元はとっていますが、目一杯優等列車に乗るのが普通の思考というもの

しかし一昨年にはグリーン車も含めて乗り放題というJR西日本のきっぷ(グリーン車は回数制限あり)で大糸線のJR西日本区間の全駅訪問や越美北線の駅巡りという、意味不明な行動を行った私としてはここで決断

残る2駅を訪問することになりました

悩ましいダイヤ

ただ問題は前述したダイヤです。この時間帯は2時間に1本程度の運行しかありません。岡谷から回り込もうとも、途中駅はたった2つで結局は、このダイヤに巻き込まれるのですから、あまり意味はない。唯一の希望は小野と信濃川島の駅間が4キロと徒歩でも何とかなりそうなこと。こちらも峠越えとなっている旧線は塩尻~小野間は10キロもあるものの、小野~信濃川島は比較的短い。こういう可能性もあるかと先ほど辰野から塩尻を目指した際、車窓を凝らしていたのですが、線路にほぼ並行して国道が走る理想のコース。それほど急勾配は感じず、特に小野から信濃川島を目指すと緩い下り坂になっていました。季節的には歩くのも、そう苦にはなりません

線路と国道が一体していて歩いてください、今日のような秋晴れの日はウォーキングしてください、と言わんばかりのコースですよね

しかし塩尻から辰野へ行って折り返してくる列車は20分ほどの滞在で戻ってくるため、これから乗車しようとしている列車は小野に14時32分着。辰野から折り返し塩尻行きとなる列車は信濃川島発15時10分なので38分後の発車。小野駅で写真を撮ったりしていると、少なくとも3分程度は消費するので30分ちょっとしか残らない計算です。4キロを30分ちょっとは相当なダッシュが求められるので、この案は却下。となると2時間以上のロスタイムが出てしまいますが残る希望は比較的大きな町である小野駅にタクシーがいること。だったら余裕です。自分のルールとしてタクシーは最後の手段ですが、これはやむを得ない。たいした料金にはならないはず

ということで

小野駅に到着。かなりの方がゾロゾロ降りました。簡易委託で駅員さんもいるようですがフリーきっぷなので出入りも自由だとばかりに、まずは駅を出てタクシーの存在を確認

××ハイ、いませんでした(泣)

駅前にかつてのタクシー会社の建物らしきものはありましたが、現在は営業していないようで辰野から呼ぶ必要があるようです

ということでじっくり小野駅を観察することができる時間が与えられました(苦笑するしかない)

かつては2面3線だったことが分かります

その先には立派な保線車両が停まっていました。こんなに間近で見るのは初めてです。時間もあることだし動くところも見られないかなぁ

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終日の沼にはまる~「みどり湖経由」って何なの?

みどり湖駅の駅名標

2022年10月23日12時30分

思いつきが後々に…

結果から先に言うと

この日は地図に表示された「中央本線の新線と旧線の全駅巡り」をすることになりました。塩尻と岡谷の乗下車は特急停車駅でもあり何の問題もないのですが、想像以上に難易度が高い。結果的に「終日の沼」にはまることになりました

ただ今日中に帰らなければならない、お昼すぎのこの時点でも私はそんなことは考えていなかった。最初の2日間が時刻表とにらめっこしながらだったので、最終日はいつぞやの高山本線のようにケセラセラで行こうと思っていました

そもそもJR東日本の駅なのにJR東海の車両ばかりがやって来る川岸駅に来てかなり満足していました。次は駅から離れるわけですが、岡谷~駒ヶ根間の飯田線は昼間は大体1時間に1本ぐらいで運行されているわけですが、私の訪問時間帯は、岡谷行きが2時間空く。次にやって来る電車は12時34分の辰野方面で辰野で旧線の塩尻行きに連絡するので、こちらの方が早く塩尻に行けます

「とりあえず塩尻に戻るか」てな感じで辰野で乗り換え。旧線の車窓を若干、気にしつつ次の訪問をみどり湖にしました。ああ、このときに旧線の駅でひとつでも降りていれば…それは後で後悔したことなので、その時に触れます

三河安城のように連呼され気になる駅

「みどり湖経由」という言葉をよく耳にします。新線を行きますよ、という意味なんですが、特急に乗ると停まりません。東海道新幹線に乗った際の三河安城のように妙に気になる。では行ってみようとなりました。塩尻到着は13時6分。中央本線上りは13時12分なので、すぐ発車です

1駅なので、たった4分で到着。乗車電車は…

ご覧のように再びJR東海車。飯田線へは岡谷始発以外にも中央本線からの乗り入れがあります。4本が東側から、3本が西側からで私は、その西側からの1本にたまたま乗り合わせたわけです。こちらは松本始発で飯田へ向かうもの。グルリ1周して再び川岸に行けるわけですね。さすがに行かないけど(笑)

そのみどり湖駅

駅名は近くにある人造湖にちなんだもの。駅の住所は「塩尻市大字上西条道畑」と随分漢字が並ぶものですが、1983年の新線開業で松本まで約20分というアクセスの良さもあり、地図でも想像できるように周辺は分譲地の住宅街となっています

ホームは堀削地に設置されています。2面2線ですが駅舎はありません

階段でホームから出ると

すぐに公道。ホームとホームの間は、この公道を利用いることになります

その公道から俯瞰すると背景も含め、なかなか良い景色が広がります

おもしろいのは

ほぼ公道上に時刻表が掲げられていること。駅舎がないため、予備知識なしで通りがかると「エッ」となるかもしれません

ホーム入口にはICタッチと乗車駅証明書の発行機

電車がやってきました。さすがにJR東日本車両でした

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終日の沼にはまる~時刻表では1日7本?の駅

2022年10月23日11時30分

時刻表を開いて絶句

辰野駅訪問を終え、さて次はどうしようというこの時点でも、まだノープラン状態。ただ時刻表から行動は縛られています。辰野からは3方面の列車が出ていますが所持しているきっぷは飯田線には行けないわけで、中央本線旧線しかない。となると塩尻行きか岡谷行きに限られるわけで岡谷行きは11時48分、塩尻行きは12時43分。そりゃあ早い方に乗ります。そして私は岡谷と辰野の間にポツンと1駅だけある川岸という駅に大いに興味を持っていました。優等列車の停車駅に挟まれた、たったひとつの駅はどんなものだろう?というものです

実は最初に時刻表を広げた時に絶句したのです。この川岸駅、停車する列車が1日で下り7本、上り8本しかない。なんだこれは

しかしよく見ると違うのです。私が持っているのは交通新聞社のコンパス時刻表ですが、岡谷始発、終着の飯田線列車は飯田線のページに記されているのです。時刻表をよく見る人は分かると思いますが中央本線の欄外ページにしっかり「岡谷~辰野間は飯田線のページと併せてご覧ください」と書かれている。中央本線の路線でありながら飯田線のページの方に記されている列車が圧倒的に多いのは、この区間の特性を表しています

ホームで待っていると乗務員の方がやってきました。私が乗車したのは上諏訪まで乗り入れる電車でしたが、たった2区間、10キロにも満たない距離ですが、JR東海とJR東日本で、しっかり交代するようです

ワクワクしながら下車

ということで川岸に到着。飯田始発の電車。当然ですがJR東海の車両です。ワンマンにはない、この出発シーン。いつ見てもいいですね

駅に残るのは旧式の駅名標。字体はもちろん、両隣の駅をきっちり端に寄せているのがいい

1面2線のホームから見た駅舎の風情も期待にたがわぬもの。ワクワク感が大きくなります

そして跨線橋

おおっ、そう来ますか

勝手に「スタンプ駅名標」と名付けていますが、高山本線の笹津駅の訪問記でも紹介した写真です。笹津駅は危ない感じですが、こちらはしっかりと残りそうな気がします

来て良かったと思わせる駅

川岸は以前の自治体名で川岸村が戦後、岡谷市に編入されています。当駅の設置は大正期で明治期に中央本線が敷設された後、新たに設置。川岸村に対する駅だったのでしょう。まさに天竜川の川岸で住居表示は駅がある方が川岸東、川の向こうが川岸西。町は川の西側に広がっていて線路がある側は道路と中央道があるだけで、あまり何もありません。ただ川岸村の中心で旧村役場などがある町は、もう少し岡谷寄りの場所。なぜそこに近い所に駅を設置しなかったのかは分かりませんが、駅を造るスペースがほど良かったのか、よくある話で駅間距離が短くなるからかもしれません。ちなみに当駅と辰野は6キロ、岡谷までは3・5キロと現状でもかなり偏っています

駅舎は

基本的には開業時のものだそうで、屋根の色に合わせた緑色の「川岸駅」の文字が映えます

入口の駅名板にも風格があります

その一方でかわいいポストがあり

50周年に設置されたものでしょうか、駅の記念碑があって、その下には

国鉄とD51のプレートが埋め込まれていました

古い駅舎ならではの悩みもあるようです

ホームの待合室は新しいもので、こちらは冬場も大丈夫

訪問時は秋の穏やかな日でしたが天竜川沿いにあるため、集落は過去には何度も被害に遭っているそうです。その度に復旧してきました

来て良かったと思わせるに十分な駅でした

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終日の沼にはまる~見どころの多い辰野駅

JR東日本とJR東海の分岐を示す辰野駅の駅名標

2022年10月23日11時

かつての要衝駅

辰野駅には広い構内が残ります。

ホームは2面3線プラス0番線の形式。その向こうに貨物用の側線が広がっていますが現在、貨物の定期運行はないようです

切り欠きホームの0番線は構造的に飯田線方面にしか進めないので飯田線専用ですが、帳簿上は飯田線の終点駅で、なおかつJR東海とJR東日本の境界駅でありながら、当駅が終着となるのは最終の1本だけ、始発となるのも早朝の始発1本だけで他はすべて岡谷まで運行されるため、1日1本だけが出発するホームとなっています

跨線橋の0番線案内。旧線経由で塩尻方面からやってくる電車は6時32分に辰野着。0番線は駅舎から平面で入れるため、外から来る人は跨線橋を利用しません。つまり1日1回だけ利用される階段ということになります

手元に鉄道全盛期の余韻が残る1968年(昭和43)10月号の時刻表復刻版がありますが、当時はもちろん飯田線の列車はほとんどが辰野発でした。中央本線はすべて辰野経由だったのですから、ここで乗り換えとなります。前記事でも触れましたが、中央本線が辰野を通ったからこそ飯田線(当初は私鉄)が敷設されたといえます

話はそれますが当時は飯田線を走る急行も多く設定されていて現在の特急の原点ともなっている急行「伊那」の姿もあります。うち1本は上諏訪を14時16分に出て辰野発が14時44分。豊橋経由で名古屋まで運行され、終点の名古屋着が20時44分。それで終わりかと思いきや、ここから普通電車へと変わり、米原着が22時18分で、ここが本当の終点となっています。こういうのを眺めていると、あっという間に時間が経ってしまいます

ただ1983年の新線開通がした後、現在は岡谷始発の飯田線から中央本線旧線に乗り換える駅だという性格が強くなっています。優等列車の発着も定時ではありません

印象的な駅ビル

駅の外に出ます

立派な駅ビルとなっています。新線開通時に建てられました。当駅が中央本線のメインルートから外れることの対価として造られたという記録が残っています。いろいろなテナントが入っていたそうですが、現在は残念ながらすべて撤退しているようです

辰野駅はもちろん辰野町の中心駅ですが、川に阻まれたのか元々の町の中心部から少し離れたところに設置されています。町の中心部にはどちらかというと飯田線の宮木が近いようで、単式ホームと待合所だけの駅でありながら、付近に学校もあるため利用者数は辰野より宮木が勝っています

数年前まで管理駅だった辰野も現在は大幅に機能が縮小されています。駅員さんはいますが業務委託でみどりの窓口もなくなりました

それでも複数ある駅名板が楽しませてくれます

駅舎の中に外にと複数存在します

駅の規模を考えると、こういうのってあまりありません

駅舎の出入り口でヒラヒラしているものは何かと見たら野鳥対策だそうです

駅前の通り。昔からの空気が残っています

神戸市の会社でありながら意外と神戸の自販機で見かけないUCCのミルクコーヒーを買ってしまいました

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