高山本線全駅訪問のシメ行脚~「正解はどれ?」が有名になりすぎて知名度大幅アップ

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各務ヶ原駅に到着

※訪問は2023年10月20日

のべ8日で最終日

朝6時台の美濃太田駅。高山本線全駅訪問も最終日を迎えた。他路線のついでに訪れたような日もあったが、のべ8日目でようやく終了する。順調なら午前中に終わりそうだ

当駅を挟んで岐阜方面と下呂方面では運行本数が大きく異なる。岐阜側は昼間も30分に1本の運行があるが、下呂側は昼間に普通の運行が2時間以上ない時間帯もあり、訪問難易度は大きく変わる。この区間には、まだ未回収の駅もあるが時刻表の関係で、まずは岐阜側の駅を訪問することに

下車したのは3駅目の各務ヶ原

正解はどちら?

当駅は駅名標がクイズ形式(?)である

駅名標にきちんと自治体名を入れてくれるJR東海ならではだが(国鉄時代はすべての駅名標に入っていたが、自治体同士の合併が多く更新が手間になったのかJR東日本とJR西日本には入っていない)、駅名と自治体名で表記が異なることに気付く。「ケ」の存在だ

地名の由来は鏡を作る人々がいた、の「鏡」に基づくという説や、飛鳥時代に見られる「各牟」(かかむ)という地名、人名に基づくなどの説があるようだが、戦国時代から江戸時代には「各務(かかみ)村」ができている

明治以降は今も航空自衛隊で知られる日本で最も古い飛行場である岐阜飛行場が開設されるなどしてきたが、駅の開業は1920年(大正9)。岐阜から当駅までが開業して高山本線の歴史が始まった。飛行場の開設から3年後にあたる

駅名は当時からのもの。ちなみに近くには名鉄の駅もあるが

こちらは「各務原」の表記。こちらも戦前からの駅だが、読みは「かがみはら」だった

他にも市内では「かかみはら」「かがみはら」の呼称がある。同じ漢字でも読みが異なる(米原が有名)のは各地でよく見られるが、文字表記も読みも微妙に異なって複数あるというのは、なかなか珍しい。市の発足は戦後20年近くが経過した1963年で、複数ある呼称を統一しようと「各務原=かかみがはら」を正式なものとし、名鉄はそれに従って漢字はそのままで駅名を「かかみがはら」に変更したが、国鉄そしてJRはそのまま。ちなみに市内にある高校も「各務原高校」(かかみはら)、「各務原西高校」(かかみがはら)、と県立高校の読みが微妙に異なる

このような状況はメディアとしては格好の題材で、しばしば特集として取り上げられ、航空自衛隊の存在や東海北陸自動車道のインターチェンジの存在もあって都市の知名度は大幅アップ。本来は難読駅であるはずの当駅も難読駅ではなくなっている

簡易的な駅舎だが古い待合室は現役

駅の利用者は本数が多く、岐阜経由だけではなく犬山経由でも名古屋につながる名鉄が勝っていて現在の各務ヶ原駅はコンパクトな無人駅となっている。古い駅舎は国鉄時代の1978年に大がかりな改修工事が行われ、レストランが入居。駅の目の前は交通量の多い国道21号で大いに期待されたが撤退。その後に入ったコンビニも撤退したため、その後にテナント部分が撤去され現在の姿になった

駅舎内はガランとしている

かつては貨物輸送もあったが、現在の側線は保全車の車庫となっているようだ

周辺は住宅街で無人駅の特性で駅舎と逆側からもホームに入れるようになっていてICリーダーが設置されている

いろいろ姿を変えた駅だが、駅舎と逆側のホームには待合室だけは古いものがしっかり残っていて

クモの巣と「同居」しているようだが、こちらは開業時からの建物のようだ

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