きっぷ

宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その6(ここに来るための旅)

※2024年7月3日

そのままの駅名Jヴィレッジ

富岡からいわき方面へ折り返してJヴィレッジ駅で下車。今回の旅はここで降り立つためのものといっても過言ではない。前記事で25年前に何度も来たJヴィレッジについての思い出話をしたが、もちろん当時この駅はなく、関西からJヴィレッジに行くのには、なかなか工夫を要した

私が利用していたのは大阪(伊丹)~福島の飛行機。当時、JALは福島空港に随分力を入れていて、かなり大きな飛行機が飛んでいたと思う。福島空港からは大阪便を待っていわき行きのリムジンバスと接続する。いわきまで90分と、なかなかのバス旅だが、いわきまで着いてしまえば後は広野行きの電車に乗って広野駅からタクシーで1500円ほど。これが最も効率が良い行き方だと個人的には思っていたのだが、もうひとつルートがあり、現在の日本サッカー協会会長は大阪空港から仙台までの飛行機に乗っていた

そんな方法あるの?と思ったが、まだ仙台空港アクセス線のなかった時代、仙台空港のアクセス駅だった館腰駅まで行き、そこから常磐線の普通列車に揺られて富岡で下車。タクシーでJヴィレッジを目指していた。鉄道的な話をすると当時は原ノ町で運行は分断されておらず、乗り換えなしで富岡まで行けたはずだが、それでも90分以上は確実にかかる。なかなかの「乗り鉄」だが、答えは「意外とすぐですよ」

所属クラブでも五輪代表でも日本代表でもすべて主将を務めた「リーダーシップの男」なので、同じクラブからJヴィレッジの代表合宿に参加するメンバーはリーダーに率いられ同じ飛行機、同じ電車でJヴィレッジを目指していた。当時は全員が20歳前後だが、後に日本代表にも名を連ねる選手がそろって常磐線で「乗り鉄」というのは、なかなかの光景である

ちなみに「どちらが早い」という結論だが、これは全くのドローで、なぜかというと朝の大阪空港でいつもバッタリ顔を合わせていたからだ。ほぼ同時刻の福島行き、仙台行きに「分乗」してほぼ同じ時間にJヴィレッジに到着していた。現在は富岡にも広野にも特急が停まるようになったので、どちらが早いか分からない

Jヴィレッジ駅とは

Jヴィレッジ駅は2019年(平成31)4月の開業。当時はイベントに対応した臨時駅だったが、1年後に常設駅へと昇格した。もちろん私は初訪問。ホームにはサッカーの日本代表が世代別のカテゴリーも含めて優勝した際のトロフィーを飾る台座がある(もちろんレプリカ)

ユニークな構造で離れて掘られているトンネルの出口に設けられているため、単式ホームを2つ作り、その間にトロフィーの台座などを置いた単式+単式で島式ホームを構成する。東京からずっと複線の常磐線はいわきのひとつ北の草野駅を過ぎると単線区間となるが、Jヴィレッジ駅が設けられている広野~木戸のみ複線となっているため、このような形式となった

無人駅ながらホームから駅の出口まではエレベーターも設置されている

窓口はあるので多客日には臨時で駅員さんが来られるようになっているようだ

では改札を出てみよう

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その5(四半世紀ぶりの駅訪問)

富岡駅の駅名標

※2024年7月3日

すんなりといわきに宿泊

大津港駅を出るとあっという間に福島県に入る。時刻は13時を回ったところだが、そろそろ本日の宿を決めなければならない。まぁ、ここまで来ると迷うことはない。いわきである。いろいろ思い出も多いいわきだが、降り立ったことは近年でもあるものの、宿泊となれば20数年ぶりとなる

いわきはチェーンも含めホテルも多いところなので心配はあまりない。ちょっと奇をてらって湯本温泉もチラリ頭をよぎったが、翌朝の早いことを考えると旅館というわけにはいかない。あまり苦労することなく駅から徒歩5分ほどの宿を確保。大浴場付きで5700円と価格的にも満足

いわきに着くまで湯本駅

そして植田駅などを訪問。この日は早めに終了し(といっても6時前から活動している)翌日に備える

駅近くの居酒屋に通った

翌朝も5時台から活動を開始。後に説明することになるが、ダイヤ的にこのぐらいの時間から動かないと先へ進めなくなるのだ

乗車するのは6時9分の原ノ町行き。発車までまだ20分以上あるが、すでにこの時間帯に構内の売店が開いていて驚いた。東京へと向かう最初の特急に合わせて開店しているようだ

私がいわきを最も訪れていたのは1998年から2000年ごろ。当時のサッカー日本代表のトルシエ監督がJヴィレッジの施設を大変気に入り、代表チームの主な合宿地となった。トルシエ監督はユースそして五輪代表も含めた全世代の監督だった。すでに2002年の日韓W杯が決まり、ある意味最も「代表熱」が高まっていた。W杯の前にあったのがシドニー五輪。02年のW杯のメンバーには五輪代表から多くが召集されるという空気になっていて五輪代表の人気も高かった

私の仕事は五輪代表を追うことだった。ただ「追う」といっても、関西からJヴィレッジまでの道のりは遠い。ただひとつ言えるのはトルシエ監督がJヴィレッジを合宿地に選ばなかったら、今はなき上野駅の特急専用ホームを利用することはなかっただろうということ

当時、Jヴィレッジへは広野まで普通に乗り、タクシーで1500円ほど揺られるのが最も分かりやすいコースだったが、富岡からタクシーで3000円というのも有力なルートだった。そして仕事を終え富岡駅近くの居酒屋でもよく飲んだ。富岡は地域では大きな町で駅近くのホテルを拠点にする同業者も多かった。富岡駅はそれ以来の訪問である

2017年に運転再開

いわきから40分かけて富岡に到着。朝の7時にもならない時間だが、かなりの人が降りた

こちらが現在の駅舎。1898年(明治31)と歴史を刻んでいて以前は木造駅舎があった。東日本大震災の津波によって駅舎が流出。その後、立ち入りが規制されたため、詳しい駅の現状はしばらく分からないままだった。2017年に新駅舎となって運行を再開。駅舎の位置も少し変わったはずだ

もちろん震災前の駅舎そして駅前の様子も多少は記憶にあるが、大きく変化している

無人駅だが指定席券売機が設置されている

東京からいわきを越え仙台まで至る特急「ひたち」は1日3往復だが、すべて停車

ホームから海の方向を望む。構造は2面3線

跨線橋を渡っていたら、ブーンと大きな虫が飛んできたので身をかがめて避けると

クワガタムシだった。ちょっと弱っているというか、クモの巣にからまったようだ。大丈夫だろうか。駅でこんなに立派なクワガタムシを見たのは人生で初めてのこと。そういえば何度も足を運んだJヴィレッジだけど盛夏に来た記憶はないなぁ、そんなことを思った

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたら終わりの北海道&東日本パス旅~その4(茨城最北に到達)

大津港駅の駅名標

※2024年7月2日

北茨城市の3駅はすべて乗下車

なおも常磐線を北上して高萩で下車。常磐線を走る2つの特急のうち[ときわ]については当駅が「北限」となる。また水戸方面からの普通列車も半分程度が当駅折り返しとなるため、昼間は当駅以南が1時間に2本、以北が1時間に1本となる

そして高萩を過ぎると福島県と茨城県の県境である北茨城市に入る。同市にはJRの駅が3つあるが、関西からだと意外と降りるのが難しい駅だけに、ここはすべての駅を訪問することとする

南中郷駅は無人駅。常磐線は都内からずっと有人駅が続いてきたのだが当駅で1度途切れることになる。とはいえ1日に約1000人の利用がある駅で数年前まではみどりの窓口も設置されていた

磯原駅は北茨城市の中心駅。特急「ひたち」も停車する。基本的には1時間に1本のひたちだが、高萩に停車するタイプは磯原を通過、磯原に停車するタイプは高萩通過と、両駅で停車駅を半分ずつシェアする形となっている

乗車券を買っても途中下車はできないのだが山手線内までの運賃は3080円。かなりの距離を進んできたことを実感する

特急停車駅で駅舎内に北茨城の観光案内所も設置されている磯原駅だが、ホームへの階段付近で工事をしているので何気なくのぞいたところ

文面をそのまま解釈するとホームと橋上駅舎の改札を結ぶエスカレーター廃止の案内。1日の利用者が約3000人ある特急停車駅でエスカレーター撤去というのは初めて見た。経費削減はここまで来ているのか、という印象だ

茨城県最北、最東の駅

そして到着したのが

大津港駅。お隣が勿来であることから当駅が茨城県最後の駅だということが分かる。ちなみに茨城県最北端の駅であり、最東端の駅でもある

立派な駅舎を有する。駅舎の入口は駅名標にも描かれている六角堂を模したもの

六角堂はこの地を愛した岡倉天心の設計によるもの。東日本大震災の津波によって消失したが、後に再建。同じタイミングで駅舎もリニューアルされた。北茨城市の観光地は当駅を最寄りとする場所が多い

木目調の重厚な駅舎とピカピカの駅名板が目を引く

1897年(明治30)に「関本駅」として開業。当時駅の所在地だった関本村に基づく

六角堂の所在地は当時、大津町にあり最寄り駅と自治体は別だったが、1950年(昭和25)に自治体名ではなく「大津港」として駅名を変更。1956年の合併で北茨城市が誕生したため、同じ自治体となった。ちなみにこの北茨城市は当初、「茨城市」となることが決まっていたが、県内には先に茨城町が誕生していて、県庁所在地と間違われやすいのではないか、など混乱しかねないとの理由で「茨城市」として発足した後、同日中に北茨城市と名称変更されたという経緯を持つ

お昼を食べながら地元の方々と会話

さてこの北茨城市の3駅にたどり着くころはちょうどお昼時で、おそらく磯原駅がランチにありつきやすそうだったが、ダイヤ的にどうしても1時間の空きができてしまう大津港駅周辺でお昼とすることにした。ネットで評判の徒歩10分ほどのお店に着いたら営業しておらず、通りかかった地元の方に「この冬に店じまいしたよ」と教えられぼう然。駅前にはセブンイレブンがあるので、またいつものコンビニおにぎりかと覚悟したが、喫茶店を見つけて一安心

暑さにアイスコーヒーをまずガブリ。ピラフをいただいてお腹も気持ちも満たされた。このまま鈍行のみで青森を目指すと言ったら「はぁ~?」と予定調和の反応。ただこういうお店では地元ならではの話が聞けて楽しい

「いわきはここより暑いので気をつけて」と言われるので意味を訪ねたら、北茨城市では道路整備によって海からの風が直接駅の近くまで届くようになったので涼しくなった、とのこと。やはり地域的には県をまたいだいわきとのつながりも強いようで、年配の方は「平」という言葉がよく出てくる

単に駅間距離だけの話にもなるが、大津港から福島県側の最初の駅である勿来までは4・5キロなのに対し、同市内である磯原までは7・1キロもある

こちらは駅舎内の様子(写真は到着時のもの)。「電車が出発したらすぐ福島県だから」と送り出された。確かに県境である大津港止まりの列車は最終の1本のみしかない

観光案内図も福島県側とセットとなっている。こうした地域間のつながりは駅に降りてみないと分からないもの。こんな体験をすると「降りて良かった」と思うのである

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その3

大甕駅の駅名標

※2024年7月2日

ラクラク自動改札機を有効に

勝田駅でかわいい特急オブジェを眺めながら、駅訪問を開始する

今回の旅ではローカル無人駅はあまり出て来ない。なぜかというと北海道&東日本パスの特徴のひとつである「自動改札機の通り抜け」を有効に利用したかったから。毎年秋に出る鉄道の日記念の3日間乗り放題パスにも共通していることだが、自動改札機をホイホイ通り抜けできるのは青春18きっぷにはないストレスからの開放がある。もっとも地方の非電化ローカル線に行ってしまえば同じなのだが、都心部や幹線では自動改札機の通り抜けはポイントが大きい。今年は外国人旅行者も多いだろうから、駅員さんのいる改札の渋滞も予想される。一瞬見せるだけのために改札が空くのを待つのは、なかなかの苦痛。ということで今回は

①自動改札機を抜けられる特性を生かした幹線旅

②ふだんは途中下車ができない三セクもじっくり乗車

の2本の柱で北上することにした。東北本線ではなく常磐線としたのは、常磐線内には特急でしか通過したことのない区間がいくつかあるからだ

またいつものように降り立った駅をひとつひとつ紹介していくと、9月になってもこのシリーズが終わらない可能性もあるので、一部の訪問駅についてはX(旧ツイッター)での紹介ということにしたい

漢字そのものが分からない難読駅

まずは村でありながら特急が停車する数少ない駅のひとつ東海駅で下車

ただし今回紹介するのは駅名標に何やら難しい漢字が見える、お隣の大甕駅である。読みはローマ字で分かるが「おおみか」

いわゆる難読駅には漢字そのものが難しくて読めないものと漢字は簡単だが思いもよらない読みをするものの2つのパターンがあるが、こちらは前者である

現在の駅舎は2018年からのもの。開業は1897年(明治30)と古く120歳を超え、130歳になろうとしている

大甕とは地名だが、当駅を最寄りとする大甕神社から来ている。漢字の「甕」は水を入れる「かめ」のこと。かめは今でも普通に使用される言葉だが、漢字の方はなかなか使われなくなっている。今はワープロ機能というものがあるが、すべて手書きだった時代は大変だっただろう。あまりにも難しいからか、1972年にできた住居表示は「大みか町」とひらがなが使用されている

駅前の案内図も「大みか」の表記で駅名もひらがな表記。ただし固有名詞である神社はもちろん漢字表記だ

かつては私鉄との乗り継ぎ駅

駅からはバスターミナルが見える。遮断機のようなものが見えるが、これは「ひたちBRT」

かつて水郡線支線の常陸太田駅と大甕駅は日立電鉄で結ばれていた(日立電鉄の駅名は常北太田)。日立電鉄とは日立製作所の傘下にあった鉄道会社で、常陸太田からは山中を進み、常磐線とクロスした後に北上。海沿いには日立の関連会社、工場が存在した。こうして見ると東西南北のかゆい所に手が届くように路線があり、ローカル私鉄とはいえ、さすがに電化されていた。常磐線との接続駅が大甕だった

ただし同線は2005年に廃線。常磐線に沿う形の南北の道路の渋滞が激しいため、日立電鉄の路盤を利用してバス専用レーンとなったのがひたちBRT。ただし停留所名は「大みか駅西口」とひらがな表記となっている

駅前には茨城キリスト教学園中学校・高等学校そして大学があることもあって駅の利用者は東海駅を上回っている。学校そしてBRT乗り場が駅の西側にあり、かつては東側に存在した駅舎から西側への移動が課題でもあったが、改札口を地下に設けたことで自由通路を通っての東西の往来も容易になった

ちなみに同校に通っていた後輩に漢字で「大甕」と書けるのか尋ねたところ「さすがに書けます」との返信だった

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その2

勝田駅の駅名標

※2024年7月2日

今回の旅の「ルール」

品川駅の常磐線ホームに到着したのは6時25分。当然だが右側ホームの電車に用事は全くない

今回の旅は常磐線を北上、仙台から東北本線を北へ向かう予定となっている。「予定」と記したが、実は予定なんてものはほとんどなく

①きっぷで乗車できる列車で青森を目指す

②降りたいと思った駅で降りる

③飽きたら何時であろうと、その時点でその日は終了。つまりホテルはその日暮らし

と、一応ルールは決めたが、どこかの県で気になる駅が続けば、青森まで到達しないことも十分ある。気になる駅といえば格好いいが、どちらかというと暑さでやる気がなくなり、早々にその日の活動を終了することが多くなるだろう、ということだ

さすがの首都圏電車はグリーンの誘惑を振り切る

乗車したのは6時35分の品川始発電車。ホームに降りた時は出発までまだ10分近くあったので、座席には余裕がある。私は「2人分だけのロングシート席」が好きだ。多少窮屈だが、爆睡態勢の時は身体ごと預けてられるから

当初は高輪ゲートウェイから新橋まで行って乗車するつもりが、時間があったので品川まで戻る形で始発乗車(フリーきっぷなのでどのように動こうが問題ない)としたのだが、結果的にはそれが大正解。品川を出発時はまだ空きがあったが、新橋から早くも立ち客が出るようになり、東京からは普通に混雑の電車となった。新橋ではホームの並び方次第では座れない可能性も高かったわけでホッとした。それにしてもまだ7時にもなっていない下り電車、それも15両編成(JR西日本の通勤電車は最長でも12両)の座席があっという間に埋まってしまうのだから、さすが首都圏の電車である

この後、7時台に千葉県に突入するわけだが、沿線には一体いくつの高校があるのか、と思ってしまうほどで、下り電車の車内はすっかり高校生専用列車と化した。最後にドッと高校生が降りたのが牛久で時刻は7時45分

何となくの予定では、今回の旅では乗車電が最も長く乗り続ける列車になるはずで、普通車グリーンに乗るのもおそらく最後の機会。実は品川駅でかなり心が揺れたが、グリーン料金の値上げでSuical利用でも1550円もするの何となくの予定では、今回の旅では乗車電が最も長く乗り続ける列車になるはずで、普通車グリーンに乗るのもおそらく最後の機会。実は品川駅でかなり心が揺れたが、グリーン料金の値上げでSuical利用でも1550円もするのでヤメ。というか時間帯的にも下りということもあって、そんなには混まないだろうという私の考えが甘かったのだ

ということで乗車電の終点、勝田に到着。2時間15分の普通車は同じ列車に1時間乗ると飽きてしまう私には、なかなかしんどい時間だった

勝田は水戸のひとつ北側の駅。車両センターがあり、多くの列車が始終着となるため知名度が高い。全列車が停車する。ひたちなか海浜鉄道の接続駅としても有名。かわいい単行列車が停車中だった

10年以上前、ひたちなか海浜鉄道への乗車とあんこう鍋を求めて降りたって以来の訪問となった。ただし今回のきっぷでは乗れないので先へと向かう。ここからはいくつかの駅で降りつつ北上しよう。まだ時間は朝の9時である

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宿もとらずに鈍行に揺られ飽きたらその日は終わりの北海道&東日本パス旅~その1

高輪ゲートウェイ駅の入口

※2024年7月2日

スタートは高輪ゲートウェイ駅

7月2日、朝6時前の泉岳寺交差点。ホテルを出て高輪ゲートウェイ駅へと向かう。ここが旅の出発点ともいえる

話は前日にさかのぼる

かなり激しい雨の大阪空港から8時半の飛行機に乗って羽田へと向かい

10時すぎに京急の羽田空港駅へ。随分と人が少なく感じるが、何らかのトラブルで遅延が発生していたためだ。もっとも今日に関しては少々の遅延は気にならない。というか本日は都内宿泊なので何とでもなるだろう

泉岳寺のホテルに荷物を預け高輪ゲートウェイ駅の券売機へ

目的のものを発見

そしてゲット。きっぷの有効期限は7日だが、6日に帰る。そして今日は都内で飲み会があるので正式な出発は明日となる。だったら、もっとゆっくり東京へ行けばいいと思われるかもしれないが、飛行機のチケットは5月のタイムセールで確保したので、その時点では東京からすぐ鈍行旅を開始する可能性があったため朝の飛行機にしたのだ。飲み会が決まったのは6月に入ってからのこと。さすがに都内だけはできるだけ早めに宿をとらないと「空きがない」「高い」の二重苦に陥ってしまうので、その時点でホテルを予約した。高輪ゲートウェイ駅から旅の出発とは、いかにも企画したようになってしまったが、飲み会の会場やホテル価格から泉岳寺になったということ

長年憧れの北海道&東日本パスとは

北海道&東日本パスは7日間にわたってJR東日本とJR東日本の普通列車が乗り放題となるフリーきっぷ。利用期間は7月1日から9月30日までで(販売は9月24日まで)、きっぷのルールは青春18きっぷとほぼ同じだが、大きく異なる点として

①利用期間は連続7日間

②きっぷは1人1枚でグループ乗車はできない

③青い森鉄道、いわて銀河鉄道、北越急行も利用できる

がある。特に大きいのは①で使用開始日を指定して購入し、旅を始めた時点で払い戻しはできないのだ。その分、長期間で5回利用の青春18きっぷの1万2050円と比べて7日1万1330円と安くなっているが、ある意味時間に余裕がないと、なかなか利用できない(乗り方によっては3日ぐらいで十分元はとれるが)きっぷなのだ。要は時間のある学生さんか、私のようなリタイア組向けのきっぶだといえる

また③の旧東北本線の三セク利用できるのも大きい。同じ鈍行旅で北上すると盛岡から北はJRの通しきっぷは利用できず、私の「本業」である降り鉄をするための途中下車をするには、それぞれの会社のフリーきっぷ購入をする必要があって経費的にかなり高くつく。現在、青春18きっぷで東京から青森まで行こうとすると日本海回りのダイヤが薄く、なかおつ距離の長い区間を行く必要があり、かなり不便だが、北海道&東日本パスなら最短ルートで到達できる。そして何より、私にとって大切ないろいろな駅での降り放題が可能になる

それなりの準備をしてから出発

会社員時代から、これを使って旅をしてみたいものだとずっと思い続けていて2年前の夏に早速利用してみたが、私の準備不足もあって常磐線~水郡線で郡山まで行った時点で引き返し、後は伊東線などに乗ることになってしまった

その分、今回は起点と終点だけは最初から決めることにした。まず最後は当然ながら神戸の自宅に帰らなければならないので、スタートは東京としても帰りにもう1度東京まで戻ってしまうと、東京(ギリギリまで踏ん張ると熱海まで乗れるが)からの交通機関代金が発生する上、仮に東北のどこかまで行くとして再び東京まで戻ってくるのが肉体的にも精神的にも大変な負担になる。別な言い方をすると、正直かったるく新幹線別料金が登場する可能性も高い。そこでタイムセールで花巻~大阪の飛行機をあらかじめ確保し、最終日は飛行機で東北から直接帰ることにした。自分がぼんやりと描いていたイメージでは青森空港あたりから帰るのが便利そうだったが、東北の飛行場で自分が利用したことのない空港が大館能代、山形、花巻の3空港だったので、確実にルート上にありそうな花巻とした

到着当日は

川崎新町

以前はなかった小田栄

久しぶりの浜川崎など、南武線支線の駅などを訪問、歩きつつ(当支線は駅間距離が短く歩いた方が早い場所もある)、せっかくのフリーきっぷを少しでも有効に利用しながら適度に汗をかいて夜の飲み会に備え、夜も翌日に響かない程度に、こちらも適度の飲酒としホテルにも22時にも戻った

まずは品川駅から常磐線に乗り込むことにする

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2024年夏のホテル選びのコツを自分の経験から考えてみる

インバウンドで一気に値上げ

いよいよ夏本番。旅行に出かける機会も増える季節ですが、その際に必ず出くわすのが宿選び。半袖となった6月から各地をウロウロしている私ですが、昨年までとは大きく変化したと感じているのが宿のお値段。コロナ禍も明け、円安で訪日外国人旅行者が急増していることで、価格がかなり上がっていると感じています。そこで自分の経験から今夏のホテル選びについて考えてみたいと思います

大都市をあえて避ける

すでに昨年からの経験となりますが、ホテル代が高いなぁ、と感じるのは東京です。下手するとコロナ禍前より高いと感じることもしばしば。大阪については地理的に私が宿泊することはないのですが、かなりのお値段らしい。他の地域で言うと高いと感じたのは札幌、仙台、名古屋、福岡。いずれも各エリアを代表する大都市。以前から何度か宿泊しているホテルもあって、比較しやすいのですが「設備は確実に古くなっているのに何で高くなってるの?」と言いたくなる宿もチラホラ。そこで年明けあたりから一計を案じて宿泊する都市を工夫するようにしてみました

今年お世話になった都市をいくつか挙げると三原(広島)、中津(大分)、松阪(三重)、桐生(群馬)、北上(岩手)、丸亀(香川)など。共通するのは「県庁所在地など近隣の大きな都市から微妙に離れている」「有名ホテルチェーンも進出してホテル数もそこそこ多い」という点です。これは効果絶大というか、実際に泊まってみると電車で20~30分の大都市に比べると2000~3000円は安い。チェーン店ホテルには立地場所や季節によって価格が大きく変わる所と大都市でも中小都市でも価格はあまり変わらない所の2パターンがあり、それぞれ一長一短がありますが、2000~3000円安いというのは前者のパターンでの体感。またホテル予約サイトのページを開けた瞬間の体感でもあります。これだけ値段が異なるとビール代も含めた夕食分に値します

古めのホテルをあえて選んでみる

こちらは分かりやすい。施設そのものが古いホテルというのは、価格も安めの設定です。単に価格が安いだけでなく、朝食のみならず夕食までセットになって8000円未満という所もあって重宝しました。ホテルに大浴場まであると、もはや旅館感覚で旅先には行ったものの覚えているのは駅前風景だけという体験もしました

ただ施設が古めのホテルというのは個人的な衛生感覚も影響してきます。こちらに関しては予約サイトの口コミ欄で確認していただきたいと思います

そしてもうひとつ、これは現代の旅では避けて通れないものになっていますが、新しいホテルは、テーブルからベッドサイドまで部屋のあちこちにコンセントやUSBポートまで設置されているのに対して古いホテルはコンセントの数や位置が不満なものが多い。私の場合だけの例でもホテルでは「スマホの充電」「モバイルバッテリーの充電」「デジカメのバッテリー充電」「PCまたはタブレットとの接続」と最低でもこれだけの電源が必要です。にもかかわらずテーブルの上にはコンセントが空いているコンセントが1つしかなかったりする。他のコンセントを探すと風呂の入口とかで、それは掃除機用ではないのか?なんて思ったりすることもしばしば。ただこの点は大丈夫で、フロントでお願いすれば延長コードは貸してくれます。宿によってはテーブルの引き出しに既に延長コードが入っていることも。後は自分の備品として100均で売っているコンセントタップを用意しておけば、事足ります

また猛暑で大変ではありますが、駅からの徒歩距離を5分から10分にすることでグッと格安料金になることもあります

ホテル選びは細かい条件を重ねていくとキリのないものでもあります。私はいくつかのチェーン店ホテルの会員にもなっていて、予約サイトとの併用でチェックインの手間を考えたりやポイント運用を行うようにしていますが、せっかくの旅ですので納得のホテル選びをしてくださいね

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~500本目の記事はゴールのこの駅

高木駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

※動画あり音声注意

スタートは松浦鉄道

いつもお読みいただき、ありがとうございます。今回の記事が当ブログ500本目の記事となります。開始したのは2022年9月6日。674日での到達となりました。あいさつだけの1回目の後、最初の記事は松浦鉄道

見返すと文中の見出しもなく、やや読みにくい。そして写真が随分と小さく、これは鉄道ブログとしては致命的です。最初に写真を掲載したところ、スマホで閲覧した場合に、写真が出てくるのにおそろしく時間がかかったことで小さくしたのですが、その後に大きな写真も軽くする方法をさすがに覚えて現在に至るという情けない話で、まだまだ試行錯誤の途中ともいえます

ただこのトシになると、わずか2年前のことでも細かいことは忘れてしまうものですが、こうやって読み返すと「そうだったなぁ」と思い出が蘇ってきて、自分にとっても有意義なブログになっていると思います。X(旧ツイッター)と当ブログの2編成で情報を発信していますが、駅単体の客観情報はXで、詳細な訪問記と主観を交えたものはブログで今後も伝えていくつもりですので、よろしくお願いします

それぞれの記事の閲覧数が自分から見られるようになっているのですが、本数を重ねていくうちに当時は「反応少ないなぁ」と思っていた記事のカウンターが結構なものになっていて、この記事を書くためにさかのぼってみると驚くような数字になっていたりしてビックリするとともに励みになっています

最後だけはこの駅と決めていた

ということで福塩南線最後の訪問となったのは

高木駅。時刻表も見ずに福山をスタートした福塩南線の各駅訪問だが、最後はここにすることだけは決めていた

正確に言うと当駅は2019年12月に訪問済みで、福塩南線の全駅訪問は前回の上戸手駅で終わっているが、さすがにここまで来て、この駅に寄らないわけにはいかない。現在、全国で「高木駅」は唯一となっている。他にもあったが廃線、廃駅となった。同じ読みの「高儀駅」は城端線の項目で紹介したが、これは漢字が異なる

2023年の名字ランキングは1位「佐藤」、2位「鈴木」、3位「高橋」で、それぞれ百数十万人がいるそうだ。ただ駅名となると「佐藤」「鈴木」はなく(京急に鈴木町という駅は存在する)、高橋駅(佐世保線)がようやく登場する。意外と人名と駅名の親和性はないようにも思えるが、そもそも旧国鉄では旧国名をつけたりして同名駅を避けるようにしている

さて、この高木駅の位置はというと、お隣の鵜飼駅、その次の府中まで、それぞれ駅間距離は1キロと900メートルしかない

道路も2・1キロ。つまり2区間分でも30分で歩けてしまう距離なのだ。当駅から福塩線は福山市から府中市に入る(厳密には新市駅の敷地の一部は府中市となっている)が、駅周辺はすでに府中の街中の雰囲気

駅は鵜飼とほぼ同じ構造でスロープでホームに入る。1914年(大正3)の開業。住宅街にある単式ホームと待合所のみの駅

3年前と同じ景色だった。当然今回も駅名標前で自撮りを行ったが、すでにホームで電車を待っている人がいて、ちょっと恥ずかしかった(笑)

福山行きの105電車がやって来た。時間は12時40分。福山を出て4時間ほどで全駅訪問を達成したことになる。高木駅を最後に固定しなければ、もっと早く終わっただろう

実は福塩線では北線の河佐、吉舎の2駅が未訪問で、府中に近い河佐駅はこの日のうちに回収しておきたいと考えていたのだが、府中の「午後の始発」は15時。予想外に早く全駅訪問が終わってしまったため、2時間以上の待ち時間が府中で生じることになってしまった。それはちょっとかったるいかなぁ、と福山に戻って帰路につくことにしたのだが、それから3カ月後に福塩北線で苦労することになる。それについては、また後日

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~大きなビルを背後に持つ棒状駅

上戸手駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

ひときわ目立つビルとのコントラスト

戸手駅から上戸手駅に到着。見ての通り、単式ホームの駅だが駅舎の写真を撮ろうとすると大きすぎる存在がある

駅舎があって線路があり、その向こう側にそびえる2つのビル。すっかり雨が上がった直後だったのでコントラストが美しい

そのビルは「自重堂」の本社

地図でも分かる通り、大きな敷地である。駅から徒歩だと写真で分かるように踏切を越えればすぐたどり着く。自重堂とはワークウェアを中心とした大手アパレル。創業が1924年(大正13)で同社のHPによると関東大震災の直後で自戒の意を込めて自重の2文字を社名に盛り込んだという

2022年の駅の1日の利用者は874人。旧新市町の中心駅である新市駅より利用者は多い

駅舎は新築のコンクリート製

駅舎は戸手駅と同様のコンクリートの簡易的な駅舎である。2021年の利用開始と戸手駅とほぼ同時期。それまでは待合所のみだったことも同様。また駅前の広いスペースから、かつてはもっとしっかりした駅舎があったと思われるが、いつのころまでどのような建物があったのかは分からなかった。また現在の駅舎ができるころにホーム上屋が撤去されたようだ

開業は1914年(大正3)。当時の駅名は「両備天王」。国鉄となった1933年(昭和8)に現在の駅名となった。駅の近くにある素盞嗚(すさのお)神社は「天王社」とも呼ばれる

駅名変更は90年も前のことだが、かつての駅名を伝えるものが駅に通じる踏切である

名前は天王東踏切。過去にも今はない学校名がそのまま踏切の名前になっている駅を紹介したが、全国各地で由緒ある名前の踏切を見かけることがある。ちゃんと読みをふってあって「てんのお」と読むことを知る

踏切にはこのような注意書きがある。確かにそう言われると見にくい。ただ警報器に遮断機まで備えられているので、さすがに気付くだろう。そう思っていたら警報器が鳴っているにもかかわらず突っ込んだ自転車が渡りきれずに立ち往生。詳しくは書かないが、結果的には私が遮断棒を持ち上げて救出することになり、事故は起きなかった。ただ目の前で実際にそんな場面に遭遇するとは思わなかったのでビックリ

踏切から駅へと戻る。小さな階段で電車を待つ。さて、いよいよあと1駅である

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福塩南線14駅の全駅訪問を目指す~ちょっとした山中の徒歩移動で出会った旧駅名標

戸手駅の駅名標

※訪問は2024年1月10日

雰囲気の異なる駅間徒歩

近田駅からお次の戸手駅までは徒歩移動である。もう何回も繰り返しているが、昼間は1時間に1本の福塩南線は1駅ぐらいなら歩いた方が早い区間がほとんどである。今回も空白を埋めるために徒歩となったが、駅間のレール距離は1キロしかなく歩いても大したことはない

今回はわずか15分。どこの駅もそうなのだが、都心の私鉄並みというか下手すると、それ以上に駅間は近い区間が多い

ただ地図を見て分かるのはちょっとこれまでとは雰囲気が異なる点。住宅街の中を走っている印象の福塩南線だが、これから県道ルートを行こうとすると住宅の少ない徒歩区間となるようだ

ルートを細かく見てもらえば理解できるかもしれないが、最初は絶対に車の通れない坂道に案内され、やがて県道に出る。この道路は万能倉~駅家の移動でも利用した県道で、その延長上にある。石見銀山街道と記されているが、石見銀山から港へ運ぶためのもので、日本海側の港に向けての街道や山中を抜けて瀬戸内海へと向かう街道など4つの街道があったとされるが、瀬戸内海方面へと向かう街道は笠岡へ向かうコースと尾道へと向かうコースがあったとされ、福塩線特に福塩北線の成り立ちと密接なつながりを持っている

地図では線路とくっついての道路となっているが、やや高台を通る。地図を見るとさらに北川に旧古代山陽道がある。かつては現在のメイン道路である国道486号ではなく、こちら側がメインコースだったのだろう。もっとも駅家付近ではひっきりなしに車が走る県道も、このあたりは閑散としており、車とはほとんど出会わなかった。その分、雨もあがって快適な徒歩コースだった。もっともこの記事を書いている7月8日の最高気温35度とかいう気候だったら、とてもじゃないが歩いていないだろう

新しい駅舎と出会う

駅前の広場に出てくると簡易的な駅舎と出会う

コンクリートで真新しい。駅の開業は1914年(大正3)。現在は福山市新市町だが2003年(平15)までは新市町。1955年(昭和30)までは戸手村。駅前の広大なスペースから、そこにはそれなりの駅舎があったと思われるがJR移管後に解体されたらしく、しばらくは待合所のみの駅だった。現在の姿は3年前から。簡易的なものではあるが、駅舎が約30年ぶりに復活したことになる

ホームに上がるとかつては列車交換のできる対面ホームだったことが分かる。その向こう側にもスペースがあり、さらにもう1本線路が敷かれていた形跡があるが、いずれにせよ現在は棒状化され事実上1面1線構造

しかしその廃ホーム上には貴重なものが残されている

おそらく国鉄時代の駅名標。備後本庄駅にも残されていることはすでに紹介したが

備後本庄駅のものとは違って木製の駅名標である。おそらく鳥居式駅名標だったと思われるが、鳥居を構成する上の部分がどこかに行っている。気候によって朽ちてしまったのか、あまり上部だけがないまま放置されているのは見たことがないが、その割には文字はしっかり読み取れる。このように雨ざらしで置かれると、やがて消えていくものだが、きれいに残っている。文字部分だけを更新したのかもしれないが、いずれにせよ貴重なもの。福塩南線では備後本庄駅のものが有名だが、木製のこちらもぜひ見てほしい存在だ

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