きっぷ

中央西線の駅をすべて訪問してみよう~初めて知った木曽路の境界

※訪問は2024年8月7日

ここから木曽路

贄川駅に向かうコミュニティバス「すてっぷくん」の車内

運転席の後ろのパネルはうるし塗り。初めて出会うと面食らうかもしれないが、6月に木曽平沢駅を訪れた私には納得できる。そういえばバスそのものの色もうるしのイメージである

バスの車窓も楽しい。私は鉄道がメインなので、地方においてバスに乗車する機会は決して多いとはいえないが、特にコミュニティバスの場合は主要道路から生活道路に入り込むことも多く、沿線の生活感により触れることができる。鉄路の車窓からはほとんど家などないように見えても実はちょっと異なることも結構ある

そんな中、道路には「ここから木曽路」の案内が出てくる

国道19号を来たバスはトンネルを避けて旧道である中山道を通るが、そこに碑もある。と思うと間もなく贄川駅に到着。10時28分に洗馬駅近くの洗馬駅口から約20分のバス旅だった

雰囲気に気遣う駅舎

贄川宿に基づく木造駅舎

洗馬駅と同じく、塩尻から奈良井まで開業した際に設置されたので誕生日は同じく1909年(明治42)である。ただ当時から、ほぼそのままの洗馬駅に対し当駅は、いろいろ手がほどこされている

木曽路最北となる贄川宿の雰囲気を損なわないように改修されている。立派なお手洗いもある。このあたりは奈良井駅と同じだが、平成の大合併まで贄川、木曽平沢、奈良井の3駅はいずれも楢川村だった(現在は塩尻市)

駅前に贄川宿の解説がある。木曽路の北の防衛拠点として1334年に関所が設けられたとある

標高870メートルの駅

駅の跨線橋にあるイラスト

そしてもうひとつ。細かな気配りが駅の訪問者をなごませてくれる

駅の標高は870メートル。2つお隣の奈良井が933メートルでJR東海で最も高いところにある駅ということは奈良井駅の記事で紹介したが

870メートルもなかなかの高さだ。駅へ向かうバスから見た道路上の気温は26度と表示されていた。時間が11時前ということを考えると、今年の8月上旬の気温としては涼しい方だが、駅のホームで話をしたご婦人によると「暑い暑い。こんな暑さは最近になってから」。このあたりは夏も涼しく、古い家は風通しがよくエアコンも設置されていないという。「部屋の三方をすべて網戸にすると風が入ってくるので後は扇風機だけで十分」とおっしゃったが、続けて「新築の壁の厚い家は当然エアコンが必要だし、近年はエアコンを買う人も増えてきた」とのこと

私の訪問時、平日の昼間とあって駅は閑散としていた。ただ駅の利用者は上記の記事でも説明した通り、2022年の1日あたりは奈良井の89人に対し、贄川183人と贄川駅が圧倒している。こちらも記事で書いたが、周辺の住宅数の違いを表した数字だと思う

国鉄時代末期から無人駅となっている。きっぷ売り場は板で塞がれているが、手荷物の窓口は残されている。装飾が美しいからだろうか

ホームの待合所にもJR東海は、しっかり財産票を入れていて「S18年12月」とあった。戦時中に建てられたもののようだ

地名に入る「贄」だが、神などに捧げたり献上する品物の意味がある。ふだん見かけるとすると「生贄」ぐらいしか思い浮かばないし、ひらがな表記が多いので、文字を書けと言われてもまず無理だし、そもそも難読の部類に入る。もともとは当地には温泉が湧いていて「熱川」と呼ばれていたが、やがて温泉が枯れ、現在の文字を充てるようになったという

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中央西線の駅をすべて訪問してみよう~奈良井で知った地域振興バス「すてっぷくん」

※訪問は2024年8月7日

奈良井で何気なく見た時刻表

6月に青空フリーパスの中央本線北限駅である木曽平沢駅に行き、徒歩で奈良井駅を訪れた際に駅舎内で見たもの。塩尻駅から洗馬、日出塩、贄川、木曽平沢の3駅近くを経由して奈良井に至るコミュニティバスの存在を知った。ダイヤ的には決して濃いとは言えない中央西線では貴重な存在だ

そして8月に入っての洗馬駅の時刻表

9時38分の松本行きで下車した。中津川方面への折り返し列車は10時54分。1時間15分の待ち。待機もいいが、この時間を利用してどこかの駅へと先回りすれば、この10時54分を捕まえられる。もう一度最初の写真に戻ると10時28分に「洗馬駅口」という停留所を出るバスが10時40分に「日出塩上」、10時50分に「贄川駅」に到着する。これはちょうど良いではないか。10時54分洗馬発の電車は日出塩着が10時58分、贄川着が11時3分。両方は無理だが、どちらかひとつはゲットできる。考えた結果、贄川駅に行くことに

本ブログでは過去、駅訪問の際のバスがたびたび登場していて、いろいろなドラマも与えてくれている。濃度からするとバスのドラマの方が多いかもしれないが、全国でバスに乗車して私が学んだのは「○○駅口」「○○駅下」という停留所は、駅からかなり歩くことが珍しくないということだ。5分だったらいい方で10分もの徒歩も数々経験している。ということで確実に駅前で降ろしてくれそうな贄川をチョイスすることになった

また、これと関連する知恵として駅巡りの際に「バスで駅へと向かう」「駅からバスで向かう」の二択が生じた場合は、必ず前者を選択すべきだということも学習した。鉄道駅というのは、かなり小規模であっても、明るい時間帯なら近くに行けば分かるものである。それに対してバス停探しというのは意外と難しく、向かいだけにあったりするのはまだいい方で、建物の陰だったり、民家の壁に小さく存在が記されていたりして、地図アプリ片手でも通り過ぎることがしばしば。路線バス、ましてやコミュニティバスともなると地元の方だけが分かっていればいいので、このようなことが起きる。その点、さすがに駅は見逃すことはないだろう

本陣跡などが残る宿場

洗馬駅の貨物ヤード跡らしき場所。ふだんは扉が閉められているのか、この日は開いていたが中に入るのはやめておいた。そろそろ駅とはお別れである

駅前に大きく掲げられている周辺案内図。小さな坂を下りると

かつての洗馬宿に出る。駅とお別れと言った理由は、この暑い中、ちょっとした坂でも二度と登る気がしなかったからだ

新しい水を補給。数年前、因美線で自販機を求めてさまよった経験から、新しいペットボトルを購入するまで、たとえ少量でも残して飲み干さないようにしている。もう酷暑の季節は過ぎているが、今後洗馬駅を訪れる方のために言うと、当駅には自販機はない。坂を下りても一見ないので焦る(というか私は焦った)かもしれないが、2つ上の写真の「→洗馬駅」の看板の奥に自販機がある

本陣跡などを眺めながらバスを待つ

地域振興バス「すてっぷくん」の停留所はすぐ分かる場所にある

予定通り10時28分のバスを待つ。乗車料金は1回につき100円。※印がついていてドキッとしたが、これは停留所が片側にしかないので、当該バスに乗車の際は向かいで待ってくださいの印だった。奈良井駅で見た時、デマンド便(予約制)の印があって、これも心配だったが、路線の最後の部分だけがデマンド便になっているようだ

ほぼ定刻、バスがやってきた。贄川へと向かおう

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中央西線の駅をすべて訪問してみよう~塩尻から1駅、さまざまな伝説の残る難読の宿場町

※訪問は2024年8月7日

高台にある明治42年からの駅舎

洗馬駅に到着。名古屋を出たのが6時13分で現在は9時38分。名古屋から3時間半近くかけて170キロをやって来た。中津川では5分の乗り継ぎ。途中の十二兼は運転停車だったので、ほぼ揺られ放し。過去にも書いているが、私はあくまでも「降り鉄」なので、同じ列車に1時間以上乗っていると飽きてくる。かなりしんどい旅だったが、とにかく塩尻の手前、JR東海管轄としては最後の駅にやって来た。青空フリーパスでは行けない3駅のうちの1駅まで来ただけで、まずは満足。今日中に帰るが、さすがに名古屋からは新幹線利用の予定。それでも170キロの単純往復だけで1日分の18きっぷの元は大いに取れただろう

出迎えてくれる駅舎は外に出る前から、なんともいい味を伝えてくれる。屋根を支える木の柱が良い感じ。ホームと外を隔てるフェンスも一部は木製のものが残されている。無人駅なので、この手のものは撤去されがちだが、しっかり残っているのがいい

駅舎はご覧の通りの木造駅舎。1909年(明治42)に中央本線が塩尻から奈良井まで延伸された際に開業した

こちらは駅名板。下に見える財産票を拡大すると

「M42年12月」の文字。駅の開業は12月1日だった

なかなか難読の洗馬の由来は

洗う馬と書いて「せば」。なかなか難読である。中山道の「洗馬宿」に基づく。これまでも触れているが、中央本線の駅名の多くは中山道の宿場町に由来するものが多いが、こちらは塩尻に次ぐ宿場だった。洗馬は自治体名にもなっていて、洗馬村が1961年まで存在した。ただし厳密に言うと駅の所在地は宗賀村。現在はともに塩尻市となっている

駅はやや高台にあり、宿場までは少し坂を下りる必要がある

洗馬の由来にはいろいろあって、宮ノ越駅でも触れた木曽義仲がこちらにも登場する

ちなみに前記事の十二兼駅近くにも義仲伝説はある。この後も出てくるが、中央本線は義仲伝説の宝庫だが、洗馬の地名の由来は義仲の家来が馬の足を近くの沢で洗い流したことにあるというもの

ただ塩尻市のHPによると、洗馬の牧という牧場から朝廷に対し、馬などが献上されたという記述が1014年の藤原実資の日記にあるという。1年前なら「藤原実資って誰?」と私も思っていたはずだが、今は違う。大河ドラマでロバート秋山さんが演じる、あの実資である。塩尻市のHPにも記されているが、木曽義仲の登場は150年以上後なので、義仲旗揚げのころはすでに洗馬の地名があったことになる。もっとも馬を洗ったという沢は存在するため、決して木曽義仲と無縁の地ではないという。また大変狭い地形を表す「狭場」が語源という説もあるそうだ

洗馬駅の役割

洗馬駅にはもうひとつの役割がある。運賃表を見ると塩尻までは190円。1区間なので当然の金額だが、この1区間が大きいのだ

福島県の浪江駅から延々と続いてきた東京近郊区間は、東京から中央本線を経て塩尻から篠ノ井線の松本まで続くが、その間途中下車は一切できない。きっぷの有効期間も1日である。ただ東京近郊区間でない駅までのきっぷを買うと、そのルールから逃れられる。そのような駅はいくつかあるのだが、この地では塩尻までのきっぷを買うなら、もう1駅、洗馬までの乗車券を購入すると、そもそも洗馬はJR東日本の駅ではないため、100キロを超えるきっぷなら途中下車もできるし、キロ数に応じたきっぷの有効期間も生じる

平安時台の伝説から明治の木造駅舎そして最新のきっぷのルールまで、いろいろなことが味わえる駅である

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中央西線の駅をすべて訪問してみよう~すっかり覚えた早朝の時刻から複線最後の駅へ

※訪問は2024年8月7日

急きょ予定変更で18きっぷ購入

今年の夏はあまりの暑さから当初は青春18きっぷを買わない予定だった。7月14日に四国から戻って、この後は8月後半の北海道まで自宅周辺からあまり動かないことにしていたが、9月上旬に予定ができたため、だったら8月上旬にすでに入っている名古屋への用件を含め、18きっぷのお世話になろうということで急きょ購入

8月6日は名古屋泊。午後からの用件だったので新幹線は利用せず、東海道本線をひたすら名古屋へと向かい用事を済ませ翌朝

朝の名古屋駅。言うまでもないが早朝からムシムシ

乗車電は6時13分発の中津川行き普通。過去にも複数の利用があるのですっかり覚えてしまった。中央本線は5時台にも2本の名古屋発があるが中津川以北に行こうとすると、結局この電車と同じになる。車庫のある神領駅からもう1本早い電車があるので現実的に宿をとるなら多治見に宿泊すればもう1本早い電車に乗車できるが(中津川に宿泊すれば、さらにもう1本早く乗れる)、昨夜は遅くなったので多治見まで向かう気力がなかった

元は信号場の駅

中津川では5分の乗り継ぎで松本行きに乗車。過去にも触れたが中央西線の普通(快速)は現在、中津川で必ず分断されている。それにしても名前は本線とはいえ、ローカル色豊かな山間部を名古屋から松本までの約190キロを1本乗り継ぐだけでゴールできるのは凄いことだと思う。もともと在来線の少ないJR東海だが、紀勢本線といい、飯田線といい、このような根性あふれる長距離の普通がお好きである

今回の最重要テーマは言うまでもなく「青空フリーパスでは行けない中央西線の3駅を巡ること」。木曽平沢~塩尻にある洗馬、日出塩、贄川の3駅。なんだか難しい駅名ばかり(笑)。18きっぷの最大のストロングポイントは会社の壁を越えて自由に乗降できることだと思うが、同じ会社内の路線でも、このように18きっぷ頼りになることがあるので、やはり貴重なきっぷだ

まずは南木曽のひとつ北にある十二兼駅で下車。正確に言うと下車というより4分間の運転停車を利用したものだが、いかんせんダイヤが薄い区間なので許してもらいたい。中央西線の駅はすべて列車交換可能な構造となっているが、当駅は中でも重要な意味を持つ。名古屋からの複線区間が一度ここで終わるからだ。当駅から倉本までが単線となり、その後は複線と単線を細かく繰り返すが、単線区間としては当駅~hoまずは南木曽のひとつ北にある十二兼駅で下車。正確に言うと下車というより4分間の運転停車を利用したものだが、いかんせんダイヤが薄い区間なので許してもらいたい。中央西線の駅はすべて列車交換可能な構造となっているが、当駅は中でも重要な意味を持つ。名古屋からの複線区間が一度ここで終わるからだ。当駅から倉本までが単線となり、その後は複線と単線を細かく繰り返すが、単線区間としては当駅~倉本の区間数が最も多い

高台の盛土に設置されている。開業は1948年(昭和23)と戦後だが、歴史は1929年から。信号場としてのスタートで後に駅に昇格した

階段を昇ったところに待合室そしてホームがある

信号場としてスタートしたことで想像できるように周囲は木曽川そして渓谷である

ちなみに写真にある通り、お隣の野尻駅までは4キロ足らず。上りか下りかは不明だが、この炎天下。今回は駅間徒歩という選択肢は全くない

場所が場所だけに2022年度の1日の利用者は22人とJR東海区間の中央本線では37駅(金山、塩尻をのぞく)中下から二番目

ちなみに十二兼という地名は渓谷の特徴を示す「セ(狭い)」「ニ(土地)」「カ(川、崖)」「ネ(尾根)」の「セニカネ」がなまったものだとか

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快速格下げが報道された石北本線の特急「大雪」に乗ってみた(後編)

※訪問は2024年8月28、29日

かつては北海道縦横断列車

一夜明けて朝の北見駅。前日の旭川の朝は、やや雨模様の少し肌寒さも感じる気候だったが、この日の北見は最高気温30度という予想で朝からすでに長袖では暑いぐらい

前日のうちに北見駅で指定券の発券を受けておいた。所持する北海道フリーパスは自由席は乗り放題で、自由席も楽々座れる自信はあったが、急きょこの日の帰宅を決めたので指定席の権利をできるだけ使っておこうということになった。ちなみに旭川~札幌も同時に指定券を発券した

8時55分の大雪2号が入線。ここから3時間近い特急旅である

「大雪」とは、元々は急行の列車名。戦後間もなくの1951年(昭和26)に網走~函館という超ロング区間を函館本線の山線経由で走ったのがスタート。この後、石北本線部分の運転がなくなったり、石北本線中心になったりと変遷が繰り返された。手元に1968年10月の時刻表(復刻版)がある。いわゆる「よんさんとー」の大がかりなダイヤ改正があった月だが、当時は1日5本の急行大雪と1本の特急が設定されていて他に遠軽で旭川発で名寄本線に分岐する急行「オホーツク」が1本あった

大雪のうち1本は夜行で網走を普通として20時40分に出発して北見から急行へと変更22時23分に出て札幌に翌朝6時19分に到着。列車そのものは、これで終わりではなく再び普通へと変更され、山線経由で函館到着が10時間後の16時35分という出発から終着までが、なんと20時間という北海道を横断、縦断する列車だった。もし今、季節便の臨時列車として運行すれば体力自慢の鉄オタが多数チャレンジするだろう

このように石北本線を担う優等列車だった大雪だが、特急の増発で後に夜行の網走~札幌のみの運行となり、JRに移管してからの1992年に急行廃止の流れを受けて廃止となった。この後、長きにわたって大雪の名前は消えていたが、2017年に25年ぶりに復活する。ただし網走~札幌を1日4往復していた特急「オホーツク」のうち2往復を旭川止まりにして名称を大雪にするという、どちらかというと負の復活だった

朝も利用者は…

指定席に乗車すると車内は

お世辞にも利用者が多いとは言えない。大雪の1本前のオホーツクは北見発6時48分発で、これでは早すぎると、大雪にシフトする利用者がいるかと思ったのだが、そうでもないようだ。北見から約50分で遠軽に到着。前記事でも記した通り、スイッチバックのため客自らが座席を方向転換しなければならないが、乗っている人がこれだけなので降りる人を気遣う必要もないだうと、間もなく到着のアナウンスが入った瞬間に私がクルクルと空席の座席を回し始めると、他のお客さんもそれにならってクルクル。私一人で6席分をクルクル回した

格下げの理由と今後は

大雪の大きな低迷原因のひとつに「毎日運行でなくなった」ことがある。コロナ禍で鉄道全体の利用者が減ったことを機に不定期運行となった。例えばこの記事を書いている10月16日は運行がない。11月いっぱいまでは火水木曜は運休となる。私が乗車したのは8月だったので連日の運行があったと思われる。9月終わりから10月初旬にかけては土日のみの運行となっていた日もあった。これでは定期的に利用できるはずがない

また相次ぐ廃駅や列車性能の向上も無料の快速などとの差別化を図りにくい要因ともなっている。列車交換や待避時間の差もあって一概に同じ物差しにはできないが、現在旭川~北見を1日1往復する快速「きたみ」と比べると、旭川を12時41分に出る大雪1号は北見着が15時44分。一方、旭川を2時間後の14時40分に出るきたみは18時1分着。前者の所要時間3時間3分に対し、後者は3時間21分で旭川から北見まで180キロも走って18分しか変わらない。これでは有料列車の意味をなさない

11時43分旭川到着。当駅始発の札幌行きライラックは同一ホームで15分の乗り継ぎとなる。15分という時間はそれほど苦にはならないだろうが、自由席利用者はせっかく座っていたにもかかわらず再びホームで並び直さなければならないわけで歓迎されていないだろう

大雪が快速化された場合は普通用列車が充当され、編成も1両ないしは2両になるはず。所要時間で差別化を図れないと記したが、快適な居住性は失われる。また青春18きっぷの季節はかなりの混雑が予想され、日常的な利用者へのサービスは低下する

私の実感では宗谷本線と石北本線の特急はかなり苦戦している印象だ。いずれも一部の特急が旭川始発着となっている。利用者減→本数減→さらに利用者減は鉄道においては典型的な負の連鎖だが、そのスパイラルに入っているように感じてならない

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快速格下げが報道された石北本線の特急「大雪」に乗ってみた(前編)

※訪問は2024年8月28、29日

※動画音声注意

初日は40分の乗車

時系列はこの日の続きとなります

旭川に宿泊した翌日は北見へ。まず結論から述べるとこの北海道旅は8月26日から31日までの予定だったが、異例のノロノロ台風のおかげでこの旅を続けると9月1日の仕事に行けなくなる可能性があると判断。29日に予定を切り上げ帰ることとした。さらに結論を言うと、あまりにもノロノロすぎて予定通り31日まで北海道に滞在しても問題なく帰れたというオチが待っているのだが…

石北本線の駅をいくつか回った後にたどり着いたのは生田原

お城のような駅舎にはオホーツク文学館と図書館が入っているが駅としては無人。かつては一部特急のみの停車だったが、今はすべての列車が停車する

きれいな駅舎内の扉を開けるとホームとなっている

ここから宿泊地である北見へと向かう。利用したのは特急「大雪」。この場合は特急に乗りたいというのが理由ではなく普通の少なさから特急に乗車するという物理的な理由。北海道フリーパスを持っているので特急は乗り放題である

この動画に違和感を覚える人もいるのではないだろうか

どんな違和感かというと、ホームに誰もいないのである。つまり乗客は私一人。ローカル線の無人駅に到着の普通ではない。これは特急列車の到着シーン。時間は15時で早朝ではない。動画撮影的には喜ばしいことだが、この時間帯に特急の乗車がないというのは、やや寂しい(もっとも生田原駅そのものの利用者が1日30人程度である)

1日2往復が快速化か

旭川と網走を1日2往復結ぶ(毎日ではない)大雪については、この6月に来年3月のダイヤで快速化されるとの報道があった。利用者減やワンマン運転によるコスト削減、使用車両の老朽化などが理由とされる

さて実際に乗ってみると、自由席の車内はこんな様子。利用者が多いとか少ないかを判断するレベルにもなっていない。無人のシートの向きが一部おかしいのは遠軽駅で向きが変えられなかったからだろう。遠軽駅はスイッチバック構造で、同駅をまたぐ列車に乗車する場合は乗客自らがシートの方向を変える必要があり、車内アナウンスでも、その旨のお願いがある。ただし前後にお客さんがいないのなら、放置しても何ら問題はない。遠軽で降りた人がいて、そのままなのか、それより前から誰も座っていなかったのかは不明だが、北見~網走の利用者がさらに少ないことを考慮すると、このまま終点まで行きそうだ

生田原を15時5分に出発した大雪は途中、留辺蘂に停車して15時44分に地域最大の都市である北見に到着

停車時間は1分ですぐの発車。指定席の利用状況は分からないが

3両編成の特急とはいえ、到着から1分ほどの時間なら、出発時でも改札口へと向かって歩く人の姿が残るはずだがすでにすっかり見えなくなっている

旭川からの道中で翌29日に帰るべく、飛行機のキャンセルや再手配、ホテル予約の取り消しなどはすべて終わった。基本的には明日は新千歳空港へと向かうだけだが、ここは明日も大雪を利用してみようという気持ちになった

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中津川以北の中央西線全駅を訪ねてみることを決める~(番外編)リニア駅予定地は「誤字」ではない

※訪問は2022年10月8日

中津川から1駅南下

前回の記事と前々回の記事に間違いがありました。訪問日を「2024年10月8日」としていましたが「2022年10月8日」の誤りです。先ほど気付いて訂正いたしました。今回も2年前の同日の話です

やって来たのは中津川からひとつ名古屋方面の美乃坂本駅。「中津川以北」のくくりだが、どうしても紹介したい駅で、このタイミングでしか紹介する機会がなかないと考え、ここで記事とさせていただくことにする

パッと見て目につくのは「美乃」の文字。ここは岐阜県そして美濃地方。だったら「美乃」ではなく「美濃」となるはずで、元々が「美乃坂本」という地名だったのか、それともひょっとして間違いのまま駅になってとまったのかと思ってしまう。以前も紹介したが

IGRいわて銀河鉄道の「奥中山高原」駅の例もある。ただ事情は多少異なるようだ

当駅の開業は1917年(大正6)。両隣の中津川、恵那(当時は大井駅)がともに1902年(明治35)の開業で15年が経過してから、その間に設置された。駅名は当時の所在地である坂本村(現中津川市)に基づくが、すでに坂本駅が熊本県にあったため、多くの駅と同様に旧国名である「美濃」を頭に付けようとなったが、「濃」という文字が難しい、地元では略字として「美乃」の文字を使用しているので駅名もそちらにしてほしい、と要望したところ認められたという歴史を持つ。今だったら、ちょっとあり得ない話だが、国鉄側も寛容な時代だったのか、書類を受理した人が懐の広い人だったのだろう。以降100年以上、駅名は美乃坂本のままである

リニアのもたらす変化

駅舎は開業時からのものが、そのまま使用されている。昼間は名古屋から直通の電車が1時間に2本運行され、特急停車駅ではないものの2022年度の1日あたりの利用者は2191人と多い

営業時間に制限はあるが「全線きっぷうりば」がある。JR東海では「みどりの窓口」という名称やロゴを使用しないのが原則だが、昔からの施設をそのまま使っているからか、みどりの窓口のロゴが残る

ただ、この駅にも近々大きな変化がもたらせられることがすでに決まっている。記事の最初の写真で駅名標の向こう側に工事を行っている様子が見えるが、これはリニア中央新幹線の工事。2年前の写真なので、現在はもっと進んでいる。当駅がリニアとの乗り換え駅となる予定だ

駅舎と逆側のぽっかり空いた場所にリニア駅ができて車両基地も設置される予定。と同時に駅は橋上駅舎となって、リニア駅とは自由通路で結ばれる。橋上駅舎となるからには大正期の開業以来の駅舎ともお別れである。またリニア駅は現状では駅名がない。仮称として「岐阜県駅」となっているが、まさかこのまま正式駅名にはならないだろう。その場合は乗り換えとなる当駅も駅名が変更される可能性がある

個人的には駅名決定の経緯に歴史的価値がある「美乃」を残してほしいとは思うが、まだまだこれからの話だ

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中津川以北の中央西線全駅を訪ねてみることを決める~長野県最初の駅は何もなく…ではなかった

※訪問は2022年10月8日

ホームと階段があるだけ

列車はいよいよ長野県に入る。記事上のスタート地点を中津川にしているので、すぐやって来たように見えるが実際は、この日も朝から青空フリーパスで名古屋からスタートしている。愛知県、岐阜県で何駅も降りながら来ているので、ついに長野県まで来たか、という感覚だ。ちなみに時刻はお昼の12時すぎ

ご覧のようにホームと待合所そして階段があるのみ。掘削された場所に設けられている

今いるホームは塩尻方面で向かいが名古屋方面。待合所は「部屋」になっているわけではなく、むき出しで屋根とイスがあるだけ。いかにも山中の県境といった静かな駅である。元々は信号場だったということで、納得できる

階段を昇ってビックリ

予定では、ここが本日の訪問駅では「最北端」となっている。向かいホームから中津川行きに乗車するつもりだが、この駅は跨線橋というより公道を経由する形となっているようだ。とりあえず階段を昇ろう。と、そこにあったものは

何やら建物とバス停。「田立花馬の里ひろば」と看板が掲げられていて入口は開放されている。入ってみると

これはどう見ても駅の待合所である。ただ雰囲気はJRのものではない

その証拠といっては何だが、最近なかなか見なくなった電話がある。調べると、こちらは南木曽町営の待合所。建物の前は広い駐車場となっている

旧田立村の駅

田立駅は旧田立村に基づく。明治の町村制施行以来、ずっと田立村だったが、1961年(昭和36)に複数の村が合併して南木曽町となった。駅前の広場を中心に街がある。実際に降りたっても地図で見ても納得だ。町営の待合所の「田立花馬」は年に一度、毎年6月に行われる祭りで、花で飾った3頭の馬が駅から五宮神社へと練り歩き、その花は住民が厄除け、虫除けとして持ち帰る

駅は前述した通り、1929年(昭和4)に信号場としてスタート。戦後の1948年に駅に昇格した。ただ歴史をたどると1973年に中央本線の複線化に伴い、駅の位置が大きく変わっている。以前の駅は1・5キロも南木曽寄りにあったという。当駅から隣の県となる坂下までが2・8キロで、同じ町内となる南木曽までは6・3キロと離れているのは駅移動のためだろうが、1・5キロ南木曽寄りとなると、集落から大きく離れた山間部となつてしまう。移動のおかげで旧来の村の中心部に駅ができたとことになる。ちなみに長野県最西端の駅となっている

駅は名瀑の「田立の滝」の最寄りではあるが

こちらはとても徒歩では行ける場所ではなく、ガイドによると車で行く場合も駐車場から、かなりの徒歩を要する。公共交通機関の場合もタクシーがいる坂下、南木曽両駅からのタクシー利用が推奨されているようだ

こちらは駅のホーム案内。公道を利用しての移動となるが、名古屋方面行きの階段のところで公道は終わっていて、そこは農地である

「やっぱりホームだけの駅だよな」という下車した時の感想と、その後の驚き。なかなか貴重な体験ができる駅だった

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中津川以北の中央西線全駅を訪ねてみることを決める~すぐそこは県境、始終着列車も

坂下駅に到着

※訪問は2022年10月8日

2区間のみの電車

11時すぎの中津川駅。当駅始発の電車に乗車

ビックリするぐらい乗客がいなかった。週末の昼間なので、こんなものなのかもしれないが、乗客の少ない理由は明白だ。中津川を出ると前記事で紹介した落合川に停車すると、次はもう終点の坂下駅なのだ。春から秋にかけての中央西線の週末は観光客も多く、原則2両の電車はかなりお客さんが乗っているが、たった2区間、9分で完結する電車には観光客もあまり用事はないようだ

このような短い区間で完結する列車の設定は各地でもそれなりにあって、当ブログでも五能線の能代~東能代(1区間)、高山本線の高山~飛騨古川(3区間)を紹介した。特に五能線の1区間については、この区間運転の方が他の列車より多いほど。沿線人口や利用者数に基づくものが多いが、中津川~坂下については県内完結である。しかも複線電化区間の一部というのは、ちょっと珍しい

長野県との県境はすぐそこ。何なら前記事でも紹介した落合川駅は同じ岐阜県にもかかわらず線路の距離が6・1キロもあるのに対し、長野県側の田立駅は2・8キロしかない

開業時からの駅舎

ただ落合川とは異なり、駅舎は風格のある木造駅舎を有する。開業は1908年(明治41)。中津川から当駅まで延伸された際に開業。約1年間、終着駅だった(その後、現在の南木曽まで延伸)

平成の大合併までは坂下町の駅だった(開業時は坂下村)。駅の周辺は坂下町の中心部が広がる。車窓からの眺めだと中津川を出た列車が木曽川沿いの山中に入り、再びパッと開けて坂下の町に到着するイメージだ

坂下は沿線の他の地域と同様、森林で栄えた町で、かつては当駅から森林鉄道も出ていた

こちらはホーム上の待合所。S16(1941年)8月の財産票が張られている

こちらは駅舎内の様子。簡易委託化されているが無人駅ではない

2022年度の1日あたりの乗降客数は537人。これは中津川~塩尻では木曽福島駅に次いで2番目に多い数となっている(中津川、塩尻を除く)。区間運転が行われるのも納得だ

ただ駅舎内にはこのような掲示が

訪問時の窓口営業時間は金~火曜日の午前中のみとなっていた

私の訪問は2022年10月だが、その年の春のダイヤ改正までは当駅から名古屋まで直通する電車も運行されていた。早朝には名古屋行き快速もあったが、現在は中央西線の特急以外の列車はすべて中津川で運行が分断される形となっている

現在は都心部の利用者数千人の駅でも、あたりまえのようにほぼ無人となっている駅も多い。ただ利用者としては駅を降りた時に駅員さんがいる安心感は何とも言えないものがあるのは、否定できない事実である

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中津川以北の中央西線全駅を訪ねてみることを決める~ホームからの景色は川のみ

落合川駅は島式ホーム

※訪問は2022年10月8日

奈良井駅で火がつく

6月に木曽平沢から徒歩で奈良井に到達したときのこと。駅舎内で張り紙が目にとまった

塩尻市のコミュニティバスの時刻表。塩尻駅から奈良井駅までを結んでいるようだ。当然のように青空フリーパスで行けない洗馬、日出塩、贄川の3駅も含まれている。これは良い情報ではないか。と同時に「こうなったら、幹線上のローカル区間の全駅訪問をしよう」

急に気持ちに火がついた。結果的にこの日は列車の遅延で、もともと予定していた駅訪問がいくつか行けなくなった。その分、倉本駅のような出会いもあって満足はしたが、ならば行けなかった駅はもちろん、すべての駅を訪ねたい。幸いにも9月に長野県に行く用事がある。この時に頑張って回ってみようということになった。この区間は中山道の旧宿場町も多く、古い駅舎がかなり残るのは、これまで紹介してきた通り。もっとも2年前までに名古屋から南木曽の手前まで中央西線の駅はすでに訪問済み。まずは、その中での中津川以北の3駅の紹介から始めよう

目の前は川だけ

ちょうど2年前の今ごろとなる10月8日、私は中津川駅にいた。名古屋から徐々に北上。手にはもちろん青空フリーパス。普通だと当駅で強制乗り換えとなる。さらに時間の許す限り駅訪問を行おう

やって来たのは

中津川のお隣の落合川駅。ご覧の通り駅舎はなく、待合所があるだけ

ホームに降り立つと

目の前は木曽川で民家は川の向こうに並んでいる。駅前が大きな町だった中津川から、わずか1駅で景色は一変した

目の前の川は落合ダム。木曽川に設けられた発電用のダムで1926年(大正15)竣工と歴史は古い。落合川駅は、それより少し先の1913年に信号場として設置された。ホームからの景色だけだと、まさに信号場だが、本来は中山道の落合宿に基づく。旧落合宿を中心にした落合村が1956年(昭和31)まで存在したが(現在は中津川市)、線路が木曽川沿いに敷かれたため、駅は村の中心部から、かなり離れたところとなった

明治生まれの駅が多い中央西線で、設置が遅れたのは、このような事情もあったとみられる

「駅前」はない

写真には工事中となっている箇所が多く写っているが、これは直前にあった豪雨で斜面の崩落があったため

駅を出ると人が1人通れるスペースしかなく

コミュニティバスもやって来ない時期となっていた。もちろん現在は復旧しているが

逆側の道路を見ても大変狭い。いわゆる「駅前」や「ロータリー」とは無縁の駅である

それでも以前はこの場所に木造駅舎が建っていたという。JR移管よりかなり前に現在の姿となっている。その分、駅名板の字体はかなりクラシックで、味わいはある。ダムをぼんやり眺めるのもいい時間だった。全国に多々ある「落合駅」は、どこの駅も特徴と歴史があって興味深い

ただ、こんな場所にあるのでは利用者もほとんどいないと思われるかもしれないが、2022年度の1日あたりの乗降客数は45人で、先に紹介した倉本駅の28人よりも多い。中央西線37駅(金山と塩尻をのぞく)中33位である

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