きっぷ

10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その8 今はなき自転車置き場

※訪問は2024年10月27日

真っ先に感じた違和感

田本駅から3駅目の金野駅に到着。ご覧の通り、こちらも単式ホームと待合所のみの構造。「きんの」と読むのはちょっと意表を突かれる

待合所に掲げられた時刻表。9時2分に到着して同22分で去る。20分の滞在。ここまではダイヤの妙でうまく駅を回った来られたが、上り下りとも、この後は3時間以上、ダイヤはぽっかり空いている。工夫を要する時間帯に突入する

短時間なので駅周辺を散策しようとホームから降りると、そこには初訪問でも分かる違和感があった

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12年前の強烈な印象

小さな階段を降りると草むらの広場となっている。先に顔をのぞかせているガードレールが突き当たりで右に折れて、その後はほぼ一本道だ

違和感というのは、この角度では分かりにくいが近づくとすぐ分かる

まるで下着の跡のような空間。形状で想像できるが、ここには自転車置き場があった

12年前に秘境駅号で来た時の写真。この駐輪場は日常的に使われているのだろうか、と思ったので真っ先に撮ったことを覚えている。このような小さな駅の施設が消えたのだから、それは大きな変化だ。この数年後に撤去されたようだが「今は見られない鉄道風景」となってしまった

もっともこの写真のみを掲載すると静寂だが、実際は

人わんさかである

駅は飯田市、金野は泰阜村

先まで進んでいくと折れた道は川にかかっている。米川という天竜川の支流のひとつで、このあたりは天竜川との合流地点となる。そしてこの橋は金野駅と外部を結ぶ唯一の道路にもなっている

金野駅は飯田から飯田線を南下していくと飯田市の南端の駅。お隣の唐笠駅から泰阜(やすおか)村に入る。ただ金野駅は飯田市だが、金野の街は泰阜村にある。泰阜村のHPによると金野諏訪社は武田家の家臣が子孫繁栄を願って創建した由緒ある神社だという。今でもかなりの山奥だが、戦国の時代に、このような山中に武士がいた(おそらく農家と兼業)とは、ちょっとしたロマンである

開業は1932年(昭和7)。門島~天竜峡が開通した際に設置された。敷設にあたった三信鉄道は当初から金野に駅を設置する予定だったというから、大きな集落として認知されていたのだろうが、地形の厳しさに金野の中心地に敷設することができず、天竜川に面したこの地に駅を設けたのだという。そんな経緯もあって駅周辺には何もない

駅名標に触れると金運がアップされるといい、12年前も大変な人気だった

訪問の理由は

時間も列車本数も限られているので、山中の飯田線ならではの駅すべてで降りるわけにはいかないが、この金野駅を選んだのは「利用者最少」の駅だから。2022年の利用者数を見ると1日の平均利用者数は「1」で最少。田本の「2」よりも少ない。「0」がないので「1」は最少となるが、これはおそらく小数点以下を切り上げた数字だと思われ、1がいくつか並んでいる

線路の脇にはロープが張られ、侵入できないようにされているが、またぐというレベルにもないほどの低さ。1日に1人も利用しないのだから、わざわざ線路内に立ち入る人もいないだろうけど

駅前の原型が怪しくなっているこの注意看板は12年前もあったかどうか記憶に残っていない

田本と同じく待合所の財産票は開業から1カ月以上が経過してのもの。開業からというよりは1年でどのぐらいの人の目に触れるかというレベルだが、当駅は車で駅前までアクセスできる貴重な存在で、それがかえって田本駅などと比べてコアなマニアの人気を下げているという一面もあるようだ

それでも写真で分かる通り、駅前の草はきれいに刈り取られている。このような環境なら、少し放置するだけで雑草が生い茂り、車が入れるスペースなど確保できない状態になってしまうはず。1日1人も利用しない駅での現状維持活動に頭が下がる思いしかないのである

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10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その7 ようやくかなった「ぼっち」訪問

※訪問は2024年10月27日

※動画あり。音声注意

「本来の姿の駅」に訪問

田本駅に到着。12年ぶりの訪問だが、状況は全く異なる。前回は秘境駅号でやって来たので、駅を味わうなどということはなく、駅を訪れた記録だけが残った感じだ。今回は本来の田本駅の姿と対面

ということで、静寂感漂う駅へ「ぼっち」の下車となった

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誰も降りない超有名駅

田本駅の2022年の1日の利用者数は「2」。そしてこれは最下位ではない。「1」があるのでビックリするが、それはこの後に出てくる。この数字には今回私が使用している青空フリーパスや青春18きっぷのような、いわゆるフリーきっぷの利用者は含まれない。もちろん秘境駅号の利用者も入らない。この駅から正規の乗車券で乗車または下車するとカウントされる。だから秘境駅号で田本までの乗車券と急行券を買って下車するとカウントされるのだが、そのような秘境駅号の客はまずいないだろう

ただ利用者数と反比例するように知名度は抜群だ。田本駅で検索すると駅紹介や訪問記、動画が数え切れないぐらい表示される。鉄道ものではない一般メディアでも紹介される。その意味では私の訪問記は甘いものかもしれないが、ここはお付き合いを

田本駅といえば、狭いホームと断崖絶壁のコンクリート壁。停車中の電車があると分かりやすい。ホーム幅は2メートルは絶対にない。ちゃんと点字ブロックがあるのが素晴らしいが、これより後ろで電車を待つとすれば、幅1・5メートルほどだろうか

知名度が高すぎるので説明するまでもないが、駅舎などというものはなく、単式ホームと扉のない待合所があるのみ。背後はコンクリートで固められた壁で線路の向こうは天竜川への絶壁。つまり断崖絶壁に囲まれている。いくらでも木の葉が舞い込んできそうだが、待合所はきれいに清掃されていた。足下にあるのは「ここで待て」サインだろうか

JR東海は待合所にもちゃんと財産票を張ってくれている。「昭和10年」というのは開業時のものだが、データによると開業は11月。少し遅れて設置されたことになる。開業させたのは三信鉄道。もともと駅の設置予定はなかったが、地元住民の懇願で門島~温田が開業した時に同時開業となった。線路の敷設とともに設置された。環境が環境だけに後からだと設置はなかったかもしれない

駅の前後はともにトンネル。かなりのスピードが出るようだ

唯一の出口からは山道

出入口は豊橋側に1カ所のみ設けられている

きっぷを入れるポストがあって、その先は

人が1人ずつすれ違うのがやっと、という細い階段。線路をまたぐ形で「下界」へと出る。途中まではハイキングコースというか山道のようだが、途中で分岐があり泰阜村、阿南町どちらへも行けるようになっている(阿南町へ向かう際は橋で天竜川を渡る)

こちらは田本の集落へと向かうコース。途中の道は険しいが、意外と近い。県道まで10分ほど山道を歩くと、もう「安全」らしい

田本駅を俯瞰で見る

田本駅といえば

階段を登り切ったところからの俯瞰だろう。列車の写真が写り込んでいれば、なお素晴らしいが、いかんせんダイヤというものがある

列車が写り込んでいるといえば12年前の写真

2012年11月のものだが、これは人が多すぎる。知らない人が見ると、いったい何の写真かということになる

こちらは階段の順番待ち。階段が狭いので初詣の本殿参拝待ちのような状況だった。ただ列車はホームに止まったままなのでホーム縁を歩いても危険はない

こちらは田本駅の時刻表。1日に8・5往復の停車と、この環境では多い方だが、事前に時刻表をチェックしないと2時間以上の待ちとなる。当然だがお手洗いも自販機もない(県道まで出れば自販機があるようだが、一度行った山道を帰ってくるのが面倒そうだ)

私は8時11分着で来て同47分で去るという、1日のうち上下ともここしかない1時間に2本のダイヤを利用した

とにかく雨にならず良かった。次の駅へと向かおう

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10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その6 朝から普通も通過の洗礼

※訪問は2024年10月27日

青空フリーパスを手に

朝の飯田駅。路線内では貴重な光る駅名標がまぶしい。そして手にあるのは

正確に数えてはいないが、当ブログではおそらく青春18きっぷの次に利用頻度が高い青空フリーパス。今日は飯田から豊橋まで徐々に南下して帰路に着くので心強い味方。飯田から豊橋までの運賃は2640円(なかなか絶妙な料金設定だ)なので、どこかで1駅でも後戻りすれば、元はとれる。そもそも豊橋から名古屋までは在来線に乗車して名古屋から新幹線に乗るつもりなので、その時点で元はとっていることになる

本当は飯田駅で買ってあげたかったが、窓口の休憩時間などがあるかどうかも分からなかったので念のために前日の新幹線からしなのへの乗り換えの際、名古屋駅で買っておいた(結論としては飯田駅の窓口はずっと開いているようだった)

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時刻表の小文字に注目

単色の案内表示が新鮮に見える朝7時前の飯田駅。7時5分の豊橋行きに乗る。当然だが豊橋に直行するわけではない。この列車の豊橋着は11時16分で4時間という鈍行旅。1時間も同じ乗り物に乗ると飽きてしまう私には無理。目指すは鉄オタ界隈では新幹線の駅並みに著名な田本である。ただ案内表示には赤文字で「停車しません」と流れている

文字が小さくて分かりにくいかもしれないが、時刻表には何やら書き込みがある。当該列車には※印が打たれていて、いくつかの駅を通過する旨が下にあり、その中には当然のように田本もある。「各駅停車」はすべての駅に停車するものだが「普通」は通過駅も存在する。つまり、この列車に乗っても田本は通過してしまうのだが、方法はあり、ひとつ向こうの温田まで行って引き返すと比較的簡単に田本まで行ける。もっともこのような方法で「簡単に」田本に行くのは同業者(鉄道ファン)しかいないだろうけど

貸切列車で向かうと…読めません

ということで約1時間かけてまずは温田へと向かう

日曜の朝7時とあって、私が乗った車両は見事に貸切だった

飯田や駒ヶ根、そして豊橋近辺など生活圏の電車という側面と全くの山中を走る秘境列車という2つの側面を持つ飯田線だが、飯田市の郊外を過ぎるとすっかり山中の鉄道となった。そして

温田に到着。当駅では列車交換の待ち合わせがあり、8時1分に到着した豊橋行きがしばらく停車。飯田行きを待ち受け、すれ違いをした後にまた別れていく。飯田行きの発車は8時8分なので、少しだけ時間がある

渋い木造駅舎が残る。1935年(昭和10)に三信鉄道によって設置された。飯田線の元の形が複数の私鉄なのは有名だが、辰野から天竜峡までを伊那電気鉄道が、豊橋から三河川合までを豊川鉄道と鳳来寺鉄道が敷設。そしてその間を結んだのが三信鉄道である。三河と信州を結ぶので1文字ずつとって鉄道名とした。つまり静岡県も含む県境の山深い部分を担ったため、飯田線の「有名駅」は、ほとんどが三信鉄道が開業させた駅である。駅舎は戦後に改築されたもののようだ

そしてサムネの写真を改めて掲載する

駅名は「ほ~」という感じがするが、自治体名にはルビがない。「やすおか」村と読む

そして、ここ温田は村役場ともうひとつ、天竜川の向こうとなる阿南町の玄関口としても機能している

駅の場所が泰阜村のかなり南の方にあるため、JRの駅としては門島の方が近いが、道路事情などから温田駅が2つの自治体の玄関口となっている。病院や学校は徒歩圏内。特急「伊那路」停車駅で2022年の1日あたりの乗降客数は302人と付近の駅と比べるとかなり多い。上下列車が同時刻発車ということもあって、駅にはかなりのお客さんがいた

駅からの天竜川の眺め

上下列車が格好良く並んだところで、いよいよ田本に向けて出発しよう

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10年以上後のリニア駅を訪問して飯田線を南下~その5 リニアの到着を待つ県第5の都市

※訪問は2024年10月26日

14年ぶりの訪問

飯田駅に到着。伊那上郷からは桜町をはさんで2駅目だが、5分もかからず到着してしまう駅間の短さが飯田線ならではである

飯田駅は路線名が表すように200キロ近い全線の根幹をなす駅だが、当駅始終着の列車は意外と少ない。辰野方面からやってくる列車は天竜峡止まりが多く、言い換えれば天竜峡止まりから南側は閑散地域ということになる。ただし飯田線に入ってくるJR東日本車両については飯田駅が南限となっている

2010年以来、14年ぶりの訪問となった

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焼肉を食べよう

飯田駅の訪問はこれが2回目。2010年の東京勤務の時代、夏季休暇をとって神戸まで帰ってきたのだが、当時は諏訪、松本と訪問した後、飯田線を貫いて豊橋経由で名古屋で途中下車した後、帰路についた。その後は秘境駅号で天竜峡で折り返したほかは、湯谷温泉駅の駅舎が取り壊しとなる寸前の2019年に小和田駅とセットで訪れたぐらいだ。もっとも豊橋~豊川の都市部近郊は何度も乗車しているが、こちらの都市路線は「別物」としておこう。つまり辰野~天竜峡は2回目の乗車となる

飯田駅は1923年(大正12)の開業。伊那電気鉄道によって設置された。現在の駅舎はJR移管後のもの。X(旧ツイッター)のフォロワーさんに教えてもらったのだが、赤く丸みを帯びた屋根や正面の装飾はリンゴをイメージしたものだという。もちろん管理駅で全線きっぷうりばもある

構内も広い。2面3線構造で列車によって発着ホームは変化するようだが

偶然出くわした出発を待つ特急「伊那路」は、跨線橋を渡らずに済む改札のある1番線から発車する。飯田~豊橋を結ぶ1日2往復のみの飯田線唯一の定期優等列車。14年前、豊橋へと向かうべく駅で特急券と指定席券を買おうとしたら「自由席でも十分座れますよ」と言われた記憶がある。確かに観光のシーズンオフで悠々の自由席だった

駅前には渋めの建物が並んでいるが、駅から数分歩いた場所が繁華街の中心のようだが、ずっとにぎやかな場所が続く

飯田市はかつては飯田城の城下町、宿場町として栄えた南信州の中心地で生糸、精密機器でも有名となった。人口は約10万人で県内第5の都市である。伊那上郷駅でも学んだことだが、飯田駅から坂を下っていく形で繁華街が形成されている

前回は馬肉を求めて街を歩いたが、テレビで焼肉店が多いことを知った。確かに検索すると、たくさんのお店が並ぶ。人気店を1週間前から予約してお腹を満たした

リニア後の交通体系に注目

駅前の高速バス乗り場で時刻表を眺めて分かるのは東京、名古屋へのバス便の多さ、特に東京への本数の多さだ

こちらは東京(新宿)行き

そしてこちらが名古屋行き

特に東京行きの午前中の多さが目につく。このバスは飯田線に沿うように駒ヶ根、伊那、辰野などで細かく乗客を拾って八王子や三鷹を経由して新宿へと向かう。所要時間は4時間から4時間15分で料金は平日と休日及び休日前日で異なるようだが、平日なら4600円、ネット割引なら4000円からとなっている。停留所があるため、辰野まで1時間かかるが、それでも岡谷経由の中央本線、豊橋経由の東海道新幹線と比べても速い(豊橋経由は時間はほぼ同じだが特急が1日2本しかない)。そして何よりも安い。これは本数も多くなるはずだ

だが、リニア新幹線が開業すると現在の想定では品川まで45分、名古屋までは25分と大幅どころではない短縮。運賃の方はまだ発表されていないが、想定では8000円ぐらいになりそうだ。もちろん日帰りも可能となる

現在、飯田駅始発で駒ヶ根や伊那などは高速道路上に停留所がある便とは別に、駒ヶ根の街中を始発とするバスも数多く運転されていて東京への輸送はバスが圧倒している状態だが、リニア開業となると飯田のみならず、飯田線沿線の主要都市とリニア駅最寄りを結ぶ優等列車や快速が運行される可能性もある。まだまだ先の話だが、現状の力関係がどうなるかは注目ポイントのひとつである

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その6 やっぱり列車でゴールしなきゃ

糸魚川駅に到着

※訪問は2024年10月11日

2つの駅名板

中土駅の駅舎には2つの駅名板がある。ひとつは前記事のサムネで掲載したもの。そしてもうひとつは

年季が入ったもの。前者は駅舎の外に、そしてオールドバージョンは

駅舎の外側つまり列車で降り立つと、こちらが迎えてくれる

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シールを張って一路糸魚川へ

中土駅ともサヨナラの時間が来たようだ

南小谷駅でも同じものがあり、1カ月前に張った。今回ももちろん張る。来た全員が張り付けるとは思わないが、南小谷より利用者が圧倒的に少ない当駅なので、見かけたら思わず張ってしまうのではないか。首都圏や近畿圏は重ねて張るしかないのだが、遙か彼方からの人もいるようだ。対馬はビックリ。福岡からの方は「ネタじゃねぇぞ」との書き込みも

駅でともに降りた同業者の青年は、この後北小谷まで行き、増便バスの停留所まで歩き(徒歩10分ほど)、白馬から松本経由で東京に帰るという。前日からの旅程を聞いたが、若いとパワフルでいいな、と思った

中土から1区間、同乗してお別れである。私はこのまま糸魚川へと向かう。ふと顔を上げるとキハ120の車内は私を含め4人

そういえば中土駅ではこのような注意書きがあった

頭の中が鉄道だらけになると「通過」という意味が間違って脳内に伝わってしまうが、バスの世界では、ここには立ち寄らないという意味になる。今は国道から離れてしまうと、何かと不自由な時代である

大糸線の現状

私が乗車したのは中土を10時10分に出て11時3分糸魚川着のキハ120。10時4分に南小谷を出ているが

こちらの記事でも記したように白馬方面からの接続が極めて悪い列車で乗車が少ないのもうなづける。この後、根知で2人、姫川で1人の乗車があった

ここで糸魚川と南小谷をのぞく2022年度の非電化区間である大糸北線各駅の利用者数を記すと

中土 2人

北小谷 4人

平岩 4人

小滝 4人

根知 8人

頸城大野 16人

姫川 4人

この中には今回私が使用した秋の乗り放題パスや青春18きっぷなどのフリーきっぷの利用者は含まれていない。また中土で出会った同業の青年は途中下車を繰り返していたが、そちらも含まれないので実際に乗降した人の数とはかい離があるが、日常ということを考えると決して良い数字とは言えない

一方、増便バスについては長野県のHPに9月12日の記載があり、6~8月の利用状況について

6月 1日平均約25人(1便平均3人)

7月 1日平均約48人(1便平均6人)

8月 1日平均約112人(1便平均14人)

となっている。認知度が増して夏休みに入ると利用者が増えていることが分かる。現に9月に私が利用した日も18人の乗車があった。もっともこちらはあくまで白馬~糸魚川全体の利用者であって各駅の利用者数とは異なることに留意が必要。鉄道もそうだが白馬や信濃大町から大糸線を経由して糸魚川から新幹線に乗り換えると各駅利用者には入らない。また私見だが、バスの数字にはフリーきっぷ利用者も含まれている気もする

景色を眺めながら糸魚川へ

平岩駅を過ぎると姫川温泉が見えてきた。3年前に宿泊した際、部屋から「お~い」と手を振った。翌日、乗車すると車窓から部屋で手を振る浴衣の宿泊者がくっきり見え、私もそんな風に見えていたのかと、ちょっと恥ずかしくなったことを思い出す

12月から増便バスは冬季期間となり停留所が変更される。現在は白馬から南小谷までの各駅に停車しているが、南小谷までノンストップとなり、代わりにスキー客の利用が多い白馬八方バスターミナルが新たな停留所となる。また平岩、小滝の両駅は通過するが、駅とは離れた場所の温泉施設や道の駅が停留所となっている中土、北小谷の両駅は停車が続く

大糸線用となっている糸魚川の切り欠きホームに到着。やはり列車の到着は気分が落ち着く。大糸線については非電化区間であるJR西日本の大糸北線ばかりが何かとクローズアップされるが、JR東日本の区間も信濃大町から北上していくと、一定の乗客がある途中駅は白馬と神城ぐらいで、この後の記事でも出てくるだろうが、多くの駅で「ぼっち」を体験した。沿線には多くの温泉があるにもかかわらず、もったいない気もする

手元に1988年3月号の時刻表(復刻版)がある。すでにJRへの移管は行われていたが、南小谷をまたぐJR東日本、西日本の両線を走る列車がまだ1日2往復残っている。大阪から北陸本線、大糸線を経由してのシュプール号も健在。このシュプール号、いつも大阪駅で多くのスキー客が列車を待っていた光景は覚えているが、始発駅が西明石だということを知ってちょっと驚いている

増便バスを出すぐらいなら、大糸線そのものを増便すれば良いではないか、との声も聞こえてきそうだが、平岩、中土の両駅でも紹介したように大糸北線では駅の交換設備がなくなっていき、現在すれ違いができるのは根知駅のみで列車本数を簡単には増やせない状況にある。ただ白馬行きの増便バスで分かる通り、JR東日本と西日本をまたぐ列車があれば需要は少し増えるのではないか。それが無理なら、せめて接続の便を図るべきだと思えてならない

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その5 大糸南線で唯一の非電化駅

中土駅の駅名板

※訪問は2024年10月11日

国道は離れた場所を行く

中土駅の駅前

3年前は「交通 安全宣言」の向こうから南小谷駅へと向かう小谷村村営バスがやって来たことを覚えている

ただ交通安全をうたうほど車の交通量があるわけではない。いわゆる「塩の道」で大糸線とほぼ並行して走る国道148号は中土駅から離れた場所を走る

増便バスは駅前まで来て再び国道に戻るのにはかなりの回り道となるため、停留所は温泉施設「サンテインおたる」に設けられている。同所から中土駅までは1・2キロ離れていて徒歩なら15分以上かかりそうな距離である

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元は合成地名

駅名は、かつてあった中土村に基づく。これはいわゆる合成地名で「中谷」「土谷」の2つの地名の頭文字をとって村名にしたもの。1958年(昭和33)に北小谷村、南小谷村と合併して小谷村が発足した際に自治体としては消滅しているが、駅が開業した1935年(昭和10)はまだ中土村が存在した。ただし駅の所在地は南小谷村だった

村の中心地は徒歩なら小1時間ほど離れた場所にあったが、地形上、中心地に鉄路を通すことは不可能だったのだろう

こちらは駅舎内の様子。きれいにまとめられていてテーブルもある。こちらは少なくとも開業時のものではない。そしてきれいに清掃されている

かつての駅の写真が飾られている。戦争を挟み20年以上も終着駅だったことで写真にも重みがある。駅員さんの姿も写っているが

もちろん現在は無人駅。国鉄末期には無人化されていたがきっぷ売り場の窓口跡に

かつてホームにあったと思われるホーロー駅名標が保存されていた

きれいな駅舎内とともに地元の方の愛情を感じる

電化、非電化の分かれ目

駅前には商店そしてタクシー会社があるが、商店については現役ではない。たばこ店のホーローと遠くからも識別できる「たばこ」の文字はローカル線の定番である

再びホームに出る。時刻は10時を回ってきたが暑くなってきた。先ほどの商店前には自販機はある。冷たい缶コーヒーを買って白馬から着てきたセーターを脱いでバッグにしまう。2時間ほど前、一ケタの気温に白馬駅でブルブルしていたのがウソのようだ

島式ホームだが、平岩駅と同様に片側は役割を終えていて、と同時に構内踏切もすでに踏切ではなくなっている

大糸線では1957年(昭和32)の全通から間もなくして電化の機運が高まった。元より松本~信濃大町の信濃鉄道が敷設した区間はすでに電化されていたため、工事は延伸という形で進めめことができる。当初の目的だった国防の意義はなくなっていたが、温泉、登山、スキーと当時の観光の要素がすべてそろっていたため、国鉄によって敷設されたしなの信濃大町以北も電化して観光路線として強化することになった。工事は順調に進み、白馬(当時は信濃四ツ谷)までは早くも1959年に、翌年には信濃森上までが電化された。その後は少し時間がかかったが、1967年に南小谷までが電化。そして…と言いたいところだが、電化はここまで。現在の形となった

当駅も含め、大糸線の県境部分は数々の自然災害が発生した場所でもある。豪雨に山崩れ、地震。中土駅も豪雨で何度か水浸しになった。駅舎が新しく感じるのは、その度に修復が行われたからだろう。電化に伴う難工事と自然災害への危機感が電化の歩みを止めた。その結果、戦前に開業した松本から当駅までの大糸南線で南小谷~中土のみが非電化区間となった

かつては転車台もあった終着駅に現在やって来る列車はキハ120の単行。民営化時に電化区間と非電化区間で、かつての大糸南線で1駅だけ所属会社も変わることになるとは、電化工事がストップした時点では誰も考えなかったに違いない

2022年度の中土駅の1日あたりの利用者は2人となっている

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その4 3年前の忘れ物

中土駅の駅名標

※訪問は2024年10月11日

3社のJRが乗り入れる長野県

平岩発9時30発に乗車。もちろん、と言っていいのかどうか分からないが、乗車したのは私1人。すると車内には20人のお客さん。自分の予想をはるかに超えていたので、ちょっと驚いた。秋の乗り放題パス期間ではあるが、同業者(鉄道ファン)の姿は少ないようで、観光や登山の方がほとんどのようだ。1駅隣の北小谷では1人が降り、3人も乗車してきたので、これも意外。3年前に訪れた北小谷は乗下車ともに私だけでホームで小1時間ぼんやりしていた記憶があるが、北小谷で降りた人も乗車してきた人も地元の方のようだ

そして平岩駅から2駅目の中土駅に到着。駅名標を見れば一目瞭然だが、隣は南小谷でJR東日本との境界駅でJR東日本管轄。JR西日本の駅名標もここまでということになる

南小谷はJR東日本とJR西日本が接続する在来線唯一の駅。北小谷そして中土は長野県に所在する。考えてみれば、長野県はJR3社の在来線が走る貴重な県である

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JR西日本の最東端駅

平岩と中土は2区間で11キロだが、途中の駅はひとつだけにもかかわらず所要時間は20分と長い。大糸線の難工事部分で山中をぬうように走る線路にはJR東日本ならではの速度制限があるからだ

さて中土駅で降りたのは私ただ1人…という予想だったが、私を含め2人。ただし同業者。私よりもはるかに若く、後で車内も含め話をしたが東京から来たという。ローカル線の駅で同業者と2人きりになった時の「あるある」だが、互いが写らないよう気を遣いながらの撮影会となった(笑)

こちらは時刻表。9時50分に着き、10時10分の糸魚川行きで去る予定。駅にいられるのは20分だが、3年前と比べると十分な時間だ。というのは3年前は小谷村村営バスのお世話になって当駅から南小谷へと移動したのだが、バスの時刻が列車の到着からわずか3分後という慌ただしさで、とにかく写真を撮れるだけ撮っているうちにバスが見えたので即撤退となった

美しい木造駅舎が健在である。中土駅の開業は1935年(昭和10)。信濃大町から徐々に伸びてきた大糸南線の終着駅となった。大糸線は全通までは糸魚川~小滝が大糸北線、松本~当駅が大糸南線という名称が与えられていた。以降、戦争を挟んで1957年に大糸線が全通するまで20年以上にわたって終着駅の役割を果たしていた

駅舎は開業時からのものと思われるが、かなり手は入っているようだ。シャッターは地元消防団のもので、道具置き場となっている

JR西日本最東端の駅でもある。かつては北陸本線の谷浜駅(新潟県)だったが、三セク移管によって中土駅が、その座についている。なおJR西日本が管轄する線路となると北陸新幹線の上越妙高駅(新潟県)が最東端となるが、境界駅である上越妙高はJR東日本の管轄となっているため、最東端の駅となると中土になる

それほど多くの時間はないが、駅舎内とその周辺も見ていくことにする

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その3 山中の県境を駅から楽々と徒歩越え

平岩駅の駅名板

※訪問は2024年10月11日

【動画あり音声注意】

ホームは棒状化

平岩駅のホームから前記事とは逆方向の眺め。昨日までの2日間、ずっとJR東日本の駅名標ばかり見てきたのでJR西日本の駅名標が新鮮に感じる。JR各社の壁を越えて移動できるフリーきっぷ(この時は秋の乗り放題パス)のありがたみを知る瞬間でもある

そしてご覧の通り、始終着列車の設定があるにもかかわらず島式の1面2線構造は1面のレールがはがされ棒状化されている。全国のローカル線で必ず出くわす光景

少し時間があるので再び駅舎の外に出てみよう

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3年前に驚いたこと

駅前の周辺案内図を見る。駅周辺は姫川温泉。姫川をはさんで数軒の温泉宿がある。元々は大糸線の全通に合わせて作られた温泉街だが、全盛期よりは数を減らしている。3年前は

駅舎に向かって左側のこの道を宿へと向かった。平岩駅の開業に合わせて作られた温泉だけに、駅からすぐ到着する

温泉で癒やされ、翌朝の出発前、テレビの天気予報を見て不思議に思った。長野県の天気予報なのだ。ニュースも長野県内のもの。宿に向かって降りた平岩駅は糸魚川市つまり新潟県にあるので、ここは新潟県のはず。首をかしげながらフロントに向かうと置いてあった新聞も信濃毎日新聞。さすがに宿の方に尋ねると「ここは長野県なんです」

宿予約の際、住所をしっかり見ていなかった自分のリサーチ不足ではあるがビックリした

地図で分かる通り、姫川が県境となっていて徒歩5分。つまり駅は新潟県だが、こちらの温泉街は長野県にある。全国の県境は随分と経験したつもりだが、山中の県境は峠か深い渓谷の印象が強く、まさか歩いて楽々と越えられるものとは思ってもいなかった(ちなみに新潟県側には新しい温泉旅館が1軒ある)

そういえば、その時の旅でお世話になった小谷村のコミュニティバスも温泉街を通って

これは3年前の写真だが、部屋や露天風呂から、まるでテーマパークのアトラクションのようにキハ120がよく見えた。実は今回も当地での宿泊を考えたが、旅程の都合で無念の断念となった

キハ120で次の駅へ

ちょうど総選挙前だったので、駅前には立候補者の掲示板が用意されていた。駅は新潟5区となっている

こちらは駅前の看板。平岩駅の開業は1957年(昭和32)で、戦後も10年以上が経過して人々にレジャーの余裕ができ始めていたころだった。大糸線の全線開通を機会に当駅を温泉、登山そしてスキーの拠点としようとしたのだろう。かつて新宿から大糸線経由で糸魚川まで運行されていた急行「アルプス」は、現在の大糸北線内では平岩が唯一の停車駅だった

現在やってくる列車はキハ120の単行のみである

南小谷行きのキハ120がレールをきしませながら入線してきた。ホーム案内の電光掲示の左側矢印は、もはや意味がなく、電光案内そのものが不要となっているが、しっかりと現役である

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その2 駅舎を抜け待っていたのは

平岩駅の駅名板

※訪問は2024年10月11日

新潟県に入って私のみの下車

南小谷から約20分。増便バスは新潟県に入って最初の駅となる平岩に到着。増便バスは当駅前後の北小谷、小滝ではいずれも駅から遠いところに停留所が設けられているが、ここ平岩駅では高台の国道から分岐して一度駅まで降りてくれる。それは駅が新設された国道から離れているという意味でもあり、駅の場所が地元の方の生活圏から離れているという意味にもなるが、平岩はそうではない。駅周辺には民家も多い

駅からどうやって国道に戻るのだろうと思っていたら駅前の駐車場でグルリと方向転換して去っていった。バスには南小谷から私を含め5人が乗車。先に乗っていた3人も含め計8人の利用客がいたが、当駅で降りたのは私1人である

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3年ぶりの訪問を出迎えてくれた景色

平岩には3年ぶりの訪問。2021年9月のことだった

コンクリート駅舎となっているのは、開業が大糸線全通時の1957年(昭和32)のため。先の記事でも記したが、大糸線の信濃大町~糸魚川は国鉄によって敷設された。険しい山中をぬうように敷設されたのは国防上の理由からだが、1935年に南側は中土まで、北側は小滝まで開通した後、難工事となる長野と新潟の県境部分は戦局の悪化に伴い、工事が中断。日本海から東京、名古屋へ向けての国防上重要となる鉄路は艦砲射撃を避けるため、できるだけ山中が良いというのが敷設理由だったが、計画時とは変わって時代はすでに航空機となっていて、山深い場所にわざわざ線路を新設する理由がなくなっていたのだ。工事が再開されたのは戦後がかなり経ってからで大糸線の全通は戦後10年以上も経過していた

駅前には石碑があり、一部は欠けてしまっているが、全通までの苦労が刻まれている

財産票は昭和31年11月となっている。駅の開業は翌年の8月なので駅舎そのものは早々に竣工していたことになる

こちらは駅名板

県境の駅というこで今でも1日に2本の糸魚川との折り返し列車が運行されている。周辺は温泉地で登山客需要もあったため、JR移管後もしばらくは有人駅だった

駅舎からホームへは階段で上がる。すると

なんだ、この素晴らしい景色は。時刻は朝の9時20分。山と雲に溶け込む雑草に囲まれたホームの風情が素晴らしい。右側には除雪車が間もなくやってくる雪の季節を前に出番を待っているようだ。ちなみに

こちらが3年前の写真。ちゃんと動いている。当時の景色の記憶がほとんどないと思っていたら、当日は曇天だった

3年前は当駅からすぐの姫川温泉に宿泊している

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大糸線の増便バスに再乗車、キハ120と組み合わせる~その1

南小谷駅のホーム側改札付近

※訪問は2024年10月11日

1カ月を経ての再訪

前回までの大糸線の各駅訪問は3月の話。なぜ記事化するのに半年も置いたかというと、全駅訪問が終わっていなかったこともあるが、雪景色が全く季節に合わなかったからである。といっても、一昨日あたりから急に冷え込みが厳しくなり、急速に冬の足音が聞こえてきた。大糸線の訪問は9月の上旬、10月の上旬にも行っているため、季節的には真逆になってしまうが、ご容赦ください

そして9月に次いで10月も大糸線増便バスに乗ってきた。季節というより時系列が飛びまくるが、こちらは3月までの限定運行ということで早めに掲載することにする

ちなみに1回目はこちら

スタートは気温8度の白馬から

スタートはハロウィーンムードの白馬駅から。1カ月前にも来ているが、気候がたった30日で全く異なる。前回は汗をダラダラかいていたが、この日の朝は8度。もちろん息は真っ白。前々日から当地は急に寒くなったようで、この2日間、宿では就寝の際、暖房をつけた。季節外れの夏日が続いていた神戸から信州に来て温暖差に身体もビックリだが

8時1分発の南小谷行きに乗車。これを逃すと次は11時23分と3時間20分後なので、絶対に譲れない電車である。白馬駅近辺でお勤めの方もいるのだろう。かなり混み合っていたが、南小谷へ向けてはガラガラとなった。本日は1カ月前と同じく南小谷から大糸線増便バスに乗る。ただ前回は単にバスで糸魚川まで行っただけだったが、今回は駅にも立ち寄り、最後は鉄路で糸魚川へと向かう。手には「秋の乗り放題パス」。毎年、鉄道の日の10月14日前後に登場するきっぷで、使用ルールは青春18きっぷと同じ。ただし3日間の連続利用、グループ利用禁止という決まりがある一方で自動改札機を通ることができる。つまりこの12月に発売される青春18きっぷとほぼ同じ内容だが、この頃はそのような改訂があるなど夢にも思っていない

約20分で終点の南小谷へと到着

南小谷は管理駅で、人はずっといるのだが窓口は9時過ぎからのようで、まだ開いていない

1カ月前はエアコンのお世話になり、冬場はコタツも登場するという待合室もまだ閉まったまま

勝手知ったる増便バス

こちらは駅舎。前回で勝手は分かっているので安心だ

時刻表も理解済み。実は前日、大糸線の駅回りでも利用したのだが、それはその時に紹介する。今から乗車するのは8時47分の1便。時刻表を見てもらえれば分かるが、このバスは白馬を8時30分に出ている。列車の紹介で8時1分に乗り損ねると大変、と記したが、増便バスがあるうちはカバーできる

というか

駅の時刻表で見てもらえば分かるが、白馬発8時1分に乗車しても南小谷着に同20分に着いた後、糸魚川行きは10時4分発で1時間40分もの待ち時間がある。白馬を次に出るのは11時23分で、もちろん10時4分には乗れない。11時23分白馬発は11時42分に南小谷着で、12時7分発糸魚川行きに25分の接続と、ようやく接続らしくなる。ちなみに白馬からだと始発となる6時57分発も南小谷での接続が図られている。要は「痛いところに手が届く」時間帯に設定されているのだ

だったら白馬を8時30分に出ればいいではないか、の声も聞こえてきそうだが、とにかく気温が一ケタの朝である。バスにお手洗いがないのは前回で確認済み。生理現象を考慮すると、ここは電車で南小谷まで行くのが無難というもの

ほんの少し色づき始めた山と川の景色を見ているうちに

数分遅れ気味でバスが到着。まずは大糸北線の駅を目指そう

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