2023年3月4日7時20分
羽後本荘に宿泊
前夜は18時前に羽後本荘に到着
羽後本荘の駅名標です。そのままホテルへ
一夜明けた羽後本荘駅。朝の7時過ぎですが、曇っていてまだ薄明るい。立派な橋上駅舎が2年前に完成。それまでは昭和50年代に改築されたコンクリート駅舎でした。旧本荘市で現由利本荘市の代表駅。特急も停車する管理駅ですが、前記事の岩城みなと駅の項でも触れた通り、有人ながら窓口はなくきっぷ販売は指定席も発券できる自動券売機となっています
待合室に過去の写真とともに羽越本線の周辺駅の歴史も掲示されています
現在は羽越本線の一部が1922年の羽後本荘駅開業当時は陸羽西線だったことが分かります。そのひとつ下に耳慣れない「横荘鉄道」という文字が見られますが、これこそが今から乗車する由利高原鉄道の元になったものです
スタートはJR駅の一部から
改札内は同じになってしまうのですが、JRと由利高原鉄道は別の改札口となっています。そして由利高原鉄道には窓口はちゃんとある
羽後本荘駅は4線のホームを持っていますが、1~3番線をJR、4番線を由利高原鉄道が使用します。すでに発車準備は整っていますね。会社名は由利高原鉄道、路線名は鳥海山ろく線。JRに乗って当駅に向かうと到着時には「鳥海山ろく線はお乗り換え」とアナウンスが入ります
歴史ある23キロの第三セクター
由利高原鉄道は羽後本荘駅から山中に入り、終点の矢島駅を結ぶ23キロの三セク
国鉄末期の1985年に国鉄「矢島線」が三セク転換されました
歴史は古く、先述した横荘鉄道が羽越本線の全通(1924年)より先の1922年に羽後本荘~前郷を開通させました(陸羽西線から羽越線に名称が改められたのは1924年)。1922年といえば大正11年ですから歴は相当古い
ならば「横荘」とは何なのか、という話になりますが「荘」は羽後本荘だと容易に察しがつきますが、「横」はというと奥羽本線の横手です。横手と羽後本荘の両方から線路を伸ばしてつなげる予定で、横手側からの方が先に工事が始まり、昭和初期までには順調に線路が延びていき、前郷で接続された後の繁栄も考慮されて前郷~矢島も延伸開業されたほどでしたが、日本各地の未成線と同じく、戦時体制とともに工事は中断。その後、線路が結ばれることはありませんでした
路線にとって不幸だったのは、矢島延伸(1937年)間近になって横荘鉄道は国有化され「矢島線」となったにもかかわらず、横手からの路線は国有化されず、名称も羽後鉄道から羽後交通横荘線となったものの、天災などの不運もあって徐々に路線は縮小。1971年に全線が廃線となってしまいました。現在は横手と羽後本荘をバス路線が結んでいます
矢島へ出発
残念ながら時間の制約があって今日は、それほど多くの駅で降りることはできませんが、全線乗車は果たすつもりです
由利高原鉄道側から見たの駅名標は鳥海山ろく線仕様となっています
乗り込むと約20分で
曲沢に到着。ここはぜひ降りてみたい駅でした
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