せっかくのフリーパス、ケーブルに初乗車

11月12日6時30分

早朝の三宮でパス購入してスタート

あらためて当日を振り返ります

「妙見の森フリーパス」を購入して阪急の三宮駅ホームにやって来たのは6時半

後述しますが、これはかなりお得なきっぷです

持論ですが、通勤通学でにぎわう都会圏の駅をウロウロするなら週末の早朝に限ります。人が少ないので動きやすいし写真を撮るにも適しています。そのおかげで今回は1700系貸し切りという幸運も味わえました

十三を経由して能勢電鉄との乗換駅である川西能勢口に到着。中間改札もありません。走っている車両も阪急だし料金体系が変わるだけで同じ駅から別方向への電車が出るという感覚です

それでも土曜朝の7時半という早い時間帯にもかかわらず、上りホームには多くの人がいました

その後、山下、日生中央をウロウロしたのはお伝えした通り。

妙見口の駅に到着したのは9時40分。まだまだ時間的には早い

駅舎と駅前は妙見山参拝の拠点の雰囲気にあふれています

能勢電鉄は妙見山への参拝客を運ぶことを目的として大正期に運行を開始。寺社仏閣への参拝を目的とする路線は日本中に数え切れないほどありますが、そのひとつ。ただすぐ経営に行き詰まり阪急の支援を受けることになり、その関係は今もずっと続いています

大誤算のケーブルへの距離と土曜日の不運

私はここまでは来たことがあります。ただ駅前で食事して折り返していたので、この先にある妙見の森ケーブルには乗ったことがありません。今回のパスはケーブルや、その先のリフトへも乗れるということでこの機会にぜひ乗っておきましょう

実はこの日まで能勢電鉄の駅からケーブル駅までの距離はすぐだと思っていました。ただ駅前にある案内を見ると「徒歩25分」とあります。めまいがしそうになりました

しかし、ここで思い出したのはケーブル駅までバスが運行していること。早速時刻表を見ましょう

な~んだ、結構な本数があるじゃないですか。今はまだ11月なので期間も問題ない。へー、平日は通勤通学を考慮した運行もあるんですね、などと余裕をくれつつ

よーく見ると「上記期間の休日(日祝日)のみ運行」という絶望的な文字が

これは参りました。ただせっかくの機会なので、ここは徒歩の一手でしょう。ケーブルカーというのは法的には鉄道のひとつです。乗りつぶしをしておかなければなりません。徒歩20分ぐらいなら大丈夫。と、歩き始めたのですが

ず~っと上り坂(泣)

しかも写真の感覚以上の勾配で、この後もっとキツくなる。もう1カ月早かったらギブアップしていたかもしれません。久留里線の1駅徒歩を行った8月だったら絶対ムリ

ようやく道が平坦になりケーブルの黒川駅が見えたころは、もうヘロヘロ。汗びっしょりでした

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もうひとつの「能勢電鉄へ急げ」は旧阪急2000系

ネタバレになってしまった

今回、能勢電鉄に乗りに行った理由は「山下発山下行き」ともうひとつありました

朝の8時前に日生中央駅手前でぼんやり最前部にいた私はチラリと見えたものに心の中で快哉を叫ばざるを得ませんでした

右前方に視界に入ったもの。それは

能勢電鉄の1700系です。これは旧阪急の2000系という車両で、これに乗るのも今回の目的のひとつ。要は「山下発山下行きに乗車しようとしたら充当車が該当車だった」ということ。これを僥倖呼ばず何と言うのでしょう。まさに一石二鳥になってしまったのですが、そのためブログではネタバレしながら、その件には触れずに話を進めるという心苦しい展開になってしまいました

「貸し切り」にテンションが上がる

ヘッドマークに「さよなら」と掲げられていることで、お分かりのように間もなく務めを終えます。早速飛び乗ると

乗車した最後部の車両は完全貸し切り状態でテンションが猛烈に上がります。こういう大都市近郊の通勤電車で貸し切りになることなんてめったにないのですが、週末に早起きした甲斐がありました

年齢はというと

私とタメ。同じ年です。車両のことは専門ではありませんが、私にとって小中学校のころ、阪急といえば、この2000系だったのです

ただ私がおそらく阪急に一番乗ったのは20代から30代前半にかけてのこと。会社が豊中市にあったことで社会人生活をスタートした最初が庄内、途中の実家通いをはさんで30代前半は服部(現在の服部天神)に住んでいました。どちらも宝塚本線ですが、私のかすかな記憶ではもう宝塚本線にはいなかったと思います。ただ神戸本線には細々と運用があったと記憶しています

その後、四国生活を挟んで30代後半から塚口に住むと伊丹線で再会。既に能勢電鉄への譲渡は進んでいましたが、まだ阪急にも残っていたはずです

独特の音がある

なんといっても「キューボコボコ」という音が特徴。今の阪急には残っていないもの。そしてドア開閉時の「ボキュ」という音。前記事の動画は山下発山下行きに特化したので、音について語ることができずしんどかった(笑)

こちら運転席。ワンマンの最後部なので無人ですが確かツーハンドルという昔の形になっているはず。貸し切りに喜びすぎて独特の鎧戸ブラインドを出してみるのを忘れました(残念)。子供にとって、これをズルズルと出すのは難事業でした。今にして思うといたずら防止もあったのかな、と思ってしまいます

さて山下に到着すると何人かのファンがカメラを構えていました。なんで知っているんだろう、早朝から凄いな、と思ったのですが能勢電鉄のホームページに特設ページがあり、その日の運用が分かるのですね。もっとも何も知らずにバッタリ出くわした喜びはありましたよ

能勢電鉄のホームページによると、さよならのヘッドマークは12月16日までとなっています。ということは同17日からのダイヤ改正で業務を終えるのでしょう。山下発山下行きと同じですね。1700系体感もお急ぎを

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山下発山下行きを動画で解説します(音声注意)

詳しくは前回の

山下発山下行きは最高のサービス~能勢電鉄へ急ごう

も参照していただければと思います

外から眺めるとこんな感じ

折り返し運転となる日生中央発山下止まりの電車が2号線に到着。しばらくすると川西能勢口発妙見口行きが3号線に到着。多くの人が乗り換えます

ちなみに12日土曜日朝の7時半に川西能勢口に到着。日生中央行きが来たので、そのまま終点まで行くと、ちょうど日生中央~山下の区間運転が出発するところだったので飛び乗って山下に着くと阪急宝塚本線が事故でストップしているとのアナウンスあり。家を出るのが少しでも遅かったら、たどり着けないところでした。JR福知山線で川西池田まで行って歩くという選択もありますが、フリーパス購入後だったら、電車はいくらでもあるので、おそらく動き始めるまで待っていたと思われます。山下発山下行きは3度見ましたが、動画は3度目のもの。時間的には9時を過ぎていて最初よりはお客さんは増えています

阪急も動き始めていて、そのアナウンスもあります。臨場感としてはいいのかと

また3回目の撮影で早くも疲れて、手ぶれやハァハァ言ってしまっているのもご容赦を

1回目の時は、おそらく事故の影響もあるのでしょうが、乗り換えの人はまばらでした。しかし事故の影響もある上で、土曜朝の9時に住宅地の日生中央へ向けて、これだけの人が向かうのですから学校や通勤のある平日夕方はハンパない数です

車内はこんな感じ

こちらは車内の様子です。上の動画より少し前。タイミングよくというか、初めて「山下発山下行き」に乗車された方がいて興味津々。同行の方が説明していました。どう見ても鉄道ファンではないと思われますが予備知識なしで乗るとビックリしますよね

ワンマン運転の運転士さんが列車を停止させて運転席を施錠。車内を最後部へと移動。最後部が最前部となって再発進という光景はスイッチバック駅でよく見かける光景ですが、これが1時間に3回見られるというのは、なかなかありません。しかも4両分移動して

お客さんが少ない時間だから、こんな状況ですが、多い時間だと、かき分けるように移動しなければならないので運転士さんも大変です。また客扱いをしての折り返しは、そうでない場合とは業務的なプレッシャーも違うと思います

ちなみに1本目の動画を見ても、お分かりのように川西能勢口行きとすれ違いますが、妙見口からやって来た電車から日生中央へと乗り換える方も、ほとんど時差なく乗り継ぎができるようになっています(お手洗いなどで乗り損なっても次の電車はすぐ来るのですが、これもサービスでしょう)。これらの方々はホーム下の通路を抜けて1号線へと向かいます

改札口を1階とすると通路部分が2階、ホームが3階となります。仮に山下発山下行きがないとすると、お客さんは階段を降りて、この通路からホーム移動となるわけですが、この通路が狭くて多客の時間帯に大混雑しそうだ、というのが特殊な運行ができた理由のひとつとも言われています

スイッチバックから再び動き始めると案内テープが流れるのですね。全く意識していませんでした。また2回目の客扱いとなる1号線ではドアは開いたと思ったらすぐ閉まります。なぜかというと基本的に1号線で降りる客はいないからです

ちなみに私は降りたのですけど(笑)。おそらく降りる人は特殊な趣味の方々ばかりでしょう。ただ優れているのは降りても何の影響もなく後続の電車に乗れること。これが地方のローカル線だったりすると大変なことになります。いずれにせよ、あと1カ月です

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山下発山下行きは最高のサービス~能勢電鉄へ急ごう

ちなみに今回利用したのは、こちらのフリーパス

おかげで山下~日生中央を3往復もしました

あれあれ?逆方向に進む

山下駅の構造をもう1度おさらい

左から1、2、3、4号線ホーム。2、3号線は同じ平面にあり、1、4号線はホーム下通路で移動します。前提として昼間は川西能勢口からは1時間に6本の電車が発車し(昼間はすべて各駅停車です)、うち3本が妙見口行きで、残る3本が日生中央行き。では山下以遠は1時間に3本しかないのかというと、これが違う。妙見口~山下、日生中央~山下の区間運転がそれぞれ3本ずつあって、妙見口行きに乗ると山下始発の日生中央行き、日生中央行きに乗ると山下始発の妙見口へと、それぞれ連絡するので川西能勢口からは、妙見口へも日生中央へも1時間に6本の運行があることになります

さて注目の電車は日生中央~山下の区間運転

日生中央からの電車が山下駅2号線に到着しました。折り返しで日生中央行きとなります

3号線に妙見口行きが到着。日生中央へ向かうお客さんが乗り換えると、ほどなく出発します。しかし

ここで驚くべき光景が。進行方向は川西能勢口方面で目的地とは逆方向てす

これが山下発山下行き

オイオイ、と思っていたら(現実の私は知っているのでそうは思いませんが)

渡り線を通って、1号線へと向かう線路に入って、しばらく停止

再び動き始めると1号線に入線してドアを開け、こちらで待っていた乗客を乗せ

日生中央へと向かっていきます。渡り線の向こうでしばらく停止していたのは

ワンマン運転の運転士さんが車内を移動するからです。4両編成なので、それなりに時間はかかります

これが山下発山下行きです

2回も同じ駅に停車して客扱いをします。始終着駅で列車が渡り線からスイッチバックで別の線路に入るのは日本中でよく見られる光景ですが、その間も客扱いするというのはめったに見られません

背景に日生中央の出世

このような運行を生み出した理由には日生中央駅の利用者増があります。実は以前は2号線から日生中央が出ていました

歴史的経緯からすると妙見線が本線、日生線が支線となるわけですが住宅地の開発で旅客が急増。78年の日生線開業から10年も経たないうちに川西能勢口で乗り換えの必要がない梅田まで直通の「日生エクスプレス」が運行を開始しました。現在は朝の上り、夕方の下りと7本ずつが運行されています

運行開始にあたって山下駅では8両編成に対応するホーム拡張が行われましたが、その際、日生中央側にあった渡り線が撤去されてしまいました。ホーム図をもう1度見ていただければ分かるように線形が猛烈にカーブを描いているため、ホーム拡張の先に渡り線を設置することができなかったのです。そして生まれたのが山下発山下行き。それまで平面乗り換えできていたのに階段の上り下りを強いることになるお客さんへの配慮となっています。私に言わせれば最高の旅客サービスです

案内表示にも「2号線発1号線行き」であることが明記されています。時刻が表記されていないのがミソ。正式な出発時刻は渡り線からの待機をはさんで1号線から出る時刻となります

急がねばならない理由

さて前回そして今回と「今、絶対乗っておくべき」「能勢電鉄へ急ごう」と見出しを付けてきました。今回記事にしたものは12日の土曜に訪問したもので、アップを急いだ理由はこちらにあります

3つ目の項目に「一部を除き、川西能勢口発の普通列車を日生中央に統一」とあります。これを書いている時点で細かいダイヤ発表を私は知りませんが、これは現在、昼間は半々の妙見口行き、日生中央行きをすべて後者にして山下~妙見口は原則的に区間運行にするということになります。日生線が、さらに「出世」するわけです。確かに旅客数が多い日生中央に向かう際、2本に1本が山下駅で5分もの「停車」をすることになるのはスイッチバックに伴う乗務員の苦労を考えると合理的な気もします。ただ鉄道ファン的には、ふらり訪れて見ることができた「山下発山下行き」が見られなくなるわけです。ぜひダイヤ改正までに体感していただきたいと思います

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今、絶対乗っておくべき能勢電鉄「山下発山下行き」

まるでクイズのような

兵庫県の川西市から猪名川町そして大阪府の豊能町を目指す能勢電鉄には「山下発山下行き」という、なんとも不思議な運行があります

環状運転ではありません。何せ「山下を出て次に停まるのが山下」なのですから。ほとんどクイズの世界ですが、とかもこの運転は車庫入れに伴う終電などではなく終日見られるという、文字だけにするとミステリアスさがさらに増します。体験するとすぐ分かるのですが、文字だけでは相当時間がかかると思いますので基礎から説明していきます

能勢電鉄の路線説明

能勢電鉄は阪急宝塚本線の川西能勢口を起点とする妙見線と途中駅の山下から分岐する日生線の2つの路線で成り立っています

分岐にあるのが山下です。簡略化された電車内の路線図の方が分かりやすいかもしれません

阪急の子会社で川西能勢口は中間改札もない同じ駅。ただ今編は「山下発山下行き」の説明ですので骨子だけ触れます。阪急も同時に描かれているので能勢電初だけを取り出すと

赤いラインは阪急との直通運転となる日生エクスプレス。ナゾの運行の歴史には大きく関与していますが今回は触れません

お分かりのように日生線はたった1駅1区間の路線で、大正期からある約12キロの妙見線と1978年(昭和53年)に開通した3キロにも満たない日生線の2線で成り立っています。妙見線もキロ数は長くはないですが日生線は後からできたミニ路線です

山下駅の構造は

さて路線途中で唯一の分岐駅で、ミステリアス電車の出発駅となっている山下の構造は

このようになっています。中央が島ホームとなる分岐駅で見かける形で私が知る限りでは、山手線・中央線の代々木、阪神本線となんば線の大物があります

ホームは左から順に1~4号線(阪急では番線ではなく号線と呼びます)。1号は日生中央行き、2号は川西能勢口行き、妙見線はここから先が単線になりますので妙見口方面からの電車はどちらにでも入線できます。基本的には妙見口~山下の折り返し電車は3号に、川西能勢口への直通電車は4号に入ります

では1号線と2号線の線路配置はどうなっているかというと日生中央側には渡り線は存在しません。渡り線が存在するのは川西能勢口側。ここが重要なので覚えておいてください。次回、具体的に説明します

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衝動的に船に乗ってしまった話

6月18日11時40分

港の雰囲気が懐かしかった

島原港にやって来ました。島原港駅からは坂道を降りる形で徒歩5分ぐらい。見えています

ターミナルの中。いい雰囲気です。熊本行きの船が出ているので、ここは長崎県の島原ですが熊本の観光協会が入っているのですね。妙に納得しました。島原港に来るのは昭和以来(笑)。もう会社員になっていて仕事で訪れ、慌ただしく三角行きの船に乗りました。その三角行き航路はありません。当時、かなりのお客さんで、過去の宇高連絡線(宇野~高松)でのダッシュ(港に着くと列車の座席確保のため全力で走る)を思い出すほどギリギリ座れたという記憶があるのですが、その後、熊本港行きの航路が開設されると、お客さんがそちらに流れて10年以上前に廃止になったそうです。確かに地図で見ると三角経由はかなり遠回りですね

「そうか、熊本まで行けるのか」などと思っているうちに無性に船に乗りたくなってしまいました。本日は旅の最終日で、まだ乗ったことのない甘木鉄道に乗車した後、博多に向かい新幹線で帰る予定

当初の予定では島原鉄道を折り返し、いくつかの駅を巡って諫早に戻って鳥栖から鹿児島本線に乗る予定でした。これだとお金は要りません(厳密に言うとタダではありませんが、旅名人の九州満喫きっぷを持っています)

ここは「乗っちゃえ」

しかし熊本行きというのには当然、乗ったことがありません。かなり迷ったのですが、ここは熊本から大牟田経由で行ってみる? となって気付いたら乗船券を買っていました

一応、大牟田行き(こちらは以前からあります)も考慮したのですが、6月は運休中とのこと(桟橋の工事をしていたようです)。熊本港行きは2つの会社があり、ひとつは所要30分の高速フェリー、もうことつは60分のフェリー。もちろん高速フェリーの方が料金は高めです。時間には余裕があり、どちらでも良かったのですが先に出る高速フェリーに乗りました。1400円というのは熊本港から熊本駅までのバス代も含んだものですが、実はその後の8月に燃料費の高騰などによる値上げがあり、船代だけで1500円という料金となっているようです。同じ行程だと400円ほど高くなっています。乗っておいて良かったというべきなんでしょうか

心地よい景色と風に癒やされる

今回の唯一の後悔は

島原そうめんを食べそこなったこと

きっぷを買ったのは出発の10分前。乗ろうかどうか逡巡していた分、食べる時間がありませんでした。残念。しかも私のようなローカル線専門のような旅をするタイプは、荷物が増えるのでお土産も、なかなか買いにくいのです

なかなか快適な船内でした

景色も風も心地いい

到着してバスで熊本駅へ。バスの所要は約30分。船もバスも初めての光景ばかりで楽しかったです

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島原鉄道、現在の終着駅から

6月18日11時半

※西九州新幹線開業前の時刻表で動いています

「終点」は島原港駅

大三東駅から約20分。終点の島原港に到着しました

元々は2面2線でしたが今は1面1線。かつては駅舎がありましたが火事のため、今は簡素な構造

逆側から見たもの。道路からすぐ入れるため、バリアフリーは万全です。明治生まれの島原鉄道としては若い戦後の設置(海に近い大三東駅は大正生まれ)。長らく「島原外港」という名称で親しまれてきましたが、3年前に現駅名となりました

駅名通り、島原港はすぐそこです。地図でも分かりますね。そして線路を見ると何か不自然な形で終わっていることも分かります

50年ぶりに乗りました

これまても書いている通り、島原鉄道は明治に敷設がスタートした古い路線です。「旧国鉄」というのではなく、ずっと独立した私鉄(国鉄への乗り入れをしていた時期もあり、今も諫早で線路はつながっているはずです)。徐々に鉄路は延びて現在の島原船津まで到達しました。島原港まですぐの島原外港駅の開業が戦後だというのに疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、ひとつお隣の島原船津がかつて「湊新地」「島原湊」という駅名だったように、当時の島原港の最寄りはそちらだったようです。大正期に、その湊新地まで到達して島原鉄道は42キロの路線としていったん完結。その後、別会社が、さらに30キロ以上を敷設。戦時中の合併により約80キロもの路線となりました

実は私が島原鉄道に乗車するのは50年ぶりか、それ以上。父の里帰りに伴う家族旅行でした。ちなみに島原地方には「高木」という名字が多い。大阪から島原へのアクセスは今もいくつかありますが、当時のルートのひとつは飛行機で長崎空港へと飛び、諫早から島原鉄道に乗車するもの。もうひとつは列車と航路の組み合わせで大牟田からの船便、または熊本経由で三角まで行っての船便。ただ今でこそ飛行は気軽に乗れる交通手段ですが、半世紀前は高価な乗り物で、なおかつ小さなプロペラ機しか飛んでいません。親子4人分の価格そして座席確保の両面で、里帰りはほぼ三角ルートでした。ですから子供のころの「随分と古い車両が走っているなぁ」という記憶ぐらいしか残っていないのです

そんな島原鉄道は91年の雲仙普賢岳の噴火活動により、大きな被害を受けました。多くの区間で運休と復旧を繰り返し島原外港からの一部区間は93年4月から4年間も運休。高架工事を行い、完成したのは97年。ただその後は利用者減に伴う赤字問題で08年に島原外港からの35キロは廃線となり、高架施設は11年しか使用されませんでした

先にも線路があるようですが、しばらく行くと終わっています。当初は車庫施設もある島原船津までを残して以遠が廃線予定だったそうですが、島原港へのアクセス駅ということで当駅が終点となりました

ちょっと付近の散策を

島原といえばそうめんです。「世界初」の自販機に目を見張りますね

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島原鉄道で「あの駅」に行った 海に一番近い駅

6月18日10時20分

※西九州新幹線の開業でダイヤが大幅に改正されたようですが訪問当時は旧ダイヤです

降り立つとそこは

これは素晴らしいの一言でした。ちょうど列車交換のタイミングだったことも良さに拍車をかけました

島原鉄道の大三東駅。なにげに難読駅ですが、それよりも絶景に目を見張ります。今回は写真が主役です。訪問日は曇り気味のお天気で、有明海の向こうまで見える、というわけにはいきませんでしたが、その分、逆光にならず写真的には幸いしたかもしれません。さらに言うと前記事の写真にもチラリ写っていましたが、訪問当時の長崎は案外長袖を着ている方も多く、それほど暑くはなかった

クスッときてしまった

島原鉄道の運行は基本的に1時間に1本。ですから、ここに1時間いられる。ちょうどいい時間だと思います

ホームの下というか横はすぐ海。ですから

クスッときてしまいました。「先は海です」ではなく「先は有明海です」というセンスがいいですね

向かいのホームに映えスポットへの撮影ポイントも示されていて

こんな感じ。小道具の椅子が何とも言えません

あまり意味はないでしょう

さて海に一番近い駅としてよく知られるのが

青海川駅(2019年9月、信越本線・新潟県)と

海芝浦駅(2015年11月、鶴見線・神奈川県)です(こちらに関してはどこまで写真を載せて良いものか分からないため海の写真だけにしました)が、じゃあ実はどこが近いかというのは、あまり意味がないことだというのが私の考え。行った時にそこが一番近いと思えば、それで良いのです

他にも宝庫多数だがNG行為あり

駅舎はこんなに渋い感じ

無骨で渋い。駅前にお店があってドリンクなどを売っているのでアイスコーヒーを買って、お店の方としばし歓談。景色がいい時は本当に向かいまでクッキリ見える一方で台風の時などは自然の猛威を感じられるという。駅では

幸せの黄色いハンカチもあり、メッセージが風にたなびいています。また

CMでも有名になりました。そんな素晴らしい大三東駅ですが、NGがひとつあり「車を停めるところはほとんどありません」。先述した通り、島原鉄道は1時間に1本の運行と、それなりの本数が確保されています。列車で訪れてホームに降り立ってみてくださいね

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島原鉄道で「あの駅」に行った 長崎~諫早

6月18日8時

長崎駅の今しか見られない光景からスタート

この記事は実質的に

超難読駅で感慨に浸る(大村線・南風崎)

の続きとなります

前日、大村線から長崎本線を経て長崎に到着した私は長崎電気軌道つまり長崎市内の路面電車を完乗。旅の3日目で最終日。「旅名人の九州満喫きっぷ」(もちろん長崎市の路面電車も乗り放題です)を手に長崎駅へ。長崎新幹線開業を3カ月後に控え、前夜感が漂います

長崎駅に来たのは14年ぶり。当時走っていた寝台特急「あかつき」が3月いっぱいで廃止になるというので2月に乗って訪れました。今では信じられないことですが、廃止まで2カ月を切っているにもかかわらず、乗車の1週間ほど前にみどりの窓口に行くと「どの部屋にしますか?」なんて窓口の職員さんとの会話があって早い話が選びたい放題。ある意味、当時の寝台特急の状況を物語っていますが、当時は地上櫛形ホームで終着駅の風情が漂っていました

今は高架駅

特急列車しかも電車特急が並んでいて、これはまさに今しか見られない光景です。並行在来線となって優等列車がなくなるのは全国で見られる光景ですが、架線も外して電化→非電化になるというのは驚きでした。経費がかかるので電化部分は貨物に任せ旅客運搬は気動車で、というのは各地で見られますが、せっかく張った架線を外すという例はなかなかありません

諫早へと向かう

ただ私のきっぷでは特急には乗れないので

奥の切り欠きホームから普通列車に乗り

30分ほどで諫早に到着です(写真は前日17日のもの)

こちらも前夜感いっぱいです(写真は17日のもの)

島原鉄道へ乗車

ただ私はJRの改札口から駅ビルを降りる形で別の改札となっている島原鉄道へと向かいます

ホームはJRと並んでいて直通運転をしていたなごりからか番号も順番に振り当てられています。島原鉄道は0番線の切り欠きホーム

明治以来という歴史を持つ島原鉄道の歴史パネルも展示されています

約1時間揺られ

到着です

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JR東海の発表~消えゆく光景

※写真は本文と関係ありません

東海道新幹線にグランクラス?

先日、JR東海がいくつかの発表を行いました。東海道新幹線では上位座席(グランクラス)導入の検討が注目集めました。ただ東北新幹線などと比べ、運行本数が格段に違います。多い時は1時間に12本もののぞみが走る車両すべてにグランクラスを設置するのは、なかなか大変なことです。設置の経費だけでなくビジネス利用が圧倒的に多いお客さんがどれだけ利用してくれるのか、という問題もあるでしょう。アテンダントなど雇っていたら、それだけで大変な数になってしまいます

また山陽新幹線と一体となっている現状、JR西日本はどうするのか?という問題もある。座っている時間が長距離であれば長距離であるほど需要は高まるのでしょうから。その場合、現在は一体化されている料金体系は?

グランクラス搭載の編成とそうでない編成を別々に造るとなると、これはのぞみ、ひかり、こだまともすべて座席数が同じという東海道新幹線の内規のようになっているルールを根底から覆すことになります(500系新幹線が東海道新幹線から早めに撤退せざるを得なかったのは、これが原因とも言われています)

と、グランクラスについて語り出すと延々とかかってしまうので私が在来線で注目したのは

・全駅でICカード目指す目指す

・長い編成でもワンマン運転を目指す

この2点です。この2つは表裏一体となっているところがありますが、私が先日体験したことも含め語っていきたいと思います

大変な車掌さん、「神」業務

現在、JR東海の在来線では2両編成までがワンマン運転、3両編成以上が車掌さん乗車となっているようです。私が乗車したのは名古屋~亀山までの関西本線と亀山以南の紀勢本線そして参宮線。後者の非電化区間はワンマンと車掌さん乗車が混在していて、ほとんどがワンマン運転ですが学校の登下校時において長い編成になるようです

私が注目したのは長い編成は2両×2の4両編成。早朝から出かけたこともあり、こちらに何回か出会いました。見ているととにかく車掌さんの仕事は多い。車掌さんというと一番後部の車両にいるイメージが強いですが、そうではなく元々の2両編成の前の部分、つまり中間部分でもアナウンス業務を行う。すべてのドアを開けるのと列車内での検札、きっぷの販売も行うからです

この部分の紀勢本線は非電化単線区間で、おまけに特急や快速も走っています。列車交換(すれ違い)や優等列車の追い抜きで、数分間の停車があるため、その時間を利用して新しく乗車したお客さんにきっぷの販売を行います。もちろん追い抜きや列車交換に伴う業務もしながらです

お客さんも、ちょうどの現金を持っているわけではなく、おつりが必要な方も多い。びっくりしたのは、私の向かいにいたご婦人が申し訳なさそうに「これしかないんですけど」と1万円札を出した時。私より先に降りたので、運賃も安かったと思います。私はローカル路線バスやIC乗車できないローカル線に乗る時は千円札を多めに用意するようにしています。ご婦人も百も承知だったのでしょうが「はい、大丈夫です」とおつりが用意されていた時は、ロングシートの向かいで驚きました。朝の早い時間だったからかもしれませんが

また土曜日の乗車だったので観光客も多く「○○に行くはどちらの駅から」という質問も飛んでいました。「時間がありません」というわけにいかないでしょうから、一つ一つ対応するのはかなりの負担となります。そうこうしているうちに、すぐ出発の時間が来るので、駅によって決まっているのか臨機応変か分かりませんが、中間車からのアナウンスとなります

私的にはJR東海のローカル線はこまめに検札、回収を行う印象でしたが、あらためてずっと見ていて結構な重労働だなぁ、と感じました。そもそもそれほど混んではいないとはいえ、優等列車でもない4両のロングシート車で新しいお客さんを見つけるのって、私に言われると、かなりの「神」です

でも考えてみれば、一昔前の車掌さんって、みんなこんな感じだったなぁ、などと思いつつ「おつかれさまです」と心の中で言っていました

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