超難読駅で感慨に浸る(大村線・南風崎)

6月17日 12時

難読駅多し

大村線には難読駅がいくつかあります

佐世保線との分岐となる早岐そして彼杵。先に紹介した千綿もなかなか難しい。その中でも当駅は「超一線級の難読駅」となります

駅舎は

ご覧のようにコンクリート製。ステンドガラスが美しい。19世紀開設の古い駅ですが現在のものは戦後の2代目のようです。現在は無人駅

駅名板の下に解説があります

付近の港が有名だったとか。駅の住所は佐世保市南風崎町で地名です。「東風」と書いて「こち」と読むのは知っていましたが「南風」を「はえ」と読むのは知りませんでした

望郷の駅

読んでいくと最後の方に戦後、多くの引き揚げ者がこの駅から故郷に戻っていったという説明がありました

佐世保港に復員された方、引き揚げてこられた方は、近くに設けられた佐世保引揚援護局に一度収容され、数日過ごした後に当駅まで歩いて故郷を目指しました

ホームにも解説があるというので早速行ってみましょう

………

………

これはないでしょう。すれ違いによく使用されるようで現在ホームは千鳥状に造られています。ワンマン時にはお客さんが先頭車両から降りるため千鳥が便利です

改造工事のためか、長い編成がなくなったからか時期は私には分かりませんが、この位置のフェンスはどうなんでしょう?いたずらや落書き防止もあるのですかね

しかも草で覆われてこの角度からはしっかり読めません。こういうモニュメントはすぐ読めるようにした方がいいと正直思いました。いろいろ工夫してなんとか

佐世保港へ引き揚げてこられた方が140万人近くもいて、それが戦後4年半も続き、1147本もの引揚列車が当駅から運行されたというのはすごい数です

かつては貨物輸送も盛んだったようでヤードとなった引き込み線が、残っています。奥に見えるのはハウステンボスの社員寮らしい

千鳥になる前のホームだったであろう場所にはまだ駅名標が残っていて、この季節らしくあじさいが咲いていました

駅舎に戻って自販機の缶コーヒーで一休み。どうも昼間の時間は当駅ですれ違いを行うようで、列車で訪れると1時間待機することになるので、もし訪問される方がいらっしゃれば留意をお願いします

さてハウステンボス駅から歩いてくる道中、数人の方とすれ違いました。買い物にでも出かける様子で、おそらくハウステンボス駅が新設されたことで、南風崎駅を利用していた方の一部がハウステンボス駅を使うようになったのでしょう。てっきりハウステンボス駅はテーマパークへの訪問者だけが利用するものだと思い込んでいましたが、ちょっと違うようです。いろいろな発見が駅間徒歩ではあって、それは楽しみのひとつです

名残惜しいですが、列車がまだ新しいホームにやってきました

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先生の指示に反抗しての隣駅までの徒歩移動(大村線の誰もが知る駅と超難読駅)

6月17日11時半

ハウステンボス駅

ハウステンボス駅まで戻ってきました

テーマパークへの最寄り駅。誰でも知っていますね

来たのはいつ以来でしょう。とにかくハウステンボスは2回した訪れたことがなく、記憶が薄いのですが20年ぶりなんてものじゃない。とにかくかなり前です。ハウステンボスの開業に合わせて30年前に開業しました

みどりの窓口あり。全列車が停車します。1面2線ながらユニークな構造で

1面は行き止まりですれ違いはできません。この切り欠きホームは基本的に当駅始発特急「ハウステンボス」の折り返しに使用されます

ただ私は今回テーマパークに来たわけではなく、そこそこでお別れです

隣の駅が目的地なんですぐに向かいます。といっても列車に乗り込むわけではありませんよ。大村線は1時間に1本。地方の非電化区間としては運行の多い方ですが、また逆戻りする隣の駅に向かう列車も結構時間が空いています。しかしひとつポイントがあって今から向かう南風崎とはレールで1キロもないのです。戦前からの路線である大村線にテーマパークのため、平成になって強引に駅を設けたため、こんなことになりました。これは歩く一手です。千綿に向かう時、そして戻る時と目を凝らして車窓を見ていました。私は徒歩の予定がある時はいつもこのようにしています。距離数以上に坂の有無を見なければならないので。どうやら線路はほぼ国道と並行しているようです。これは分かりやすそう

グーグル先生、勘弁してください

早速グーグルを開いてみます

なんと徒歩10分。楽勝じゃん。しかも「ほぼ平坦なルート」と、ただし書きがあって心強い。国道に出るには橋の上にある駅舎から1度海と同じ面まで降りなければならないようです。もちろん軽快なステップで階段を降りましたよ

が、そこで見たものは

写真では分かりづらいかもしれませんが強烈な上り坂なんです。奥に小さく見えるのが国道

どこが「ほぼ平坦なルート」なんですか(怒)

確かに国道まで出れば平坦ぽいですが、これはねぇ。グーグル先生、勘弁してください(泣)

ひょっとして私が初手を間違えたのか?しかしもう遅い

ここで考える。季節は6月中旬の長崎県。盛夏とは言いませんが、かなり暑い。還暦前にこんな坂を登れるのか。いや絶対ムリ

もう一度地図を見る。海沿いに道があるじゃないか。これで行けるんじゃない?

ちょっと遠回りすれば行けそう。時間はたっぷりあるので、このコースにしましょう。坂を登るのはイヤですから

ハウステンボスの向かいを歩く。この光景も本当はなかなかいい。川のように見えるのは早岐瀬戸という有名な運河ですが、そんな余裕はありませんでした

初めて歩いて知ったのですが、こちら側は普通に住宅街なんですね。ずっと家が並んでいます。テーマパークの周囲は何もないと勝手に思い込んでいましたが、考えてみると明治時代からの路線沿いなんで、そんなことはないはずです

すると分岐に出くわしました。地図によると安全策なら海沿いを真っ直ぐ進んで戻る感じで行くと、駅に行けそうですが、こちらからも行けるかもしれない

では今度はナビタイム先生の出番です

立ち止まって検索すると、先の踏切を渡って右に折れると、すぐ駅、という導線が鮮やかに現れました

ナビタイム先生ありがとう~(うれし涙)

ということで無事駅に到着。さすがナビタイム先生や、なんてこの時は思っていましたが、後々書いていきますが、私はこの夏、ナビタイム先生に2度大変な目に遭わされます

目的の南風崎に着きました。文章の都合上、これまで漢字だけでさらりと書いてきましたが、これは読めと言われてもなかなか読めません。しかし超難読だからこそ、やって来たのです。深い歴史がある駅なんです

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ホームから大村湾を望む(大村線・千綿駅)

6月17日午前9時半

佐世保駅で松浦鉄道からJRに乗り換え

最短距離にすっかり浮かれていて佐世保バーガーを食べるのを忘れていて構内のファミリーマートのコーヒーで時間をつぶす

大村線に乗ります。ホームで待っていたのは

JR九州のYC1です。蓄電池搭載の気動車。今回初乗車となりました

ちなみに佐世保線区間である佐世保~早岐は青春18きっぷで特急自由席に乗れるはずで持参の旅名人きっぷでも乗れると思うのですが、ダイヤがこちらに合っていたので大村線直通のこちらに乗りました

列車についての知識はなんとなくありましたが、YC1が「やさしくて力持ち」の略だというのは初めて知りました

折り返し列車にいち早く乗車したので、お客さんはほとんどおらず中はこんな感じ

落ち着いた空間です

その落ち着いた車両に揺られること約50分

千綿駅に到着。ここからはあまり文字による説明は必要ありません

大村湾にビッシリ面しています。青春18きっぷのポスターにもなって有名になりました

今回の旅で気づいたのですが、JR九州って国鉄時代の駅名標をかなり残してくれているのですね

駅舎は

約30年前に改築されたものですが、昭和初期からの駅舎をほぼ復元したものになっているとか

駅舎の入り口から小さな階段と海が見えています

階段を登るとホームで大村湾が広がります

ホーム側から見た駅舎

以前はカフェが入居していたそうですが現在はフラワーショップが入っています。簡易委託できっぷの販売も行っているようです

旧駅舎のドアの吊金具が展示されていました

他にも行きたい駅があるので逆戻りして佐世保方面の列車に乗ります

願わくは今度は夕方に訪れたいですね

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旅名人の九州満喫きっぷ

松浦鉄道に乗車の際、利用したのは

こちらの「旅名人の九州満喫きっぷ」

博多駅の券売機で購入しました

どのような内容かというと

価格は1万1000円で九州内のJR普通列車(快速も含む)や他の鉄道事業者が3日間、乗り放題というもの

JRの部分については青春18きっぷのルールに準じています。観光列車でも優等列車でなければ指定券など追加料金を払えば乗れます。宮崎~宮崎空港は特急に乗れるのも同じ。1人で3回旅をしてもいいし、3人グループが同一行程で1日利用してもいい。乗ってきた路線を元に戻るのも自由なので降り鉄にとっては心強い味方です

有効期限は発売から3ヶ月と、なかなか太っ腹。これは九州以外に在住している方への配慮だと思われます。もっとも九州および九州にすぐ行ける地域に在住している人でないと、そうしょっちゅう九州には行けないわけで今回の私のように3日間連続で利用するのが現実的でしょう(通年発売なので3ヶ月以内に九州に行ける人は何度も継ぎ足すという方法もあります)

さて私にとって重要だったのはJR以外の部分。九州においては私鉄として最大手となる西鉄をはじめ、三セク、モノレール、地下鉄、路面電車とありとあらゆる鉄道が乗り放題なのです(見落としがあればすいません。なお博多~博多南はJR西日本が事業者なので乗れません)

1万1000円で3回というのは1回にすると3666円。つまりそれだけ乗れば、いわゆる「元がとれる」わけですが、JRの乗車券って意外と安いのです。私は最終日熊本から博多に移動して帰路につきましたが、熊本~博多の乗車券は2170円です。実際には甘木鉄道や西鉄にも乗車しながら帰ってきましたが、延々と普通列車で博多まで普通と快速というのは、なかなかしんどいものがあります。私の場合は降り鉄ですので、途中の駅でも降りてみたい

となると、膨大な時間を要して元がとれないという事態にも陥るのです。値段が安いことに文句を言うな、と言われそうですが

ただしJR以外を利用すれば、あっという間に解決します

JRとは別に一から料金を払う上、私鉄や3セクなどは途中下車が認められないことがほとんど。全部調べたわけではありませんが、九州内も、おそらくそうではないでしょうか。降り鉄にとってはもちろん「そろそろ飽きた」「メシ食いたい」というのにも対応できます。もちろんJR以外の各社も独自にフリーきっぷを出していますが、いずれも1日乗車券。松浦鉄道のように長い路線となると、1日で目的の駅にたどり着いて降りるのは大変です。途中駅での宿泊も難しくなる。美味なアジフライを食べられたという点でもポイントは高かったです

今回乗車したのは他に島原鉄道と長崎の路面電車

九州のJR以外の路線を3日間で乗りこなすなんて、とても無理ですが、何度か利用すると、とても有意義なきっぷだと感じました

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「鉄道」の日本一はこちら(とさでん)

松浦鉄道の「日本一短い駅間」を紹介しているうちに、鉄道の「日本一短い駅間」を訪れた時のことを思い出してきました

ちょっとややこしいですが、松浦鉄道の場合は普通鉄道における日本一短い駅間です。ただ路面電車も法律の区分では立派な鉄道。それを考慮すると日本一短いのはとさでん交通の「清和学園前~一条橋」間。で、とさでんによると、なんと駅間63メートル。路面電車の停留所は普通鉄道に比べるとバス停感覚で1駅間の距離が短いのですが、それにしても63メートルは短すぎます

訪れたのは2019年7月15日のこと

前日まで高知県内や愛媛県を回っていた私は高知の町中に宿泊。朝からは

高校野球の高知大会を春野で観戦。とさでんは電車本数もあるし、市内からも簡単に行けるので午後に回しても十分。四国在住時代にお世話になった方と旧交を温めることもでき、はりまや橋に戻ってお昼をいただいた後に出発です

トコトコ揺られ25分ほどで清和学園前に到着

感想は「ゲッ!近い!」の一言

乗ってきた車両が見えるのですが、完全な直線区間でもう停まろうとしているだけに距離感がよけいに分かる

おもしろいのは、その短い区間で川を渡っていること

一条橋停留所の開設はなんと明治時代。かなり古い歴史を持ちます。それに対して清和学園前は昭和の終わりごろ。70年以上歴史が違います。停留所名の学校がこちらに引っ越ししてきたため新たに停留所が設けられることになりました。一条橋を学校最寄りにしても良さそうなものですが、川の存在のためからか、一条橋の停留所から学校へ向かおうとすると交通量の多い国道を歩くことになり(写真の右側へ向かう道路が学校方面)、危ないからと新たな停留所を設けることになったのだと推察されます

となると一条橋の方が要らなくなりそうなもので実際、そういう流れもあったようですが地元の方々から「歴史ある停留所なので残してほしい」との要望があったため存続となったようです

一条橋の停留所から見てみました

ホームが千鳥状に配置された駅がありますが、まるでそんな感じです

今回の記事を書くにあたつて驚いたことには、グーグルマップを利用しようと「清和学園前」と検索したところ自動的に「清和学園前 一条橋」と出てきたことです

土讃線の土佐大津から歩いて行くこともできます。一度訪問する価値はありますよ

注意点としては、両者の停留所は均一料金外の地域なので、フリー乗車券で乗る際は「均一区間乗り放題」ではなく「全線乗り放題」が必要なこと。また市内中心部から乗車の際は多くの電車が途中の文珠通止まりとなっているので「ごめん町」行きに乗ってくださいね

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松浦鉄道その6(同居する日本一の長さと日本一の短さ)

松浦から乗り込んだのは通勤通学の時間帯にわずかしか運転されない快速です。佐世保方面については朝の4本しかありません

この快速に乗車しないと楽しみを味わえないのです。それについては後述しますが、松浦からの列車が、そのまま快速になるのは、この7時11分発のみ。他の列車は結局、普通列車が先着してしまい、わざわざ遅く着く快速に途中で乗り換えなければならないという矛盾した行動になってしまうので、この一択でした

とにかく約2時間かけて9時3分に佐世保中央に到着(かなり長い)

お客さんがはけてしまうと、その狭さがより実感できます

ホームは1面1線で実に狭くて強引に設置した感がありありなのですが、次の終点、佐世保を待たず多くの方が降ります。駅舎は

こちらも急ごしらえ感が大いにあります

それでも昼間は駅員さんがいるようで、私が到着した時はホームで対応していました。まぁ松浦鉄道で駅舎があるというのは、それだけで貴重なことではあるのですが、利用者の数を見ると納得。そして駅からすぐ

大きなアーケードに出ます

これが駅名標にもあった「さるくシティ4○3アーケード」。佐世保駅のすぐ近くから約1キロも続く日本一長いアーケード商店街として知られています。時間が9時すぎということもあって、まだ多くの店舗は営業時間外のようでしたが、佐世保中央駅は繁華街の最寄り駅という側面もあるようです

ただ鉄オタは「日本一長い」より「日本一短い」に関心がありました

アーケードを突っ切ると

そこはこの付近は6車線となっている佐世保市内の幹線国道35号。向こうに見える青い鉄橋が松浦鉄道。写真の左手がアーケードと佐世保中央駅です

国道を渡ると一転して住宅街。マンションも並んでいます。何の表示もなくキョロキョロしていると

何やら階段を発見。一見、奥のマンションへと抜けるものかとも思えますが

ここが駅だという案内は見当たりませんが、近づくと時刻表。こちらが

中佐世保駅。佐世保中央よりは多少広く感じますが1面1線。キョロキョロした時間を含めても徒歩5分ほどで到着。これが鉄オタの求めたもの。佐世保中央~中佐世保は駅間わずか200メートルと、普通鉄道としては日本一短い駅間となっています(筑豊電気鉄道の黒崎駅前~西黒崎と並ぶ)

どうしてこんなに短いのかというと、元々この付近に駅はなく戦後になって街の中心部に駅をということで国鉄時代に中佐世保を設置。それでも住宅街から6車線もの国道を挟んで歩くのは不便だということで三セク移管後に佐世保中央が誕生しました。実際に歩いてみると確かに天候の悪い日は利便性が圧倒的に違うと感じました。そんな経緯もあって両駅とも無理に設置した感があるのでしょう

中佐世保は待合所があるだけの構造でマンションに取り囲まれていますが、さすがに設置時の昭和30年代は違ったと思われます

そして私がなぜ、快速に乗りたかったのかというと、こちら中佐世保が快速通過駅だからです。どのあたりで社内放送が流れるかを楽しみにしていたのですが、中佐世保のホーム上で案内があって、妙に心が弾みました

わずか200メートルとはいえカーブとなっていて両駅は見渡せません。当然ながら減速もある状況で早めの案内放送。中佐世保のホーム端には、もう佐世保中央の運転士さん向け表示。ちなみに次にやってきた普通で再び佐世保中央へと向かったのですが、こちらも当然ながら発車した瞬間に「間もなく~」の案内がありました

ということで無事に佐世保到着。「日本一短い」はかなり喜べました。気分が高揚しすぎたためか、事前に調べていた佐世保バーガーのお店に行くのをすっかり失念してしまいました。佐世保3回目でしたが、佐世保バーガーは4回目までお預けですな

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松浦鉄道その5(松浦でアジフライを食す)

たびら平戸口から伊万里へ戻る形で松浦に到着しました。本日の宿泊地

夕陽がいい感じ。ホームと駅舎は構内踏切で結ばれていて、遅い日暮れを待っていました。もちろん初下車です。国鉄時代からの松浦線の名称となった重要駅

時刻は19時10分を過ぎていますが、6月16日のこと。たびら平戸口からは少し東になりますが、さすがにまだまだ明るい

駅舎は約20年前に新たに建てられたもののようですが、雰囲気を壊さないよう木造ベースになっています。バスターミナルも兼ねていて中には観光協会も入っているらしい。「らしい」と記したのは、この日は駅舎そのものの営業が終わっていて、翌朝も早かったため、中に入ることなく終わってしまったから。ちょっと心残り

ただ、その時の私はそれどころではありませんでした

伊万里駅でのこと。列車のヘッドマークに目が行ってしまいました

「アジの聖地 松浦」

伊万里駅で改札を出ても「アジ 松浦」の宣伝が目に入る

「そうなんだ」

恥ずかしながら私は松浦=アジという事実を知りませんでした。松浦は日本一のアジ水揚げを誇るそうで、特にアジフライは街をあげて盛り上げているとのこと

その時から私の頭の中は「アジフライ」がヘビロテ

宿は松浦シティホテルさん。全国各地の街を訪れると国鉄時代からの駅が街外れに設けられていることが多いのですが(古くからの町は家がないところに線路が敷かれ駅が設けられるので当然そうなります)、ここ松浦は駅の近くに中心街があるようで、ホテルへも、いかにも町の中心地という道を歩きながら10分もかからず到着しました。あちこちにアジフライののぼりがある

まずは、とにかく一杯

これがないと旅の夜は始まりません

そして待望の

アジフライ。肉厚でサクッとした、かみ応えがたまりません。いつも思うことなんですが、日本で酒のお供になるものって、ほとんどが白ご飯のおかずになるものですね。この日は酒のお供でしたが、今度は昼間にアジフライ定食を食べてみたいものです

こちらも旅の楽しみ。地酒をいただいて充実の夜となりました

翌朝はホテルの朝食からスタート

バイキングもいいけど、座るとサッと出てくるので定食式はある意味ありがたい。宿の朝食=干物というのも私は好きです。次にいつ食べられるか分からないので、いつもものことながら朝食のご飯は大盛りです

松浦シティホテルさんの朝食は朝6時からの提供で、何かと朝の早い旅人には助かります(洋定食もあり)

7時過ぎの列車で佐世保へと向かいます

駅舎には入れませんが、屋根のひさしの下が駅舎営業時間外の待合所になっていて

ここにも時刻表が張られています

もう一人のお客さん

字が読めたら怒るのかなぁ

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松浦鉄道その4(最西端の駅へ)

伊万里からトコトコ揺られて約1時間

たびら平戸口に到着。伊万里を出た時はかなりの混雑ぶりでしたが、停車する駅で高校生がどんどん降りていき、もう余裕で座れる状態になっていました。すでに長崎県に入っています。伊万里は佐賀県なので、高校生は基本的に佐賀県内で降りていく。全国で見られる光景

こちらの駅については、今さら何も言うことはありません。駅名標に記されたように「日本最西端の駅」として長らく知られてきました

構内とその付近は「最西端」で埋め尽くされています

個人的には古いラッチ(改札)が好きです

これもまた有名な話ですが、現在は最西端の駅ではありません。約20年前に沖縄都市モノレールができたことで、その座を譲りました

しかし「普通鉄道による最西端」ということで、今も最西端を名乗っています。駅名標で分かるように愛称もそうなっています。まぁ私は、こういうことはあまり気にしないのですが

駅は昭和初期に「平戸口」として誕生しました。もちろん国鉄の駅として。長らく国鉄としても最西端の駅でしたが、三セク移管により「JR最西端」は佐世保となりました

こちらは明らかに国鉄時代からのもののようです

駅名は平戸島に基づくもの

線路もグルリと大回りするように弧を描いています。しかし駅はあくまでも平戸島への口であって、駅がある場所は田平町でした。そんな事情もあって三セク移管後、現駅名となりました。ただその後の市町村合併により、今はともに平戸市です

有名観光地への拠点だけに駅舎は立派

残念ながら駅舎内にある鉄道博物館は営業時間外でした

最も陽が長い6月中旬の最西端とあって、まだまだ明るい

駅はいかにも国鉄の2面3線。運行上も重要な駅です。ホームでは列車待ちの高校生3人がずっとニャンコと戯れていました

雑草混じりの3本のレールがひとつになる光景。好きです

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松浦鉄道その3(伊万里焼の駅名標)

列車は伊万里に到着しました

松浦鉄道は有田から、ここ伊万里を経て佐賀県から長崎県に入り、松浦半島を海沿いにグルリと回りながら、佐世保を目指す路線ですが、運行そのものは伊万里で分断されます。というのは伊万里駅がスイッチバック構造だから(接続は考慮されています)

見た目には終着駅の風情です

ちょっと不自然ですが、以前はそうではありませんでした。道路を挟んでJR伊万里駅があるのですが、国鉄時代はもちろんつながっていました

地図の右からやって来るのがJR筑肥線、左に向かうのが松浦鉄道です

実は30年以上前に来て以来なのですが、当時はもちろんつながっていました。ただ単に乗り換えをしただけなので、よく覚えていない。しかし博多方面から来た列車は松浦、有田の両方へ行けるようになっていた(はずです)。急行「平戸」が博多から、ここ伊万里を経て佐世保そして長崎までを走っていました

実は筑肥線というのも、博多の地下鉄駅からスタートするなかなかおもしろい路線で、今は2つに分断されたなかなかの歴史を持つのですが、そのあたりはまた別の機会で

今は線路が途切れ、中央は道路。2つの駅は横断歩道ではなくペデストリアンデッキでつながっています

直通列車の必要もなくなり、線路がじゃまだったということでしょうか

駅の周囲は大きな街となっていて、時間が夕方近くだったこともあって、高校生が多い。マンションやコンビニやスーパーなども並んでいます

ただJRの駅に行くと閑散

無人状態で1面の単式ホームに人の姿はありません

それもそのはずで

時刻表に記された列車はこれだけ。JRの駅から発車するのは1日たったの9本。私が訪れたのはちょうど運転のない時間でした。みどりの窓口もお休み中(ある意味、みどりの窓口があることがすごい本数)

九州の各地は博多とどうやって結ぶかが大きなテーマとなっています。もちろん、ここ伊万里も例外ではないようですが、列車で博多に行くには、筑肥線という元々、博多と伊万里を結ぶ目的で作られた路線で行くよりも、松浦鉄道で有田に出て佐世保線の特急に乗り換える方が利便性に富みます

というか、ここ伊万里と博多を結ぶバスがあり、もちろん乗り換えはなし。スピード、料金でもバスに軍配が上がるようになっています

時刻表を見ると博多への通勤なども考慮されているのか、朝の6時台には3本もの運行があり、その後も1時間から2時間間隔で運行されています。博多駅経由で空港まで運行されるものもあり、博多へのニーズはバスが応え、鉄道は近隣を結ぶものとなっている間があります

それでもアイキャッチに示したJR駅の駅名標は、おそらく伊万里焼仕様。これを見るだけでも十分に価値はあります

松浦鉄道のホームに高校生が集まってきました。ここから長く乗りますので、単行列車に座れないのは大変。私もホームの乗車位置に急ぐこととしました

 

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松浦鉄道その2(古い駅舎に癒やされる)

旧松浦線を引き継いだ松浦鉄道は、三セク鉄道の多数の例に漏れず三セク移管後に設置された駅が多い。有田~伊万里間は明治に敷設されたが、戦後に設けられた駅もかなりあります。これらの駅の特徴は簡素なホームと待合所。利用者数などからも、これで十分だったのでしょう。

というか、最初に設けられた駅は本当に少ない。途中駅は2つだけ。なぜこのようなことになったのかというと、元々の目的が貨物運搬だったから。有田、伊万里と聞いて思い浮かべるものとは?

まさにその通りで陶磁器を運搬するために敷設された路線でした

数少ない最初からの駅が蔵宿。ある意味難読ですが「ぞうしゅく」と読みます。地名です

今回、松浦鉄道最大の目的はこちらだったといっても過言ではありません

その蔵宿駅は有田から、わずか3駅目。3駅といっても各駅間が短いのでレールにして4キロほど。徒歩でも行けそうです(列車で向かいましたが)

降りたホームは駅舎とは逆側で渋い駅名標と、待ち望んだ駅舎が私を迎えてくれました。構内踏切で向かいます

駅の正面はこんな感じ

いやいや、これは素晴らしい。最近まで駅舎内に店舗が入っていて、その時は窓はアルミサッシで補強されていたようですが、撤退の際にそれも消えたようで「元の姿」に戻っている。松浦鉄道のホームページには「1898年(明治31年)伊万里鉄道開通時から存在する最古の駅」とあります。駅舎内の財産票には大正2年(1913年)と記されていました。駅舎そのものも、もう100歳を超えています

完全に木造の一軒家ですね

来た甲斐がありました。話の本筋には全く関係ありませんが、私が到着した際、駅前には止めて休憩中のサラリーマンらしき姿が

今時そんな言葉があるのかどうか分かりませんが、いわゆる「サボリーマン」? 私もついこの間までサラリーマンだったので気持ちはよく分かります。勝手な邪推ですが、こうやって紹介するからには、写真に写り込むのは好ましくないでしょう。「後で原付ごと修正しなければならないかな」と、ちょっと困っていたら、シャッター音に雰囲気を感じてくれたのか、以心伝心というか、そっと移動してくれました