私鉄

週末パス最後の旅はフラワー長井線~大きい上屋と絶景空間

※訪問は2025年6月7日

さすがに歩くのはもう…

荒砥駅から赤湯方面を見る。とはいえ、しばらく列車は来ない。街中でのんびり蕎麦を食べたが、まだ1時間以上の時間がある。次に目指すのは鮎貝駅。次の列車を鮎貝で待ち構える旅程で、それほど大した距離ではない

線路に近いところを道路も走っているので道に迷うこともなさそうだが、つい先ほど長井駅から羽前成田駅まで歩いたばかりで、食事もして気力は薄れがち。念のためにと駅前にあるタクシー会社をダメ元でのぞいてみると運転手さんが待機中。これはラッキーと乗せてもらうことにした。同行者がいると半額になるのでタクシーという武器は結構強力である。ちなみに鮎貝までは1400円ほど。1人700円なので、それほど大きな出費ではない

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唯一の後悔

ただし、ここでこの旅唯一の後悔をすることになる

こちらは荒砥駅にあった最上川橋梁(荒砥橋梁)の解説。長井線は1913年(大正2)の開業後、少しずつ鉄路を伸ばし、1922年に鮎貝まで到達した。この時点で左沢への延伸の話は、ほぼ終わっていて鮎貝で完結するはずだった。理由は地図を見てもらえば分かるが最上川の存在だ。当時の技術では、ここを渡るのは無理とされたが、古くからの地域の要衝である荒砥まで何とか鉄道を通してもらえないかという地元の熱意が通じて用いられた技巧は東海道本線の木曽川橋梁の引っ越しだった。東海道本線では車両の大型化や運行量の理由で、明治以来の橋梁が強度不足で建て替えることになっており、ならばと当地まで引っ越して架けられることとなった。おかげで現在も現役の明治以来の貴重な存在となった

そこでの後悔というのは、せっかくタクシーで移動できたのだから(実際に停める場所があるかどうかは分からないが)1度停まってもらって橋梁の写真を撮っておけば良かったというもの。道路と並行する橋梁を眺めるだけで終わってしまった

長い屋根がすごい

そして到着した鮎貝駅

空間にとにかく目を見張る

「鮎貝駅」と書かれた駅名板の向こうはいきなりホームで、これだけならよくある形かもしれないが、雨よけ、雪よけだろうか、駅前広場を長い上屋で囲っている。これだけだと異空間の印象だ

ただし左側に目を移すと

公民館がある。右端の赤丸の部分が駅の待合所だ。元々は古風な開業以来と思われる駅舎があった。山形鉄道のHPによると正面駅名標あたりに建っていたようだ。1922年(大正11)開業のかつての駅舎は三セク移管の数年後に現在の姿になった。開業時は鮎貝村に所在し、1954年(昭和29)から白鷹町。公民館を備えた駅の改修は白鷹町が担った。地名は当地を治めた鮎貝氏にちなむとされる

ホームに立つと、まさに絶景。目の前には田んぼと山の稜線が見える。向かいにスペースがあるが、かなり以前に2面2線の構造だった名残だ

地元の小学生による絵画が飾られている。フラワー長井線10周年とあるので1998年のもの。25年以上が経っているので描いた生徒もすっかり大人になっている

絶景に別れを告げて、今回の旅最後の駅に向かうことにしよう

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~終着駅の街は高台にあり

※訪問は2025年6月7日

車止めに到達

羽前成田から約15分。終着の荒砥に到着した。フラワー長井線は30・5キロと短い路線だが、日本全国どこに行っても終着駅と車止めを眺める感慨はひとしおだ

奥には車両基地がある

乗ってきた列車。到着は11時40分だったが、次の荒砥駅発は14時21分と2時間半以上運行がない。ちなみに荒砥着の列車は、この間に13時19分着がある。ご覧の通り当駅は単式ホーム。このままではホームが詰まってしまう。一体どうするのだろう、と見ていたら列車は回送状態となって赤湯方面へと動き始めた。そして間もなく停車。スイッチバックして車庫に入っていった。1枚目の写真で分かる通り、ホームの先は車止めになっていて直接車庫に入れないための動きである。普通に考えると、このまま赤湯まで走っていけば良いりだが、減便ダイヤゆえの措置なのだろう

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約20年前からの新駅舎

現在の立派な駅舎は2003年(平成15)からのもの。開業は1923年(大正12)。その前年に鮎貝まで延伸していたが、1区間(当時)のみ延伸されて当駅まで鉄路がたどり着いた。「たどり着いた」というのは、この間に最上川があったため。難工事を経ての到達だった。その時に架けられたのが最上川橋梁である

高台の街中で蕎麦を

美しい駅舎には「荒砥駅前交流施設」の名前が付けられている

白鷹町の観光協会が入居している。直営駅だが、訪問は日曜日で窓口業務はお休みだった。ただ車庫も備えるため業務にかかわる駅員さんはいる

さて時間はたっぷりあるのでランチタイムとしたいところだが、駅を出て驚くのは駅前には見事なほどに何もないというか何も見えない

ということで街中で蕎麦をと調べると

徒歩10分と、まぁまぁ歩く。10分という徒歩の時間はいいが坂を登っていく必要がありそうだ。ただ時間はたっぷりある上、とにかく駅前には何もないので歩いていこう。すると

頭上を走る国道との高架下で階段を発見。見上げると

そのまま国道に合流できるんじゃないの?とおそるおそる階段を昇ったところ

国道に到着。てっきりバイパスかと思ったら歩道付きの国道だった。しかもその場所は掲載した地図の和菓子屋さんの向かいだったのだ。ということで蕎麦店までの所要時間はわずか5分という結末

つまりここで何が言いたいのかというと

地図アプリに勝った

事実である(笑)

すでに記事を760本も投稿していて地図アプリ通りに進んだ結果、水たまりや降雪にさえぎられた経験を何度か紹介してきた。これは自然や天候に関するものなので、やむを得ないものだが、もうひとつの行動として「あえて地図アプリの指南を無視して突撃する」というものがあって、無事に短絡路を発見できた時の達成感は何ものにも代えがたいものがある。今回はそのひとつ。というか、これをやった時の勝率は極めて低く(笑笑)、その分、高揚感が増すのだが、たまには自慢させてほしい

ということで無事に美味しく蕎麦をいただく。実は前日から東北を訪れている今回の旅は蕎麦ばかり食べている

街が高台にあるわけ

荒砥は歴史を持つ街で荒砥城は平安時代にあたる源平の時代にはすでに地域の要衝として築城されていたという。「新戸」と記されたこともあり、新しく開かれた集落の意味とされる。ただ駅に到着して不思議に思ったのは最上川近くに集落がないこと。日本の各地では川の恵みを得るために川沿いに街が形成されることが多いが、駅と最上川の間は緩衝地帯のようになっている

そのナゾ解きは駅前の案内図にあった

やはり現在の線路より川に近い場所に集落が開けていたが、室町時代以前に大洪水により、突然街が姿を消してしまい、以降街づくりは高台で行われてきたという。とても納得

駅に戻ると減便ダイヤについての説明と現行の時刻表が張られていて現実に戻される。早い時期での復活を祈りたい

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~100年分のタイムトリップを味わおう

※訪問は2025年6月7日

遠景からしびれる

総宮神社から約30分。長井駅から約1時間要して羽前成田駅に到着

県道を左に折れてから、それなりの時間を要する。だからこそ遠くに駅舎の雄姿が見えた時は、それなりに感慨があった。なおこのポイントからの写真を掲載したのは、右手に見える自販機を過ぎると駅まで自販機はないからだ。もし猛暑の季節に訪問する方がいらっしゃれば、留意していただきたい

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並んで存在した同名自治体

風情ある駅舎がたたずむ。開業は1922年(大正11)。1914年に長井まで到達していた線路が鮎貝まで延伸される際に途中駅として設置された。ちょっとおもしろいのは駅が長井村に所在していたことだ。もちろん現在は長井市にあり、それだけだと「長井駅がすでにあって100年前なので長井村でも不思議ではないだろう」と思われるかもしれないが、事情はやや異なる。長井駅の所在地は長井町だったのだ。つまり長井町と長井村という同名の町村が隣接して存在していた。この状態は明治から続き、戦後の1954年に町村合併で長井市が誕生して同自治体となった

あらためて古風なアレンジ

羽前成田駅は2015年に登録有形文化財となった。シリーズの最初に紹介した西大塚駅と同タイミングである。三セク転換時の時点で開業以来の駅舎が多く残っていた長井線だが、現時点で残るのはこの両駅と今泉駅の3駅のみ。今泉は米坂線との接続駅で管理はJR東日本が行っているので残された2駅ということになる

登録有形文化財に指定されるに際して駅舎の装飾が変更されている。まず国鉄時代にアルミ補強されていた窓枠はすべて木に戻された。木製の駅名板は真新しい

こちらは駅舎内の様子。無人駅となった久しいが、左手にはきっぷ売り場の窓口が2つ。右手は手荷物受付。中央には囲炉裏があるが、これは復刻したものだろう。山形鉄道のHPには以前の姿が掲載されているが、天井の囲炉裏の穴だけの写真がある

国鉄時代の料金表があり見入ってしまう。最も遠い運賃が広島の1万900円。国鉄末期は相次ぐ値上げで評判が悪かったが、JR移管後はつい先日までほとんど値上げはなかった。当駅はJRではないので赤湯からの現在の運賃を調べると1万4410円である。みどりの窓口はなくとも駅事務所からの電話で特急券や寝台券を確保できていた時代だ。メインの行先はもちろん上野になる

持ち主不明手荷物の案内。これは初めて見たかもしれない。もし現在、持ち主不明の荷物などがあれば、警察が飛んできた大変な騒ぎである

事務所内には掲示板など他の貴重品も残されているようだ。古い時計は正確に時を刻んでいる

棒状ホームと防雪林。向かいにスペースがあるのは、かつてもうひとつホームがあったからだと想像できる

レールをきしませ単行車両がやって来た。約50分の滞在。おそらく事務所や倉庫で眠っていたものを復活させてタイムトリップした気分になれるそんな駅で充実の時を過ごした

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~徒歩移動中に出会った小駅とバイク神社

※訪問は2025年6月7日

2駅分歩くことに

長井駅の次の目的地は最初に紹介した西大塚駅と並ぶ路線内の登録有形文化財である羽前成田駅。だが長井駅では2時間も列車が来ないことは前記事でも紹介した通り

長井駅と羽前成田駅の駅間距離は2・7キロ。そしてフラワー長井線と並行して県道が走っている。ここを歩いていくと、2時間もあれば十分おつりが来るぐらいだ。ここを歩くと2区間分の徒歩となるわけだが、結論から言うと立ち寄った駅も含め、十分歩き甲斐のある駅間徒歩となった

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道中ふらりと簡易駅を訪問

今回の道程はこのようになる

途中寄り道して、そこで時間を費やしたため48分というわけにはいかないが、結果としていい時間の使い方となった

最初は長井駅から真っ直ぐ羽前成田駅を目指していたが、駅もすぐそこだということで訪問

踏切の先に駅が見える。ここから見ただけで簡易的な構造だということが分かる

単式ホームがあり

待合室がポツリ。簡素なたたずまいとともにホーム入口にはスロープもあることで三セク移管後にできた駅だということが分かる。三セク移管から10年以上を経た2002年(平成14)に新駅として誕生した。文字通り長井あやめ公園の最寄り駅で、沿線に花が多いことで名付けられたフラワー線のひとつのより所にもなっているが、設置の大きな理由は駅からすぐの長井工業高校で、長井駅からは線路距離で800メートルと至近ながらも生徒や関係者の請願により開業した

まさに目と鼻の先でサムネの駅名標をもう一度掲載するが

駅からの距離が入っている念の入れよう。しかも「1」の位まで。これは初めて見た。さすが工業高校だ

先掲の待合所写真でも分かるが、駅の清掃や装飾も同校の生徒が行っている。学校の最寄りということで利用者も全17駅中7位となっている(フラワー長井線については調べるデータによって各駅の利用者数にぱらつきがあるので、今回は掲載しない)

東北唯一のバイク神社

当駅は長井市の運動公園の最寄りでもある。野球場の照明を見て再び歩き始めると目にしたのは

総宮神社の入口にある文字。私はそのジャンルに疎いので何も言いようがないが、見覚えのあるロゴである

ここは長井一の宮の総宮神社。神社のHPによると1200年もの歴史を持つ。歴代当地を統治した大名からも大切にされ

上杉時代に直江兼続が植樹したという直江杉がある

こちらがその解説

そして神社のもうひとつの顔が東北唯一というバイク神社

ライダーの聖地として知られているそうで、訪れた時もライダーの出入りが盛んだった。ライダーのための御守りもあるという

再び歩き始めて最上川の支流となっている橋を渡る。付近は農地でもあるが、長井市の郊外にもなっているようで民家は多い。そして歩き始めて1時間ちょっと

羽前成田駅が見えてきた

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~100年のホームと令和の豪華駅舎が共存

※訪問は2025年6月7日

路線名になった中心駅

赤湯から約30分。長井駅に到着した。路線名からも分かる通り、国鉄時代の長井線から路線を代表する駅となっている

長井軽便線という名称で1913年(大正2)に開業した長井線だが、最初は梨郷まで。長井までの開業は翌年だったが、梨郷~長井は11キロもあるのに路線名はすでに長井線だった。計画の時点ですでに長井が路線を象徴する駅だったことが分かる

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年季の入ったホームにしびれる

長井駅のホームは木材をふんだんに使用たものだ

ホーム上屋を支える柱には、古レール転用のような鉄材はなく美しく木が組み合わされている。番線表示もなかなか古そうだ

ホームの端はこんな感じ。ダメ押しのように斜めの支柱で支えられている。ホーム上屋はいつからのものか分からないが、確実に100年の時を刻んでいそうだ

駅舎とは島式ホームから構内踏切でつながっている。駅舎と逆側き新しめの住宅街。以前は住宅街との間に防雪林があったが公園となっている

側線が残り、その奥にはかつての貨物ホームが見える

そしてどの写真にも映り込む大きな建物は一体何だろうと思う人は多いはず

大きすぎて写真に入りきらない

その答えは構内踏切の行先にある。踏切から入っていくのだから、これは駅舎である

「長井駅」と記されているが、乗り換えのない単独の地方三セク路線の駅では立派すぎると言ってもよいだろう

こちらは外観。実は駅舎の建物は左側にも広がっていて

このような姿。写真で入りきらない。ワゴンタイプのコミュニティバスとのアンバランスが、より建物を目立たせているが、駅は長井市役所と一体化されているのだ。駅と市役所が一体化されている例は貴重だという

竣工は2021年。長井駅は戦前からの駅舎だったが、解体されて現在のものとなった

真新しい駅舎内。ロビーは待合室代わりにもなっていて、もちろんエアコン完備である。訪問日はそれほど暑い日ではなかったが、真夏や真冬は大いな味方となる

こちらは構内踏切への出入口。豪雪地帯、寒冷地でもあるため二重の自動ドアとなっている

山形鉄道の本社は当駅にあり、有人の直営駅となっている

ただ立派な駅舎はいいが、前記事で記した社員退職による減便により、次の荒砥方面行きはなかなかやって来ない。到着したのは9時27分で次の荒砥行きは11時19分と、約2時間の空き時間がある。駅周辺は長井市の中心部でもあるが、まだまだお昼を食べる時間ではないし店舗が開く時間でもない。立派な駅舎内は快適に過ごせそうだが、この日のうちに東京まで戻らなければならないことを考えると、1日8往復の列車は大切に使う必要がある

となると、2時間を利用して次の目的地(駅)までは必然的に徒歩タイムとなる

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~大正期に全長30キロで「完了」した盲腸線

※訪問は2025年6月7日

米沢駅から再び赤湯駅

朝の米沢駅。前夜は米沢に宿泊した。米沢は山形県第4の都市であると同時に有名観光地。鉄道としても福島県と山形県の険しい県境を支えてきた要衝駅で山形新幹線も全種別が停車する。ただ「日本の都市あるある」で駅と街の中心地が離れている。十数年前に街中に宿泊したが、夜の街はお店も多くて楽しかった分、峠駅を訪れるべく早朝の列車に乗るため、ホテルにタクシーを呼んでもらう手間が必要となった。今回は長井線乗車が目標なので駅近くのホテル泊

フラワー長井線の始発駅である赤湯駅にあらためてやってきた。米沢から15分ほどである。当駅も山形新幹線の停車駅だが、もちろん在来線利用

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風情の異なる西口

上記の写真で分かる通り、赤湯駅は規模の大きい駅。駅名は平安時代からあったという名湯赤湯温泉にちなみ1900年(明治33)開業という長い歴史を持つが、当地の行政だと駅は赤湯町ではなく、隣町の和郷村に設置された。だから赤湯の温泉街は駅からやや離れている

和郷村を挟んで西側にあったのが宮内町。こちらも歴史ある町で赤湯駅が開業した時には赤湯町と同じくすでに町だった。そして、まずこの宮内町を目指したのが長井線である。戦後この3自治体は合併して1967年(昭和42)に南陽市が誕生するが、赤湯、宮内と2つの大きな町が名称を巡って譲らなかったために南陽という新たな都市名が作られたとか

現在の赤湯駅は新幹線開業直後の1993年にできたもの。パラグライダーを表現した形になっていて駅舎内も広くて大きい。タクシーやバスもこちらから発着する

こちらはJRの駅名標。それに対し、フラワー長井線を運行する山形鉄道の駅舎は西口となっていて

かわいいロッジ風の小さな駅舎。周辺はおそらく近年になって開発されたと思われる住宅街で商店もない。華やかな東口とは異なり、すっかりローカル線の風情だ。この駅舎は1988年(昭和63)に長井線が三セク移管された時に開業したもの

1日8往復へと減便

フラワー長井線は全長約30キロ。赤湯から最上川に沿うように白鷹町の荒砥駅とを結ぶ

赤湯駅の開業は1900年だが、13年後の1913年(大正2)には早くも長井線が開業する。前述した宮内町までが開業。翌年には長井駅まで到達し1923年には荒砥まで延伸された。大正12年のこと。元々は左沢とを結ぶことになっていた。現在の国道287号が走るコースである。ただ荒砥から先の工事は行われずに終わる。地図を見れば分かるが、荒砥から左沢の間はひたすら山中。おまけに当初の長井線は軽便線だった。難工事と採算面が考慮され、大正期から延伸が始まった長井線は大正期のうちに全線開業ということになった

山形鉄道への三セク移管は1988年(昭和63)。その前年に1度国鉄からJR東日本に移管されていたが、こちらも三セク移管時にワンクッション置くよくあるパターン

西口については山形鉄道の管轄で平時は駅員さんが配備されているが、日曜の朝ということもあってか無人だった

そして入口に時刻表が掲げられているが、1日8本の運行。そして小さくて見えないかもしれないが、左側に「お知らせ」の張り紙があり、4月1日付で「乗務員の退職に伴い現行ダイヤでの運行ができなくなりました」の説明書きがあった

新聞報道などによると、昨年から今年にかけ運転士4人と車掌1人が退職。それまでと同じ運行ができなくなったため、今春から上下4本ずつを間引いて計16本の運行となっている。乗客の減少より先に運転士の不足により路線バスが減便されるというニュースには最近よく触れてきたが、鉄道でも同じことが起きているのか、と思ってしまう。私が子どものころは、将来の夢として「列車の運転士」が必ず上位にいたものだが、地方においては事情が異なっていると感じざるを得ない

もっとも先週、山形鉄道に3人の運転士候補の入社が決まったという報道があった。こちらは朗報。ただ当然ながら6月の旅については、この減便ダイヤで行っている

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週末パス最後の旅はフラワー長井線~沿線では貴重な旧駅舎のひとつ

※訪問は2025年6月7日

かつては同型の駅舎が並ぶ

あらためて西大塚駅。赤湯側からだと米坂線の接続駅である今泉のひとつ手前にあたる。開業は1914年(大正3)で、その前年に赤湯~梨郷が開業していた長井軽便線を長井まで延伸する際に途中駅として設置された。以来、ずっと同じ姿だが、山形鉄道のHPでは駅ごとに「今昔物語」を伝えており、それを見ると長井線内の他の駅も、西大塚駅と似た姿をしていたことがよく分かる。近隣の駅が「そっくりさん」なのは、過去の他路線でもよく見かけた姿だが、おそらく同じ業者の手によるものなのだろう。ただし、今もその形を保っている駅はわずかとなった

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登録有形文化財に

残された西大塚駅は、その「ごほうび」として2015年8月に登録有形文化財となった。対象は駅舎本屋とプラットホームだが、それ意外にも見どころは多い

まずは駅名標。山形鉄道の駅名標になっていないので、以前からあったものか、あえて国鉄様式にしたものか。この西大塚駅はフラワー長井線で唯一、東置賜郡川西町に所在する駅で、それは同町の誕生した1955年(昭和30)から変わらない。設置時期はそれ以降のものということになる

到着時の写真だが、単式ホームとホーローも加えた駅名標の座り心地がいい

駅舎内にも空気は残る

駅の周辺には特に何があるというわけではなく農地の中にある住宅街という風情だ。赤湯を出た線路は最上川を渡って当駅に滑り込む。この後、長井線は最上川に沿う形で進んでいく。最上川流域に街ができているので鉄道もできたわけだが、同時に鉄道にとって最上川を渡るのは、かなりの難工事だったこともよく分かる

こちらは駅舎内の様子。無人駅だが駅員さんがいた時の雰囲気は残る。パンフレットなどが置かれているが、右手がきっぷの窓口、左手が手荷物受付だろう

財産票も残されている。「大正2年8月」と記されている。駅の開業は1年後なので、駅舎はその1年前に竣工していたことになる

こちらはサムネにもした駅名板だが、先述の山形鉄道「今昔物語」によると、山形鉄道の駅名板が掲げられた時代もあったようなので、雰囲気を出すために、あえて付け替えたようだ

こちらは横から眺めた駅舎。窓のアルミ補強は近年のものだろうが、板のくたびれた感じが当時の空気を運んでくるようだ

6月の1日は長いが、時間はすでに16時半となっている。この日は米沢泊。赤湯まで戻って米沢へと向かい、明日再び戻って荒砥を目指す

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週末パス最後の旅はでフラワー長井線~まずは登録有形文化財の駅へ

※訪問は2025年6月7日

数々の思い出がある週末パス

旅の始まりは伊丹空港からだった仙台空港から仙台駅に出て仙山線でいくつかの駅を訪問した後に山形へ

赤湯は山形新幹線の停車駅でもあるが、もちろん奥羽本線の在来線で移動する。赤湯駅では山形鉄道フラワー長井線の車両が待機中。この月の6月いっぱいで終了したJR東日本の週末パス。数々の思い出が詰まっているが、最後にフラワー長井線で利用することとした

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週末パスの特徴

こちらが今回利用した週末パス。発券が東京駅となっているのは同行の知人に購入をお願いしたからだ

販売を終了したきっぷなので説明は簡単にしておくが、南東北以南のJR東日本全線と、その沿線にある一部私鉄、三セクが乗り放題のきっぷ。名の通り週末の2日間で有効。祝日が重なって3連休となった場合は、そのうちの2日間で有効。大きな特徴は新幹線や特急に乗車した場合でも乗車券部分が有効だということ。つまり特急券だけ買えばよい。前回までの記事で利用していた北海道&東日本パスや青春18きっぷの場合、特急利用には乗車券も一から買わなければならず、新幹線ワープを考慮した場合、新たな出費をするべきかどうか大いに悩まされるが、週末パスの場合は追加料金なので悩みは少ない。また利用できる私鉄、三セクも地方の渋めの路線が勢ぞろいしているので利用価値は高い。いつも書いていることだが、私鉄や三セクは運賃が高いことが多いので心強い味方なのだ

記憶にあるだけでも、私はこの週末パスを利用して、しなの鉄道、上田電鉄、長野電鉄、阿武隈急行、福島交通、アルピコ交通に乗車した。西日本在住の私にとって唯一の困った点だった前日販売については最近、えきねっとで事前購入すれば発券は当日でもOKとなっていたので利便性が上がったと感じていた矢先の販売中止だった

とにかく未乗路線として残っていた、このフラワー長井線は週末パスの販売があるうちにぜひ行かなければならないと今回の旅となった

ラーメン大好き小泉さんとともに

乗車したのは「ラーメン大好き小泉さん」ラッピング車両。赤湯駅のある南陽市ではラーメンによる町おこしを行っていて2016年には市役所に日本初のラーメン課が設けられた。その縁で人気漫画とのコラボが行われているが、2年前からそのラッピング車両が走っている

実はこの時点で時間は16時。どうやっても、ここから長井線を進んく時間はないが、せっかく今日も明日も長井線を乗降自由なのである。そして明日もそれほど時間があるわけではない。だったら1駅でも回収しようと選択したのが

登録有形文化財の西大塚駅である

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~いったん中締め次回は盛夏

※訪問は2025年3月10日

もうひとつの学校駅へ行くはずが

銀世界のりんご畑を宿川原駅のホームで眺めながら中央弘前行きに乗り込む。次に向かうのは次に向かうのは弘高下駅。中央弘前のひとつ手前。大鰐線は14駅中4駅が学校名を冠した駅となっているが、今回の訪問では最後となる。今日はJRの弘前駅近くに宿をとっている。繁華街という意味では中央弘前付近に泊まる方がお店もいろいろありそうだが、翌日が朝早いことを考えると、さすがに弘前駅前である

弘高下から弘前駅までは徒歩で約20分らしい。弘高下で降りてのんびり弘前駅まで歩けばホテルに着くころには夕暮れの手前ぐらいになるのでは、という計算だ

ただ「らしい」と書いたのは訳があって、その行程をとれなかったのだ。膝の痛みがかなりピークに達しつつあって、さすがに断念

中央弘前まで乗り通すことに

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車中で気付いたこと

川沿いを3分ほど歩き

最初に降りた蓬来橋のバス停に到着。現在の時刻は16時過ぎ。バス停を降りたのが11時前だったので、5時間ぶりの帰還。それほど長い時間ではないが、随分と密度の濃い5時間だった

ここから先のことは

この時にも書いたが、時計回り一方通行のバスがこんなに時間がかかるとは思わなかった。次に来る時は大丈夫

さて大鰐から乗車した際、気付いたものがある

りんごの吊り革。そう言われると過去にどこかの媒体で見た記憶がある。これだけ何度も乗り降りしていて全く気付かなかったのは、乗車した電車がいずれもガラガラだったからだ。朝夕の通勤通学ラッシュを外すように乗ってしまったこともあるが、電車が来る→乗る→空いている席に即座るの繰り返しである。徒歩予定がある時はドアの前に立って車窓をひちすら凝視するので、こちらも吊り革には目が行かない。大鰐が始発駅だったので、やや余裕があったからだ

最多利用の駅で1日251人

2023年度の駅別利用者数を見ると、1日あたりの利用が最も多いのはもちろん中央弘前駅だが、その数は251人。2位の大鰐駅が150人で以下は2ケタ以下。弘南鉄道のもうひとつの路線である弘南線は弘前駅が1037人、黒石駅が624人であることを考えると、寂しい数字となっている

沿線には学校が多い。にもかかわらず学校最寄り駅の利用が、いずれも2ケタにとどまっているのはJRやバスとの競合、また学校がスクールバスを運行していたりするからだという。それでも廃線を2028年春と3年先にしたのは2025年度に入学する生徒さんの卒業時期を考慮したため。明確で責任ある意思表示と言える

弘前電気鉄道として開業したのが1952年(昭和27)。地方の私鉄として経営は決して楽ではなかった大鰐線だが、私自身は間もなく当地に赴く予定である。7月上旬を盛夏といって良いのかどうか分からないが、昨今の気候状況だと、もう盛夏といって良いだろう。その際は弘南線も回るつもりだ。銀世界とは真逆の景色を眺めよう

こちらは駅の待合所で見かけた弘南鉄道の除雪車「ラッセル君」のポスター。土俵入りまで行うまわし姿のラッセル君。一瞬「えっ?」と思ってしまうかもしれないが、青森県は数多くの名力士を輩出した相撲どころで、ラッセル君は力持ちでもあるのだ

ラッセル君とは無縁な季節になりそうだが、残る駅をすべて訪問してから、あらためて大鰐線を詳しく紹介するつもりです

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2028年春の廃線が発表された弘南鉄道大鰐線を雪中行軍~利用者最少の駅まで根性見せよう

※訪問は2025年3月10日

ちょっと迷った末に

こちらは鯖石駅前の「継電器室」。当駅が交換可能駅になった時に設置されたものか。次の中央弘前行きは約30分後にやって来る。それまで雪景色でも眺めて過ごそうか、と思いつつ地図を眺めていると、ふとあることに気付いた。「30分以内に歩けば宿川原駅も訪問できるんじゃないか?」

ただしこれは正直迷うところではある

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痛む膝と地方幹線道路あるある

鯖石と宿川原の距離感はこんな感じ

線路の駅間距離は1・3キロで歩いても大して変わらない。徒歩20分と指南されたので十分間に合いそうだ。ただ石川駅から義塾高校前駅まで歩いた際、水たまりを飛び越えた時にズキンとなった膝が痛い。しかしここで宿川原を回収すれば義塾高校前から大鰐までの6駅すべてが回収できる。7月にも当地訪問を考えているため、大鰐のひとつ手前の駅をポツンと残しておくのはいかがなものか。ちょっと迷った末に

ゴーサインである。こちらは鯖石駅近くにあったもの。何か確認しようと思ったが雪で近づけない。というか余裕がない。とにかく前へ進むのみ

宿川原への道程は7号という幹線国道を進む平坦コース。以前の記事にも書いたが、この日は気温10度超えで晴れそして無風。積雪に目を奪われがちだが、徒歩には絶好のコンディション。これだけの積雪を眺めながら気持ちよく歩ける環境というのは、そうはなさそうなぐらいの徒歩日和だったが、とにかく膝が痛い

それでも歩く

駅間徒歩を行う時は、二度とない機会だと思ってまめに写真を撮るのだが、後で見るとこの1枚しかなかった。よほど余裕がなかったのだろう

ご覧の通りさすが一桁国道。歩道もきれいに除雪されていて歩くことに何も問題はない。もちろん車はビュンビュン走っている。もっとも「地方幹線道路あるある」で車の通行量は凄いが歩いている人はほとんどいない。朝だったらワンちゃんの散歩の方に出会うものだが、15時という時間ではそれもない。ドライバーの方からすると、大きめのリュックを背負って足を引きずりながら誰もいない国道を歩く年寄りはきっと奇異な不審者に見えたに違いない。実は「通報されたらどうしよう」とちょっと思った(笑)

そして列車出発の10分前に無事到着した

移動の歴史を持つ利用者「2」の駅

無事に到着した駅は奥に見える山の積雪と重なった景色が美しい

スロープから単式ホームに入る。待合所があるだけの簡素な構造。当駅の開業は1952年(昭和27)で、大鰐線の1期生だが見た目が妙に新しいのは2002年に移転しているからだ

地図で見ると鯖石寄りに宿川原大橋があるが、以前はもっと大鰐寄りにあった。駅は橋に寄り添うような場所にあったが、橋の移転と同時に鯖石寄りに200メートル移転した。当駅は町村制施行で大鰐村(現大鰐町)の一部となった宿川原村に基づく。「宿川原」を検索すると全国に無数に同様の地名があることが分かる。その中にはもちろん南武線の宿河原駅(川崎市)もある。「宿川原 時刻表」で検索したところ、こちらの駅は上位ではなく南武線の駅のほか、大阪府茨木市の宿川原停留所が出てくる。1970年の万博会場付近はかなりウロウロした方だが、恥ずかしながら国道171号沿いのこの地名は全く知らなかった。そしてバスの本数も多い。検索上位に来るはずだ

話は少しそれたが、川に近い宿という意味で全国に多くの「宿川原」があるのだろう。地図にある駅近くを通る県道201号はおそらく国道7号の旧道で集落がある。ただ駅と橋の移転は集落からやや離れただけでなく平川の向かいにある集落からも遠くなってしまい、そのためか当駅の2003年度の1日あたりの利用者数は、わずかに2人とJRの閑散ローカル線のような数となっている

ホームの向かいはりんご畑となっている。これはこれで美しい景色で現在は全く異なる景色となっているのだろう。ただ駅の実用という意味では、りんご畑に面しているのでは利用者が少ないことは容易に想像できる

電車がやって来た。山の積雪にりんご畑そして単式ホーム。鉄道の写真としては映えるものかもしれないが、かつては集落と橋の結点に駅が存在したことを思うと、少し寂しい気持ちになってしまう

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