塩狩駅で降りてきました その2~鉄道職員の殉職と小説、映画化そして塩狩峠記念館

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塩狩駅の駅名標

※訪問は2024年8月27日

駅のすぐそぱに立つ石碑

駅の周辺にはほぼ何もない

「手塩」「石狩」の2つの国にあることで名付けられた塩狩峠。今でこそ国道からのアクセスは容易だが、道路は駅に突き当たって終わっている

駅近くで目につくのは

峠の木碑そして石碑

解説文がある

1909年(明治42)、塩狩峠にさしかかった列車の最後尾の客車の連結器が外れ、1両分が峠を逆走。乗り合わせた職員の永野政雄さんが身を挺して暴走を防ごうとして殉職した。28歳の若さだった。乗客にけが人は出なかった。後に当地に信号場(現在の塩狩駅)ができるきっかけにもなった

その話を知った作家の三浦綾子さんが1966年に小説化し映画化もされた

塩狩峠記念館へ

駅からスロープを上がると

塩狩峠記念館。三浦さんの旭川市の一度は解体された旧宅の資材を利用して復元されたもの。中には関連の展示物が並んでいる

三浦さんといえば私にとっては過去に映画化され、何度もテレビドラマとなった「氷点」で小学生のころに初めてテレビで見て、その頃は何のことかさっぱり分からなかったが、大学生のころだったか、再びのドラマ化を見て初めて内容を理解したという記憶が鮮明だ

中は撮影禁止だが、玄関からなら大丈夫ということで、この角度から

復元までの過程が解説文として張られている。入館料は300円。前記事で塩狩駅へのアクセスを記したが、早朝と夕刻以降は閉館しているので旭川から塩狩駅までやって来て、再び塩狩から旭川へ折り返すのはダイヤ上、不可能に近い(開館していない時間のロスが長すぎる)

旭川からなら13時8分に到着して14時40分発の名寄行き普通で一度、隣駅の和寒まで行き、約30分の乗り継ぎで、快速に乗車して折り返す(塩狩通過)のが、記念館へのほぽ唯一の鉄道アクセスとなる。その意味でも名寄からアプローチできたのは良かった

ちなみにこの後、永山駅で

100周年記念入場券を購入

士別駅バージョンもあるらしく、販売は原則来年3月まで。入場券の裏面を並べると塩狩駅の駅舎写真となるので、こちらは実際に購入して並べてほしい。入場券セット(1000円)を塩狩峠記念館で提示すると入館料300円が無料になる。私は順序が逆になってしまったが、300円ならカンパの部類であるので問題ない。ただ記念館は冬季休館があるのでお出かけは早めに

寄付金の力で維持される駅

駅に戻ってきた。無人駅ではあるが保線の方が利用されているようで、全くの閑散という感じはしない。ただ

駅そのものの存続は必ずしも明るい未来とはいえない。前述したように駅から徒歩3分ほどの記念館に行くにしても鉄道アクセスが悪く周辺にはほぼ何もない。1日の利用者が数人あるかどうかの駅は現在、和寒町が維持管理の費用を出している状況だ。主にふるさと納税や寄付金でまかなわれている

名残惜しいが、お別れの時間となったようだ。かつては中間線があったようだが、今は撤去されている。駅舎の逆側はさらに何もないが

桜の季節は美しい光景になるという

ここで注意をひとつ

旭川行きの列車は駅舎側と逆側の2つのホームを使用する。列車交換の際は逆側に停まるようだ

乗車する11時58分は、その逆側だったが列車が接近すると警報器とともに遮断機が降りてしまって焦った。ただ5分間の運転停車があり、再び遮断機が開いてホッとした

抜海駅での運転休止があり、予定していた旅程は完全に崩壊してしまったが、そのおかげでいろいろな体験ができた。そのことを生涯の思い出にしようと思う

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