広駅の駅名標

※訪問は2022年10月1日

運行本数が急増

広駅に到着。お隣の仁方も当駅も呉市内の駅だが、運行本数が大きく変わる。在来線は広島駅を中心に広島シティネットワークと名付けられた愛称が用いられていて、山陽本線は東は白市、西は(山口県に入っているが)岩国、可部線全線、芸備線の狩留家そして呉線の広駅。エリアの移動に複数のルートがあるわけではないので、いわゆる大都市近郊区間には入っておらず、途中下車や選択乗車など特にきっぷのルールに特例が適用されるわけではない(ただし特定都区市内制度による広島市内区間は別に存在する)。言い方を変えると「ここから先は列車の本数が少なくなります」ということでもある。また非電化の芸備線以外は「シティネットワーク広島」のロゴが入った最新の227系で運用されているが、呉線は全線が227系である

三原方面からやって来ると、ほとんどの列車が当駅で乗り換えとなる。昼間は1時間に1本の運行が広から30分に1本で、すべてが快速。この快速「安芸路ライナー」は呉までの新広、安芸阿賀と各駅に停まり、呉から快速運転。呉からは普通が出ていて快速通過駅を補うが、こちらは1時間に1本。つまり快速の方が運転本数が多いという、ちょっと変わった運行形態となっている(夕方以降は)

ただ朝のラッシュ時は事情が変わり、広から多くの広島方面行きが出ていて7時台、8時台は1時間に5本の広島行きがある(それぞれ1本は広以東からの直通)。また朝の通勤通学帯は快速も「通勤ライナー」と名前を変え、呉以遠は矢野の1駅のみ停車という特別仕様。仁方駅の項で「ヨンサントー」のいわゆる1968年10月号の時刻表について説明したが、当時から最も大きく変わったのは、広から西の運行本数で、このころはまだ非電化時代ではあるが、広を境に朝の本数は増えてはいるものの、朝の6時台に3本、7時台に2本、8時台に至ってはわずか1本(ただし広停車の急行と呉始発の急行が別にある)しかない。広~三原については今とあまり変わらない

かつては広村

広駅は1935年(昭和10)3月の開業。呉から線路が延伸されてきた。11月には広から三津内海(現在の安浦)が延伸され呉線は全通している。開業時は広村。戦時色が強くなった1941年4月に仁方町とともに呉市に編入されている

広駅は貨物列車の拠点でもあった。呉海軍工廠は東洋一の軍需工場だったが、後に広海軍工廠が独立する形となり、貨物需要も必要となった。戦後も呉線の貨物輸送は広駅が拠点となっていた。今も夜間停泊などに使用される側線が残るが、かつては大規模な貨物ヤードがあった。広の地名には埋め立て前の海岸が広々としていたとの説もあるようだが、もちろん現在の広駅周辺に村の雰囲気はない

広以西の主要駅には開閉型の自動改札機が設置されている。みどりの窓口は3年前に営業を終えたが、みどりの券売機が導入された。もちろん無人駅ではない。駅舎は戦前からの木造駅舎が使用されていたが、JR移管直前に現在のものへと姿を変えている

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