ゆいレールに初乗車~旧那覇駅から市内中心部へ

牧志駅を出るとすぐ国際通り

※実際の道程とは異なります

かつての那覇駅所在地

旭橋に到着しました

ゆいレールは2面構造と島式構造の2パターンがあり、当駅は2面構造

那覇市内線を含め、沖縄各地へと向かうバスが発着する那覇の交通の中心地となる那覇バスターミナルの最寄り。バスとの乗り換えで多くの人が利用します

那覇バスターミナルのある場所は、かつての沖縄県営鉄道の那覇駅でした。沖縄戦で破壊されたため、駅の遺構はほぼ何も残っていなかったのですが、8年前に再開発のため一度閉鎖して工事を行った際に転車台の一部が発見されたそうです

ゆいレールができるまで、沖縄の鉄道は約60年の空白となります

国際通りの端と端を結ぶ

続く県庁前から那覇市の中枢部に入ります

駅名をローマ字表記にする際、県庁や市役所のような公的施設も都庁前(tochomae)のように、そのまま日本語表記にすることが多いのですが、当駅は英語表記となっています

ビルの間をぬうように、すっかり都市モノレールの表情。そして、こちらは最大の繁華街である国際通りの端の部分となります

国際通りは当駅と牧志駅で、それぞれ接続していてモノレールは久茂知川に沿って迂回するように走ります

那覇港の最寄り

続いて美栄橋に到着。こちらからは国際通りまで徒歩10分ほどの沖映通りの入口付近にあたり、沖縄本島周辺の離島への航路が出ている那覇港「とまりん」の最寄りにもなっています

こちらは駅名標

ホームは1面2線です

そして牧志駅へ到着

車内のアナウンスでも国際通りへの案内が行われます

多くの人でにぎわっていました

ソーキそばをいただきました

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ゆいレールに初乗車~最南端と最西端

那覇空港駅の駅名標

※実際の道程とは異なります

到着すると最西端

沖縄へ向かう、ほとんどの方が利用する玄関口の那覇空港

迷いなくモノレールの那覇空港駅に向かうことができます。ただ那覇空港の到着ロビーは1階で駅は2階にあるためカート利用が可能

改札には京成スカイライナーの割引チケット発行機もあります

先の車止め部分。さすがに延伸はありません

延伸がないのは地図でお分かりだと思います

改札手前にあるのが「日本最西端の駅」の記念碑。こちらでもSuica利用可のアピールに余念がないようです

モニュメントは飛行機の翼をイメージしたもので中央にはめ込まれているのは、ひとつはゆいレールの車体でもうひとつは大根。かつて空港付近は島野菜である「鏡水大根(かがんでーくに)」の産地であったことに基づくものだそうです。那覇空港の所在地は「那覇市字鏡水」

わずか1駅で最南端へ

那覇空港駅を出ると、わずか3分、たったの1区間で今度は最南端の駅である赤嶺に到着します

ゆいレールそのものは空港から北東へと向かうのですが、軌道は一度南側に向かうので、こちらが最南端となります

こちらが駅舎。周辺にはマンションが立ち並んでいます

コンコースには最南端駅にやってきたことを証明してもらえる顔はめパネルが設置されています

最南端駅を示す記念碑は屋外に

2003年のゆいレール開業翌年に設置されました。まだ20年経過していませんが、雨や台風の多い沖縄だけに、かなり頑張っています

駅南側のロータリーにあります。駅を降りると両方ロータリーがあって、駅からは眺めると、どちらに降りようか、意外と分かりにくいかもしれません。駅員さんに場所を訪ねたほどです

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ゆいレールに初乗車~急勾配とカーブがみどころ

ゆいレールの運転席

運行は10分に1本

現在のゆいレールは昼間の運行は10分間隔。コロナ禍前は8分に1本でしたが現状は10分間隔。朝のラッシュ時は5分前後、夕方のラッシュ時は7分の間隔で頻度が上がります。1本逃すと困るというレベルではありません。沖縄も車社会で計画時は電車なんかに乗ってくれるのかな、という不安の声も大きかったようですが、那覇中心部の渋滞に悩んでいた人や、遅延の目立つバスにイライラしていた観光客にとってモノレールの登場は大きかったようです

2両編成のため、那覇空港から市内中心部の間は、昼間もかなり混雑します。ホームは3両分を確保しているため、数年以内には3両編成になるそうです。運転はワンマンで各駅には基本的に駅員さんがいます

と、ここまでは一般的なモノレールとほとんど同じですが、車窓が大きく異なります

カーブが多い理由は

モノレールを設置するのにあたっての最大の問題点は用地の確保でした。街もすでにできているので今から鉄道用に用地を、となると街から離れたところばかりを通さなければなくなり、それでは都市モノレールとしての意味がない

そこで既存の道路に沿って建設したところ、カーブだらけの構造になりました。もっとも幹線道路沿いなので那覇市内の中心部を網羅できるようになったわけです

そして道路に沿って建設したために発生したのが「坂」です

特等席からの眺めは最高

那覇の中心部を抜けて乗客もかなり落ち着いてきた古島駅

ここからが見どころの一つとなります

お隣の市立病院前駅へと向かう際、直角になろうかという大きなカーブを描いているのが分かります

それを楽しめるのがこちらの特等席

ロングシートのゆいレールですが、運転席の真後ろのみ、このように「パノラマシート」となっています。この席が大人気で乗っていると、空いた瞬間にまたたく間に埋まってしまう。空きに気づき後方車両から、素早くやって来る人も

最初は「子供がいるわけでもないのに、みっともないなぁ」などと思っていたのですが、古島駅の手前あたりで車内がガランとなったタイミングで空いたので座ってみました

動画だとこんな感じです(音声注意)

すると、これがメチャおもしろい。人気の理由がよく分かりました

道路に沿って建設したため、坂も同時に発生することになりました。ゆいレール全線は17キロしかないのに高低差は120メートルもあります

映像の勾配は50パーミル(‰)越え。50‰となると一般の鉄道では、車輪の空転が怖くて、なかなか普通には上り下りできないレベルで、かなりの減速を必要としますが、ゴムタイヤのモノレールは摩擦にもしっかり耐え、やすやすと登っていきます

この区間より少し先の儀保~首里では最高の60‰に達します

うまい具合に特等席が空いたら、ぜひ急カーブと急勾配を体感してほしいところです

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ゆいレールに初乗車~基礎知識ときっぷ

ゆいレールの車両

空港から那覇市内に向かう必需アクセス

GWの直前、沖縄に行ってきました。私にとって沖縄は37年ぶり。つまり最後に訪れたのが「昭和」だったわけで、初めて訪れたに等しい。で、そこで行ったのが「ゆいレールの全駅訪問」(笑)

沖縄に行ってまで鉄オタ活動かと思われるかもしれませんが、初乗車ゆえに感じたことをつづっていきたいと思います

まずゆいレールとは何か?ですが、正式名称は「沖縄都市モノレール」

那覇市の「那覇空港駅」から市内中心部を抜け、浦添市の「てだこ浦西駅」までの17キロを37分で結ぶモノレールです。駅数は19。開業は2003年8月で「首里駅」からてだこ浦西の4・1キロが2019年4月に延伸開業しました。言うまでもなく、日本で最も南そして西を走る鉄道路線

地図を見て分かる通り、モノレールの特性を生かした急カーブが特徴。そのおかげで那覇市内の主な場所を網羅しています

そしてもうひとつの特徴は急勾配。こちらは前面展望を楽しめます

沖縄を訪れるほとんどの方は飛行機利用でしょうから、那覇市内に向かう際は、かなりの確率でお世話になると思います

紙のきっぷもIC乗車

入退場はすべて自動改札。そして私も最初、一瞬戸惑ったのですが

自動改札には紙のきっぷを投入する場所がありません。長年IC乗車ときっぷによる乗車ばかりに慣らされていて「えっ?」と思いますが、紙のきっぷもICタッチによる入退場です

便利なフリーきっぷは時間制ただし暑さには注意

私が利用したのはフリー乗車券。通年販売しています

私の旅程は初日に北谷まで行き、バスで那覇市内まで戻ってきたため、購入はバスターミナルとつながっている「旭橋駅」での発券となりましたが、もちろん、どの駅の券売機でも当日その場で購入できます

1日乗車券は800円、2日乗車券は1400円。私のような全駅訪問してやろうという特殊な人間にとっては、もちろん必須アイテム(ありがとうございます)ですが、那覇空港から那覇市内の主要駅までの運賃が270~300円、最低運賃が230円ですので滞在ホテルへのチェックインや荷物を預けてから市内に繰り出したり、首里城観光を行ったりすると、すぐ元が取れてしまいます

最も有名な繁華街である国際通りの端から端には県庁前駅と牧志駅があり、その中間には那覇港に近い「美栄橋駅」もあります。私のホテルは美栄橋の近くでしたから、駅訪問以外でも食事に行く際など、栄町市場の最寄りである「安里駅」も含め何度も利用しました

フリー乗車券のポイントは「時間制」だということ。こういうきっぷは日で区切るものが多いのですが、名古屋市と同じく時間制。つまり1日乗車券だと購入から24時間利用できるということ

私の例だと4月25日の12時27分に購入したので27日の12時27分まで利用できました。全くの偶然でしたが私は27日正午発の飛行機に乗ることになっていたので、最後に那覇空港に向かう際まで、ちょうど利用でき、事実上3日間利用できることになりました

ただ、こういう磁気ICというのは乱暴な使い方をすると磁気が弱っていきます。私は他路線で何度か失敗しているのですが、夏場に胸ポケットやお尻のポケットに突っ込んでいると汗を吸ったりして反応が悪くなっていきます。これからの沖縄はもちろん暑いので、その点には留意ください

施設への割引と他のIC乗車

多くの駅で、このような告知がありました。3年前からSuicaが利用できるようになり、Suicaと連携するIC乗車券も利用できます。JR各社のIC乗車券のほかPASMO、manaca、PiTaPa、はやかけんの利用が可能

主要駅にはチャージ機もあります

首里城公園などフリー乗車券の提示によって割引が適用される施設もあります

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阪和線の日根野以北を足早に回る~最終項…頭端駅が美しい天王寺

天王寺駅の駅名標

2022年12月8日12時30分

面影を残す

今回の旅の終着駅である阪和線の天王寺(公式には阪和線の起点)に到着です

梅田付近から和歌山や関西国際空港に直接向かう人は環状線を通って、そのまま阪和線に直通するため、意外と降りることが少ないかもしれませんが

天王寺を起終点とする電車は、こちらから出ます。ご覧の通り頭端構造。阪和電気鉄道のなごりというか、同社の駅だったので頭端式となっています。私鉄の大型ターミナルだったわけです

南海との合併を経て戦時買収

阪和電鉄は戦時体制そして戦争によって大きく運命が変わります。まず私鉄の再編によって南海と合併したのが1940年。元々が南海のライバルとしてできた会社ですが、国策ということで同じ会社となり「南海山手線」と改称。しのぎを削ることはなくなりました

さらに戦時中の1944年に今度は南海山手線の部分が「戦時買収」で国鉄となり、現在に至ります

鉄道国有法がすぐ有名無実化したことは以前に触れましたが、この戦時買収は有無を言わせず国有化するもので「買収」とは名ばかりの強制的な国有化でした。仙台から松島へ向け、JRの路線が2つある不自然さも仙石線が戦時買収によるものだから(東北で唯一の直流方式なのもそのため)です

日本中で多くの私鉄が国有化されました。ただターゲットが物資運搬色の強い路線だったため、阪和線や南武線のようにその後、ドル箱路線になったのは大都市圏周辺のごくわずかで、後に廃線になったものや国鉄を経て引き継いだJRが「もうやめたい」と言っている加古川線や小野田線のような路線が多いのも事実

特筆すべきは飯田線で山中を細々と走るローカル線が、なぜ立派に電化されているかというと複数の会社を戦時買収したからで、戦時買収というものがなかったら、今ごろは廃線となっているかもしれません

話は少しそれますが、この1944年には「国からの要望」と、これもまた半ば強制で南海は大阪から三重県まで幅広いエリアを持つ「関西急行鉄道」という会社と合併して新会社「近畿日本鉄道」が発足しました。戦後、南海は同社から離脱して元の形となりますが、会社名は残りました。言うまでもなく現在の近鉄です

ライバル心が発展に寄与

こちらは鳳駅(2021年3月撮影)。阪和線唯一の支線である羽衣支線が発着します

こちらは東羽衣駅(2021年3月)。「東」とつきますが南海の羽衣駅と同じ場所にあります。詳細は以前、別媒体でも記したので簡単に触れておくと、2キロにも満たない鳳~東羽衣の1区間は今や、JRと南海を結ぶ貴重なアクセスとなっていて乗り換えの案内放送もされていますが、もともとはそんな立派なものではなく、当時東洋一と呼ばれた浜寺の海水浴場の集客に目をつけた阪和電鉄が「客を奪ってしまえ」と南海の線路手前まで強引に1区間のみを敷設したもの

なかなか無茶苦茶な話ですが、和歌山まで高速列車を走らせて沿線では遊園地造営に宅地開発、温泉、さらには南海沿線にある競馬場や海水浴場での利用客争奪と、阪和電鉄は、存在したわずか10年の間に「ありとあらゆる手段」で企業努力をしていたことが、よく分かります

その功績は和歌山駅の現在などにも象徴されています

阪和線へのアクセスは容易すぎるほど容易で和歌山まで15分に1本の電車が走っています(昼間の和歌山への直通はこちらのホームからは出ていませんが)。天王寺の頭端式ホームからスタートして三角屋根の駅舎をはじめ、いろいろな歴史を見ながら鉄路をたどってみるのはいかがでしょうか

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阪和線の日根野以北を足早に回る~難読過ぎて読めるようになった駅

百舌鳥駅の縦駅名標

2022年12月8日12時

漢字3文字読み2文字

百舌鳥駅に到着しました

読みの方はというと

「もず」。漢字3文字なのに、かなにすると2文字。もちろん日本で唯一。当然のように難読駅として知られていますが、鉄道にちょっと興味がある人は、意外と誰でも読める。さらに言うと関西では鉄道に興味がない人も読めます

理由の一つ目は漢字3文字で読み2文字という、特別な読み方でクイズに出されすぎたから。難読駅クイズでは定番となりすぎて読めるようになった人が多いのではないでしょうか

理由の二つ目は関西限定となりますが、南海、泉北高速鉄道、地下鉄御堂筋線と3路線の「中百舌鳥」という駅があるからです。南海と泉北高速鉄道は相互直通運転をしていますが、泉北高速鉄道の線内折り返しもあり、駅のアナウンスではかなり聞かされます。そして昭和の終わりごろには大阪の地下鉄で圧倒的に利用者の多い御堂筋線(かつては日本一でもあった)の終着駅となり、こちらは表記は「なかもず」とひらがなではあるものの、これだけ連呼されると誰でも覚えます。終着駅となっているゆえに誰でも読める駅というのは他にも存在しますが、ラッシュ時は1時間に10回も聞かされるのですから知名度は抜群です

ちょっと年配の方だと、かつてプロ野球南海ホークスの練習場があったため、こちらもニュースでよく流れて読めるようになっていると思います

100種類の声を出す鳥の名前

そもそもが日本中のどこにでもいるモズという鳥の名前なので、そちらから読める人もいるかもしれません。なぜ「モズ」が「百舌鳥」になったかというと、モズは求愛行動の際、いろいろな鳥の鳴き真似をするそうで、それが100種類もの声を持っている、との伝承から「百舌」となり、そのうち「鳥」を付けないと何の名前か分からない、と3文字の漢字が充てられるようになったとか

では、その100の声を持つ鳥が、なぜ地名になったかというと、これは堺市のHPで説明されています

「日本書紀に次の有名な話が見えます。『仁徳天皇が、河内の石津原(いしつのはら)に出向いて陵の造営場所を決め、工事をはじめたところ、突然、野の中から鹿が走り出てきて、工事の人たちの中に飛びこんで倒れて死んだ。不審に思って調べてみると、鹿の耳から百舌鳥が飛び出し、鹿は耳の中を食いさかれていた。このことから、この地は百舌鳥耳原と呼ばれるようになった。』百舌鳥や鹿のことは、百舌鳥耳原という地名が先にあって、それを説明するために後で考え出された、地名起源説話の一つだと思われますが、これから見ると、このあたりは大昔は石津原と呼ばれていたようです。しかし、いつ頃から、また、なぜ百舌鳥と呼ばれるようになったのか、よく分かっていません」

とにかくかなり古くから百舌鳥という地名にはなっていたようです

そして、日本書紀に登場する仁徳天皇の陵が世界文化遺産にもなった日本最大の古墳である仁徳天皇陵です

住所も独特

電車を降りて改札に向かうと

大変分かりやすく案内があります。大仙公園は仁徳天皇陵と履中公園に挟まれた場所にある都市公園です(世界文化遺産は仁徳天皇陵を含む「百舌鳥・古市古墳群」が指定されていて、堺市だけではなく羽曳野市、藤井寺市にもエリアとなっています)

案内はこれだけかと言われそうですが、これは駅前の地図の方が早く

駅前はまさに仁徳天皇陵と大仙公園。駅名も最初は「仁徳御陵前停留場」でした

駅を降りると大きな解説板があって、とても分かりやすくなっています

そして駅の住所は

「もずせきうんちょう」と、難読+難読。しっかり読みを入れてくれています

なお百舌鳥駅は仁徳天皇陵最寄りの西口(上りホーム)と逆側の東口(下りホーム)とは別々の改札でホーム内の移動はできなくなっています

東口はかわいい入口となっています

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阪和線の日根野以北を足早に回る~阪和電鉄最後の駅

富木駅の縦駅名標

2022年12月8日11時30分

意外な難読駅

富木駅に到着しました。「とのき」とは、なかなか読めません

こちらの駅の特徴は東西で大きく表情が変化することです

こちらは東口。阪和電気鉄道独特の三角屋根が、かわいい形で残っています

1940年の開設。阪和電鉄では最後にできた駅です。というのも、阪和電鉄は戦時体制で一度、南海に組み込まれ、戦時中に国営化されたからです

駅は1940年3月に開業し、阪和電鉄は同年12月に南海に吸収合併されたので、阪和電鉄の駅だったのは、わずか9カ月間でした。もちろん阪和電鉄が望んでライバルの南海に吸収合併されたわけではありません

駅ができたのは宅地開発のため。わずか10年しか存在しなかった阪和電鉄ですが、最後の最後まで企業努力をしていたかと思うと、なかなか複雑なものがありますね

他の主要駅もすぐそば

後から設置された駅のため、お隣の快速停車駅である鳳までは1・2キロしかありません。鳳は堺市で富木は高石市ですが、鳳側からの車両区の線路が富木のすぐそばまで来ています

高石市内では南海の主要駅である羽衣駅にも近い。また地図で分かるように周辺はビッシリ住宅街。阪和線沿線の他駅の多くの例と同様、当駅の開設時は取石村でした。阪和線が人工増加に大きく寄与しています

東西で異なる表情

当駅の特徴は東西で駅舎の表情が大きく異なることです

東口は前掲の写真の通りですが西口は

随分と近代的。それもそのはずで、こちらの駅舎は2011年の完成と、まだ10年ちょっとしか経っていません

これも阪和線の特徴ですが、ほとんどの駅は降りるとすぐ踏切があります。それこそ「村」だったころは、それで何の問題もなかったのですが、沿線人口が増え利用者が増加すると「開かずの踏切問題」が各駅で発生します。大阪中心部に近づけば近づくほど電車の種別も本数も多くなるため、これは深刻な問題で、まだこの案件を抱えている駅は多い

そこで当駅では高石市が全額負担して新たに西口を設けました。阪和線の高石市内にある駅は当駅だけ(支線の東羽衣駅はかなり以前に高架化)なので、いろいろスムーズに行ったのかもしれません

西口ができたことで、それまで上下ホームを結んでいた地下通路は改札外の自由通路となって鉄道利用しない人も利用できるようになりました

踏切付近から駅を見ると、こんな感じ。近いのに渡れないというのは、やはりイライラしますね。まだ西口完成から10年ちょっとということで駅には多くの注意書きが目立ちます

板で覆われた部分が自由通路化されたところ。上下ホームが別となったことによる注意喚起

自動改札手前の、あらゆる目につくところに文字が見られます

ただ開かずの踏切のイライラは解消され、こんな文字もしっかり掲げられています

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阪和線の日根野以北を足早に回る~人の名前ではありません

北信太駅の駅名標

2022年12月8日11時10分

神社の参拝道

北信太に到着しました

駅名標で分かる通り「きた・のぶた」さんという人の名前ではありません。「しのだ」と読みます。なかなか読めない

東側、西側と両サイドに改札があり、無人となっている西口を出ると

すぐに鳥居がお出迎えしてくれます

駅が設置された1932年は「信太村」でした。地名の由来となった「信太森神社(葛の葉稲荷)」は至近

最初に駅が開設した時は「葛葉稲荷停留場」の駅名で、阪和電気鉄道の和歌山までの全線開業後に設置されました。駅の位置といい、参拝目的の駅だったことは明らかです

伝説を伝える

メインとなる駅舎は東側にあります

1日に1万人が利用する直営駅で、みどりの窓口は営業を終了しているものの、みどりの券売機は設置されています

こちらは東口の改札。東西改札ともすぐホームに入れるようになっているので便利です。かつては上り、下り両ホームは地下通路で結ばれていましたが、現在は両ホームが独立した形となっていて上下ホームの往来はできません。かつての地下通路が東西自由通路となっていて駅を利用しない人も踏切待ちを避けられるようになっています

その東口には「葛の葉 子別れ」の絵画があります

「平安時代の陰陽師として知られる安倍晴明は、信太の森の白狐(葛の葉姫)を母として生まれたという。葛の葉稲荷はこの「葛の葉伝説」ゆかりの地として広く知られている。境内にある楠の巨木、「千枝の楠」(市指定天然記念物)は、白狐が姿を隠したという伝説をもつ。また、白狐が葛の葉姫に変化したとき姿を映したという姿見の井戸や、狐が化かしたと伝えられる白狐石などがある」(和泉市HPより)

歌舞伎や人形浄瑠璃以外でも、この伝説は多くの作家や漫画家の方が題材として取り入れています

周辺道路を整備

駅前にはこのような案内がありました

今回、いくつかの駅で見たのは駅前の道路整備、駅の改良でした

阪和電鉄が設置した駅はどこも私鉄風で狭い駅前が多く、多数の利用者がある駅では車の流入もしづらくなっています。また駅近くの踏切も利用が多い時間帯は人と車であふれているので、その改良もあるのでしょう。阪和線沿線では快速停車駅から駅及び駅前の改良工事が開始され、もう次の段階に来ているようです

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阪和線の日根野以北を足早に回る~参拝と競馬で発展が始まる

久米田駅の側線は保線車用

2022年12月8日10時50分

新出口を建設中

久米田に到着しました。ご覧のように保線車が停まっています。現在は2面2線ですが、かつては2面4線だったため、ホーム横に側線が残っていて、そのスペースを利用しています

保線車の傍らでは

工事が行われていました。訪問時の昨年12月時点のもので、現在はさらに工事が進んでいると思われますが、明らかに新しいで出口を設置しようとしています

保線車側から撮ってみましたが、こちらの方が分かりやすいかもしれません

駅前は参拝道

久米田の駅舎です。いかにも阪和線の駅、という私鉄テイストあふれる駅は久米田寺への最寄りともなっています

駅を出るとすぐ参拝道となりますが、その分、手狭で逆側にも出口をということになったのかもしれません。利用者は1万人を超える駅で

しっかり、みどりの窓口もあります

競馬集客にも参加

新出口の工事中と思われる方向には、かつて春木競馬場がありました。現在、大きな公園となっています

どちらかといえば、南海の春木駅からすぐの競馬場だったのですが、とにかく集客に熱心だった阪和電気鉄道は、久米田からも十分に徒歩圏内だ、ということで競馬客輸送も「参戦」。臨時列車の運行も行いました

駅舎はどう見ても阪和電鉄ならではの私鉄の空気感なのですが、財産票は国鉄になった戦後のもの。大がかりな改築があったのでしょうか

手前部分の駅名板が乗っかっているあたりは、増築か最初からのものか分かりませんが、駅名板がなければ、普通に家ですね

跨線橋の文字。駅名を強調して文字間隔を空け、1段目も2段目も同じ長さにできる万能ぶりが、とても気に入りました

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阪和線の日根野以北を足早に回る~私鉄の面影を残す

東佐野駅の駅名標

2022年12月8日10時

開業時に付けた地名が今も残る

熊取から1駅。東佐野に到着です

2面2線構造

三角屋根の形はおそらく阪和電気鉄道時代からのもの

屋根は瓦になっているようですが、これは近年生まれ変わったもののようです

最初の駅名は「泉ヶ丘」。戦時中に国鉄になった際、現駅名となりましたが、これは阪和電鉄が宅地造成するために付けられた駅名で、和歌山までの全線開通後から10年近くが経過した1939年に開業しました。まるで現在の新興住宅街のような地名ですが、戦時体制に入りつつあったこの時期にも宅地開発での集客をしようとしていたことが分かります

駅の現在の住所は泉ヶ丘1丁目。駅舎側の住所は、ずっと泉ヶ丘が広がっていて宅地開発が身を結んだ形になっています

ちょっとおしゃれな構造

業務委託駅で営業時間は決まっているものの、窓口はあります。改札は簡易式のIC方式

和歌山方面の下りホームには小さい階段でそのまま入ります。大阪市内方面へは跨線橋で向かうのですが

改札からホームへの階段は、扇状でちょっとおしゃれな構造となっています

私鉄駅の色彩が色濃く残る

続いてお隣の和泉橋本駅へ。阪和線は元私鉄らしく駅間が短いのが特徴ですが、先述した通り、後から東佐野駅(泉ヶ丘駅)ができたため、特に駅間が近くなっています

線路沿いの道路はないようで、徒歩や車だと回り込む必要があるようですが、レールだけだと駅間はわずか1・5キロ。出発したと思ったらすぐ到着してしまう感覚。歩いても30分かからないとグーグル先生は教えてくれますが、もちろん歩きません。電車は15分に1本来るのですから

あっという間の到着

駅舎は、いかにも私鉄らしいもので駅からすぐの踏切と駅前の狭い道路と商店街も、私鉄を感じさせてくれます

改札は開閉式のものが設置されています。東佐野より圧倒的に利用客は多いのですが

みどりの窓口の営業を終えた2015年から設置されていた、みどりの券売機も昨年8いっぱいで撤去されています。張り紙にその旨が書かれています。1日に5000人ほどが利用する駅でみどりの券売機まで営業を終えるのですね。これはちょっと驚きでした。ただ定期券を買える券売機は残されています

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