続九州新幹線の全駅訪問~完全途中駅となったかつての「始終着」駅のなごり

新八代駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

新幹線開業時は対面乗り換えで接続

新水俣から新八代へと1駅、熊本方面へ戻った

2004年3月の九州新幹線部分開業から全線開通の2011年3月まで鹿児島本線との接続駅として有名となった。接続駅つまり始終着駅だった

接続方法は現在、西九州新幹線の武雄温泉駅で行われているのと同様のホーム上の対面乗り換えで、博多方面からの「リレーつばめ」で到着すると、向かいの新幹線に乗り継ぐもの。私は開業直後にその方式で鹿児島中央まで行ったが、ホーム上での対面乗り換えを果たしただけで駅舎の外には出なかった。今回が事実上の初訪問

乗り換えの名残がそのまま残る

ホーム構造は一見、2面3線構造だが、実質は11、12番線の2面2線で、柵で覆われた番線をふられていないホームがひとつ。これが対面乗り換えの名残である。リレーつばめは、このホームに入線して乗客は12番線から発車する新幹線へと乗り継いでいた。当時はリレーつばめの発着するホームが11番線で、現在の11番線は使用されず、ホームだけが将来の全線開通に備えて設置されているだけの存在だった

ホームの端まで来ると本線とは別に線路が地上に向けて降りていく。現在は保線用の車両が走り、かつての狭軌部分は姿を消している

現在は各停パターンのみの停車

現在の新八代駅は単に新幹線と鹿児島本線の乗り換え駅。交差する形で両駅が設けられ、駅舎はそれぞれ独立している。かつては対面乗り換えだったが、一度改札を出ないと乗継ぎができない

在来線のホームに立つと、新幹線の高架の真下にいることが分かる

新八代駅に停車する新幹線は昼間は1時間に1本。「さくら」と「つばめ」のみの停車だが、ほとんどがさくら。さくらは九州新幹線の速達型だが、熊本~鹿児島中央については、各駅に停車するパターンと川内のみ停車の2パターンがあり、当駅停車は前者のみ。つまり先行開業した区間では各駅停車パターンしか停車しない

始発着駅なので全列車が停車するのは当然だが、部分開業→全線開業となった駅というのは県庁所在地など県を代表する駅が多く、全線開業後に列車によって通過されてしまうことはあまりない。東北新幹線の八戸がそれに該当するが、多くの速達型も停車する。各停パターンのみ停車となったのは現状では当駅のみである

改札内の様子。九州新幹線ではよく見られる形

当駅で特筆すべきは待合室にある純正キヨスクの存在。コンビニとの提携や独自ブランドの登場もあって各地の純正キヨスクは姿を消しつつある。ちなみに「キヨスク」は国鉄時代からのもので、JR各社に引き継がれたが、JR移管後にJR東日本のみが「キオスク」と読み方を変えている。キオスクは国文字など国鉄のものを今も大切に引き継ぐJR東海では今もかなり見られるが、他社では絶滅危惧種常態。私の認識する限りではJR九州では当駅と武雄温泉駅しか残っていない貴重な存在。しかも以前からなじみの深い大文字のキヨスクは当駅のみである

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続九州新幹線の全駅訪問~肥薩おれんじ鉄道の駅にも要注目の新水俣

新水俣駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

乗り換えのない駅はなし

熊本から新八代を飛ばして新水俣駅に到着。時刻表の関係で効率優先とすると、こうなる

2004年に先行開業した九州新幹線の新八代~鹿児島中央。この間の駅で他の鉄道との乗り換えのない、全くの新幹線単独駅はない。新八代は在来線との接続駅となったことで新幹線との交差地点に新駅が設けられたし、出水は元々がJR鹿児島本線の駅。川内も同様で鹿児島中央は言うに及ばない(新幹線開業とともに駅名が西鹿児島から変更となった)

新水俣も新八代と同様、JRも肥薩おれんじ鉄道も新駅が設けられた駅となるが趣は多少異なる

新幹線の改札付近

こちらは新幹線側の駅舎。ホームは2面3線構造で部分開業時は当駅~鹿児島中央という、新八代のみ行かない列車が設定されていた

観光物産協会も入っている

一瞬の交差に設けられた新駅2つ

コンコースの入口には肥薩おれんじ鉄道との乗り換え案内がある。新幹線の改札を出てすぐなので迷うことはないだろう

新水俣駅は旧鹿児島本線の肥薩おれんじ鉄道と新幹線が一瞬交差する場所に設置されている。両社ともに新駅だ。肥薩おれんじ鉄道は海側の水俣市街地に向かうが、新幹線は山中を突っ切る

元々の鹿児島本線は現在の肥薩線ルートで、鹿児島へはそちらの方が距離が短い。軍事的な理由や都市の多さから海沿いを行く鹿児島本線があらためて敷設されたが、各都市を順番に回っていくため、線路の距離も長い上、線形も良いとは言えない

新幹線はその欠点を解消すべく、できるだけ直線的に敷設されたため山中を行く形となった。そのため比較的駅が多く設置されている九州新幹線の中では珍しく、新八代~新水俣は同じ熊本県内にありながら42キロも離れている

元々は信号場

肥薩おれんじ鉄道の新水俣駅は新幹線の駅舎外にある

駅名板と時刻表がポツンとあるのみ。ホームへは構内踏切で向かう。駅舎のない無人駅だが、列車交換(すれ違い)は可能

それもそのはず。元々は「初野信号場」という列車交換のための設備だった。初野というのは地名である。信号場というのは両隣の駅間が長い単線区間などで列車交換をするために設けられた施設。駅となっていないのは、場所が山中など周囲に何もない場所が多く利用者が見込めないから

ただ信号場だけに設備は整っていて、ホームさえ設ければ駅に昇格させるのは比較的容易だ。そこに目をつけて駅を新設したのは素晴らしいアイデアだと思う

構内踏切で細い通路を通ってホームへと向かう

ちょうどくまモンとともに列車がやって来た

写真で分かる通り、ホーム幅は極めて狭い。信号場に頑張ってホームを造った苦労がうかがえる。肥薩おれんじ鉄道はJR貨物が走り当駅を通過するため(観光列車は大部分が停車する)、ホームには転落防止柵が設置されている上、徐行での通過となっている

肥薩おれんじ鉄道の駅名標。お隣が水俣市の中心駅の水俣で約4キロ

新幹線の駅舎の横を去っていくくまモン。なかなか良い光景。これだけでも価値がある

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続九州新幹線の全駅訪問~熊本以南の全駅回収と全線乗車を目指す

鹿児島中央駅の駅名標

※訪問は2023年10月3日

早朝の大阪空港から

大阪国際空港いわゆる伊丹空港の朝7時前というのは、おそらく1日で最も混雑する時間。大阪空港には騒音問題に起因する時間制限があって、7時より早い時間に飛行機が飛ぶことができない。その分、7時になると「それっ」とばかりに全国各地へと飛行機が飛んでいくことになるが、利用客はというと、公共交通機関が早朝に対応できないため、6時を過ぎてから続々とモノレールやバスで空港にやって来る

旅に出る時は常に早い出発を心がけているが、7時5分の出発となると保安検査の並びを含めると出発ロビーに着いた瞬間、飛行機に乗り込んで出発という慌ただしさ

向かった先は鹿児島。鹿児島空港と鹿児島中央駅を結ぶバスは頻度が高く、そう待たずに乗れる

今回は6月に行った九州新幹線全駅訪問の続きである。九州新幹線は新八代~鹿児島中央が部分開通した直後に乗りに行ったが、それ以来ごぶさた。今回は熊本以南の新八代、新水俣、出水、川内の各駅を訪問予定。新八代と川内は訪問済みだが、再訪としよう

市街地から離れているので少々値段は高い。もっとも山中にある分、いろいろな場所へとバスの便が出ている。川内や新水俣へのバスも興味があったが、時間が合わなかった

ちょっと高価なフリーきっぷ

鹿児島中央駅へと到着。5年ぶり。早速ネットで購入済みのチケットを発券する

60歳以上で購入できる「ハロー!自由時間ネットパス」を発券。6月は北九州版の世話になったが、全九州版は1万円も高い(南九州版はない)。いくら乗り放題とはいえ3日間で2万円近くJRを利用するのは、私のようなローカル線や普通に比重を置く鉄オタには、なかなか難しい

博多~鹿児島中央は新幹線の指定席利用なら1万640円。往復でちょうど元がとれるレベル。正直、いろいろ考えたが、各駅訪問を初日で終えると、後は日豊本線~久大本線を利用して久留米から新幹線で博多に向かう予定となっている。細々と新幹線や在来線特急に乗るので、おそらく十分元はとれるだろう

6回の指定席権利をまず行使する。北海道フリーパスもそうだったが、基本的に自由席専門の人なので、いつも余ってしまう。自由席でも100%座れるはずだが、熊本まで「さくら」の2人シートを利用しよう。山陽新幹線内で人気の2人シートだが、私はあまり利用しない。のぞみの16両編成に比べて8両編成のさくらとみずほは隣に誰かが座る確率が極めて高いため

ただ今回は、時間帯からも、そう人はいないだろう。ここで乗ってみよう

自動券売機には親切な案内があった。以前、JR西日本でも出たフリーパスも券売機のどこから指定券を発券するのか最初は分からなかった。結果的には、このJR九州の券売機と同じ「回数券の座席指定」から入るのだが、使い方が全く分からず、みどりの窓口で尋ね、何のことない、窓口で発券してもらった。この「ハロー-」パスは通年発売で、しかも利用者は60歳以上。問い合わせが多いので、このように表示したのだと思うが、こんなちょっとした気遣いがうれしいものである

なぜ熊本へ?

ということで無事に発券

鹿児島中央では、ほんのわずかな滞在で熊本に向かうことになる

だったら熊本から出発した方が早いではないか、と思われるかもしれないが全くその通り。ただ、JALのタイムセールは1カ月以上も前の販売で、この時点では詳細な旅程が決まっていなかったのだ。まずは購入ということで鹿児島としたら、後に旅程を詰めたところ熊本からの出発が圧倒的に便利だった次第。もっとも利用するのは「ハロー-」なんで料金は同じである

予想通り、さくらの車内はとても快適だった。あくまで自分の感覚だが、九州新幹線は熊本を境に利用者が大きく変わる

そして、なぜ新八代へ行かず、訪問済みの熊本行きに乗車したかというと、新八代~鹿児島中央の駅のみ訪問すると、熊本~新八代が未乗区間になってしまうからだ

熊本へ到着。熊本空港利用と比べると時間はかなりロスしたが、ようやくここからスタートである

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~訪問手段は鉄道のみの駅で地元の皆さんと触れ合い

東八尾駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

越中八尾から運行が極端に減る

越中八尾から1駅。東八尾で下車し、これで高山本線のJR西日本区間は下車完了

JR西区間の高山本線には運行に大きな特徴があって、富山~越中八尾は多くの区間運行が行われているのに対し、越中八尾~猪谷は極端に本数が減る。これは猪谷を挟んだJR東海区間もそうで、猪谷~飛騨古川は本数が少ない。だが、その中でも路線バスのある駅とない駅があって後者は難易度が増す上、山間部は駅間が離れているため徒歩もままならず、悪条件がそろっている

JR東海区間については、この時に触れたが、JR西区間についてはどうなのかというと、本数が少ない東八尾、笹津、楡原のうち笹津と楡原については、路線バスがかなりある。特に笹津については

昨年同時期に訪れた時の記事で「路線バスが多くいので不安なし」と紹介している

ところが東八尾については、周辺にバス路線というのが走っておらず、なかなか行くのが難しい(正確に言うと徒歩15分ほどのバス停から越中八尾方面へ朝夕に1~2本出ているほか、富山駅行きのバスも早朝に2本出ている)。越中八尾からは約4キロなので、もう少し気候が良ければ歩くが、今の時期、私には無理である

ちなみに周辺が大きな町である越中八尾からもバスでは富山駅まで行けない。付近を走るコミュニティバスがあるだけ。なぜこのようなことになっているかというと、それは高山本線の線形にある

猪谷を出て富山駅に向かう高山本線はしばらく国道41号と併走。楡原、室津の両駅はほぼ国道沿いにあるが、国道が真っ直ぐ富山駅に向かうのに対し、高山本線は大きく西に弧を描き、やや遠回りするように富山駅へと向かう

昭和初期の敷設の際も、八尾町に配慮して弧を描く計画だったが、地元から「これだと八尾の中心部を通らない」との声が出て弧が大きくなった。その後の道路の充実で国道とは大きく異なる経路となったため、路線バスのルートからは外れてしまったのだ。室津から富山駅へは私鉄路線があったことも影響している

越中八尾~富山については列車本数も多い上、特急停車駅にもなっているので訪問難易度は高くないが、東八尾だけがポツンと残る形になっている

戦後生まれで駅舎なし

その東八尾は単式ホームと待合所だけがある駅となっている

こちらが駅の入口。簡易な構造だがお手洗いはちゃんとあって手前の白い建物がお手洗いで、奥の黒い建物が待合所

盛土にあるホームからはのどかな光景が広がる。民家が点在していて他は農地。手前に貨車がポツンと置かれているのが違和感があるようでないのがいい。景色に刺激を与えている

駅の開業は戦後の1956年。それまで越中八尾と笹津の間は駅間が8キロもある上、前述の事情で私鉄路線も路線バスもない。あまりにも不便ということで駅の設置運動が起きて開業となった。当初から1面1線構造の無人駅

私が乗車したのは15時前。すでに下校が始まっていたようで、高校生が降りて四方へと別れていった。駅前は何もないようだが、1日の利用者数は62人。これは猪谷や楡原よりも大きい数字だ

ホームがにぎやかになり

こちらは待合所。翌日に城端線でも見かけたものと同じで老朽化したものが県内で一斉に建て替えられたようだ

東八尾の時刻表。2時間に1本程度の運行で昼間は4時間ほど運行がない。私が乗って来たのは14時46分の猪谷行きで、15時39分の富山行きに乗車する。50分ほどの待機

駅を出たところにあるのは城生神社。角川といい坂上といい、今回の旅は駅近くで神社によく出会う(角川は駅構内だったが)

縦の駅名標とキロポスト。岐阜から205キロもある。本日のスタートは美濃太田だったが、行ったり来たりしながら180キロ近く移動してきたことになる

そんな中、ホームが急ににぎやかになった。付近のウォーキングをされている地元の方々で5人のグループ。皆さん、明らかに私より人生の先輩だ

先頭でやって来た男性に「こんにちは」とあいさつすると、どう見ても地元の人間ではないと瞬時に判断されたようで「どちらから?」。「神戸からです」と答えると、驚いた様子で「なんでここに来たの?」

ここからは北海道の落合駅と同じく「全国の駅を訪問しているんです」と話すと「へー、そんな人がいるんだねぇ」

そのうち後続の方々が合流してきて、男性が「この人、神戸からわざわざ来たんだって。全国の駅を回るのが趣味らしい」と紹介されて、ちょっとしたスター扱いになりかけたが、一人の女性が「そんな趣味は世の中にない」と一言。私についての「取材」は、ここで終了である(笑)

その後、列車到着までの歓談で「何もないのがこのあたりのいいところ」という話になり、そんな環境が気に入られ、有名人の別荘があるということも教えてもらった。なかなか有意義な情報だった

富山に到着。高山本線のキハ120は2両編成で、途中駅からは乗車してきた多くの乗客とともに下車。回収できなかった駅は秋へのお楽しみとしよう

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~これはムリと関西人の難読駅へ

越中八尾駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

時刻表とにらめっこして出した結論

前記事で絶対オススメとした角川駅の時刻表。現在の時刻は12時半。つまり坂上から11時58分の列車で到着して12時36分の猪谷行きに乗ろうとしている。というか他に乗り物がない。高山寄りの飛騨細江、杉崎は未訪問駅だが、列車は3時間後。飛騨細江までは6キロほどあり、歩いてもおつりが来るぐらいだが、この猛暑の中、山中の国道を歩くのは無理というものだ

そんなこともあり、90分の待ち時間があった坂上でいろいろ考慮した挙げ句に導き出した答えは「今日明日での高山本線全駅訪問は不可能」ということ。青春18きっぷは明日まで。つまり、また来なければならないのだ

ちょうど「氷見線、城端線を三セク化」の報道が出たころだった。こういうのは一度流れが決まると話がどんどん進んでいくものだ(結果としては非電化区間ということで、もう少し時間がかかることになった)

ならば明日は富山から高岡に出て氷見線の各駅を訪問しよう、と急きょ予定変更。早い話が18きっぷの最終日は高山本線でなく氷見線となった。おそらく10月には鉄道の日記念のフリーきっぷが出るはず。高山本線の全駅訪問は、その時に完了させよう

同業者も避ける列車

となると話は早い。高山本線のJR西日本区間では東八尾の1駅のみが未訪問。東八尾へと向かうことにする

ということで今年もやってきた猪谷に約30分。富山県とJR西日本の最初となる当駅には13時7分に到着。ただこの列車には、ほぼ誰も乗っていないぐらいガラガラなのは昨年の経験で知っていた。18きっぷのシーズンに同業者(鉄道ファン)が避けるほど。なぜかというと猪谷で接続も折り返しもないから。猪谷から次の富山行きは15時20分発、高山行きは15時8分。猪谷ではJR東海とJR西日本の列車が接続するダイヤとなっているが、朝と昼はこの1本だけが猪谷で行き止まりとなっている。だから同業者にも人気はなく、一般客は岐阜県内の飛騨古川まででほとんど降りてしまうため、途中から車内は寂しくなる。見たところ、猪谷まで来たのはほぼ全員が同業者のようだが、私を入れて5人だった

時間はあるので国道まで出てみた

ただ猪谷からの乗継ぎが2時間ないと断定するのは、正確には多少異なっていて駅から5分ほど歩いたバス停に行くと富山駅行きの路線バスはそれなりの本数があって、この時間帯なら時間的にちょうどいい13時35分が出ていて、楡原駅、室津駅近辺を通る

また猪谷は特急停車駅なので、富山行きは14時10分、高山方面行きは13時40分にそれぞれ「ひだ」がある。昨年は猪谷で30分待って高山までひだへ特急課金した

そして今回の私はというと

1時間待ちで越中八尾まで特急課金。八尾方面へはバスが通っていないので必然的にこうなる。毎度のことながら猪谷駅の無人駅の駅舎内で急に話し始める券売機にはビックリさせられた(笑)

重厚な駅舎の越中八尾駅

ということでわずか20分、越中八尾に到着。十数年ぶりにやってきた

平成の大合併まで八尾町の中心駅だった。1927年(昭和2)に富山から当駅まで高山本線の祖が開通。駅舎は当時からの立派な豪華な木造である。特急ひだも全列車が停車する

関西人泣かせというか、ほぼ100%「やお」と誤読してしまう。大阪の同名の都市は河内音頭で有名すぎるからだ。大阪府の駅は明治生まれ。読みは異なるが、同名だったので「越中」がつけられたと思われる。この後、列車に乗ると明らかに関西から来たと思われる学生さん風の18キッパー2人が「やつお、とは読めへんな」と話していたが、誰もが同じ感想を持つと思われる

ちょっといい味を出している案内板が残る

カウントダウンに入っているようだが、みどりの窓口が現役

駅名板の横には速星駅と同じく、輝く「みどりの窓口」がある。駅舎内のテレビではプロ野球中継。そういえば速星も駅舎内にテレビがあり、ワイドショーを見た。駅舎内でテレビというのは、ありそうで意外とない素晴らしいサービスだが、無人化されるとどうなってしまうのだろう

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~絶対オススメ!廃ホームで参拝できる駅

角川駅近くの神社踏切

※訪問は2023年9月9日

本日のメインイベント

坂上駅のホームで列車を待っていると出発の数分前に、ご婦人がやってきた。今年はローカル線の駅でぼんやりしていると、他の旅客と2人だけになる機会が多く、四国のとある駅では、話していると現在私が住んでいる最寄りから、たった2駅のご出身でお互いビックリした

この坂上駅で、お話ししたのは、ちょっと前まで首都圏でお住まいだったという方。最寄りはかなり著名な駅で、少なくとも時刻表を前もって把握した上で駅に行く必要はない。「乗り遅れるわけにいかないので大変」と笑っていた。前記事の坂上駅の項でアユ釣りでにぎわうという話題に触れたが、これはその方から聞いたもの。アユ釣り客を対象とした旅館もあるようだ

その会話の中で「次は角川で降りるつもりです」と話すと「皆さん、列車内から写真を撮ってますよ」

ふーむ、やはりそれほど認知度があるのか、と感心。というわけで

ひとしお隣の角川で下車した。これは読めそうで、なかなか読めない。平成の大合併で飛騨市となった旧河合村唯一の駅。開業は1934年(昭和9)で高山本線の全通時のこと。駅前はすぐに宮川で小さな集落があるだけとなっていて、旧河合村の中心部とは、やや離れている

宮川に沿って折れるように高山本線も折れるあたりで振興事務所が旧村役場。駅名は中心部の地名に基づくもの。だから駅前にはほとんど何もない

かつては開業以来の駅舎があったが、2011年に現在の簡易的なものとなった

車窓から見えるもの

ただ駅前には特に何もなくても駅構内のホーム上には目を引くもものがある

線路の向こうのホーム上に見えるもの。それは神社の鳥居である。しかもホームにはあるものの、元は2面構造だったと思われる駅はホームがはがされ、現在は単式構造。これは目を引く。冒頭の「車内から写真を撮っている」というのも、よく分かる

昨年、この付近を通った時に驚いたが、その時は下車がかなわなかった。そもそも、この神社にたどり着けるのか。1年越しの楽しみで、当駅は本日のハイライトである

参拝への道

2面2線から単式になったホームというのは入れなくなっているものが多い。というか自然に還っているものがほとんどで、人工的にも自然的にも入れないものだ。しかし、ここは神社である。見た目には自然には還っておらず、定期的に手入れが行われていると思われる。単式化された際に跨線橋は撤去されたようで直接は行けないが、何とか方法はあるはず、と様子をうかがうとホームの坂上寄りに踏切が見える。ここから回り込めそうだ

線路に沿って歩く。3分ほどで踏切が見えてきた

踏切の名は、ズバリ「神社踏切」。いつから、この名前になったかは分からないが、参道として公認されているようなものだろう

踏切を渡ると右手奥に見えるのが神社の森

無事に到着。「諏訪神社」とあり、神社そのものは無人だが、参道は手入れされていた

振り返るとこのような景色。できればホームが現役のうちに来て列車を降りて即参拝としたかったが、こうやって回り道するのも、それはそれで風情がある

階段を上って参拝。立派な神木に守られている

社までたどり着き参拝することができた

ぜひ訪問を

駅に戻ろう。あらためて見ると、それなりの規模の貨物ヤードがあったことが分かる

駅そのものは国鉄時代に無人化されていて

もちろん無人駅。小さな階段を昇ってホームに入る構造となっているが、元の駅舎は大きくて左に見える階段跡が当時の入口だったようだ。ここから見ても背後の鳥居が目立つ

駅舎の隣にはコミュニティバスの車庫があり、お手洗いもある

駅から神社までの往復は15分もあれば大丈夫。元々、神社があった場所に線路が敷かれたのか、何らかの理由で神社が引っ越してきたのか、それは分からなかった。列車の本数は決して多いとはいえないが、ぜひ訪問してほしいオススメ駅である

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~閑散区間の豪華駅舎で涼タイム

坂上駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

沿線の訪問難所区間

高山に到着。時間はまだ9時だが、昨年と同時期に来た記憶をたどると明らかに異なるのは気候である。朝に吐息が白くなって、さすが山中は違うなぁ、と実感したが、多少時間が異なるとはいえ、朝から皆さん、半袖シャツ1枚。このぐらいの時間になると、もう暑い

乗継ぎまで40分の時間がある。高山駅の裏手に朝から営業している食堂があって昨年は時間の関係で立ち寄れなかったが、今年は食べることができた。味噌汁と素朴な朝食が身にしみわたる

ホームに戻ると、ちょうど特急「ひだ」の結合作業中。朝から多くの人でにぎわっているが、私が向かうのは逆方向

週末の9時半。私の予想よりも人は乗っていたが、それでもガラガラである。当然ながら明らかに同業者(鉄道ファン)と思える人の姿もチラホラ

ここから先は閑散区間に入っていく。高山~飛騨古川の3区間は区間運転が運行されているが、その先へ向かう普通列車は、これから乗車する9時40分の後は12時1分、その次はもっと空いて16時2分。その間にも、わずか15キロだけの区間運転があるのだから、データ的にも本数を増やす意味がないことになっているのだろう

この飛騨古川から猪谷を挟んでの越中八尾までは、なかなかシビアな運行で駅訪問の難所。飛騨古川から先の杉崎、飛騨細江は神岡へと向かう路線バスの本数がそこそこあるが、角川~杉原の4駅は路線バスもない。コミュニティバスがあるようだが、調べると地元の方オンリーのデマンドバスと路線バス扱いの両者があって調べきれなかった。というか週末はコミュニティバスそのものがないので、今日明日に限っては全く意味をなさないのだ(猪谷以北のJR西日本区間については後日あらためて説明)

気候で訪問駅を決める

難関区間の4駅のうち、訪問済みは杉原のみ。本日のメインイベントの角川は何が何でも行くとして(次回の記事で紹介します)、本日の日程では坂上、打保の2駅のどちらかしか行けないのだが、駅の写真を見て行く先を決めた

下車したのは坂上である。私も全くの誤読をしていたが、「さかかみ」である。高山本線には濁音が予想とは異なる駅がいくつか存在するが、そのひとつ。ちなみに閑散区間の「角川」「坂上」「打保」は3駅連続でそれに該当する

さて、なぜ当駅を下車駅と決めたかというと

理由は簡単で、この立派な駅舎

乗ってきたのは10時17分の富山行き。そして11時53分の高山行きで引き返すのだが、待機時間が1時間半もある。打保駅は簡易駅舎で、お手洗いもないようだ。これは困る。というか猛烈に暑い。さすがに90分をその状況で過ごすのは老体には堪えるのである

旧宮川村の中心駅

駅は2004年まで存在した宮川村の中心駅。古川町、神岡町、河合村と合併して飛騨市が誕生した。高山本線では坂上、打保、杉原の3駅が村内にあったが、坂上駅はない。駅の開業は1933年(昭和8)。富山から延伸されてきた線路がここまで伸びて終着駅となり、翌年に岐阜からの線路が当駅までやって来て高山本線は全線開通となった。いわば歴史的な駅である。1956年に坂上村と坂下村が合併して宮川村となったが、駅名はそこからのものだ。村名は村内を流れる川にちなむ

駅前には旧宮川村役場である振興事務所のほか、JA、郵便局、小学校がある。村内にはいくつかの小学校があったが、ここが唯一残っている

駅舎の隣には「坂上駅詰所」という建物があった。線路がつながって全通した歴史的経緯なのか、当駅が雪深い飛騨古川以北の保線基地の役割を担ってきたようだ

駅は2面3線構造で側線もあり、保線車両の倉庫がある

時間があるので周辺を散策

駅を降りてすぐの旧村役場の隣が神社への参拝道となっている

先に紹介した駅舎は「遊ingギャラリー」との合築となっていて山小屋風の駅舎の2階が絵本のギャラリーとなっている。旧宮川村が1996年に建てた

待合室もエアコン完備。もちろん立派なお手洗いもある。快適に時間を過ごすことができました

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~ちょっぴり複雑な気持ちの特急停車駅は沿線最高峰の駅

久々野駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

旧久々野町の中心駅

渚から1駅(といっても7キロもある)高山方面に進んで久々野に到着

2005年に高山市編入となった旧久々野町の中心駅。久々野とは山の守り神「クグノチ(久々能智)」に基づくという。町内には前記事の渚と2つの駅があったが、駅前に何もないに等しい渚と比べると、地図で分かるように駅を中心に大きな町が広がる

駅は2面3線構造で

開業は1934年(昭和9)。高山本線が飛騨小坂から飛騨高山を越えて坂上まで一気に開通。富山方面からの線路とつながり全通した際に設置された

朝夕に1日2往復の特急も停車する。主要駅の扱いでもある

しかし

駅舎は簡易的なもの。もちろん無人駅。かつては開業以来の駅舎があり、もちろん駅員さんもいたが、2010年に簡易委託化され、旧駅舎は解体。やがて完全無人駅となった

少し前なら特急停車駅といえば、駅員がいるのは当然で、もちろんそれなりの駅舎もあるという姿が普通だったが、無人の特急停車駅も珍しくはなくなり、そこが簡易化された駅舎でも、なんとなく受け入れられるようになっている。おそらくこの10年ぐらいの出来事

駅舎内は小さな椅子があるのみ。2022年の実績では1日の利用者数は79人。数字だけを見ると、無人化や簡易化もやむを得ないところだが(駅舎が解体されたころは200人程度の利用があった)、寂しい感じは否めない

最高地点の木標は残る

そんな駅舎の横には、ややくすんだ木製の案内が残る

高山本線で最も標高が高いことを示す木標。当駅の標高は676メートルである。古くから建てられたものが、残されたようだ

高山本線の車窓といえば川だが、美濃太田付近から、ずっと線路に寄り添ってきた飛騨川(美濃太田付近で木曽川と合流して太平洋側へ注ぐ)とは、ここでお別れとなる。駅が最高地点なので、分水嶺も近い。飛騨川は線路から外れて山中の水源方面へと向かう

間もなく車窓に現れるのは日本海へと注がれる宮川(神通川)である。車窓には常に川がある高山本線だが、飛騨川と別れると、すぐに宮川と合流するため、ちょっとぼんやりすると、富山県までずっと同じ川と付き合っている感覚に陥ってしまうが、そんな川はないわけで、よくできた敷設である

立派な施設も

駅前には立派な建物があって、こちらはお手洗いである。高山市によって管理されているもので、男女別のきれいな市営トイレとなっている

昼間は3時間ほど列車が停車しない時間もある当地では昼間も1時間に1本運行される高山~下呂のバスが重要な交通機関となっている。現在の国道41号は久々野駅からやや離れた所を通るが、路線バスは国道から外れて駅前にやって来る。高山までは約30分。2区間のみの鉄道の方が速いが、現状ではバスが有効な手段である

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~山中に存在する「渚」の意味は

渚駅の駅名標

※訪問は2023年9月9日

ポツンとたたずむ簡易駅舎

渚駅に到着しました。山中にポツンとたたずんでいて周囲はわずかな民家があるのみ

すぐ向こうは飛騨川。国道41号は駅舎と逆側を走っているので駅前を通る車も少ない。飛騨川の向かい側には小さな集落があるが、降りるだけでは一体何のための駅なのか分からなくなってしまうほどだ

これは昔からの渚の集落が1キロ離れたところにあるため。地図だけ見ていると、なぜここに駅が設置されたのかは、ちょっと分からなかった

駅舎はこぶりな簡易型のもの。1998年に現在のものとなっているので、旧駅舎がなくなって25年が経つ

渚=海ではない

駅の所在地は高山市久々野町渚。かつては久々野町に属していたが、2005年に久々野町が高山市になった

渚といえば、海と砂浜をイメージする人が多いだろう。私もその一人。ただ「渚」の意味は「海、川、湖など波の打ち寄せるところ」。つまりは「水際」ということ

おそらく流行歌やテレビ、映画の影響でいつの間にか渚=海という刷り込みがされていたのだと思う

この付近はには、かつて水際を利用した船着き場がいくつかあって、それが地名となったようだ

実は「渚駅」はもうひとつあって長野県松本市のアルピコ交通にも全く同じ駅名がある。松本だから全く海には縁がない

こちらは松本市の中心部に近い。付近が湖だったことが地名となったという。国内に「渚駅」はこの2つしかなく、いずれも海とは無縁な場所にあるのがおもしろいところだ

高山本線の渚駅は駅舎を兼ねた待合室から直接ホームに入る

すれ違い可能な2面2線。両隣の飛騨小坂、久々野とはともに7キロも離れている。もちろん現役の駅だが、どちらかというと遠い両隣の間に設置された山中の信号場の役割を果たしている。行先もホーム別でしっかり分かれているようだ

時刻は8時すぎだが、山中はガスも多い

渚駅の開業は1934年(昭和9)と古いが、全国各地の国鉄駅の多くが有人だった昭和40年代の1969年に早々に無人化されている。駅の立地や両隣が一部の特急停車駅だということもあり、当駅の2022年度の1日の利用者は乗降合わせて6人。高山本線の駅で利用者が1ケタというのはは3駅しかなく(他は杉崎と禅昌寺)、この6人というのは1人の杉崎(これも凄い数字だが、全国を回っていると驚かなくなっている)に次いで下から2番目である

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夏の青春18きっぷのシメを今年も高山本線で~南飛騨中心地の木造駅舎

飛騨萩原駅周辺は飛騨街道の宿場町として栄えた

※訪問は2023年9月9日

出発は早朝の美濃太田から

朝6時の美濃太田駅から今回の旅はスタートする。当駅は今年のGW以来なので約4カ月ぶり。改札外に出る出ないは別として、高山本線を行こうとすると乗り換えなどでホームに降り立つ回数がぶっちぎりで多い駅となる

前日は名古屋で用事があり、夜のうちにここまで移動して宿泊。高山本線の駅巡りを開始する。昨夏の青春18きっぷでは「とにかく高山本線に突っ込んでみる」と最終日の2日間で残り2回の18きっぷを使用したが、今回も今夏の18きっぷは今日を含め残り2回で権利も2回。同じような条件だが、やみくもに突入した昨年とは違い、今年は高山本線全駅訪問という目的がある。多少は計画的に行こう

ただ2日では積み残しの可能性も大。下呂以南は青空フリーパスのエリアなので、とにかく下呂~富山を重点的に回ることにした。それなら下呂に泊まった方が便利なのだが、予算の問題や前夜の到着がさらに遅くなること、駅と宿の距離などを考慮して美濃太田泊となった。もっとも18きっぷを少しでも長めに使用して経費削減を図ろうというセコい考えがあったことも否定はできない(笑)

ある意味、貴重な存在になりつつある単色の発車案内。6時16分に乗車する

美濃太田から70キロ

約1時間半かけて

飛騨萩原に到着。美濃太田からは70キロも離れていることを列車に揺られながら実感。やはり少々お金がかかってもいいので下呂に泊まれば良かったか。実は美濃太田からは5時という始発があり、そちらにも乗ろうと思ったら乗れたのだが、宿の事情でかなわなかった

ただ週末の8時前にもかかわらず、すでに窓口は空いている

当駅は現在、駅の業務が萩原町の観光協会に委託されている

大きな看板で出迎えてくれた

宿場町として栄える

落ち着いた感じの駅舎が健在。ちょうどワンちゃんの朝の散歩の時間帯だったようで、風情に一役買ってくれた

こちらは駅名板

開業は1931年(昭和6)5月。前回の記事で焼石までの延伸(1929年4月)に触れたが、翌年の11月に下呂まで延伸。さらに翌年、飛騨萩原まで延伸された。駅間距離は別として焼石~下呂が1区間、下呂~飛騨萩原が2区間なので、しゃくとり虫のようにジワジワ延伸されていた

しかし当駅は2年以上にわたって終着駅の座にあった。それは立地にも理由があった

駅の周辺は旧萩原町の中心部。萩原町は2004年に平成の大合併で、同じく益田郡にあった下呂町などと合併。益田郡がなくなり下呂市が誕生したが、知名度では下呂に軍配が上がるものの、古くから飛騨街道の宿場町として栄えた萩原町が益田郡の中心地だった。今も県の期間や警察署は当地にある。合併の際も自治体名をめぐって対立があった

南飛騨の中心地なので、しばらくの間、終着駅でもそれは意味があったのだ

駅舎内には萩原町の名勝の写真が多く展示されていた。1日に4・5往復の特急が停車する

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