JR西日本

リベンジ岩徳線その2~「国鉄」の2文字

米川駅の駅名標

2022年12月28日8時

霧と霜の風景

大河内から岩国方面へ逆戻り。15分ほどで米川駅に到着しました

大河内にいた時から30分経過していますが、山中のためか霧が深い。霧の中にスーッと消えていく列車が幻想的な雰囲気です

写真で分かる通り、かつては島式の1面2線ホームだったようですが、今は片側のレールが撤去されて1面1線の棒状駅となっています

はがされたホームの向こうには、さらにスペースがあり貨物ヤードだったことがうかがえます。草木がうっすら白くなっているのは霜。かなりの山中で霧もあって遠くはよく見えない

国道2号線や山陽新幹線と寄り添うように走る岩徳線ですが、両隣の高水、周防高森では、駅近くを通る2号線は米川駅近辺ではいったん離れています。もっとも駅のすぐ南側を走る国道は玖珂駅、周防高森駅から一本道の県道で当駅の西側で高水駅そして山陽本線の光駅へと分岐する重要な道路となっていて、米川駅も岩徳線の全線開通時に山陽本線の駅として誕生しています。貨物ヤードがあるのも不思議ではありません

駅舎で思わぬ文字

駅舎は使用されなくなった片側のホームをふさぐように建っています。簡素なつくりです。駅前の規模から想像すると、かつては立派な駅舎があったと想像できますが、駅舎をチェックしていて思わぬ文字に出会います

財産票にある「国鉄」の2文字。各地で財産票を見てきましたが、国鉄と記されたものには、なかなか出会えません。ちょっとびっくり

昭和54年となっていますから1979年。民間移管へはまだ時間があるころ。ただこちらを参考にすると40年以上前の当時、すでに駅は現在の形になっていたことになります

「米川駅」の上に「米川駅」。文字が薄くなったので新たに貼り付けたのでしょうか

駅舎はそんなに大きなものではなく他の岩徳線の駅と同様、券売機が置かれています

あらためてかつてのホーム跡へ。レールがあった場所に、こうして電柱が建っているところを見ると確かにかなり以前から現在の形になっていますね

にしても真っ白な世界。幻想的と言ってしまえば素晴らしい景色ですが、現実の世界はというと、はっきり言ってめちゃ寒い

駅舎も入口と出口が吹き抜けになっているので、寒さをしのげるかというと、なかなか難しい

山口県内で見ることが多い出発案内。ただこの手書きのような字体は初めて見ました。これって故障しているんじゃないか?動くんなかぁ、と思っていたところ、けたたましく音がしてランプもピカリ。十分に現役でした。寒くて「早く(列車が)来ないかなぁ」と思っているところに心地よい音でした

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リベンジ岩徳線その1~厳寒の早朝

岩国駅で出発を待つキハ40

2022年12月28日6時15分

朝食もパスして出発

前回から約3カ月。早朝の岩国駅に私はいました。10月と同じように前日は呉線に乗車し呉~三原の全駅回収を完了。夜のうちに移動して岩国泊。10月の訪問時に回りきれなかった岩徳線の駅訪問を行います。今回は間違えられないのでホテルの無料朝食はパス

まだ6時すぎなので駅はまばら。今回手にしているのは青春18きっぷ。自動改札は通れず不便なことも多いですが、岩徳線では全く関係ない(笑)

先の写真でも分かるように岩徳線と当駅内を発車する錦川清流鉄道の案内表示は四角のふちに囲われています。山陽本線は次発、次々発も表示されるのに対し、本数が少ないのでその表示が必要ないからでしょう

慌てて道程を組み直す

岩徳線の時刻表。朝に特化したダイヤとなっています。前回訪問時の記事でも紹介したように沿線に住む高校生の通学に配慮していると思われる。5時発というのは通学には早すぎる気もしますが、これは山陽本線との兼ね合いで岩国発の山陽本線徳山方面行きは6時10分が始発。徳山に行く朝の一番列車は岩徳線となっています

ですから細かく駅を回っていくには早ければ早いほどいい。実は当初、考えていたのは5時58分発で道程を組んで「これで完璧」と4時半過ぎには起きたのですが、窓の外を見てふと気づいたのは「駅で降りても真っ暗ではないか」との疑問

私は日没後は駅訪問をしません。駅そのものの夜は、よいたたづまいをしているかもしれませんが、周辺の景色や雰囲気が味わえないからです。考えてみると前回は10月に入ったばかりでしたが、今は1年で最も日が短い季節となっています。というか真っ暗な山中の無人駅はちょっと怖いかも(汗)

ということで慌てて道程を組み直して6時38分発としました

季節の変化といえば、この時間は猛烈に寒い。今日の現地の天気予報は晴れで最高気温12度と穏やかな気候になりそうですが、晴れていると放射冷却で朝は冷えます

幸運なことに岩徳線ホームには暖房の効いた待合室があり

コンビニおにぎりで朝食。後からもう一人のお客さんが入ってきますが、おかまいなしにムシャムシャ食べていると列車が入ってきました

平日のみ運行されている岩徳線唯一の途中駅始発となる周防高森駅発の列車が折り返して徳山行きになるようです

早速乗り込むと早朝だけあってお客さんは少ない。18きっぷの季節とあって同業者(鉄道ファン)の姿も。もっとも私が降りる駅で彼らが降りない自信は100%あります

こちらも滑り込みの駅

約1時間かけて大河内駅に到着

この時間となると車内は混雑して立っている人の姿も。2両編成で出発したのも納得です。ただすでに冬休みに入っているので高校生の姿は部活の生徒さん以外、ありません

大河内は1面単式ホームのみの簡素な構造で生野屋駅と同日の1987年3月27日のJR移管直前に国鉄の駅として誕生しました

生野屋とほぼ々構造でスロープに券売機が設置されています

こちらが駅名標

駅は小さいですが駅前には立派な公園が整備されていてお手洗いも設置されています。冷え込む日に助かる

駅が設置されたのは付近に住宅街ができたからでホームからも、私とすれ違いに多くのお客さんが乗り込んできました。住宅街のための駅ですから、実は隣駅とも近い

線路でも1・4キロしかなく徒歩でも20分程度。地図を見ると住宅地に寄り添った駅であることが分かります。もっとも周防久保駅は前回訪問済みなので今回は行きません

再びホームに戻り、次の駅を目指します

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悲運の岩徳線を行くその6~駅舎に意気消沈も思わぬ幸運

西岩国駅の駅舎内

2022年10月3日12時30分

悲運の象徴

西岩国に到着しました

岩徳線はまず1929年に岩国~当駅の1区間だけが開業。この時点で将来は山陽本線となることが決まっていたため、それまでの岩国駅を麻里布駅に変更し、新設された当駅を岩国駅としました

その後、徳山側(正確には櫛ヶ浜側)からも徐々に工事が進み、岩徳西線と命名されましたが、麻里布~岩国の岩徳東線は全通時までの5年間も1区間だけの運行が続けられていました。東側が最後に残ったのは欽明路トンネルの工事に他ならないのですが、1区間だけをこれだけ長期運行するのは、それだけ重要だったことになります

ちなみに麻里布は現在も岩国駅の所在地で住所はまさに「岩国市麻里布町1丁目1番地」。ただ当時、岩国市はなく麻里布町という独立した自治体で、すでにあった岩国町の中心部付近に設置されたのが岩国駅なので、麻里布駅への改名と新駅が岩国駅を名乗ったのも自然なことでした(岩国市岩国という住所は錦帯橋付近です)

再改称となったのは麻里布町や岩国町などが合併して1940年に岩国市が発足してから。麻里布町の麻里布駅も岩国市に存在する駅となり戦時中の1942年に再び岩国に名を戻し、岩国駅は西岩国に。その後、山陽本線から岩徳線になり、現在に至る。岩徳線の悲運の象徴のような駅でもありました

ただ幸運だったのは、岩国駅としてスタートしたため立派な駅舎となったこと。終戦前日の1945年8月14日の大空襲で岩国駅は消失しましたが、西岩国駅は残りました。価値ある建物ということで現在は岩国市がJR西日本から譲り受け所有しています

予想できない事態

そんな西岩国駅は…と解説していきたいのですが

改札から外を見ると何やら足場のようなものが見え、雰囲気がおかしい

外に回り込むと

泣くしかない

改修工事中でした。一気にやる気をなくしてしまい、その後は以前紹介した

錦帯橋観光に変更。写真や中身はややダブりますが、お昼過ぎながら岩徳線の駅巡りはもうヤメ。自分の考えていたコースだと、駅間徒歩が生じる上、回り終えるには日没ギリギリです。この日は錦帯橋のふもとで子供たちが水遊びをするほど暑かったのでヘタレヤメの側面も大きい。何よりも欽明路の駅でやって来た列車を乗らずに見送ることになるなど、自らの道程に大いに問題ありです

貴重な場面に出会えた

ということで改めて出直すことにして岩国から山陽本線を広島へとたどっていくこととする

まずは岩徳線の玖珂駅の項でも触れた和木駅

開業して15年の新駅にして山口県最東端の駅。現在、玖珂郡には和木町しかありませんが、かつては今日立ち寄った玖珂駅と同じ郡だったと思うと広さを感じます

そして広島県に入って最初の駅である大竹駅。こちらは広島県最西端にして最南端

見ただけで説明は不要の昭和40年代の国鉄コンクリート駅舎。全く知らなかったのですが

新駅舎の建設中でした。橋上駅舎となって両側から駅に入れるようにするとのことで、駅舎のおかげで逆側から駅に入りにくくなっているのを解消するためには、やむを得ないこと

結論から言うと2月から新駅舎の使用が開始され、新駅ではみどりの窓口はなく、みどりの券売機となっているので、貴重な写真となりました。飛び出している「きっぷうりば」がいいですね

西岩国は改修中でしたが大竹は駅そのものが変わるということで、ある意味、改修工事に感謝です。ただ岩徳線のリベンジはしなければならないと思いつつ、帰路につきました

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悲運の岩徳線を行くその5~オレンジ色のガードレール

欽明路駅の駅名標

2022年10月3日11時

季節外れの猛暑の中

周防高森と玖珂の間をあえて時間のかかるバス利用としたのは、一応理由があります。次の玖珂~欽明路は徒歩と決めていたからです。駅間は線路で1・9キロしかなく地図を見ると線路沿いに道路がある。架線という目印のない非電化区間の駅間徒歩では線路を見失わないというのが重要で、過去にも高山本線の速星~越中鵜坂や参宮線の池の浦シーサイド~松下などの例を記事にしてきました

グーグル地図では、このような行程が示されましたが地図を見て分かるように線路の北側を歩かなくても南側の線路沿いにもちゃんと道がある。28分もかからないと思います。幸い(?)なことに、列車の時間まで、あと1時間以上ある。少々おかしな目に遭っても大丈夫でしょう

早速歩き始める。黄色いガードレールを見ると「山口県に来たなぁ」と思う。山口県では1963年に山口国体が開催された際、県の特産品である夏みかんにちなんで県道のガードレールを全面的に塗装したそうです。ですから黄色ではなく「みかん色」「オレンジ色」が正解。全国でもオレンジ色のガードレールがあるのは山口県だけとか

どんどん歩く。農地では稲刈りが終わったばかりでしょうか。ただそんな季節だというのに今日は暑い。10月とは思えない気候です。ちなみにこの翌日から急に涼しくなりました

線路を渡る時は慎重に。欽明路は1面の単式ホーム。ホームと逆側にたどり着くと大変なことになります

先生に勝った

すると踏切を渡ったところで何やら分岐点

なんだこれは? 先の地図にあるように先生の指示は左側の県道。しかし真っ直ぐ線路沿いに行けるのでは? 注意書きの主語が岩国市ではなく玖珂町となっていることから、十数年以上前に立てられた看板のようですが、ちょっと逡巡した後に「行っちゃえ!」。歩行者と自転車以外は通れないので先生も認識していないのだろうと勝手な判断

急に行き止まりがやって来る恐怖におびえながら進んでいくと

何やら見えてきた

これは駅の入口。誰もいない所で思わずガッツポーズ。暑さの中、少しでも徒歩を少なくすることができて良かったです

岩徳線で最も若い駅

欽明路駅です。1990年の開設で岩徳線では最も新しい。JRになってから設置された唯一の駅でもあります

単式ホームに駅舎というか待合室があるだけの簡易な構造。若い駅ですが待合室も新しく建て直されたもののようです

ストレートな線路上に設置されています。向こうに見えるのが山陽自動車道。その向こうには岩徳線が山陽本線から「降格した」原因ともなった3キロ以上にも及ぶ欽明路トンネルが待っていて、岩国側の隣駅である柱野までは6・7キロと岩徳線で最も駅間の長い区間。駅の所在地は欽明路ではありませんが、トンネルだけでなく県道にも欽明路道路という愛称が付けられるなど、地元では親しみのある名前のようです

周辺は新しい住宅街となっていて請願ながら駅の設置も納得。ポストから郵便が回収されていきました

ホームには付近の案内

塔ヶ森というのは当駅を最寄りとする山で展望公園があります

注意です!

その一方でこんな注意書きも

なかなかリアル。付近探索の足が止まってしまいました

さて私が乗車するのは12時6分発の岩国行きですが、その前に11時49分の徳山行きもやってきます。こちらは歩いてきた玖珂に向かう列車で、これには乗車しません。こういう本数の少ない路線で目の前の列車に乗車せず見送るというのは駅巡りとしては問題なのですが、その反省は後回しにするとして、この列車からも数人の降車があり、そのうちのご婦人一人はスタスタとマムシ注意の方に歩いて行きました

岩国行きのタラコが到着。久しぶりに列車に乗ります

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悲運の岩徳線を行くその4~のんびり隣駅を目指す

玖珂駅の駅名標

2022年10月3日9時15分

バスに乗車後、口頭で行き先を告げる

周防高森駅から徒歩5分ほど。旧山陽道でコミュニティーバスの時刻表をチェック。目指すはお隣の玖珂駅

こちらのバスで行けそうですが、ちょっと問題があり、ここからだと右回りは、ほぼまっすぐ玖珂駅を目指すのですが、左回りはグルリ回って行くので結構な時間がかかる

岩国~徳山には岩徳線とほぼ並行する路線バスが1日5往復運行されています。国道2号を行くバスで、必然的に岩徳線の駅の近くを通り、山陽新幹線の新岩国駅や錦帯橋まで連れていってくれる、ある意味、使い勝手の良いバス路線です

ただ周防高森では国道2号は駅の北側、旧宿場町とは逆サイドを通る。時刻を調べるとちょうど合うものはない上、ここまで降りてきてしまったからには駅の逆側まで行くのも面倒、ということで10時4分を待つことに。ちなみにすべてのバスの出発時間が2分刻みとなっているのは、一度駅まで行って戻ってくるからです

駅の写真を撮ったりした後、40分ほどを過ごしてバスがやって来ました

先日紹介した気仙沼訪問時(旅の順序はこちらが先)も同じ形式でしたが、コミュニティーバスに乗るとよくある、というか、たとえ降車ボタンがあっても初めて訪れた地では土地勘がないことが多いので、乗車時にバスの運転手さんに口頭で行き先を告げるのがほとんど

バスは周辺の病院、スーパー、運動公園、音楽ホールなどに立ち寄っていく。なかなか楽しい車窓を堪能しながら40分ほどで玖珂駅に到着

実は歩いてもほとんど変わらない(笑)。先に紹介した国道2号を走る路線バスは時間が合わないと記しましたが、バスの時間まで待っても、あまり変わらない時間に到着します。しかし、いずれにせよ3時間も運行がないので、ここは町のあちらこちらを見ながらの車窓が正解だったと思います

難しい2文字

玖珂駅に到着しました。1934年の開業時からの風格ある駅です。駅舎自体はもっと大きいのですが左半分は岩国市の玖珂支所と公的施設となっています

簡易委託駅できっぷ販売を行っています。「ご乗車ありがとうございます」の文字がいいですね

ホーム側からの「きょうもお元気で」もいい

2面3線構造ですが跨線橋は入れないようになっていて今はホームは1面のみの使用。隣の周防高森で列車交換できるので、列車本数から2駅も続けて交換設備は要らないようです。ただつなげるように造られている跨線橋は駅舎と逆方向に向かうもので、国道2号はそちらを通っていることもあり、重要な通路となっています

今は入れないホームですが、きれいに手入れされています

玖珂駅は旧玖珂町の中心駅。平成の合併まで玖珂郡玖珂町でした。玖珂郡は大きくて現在、玖珂郡に所属する自治体は和木町ひとつしかないのですが、和木町は広島県に隣接している海沿いの町で山陽本線の和木駅は岩国と大竹の間に位置していますから、ここからはかなり遠い

地名については黒い「玖の玉」、白い「珂の玉」に由来するとのことですが、2文字とも普段はほとんど見かけない文字です

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悲運の岩徳線を行くその3~旧宿場町の駅

周防高森駅の駅名標とキハ40

2022年10月3日8時50分

路線の中心となるべき駅

周防高森に到着しました。岩徳線の駅は山陽本線となるべく戦前に開設された駅と、ローカル線になった戦後に設置された駅に二分されますが、前者は本線対応の長いホームを持つ一方、後者は簡素な構造の駅となっています。両隣の米川、玖珂はいずれも戦前からの駅

いつの間にか岩国市に入っています。山中を走るローカル線の岩徳線ですが、平成の合併を経たことで郡部の駅はひとつもない。周南市の徳山から来ると下松市を経て再び周南市に入り、次いで岩国市。ちなみに下松市の駅はこれまで紹介した周防花岡、生野屋、周防久保の3駅ですが、山陽本線の下松市の駅は下松ひとつしかありません

高森は旧宿場町でもあり、岩徳線の真ん中あたりに位置することから路線の中心駅にしようとしていたようで

元は2面3線の広大な敷地を持っています。多くの人が降り、また乗ってきました

立派な施設だったことがうかがえますが、単行の列車は施設を持て余し気味。雑草も目立ちます

駅舎は開業時の1934年のもの

古風な三角屋根にある駅名板の文字が、なかなかおしゃれ。岩徳線の列車はすべて岩国~徳山の運転で区間運転はないのですが、平日の早朝に1本だけ当駅始発の列車が設けられています

駅舎内の様子。簡易委託駅で曜日や時間帯にもよりますが窓口は開いています。椅子も古くからのものを使用しているようです

さて問題はここからどうするか。前回も伝えましたが、ここから3時間、運行がありません。徳山から乗ってきた列車は当駅で交換するため、3分ほど時間があり、写真を撮るだけなら可能ですが、せっかく岩徳線では貴重な駅舎もあって周囲に町も広がっている駅に来たのです。あまり先のことは深く考えていませんが、とりあえずゆっくりしましょう

ご覧のようにタクシーもいるので、本当に困れば何とでもなる。コミュニティーバスがあることは分かっているので、そちらもチェックすることにします

駅から5分ほど歩くと旧山陽道に出る。高森は宿場町で古い町並みが残ります。現在、いろいろ議論が行われている中国山地のローカル線ですが、線路を敷いた理由はちゃんとあって旧街道に沿って建設されています

当駅は2006年まであった周東町の中心駅で役場もありますが、地図で分かるように以前の市街地とは逆の駅の北側を国道2号が走っていることから、町の中心も駅舎の逆側に移っているようです。まだ朝の9時ですが、そちらに行けばファミレスもコンビニもある。私の経験では地方に行くと役場の近くにコンビニがあることが多い。ただ当日は10月とは思えないほど暑い日だったので向こうまで行くのは、ちょっと遠慮してバスの時間を調べることにします

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悲運の岩徳線を行くその2~山陽本線から「降格」した歴史

周防久保駅に到着したキハ40

2022年10月3日8時15分

駅からの大動脈

周防花岡から周防久保に到着。乗車列車は単行となりましたが周防花岡で多くの乗客が下車してしまったため、十分な容量となっています。ここで列車交換のため10分の停車

こちらは生野屋の時刻表。朝夕の通勤通学帯、中でも朝に特化したダイヤであることが分かります。私が乗車しているのは当駅8時12分発の岩国行き。この後、3時間以上列車がありません。その次も2時間半、2時間と間隔が空く。列車の停車時間を利用して駅訪問とするのは本意ではないが、3時間列車がないのでやむを得ません

駅舎を出ると国道2号線のバイパスが目の前を走る。その奥には新幹線と山陽自動車道。大動脈に寄り添いながら在来線はローカル線という光景が続きます

戦時中の決定

山陽本線は岩国~徳山間を瀬戸内海に沿って敷設されています。前記事でも触れましたが岩徳線より20キロ以上も長い。先にできたのは現在の山陽本線ですが、短絡で真っ直ぐつなげようとなるのは当然の流れ。工事が開始されたのは大正期で道路整備もまだまだの時代ですが、そもそもは古来からの山陽道が現在の2号線なので、その意味でも短絡線で岩国と徳山を結ぶのは自然なことで、全通時はこちらを山陽本線とすることで工事が開始され、1934年に全通して山陽本線となり、旧来の山陽本線は柳井線となりました

短絡で結ぶためトンネルも勾配もいとわずの工事で欽明路駅の東側にポッカリ口を開けている欽明路トンネルは3000メートル以上と当時としては、かなりの大工事。他にも1000メートル超1本を含む7本ものトンネルを掘りました。だが、これが後々にマイナス要素となってしまう

間もなく戦時体制に入っていくと、輸送力強化のための複線化が求められる。同様に軍も物資運搬も含めた海の需要が急速に高まります。SLの時代に長大トンネルはあまり好ましくない上、複線のためもう1本、3キロ以上のトンネルを造るのに一体、どれだけの時間と手間がかかるのだ、ということになり1944年の柳井線の複線化が完了したことで柳井線は山陽本線へカムバック。全通まで岩徳西線、岩徳東線と呼ばれていた「山陽本線」は岩徳線となりました。戦争まっただ中のこと。たった10年の山陽本線。戦後も改めて工事が行われることなく現在に至ります

短絡線の構想が戦後だったら、など「イフ」を挙げるとキリがありませんが悲運の路線となってしまったことは間違いありません

周防久保は1934年からの駅舎が、そのまま残ります。岩徳線では貴重な駅舎のある駅

国鉄時代に無人化されています。バス路線の多い駅でもあり、近くには住宅地があります

駅名標はきれいです

山陽本線時代の駅でもあり、ホーム有効長は長い。発車時刻となったので列車に戻ります

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グリーンきっぷの2日間~明治生まれの駅舎で締める

戸出駅の駅名標

2月22日14時20分

パンダさんじゃなかった

富山駅の軌道線からの乗り継ぎが大変よく、ギリギリで「つるぎ」に乗車することができました。これに乗ると城端線にうまく乗り継げます。「金沢のサンダーバードの発車までの時間をどうしよう」と時刻表を何度もパラパラめくっていた悩みが一気に解決

富山~金沢の2区間だけを編成車両の一部だけ利用して運行するという、つるぎですが需要の多い区間を1時間間隔から30分間隔に補完する、なかなかのアイデアだと感心します

城端線の新高岡駅は新幹線とは改札外連絡の無人駅で単式ホーム。高岡までは1駅で新幹線からの乗り換えでの需要はかなりあるほか、大きなイオンの最寄りも兼ねています。城端線は昼間は1時間に1本の運行ですが、イオンのおかげもあって高岡~新高岡はバスも頻発しています

10分もかからない絶妙な乗り換えでキハ40に乗ります。昨日の今ごろは鳥取県にいたわけですが、24時間後に富山県で再びタラコに乗るというのは感慨深いものがあります

ホームにいた女子高生が「1両かな、2両かな」と会話していました。確かに容量が2倍違うのですから、その差は大きい。やって来たのは2両編成。下校の高校生でにぎわっていました

車内で目をひいたのは津波の際の注意事項。私が気づいていなかっただけなのかもしれませんが、かなり斬新でした。というのも過去に見たものは

こちらが特急「くろしお」の車内のもので

こちらが紀勢本線の普通で見たもの(ともに2021年12月の撮影)。いずれもパンダさんがモデルになっていて、かわいいな、と思っていたのですが、これが和歌山仕様だったことを知りました。確かにジャイアントパンダがはしごで降りたら相当な時間を要しそう

130歳近い年齢にしびれる

今回向かうのは高岡方面ではなく城端方面。10分で到着したのは

戸出です。旧戸出町の代表駅で、こちらの素晴らしさは

こちらの駅舎

まだ北陸本線もない時代に開業した城端線ですが当駅は、ほぼ1897年の開業時の姿のまま

こちらが明治30年の財産票。まもなく126歳の誕生日となります。長い歴史を持つ城端線ですが、当時からの駅舎が残るのは他に福野と城端の2駅だけです(城端駅の開業は戸出、福野より半年ほど遅い)

一部は手が入っていますが、他はほとんど変わらない

「計量器使用事業場」。これは初めて見ました。調べると、はかりなどの計量器を適切に扱う事業所としての認可だそうです。旅客の荷物を扱う駅に与えられていたもののようですが、考えてみると日本中の駅がそうだったことになります

利用者の多い駅で、今は簡易委託駅としてきっぷ販売を行っています

訪問時は、まだストーブがありました

戸出周辺は灯油(植物油)作りが盛んでかつては「灯油田」の表記もあったそうで、お隣の駅は「油田(あぶらでん)」

駅舎のホーム側に掲げられていた城端線の案内図。JR移管後に設置されたもののようですが、新高岡駅ができる前のもののようで、年季は入っています。ホームには多くの高校生がいたのですが頭上にある写真を撮っていると「わー、こんなのあったんだ」と見上げていました

その後、新高岡に戻って金沢へと向かいました。北陸新幹線と北陸本線の特急をフリーで乗れるきっぷは過去にも利用しましたが、それぞれの駅にローカル線が接続しているので発売されるタイミングは貴重です

サンダーバードで帰ります

最後の指定券

出発前に用意したきっぷは無事すべて使うことができました。パノラマグリーンから始まり、かなり「乗っている時間」が長かったですが、未乗車区間の穴埋めも含め、後半は適当旅でローカル線の乗車や駅巡りもでき、密度の濃い旅となりました

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グリーンきっぷの2日間~日本一を目指し歩く

富山地方鉄道の軌道線電車

2月22日13時30分

富山大学へ徒歩圏内

西富山から富山駅へ戻ります。現在は13時30分で次の列車は15時45分と、なんと2時間後。高山本線の富山~越中八尾間は本数は多いとはいえ、お昼休みの時間があります。ローカル線ではよくある光景

しかし私には強い武器。徒歩です(笑)

決して無理な徒歩ではありません

富山地方鉄道の軌道線の富山大学前停留所まで徒歩20分。実際の私は県道まで出て富山大学に沿って歩きました。これが最も確実でアプリに頼らなくても行けるコースだと思います

大学のキャンパスなので出入り口はいろいろある。停留所が大学の端にあるので目指す場所によっては西富山駅の方が便利なぐらい。もっとも列車の本数は圧倒的に違いますが、県道沿いには富山駅行きのバスが30分おきに走っていました

ここが大学の正門のようです。そこから間もなくのところに停留所が見えてきました

富山大学前停留所。2020年10月に富山地方鉄道の軌道線も含めた全線乗車を行ったのですが、その時に訪れて以来

路面電車独特のコーン終点がいいですね

折り返し形式のホームは単線。少し先から複線となります

こちらは駅名標。前回の訪問時は薄暮の夕闇だったので昼間に来ることができて良かった。西富山から徒歩20分でした。歩くと、うっすら汗がにじむ感じで24時間前とは大違いの陽気ですが、徒歩はここで終わりではありません。駅名標に目的地が記されています

ハッシュタグ不可能な駅

さらに400メートルほど歩いて目的地が見えてきました

停留所まで行くと目的の駅名標があります

長!仮名にすると32文字。日本一長い駅名となっています。さらに言うと日本一の座を奪われ、再奪回したという、これもまた変わった経歴の持ち主

ことの起こりはネーミングライツで、それまでは「新富山」という駅名だったものが2015年に「富山トヨペット本社前(五福末広町)」に変更。この時点で仮名24文字で日本一長い駅名となったのですが、2020年に京福電鉄が「等持院駅」を「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」に変更したことで26文字で首位に。ところが富山トヨペットの会社組織変更によって会社名が変わり、2021年年明けに現駅名となり、1年も経たないうちに首位に返り咲きました。文字表記も25文字(こういう場合は()も含めるようです。当駅はスペースも入れると26文字で、こちらを含めるかどうかは微妙なようです)で、こちらはぶっちぎりの首位です

元の駅名もまだ残っていますね。私はツイッターも運営していて1日1駅の紹介をしていますが、当駅については、あまりの長さにハッシュタグ不可能と判断して掲載できませんでした

構造は普通に2面です

以前の駅名を新富山と説明しましたが、その前は「新富山駅前」でした。新富山が富山地方鉄道射水線の始発駅だったからです。こちらは軌道線ではなく鉄道線。今は大部分が廃線となっていますが、富山駅を経由して新湊までを結ぶ路線で、無料の渡し船で知られる越の潟~新港東口が、まだ陸路でつながっていた時代に運行されていました。大部分が廃線としたのは、越の潟から新湊(現駅名は六渡寺)までが万葉線として残っているから。無料の渡船は私も2回乗船しました。前回の訪問も実は高岡から万葉線に乗って渡船→バス→岩瀬浜からのもの。その行程をダイレクトにできたかと思うと別の旅情がわき上がってきます

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グリーンきっぷの2日間~富山から再度のキハ120

富山駅に停車中の高山本線のキハ120

2月22日11時

思いつき旅のスタート

糸魚川駅に戻ってきました。同駅は海に向いた以前からの日本海口と新幹線開業に際して整備されたアルプス口の2つの出入り口を有し、新幹線用地確保のため撤去された大正時代からのレンガ車庫の一部が玄関に移設されています

アルプス口には「糸魚川ジオステーション ジオパル」があり、かつて大糸線を走ったキハ52が展示されています

解説文はなかなか詳しい。トワイライトエクスプレスの車両も展示されています

さて前日の早朝に家を出て「やくものパノラマカー」「スーパーはくとの全線完乗」「JR西日本の未乗区間の完乗」と予定していたミッションはすべて果たしました。ここからの時間は、いつものケセラセラ思いつき旅とします

前年の積み残し回収へ

こちらの行動は何となく決めてはいたのですが、糸魚川から新幹線で2駅

富山で降ります。約30分の乗車はさすがにグリーンではなく自由席

北陸本線は「あいの風とやま鉄道」に三セク変換されていて駅の管理も同社が行っていますが、JR西日本の高山本線のホームもその中にあり、主に専用の切り欠きホームを使用します。このあたりの構造は糸魚川と同じ

案内表示にある12時19分発の越中八尾行き普通に乗ります

昨年9月、夏の青春18きっぷの5回目利用で富山駅にいたところ、電話がかかってきて急きょ、お昼過ぎに帰宅しなければならなくなったことで行けなかった駅の回収を行う予定

持っているきっぷは猪谷までなら特急「ひだ」にも乗車できる。ひだは越中八尾にも停車します。このようにホイホイ特急に乗車できる機会はなかなかないので、あーでもない、こーでもない、といろいろ考えたのですが、特急に乗車した場合、その後のダイヤがあまりにも薄いので断念

でもいいではないですか。私にはキハ120という強い味方がいる。そもそも普通しか停車しない駅に行こうとしています。高山本線のキハ120は他地域と大きく異なり2両編成。キハ120=単行のイメージとは少し違う仕様となっていますが、2両編成にふさわしいというか乗り込むと満員で座ることもできない状態でビックリしました

ほとんどが高校生で制服を見ると、いろいろな学校の生徒さんがいるようです。平日のお昼過ぎにこの状態は驚きましたが、試験でもあったのでしょうか。しかし朝の通勤通学帯はここに勤め人も加わるのでしょうから、おそらくもっと凄い数。2両での運行も納得。青春18きっぷの季節でない限り、こういう状況のキハ120に乗車したことのない私は何だか頼もしいというか、うれしくもありました

20分ほどの乗車で千里に到着しました

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