新幹線

新幹線単独駅巡り再び~毎日流れていた曲が聞こえる

水沢江刺駅の駅名標

2023年3月2日13時20分

ホームを歩いていると

水沢江刺駅に到着しました

ホームはとても狭い。東北新幹線の新駅は利用者はそれほど多くはないと見込まれたため(結果的にコロナ前で1日約2000人)ホーム幅が狭いことも特徴のひとつ。開業後に17両編成に対応できるようにするため、ホームを延長したおかげで細いホームが延々と続いている印象です

そんなホームを歩いていると、流れてきたのは大滝詠一さんの「君は天然色」。事前知識のなかった私はピクンと反応してしまいました

私事で恐縮ですが、この曲は1981年のもので、ちょうど高校を卒業して予備校生活を送っていたころにリリースされたもの。当時は10代=ラジオの全盛期で、浪人生活の1年間、ずっと流れ続けていた記憶があります。調べるとリリースは81年3月。まさしく年度の始まりで印象としては夏に流れていた印象です。実家の奥に同曲が入ったベストセラーのアルバム「A LONG VACATION」が残っているはず(CDではありません。もちろんアナログ盤)ですが「予備校生にバケーションも何もないよな」と思ったものです

駅を出ると大変分かりやすい横断幕がありました。大滝さんは今は奥州市の江刺市出身(正確に言うと当時は江刺郡で江刺市を経て奥州市に)。もちろんこの時、初めて知りました。あまりメディアには出ない方で自らについて語ったのを見聞きした記憶がなく、伝説のバンド「はっぴいえんど」からの、おしゃれな曲や落語への造詣の深さから、てっきり東京の方だと思い込んでいました。曲がリリースされたてから40年も経ち、駅に降りたことで、ひとつ勉強になるとは、オタク趣味もなかなか捨てがたいものです

各地の請願駅のはしり

こちらが駅舎。東北新幹線開業から3年後に請願駅として開業しました。まだギリギリ国鉄の時代ですが、新花巻駅と同時期に設置。JRになって各地で建設された地元が建設費を負担する請願駅のはしりにもなりました。国鉄むによる開業時の駅ではないのでオシャレな感じです

新幹線単独駅で運賃計算の対応は水沢駅

駅前の地図です。こうして見ると近いようですが

車で10分以上要するので、それなりの距離があります。そもそも水沢の市街地を避け、用地確保がしやすい場所に敷設したので、やむを得ないこと。案内イラストにはかわいいトンネルがいくつか描かれていますが、トンネルを掘ってまでも北上川の対岸に線路を通したことがよく分かります。ただ当時の国鉄は新幹線北海道延伸の際は深夜運転を計画していて、単線運行用(保線作業のため片方の線路は使用しないため、すれ違いの場所が必要となる。山陽新幹線の駅が兵庫県に4駅もあるのはそのため)に当駅付近に駅を設置する計画がもともとあったとも言われています。

奥州市といえば…

改札を出ると奥州市の観光案内所があります

容易に察しがつくように駅名は水沢市と江刺市を合わせたもの。江刺市には元々、鉄道駅はありませんでした。最初に熱心に新駅の招致運動をしていたのは水沢市で、駅名も「新水沢」に想定されていたようですが、後から江刺市が参加したした形になり、都市名併記については随分ともめた記録が残っています。もっとも現在はともに奥州市。新幹線の駅名でもめた末に結局は平成の大合併で同じ自治体になったという例は先に紹介したくりこま高原駅のように、かなりあります。那須塩原市のように地名を合わせた駅名が結局、都市名になったことも

さて冒頭で大滝詠一さんのお話を延々とさせていただきましたが、現在奥州市といえば大谷翔平選手のほぼ一択でしょう。当駅にも大滝さんとともに大谷選手のコーナーもあります。ただ写真の権利が不明でブログに掲載するのは控えます。訪問時はWBC直前だったので今はさらに模様替えされているのでしょうか。ぜひ実際に足を運んで目にしてください

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新幹線単独駅巡り再び~きっぷのルールがややこしい

古川駅のエスカレーターにある乗り換え案内

2023年3月2日12時10分

※単独駅ではありませんが、新規訪問につき紹介します

伝統ある町

古川に到着しました

大崎市の中心駅。かつては古川市でしたが、2006年に周辺自治体と合併して大崎市が発足しました

古川を中心とした一帯は古くは東北地方の中心地でした

かつてこの駅を訪れたことがありますが、その時は在来線の陸羽東線で来たため、新幹線ホームに立つのは初めてです

駅舎です。東北新幹線の駅が併設されることになり、従来の駅舎から、やや離れたところに新駅舎が建てられています

新幹線と在来線の改札はそれぞれ独立していて、乗り換えには互いの改札を一度出る必要があります。足下の文字がかわいすぎますが、窓口をはさんで両サイドに改札があるので、こちらを間違うことはまずないでしょう。1日に7000人ほどの利用者がいて、もちろん管理駅

東北本線は通っていません

陸羽東線のホームにやってきました。島式1面2線で長めのホーム

当地に新幹線駅を設置する際の有力な「ライバル」は小牛田(こごた)でした。難読駅としても知られますが、東北本線、陸羽東線、石巻線の接続駅で交通の要衝。最終的には都市の規模と仙台から盛岡まで真っ直ぐ線路を伸ばした場合は古川の方が通しやすいとの判断があったようです。では東北本線は大きな都市である古川をなぜ通っていないのかという、そもそも論になりますが、小牛田駅開設の明治初期には山越えとなる古川経由が避けられたとか、地元住民による鉄道忌避説とかがあります

そのような経緯で東北本線上ではないところに東北新幹線の駅が設置され、なおかつ前記事で紹介したくりこま高原駅が新幹線単独駅であることから、きっぷ上では大変ややこしいルールが設けられています

在来線とは別に東北新幹線の駅としては運賃計算に小牛田駅を採用しています

10キロ近く離れていますが、東北本線の「対応」はこのようになります。ですから仙台近郊区間内同士でないきっぷで一ノ関より北、仙台より南の駅を発着するきっぷであれば、新幹線と東北本線のどちらを通っても大丈夫という選択乗車ができるようになっています

ここまでは他の新幹線単独駅でも、よくある話ですが、そこにくりこま高原駅が絡んでくると、話は複雑になります。新幹線単独駅である、くりこま高原駅の対応駅は新田駅です

こちらも10キロほどの距離。単独駅ですので線路はつながっていません

きっぷのルールに従うと、くりこま高原~古川の乗車券を持っていても新田~小牛田の東北本線には乗れませんが、突き詰めていくと新田~小牛田の乗車券を持っていれば、くりこま高原駅~古川の東北新幹線では有効になる、ということになるはずです。2駅続いて本線上に駅がないと、いろいろ面倒なルールが適用されることになりますね

もっとも、そのようなことを試す人がいるかどうかは別問題で、自動改札を通れるかどうかもまた別問題。私は過去に、なぜか自動改札ではねられ、駅員さんに有効なきっぷであることを告げて通してもらったことが何回かあります

さすが陸羽東線の番線表示は歴史を感じるものでした

お手洗いの案内表示も同様

今回は乗ることができませんが、陸羽東線の列車を見送って新幹線ホームに戻ります

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新幹線単独駅巡り再び~標高20メートルの「高原駅」

くりこま高原駅の縦駅名標

2023年3月2日11時15分

駅前に展望タワー

くりこま高原駅に到着しました。1982年の東北新幹線開業から8年を経て1990年に開業した地元による請願駅です

改札でのお出迎えを経ると、とても立派な駅で広くてきれいに待合室や観光案内所があります

外に出ます

JRになってからの駅なので、三角屋根を取り入れたり、駅舎にもちょっと「おしゃれ感」が出ています。理由は分かりませんが、国鉄時代の無骨な新幹線駅舎とは随分差があります

展望タワー

駅舎の写真は西口ですが東口に回ると

「エポカ21」というタワー型の建物が目に入ります。くりはら交流プラザとなっていて展望レストランやホテル、コンベンションホールや観光物産館が入居しています

時間的にもちょうどお腹が減ってきて、個人的には展望レストランに行きたいところですが駅の散策(正確には探索)などにも時間を費やしたいため、西口からすぐのところにあるイオンのフードコートで

ラーメンを。北海道のお店でした。厳寒というほどではありません(翌日以降、この言葉は撤回される)が、さすがに関西よりは冷えるのでラーメンが染みる

少し前までは「いいオッサンがフードコートなんかで飯食うのは恥ずかしい」と思っていたものですが、今や旅に出るとフードコートはコンビニと並ぶアイテムと化しています。この日はお昼時でしたが、フードコートというのはランチタイムやディナータイム関係なしに開いている上、サッと食べられるのが駅とその周辺探索に時間をかける私にとっては好都合なのです

「くりこま田園駅」?

話が少しそれました。もう一度駅に戻りますが、駅前の展望タワーが目につくぐらいですので周囲はというと

高原ではありません。どちらかというと、ではなく完全な田園地帯です

現在、駅は宮城県栗原市が所在地ですが、新幹線駅の招致活動が開始された時は町村や郡単位でした。招致運動中の仮駅名は「栗原・登米」。栗原郡と登米郡を合わせたもので新駅の鉄則である「公平に」の駅名となっていました

駅の設置が決まったのは国鉄からJRへの移管後。次は工事も始まり、正式駅名を決めるだけとなったのですが、JRが「『栗原登米』と郡名をつなげた駅名は読みにくい」と難色を示し(おそらく地名がマイナーだったと言いたかったのだと思われるが、今にして考えると失礼な話ではある)、有名な栗駒山にちなんだ現駅名に決定。当時、実際に「栗駒町」が存在していて駅名は同町だけを連想させて不公平と反対の声もありましたが、その部分はひらがなになっただけで駅名が決まりました

ちなみにくりこま高原駅の標高は20メートル。とても「高原」ではありません。駅ができた当時は「くりこま田園駅では?」の声も出たとか。実際に2007年に廃線となった現地を走る第三セクターは「くりはら田園鉄道」でした

現在、当時の自治体は栗原市と登米市になっています。特に栗原市は宮城県で最大面積の都市になっていて自治体合併が駅設置のころなら、当初の仮駅名は都市の複合型となるわけで、JRも認めたかもしれません。もっとも栗駒町も今は栗原市の一部となっているわけで、駅名変更の声は出ていません。現在は観光拠点として成立。駅近辺の再開発も予定されています

ホームに戻ります。新幹線単独駅で2つしかないホーム番線は11と12。新幹線ホームが11番から始まるのは東北新幹線の在来線との接続駅でも見られる光景

JRになってからの駅ですが、すでに30歳を超えています。こんな格好いい文字もありました

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新幹線単独駅巡り再び~「基本駅」へ徒歩でも可能

白石蔵王駅の縦駅名標

2023年3月2日10時30分

読みは「しろいし」

仙台から1駅南下し、白石蔵王駅で下車しました。つい「しらいし」と読みがちですが「しろいし」です

駅名で想像できるように東北本線との対応駅は白石で、しかもかなり近い

歩いても20分かからないので車だと瞬時に着いてしまいます。白石蔵王駅は基本的に1時間に1本の停車で、バスも同じぐらいのペースで運行されているようです

利用者数では白石が圧倒

こちらは駅舎です

改札でのお出迎えもあります

白石市は宮城県南部にあたり、鉄道的にも福島県と接する場所にあります。南下すると福島県との県境には越河越えという難所の峠越えがあり、鉄道泣かせでした。越河と書いて「こすごう」と読むのは、なかなか言い得て妙で、仙台から東京への鉄路として常磐線経由が重宝されてきた理由にもなっています

白石蔵王は東北新幹線開業時にできた駅ですが、福島~仙台は約80キロと長すぎることから、峠を越えたここに新幹線の駅を設定することになりました

ちなみに福島までが35キロ、仙台までが45キロと福島の方が近いのですが、とにかく険しい峠となっていて、白石はその中継地となって栄えました

仙台からの在来線は白石までは昼間は1時間に2本の運行ですが、白石から先の福島方面への県境越えは1時間に1本。冬場は運休も多い区間で、運行面でも白石が終点となり、あらためて福島方面へ乗り換える形が多い

このように仙台への通学通勤圏の東北本線の南端ともなっているため、駅の利用者は白石駅が白石蔵王駅を圧倒しています

北海道の同名駅との深い関係

ではなぜ同じ場所に新幹線駅を設置しなかったかというと、ルート的に川幅が大きくなっているところを渡ることになる上、線形が悪くなるのを避けたからのようです。またコース的に在来線と新幹線が交差する地点がありますが、こちらは市街地から離れすぎている上、新駅設置のコスト面もあって想定されませんでした

駅では、このように歓迎してくれます。片倉小十郎重綱が大坂の陣で真田幸村と激闘を繰り広げ、最後は敗れることになる幸村の子供をかくまったという逸話があります

その片倉氏は仙台藩の白石城城主として幕末まで続きますが、明治維新の際にその家臣が北海道に移住。その地が札幌市の白石です。宮城県と北海道に同名の白石駅があるのは偶然ではありません

1982年の東北新幹線開業時からの駅だけに

古典的な文字案件も残ります

白石蔵王駅は単独駅ながら管理駅として白石駅も管轄しています。ただ訪問時には

このようなお知らせもありました

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新幹線単独駅巡り再び~鉄道開業150周年記念パスファイナル

仙台駅の駅名標

2023年3月2日7時

東北新幹線の駅を回る

ようやく暖かさを感じ始めた3月に入ってすぐ。大阪空港から仙台に向け飛び立つ

昨年10月と同じ行動。仙台行きでは空港内のバスに揺られてタラップを上がるという経験ができます

今回利用するのは、その時と同じ「鉄道開業150周年記念 JR東日本パス」。ただ今回は「ファイナル」のタイトルが付けられています

きっぷの中身は前回と全く同じでJR東日本が新幹線も含め3日間、乗り放題。JR東日本が管轄するBRTや東北の三セクの一部にも乗車できます。お値段は2万2150円

今回は東北新幹線の単独駅を中心に降りたことのない新幹線駅訪問を目指します。昨秋、北陸新幹線や上越新幹線で同様のことを行った時にも記しましたが、駅巡りをする課程で最もやっかいなもののひとつが新幹線駅。本数の少ない閑散ローカル線は「手段」という意味で難しいのですが、こちらは「金銭」という面のアプローチが難しい。そしてドル箱なんで、当然といえば当然ですが、JR各社も新幹線まで乗り放題というきっぷは、なかなか出さないものです。乗車券部分のみフリーで新幹線代は別に出してください、というものがほとんどです

それが今回、昨秋に続き、また同様の企画きっぷをリリースするという。しかも「ファイナル」。これは利用の一手でしょう

うまい具合にというか、航空会社のマイレージで3月で期限を迎えるものが、かなりあって、どうしようかな、と思っていたところだったのです。ちょうどよいきっかけにもなりました。目指すは東北新幹線。関西に住んでいる者としては、こんな機会でないと、時間的にも金銭的にも訪れることが困難になる駅が多いのです。利用するなら、きっぶの利用期間の最初である3月2日からと決めました。こちらはすでに報告しましたが2月21日に、伯備線特急やくものパノラマカーに乗車して、豪雪と厳寒に遭遇したばかりですが、それから急に暖かくなっていました。もう春の足音。さすがに大丈夫でしょう(という考えが大いに甘かったことを後で思い知らされる)

240円を節約

仙台空港に到着。昨年10月と全く同じ便なので仙台空港アクセス線への乗り継ぎ所要時間も分かっています

サクサク乗り込みます。ただ当時と異なるのは

ここ名取で下車したこと。名取駅はアクセス線との接続駅。アクセス線はもちろん仙台まで直行しますが、駅名板を見ていただければ、お分かりのようにJRの駅です。常磐線の乗り入れもあって重要度も高く、1日に万単位の利用者があります。もちろん、みどりの窓口の他に券売機もある

無事発券できました。なぜわざわざ名取で降りたのかというと

こちらは仙台空港駅のものですが、アクセス線はこのきっぷの対象外のため、別料金が発生します。発券の駅までは別料金で行くしかないので仙台まで行くと660円かかるのに対して名取で発券すると420円で済む。つまり240円の節約。随分とセコいですが、道中お世話になるだろう缶コーヒーを2本飲めるのでバカにはならないのです。前回は仙台での乗り継ぎがギリギリだったので660円支払わざるを得なかったのですが、今回はしっかり節約です

実はこの発券、コロナ禍前に仙台を訪れた際、仙台近郊のフリーパスを購入した時も同じ行動をとりました

とうことで仙台駅の新幹線ホームへ。まずは北上するのではなく南下からスタートします

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線最終項

名鉄常滑線。上に見えるのが新幹線で手前が南方貨物線

2022年11月10日12時

小学校の土地を売却→戻る

堀川を渡れば本日のゴールである道徳駅まではすぐ。そしてハイライトにもなります

新幹線の高架沿いに歩くと

橋脚が復活し

その下に小型の倉庫が並んでいます

レンタル倉庫として利用されています。ただし県道を渡ると、すぐに小学校があって橋脚の北側を迂回して歩く必要があります

こちらの明治小学校は南方貨物線の予定地に敷地の一部があり、建設に協力してその一部を売却したものの、未成線になったことで返却されたという経緯があります

空港連絡線構想?

橋脚に沿って歩くと名鉄の常滑線が見えてきました。この先で交差します。もうゴールは目前

さらに先に進むと

東海道新幹線、名鉄との交差部分となります。ここが散策のハイライトのひとつ。一見、3線が交わるところで、うちひとつが建設中のようにも見えますが、言うまでもなく手前の橋脚は未成線。そもそも見て分かる通り、架線がじゃまして、この高さでは進めません

1983年から84年にかけて名鉄は高架化されています。南方貨物線の工事が再中断(以降、工事が行われることはなかった)した直後。南方貨物線の施設の再利用については名鉄常滑線に合流させて中部国際空港(2004年開業)を目指す、という案もあったそうですが、1989年に新装なった金山総合駅が具体化した後です。名鉄にとって何のメリットもないので、あっさり却下されています

結局、南方貨物線の計画は貨物ターミナル駅が1980年に開業しただけで終わり、投入された400億円近いお金は全くムダになってしまいました

国道側から見ると、国道と名鉄の間の部分だけポツンと残されています。撤去工事を行うには名鉄の運行にも影響しそうです

ここから名鉄の駅は豊田本町も道徳も同じような距離ですが、6月は道徳駅までだったので今回も道徳駅をゴールとします

道徳に到着したのは12時40分。愛知県武道館を出たのが10時ちょうどだったので2時間40分の散策でした。この間、2度の休憩と1度の買い物タイムをはさんでいます

おすすめ散策路

堀川を渡ってからのコースです。実際は公園の中は突っ切って進んでいます

さて昨年11月に全路散策を終えてから今日まで記事にしなかったのは、その後の寒さを考慮したからです。今はちょうど良い季節です

未成線や廃線跡の探索というのは基本的に進み始めたらゴールまで行くか、引き返すかの二択となりますが、南方貨物線についてはJRの笠寺から、あおなみ線の中島駅の間に名鉄、地下鉄の駅があるほか、バス路線もあり、途中離脱が可能。道中に飲食店やコンビニの店舗や公園もあり、お手洗いも含めて休憩ポイントも多い。大都会とはいえ、ここまでの「至れり尽くせり」は他になかなか例がありません

休憩もなく迷うこともなければ、おそらく全行程は徒歩3時間ちょっとだと思われますが、多少迷ったり、食事を含めた休憩を行うのも、ある意味楽しいものです。もちろん、前述した公共交通機関を利用して、ほんの一部だけを見るのも可能。昭和の国鉄時代の遺構がこれだけしっかり残っているのも珍しいことなので、鉄道貨物の栄枯盛衰を感じながら、春の陽気とともにぜひ訪れてほしい場所です

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その8

南方貨物線の橋脚

2022年11月10日11時

見失ってお買い物

名古屋高速を越えて振り返ると、このあたりの建物が橋脚の幅でできていることがよく分かります

普通に住宅が建てられていますが、幅がずっとそろっています

しかしその先で痕跡らしいものを見失ってしまう。前を新幹線がバリバリと通過していきます

新幹線のところで公園は終わっています。ちょっと困ってしまいましたが、南方貨物線は笠寺から新幹線に沿って建設され、途中で新幹線から別れて、あおなみ線に向かって進んでいったはず。となると、どこかこのあたりに分岐点があったのでしょう。とにかく新幹線沿いに進んでいこう。中島駅側から進んできて初めて新幹線と出会いました。となるとゴールは見えてきたかもしれません

新幹線と近づいたり離れたりしながらウロウロしていると西友ストアがありました。歩いているうちにちょっと事情ができて百均とかないかな、と思っていたのでちょうど良かった。こちらでお買い物。先ほどもスーパーを見ましたが、未成線跡や廃線跡でスーパーというのは、そう多くはありません

新幹線の分岐線?

このあたりは、ここまで見てきた住宅街とは異なり、少し古めの建物も目につきます。それはそれで不安になるのですが、とにかく新幹線を見失わないよう歩いていくと

これは?という建物が見えてきました

こんな風に歩いてきました。大通りの向こうには

新幹線に沿って「いかにも」の形の住宅があります。これは橋脚跡にできたものでしょう。先ほどの建物の向かいですから

大通りを渡ると、その向こうの建物は、もう確定的

その背後に見えてきました。このころは橋脚を見ると本当に安心してしまうようになっていました(笑)

ここも貨物車置き場となっています

こうして見ると新幹線の分岐線でも建設しているのか?と思ってしまいますね

ただこのように2本の線路が並ぶ、というのは1970年代前半の環境問題がクローズアップされた時代では、なかなか受け入れられなかったのかもしれません

幻の新幹線深夜運転計画

国鉄では山陽新幹線が全通した際は新幹線の深夜運行を計画していました。まだまだ寝台列車華やかなころですが、深夜から早朝にかけて新幹線の運転を取りやめるのではなく、深夜は数十キロと大幅に速度を落として博多を目指すというもの。高速で走る新幹線は日々の保守作業が欠かせないのですが、深夜に限っては単線運行とし、空いている線路を点検に充てるというアイデアで、実際その計画に沿って建設されたとされるのが兵庫県の4駅です

開業時から当時の新幹線としては短い区間に新神戸、西明石、姫路、相生と4駅も設けられました。深夜の単線運転なので待避線はできるだけあった方がいい。新神戸が地形上、2面2線でしか建設できなかったことも影響しました。距離や都市の規模を考えると神戸、姫路の2駅でよさそうなものですが2駅を追加。さらに言うと姫路は新幹線の駅としては他にあまりない乗車ホーム部分が2面3線構造となっているのも、そのなごりです

なぜ兵庫県に退避場所が多く設けられたかというと、当時は遠い将来の四国新幹線や中国新幹線の計画も視野に入っていたため。新大阪~岡山間には多くの列車が集中することを見越し待避できる駅を増やしました。姫路については何かトラブルがあった際に列車を留置する場所が必要だ、ということで単なる通過線ではなくホーム部分をひとつ追加する形にしました

もっとも、計画は新幹線以外でも空港や道路の騒音問題、反対運動の盛り上がりや高度経済成長の終焉によって消え去り、現在に至ります。名古屋地区の話ではありますが、新幹線全体に与えた影響は大きかったわけです

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その2

2022年6月12日11時30分

公園のオブジェ?

前回の続きです。笠寺からの未成線訪問はここからスタート。信号を渡りました。ただ、この先に難所が待ち構えています。廃線跡もそうなのですが川にかかる橋脚や鉄橋は腐食が進むと危ないので真っ先に撤去される運命にあります。周辺に民家や農地もないので工事もしやすい

ということで、いきなりグルリと回ると、また現れました

前後はないのに、ここだけ残されている、というか橋脚の前後は普通に民家が建っています

ここは公園に隣接していて角度を変えると、こんな感じ。お子さんが楽しく遊んでいましたが、まるで公園の施設の一部のようです

笠寺からはこのように歩いてきました。貨物線は新幹線とともに川を渡ったのでしょう

南方貨物線は東海道新幹線と寄り添うように建設されています。建設用地の確保が容易だったからだと思われます

建設にあたっては高架化が原則となりました。騒音問題を抱えていたからです

工事は67年に開始され、笠寺と新貨物ターミナル駅まではわずか7キロの工事ですから、5年後には開通する予定でした(貨物線なので部分開通というのは、あまり意味がない)が、なかなかそうはいかなかった

当時は環境問題や騒音問題が全国でクローズアップされたころで、名古屋地区では新幹線の騒音問題に大きな声が上がっていました。こちらは後に「新幹線の騒音・振動を止めよ」というスピードが命の新幹線の運行停止を求めるに等しいような裁判へと発展します

そんな状況下で、新幹線に並行してもう1本路線を造り、こちらは深夜も運行する上、貨物専用なので旅客駅もなく、沿線住民にとっては迷惑しかないということで猛烈な反対運動が起きて工事はペースダウン。話し合いが決着するのに時間を要している間に今度は国鉄の財政事情が悪化して建設中止となりました

完全に施設の一部になっている部分も

さらに歩いていくと新幹線と交差したであろう箇所は完全に施設の一部となっています

倉庫として活用されているようですが、沿線を歩いていくと倉庫に転用されたものが数多く見られます

少し先は

新幹線をアンダーパスした部分で、こちらは事務所に

芸術的な利用もあります

再び新幹線と接近しようとしています

こちらは倉庫でしょうか

新幹線はこの先で名鉄とクロスします。もちろん南方貨物線もクロスするわけですが、この日は他に寄りたい場所もあったため、ここまで。ちょうど名鉄常滑線の道徳駅の近くまで来たので

名鉄に乗ることにしました。写真を掲載したのはごく一部で、他にも未成線の跡はいくつも見ることができます

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大都会に残る未成線跡~南方貨物線その1

笠寺駅から歩くと最初に未成線と会う

2022年6月12日11時30分

完成間近の高架脚?

東海道本線の笠寺駅

こちらは駅名標ですが

音楽やスポーツイベントが行われる日本ガイシスポーツプラザの最寄り駅として有名です。駅の写真は昨年11月のものですが

駅直結でとても便利。このようにイベント告知もあり、快速の臨時停車も行われて多くの人でにぎわいます

当駅はJR貨物、名古屋臨海鉄道の貨物駅としての顔を持ち、多くの側線を持っています。6月でしたが、まだそれほど暑くはない日でした。鉄オタはガイシホール方面には、ほとんど興味を示さず、側線の端はどうなっているかを確認するため、側線に沿ってトボトボと歩きます

すると

側線の切れ目となる道路を挟んだ先に建設中とも思える橋脚が見えてきました

実際には東口から出て線路沿いを歩いてから踏切を渡っているので、徒歩時間は10分ほどですが、側線の端までにしてはかなりの距離と時間で規模の大きさが分かります

しかし、これは建設中のものではありません。「南方貨物線」という未成線跡です

ほぼ完成も列車は走らず

南方貨物線は旅客、貨物ともに好調だった昭和30年代の国鉄黄金時代の香りがまだ残る中、東海道新幹線が開業した少し後の1967年(昭和42)に工事が始まりました。名古屋駅を貨物と旅客の両列車が走ることで名古屋駅は満員状態となって、これ以上需要に応えられないということで、名古屋の南側に新たに貨物駅を設けて貨物列車は名古屋駅を通らないようにしようという計画

言われてみると東京駅や大阪駅に貨物列車はやって来ません。両駅を通らないよう専用貨物線が設けられているからです。名古屋も同様の構造にしようとしたのは自然な流れで計画そのものはかなり前からありましたが、先に新幹線計画と建設が始まったため、一度貨物線計画は凍結。新幹線開業によって東海道本線の優等列車はかなりそちらに振り分けられましたが、結局はゴーサインが出ました

専用線は武豊線との結点となる大府からスタート。笠寺までは既存の東海道本線を複々線とし、笠寺から新貨物駅までは新たに新線を建設するというものでした。複々線計画については東海道線の車窓で確認できます。明らかに複々線の用地と思われる不自然な空白があるからです

笠寺からは貨物新駅の間に建設される新線となります

ただ結論としては施設は国鉄時代にほぼ完成したものの、実際に列車は一度も走ることなく未成線に終わりました。貨物新駅は設けられて運用が開始されたものの(もちろん今も現役です)、そこに至る短絡線は未成線となりました。大都会でほぼ完成しながらの未成線というのは、かなり珍しいですが、35年が経過しても遺構は多く残っていて、中には街の風景に溶け込んでいるものもあります

その遺構見学を昨年の6月、9月、11月と3回に分けて行いました。実際に歩いたルートは微妙に異なりますが、大体こんな感じです

なぜ3回も足を運ぶことになったのかというと、他にやることがあったり、暑くてヘタレたりとかなのですが、比較的お手軽に行けるのは大都会の未成線ならでは

次回から順番に紹介していきます

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リベンジ岩徳線その7~ハイライトは思わぬ形で

柱野駅の駅名標

2022年12月28日12時

無人駅中の無人駅での問い合わせ

柱野駅からの側道?かどうか分からない。真っ直ぐ行くと、かつては貨物ヤードだったかもしれない場所に行き着いて終わります。そんな雰囲気たっぷりの駅近くで写真を撮っていると、背後から「ちょっと聞きたいんだけど」との声。振り向くと明らかに70代以上と思われる男性。「どうしました?」と言うと

「ここで新幹線の切符は売っているんかな?」

絶句してしまいました

前回の記事でも紹介しましたが、いわば「無人駅中の無人駅」。駅舎もない。こんなところで新幹線のきっぷはおろか、きっぷなんて販売しているはずもない。そもそも「無人」なんですから

大変申し訳ないのですが、一瞬「大丈夫か?この人」と思ってしまいました

だが、ゆっくり話を聞いていくと、そうではないことが分かりました

この方、もともとは地元の出身なのですが数十年前に町を出て、今ははるか離れた都市に住んでいます。本当に久しぶりに里帰りをしたため、変わりすぎた沿線の様子が分かっていないのだとか

個人情報になるので詳細は記しませんが、車のナンバーを見ると、この付近では絶対見ることのないものです。車があるのに、なぜ新幹線のきっぷなのかというと、あまりにも遠いので業者に依頼して車だけを別に運んでもらい、帰りもそのようにする、という。確かにこのナンバープレートの所まで車で行こうとすると現在正午の今、出発しても日付変更線前に到着できるかどうか怪しい

ようやく会話の中身を理解した私。「玖珂は大きな駅だから売っているかな」と尋ねてくるので「いや、ちょっと確実ではないですね」とスマホを取り出す。土地勘がないので、この山中では何も分かりません。すると意外なことが分かりました

山陽新幹線の新岩国駅まで車で5分。そんなに近いとは知りませんでした。過去、新岩国には何度か訪れ、錦川鉄道の清流新岩国駅との乗り換えもしてきましたが、柱野駅との距離間は知らなかった。ただ考えてみれば柱野からすぐ東側に錦川鉄道との分岐となる信号所があり、柱野駅の前を流れているのは御庄川。清流新岩国の元の駅名は御庄なので、そのように思考回路を働かせれば納得です

「車にカーナビはありますか?」と尋ねると、ないというのでスマホの地図を見せ「川の向こうの道を真っ直ぐ行くと、すぐ新岩国に着きますから」と言って無事に道案内をすることができました

それにしても新岩国駅の開業は1975年と50年近く前。車を運転する年齢ではなかったことを考慮しても一体、故郷を離れたのは、いつのことなのかと思ってしまいました。ご本人は「大昔」と言うので、詳しくは聞きませんでしたが

散策で思いにふける

車が去った後、あらためて周辺を散策。川の向こう側まで行ってみます

駅の階段の屋根がかすかに見えます。ここにもバス停があって新岩国駅から錦帯橋を経由して岩国駅に行くバスがありますが、1日2本の運行しかない。逆方向は山中に入って行くので玖珂には行かないようです

どちらかというと駅側ではなく、川の反対側に民家は多いようです

御庄川を渡る橋梁が見えます。2つの橋梁を経て、さらに3キロものトンネルは昭和初期では難工事だったと容易に察しがつきます。あそこを渡るキハ40の赤い姿を写真に収めてダッシュしてもギリギリ間に合うかな、と一瞬頭をよぎりましたが、さすがにギャンブルはやめて駅に戻ります。それにしても、ここから5分で新幹線の駅に着くとは、ちょっと想像できません

あらためて駅を見ると無骨な駅名板に屋根付き階段、わずかに顔を出す構内踏切に駅名標と、なかなかの勇姿です

構内踏切の入口。警察官は来るのでしょうか?

再び構内踏切を渡る。融雪剤がここでもまかれていますが、もうそれが必要な気温ではありません

列車到着を告げる音がしました。ちゃんと機能しています。山陽本線のままだったら、通過列車もバンバンあったんだろうな、と思いながら列車に乗り込みます。柱野がいろいろな意味で岩徳線のハイライトになるとは予想していませんでした。全駅訪問まで、あと一駅

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