JR東海

青空フリーパスで高山本線に挑む~新型車両の特急「ひだ」に初乗車

美濃太田駅に入線するHC85ひだ

※訪問は2023年4月29日

特急利用で先回り

白川口から坂祝を目指す際、美濃太田で10分ちょっとの乗継ぎ時間を利用して美濃太田の券売機で

美濃太田~飛騨金山の自由席特急券を買っておいた。青空フリーパスはエリア内の在来線特急は特急券さえ買えば乗車券を追加購入することなく乗車できるのが利点。エリア内は在来線特急の宝庫で高山本線のほか、中央本線、関西本線→紀勢本線、飯田線とかなりの本数が走っている。米原までなら東海道本線の特急利用も可能。普通列車の本数が少ない飯田や下呂へも行けるので、なかなか便利である(ただ有効日数は1日なので単純往復では元割れしてしまう)

今回は駅回りを効率化するための利用。私が乗車するのは13時28分美濃太田発の高山行き「ひだ9号」。このすぐ後の12時39分に美濃太田から高山行きの普通が発車するため、飛騨金山へはそちらに乗車すれば良いのだが、それだとお隣の焼石へ向かう飛騨金山発の普通は2時間半後になってしまう。さすがにそれは待てないし、飛騨金山~焼石は9キロもあって、とても歩こうという距離ではない。ただ特急に乗車すれば飛騨金山では30分待つだけで高山行き普通に乗車できるのだ。ちなみに飛騨金山に停車する特急は全体の半分ほどの5往復しかなく、特に下りは停車列車が朝夕に集中しているため、これは貴重な一本

これは利用の一択だろう。青春18きっぷなら、乗車券770円も購入しなければならないので、かなり渋々だったかもしれないが、660円ならばバスに乗車する感覚でホイホイ払ってしまう

HC85に初乗車

ということでJR東海の気動車新型特急「HC85」に乗車

私のブログでは、「降り鉄」ということもあって、ほとんど在来線の特急列車は登場しない。ただ本当は結構好きな方である。以前も書いたが特急に特化されている新幹線と違って、在来線では普通や快速を待つホームの人々を見ながら走るエグゼクティブ感が味わえるのがいい

HC85は、これまでのJR東海の気動車特急「キハ85」の後継車。HCとはハイブリッドカーの意味。JR東海では初のハイブリッド気動車となった。通例では85以外の別の数字が使用されるところだが、同じ「85」を使って後継アピールをするところに細かいこだわりを感じる(ただし車両ごとにはクモハ、モハ、クモロと従来の用語が使用されている)

非電化路線はローカル線であることが多く、特に本州内では優等列車が走るエリアが少ない上、本数そのものも限られた路線が多く、新型車両がなかなか登場しづらい状況にあるが、その中でリリースされた貴重な車両である

混雑ぶりは週末あるある

この記事を書いている今となっては紀勢本線の特急もHC85に置き換えられ、そう貴重な体験ではなくなっている(夏にも高山本線で乗車した)が、当時は初めての乗車とあってワクワク感はかなりのものだった。JR東海の在来線特急車両は古いこともあってコンセントがないのが欠点だったが、窓際だけでなく通路側も含め全席にコンセントが設置された。車内wifiもある

このようにシステムの解説もある。また高山本線は岐阜高校の生徒さんの協力によるアナウンスも導入されている

ということで飛騨金山に到着。ひだには自由席が1両しかなく、GWのまっただ中のこの時期、座れなかったら、30分はデッキで過ごすか、と覚悟していたが、拍子抜けするかのように指定席がそれなりに混雑していたのに対して自由席はガラガラだった。観光目的の方は事前に座席を確保したくて指定席が人気する分、自由席が逆にガラガラになるという「週末あるある」。よく見かける光景のおかげで30分を快適に過ごすことができた

参考までにこの区間の自由席特急料金は660円だが指定席だと1290円と倍近くになってしまう。ここのところ、JR各社は利益を上げるため、自由席車両を減らしたり、さらには自由席そのものをなくしたりしているが、何でもかんでも値上げの昨今、「自由席文化」はしっかり残ってほしいものだ

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青空フリーパスで高山本線に挑む~アクセス楽々の素晴らしき難読駅舎は名車に名を残す

坂祝駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

難読駅の片側へ

白川口から再び美濃太田方面へと乗車。美濃太田で乗り継いで1駅お隣の坂祝で下車

これも難読度が高い。ただし自治体名である。同町のHPによると、すでに平安時代の文献に見られる「坂祝神社」にちなみ明治になった坂祝村が誕生した。おまけとなるが、駅を降りるとこのような案内がある

駅はかつての山城のふもとにある。「坂祝町の猿啄城跡」となるわけだが、全く何も読めないという状態になってしまう可能性が高い

さて前々回の記事で

美濃太田駅は難読駅に挟まれているとしたが、当駅は美濃太田のひとつ岐阜寄りにある

今回は美濃太田~下呂の攻略だったにもかかわらず、なぜ足を伸ばしたかというと「列車の運行がなかったから」である(笑)。ローカル線というのは通勤通学の時間帯が終わると「お昼休み」に入ることが多い。ということで坂祝まで足を伸ばした

大正期からほぼ原型を保つ

と書くと、ついでに来たような印象を持たれるかもしれないが、駅そのものはついでに訪れるようなものではない

実に素晴らしい木造駅舎が残る

当駅は1921年(大正10)の開業。高山本線が美濃太田まで到達した際に設置された

駅名標も当時からのものであることを伝えている。アルミで窓が補強されていて、おそらくその際に塗装のやり直しがあったのだろうが、駅舎の向かって右側はあまり手がつけられていない

こちらは駅名板

さて当駅の良さは何といってもアクセスの容易さ。美濃太田のひとつ岐阜寄りにあるため、昼間も30分に1本の運行がある。IC乗車も可能

高山本線の岐阜~美濃太田間の各駅はすべて簡易的に駅舎に建て直されているため、開業時からの風情を残すのは当駅のみである

最近までJR貨物の駅

駅の跨線橋からの風景

町は駅舎側に広がっているが、駅舎の裏手はセメント関連の工場が並ぶ。JR移管後も工場への貨物駅として機能していた。今は草むらになっているが、貨物側線の跡がある

駅舎側にもヤード跡が残る。貨物輸送は2007年まで続き、そのためきっぷの販売など、駅業務はJR貨物が担っていた

必ずしも難読ではない

さて難読駅と随分繰り返してきたが、ちょっと車に興味のある人にとっては難読でも何でもない駅(自治体名)だった

かつて坂祝町には「パジェロ製造」工場があった。かつてといっても生産終了は2021年8月のことだから、ついこの間のこと。パリ・ダカールラリーなどで名をはせた三菱「パジェロ」は1982年の製造開始以来、ここで誕生していた。つまり世界のパジェロ=坂祝として町の名前も知れ渡っていたのだ。40年にわたって320万台以上ものパジェロを世界に送り出していた

現在はICリーダーのみの無人駅だが

ホームに面した駅舎にも歴史を感じる。駅舎の将来についての情報は持ち合わせていないが、岐阜からは30分。本数も多い(名古屋からなら名鉄の新鵜沼経由でも容易)だけに、ぜひ訪問してほしい駅だ

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青空フリーパスで高山本線に挑む~難読駅のサンドイッチ

古井駅は難読駅

※訪問は2023年4月29日

美濃太田のひとつお隣

中川辺から1駅、美濃太田へと向かい古井駅で下車。もう美濃加茂市に入っていて美濃太田の1駅北の駅となる

当駅はなんと言っても難読駅だということだろう

私的には高山本線の最難読駅は「上枝」だと思っている

ただ、こちらもなかなか負けていない。「こび」とは初見では、まず読めない

古井とはかつてあった自治体、古井町に由来する。ただし平成の大合併に伴うものではなく、1954年に同町や太田町などが合併して美濃加茂市が誕生した際に町としては廃止されている

地名については、いろいろな説があるようだが、飛騨川と木曽川の合流地点に位置して狭い場所にあることから、狭い場所を意味したり、川がつながった場所を意味するとされるが、詳しくは分かっていないという。詳しく分からないということは、古い町だということ。戦国時代より前には町名ができていた

鉄道的にも重要地

美濃太田は太多線との分岐駅で、列車に乗っていると高山本線と太多線が分岐していくのがよく見えるが、そこにあるのは美濃太田の車両基地である

元々は美濃太田機関区。戦前の1932年に開設された。太多線の美濃川合駅が圧倒的に近いが、美濃川合駅も古井町にあった。つまり、美濃太田と名が付くものの、重要な機関区が存在した町だったのだ

美濃太田駅の駅名標を見ると、おもしろいことに気付く

太多線との分岐なので、北側は2つの駅名が表示されているが、高山本線だと、ひとつ北側が「こび」、ひとつ南側が「さかほぎ」。どんな漢字なのか、想像もつかない。後に出てくるが「さかほぎ」は「坂祝」と書く。こちらもかなりの難読で運行の重要拠点である美濃太田は難読駅のサンドイッチとなっているのだ

もっとも美濃太田を挟んだ南北の駅は岐阜寄りか高山寄りかというだけで、列車の運行本数が全く異なるのだが…

その古井駅は簡易型の駅舎となっている。駅の開業は1922年(大正11)。当時からの木造駅舎がずっと使われていたが、2017年に解体されて現在のものとなった。簡易型とはいってもガラスまで使用されているので、ひとくくりに簡易駅舎としてしまうのもどうかという感じではある

ただ駅前の広い敷地にポツンとたたずむ小さなコンクリート駅舎は寂しさが漂うのも事実である

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青空フリーパスで高山本線に挑む~ここに来るための今日だった

下油井駅に到着

※訪問は2023年4月29日

一変する景色

岐阜から高山本線を北上すると美濃太田から景色が一変する。それまでは岐阜または名古屋のベッドタウンの印象もあったが、のどかな田園風景が広がり、やがて山中に分け入っていく。美濃太田から約40分

下油井に到着。所在地は岐阜県加茂郡白川町。お隣の駅が飛騨金山。旧国名で言うと、当駅までが美濃、ひとつ向こうは飛騨となる

名古屋駅から始発でやって来た今回の旅程はここに降り立つことが目的だったと言っても過言ではない。岐阜~美濃太田間は昼間も30分に1本の運行があるのに対し、美濃太田以北は2時間に1本程度の運行となる。先に当駅の時刻表を示すと

一定間隔で運行されているわけではないが、多いか少ないかと言われると決して多い方ではない上、駅間が離れていることが多く、名松線のように駅間を徒歩で埋めるのも、なかなか困難である。美濃太田から下呂までの途中駅は8駅しかないが、60キロもある上、自治体が異なるためコミュニティバスや路線バスも少なく、おそらく本日中の全駅訪問は無理だと思われる。そんな中、最優先で駆けつけたのが当駅だ

美しい木造駅舎が健在

駅舎とは反対側のホームで降りると待合室。かなり新しいものかと思ったが

意外と古い。戦後1年経ってのものだった。全国各地を回ると財産票を探すのに苦労することが多いが、JR東海は待合所や新たにできた簡易駅舎にもきっちり入れてくる。常にピカピカの駅名標も含め、細かいところにこだわりを感じさせてくれる

跨線橋を渡ると、お待ちかねの駅舎が見えてきた

美しい木造駅舎と対面である

勝手に抱いた危機感

下油井駅の周辺は小さな集落。駅のすぐ裏側は飛騨川が流れる。高山本線でよく見られる光景で、その分、人の住むスペースは限られる

民家が寄せ合って並ぶが、街並みはすぐに終わる

1日の利用者は50人ほど。もちろん普通のみの停車。今回、訪問先の最優先にしたのは駅の写真を見て「これは1日でも早く行かないとヤバいかも」と思ったからだ。高山本線でも多くの駅舎が簡易化されている。1分1秒でも早く駆けつけよう。だから時刻表うんぬんより、まずはここを目指した

だが真新しい駅名板などを見ていくうちに、そんな考えは杞憂だったのでは、と思い至るようになる。駅名板の下に財産票があるが、もっと分かりやすいものがあった

「昭和三年三月二十一日開業」と掲げられている。おそらく当時からのものではないだろうか。もちろん駅舎は開業時(1928年)からのもの

下油井駅は高山本線が白川口から飛騨金山まで延伸された時に設置された。たった2区間だけの延伸だが、山中の川沿いを行く路線の敷設はそう簡単ではなかった

開業時から貨物扱いをしていた

貨物ヤードが残る。貨物とは木材である

「東京五輪」との出会い

駅舎前に真新しいベンチがあった。最初に見た時は何だろう?と思ったが、しっかりと解説があった

白川町の木が東京オリンピック・パラリンピックの選手村ビレッジプラザで使用されたとのこと。このベンチは木材の再利用によって作られたそうだ

しっかり刻印もある。「木」へのこだわりを強く感じた。駅前には立派なトイレも設けられている。駅舎もしっかり残るのではないか。そんな安堵の思いで駅をあとにした

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

青空フリーパスで高山本線に挑む~名鉄との直通特急接続駅

鵜沼駅の駅名標

※訪問は2023年4月29日

早朝の名古屋駅

朝の5時20分、名古屋駅前にいた。ちょうど夜が明け始めたころ

新幹線はホームで待機中だが、名古屋駅からの新幹線は上下とも6時20分発でまだ改札も開いていない。新幹線の自動改札はこんな風に両方が閉じられているとは初めて知った。出発まで1時間近くあるが、GWのまっただ中。自由席を求めて早くも待機しているようだ

私のブログでは常連中の常連である青空フリーパスを購入。今回は主に美濃太田~下呂間の駅を訪問予定。広大なエリアをカバーする青空フリーパスだが、名古屋~下呂は乗車券だけで2310円もするため、往復だけで十分に元がとれる(現実的には下呂のひとつ手前までしか行かないのだけど)。例によってチョコチョコ乗っては降りて、また引き返してを繰り返すので、こちらのきっぷは破壊力十分である

3回目の高山本線

名古屋発5時37分発の始発で岐阜に6時3分到着

織田信長公がお出迎え

6時25分発の美濃太田行きに乗り込む。この列車は平日は太多線直通の多治見行きだが週末は美濃太田止まり。平日はこの時間から通勤通学でにぎわい始めるが

GW最中とあって実に快適。高山本線のJR東海区間は昨夏の青春18きっぷ以来

この時はほとんど無計画に青春18きっぷのラスト2日間で高山本線の下呂以北をウロウロしたが、今回は主に下呂以南に出かけることにする。この時と比べ、多少は計画性を持って行動する予定だ(笑)

名鉄との接続駅

まずは美濃太田の2つ手前の鵜沼で降りてみる

高山本線は岐阜~鵜沼間を名鉄各務原線と並行していて競合関係にある。乗車してしまえば駅の少ないJRが速いが、単線非電化の高山本線と全線複線電化の名鉄では利用者数で名鉄に軍配が上がる

そしてJRと名鉄が接近している区間は他にもあるが、明確に乗り換え駅となっているのは当駅のみとなっている

名鉄の駅名は「新鵜沼」。かつて「新名古屋」「新岐阜」「新一宮」などJRとの接続駅は「新」が付くのが定番で、近年になって「名鉄○○」と改められるケースが目立つが、当駅は今も「新」である

地図の方が分かりやすいかもしれないが、名鉄の駅は並立というより直角にホームが造られている。名鉄の特急が見えるが、名鉄はここから犬山線となり、岐阜方面から犬山方面へ直通する電車もあるが、当駅からは始発の名古屋行き特急があり、所要時間は30分。乗車駅にもよるが、名古屋へ向かうには岐阜経由より名鉄の方が圧倒的に速いため、当駅で乗り換える人も多い

元は改札も共有

かつて両駅は改札も共有していたが、現在は駅舎が別になり「鵜沼空中歩道」で結ばれている

こちらがJR側の北口

そして両者の中央あたりにある東口。もうひとつ名鉄ホームのさらに先にある西口がある

さてグーグル地図は、こんなことまで書き込んでくれるのかと改めて感心してしまったのだが「急行北アルプス連絡線跡」がある跡といっても現在はカーブを描く道路があるだけだが、ここにはかつて線路があり、JRと結ばれていた。名鉄から高山本線に入る特急「北アルプス」が運行されていた。当初は急行だったが、後に特急に昇格した。国鉄時代は富山駅を経て富山地方鉄道の立山まで直通されるという私鉄→国鉄→私鉄という、今にして思うと夢のような列車だったが、後に富山地鉄部分はなくなったがJR移管後も残り「名鉄を走る気動車特急」「JR西日本エリアを走る名鉄車両」と、これまた夢のような列車だった(後に高山止まりとなり、JR西への乗り入れ期間は短かった)が2001年に廃止。その後、渡り線も撤去されたが、現在のネット時代まで存続していれば、常にクローズアップされる存在になっていたかもしれない

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問3~今年もF1がやって来る

鈴鹿サーキット稲生駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

日本グランプリは9月22~24日

伊勢鉄道の駅では鈴鹿よりも知名度が高い駅かもしれない

鈴鹿サーキット稲生駅に到着。「稲生」を「いのう」と読むのが意外と難読。稲生はれっきとした地名で、国鉄伊勢線が開業した1973年(昭和48)9月1日に同時開業となったが、当時の駅名は単に稲生。87年の三セク転換時に現駅名となり、全国に知られる存在となった

ただし徒歩で約30分。おそらくF1のような大イベント時は、人出も多いので、もっとかかるかもしれない。当駅から鈴鹿サーキットまではバス路線もない。それでも大イベントの開催時、多くの人が当駅から歩いてエキゾーストノートの調べを目指す

ふだんは静かな小さい駅

私は鈴鹿サーキットには数え切れないほど訪れたが、当駅に降り立ったのは実は初めて。「もっとかかるかもしれない」と書いたのは、そのためだ。大阪から行く場合は近鉄特急で白子まで行き、バスまたはタクシーとなる。レース開催時は鈴鹿市内のホテルはなかなか取れないので四日市によく宿泊したが、それも同様。幸運にも鈴鹿市内に宿が確保できた場合は近鉄鈴鹿線の終着駅である平田町周辺が多かったので、その場合は平田町までタクシーである(F1開催時は三重県内では間に合わず名古屋市内のホテルも混雑する)。いずれにせよ鈴鹿サーキットまでバスが出ている駅は白子だけ。では白子駅に行けばいいのではないかと思われる方も多いかもしれないが、大イベント時は白子からバスに乗るのも、満員が多く、なかなか順番が回って来ず苦労するし、タクシーもない。バスだと白子から20分。延々とバス待ちをして満員の車内で20分揺られるなら、鈴鹿サーキット稲生から30分近く歩いた方がマシ、と考えるのは当然の流れ。私の場合は仕事上、レース開始のかなり前の時間に着いて、サーキットを離れるのもレース終了後、かなり経ってからなので混雑を避ける形になっていたがレースに合わせての移動となると、結果的に徒歩の方が早くなる

その鈴鹿サーキット稲生だが、駅の規模は大きくはなく、むしろ小さい。シケインをイメージした階段にサーキットを感じさせるのみである

私なんぞは「オ~ッ」と思ってしまったが、モータースポーツに関心がないと何も感じないかもしれない

そして鈴鹿サーキットの名を冠するものの、死角になっていて駅から鈴鹿サーキットは見えない。ただ車の音は聞こえる。サーキットが見えるのは、お隣の德田に向かう車窓からだ

年に一度のお祭り

上り下りのホーム移動はホーム外の道路を通る。もちろん無人駅。駅舎もない。ただF1開催時の臨時列車に備え、ホーム有効長は6両分確保されている

ただF1開催時は様相が一変。臨時のきっぷ売り場や仮設トイレが設けられる。基本的にワンマン運転の普通も車掌さんが乗車。名古屋始発で当駅が終着となる臨時特急、その名もズバリの「鈴鹿グランプリ」が2往復運行されるほか、特急南紀も一部停車。快速「みえ」に至っては全列車が臨時停車。とにかく年に一度のお祭りである。

伊勢鉄道のホームページがなかなか興味深く、F1開催時の当駅の案内があるのだが「伊勢鉄道でIC乗車はできません。JRの駅からIC乗車すると精算の必要があります」「きっぷ売り場は現金のみ」「レース後は駅も混雑するため乗車まで時間がかかる場合があります」といった注意点が記されているのだが、最後にそれらをまとめる形になっていて最初に出てくるのが「鈴鹿サーキット稲生駅利用の不便さ」で注意事項を改めて列挙。最後に「…枚挙にいとまがありません」と締めくくられていて、ちょっと笑ってしまった。その次にようやく「鈴鹿サーキット稲生駅利用の良さ」の項目。鉄道会社がまず不便さからスタートするのはユニークだ。その「良さ」も「それでも鈴鹿サーキット稲生駅をご利用になられる方がたくさんおみえです」から始まり、なかなかウィットに富んでいる。こちらは実際に閲覧していただきたい

ホームの名所案内。当然鈴鹿サーキットが最初だが、随分とお堅い表現だ。ちなみに鈴鹿サーキットは単なるレースコースと思われている方も多いかもしれないが、記されている通り、遊園地のほか、ホテル、キャンプ場、プールなども備えた総合レジャーランドである

稲生ガイドマップがあったが、こちらはいつからのものだろうか。鈴鹿サーキットを避けるように描かれているのが印象的

なお空前のF1ブームが訪れるのは、昭和の終わりから平成初期にかけてのこと。87年(昭和62)から日本GPが鈴鹿で毎年開催となったことが大きい(2007、08年は富士スピードウェイ開催)。奇しくも国鉄伊勢線から三セク伊勢鉄道転換の年だった

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問~JRの特急と別れを惜しむ

鈴鹿駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日、音声注意

名古屋から南紀に乗車

5月20日の朝8時前、私は名古屋駅にいた

手元には週末に発売される青空フリーパス、そして鈴鹿までの自由席特急券

JR東海の気動車特急として活躍してきたキハ85が6月で卒業を迎える。残念ながら6月に来る予定はなさそうなので、一足先に「お別れ」するのと同時に伊勢鉄道の全駅訪問を行うというのが、この日の趣旨である

1両だけの自由席は発車の10分前で大にぎわい。どこからどう見ても同業者(鉄道ファン)だらけ、という車内。何とか通路側の座席に着席。津方面へ向かう際、自由席は最後部の車両となる。つまり名古屋へのお帰りは先頭車両でパノラマビューとなる。私も10年ほど前、わざわざ紀伊勝浦から乗り込んだことがある。さすがに最前列は確保できなかったが、それでも前から3列目に座れた記憶がある

紀伊勝浦までは4時間の道程だが、多数の方が折り返してのパノラマビューを目指しているようだ。そんな中、私は40分ほどの乗車で鈴鹿下車。私一人。この前後に普通も快速「みえ」もやって来る。鈴鹿が目的なら、追加料金を支払う必要はない

私も当初は四日市でのサヨナラを考えていたが、ここはあえてJRの駅ではない鈴鹿を選んだ。今回の旅の主旨に合っているような気がしたからだ

私にとっては最後なので勇姿は動画で見送ることに

18きっぷは使えません

両端でJRと接続し、JRの列車がバンバン走る伊勢鉄道は三セクのため、河原田~津の同線区間は青春18きっぷは使えない。ただし青空フリーパスは使える。在来線特急は特急券だけ買えば乗車できるという青空フリーパスのルール通り、特急も乗れる。1日4往復の特急に13往復もの快速が走るのだから、この特例がなければ面倒でしょうがないし、伊勢や鳥羽方面へと向かう人の利用はなくなってしまうだろう。また、後の記事で触れるが、この特例が伊勢鉄道の歴史そのものでもある

鈴鹿駅は高架駅。というか、伊勢鉄道そのものが、国鉄伊勢線時代から、ほとんど高架の高規格路線となっている。こちらもまとめて後の記事で触れるが、簡単に説明すると、近鉄に対抗する路線として大いに期待されて建設されたものの、国鉄が使いこなせず、三セク転換後に重要度が理解された、ということ

高架駅ではあるものの、階段しかない。「鈴鹿」を名乗り、鈴鹿市の代表駅のようでもあるが、周辺は普通の住宅街で、ちょっと寂しさも漂う

近鉄鈴鹿線の鈴鹿市駅から終点の平田町にかけてが、あえて言えば町の中心地。当駅から鈴鹿市駅までは徒歩で10分以上かかり、市役所も鈴鹿市駅の方が近い。ホンダの町でもあるのでホテル需要も多いが、ホテルや商業施設、飲食店は近鉄鈴鹿線沿線に集まる

「あえて言えば」と記したのは、鈴鹿市が多くの自治体が集まってできた都市のため。軍事関連の工場や施設が多く、戦時中に軍の強い要請で鈴鹿市が誕生した。だから市役所から離れている近鉄名古屋線の白子駅付近も町の中心部のひとつとなる。ちなみに国鉄伊勢線ができるまで、国鉄の鈴鹿駅は現在の河曲(かわの)駅(関西本線)が名乗っていたが、今だったら「鈴鹿駅で降りたけど川があるだけ」と別の話題になりそうなところにある

それでも「鈴鹿」を名乗るだけに有人駅できっぷ販売の窓口もある。というか伊勢鉄道唯一の有人駅(接続駅の津はのぞく)だ

渋い入口を入ると

同線ゆかりのものが陳列されている

これはなかなか貴重

よく見ると国鉄伊勢線関連のものもあるようだ

すっかり癒やされて、後は伊勢鉄道の各駅8駅を巡るべく、同社の単行車両に乗り込むことにする

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

永遠の未成線・名松線を全駅訪問~ゴールは不屈の路線のかつての終着駅

井関駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢鎌倉15時27分→井関16時10分

伊勢鎌倉から松阪行きに乗ります。井関で降りれば、名松線の14駅(松阪のぞく)の全駅訪問となります。家城はどうやっても長時間停車で訪問となるのですが、先に伊勢奥津、一志、伊勢八太の3駅を終えておいて良かったです。特に伊勢八太に関しては居眠りによる乗り過ごしという副産物。当日は「あちゃー」でしたが、その1駅分が効いています

年明けの訪問では乗客全員が…

話を少しだけ戻します

今年1月8日に伊勢奥津を訪ねた時のこと

この時は前日に廃駅の池の浦シーサイドなどを訪問して松阪泊。翌日は始発で出発。伊勢奥津で折り返して一志で下車。近鉄に乗り換えて津に行き、再びJRに乗車。紀勢本線で亀山→柘植を経て信楽鉄道に乗車しました

年明け早々の日曜日でしたが松阪からの乗車は数人。一志でさらに数人が乗り込んできて、これは雰囲気で分かったのですが、おそらくは同業者(鉄道ファン)ばかり。学校もお休みの始発には地元の方の利用が少ないことは理解しているつもりでしたが、誰も途中駅で降りない。となると、ますます同業者色が濃くなり、降りる時に分かったのですが、11人の乗客全員が青春18きっぷの利用者でした。フリーきっぷの利用は路線の実績になりませんので、数字的には、この日、この時間帯の乗客は0人、運賃収入も0円ということになります

この例で分かるように、名松線の利用者はそう多くない、というかかなり少ない。特に家城から山中に入っていく伊勢奥津までの区間は、そもそも住民が少なく、モータリゼーションの浸透とは異なる側面で利用者が大幅に減っています

名松線が何度も廃線危機に面したことは

この時にも触れましたが、最大の危機は2009年10月の台風被害で家城~伊勢奥津の数十カ所で崩落などの被害が出て、JR東海が打ち出したのは「JR運行によるバス代行」。この山中は過去にもたびたび台風被害を受けており、1982年には全線が10カ月にもわたって運休したこともあります

JR側は「今後も同様の被害に遭う可能性がある」としてJR路線そのままの運賃でのバス転換を提案。公式見解にはありませんでしたが赤字路線だったことが大きな要因であることは明らかです。この時点で、赤字地方交通線の対象から外れた、平行する代替道路未整備の問題は、ほぼ解決していました

これに対し、路線維持を望む津市や三重県の対応は迅速でJR側が出した山間部や河川部の修復や将来にわたる維持責任についても受け入れ、治水、治山工事は自治体が行うことで問題は解決。2016年3月に6年半という長期間の運休を経て全面復旧しました。いわば盲腸線ともいえる路線でのこのような復旧は奇跡的。不屈の路線です

以前の終着駅は利用者最小

井関に到着しました。これで全駅訪問完了。付け加えると、すべての駅で乗車もしくは下車を行うことができました

ちなみに「いせぎ」と読みます。微妙に難読です

名松線は1929年8月に松阪~権現前が開通した後、1930年3月に当駅までが開通しました。1931年9月に家城までが開通したので1年半の間、終着駅だったことになります

ただし現状はこのような感じで、基礎部分が残っているため、ここに駅舎があったと考えられますが、正式な記録が出てきませんでした。構内も広く、かつてはすれ違い可能だったような構造ですが、現在は1面

待合所は古いもののようで財産票があったので見ると

1929年(昭4)とありました。駅の開業は1930年3月なので3カ月もさかのぼって待合所ができたことになりますが、古いものであることは間違いないようです

この井関駅ですが、松阪~一志と伊勢大井~家城の平野部のちょうど中間にあり、この部分だけが山中となっていて周囲に民家は少ない。利用者は名松線で最小となっています

ある意味、ゴールにふさわしい場所だったかもしれません

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

永遠の未成線・名松線を全駅訪問~山中にポツンと一駅

伊勢鎌倉駅の駅名標

2023年3月15日

寸前で勘違いに気付く危機一髪

駅前のバス停で待ちます。この日わずか1回のバス利用ですが、訪問日を水曜日に設定したことの意義は、この一本のためにあります。コミュニティバスに乗車するのですが、ご覧の通り、月水金と週に3回のみの運行しかありません。このバスは伊勢奥津、比津、伊勢八知、伊勢鎌倉、伊勢竹原そして家城と名松線の家城~伊勢奥津の各駅に立ち寄ります。駅訪問者としては、大変有意義なものなのですが、比津駅の項でも記したように列車との接続があまりにも良すぎて、なかなか利用しにくい。ただ写真の時刻表にある14時49分発のバスについては伊勢鎌倉駅で20分ほど過ごすことができます

そんなことを考えながら手元のメモを見ると、時間が微妙に違うことに気付きます。バスや徒歩を絡める駅訪問の場合、間違いのないよう必ず用紙にメモ書きするようにしているのですが、発車時刻は14時50分と自分で書いています。10分違いや1時間の間違いはメモ書きする際、よくあることですが、49分と50分を書き間違うのは、ちょっと考えられない

疑問に思い、時刻表の下にある路線図を見ると、伊勢竹原駅前の停留所は美杉東ルートにあり、伊勢鎌倉駅へ向かう美杉西ルートのバスはここからは出ない。ひとつ手前の「竹原」という停留所で東西ルートが分岐しているようで、メモにも「竹原」と書かれていました

時刻は14時45分。大変マズい。大いに焦りましたが乗り場は徒歩3分ほどの所でホッと一安心

停留所があったのは防災センターという建物。広い駐車場があって特産品売り場も併設。現地のバスターミナルとしての役割も果たしているようです。伊勢竹原駅前には自販機がなくて困ったのですが、こちらにありました。駅にはないお手洗いもあります

こちらは間違いないよう。駅からだと線路沿いに100メートルほど歩いた場所にあります。ここから雲出川をはさんで2つのルートに分かれて伊勢奥津駅を目指すようです

バスがやってきました。ギリギリで気付いて良かった

竹原14時50分→バス→伊勢鎌倉駅前15時02分

バスはさらに山中を進み、山深い道路に設置された停留所に到着

県道から中に少し入り込んだ所に駅はありました。もう半月もすれば、桜がきれいにホームを彩るのでしょう

駅から道路側を見ると、こんな感じ。奥は突き当たり。駅前通りの左右に1軒ずつ民家がありますが、人の気配はありません。一部は朽ちたりしている

何もないところにあえて設置

駅周辺の地図を改めて見ると

地図に書き込むことがないぐらい何もない。そして伊勢竹原駅の項でも説明した県道15号は駅の手前でトンネルをくぐっている。おそらく道路改良によってトンネルができたのでしょうが、県道にもパスされる駅となっています

それでも当駅は1935年の家城~伊勢奥津開業時に八知村の熱心な働きかけによってできた駅。なぜ、このような不便な所にあるかというと地形を見ればなんとなく分かる

駅は雲出川が蛇行する場所に設置され、名松線はこの前後で2度川を渡ります。駅に近い徒歩10分ほどの集落は、線路から見ると川を渡った向こう側にあり、同じ側に設置するには、この場所しかなかったのだと思われます

単式ホームと待合所のみ。かつては駅舎があった記録は残りますが、その痕跡らしきものはありません

ホームの向こう側は農地そして川。高台にあるため景色はいいですが、住宅らしきものは何もありません。桜の季節でも新緑の季節でも、紅葉、降雪の季節でもない時期に来てしまいましたが、四季の移り変わりはよく分かりそう

「いつまでも愛し育てよう名松線」

松阪行きがやってきました

ホームには私一人。最後の訪問駅となる井関へと向かいます

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります

永遠の未成線・名松線を全駅訪問~原風景の駅とオサルさん

伊勢竹原駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢川口13時39分→伊勢竹原14時06分

再び家城をまたいで山中に入ってきました。何度も繰り返していますが、名松線は家城を境に雰囲気が一変します。家城からたった1駅で周辺は山に囲まれます。そして

素晴らしい木造駅舎が残る伊勢竹原駅

財産票によると1935年12月。開業時の駅舎がそのまま

駅名も右から左に書かれている。これだけでグッときてしまいます。駅舎そのものが少ない名松線ですが開業時からの駅舎は家城とこちらだけです(一志は駅の場所が変わって駅名変更された際に建てられたもの)

周辺も懐かしい景色が連なる

かつては貨物の取り扱いもあり、ヤードが残ります。おそらく材木輸送でしょう

到着時の写真で側線が写っていますが、こちらはすれ違い用のレール跡ではなく、単式ホーム+貨物側線で開業時から列車交換の設備はなかったようです

駅前は、そのまま映画の一場面になりそうな風景

地図にある県道15号と雲出川(くもずがわ)は名松線の「お友達」。県道は久居美杉線と言って、名松線の存続理由となった「道路状況困難」から徐々に改良され、まだ細い部分は残りますが伊勢奥津までつながっています。雲出川は奈良県の県境付近の源流から伊勢湾へと向かい、それぞれ県道は伊勢奥津から一志あたりまで、雲出川は伊勢大井あたりまでずっと寄り添います。特に雲出川については渓谷を生かした川沿いにレールが敷かれたことがよく分かる

ちなみに、県道と川はこの日の私にもお友達(笑)。駅間徒歩の間は多くの時間を共有しました

駅前広場の突き当たりでバスの時刻を確認。結局、この日1回だけの利用となるバスです

駅の方向を振り返ってみると、駅に最も近い民家は、かつて駅前旅館だったような雰囲気でした

予期せぬ来客

バスの待ち時間が40分ほどあるため、貴重な駅舎でランチタイムとすることに

国鉄末期の1986年まで有人駅として頑張っていた伊勢竹原。木造で統一された駅舎の中で窓口のみシャッターとなっていることが、それを証明しています

現在の利用者は1日に十数人のようで、私の訪問時は「貸切」。ランチといっても上ノ庄駅近くのコンビニで購入したおにぎりです。ムシャムシャ食べ始めると何か目の前を横切った。というか、一度立ち止まってこちらがのぞかれたような感覚がある

オサルさん!

目があってしまった。比津駅付近で見た鹿については、まぁいるだろうな、という感覚でしたが、サルがいるとの情報は知らなかったのでビックリしてしまいました。しかもちょうどおにぎりを手に立ち上がった状態。「強盗」に遭ったらどうしよう。正直ビビッた。入口の木戸は閉まるのか、などと身構えると

どうやら目的は別にあったようで、ひとつを手にして素早く去っていきました。ホッと一安心

とはいえUターンされるとマズいので、猛烈なスピードでおにぎりを食べ、ゴミごとバッグにしまい込みました。思わぬ珍客でしたが、ずっとここに住んでいる向こうにとっては私の方が予期せぬ来客だったのかもしれません

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります