JR東海

三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問3~今年もF1がやって来る

鈴鹿サーキット稲生駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日

日本グランプリは9月22~24日

伊勢鉄道の駅では鈴鹿よりも知名度が高い駅かもしれない

鈴鹿サーキット稲生駅に到着。「稲生」を「いのう」と読むのが意外と難読。稲生はれっきとした地名で、国鉄伊勢線が開業した1973年(昭和48)9月1日に同時開業となったが、当時の駅名は単に稲生。87年の三セク転換時に現駅名となり、全国に知られる存在となった

ただし徒歩で約30分。おそらくF1のような大イベント時は、人出も多いので、もっとかかるかもしれない。当駅から鈴鹿サーキットまではバス路線もない。それでも大イベントの開催時、多くの人が当駅から歩いてエキゾーストノートの調べを目指す

ふだんは静かな小さい駅

私は鈴鹿サーキットには数え切れないほど訪れたが、当駅に降り立ったのは実は初めて。「もっとかかるかもしれない」と書いたのは、そのためだ。大阪から行く場合は近鉄特急で白子まで行き、バスまたはタクシーとなる。レース開催時は鈴鹿市内のホテルはなかなか取れないので四日市によく宿泊したが、それも同様。幸運にも鈴鹿市内に宿が確保できた場合は近鉄鈴鹿線の終着駅である平田町周辺が多かったので、その場合は平田町までタクシーである(F1開催時は三重県内では間に合わず名古屋市内のホテルも混雑する)。いずれにせよ鈴鹿サーキットまでバスが出ている駅は白子だけ。では白子駅に行けばいいのではないかと思われる方も多いかもしれないが、大イベント時は白子からバスに乗るのも、満員が多く、なかなか順番が回って来ず苦労するし、タクシーもない。バスだと白子から20分。延々とバス待ちをして満員の車内で20分揺られるなら、鈴鹿サーキット稲生から30分近く歩いた方がマシ、と考えるのは当然の流れ。私の場合は仕事上、レース開始のかなり前の時間に着いて、サーキットを離れるのもレース終了後、かなり経ってからなので混雑を避ける形になっていたがレースに合わせての移動となると、結果的に徒歩の方が早くなる

その鈴鹿サーキット稲生だが、駅の規模は大きくはなく、むしろ小さい。シケインをイメージした階段にサーキットを感じさせるのみである

私なんぞは「オ~ッ」と思ってしまったが、モータースポーツに関心がないと何も感じないかもしれない

そして鈴鹿サーキットの名を冠するものの、死角になっていて駅から鈴鹿サーキットは見えない。ただ車の音は聞こえる。サーキットが見えるのは、お隣の德田に向かう車窓からだ

年に一度のお祭り

上り下りのホーム移動はホーム外の道路を通る。もちろん無人駅。駅舎もない。ただF1開催時の臨時列車に備え、ホーム有効長は6両分確保されている

ただF1開催時は様相が一変。臨時のきっぷ売り場や仮設トイレが設けられる。基本的にワンマン運転の普通も車掌さんが乗車。名古屋始発で当駅が終着となる臨時特急、その名もズバリの「鈴鹿グランプリ」が2往復運行されるほか、特急南紀も一部停車。快速「みえ」に至っては全列車が臨時停車。とにかく年に一度のお祭りである。

伊勢鉄道のホームページがなかなか興味深く、F1開催時の当駅の案内があるのだが「伊勢鉄道でIC乗車はできません。JRの駅からIC乗車すると精算の必要があります」「きっぷ売り場は現金のみ」「レース後は駅も混雑するため乗車まで時間がかかる場合があります」といった注意点が記されているのだが、最後にそれらをまとめる形になっていて最初に出てくるのが「鈴鹿サーキット稲生駅利用の不便さ」で注意事項を改めて列挙。最後に「…枚挙にいとまがありません」と締めくくられていて、ちょっと笑ってしまった。その次にようやく「鈴鹿サーキット稲生駅利用の良さ」の項目。鉄道会社がまず不便さからスタートするのはユニークだ。その「良さ」も「それでも鈴鹿サーキット稲生駅をご利用になられる方がたくさんおみえです」から始まり、なかなかウィットに富んでいる。こちらは実際に閲覧していただきたい

ホームの名所案内。当然鈴鹿サーキットが最初だが、随分とお堅い表現だ。ちなみに鈴鹿サーキットは単なるレースコースと思われている方も多いかもしれないが、記されている通り、遊園地のほか、ホテル、キャンプ場、プールなども備えた総合レジャーランドである

稲生ガイドマップがあったが、こちらはいつからのものだろうか。鈴鹿サーキットを避けるように描かれているのが印象的

なお空前のF1ブームが訪れるのは、昭和の終わりから平成初期にかけてのこと。87年(昭和62)から日本GPが鈴鹿で毎年開催となったことが大きい(2007、08年は富士スピードウェイ開催)。奇しくも国鉄伊勢線から三セク伊勢鉄道転換の年だった

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三セクの優等生・伊勢鉄道を全駅訪問~JRの特急と別れを惜しむ

鈴鹿駅の駅名標

※訪問は2023年5月20日、音声注意

名古屋から南紀に乗車

5月20日の朝8時前、私は名古屋駅にいた

手元には週末に発売される青空フリーパス、そして鈴鹿までの自由席特急券

JR東海の気動車特急として活躍してきたキハ85が6月で卒業を迎える。残念ながら6月に来る予定はなさそうなので、一足先に「お別れ」するのと同時に伊勢鉄道の全駅訪問を行うというのが、この日の趣旨である

1両だけの自由席は発車の10分前で大にぎわい。どこからどう見ても同業者(鉄道ファン)だらけ、という車内。何とか通路側の座席に着席。津方面へ向かう際、自由席は最後部の車両となる。つまり名古屋へのお帰りは先頭車両でパノラマビューとなる。私も10年ほど前、わざわざ紀伊勝浦から乗り込んだことがある。さすがに最前列は確保できなかったが、それでも前から3列目に座れた記憶がある

紀伊勝浦までは4時間の道程だが、多数の方が折り返してのパノラマビューを目指しているようだ。そんな中、私は40分ほどの乗車で鈴鹿下車。私一人。この前後に普通も快速「みえ」もやって来る。鈴鹿が目的なら、追加料金を支払う必要はない

私も当初は四日市でのサヨナラを考えていたが、ここはあえてJRの駅ではない鈴鹿を選んだ。今回の旅の主旨に合っているような気がしたからだ

私にとっては最後なので勇姿は動画で見送ることに

18きっぷは使えません

両端でJRと接続し、JRの列車がバンバン走る伊勢鉄道は三セクのため、河原田~津の同線区間は青春18きっぷは使えない。ただし青空フリーパスは使える。在来線特急は特急券だけ買えば乗車できるという青空フリーパスのルール通り、特急も乗れる。1日4往復の特急に13往復もの快速が走るのだから、この特例がなければ面倒でしょうがないし、伊勢や鳥羽方面へと向かう人の利用はなくなってしまうだろう。また、後の記事で触れるが、この特例が伊勢鉄道の歴史そのものでもある

鈴鹿駅は高架駅。というか、伊勢鉄道そのものが、国鉄伊勢線時代から、ほとんど高架の高規格路線となっている。こちらもまとめて後の記事で触れるが、簡単に説明すると、近鉄に対抗する路線として大いに期待されて建設されたものの、国鉄が使いこなせず、三セク転換後に重要度が理解された、ということ

高架駅ではあるものの、階段しかない。「鈴鹿」を名乗り、鈴鹿市の代表駅のようでもあるが、周辺は普通の住宅街で、ちょっと寂しさも漂う

近鉄鈴鹿線の鈴鹿市駅から終点の平田町にかけてが、あえて言えば町の中心地。当駅から鈴鹿市駅までは徒歩で10分以上かかり、市役所も鈴鹿市駅の方が近い。ホンダの町でもあるのでホテル需要も多いが、ホテルや商業施設、飲食店は近鉄鈴鹿線沿線に集まる

「あえて言えば」と記したのは、鈴鹿市が多くの自治体が集まってできた都市のため。軍事関連の工場や施設が多く、戦時中に軍の強い要請で鈴鹿市が誕生した。だから市役所から離れている近鉄名古屋線の白子駅付近も町の中心部のひとつとなる。ちなみに国鉄伊勢線ができるまで、国鉄の鈴鹿駅は現在の河曲(かわの)駅(関西本線)が名乗っていたが、今だったら「鈴鹿駅で降りたけど川があるだけ」と別の話題になりそうなところにある

それでも「鈴鹿」を名乗るだけに有人駅できっぷ販売の窓口もある。というか伊勢鉄道唯一の有人駅(接続駅の津はのぞく)だ

渋い入口を入ると

同線ゆかりのものが陳列されている

これはなかなか貴重

よく見ると国鉄伊勢線関連のものもあるようだ

すっかり癒やされて、後は伊勢鉄道の各駅8駅を巡るべく、同社の単行車両に乗り込むことにする

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~ゴールは不屈の路線のかつての終着駅

井関駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢鎌倉15時27分→井関16時10分

伊勢鎌倉から松阪行きに乗ります。井関で降りれば、名松線の14駅(松阪のぞく)の全駅訪問となります。家城はどうやっても長時間停車で訪問となるのですが、先に伊勢奥津、一志、伊勢八太の3駅を終えておいて良かったです。特に伊勢八太に関しては居眠りによる乗り過ごしという副産物。当日は「あちゃー」でしたが、その1駅分が効いています

年明けの訪問では乗客全員が…

話を少しだけ戻します

今年1月8日に伊勢奥津を訪ねた時のこと

この時は前日に廃駅の池の浦シーサイドなどを訪問して松阪泊。翌日は始発で出発。伊勢奥津で折り返して一志で下車。近鉄に乗り換えて津に行き、再びJRに乗車。紀勢本線で亀山→柘植を経て信楽鉄道に乗車しました

年明け早々の日曜日でしたが松阪からの乗車は数人。一志でさらに数人が乗り込んできて、これは雰囲気で分かったのですが、おそらくは同業者(鉄道ファン)ばかり。学校もお休みの始発には地元の方の利用が少ないことは理解しているつもりでしたが、誰も途中駅で降りない。となると、ますます同業者色が濃くなり、降りる時に分かったのですが、11人の乗客全員が青春18きっぷの利用者でした。フリーきっぷの利用は路線の実績になりませんので、数字的には、この日、この時間帯の乗客は0人、運賃収入も0円ということになります

この例で分かるように、名松線の利用者はそう多くない、というかかなり少ない。特に家城から山中に入っていく伊勢奥津までの区間は、そもそも住民が少なく、モータリゼーションの浸透とは異なる側面で利用者が大幅に減っています

名松線が何度も廃線危機に面したことは

この時にも触れましたが、最大の危機は2009年10月の台風被害で家城~伊勢奥津の数十カ所で崩落などの被害が出て、JR東海が打ち出したのは「JR運行によるバス代行」。この山中は過去にもたびたび台風被害を受けており、1982年には全線が10カ月にもわたって運休したこともあります

JR側は「今後も同様の被害に遭う可能性がある」としてJR路線そのままの運賃でのバス転換を提案。公式見解にはありませんでしたが赤字路線だったことが大きな要因であることは明らかです。この時点で、赤字地方交通線の対象から外れた、平行する代替道路未整備の問題は、ほぼ解決していました

これに対し、路線維持を望む津市や三重県の対応は迅速でJR側が出した山間部や河川部の修復や将来にわたる維持責任についても受け入れ、治水、治山工事は自治体が行うことで問題は解決。2016年3月に6年半という長期間の運休を経て全面復旧しました。いわば盲腸線ともいえる路線でのこのような復旧は奇跡的。不屈の路線です

以前の終着駅は利用者最小

井関に到着しました。これで全駅訪問完了。付け加えると、すべての駅で乗車もしくは下車を行うことができました

ちなみに「いせぎ」と読みます。微妙に難読です

名松線は1929年8月に松阪~権現前が開通した後、1930年3月に当駅までが開通しました。1931年9月に家城までが開通したので1年半の間、終着駅だったことになります

ただし現状はこのような感じで、基礎部分が残っているため、ここに駅舎があったと考えられますが、正式な記録が出てきませんでした。構内も広く、かつてはすれ違い可能だったような構造ですが、現在は1面

待合所は古いもののようで財産票があったので見ると

1929年(昭4)とありました。駅の開業は1930年3月なので3カ月もさかのぼって待合所ができたことになりますが、古いものであることは間違いないようです

この井関駅ですが、松阪~一志と伊勢大井~家城の平野部のちょうど中間にあり、この部分だけが山中となっていて周囲に民家は少ない。利用者は名松線で最小となっています

ある意味、ゴールにふさわしい場所だったかもしれません

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~山中にポツンと一駅

伊勢鎌倉駅の駅名標

2023年3月15日

寸前で勘違いに気付く危機一髪

駅前のバス停で待ちます。この日わずか1回のバス利用ですが、訪問日を水曜日に設定したことの意義は、この一本のためにあります。コミュニティバスに乗車するのですが、ご覧の通り、月水金と週に3回のみの運行しかありません。このバスは伊勢奥津、比津、伊勢八知、伊勢鎌倉、伊勢竹原そして家城と名松線の家城~伊勢奥津の各駅に立ち寄ります。駅訪問者としては、大変有意義なものなのですが、比津駅の項でも記したように列車との接続があまりにも良すぎて、なかなか利用しにくい。ただ写真の時刻表にある14時49分発のバスについては伊勢鎌倉駅で20分ほど過ごすことができます

そんなことを考えながら手元のメモを見ると、時間が微妙に違うことに気付きます。バスや徒歩を絡める駅訪問の場合、間違いのないよう必ず用紙にメモ書きするようにしているのですが、発車時刻は14時50分と自分で書いています。10分違いや1時間の間違いはメモ書きする際、よくあることですが、49分と50分を書き間違うのは、ちょっと考えられない

疑問に思い、時刻表の下にある路線図を見ると、伊勢竹原駅前の停留所は美杉東ルートにあり、伊勢鎌倉駅へ向かう美杉西ルートのバスはここからは出ない。ひとつ手前の「竹原」という停留所で東西ルートが分岐しているようで、メモにも「竹原」と書かれていました

時刻は14時45分。大変マズい。大いに焦りましたが乗り場は徒歩3分ほどの所でホッと一安心

停留所があったのは防災センターという建物。広い駐車場があって特産品売り場も併設。現地のバスターミナルとしての役割も果たしているようです。伊勢竹原駅前には自販機がなくて困ったのですが、こちらにありました。駅にはないお手洗いもあります

こちらは間違いないよう。駅からだと線路沿いに100メートルほど歩いた場所にあります。ここから雲出川をはさんで2つのルートに分かれて伊勢奥津駅を目指すようです

バスがやってきました。ギリギリで気付いて良かった

竹原14時50分→バス→伊勢鎌倉駅前15時02分

バスはさらに山中を進み、山深い道路に設置された停留所に到着

県道から中に少し入り込んだ所に駅はありました。もう半月もすれば、桜がきれいにホームを彩るのでしょう

駅から道路側を見ると、こんな感じ。奥は突き当たり。駅前通りの左右に1軒ずつ民家がありますが、人の気配はありません。一部は朽ちたりしている

何もないところにあえて設置

駅周辺の地図を改めて見ると

地図に書き込むことがないぐらい何もない。そして伊勢竹原駅の項でも説明した県道15号は駅の手前でトンネルをくぐっている。おそらく道路改良によってトンネルができたのでしょうが、県道にもパスされる駅となっています

それでも当駅は1935年の家城~伊勢奥津開業時に八知村の熱心な働きかけによってできた駅。なぜ、このような不便な所にあるかというと地形を見ればなんとなく分かる

駅は雲出川が蛇行する場所に設置され、名松線はこの前後で2度川を渡ります。駅に近い徒歩10分ほどの集落は、線路から見ると川を渡った向こう側にあり、同じ側に設置するには、この場所しかなかったのだと思われます

単式ホームと待合所のみ。かつては駅舎があった記録は残りますが、その痕跡らしきものはありません

ホームの向こう側は農地そして川。高台にあるため景色はいいですが、住宅らしきものは何もありません。桜の季節でも新緑の季節でも、紅葉、降雪の季節でもない時期に来てしまいましたが、四季の移り変わりはよく分かりそう

「いつまでも愛し育てよう名松線」

松阪行きがやってきました

ホームには私一人。最後の訪問駅となる井関へと向かいます

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~原風景の駅とオサルさん

伊勢竹原駅の駅名標

2013年3月15日

伊勢川口13時39分→伊勢竹原14時06分

再び家城をまたいで山中に入ってきました。何度も繰り返していますが、名松線は家城を境に雰囲気が一変します。家城からたった1駅で周辺は山に囲まれます。そして

素晴らしい木造駅舎が残る伊勢竹原駅

財産票によると1935年12月。開業時の駅舎がそのまま

駅名も右から左に書かれている。これだけでグッときてしまいます。駅舎そのものが少ない名松線ですが開業時からの駅舎は家城とこちらだけです(一志は駅の場所が変わって駅名変更された際に建てられたもの)

周辺も懐かしい景色が連なる

かつては貨物の取り扱いもあり、ヤードが残ります。おそらく材木輸送でしょう

到着時の写真で側線が写っていますが、こちらはすれ違い用のレール跡ではなく、単式ホーム+貨物側線で開業時から列車交換の設備はなかったようです

駅前は、そのまま映画の一場面になりそうな風景

地図にある県道15号と雲出川(くもずがわ)は名松線の「お友達」。県道は久居美杉線と言って、名松線の存続理由となった「道路状況困難」から徐々に改良され、まだ細い部分は残りますが伊勢奥津までつながっています。雲出川は奈良県の県境付近の源流から伊勢湾へと向かい、それぞれ県道は伊勢奥津から一志あたりまで、雲出川は伊勢大井あたりまでずっと寄り添います。特に雲出川については渓谷を生かした川沿いにレールが敷かれたことがよく分かる

ちなみに、県道と川はこの日の私にもお友達(笑)。駅間徒歩の間は多くの時間を共有しました

駅前広場の突き当たりでバスの時刻を確認。結局、この日1回だけの利用となるバスです

駅の方向を振り返ってみると、駅に最も近い民家は、かつて駅前旅館だったような雰囲気でした

予期せぬ来客

バスの待ち時間が40分ほどあるため、貴重な駅舎でランチタイムとすることに

国鉄末期の1986年まで有人駅として頑張っていた伊勢竹原。木造で統一された駅舎の中で窓口のみシャッターとなっていることが、それを証明しています

現在の利用者は1日に十数人のようで、私の訪問時は「貸切」。ランチといっても上ノ庄駅近くのコンビニで購入したおにぎりです。ムシャムシャ食べ始めると何か目の前を横切った。というか、一度立ち止まってこちらがのぞかれたような感覚がある

オサルさん!

目があってしまった。比津駅付近で見た鹿については、まぁいるだろうな、という感覚でしたが、サルがいるとの情報は知らなかったのでビックリしてしまいました。しかもちょうどおにぎりを手に立ち上がった状態。「強盗」に遭ったらどうしよう。正直ビビッた。入口の木戸は閉まるのか、などと身構えると

どうやら目的は別にあったようで、ひとつを手にして素早く去っていきました。ホッと一安心

とはいえUターンされるとマズいので、猛烈なスピードでおにぎりを食べ、ゴミごとバッグにしまい込みました。思わぬ珍客でしたが、ずっとここに住んでいる向こうにとっては私の方が予期せぬ来客だったのかもしれません

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~徒歩で迷い大ピンチ

権現前駅の駅名標

2023年3月15日

伊勢八知9時49分→上ノ庄10時54分

伊勢八知から一気に松阪のひとつ手前となる上ノ庄まで戻ります。途中、例によって家城で長めの停車があるため、約30キロを1時間近い乗車

すっかり平野部。その中にホームと待合所のみの駅がポツンとある。松阪から家城までの各駅はほとんど、そんな感じです

こうして改めて地図を見ると、松阪からしばらくは近鉄とほぼ並行して線路が走っていることが分かります。徒歩3分ほどの一志と川合高岡の乗り換え以外は、すぐに徒歩で行ける距離ではありませんが、それでも近鉄とJRの各駅はいずれも徒歩30分ほどで行き来できる距離感です。もっとも利用人員も列車本数も競合というレベルには達しておらず、野球だと「コールドゲーム」のような状態

上ノ庄駅の駅名標

ホームと逆側を県道が走っています。駅には県道から踏切を渡った小径から入る。名松線で唯一の「戦後生まれ」の駅で1960年開業。つまり最も新しい駅で、今後もずっと、その立場は変わらないはず

この駅のポイントは県道を渡った至近にコンビニのミニストップがあること。松阪から1駅というのが、どうかという感じですが、ホームから見えるのは当駅だけ(伊勢八知駅のコンビニは車窓から分かる)

飛び出し注意でコンビニに向かう。松阪から1駅といっても、私は7時から活動開始しているので11時前と良い時間。ありがたい存在でした

伊勢八知11時→徒歩→権現前11時35分

ということで、お隣の権現前駅までは再び徒歩(泣)。この後もまた徒歩が出ますが、こればっかりはどうしようもありません。松阪~家城間は名松線の駅と駅を結ぶバスというのが、ほとんどなく、ここは徒歩しかないのです

ということで県道をトボトボ歩きます。最初の比津駅付近とは異なり、こちらは交通量は多い。そしてほぼ平坦道路。名松線というと秘境の山中を走る路線というイメージの方が多いのですが、それは家城~伊勢奥津間のこと。松阪から家城までは住宅街と農地が続く平野部を走ります

上ノ庄と権現前は列車で2・8キロ。そして道路も2・8キロ。ほぼ並行しているので同距離となります。次の権現前発伊勢奥津行きは11時43分。おそらくいい感じで間に合うはず。ただ上ノ庄と同じく駅の入口は県道には面していないため、どこかで線路を渡る必要があります

それでもこのあたりはずっと住宅地が続いている場所。どこかの踏切を適当に渡れば駅に連れていってくれるだろうと携帯アプリにも頼らず進んでいくと、早めに渡りすぎたようで線路沿いの道が消えて焦る

途中、古典的な広告看板を見たり

寺社の参拝道のような所を通りますが、見とれている暇はない

何とか駅の入口に到達したのは自分の予測時間をはるかにオーバーしてからでした。ここで逃すと2時間待ちになってしまうので冷や汗でした

歴史を感じるそそる駅名

権現前駅も単式ホームと待合所のみの駅ですが、上ノ庄駅とは少し趣を異にしていて、1929年に松阪から線路が伸びてきた時、半年ほどは終着駅だったこと。そのためかつてはすれ違い可能だった面影が残ります

ホームの裏側には広い空き地。柵で入れませんが貨物を取り扱っていた跡のようにも思えます。ローマ字表記は「gongemmae」なんですね

「権現前」という、妙にそそる駅名は近くにある須加神社に基づくもの。駅の住所は松阪市嬉野権現前町。2005年まであった旧嬉野町の町役場も神社近くですが、町の中心駅というと少し離れてはいますが、近鉄特急も停車する伊勢中川になるようです

とにかく間に合ったので、再び伊勢中川方面へと向かいます

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~昭和、平成と廃線危機乗り越え

伊勢八知駅の駅名標

2023年3月15日

比津9時→徒歩→伊勢八知9時35分

朝の気温は10度ぐらいで晴天、無風と徒歩には絶好の天候となったことが、この日最大の幸運でした

私の見立てでは下り坂を40分もかからず伊勢八知駅に到達できて9時49分発の松阪行きに乗り込めるはずですが、ちょっと道に迷うと大変なので急ぎ足

鳥のさえずりが聞こえます。そしてもっと暖かくなると、いろいろな動物に会えるのでしょうが(会いたい会いたくないは別として)、頭上でガサゴソと音がするので身構えたら親子と思われるシカが山の崖に沿って歩いている。器用に歩くなぁ、と感心しながら歩を進めていきます

それでも30分近く歩くと人里に突入。ゴールは近いようです。ホッとする瞬間です

グーグル地図で徒歩を選ぶと国道を迂回する3時間超コースが出てくるので車コースで表示します。おそらくそう広い道路ではないので歩くと危険という判断なのかもしれませんが、平日の朝9時という活動的な時間にもかかわらず、車にはほとんど出会いませんでした

赤字83線と特定地方交通線で唯一の存在

国鉄全盛期と言われた昭和む30年代から10年近くが経ち、国鉄は赤字のローカル線の廃止を検討し始めます。全国に鉄道網を広げることで拡大されていった国鉄において「廃線」という言葉は、ある意味タブーでしたが、極端に赤字となっている盲腸線が対象となった「赤字83線」が発表されたのは1968年(昭43)。その中に名松線も含まれていました。理由は「使命を終えた」。先に近鉄が名張を経て大阪までの路線を開設したので、もう要らないということです

この83線は一気に廃線となったわけではなく、地元からの反対もあって廃線となったのは10路線ほど。ほとんどが10キロほどのミニ路線でした。83線の中には今もJRとして存続している路線がいくつもあります

そもそもこの83線指定には矛盾も含まれていて、赤字83線を発表する一方で、開業してもおそらく赤字だろう、という路線の工事が進められていたことも事実

その後、国鉄は巨額の赤字が社会問題化して、さらに強烈な「特定地方交通線」を指定します。1980年(昭55)の国鉄再建法が成立したことによるもので、ここから国鉄民営化の前後までに全国で多くの国鉄線が廃線または三セク転換となりました

83線では廃線を免れた名松線ですが、特定地方交通線の対象にもなりました。しかし「沿線の道路整備が不十分」ということで対象から外れました。このころテレビのニュースでは何かと名松線が取り上げられていました。赤字83線と特定地方交通線の両方で指名を受けながら、現在もJR路線として存続しているのは名松線のみ

そして2009年の台風被害。家城~伊勢奥津間が6年以上も運休することになりましたが、こちらは地元の努力で2016年に復旧。現在に至ります

もっとも私が快適に歩いてきたように現在は道路ができています

旧美杉村の中心駅

大きな集落に出ると、コンビニもあって、すぐ伊勢八知駅

大変立派な駅舎は1988年(昭63)に改築されたもの。左側が研修施設で右側が駅。現在は津市ですが、当時は美杉村の中心駅。美杉村の特産品である美杉杉で造られています。近くには旧村役場(現在は津市美杉庁舎)

こちらが研修施設の玄関

美杉村の機能がほぼ、駅付近に集約されています

駅舎の入口には、これもまた美杉杉の立派な駅名板

簡易委託駅で、窓口では主に近距離のきっぷを販売しているようです。名松線の各駅できっぷ販売をしているのは松阪を除くと家城、伊勢八知のみで貴重な存在

私を終日悩ませる2時間おきのダイヤ

ホームは1面1線。右側の部分にもうひとつホームがあって交換可能駅だった跡が残っています。左側には貨物ヤードの跡地もあります。かつては木材運搬でもにぎわっていたのでしょう

駅で困ったのは自販機がないこと。30分以上歩き、駅にはお手洗いもあることから、安心して缶コーヒーでも、と思ったのですが見当たらず。コンビニの前を通り過ぎてきたのですが、戻る時間はない。そんな人がいるかどうか分かりませんが、比津から歩いてくる場合はコンビニでの買い物を強く推奨します

松阪行きがやってきました。私の他に利用者は一人。乗り込んで次の駅を目指します

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~いきなりの山中徒歩

比津駅の駅名標

2023年3月15日

家城8時25分→比津8時44分

松阪から家城までは平地部分を走っていた名松線は家城から車窓が一転、山中の路線となります。ここからの車窓だけで見どころ十分と言えるかもしれない

約20分で比津に到着。終点・伊勢奥津のひとつ手前の駅

すっかり山中。これは日本全国の駅に言えることなのでしょうが、今回の名松線は、もう少し後に来ていたら桜がきれいだったんだろうなぁ、という駅が多かった

比津駅も多分に漏れませんが、この駅は少し角度を変えると別の眺望がありました

詳しいことは分かりませんが、この時期に花をつけるもののよう。列車を構図に入れ込んだ写真なら、もっと美しいのでしょうが、乗ってきた列車はここまで私が来る間に去ってしまうし、今から乗車する列車では間に合わない

こちら「駅前通り」。細い道が駅につながっています

駅周辺は小さな集落となっています。駅の開設は伊勢奥津まで線路が延びたのと同時期の1935年。戦前からの歴史を持ちます

実際に降りてみて大きな勘違いをしていたことに気付きました。名松線は過去3回ほど乗車して、もちろん比津駅も通っていますが、ずっと「いい駅舎があるなぁ」と思っていました。そうではなくポツンとある感じの民家でした。誠に失礼。比津は単式ホームと待合所のみの駅です

ここからお隣の伊勢八知駅に向かうわけですが、いきなり

徒歩となりました(泣)

あらゆる手段を考慮した結果

黙々と歩きます

名松線の各駅訪問を行うにあたり、いろいろな手段を考えました。最初の手段はコミュニティーバス。山深い部分にも走っていて、私が利用しようとしたのは月・水・金の週3本運行のバス。週末利用の青空フリーパスではなく青春18きっぷにした理由はそれなんですが、ダイヤを見ると、なかなか微妙なのです。これから向かう伊勢八知駅は旧美杉村の中心駅で当地に向かうコミュニティーバスももちろんあるのですが、バスの時刻はうまく名松線に合わされていて、例えば今回乗車する時間だと伊勢八知駅着は列車の発車3分前とか。渋滞などないので時間通りに到着するのですが、これだと駅舎の写真のみを撮影して終わり、ということになってしまう。ですから利用はちょっと難しい

次に考えたのはレンタサイクルです。伊勢奥津、伊勢八知、家城に自転車貸し出しがあるようで、ポイントが高いのは「乗り捨てOK」なこと。実際は利用していなくてHPを見ただけですが、伊勢奥津で借りた自転車は普通、伊勢奥津が返すところを家城で返しても大丈夫な制度のようです

これはなかなか魅力的で地形的に伊勢奥津から家城にかけては、基本的には下り坂なので、伊勢奥津で借りれば、家城まで20キロほどですが、天候にさえ恵まれれば楽しいサイクリング日和にもなりそうです

しかし考えた末、こちらも却下。これだとマイカーやレンタカーで回るのと、ほとんど変わらないから。やはり現役の駅なのですから、少なくとも乗車や下車のどちらかは利用したいものです。閑散区間では徒歩で訪れ、バスで去るという手段も何回か使っていますが、3駅や4駅続けて乗降なし、というのは北海道以外では過去なく、しかも自宅から2時間もあれば来られるこの地で行うのは、ちょっと筋が違うな、と考えました

その結論が徒歩。伊勢八知まで線路だと3・1キロ。おそらく40分ほどで歩けて伊勢奥津から折り返してくる列車を捕まえられるはずです

渓谷沿いを歩いていきます。予想通り、ずっと下り坂。車はほとんどやって来ません。夜だととてもじゃないけど歩けない。景色にほんの少しだけ癒やされながら歩を進めていきます

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永遠の未成線・名松線を全駅訪問~見どころだらけの家城駅

家城駅の駅名標

2023年3月15日

松阪7時32分→家城8時11分

松阪からの始発は家城行き。ただし家城で伊勢奥津行きに連絡するので実質的には伊勢奥津行きのようなものです

家城に到着(写真は1月8日のもの)。名松線の運行の要です

5年前の夏の甲子園に春夏通して初出場を果たした三重県立白山高校の最寄りとあって、この時間は多くの高校生でにぎわいます。沿線にある高校は基本的にこちらだけ。家城は運行の要だけでなく通学駅としても貴重な存在

列車発着時に窓口の閉まる全線きっぷうりば

旧白山町の町役場最寄り駅は、お隣の関ノ宮駅ですが、戦国時代は家城城があり、駅の周辺は実質的な中心地

名松線はほとんどが待合所のみの駅ですが、当駅は立派な駅舎が健在で松阪を除くと唯一の駅員さんがいる駅。JR東海のみどりの窓口である、全線きっぷうりばもあります

おそらく開業時の1931年来と思われる駅舎が健在で、沿線の写真も展示されています

ただユニークなのは1日上下合わせて列車の発着は十数本しかないにもかかわらず、到着時と発車時は閉鎖されること。私が到着したのは、もちろん列車の到着直後なので窓口は閉鎖されていました

これはどういうことかというと、当駅が名松線で唯一列車交換(すれ違い)できる駅(松阪を除く)だから。名松線の家城~伊勢奥津は現在もスタフ通票による閉塞方式が採用されています。これはJR東海では唯一の存在で、JR全体でも越美北線の越前大野~九頭竜湖とこちらの2カ所しか残っていません

唯一の交換駅でスタフ閉塞が採用されているため、列車の到着時と発車時は駅員さんは、大忙しで基本的らずっとホームにいるため窓口は必然的に閉鎖される。この駅には何度も来ていますが、当然のことながら、私は窓口が開いているところを見たことがない。ある意味、幻の光景

「遮断機」も手動

ホーム間と駅舎への行き来は構内踏切。列車の到着時と出発時はブザーが鳴りますが、それ以外にも「遮断機」があります

遮断機はチェーンブロックで出発間際に駅員さんが渡し

列車が過ぎ去るとチェーンを外すという手作業。なかなか他には見られません

ぜひ一度、見てほしい光景です。家城では必ず列車交換が行われ、通票の手渡しもあるため、長時間停車となるので、名松線に乗車さえすれば確実に見られますよ

ただ、家城のみでの列車交換というシステムが全駅訪問の難易度を高めています

家城発伊勢奥津行きに乗って、目指すのは比津駅となります

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一度やってみたかった名松線と近鉄の乗り換え~その3

川合高岡駅の駅名標

2022年10月29日14時45分

すぐ見えています

いよいよ川合高岡に向かいます。もう今さら「いよいよ」ではないのですが、寝過ごさずに一志駅に到着したと過程すると駅舎を出ると普通に住宅街が目に入ってきます。右手が踏切となっている通りに出て左手を見ると

信号の向こうに見えてます。駅に地図がありました

一目瞭然の近さ。駅前の信号待ちに引っかからなければ徒歩3分ほどで、盛夏でも文句を言わず歩ける距離です

そして地図でも分かる通り、付近は旧一志町の中心地です。一志町の発足は戦後で、それまでは川合村、高岡村が別にあり、駅名はそれにちなんだもので、1930年11月の開設時(当時は参宮急行電鉄ですが近鉄と表記します)から変更されていません

またJR(国鉄)と私鉄というと、国鉄の方が先にできたのだろうと思われる方が多いかもしれませんが、名松線と近鉄大阪線については事情が異なります

川合高岡駅の開設時点では、まだ大阪までの線路はつながっていませんでしたが、わずか1ヶ月後の1930年12月に全線開通しています。同年には急ピッチで現在の伊勢中川~伊勢市(現在の近鉄山田線)も開業しており、大阪から直接、伊勢神宮まで行けるようになりました。12月20日の全通というのは初詣に間に合わせるためのものでしょう

これに対し名松線は名前の通り、松阪から名張を目指して同時期に工事が行われていたものの、近鉄が全通した時点ではまだ家城にも至っておらず1935年に伊勢奥津までたどり着いた時点で工事は中止。もともとは桜井から名張を経て松阪を結ぶ予定でしたが、すべて近鉄が先に線路を通してしまったため、工事を続ける意味がなくなってしまったのです

一志駅は名松線の全通後に伊勢田尻駅として設置されています。つまり川合高岡よりもかなり後。現役名となったのは一志町の発足から10年以上も経ってのことで、町の歴史を考えると代表駅は川合高岡になるのかもしれません

根性で帰阪

川合高岡はの駅舎です

名古屋から出たこの日は亀山で紀勢本線に乗り換えた後は、ずっと非電化路線ばかりに乗車していたので架線を見ると新鮮ですね

信号待ちをしていると大阪方面への電車が行ってしまいました。実は近鉄の時刻表は一切調べていません。名松線と違って本数はあるだろうと、あまり気にしていなかったのですが時刻表を見てぼう然

昼間は1時間に1本しかない。コロナ禍で30分に1本の運行が減便されていたことを知らなかった。私が逃したのは14時46分で、たまたま30分に1本のダイヤに戻るタイミングで助かりましたが、もう1時間早ければ1時間待ちのところでした

当駅は急行通過駅です。近鉄の急行は伊勢中川を出ると川合高岡、伊勢石橋、大三(おおみつ)の3駅だけを飛ばして榊原温泉口から桜井まで16駅も続けて停車するという、なかなかの運転。もっとも昼間の普通はすべて東青山止まりで東青山~青山町も急行が1時間に1本という運行です

無人駅でICリーダーはあるものの、訪問時は使えなかったので乗車票を発券。近鉄でこの機械のお世話になるとは思いませんでした

ホームは2面2線

名張行きに乗車

名張では特急に連絡しますが特急料金920円を節約して急行に乗車。当駅始発だったので確実に座れます

鶴橋着は17時12分。川合高岡から、ほぼ2時間。青春18きっぷに近い乗車でした

鶴橋で精算してJRに乗り換えました

ネット時代を実感

年明けの1月にも一志駅と川合高岡駅を歩きました。この日は松阪に宿泊して伊勢奥津まで名松線に乗車した後、一志まで戻ってきたのですが一志からの乗車が多くて驚きました。ちなみに3連休で青春18きっぷ期間でもあり、乗車客が(私を含め)ほぼ全員、同業者(鉄道ファン)だったのですが、この乗り換えが広く知られているんだなぁ、と思いました。両駅は「近い」というだけで乗り換え案内はされていません。当然ダイヤの接続も考慮されていません

名松線も本数は多くなく、川合高岡も普通のみの停車ということで、この乗り換えは知る人ぞ知るだったのですが、今はサイト検索でも普通に出てきたりします。ネット時代を感じます

さて話は戻って一志駅

窓口が閉鎖されお金の置き場だけ舌のように残る、よく見る形ですが時刻表に注目。名松線のダイヤはほぼ均等に2時間に1本。これを見て将来の名松線全駅訪問に、がぜんやる気が出てきました。普通は朝の通勤通学時間に本数を増やすもので、それを利用して各駅を回るのが効率的なのですが、その方法は使えそうにない。本数は少ないながらも一部区間はコミュニティーバスはあるのですが週末はお休み。となると青空フリーパスは使えず、と、なかなか難関が多く、これはかえってファイトがわきます。作戦を練った上で、いつかぜひ実行したいものです

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