小浜線

125系の旅再開6月の小浜線を行く~解体危機から住民に守られた駅舎はカフェに

※訪問は2025年6月24日

村名がそのまま残る1期生駅

十村駅に到着。ここ数回、戦後生まれの駅ばかり紹介してきたが十村駅は違う。1917年(大正6)に小浜線が開業した時の終着駅として設置された。当時の駅は敦賀を出ると粟野、河原市(現美浜)、美方そして十村の4駅のみ。つまり小浜線の1期生である。敦賀から約30キロ。随分と駅の数が少なく感じるが、SLでの運行を考えるとそのようなものだう。駅間を含めて陸軍の施設があったことで駅設置となった粟野をのぞくと当時の自治体に対応して駅が置かれている

スポンサーリンク

10自治体が集まって誕生

十村とはかつての自治体名。明治の町村制施行の際、10個の村が集まって発足したため十村である。十村という人物がいたわけでも元々の地名でもない。以前記したが、三方駅周辺も同じような事情がある

こちらは8個の村が集まっての八村だった

十村は戦後の1954年(昭和29)に三方町に編入の形で自治体としては消滅し、現在は若狭町。それでも駅名は十村のまま変わらずにいる

島式ホームの1面2線だが、側線が1本残る。かつては貨物利用もあった駅だが、駅舎と逆側にあるこの線路についてはちょっと分からない。留置線のようでもある

そして構内踏切によって駅舎と結ばれている

こうして見ると風格のある木造駅舎となっている

駅舎解体のピンチ

その駅舎は明らかに改修され、きれいにされている

改札の塗装も新しい。わざわざ金庫が改札に置かれているようだが、かつて事務室にあったものか

こちらが駅舎。開業時のものを元に改修が施されたのは2022年と4年前のこと。それより前にJRから地元に駅舎解体の申し入れがあったが、元国鉄職員らの地元有志が駅舎を管理する社団法人を立ち上げ、自治体からの補助金や地元住民からの寄付そしてクラウドファンディングで支援を募り、改修を行った

もちろん無人駅だが、駅舎内は新たにテーブルとイスが置かれた

そしてかつての駅事務室は「ぽっぽ茶屋ほっとむら」に

価格を見ると、かなりの太っ腹料金である。一番下の「休憩 0円」にウケてしまった

訪問時は営業時間は10~17時、水曜定休となっていた。Wi-Fiも備わっていてコンセントも設置されている

だが、そんな十村駅のカフェを私は利用することができなかった。上下線のダイヤの都合で、ゆっくりできる時間がなかったのだ。事前リサーチはほとんどすることなく駅で降りてみることにしている私の予習不足だった。他の駅ではそれなりに時間があったが、ここではなかった。3月と6月の小浜線各駅訪問で一番の後悔は、このカフェでうどんやぜんざいを食べられなかったことだ

また個人の家なので写真掲載は自粛するが、かつて十村の中心部として栄えた駅前は、なかなか古典的なたばこ店があるので、これは見る価値あり

1日の利用者数は104人(2023年度)と決して多くはなく、路線内では下位にあたるが、もし再訪の機会があれば、地元が手作りで守ったこの駅舎でゆっくりくつろぎたいと思っています

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~今回利用したフリーパス

※訪問は2025年6月24日

路線内で最も新しい駅

若狭有田に到着。ここまでの記事で定番となってしまったが、単式ホームと待合所のみの駅。これだけで推測できるように無煙化後に設置された駅のひとつ。そして小浜線で最も若い駅である

スポンサーリンク

駅舎のようだが駅舎ではありません

最も若いといっても開業は1964年(昭和39)と、すでに60歳を超えている。逆に言うと小浜線では60年にわたって新駅は誕生していないことになる。大鳥羽~上中に設置された。若狭という旧国名が付くのは、明治生まれの有田駅(佐賀県)があったからだろう

駅の周辺には、やや小さめの有田の集落がある。なお東西に走っているイメージのある小浜線だが、海沿いの小浜から、やや内陸寄りの上中に入ったこともあり、このあたりは再び海に向かうべく線路は南北に走っている

道路には灯籠があったが、石碑の文章が読み取れず、いつからのものなのかは分からなかった

ホーム中央には駅舎のように見える木造の建物があるが、これは駅舎でもないし、待合所でもない。待合所は奥に見えるコンクリートの建物だ

ホームから通り抜けも可能になっている木造の建築物、これはお手洗いだ。ホームからの景観を損なわないようにしているのだろう。いかにもお手洗いという形はしていない。これはなかなかの気遣いだと思うし、やはり駅にお手洗いがあるのはありがたいことだ

駅前の広場は大きく大型の車も入ることができるスペースがあり、駐輪場がある

ホームの構造は独特でホームと広場の間にスペースがある。将来的にすれ違い可能な島式ホームを構想していたようにも見えるが、そうすると大きな駅前広場も説明がつく。ホームの向こう側には農地が広がる。とはいえ2023年度の1日あたりの利用者数は110人と3ケタの数字がある

小浜線tabiwaパス

今回利用したのは

こちらの小浜線tabiwaパス。小浜線内にはIQ乗車もないし、自動改札機も始発と終着駅のみしかないので駅員さん、またはワンマン運転士への提示式・JR西日本のtabiwaアプリから購入できる。2日間2200円で沿線の観光施設や飲食店でのサービス特典が付いている。敦賀~東舞鶴の運賃が1690円なので、1日1100円というのはなかなかお得。そもそも私は1日のみの利用だったが、2200円の元は十分にとれた

青春18きっぷとは違って、そのまま追加料金なしで敦賀または東舞鶴から在来線で帰るというわけにはいかないが、それはそれで開き直りというか、実情に合った使い方をすればいい。私はこの後、19時近くまで駅訪問を続けたが、すでに敦賀から大阪方面へと向かう新快速の運行は終わっていた。ならばサンダーバードで帰ればいいのだ

こちらは待合所の様子。表彰状が掲げられているので見上げると

駅周辺の清掃活動を表彰したもの。日付は昭和56年と、まだ国鉄時代。私はというと大学受験に失敗して浪人生活を送っていた。神戸ではポートピア博が行われ、ポートライナーが運行を開始した時。当時の自分と重ね合わせても隔世の感があるが、このころ小学生だったお子さんは、もう50歳を超えていることになる。ここまで紹介した写真でも分かるように駅周辺は今も変わらずきれいである

手入れされたアジサイの花がきれいに咲いていた

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~高台の棒状駅は何のために?

※訪問は2025年6月24日

敦賀から1駅

藤井駅から敦賀方面に戻る形となって敦賀の1駅手前の西敦賀駅で下車。ご覧の通りの棒状駅で単式ホームと待合所のみ。戦後に開業した小浜線内の典型構造のひとつである

スポンサーリンク

街を見下ろす高台に

開業は1962年(昭和37)。何度も繰り返すようだが、小浜線が無煙化。気動車が導入されたことにより短い区間での運転が可能になったことで設置された駅のひとつ

ただ気動車の登場は1961年で、この年にバタバタと5つもの駅が設置されたのに対して1年遅れとなっている。そもそも敦賀から小浜に向かう線路は敦賀市内では深い山中を通っていて、人の数も少ないところだ。敦賀から当駅までは3・3キロ。開業時に設置された敦賀市内最後の駅となる、お隣の粟野駅も山中の高台にあるが、こちらは陸軍の施設があったから駅の設置となった。その粟野駅でさえ、西敦賀から4・4キロ。敦賀からは約8キロも離れている。離れすぎているので、その間に駅でも、という認識があったのかもしれないが、それもちょっと違うようだ

ホームに立ってみると、片側は完全な森で、片側は小規模ながら住宅街となっている

ホームに入るためには坂を登ってたどり着かなければならない。高台にホームがある関係で、そこにスペースはなく駐輪場は低い位置に設けられている

こちらはホームへの入口で

街を見下ろすとこのような風景が広がる

学校と同年の開業

何やら白い建物が見える

ここは敦賀工業高校。創設は1962年の1月。西敦賀駅の開業が同年の9月なので、明らかに生徒さんのための駅だといえる。ただし地元による請願駅ではなく、あくまでも国鉄(当時)による設置である

学校の存在もあって西敦賀駅の1日あたりの利用者数は246人(2023年度)と全21駅(敦賀と東舞鶴をのぞく)中、第8位。同じ敦賀市内にある粟野駅の110人より圧倒的に多くなっている

もうひとつの顔

さて当駅の地図を見ると、もうひとつの顔に気づく。駅周辺の地図を見ると、駅の裏手となる森の部分に北陸本線の鳩原ループ線が通っていることが分かる。詳しい説明は省くが、急勾配を避けるために設置された上り線専用のループ線で、北陸本線に初めて乗ると「自分たちはどこに連れて行かれるのか」と思い、仕組みを理解すると車窓が楽しめる区間でもある

そのループ線を訪れる「最寄り駅」として西敦賀駅が利用されるらしい。また舞鶴若狭自動車道もループ線と交わるように走っていて、駅のホームにいると車の音が響いてくる

ただ駅の近くには

このような注意看板があった。訪問は昨年6月で、全国でクマによる被害が相次いだのはまだ先のことだったため、この時は「ここにクマが出るのか」ぐらいにしか感じなかったが、今は認識がやや異なる。国内にそう多くはないループ線。鉄道の聖地を訪ねるにしても、万全の注意が必要なようだ

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~九州で得たホテルの知恵を生かす

※訪問は2025年6月24日

なぜか一時帰還

朝の7時過ぎに東美浜駅にいた私だが、それから40分ほどが経ったころ

なぜか敦賀駅前のホテルでモリモリと朝食を摂っていた

小浜線の時刻表が理由にある

こちらは敦賀駅の時刻表。6時16分の東舞鶴行きに乗車した私だが、この日は平日。6時49分、7時49分の列車の後は11時18分まで列車がないのだ。3時間半の空白。さらに言うと、その次も2時間の空白がある。朝の通勤通学時間帯を終えるとお昼まで運行がなく、その後も夕方ぐらいまで運行がないという、過去何度も紹介したローカル線の運行パターン。夕方前になると1時間に1本程度の運行があるのが特徴だが、沿線の学校の帰宅時間を考慮していると思われる

幸いにして3月の訪問時に京都府に近い側の各駅訪問はほぼ終えているので、今回は小浜~敦賀の各駅が対象となっているので、ゆっくりしていても何とかなる。またこちらも偶然ながら、泊まったホテルが11時チェックアウトだったので、後は部屋で休憩だ

この「早朝に駅巡り」からの「ホテルに戻っての朝食」は、日豊本線の佐伯~延岡の宗太郎越え前後区間で佐伯や延岡のホテルで利用させてもらった手段で、なかなか役に立っている

スポンサーリンク

ほとんどお昼前

ということで11時に敦賀駅へと向かい

小浜線ホームからあらためて125系に乗車

30分少しかけて

藤井駅に到着。当駅は1961年(昭和36)の開業。前記事で紹介した東美浜駅と8月1日の同日開業だ。当時の所在地は三方町で現在は若狭町。こちらも東美浜駅の記事で触れたが、この年に無煙化した小浜線は駅を増やすことが可能になった。ただし新駅の多くは貨物や手荷物の扱いはなく旅客営業のみの扱い

ということで最初から駅舎のない棒状ホームと待合所のみの簡素な構造

周辺には農地が広がり、その中に単式ホームが溶け込んでいる

6月とあって、ホームへの入口にあるアジサイの花がきれいだった

目を見張る待合所で感じた予感

ホーム中ほどの待合所に入ってみると

ここは目を見張る世界。周辺の森なのか猛禽類が主人公の絵が描かれている。ツバメやカモの姿もある

「みかたの自然が好きです」と書かれている。小学校の卒業記念の作品なのだろうか。平成8年とあるから1996年で30年前の作品。書いた生徒さんはもう40歳を超えていることになる

と、ここで過去にも体験した予感が脳裏をよぎる

小学校はどこにあるのかと調べていくと学校のHPへとたどり着き、そこには

明倫小学校は令和4年3月31日をもって閉校となり、三方小学校と統合しました

と記されていた。私が訪問する3年前のことのようだ。学校HPによると創立は1873年の明治6年と日本で初めて鉄道が走った時からと、ほぼ同じ歴史を持つ学校で、駅から約500メートルの場所にあり、約150年もの間、地元の子供たちを受け入れる場所だった

こういう時はいつも「学校があるうちに来たかった」と思ってしまう

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~待合所でアニメの聖地という事実に気づく

※訪問は2025年6月24日

棒状ホーム+待合所

東美浜駅にやって来た。当駅から敦賀市を離れて美浜町に入るが、ご覧のように単式ホームに待合所があるだけの簡素な構造。ホームの逆側では田んぼの緑が映えている

スポンサーリンク

ふと目についたもの

電車が去った後がこちら。周囲に何があるかと聞かれると、特に何もない。開業は1961年(昭和36)。小浜線は1922年(大正11)に全線開業したが、無煙化は1961年。蒸気機関車に比べて停車と加速が容易になり、この年から新駅が続々と誕生。3年間で7つもの駅が新規開業した。小浜線は両端の敦賀と東舞鶴をのぞくと駅数は22だが、3分の1近い駅がこの間に設置されたことになる。そしてそれら新駅の形状は、ほとんどが東美浜駅と同様の簡素な構造だ

集落の合間に駅を設置したイメージで2023年度の1日あたりの利用者数は64人で22駅中19位と、かなり下の方にいるが、周辺を見渡すと納得もいく

ホームの中央部にある待合所に入ってみると駅ノートが置いてあったのだが

それがこちら。以前も記したが、私はアニメのことは全く分からない。いつも「○○らしい」で終わるだけ。昨年訪れた弘南鉄道でも同様のことがあった。ただこの駅ノートを見て、この駅がアニメファンの聖地巡礼のひとつであることは分かる

細かい部分も克明に描かれる

駅は柱の上にコンクリートを載せただけのもの

ホームへは階段またはスロープでも入れるようになっている

舞台となったのは「中二病でも恋がしたい!」というアニメで「東浜見駅」として登場するらしい

あまり掘り下げていくとボロが出るので、簡単にしておくが、アニメでは125系の車内が克明に描かれ

駅前に設置されたお手洗いも、このままの形でしっかり登場するという。小浜線の本数が少ないため(鉄オタ的にはこのぐらいなら標準仕様だが、鉄道に興味のない都会の方からするとかなり少なく感じそうだ)、当駅までたどり着くのに、かなり苦労された方もいらっしゃるようだが、到達の喜びは鉄オタも同じである

さて時間はまだ7時過ぎだが、朝の通勤通学時間が終わると、なかなか列車がやって来ない小浜線は、そろそろ閑散アラートが鳴り始めている。ここは私もアラート前に次の行動に移ろう。実はホテルはチェックアウトしておらず、まだ部屋に荷物は置き放しである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~かつては軍の村として栄えた駅

※訪問は2025年6月24日

敦賀駅から2駅目の粟野駅に到着。到着といってもまだ6時半にもなっていないし、誰も降りない(そもそも数人しか乗っていない)し、誰も乗って来ない。ただ自治体的なことを言うと、敦賀市はここまで。隣の東美浜駅は美浜町となっている

スポンサーリンク

かつては粟野村

開業は1917年(大正6)。小浜線が敦賀~十村で産声を上げた時に設置された。他の駅は河原市(現美浜駅)、美方、十村しかなく。この間にある他の駅はすべて戦後の開業である。つまり小浜線の1期生。当時は粟野村に所在した(1955年から敦賀市)。村名は中世に付近が粟生野(あわうの)郷と呼ばれていたことに由来する。古代には「粟」が付く地名は全国で見られ、古代に重要な農作物であった

小浜線が開業したころは小さな自治体がいくつもある時代だったが、ここには当然のように駅が設置された

その理由として徒歩20分弱のところにある国立病院機構敦賀医療センターを挙げなければならない

かつてこの場所には日本陸軍の兵舎があった。地図を見れば分かるが、付近は川に挟まれた場所で度々水害に見舞われるため、農地には適さない原野だった。先日まで記していた豊橋鉄道渥美線の沿線も原野に陸軍の施設ができたから始まったものだったが、この地域も同様の環境にあった。何もない原野に陸軍の施設を造ることになったため、川の改修工事が行われて安全度が増した。現在、医療センターの一帯が住宅地になっているのは、軍の施設のために河川工事が施されたことにも起因する

駅は島式の1面2線。側線跡も残る

構内踏切を渡り、かつて側線があったと思われる場所の向こうに駅舎がある

電化時に建て直し

駅舎は見るからに新しいもの

駅舎は交流施設ということになっていて2004年(平成4)からのもの。小浜線はその前年に電化された。粟野駅には変電所が設置され、駅舎も改築となった。リニューアルというより、古い駅舎を解体しての新築だ

当駅はJR移管後も有人駅だったが、間もなく無人化。交流施設らしく広いスペースを持っているが、無人駅を前提に造られている。豪雪地帯だけに大きな待合室はポイントが高い

解体されたかつての駅舎は開業以来のもので、多くの兵士が利用していたことを思われるもっと大きなものだった

駅は高台にあり、駅舎を出るとスロープ。「すべり止め用剤」の文字が豪雪地帯を感じさせる。駅の場所は街の中心部から離れているが、すでに存在した陸軍の施設のために駅は必須だったのだろう

30分ほど駅にいると人が集まってきた。7時ともなると学校へと向かい始める時間。というか、これは6時59分発の列車で次は1時間後の7時59分。学校の場所によっては、間に合わない時間となる。駅まで高校生が家族に送ってもらう地方で必ず見かける光景。3月に当地を訪問した時は春休み中で、それでも高校生ばかりだったが、今回は6月の平日。この後もほとんど高校生とともに列車に揺られることになる

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~早朝から幻の列車の表示を眺めて活動開始

※訪問は2025年6月24日

これがウワサの爆走快速か

一夜明けて6時前の敦賀駅。夜はかなりの雨が降っていた。天気予報は決して良くないが、なんとか踏みとどまってくれることを祈ろう

敦賀駅の改札口。まず目を引くのが「臨時」とだけ記された米原行き。これは今や伝説となった米原~敦賀を1日1往復設定されたノンストップ快速である。朝は6時31分に敦賀を出て、途中長浜も通過してノンストップで7時8分に米原に到着。夜は22時48分に米原を出て23時20分に敦賀着。運行時刻で分かるように地元の人でないと敦賀に宿泊しないと乗ることができない

2024年3月に敦賀延伸を果たした北陸新幹線との接続が図れないため消滅した特急が、東海道新幹線との接続を行っていたために、その代替として運行されるようになった、臨時の肩書きが付きながら毎日運行されていた快速。しかし表示には快速の文字はなく、臨時の文字があるだけ。間違って乗車して「お~い、どこにも停まらないぞ」という苦情が出たかどうかは分からない(アナウンスはしつこくされるだろうが)が、この無機質な表示にはちょっと感動した

時間に余裕があるのなら乗ってみたいが、あいにく今日1日で小浜線の残り駅をすべて回収するという任務があるので、さすがにパス。と考えていたら、今春のダイヤ変更で消滅してしまった。その意味でわずか2年で廃止となった、なかなか現代では見かけることのない幻の快速だが、あくまで臨時としてきたのは利用が少なければ廃止するという実験的だったものかもしれない

スポンサーリンク

始発の125系はガランと

それにしてもこの発車案内、新幹線が偉い扱いを受けているのはよく分かる。今や米原~敦賀が残るのみとなった北陸本線も湖西線に分岐する列車も含め別枠。ここまでは理解できるが、ハピラインふくいと小浜線は別会社であるにもかかわらず、同じ枠に押し込められている。思わず小浜線を探してしまった。このあたり、うがった見方をすると、いつ小浜線がなくなってもいいように備えているのでは、と思ってしまう

ただその一方で、小浜線のホームに向かおうとすると路線の歴史が分かりやすくひとつのパネルに収められている。どのタイミングで100周年が来たのかも一目瞭然

そしてホームには東舞鶴行きの125系がスタンバイ。というか今、着いたばかりで早朝からの部活動があるのか、高校生が降りてきた

さすがに6時過ぎの時点では、まだ沿線にある学校に通う高校生の姿は少なく車内はガランとしているが、せっかく前乗りした小浜線は朝に頑張らないと、わざわざホテル代を払った意味がなくなってしまう。これでも私の計画によると最後の駅にたどり着くのは、1年で最も日が長いこの時期でも日没寸前になる。とにかく頑張って出発である

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

125系の旅再開6月の小浜線を行く~貴重なルートで向かうはずが

※訪問は2025年6月23日

名古屋駅から出発

この日の私は2枚の乗車券を手にスタート。芦屋→名古屋と名古屋→敦賀。今日は名古屋での要件を済ませて、そのまま敦賀へと移動。翌日に小浜線の未訪問駅の回収を行う。名古屋から敦賀への乗車券を先に買ったのは、名古屋での日程がタイトですぐ乗車できる態勢をとっておきたかったから。それにしても名古屋~敦賀の乗車券が芦屋駅で年に何枚販売されるのだろうか

スポンサーリンク

凝視の予定が崩れる

名古屋からは特急「しらさぎ」で敦賀へ向かう。東海道本線から米原を経て敦賀へと向かうこの特急は大垣を過ぎると「本線」を走行する。普通で大垣から米原へと向かうと垂井を経て関ヶ原へて向かうが、このコースは東海道本線の別線である垂井線として扱われている。ただし関ヶ原から大垣へと向かう下り線路は東海道本線である

話は少しややこしいが、戦時中に大垣→関ヶ原の昇り勾配を避けるため、この区間に迂回路ができた。そして垂井駅にあった下り線の線路は撤去。上り線と下り線が大きく離れることになり、垂井駅の代替として新垂井駅が設けられた。戦後になって垂井駅の下り線は復活。ただし戦時中に設置した迂回の下れ線はそのまま残され、後に新垂井駅は廃止となったものの、現在も貨物列車と特急列車は、この迂回路を走行する。1度線路がなくなったこともあり、迂回路が東海道本線となり、1度なくなって復活した下り線は垂井線という別路線となったが、場合によっては迂回路を新垂井線という支線扱いにすることもある

つまり何がしたかったかというと、特急でしか味わえない車窓を、ちょうど良い機会なので楽しもうとしたのだ。廃駅となった新垂井駅を垂井駅でレンタサイクルを借りて見に行ったことはある。迂回路を走る列車にも乗車したことはあるはずだが、全く記憶にない。ふだんここを走る特急に乗る機会はほぼないのでチャンス。時刻は18時前だが、この季節は1日が長い。十分に堪能できるだろう…

と思ったのだが

なぜかその後、新幹線ホームに。延々と前置きしたが、何のことはない。この日、東海道本線の米原方面は沿線トラブルということでストップ中。新幹線は動いているということで、米原まで新幹線移動という凡庸なコースとなった

そして元々、敦賀までは特急利用のつもりだったので

連絡抜群のしらさぎで敦賀を目指すことに

本来は名古屋始発のしらさぎが米原始発の終点までわずか30分という特急に変更されて待機中

こんな時ぐらい全車自由席にしろよ、と言いたいところだが、厳格な全車指定席はそのまま。ガラガラの列車で指定席料金をしっかり徴収されるのかとブツブツ言っていたが

何のことない。チケットレス乗車するととてつもなく安価だった

とにかく無事に

敦賀に到着。敦賀を最終目的地にする人がどれぐらいいるのかは分からないが、とにかく明日は早朝から活動するつもりである

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~三方湖畔の駅でソースカツ丼

※訪問は2025年3月27日

かつての急行停車駅

三方駅に到着。美浜からは約10分。現在、両駅の間には気山駅があるが、1917年(大正6)に敦賀から十村まで小浜線の最初の区間が開業した際は、隣駅だった(当時の美浜駅は河原市駅を名乗っていた)。気山駅の開業は無煙化となった1961年(昭和36)である。ともに路線内では主要駅のひとつで気動車投入で急行も走るようになり、美浜駅とともに三方駅にも急行が停車していた

スポンサーリンク

観光拠点の駅

三方と聞いてまず連想するのは三方五湖だろう。三方五湖は当駅のある若狭町と美浜駅のある美浜町にまたがっていて当駅は三方湖に近いが、観光拠点の駅でもある

実際にグルリと歩く人もいるだろうし、レンタサイクルも盛んで駅でも貸し出しを行っている

駅前の周辺図が三方五湖の位置関係を分かりやすく表記している

開業時の所在自治体は八村。明治の町村制施行の際に8つの村が合併して生まれた町で、その中には三方村も含まれていた。一時的に自治体名から名前が消えることになったが、1953年に三方町が誕生して復活。ただし駅名は設置時から三方のまま。平成の大合併で三方町は上中町と合併して現在は若狭町となっている

列車を降りてまず気づくのは、かつては2面2線構造だったということ

貨物の取り扱いも行っていたが、昭和30年代に貨物の扱いはなくなっている。2022年度の1日の利用者数は154人。コロナ禍の影響が残る年でもあったが、この数字は京都府との府県境に近い青郷駅や以前は駅舎がなかった三松駅とほとんど同じ数字となっていて22駅(敦賀と東舞鶴をのぞく)中13位。ちなみに美浜駅は370人で7位である。地図でも分かる通り、三方湖のほぼ湖畔の三方五湖PAに若狭舞鶴自動車のスマートインターが2018年に開通している

落ち着いた駅舎とレストラン

駅舎は落ち着いたコンクリート製。電化時に立派になった路線内の他駅とは異なり、JR移管直後の1988年に建て直されたもの。小ぶりながら機能的。ガラス張りの正面入口が美しい

こちらの窓口も訪問直前の3月12日にみどりの窓口の営業を終えたばかりで、現在は簡易委託

さて駅到着は11時49分だったが

駅舎にはレストランが入居していた。美浜駅の道の駅定休日でお昼を食べられずにいたので、これは朗報

迷わずソースカツ丼。何か福井県内の駅で降りる度にソースカツ丼か蕎麦を食べているような気がする

棒状ホームということで乗車間違いのないように気遣った駅名標が設けられている

12時29分の敦賀行きに乗車。まだ早い時間だが、湖西線のいくつかの駅に行きたいので、敦賀経由で新快速に乗車

3月末で、まだまだ寒い日も訪れる時期だが、この日の若狭地方は気温20度超えと、初夏のような陽気だった。次に小浜線を訪れたのは6月。いつものことだが記事と季節感が合わなくなっているので次回からは、しばらく小浜線を離れ、別路線の訪問を記していきたい

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=

若狭湾に沿って走る84キロのローカル電化路線小浜線を行く~道の駅セットの主要駅は駅名変更の歴史

※訪問は2025年3月27日

知名度の高い優等列車停車駅

美浜駅に到着。小浜線の中では知名度が高い駅で、急行が走っていた時代は停車駅でもあった。今も主要駅のひとつで、当駅で列車交換が行われることが多い

スポンサーリンク

現在の駅名は戦後になって

それほどの有名駅だが、現在の駅名は1956年(昭和31)からだということは意外と知られていないかもしれない。というのも美浜町の成立が1954年で、その際に新たにできた地名だからだ

駅の開業は1917年(大正6)。小浜線が敦賀から十村まで開業した際に途中駅として設置された。最初に開業した4駅のうちのひとつ。4駅といっても30キロ近くある。新たな駅ができていくのは戦後になってから。当時の駅名は「河原市」。もちろんこれは自治体としての「市」だったわけではない。当時の所在地は南西郷村

周辺の大きな町は耳村だった。だが線路は村内を走っていたが自治体内に駅は設置されず、村の中心部である河原市を駅名とした

河原市地区は耳川を挟んだ地域、どちらかというと川の東側に広がっていて今も地名は残り、美浜町の中心部となっている。川沿いに市が成立していたことで発展したようだ

耳という地名は古く、飛鳥時代には文献に「耳」の名がある。東小浜駅の記事でも紹介したが、この付近は長い歴史を有している

明らかな「弥美」という表記は奈良時代から平安時代に弥美郷として記されていて、室町時代の荘園の時代には耳荘となって近世を迎え、自治体名も耳村に。弥美郷は現在の美浜町全域を指したともされ、1954年の美浜町誕生の際は「弥美」と「砂浜」を合わせて町名とした

駅の構内で見る新旧

駅の跨線橋には、かつての駅の写真が飾られている。「祝 気動車運転」で昭和36年と記され、SLからの無煙化が始まった時のもののようだ。60年以上前のこの時点で既に年季の入った木造駅舎だったようだが、1967年にいわゆる国鉄型コンクリート駅舎へと建て直し。2003年(平成15)にさらにリニューアルされ

現在の姿となった

駅には観光協会も入居している

跨線橋の階段も凝っている

80分の待ち時間にも強い味方

さて私が到着したのは10時16分。この時間帯から夕方まで本数がガクンと経る時間帯で、次の敦賀行きは12時38分、東舞鶴行きは11時40分と最短でも80分もの待ち時間がある。ただ不安はなかった

駅に隣接して道の駅があるからだ。時間を潰そうと思えば何とでもなる…と思い込んでいたが、実際は違った。あまりにも人の気配がなさすぎる、と思ったら、訪問日は木曜日で週に1度の定休日だったのだ。まだお腹は減っていないが、これはショック。ただ当駅では快適に過ごす方法は他にもある

広い待合室があり、エアコンも完備。カウンターとなっている座席にはコンセントが設置され、スマホの充電も可能だ。設置されたテレビでは国会中継が放送されていて、それを眺めながら充電も100%に回復できたので大いに満足。もちろんきれいなお手洗いもある

さて、この美浜駅。随分と新しい部分ばかりをクローズアップしてきたが、そうでないものも残る

跨線橋の案内文字は国鉄からのもののようだ

出口の案内板も。すっかりリニューアルされた駅で、このようなものを発見するとうれしさもよりいっそうというものだ

当駅も小浜線の他のいくつかの駅と同じく訪問直前の3月16日にみどりの窓口の営業を終了して簡易委託駅となった。観光協会に委託されているようで、道の駅と休日が連動していることを理解した

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村 鉄道ブログ 駅・駅舎へ

↑2つクリックしていただけると励みになります



      </section data-src=