きっぷ

宗太郎駅に行ってきました(前編)

宗太郎駅の駅名標

2023年5月9日午前6時

早朝から注釈付き列車に乗車

前夜のうちに宮崎県の延岡に入り駅近くのホテルに宿泊

そして朝の6時には駅にいました。5月上旬ですが、西国だけに、まだ夜が明けつつある雰囲気でした

乗車するのは6時10分の普通佐伯行き。奥に見えているのは6時2分の宮崎方面行きで、今から乗車する電車とは違います。そもそも電車の形が違います

今から乗車する列車には注釈があって

何やら不思議なことが書いてあります。文脈だけを読み取ると4両編成で、そのうち1両にしか乗れないことになっている。2両編成で、うち1両が送り込み用の回送扱いというのはJR四国でよく見かけますが、4分の3が乗車不可というのは、あまり聞いたことがありません

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やって来たのは特急列車

間もなく乗車列車がやって来ました。6時6分南延岡始発の佐伯行き。なんと特急車両が運用に入っています

九州ではおなじみの787系。 1両分しか客扱いしませんが、車掌さんも乗車しています

30分ほどですが、優雅に特急車両の旅を楽しむことにします。1両分しかお客さんがいないので乗車状況は分かりやすい。南延岡はひとつお隣の駅で、ここからの乗車はなかったようで無人で入線。延岡から乗車したのは私を含め3人。一目で分かりますが、当の私を含め3人とも目的地は同じ「同好の士」です

宮崎県からしか行けない大分県の寝坊厳禁駅

普通という名の特急車両に揺られること30分。目的地の宗太郎に到着しました

延岡から25キロ。宮崎県から大分県に入ったところにある県境の駅。「宗太郎」という駅名と県境ならではの雰囲気に加え、1日の利用者が1人にも満たないことで鉄道ファンの中は知らない人がいないほど有名ですが、特筆すべきは時刻表

ご覧の通り、1日1往復半。しかも朝の6時台に大分方面と宮崎方面の列車が1本ずつあった後は20時35分の佐伯行きがあるだけ。延岡方面に至っては6時54分が始発にして最終電車です。日本中に閑散路線は数多くありますが、これはもう究極のダイヤ

時刻表もあまりに余白部分が多すぎて告知ボードのようになっています

そしてこれが何を意味するかというと、当駅を訪れようとすると私が乗車した列車に乗り、15分後の延岡行きで引き返すしかない。つまり大分県にあるにもかかわらず宮崎県からしか行けず、寝坊は絶対に許されない。もっと言うと、日常的に当駅に行く(人がいるかは不明)には南延岡~宗太郎間に住むしかなく、それ以外の地域からだとホテルが多数ある延岡に前日から宿泊するしかないわけです

なおバス路線ですが、大分県にあるため延岡側からのバスはなく、宗太郎のバス停は地元の方向けの予約制デマンド運行。県境を越えて1時間ほど歩けば延岡市のコミュニティーバスが来ていますが、週3回の運行で、なおかつ延岡まで直接は行けないという状況。また両隣の重岡、市棚両駅にも徒歩では1時間半以上かかる上、駅まで行ってもダイヤ的には変わりがない(重岡駅からは佐伯中心部まで行けるバスがありますが本数は少ない)ので、まさに「脱出困難」駅

貴重な15分間を堪能することにします

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満員の代行バスで旅を締める

酒田駅の特急いなほパネル

3月4日11時10分

特急いなほに乗車

いなほは秋田~新潟を結ぶ特急ですが、1日7往復の運行のうち、秋田と新潟を直接結ぶのは2往復のみ。多客期は一部延長運転が行われますが、5往復は酒田~新潟の運行となっています。酒田駅が新潟支社と秋田支社の境界となっているため、普通の運行は酒田で分断され、特急を利用しない場合は乗り換えが発生します

とはいえ

秋田~余目間は未乗車区間のため、酒田で下車。すでに山形県に入っています。ここでランチタイムと。昭和30年代に建てられた典型的な国鉄コンクリート駅舎ですが、2年前にリニューアルされました

美しい余目駅

酒田からは普通に乗車。15分ほどで

余目に到着。駅名標で分かる通り乗り換え駅

駅名標は新しいものですが、ホーム上の乗り換え案内はクラシックなものが残ります。新庄へ向かう陸羽西線の乗り換え駅

来るのは2度目ですが、黄色の文字が美しい。階段もその色に準じていて離れたところからも目立ちます

陸羽西線はバス代行中

時間的には東京に向かうことになっていて、本当は特急で新潟まで行き、上越新幹線で東京に行く方が圧倒的に早く、新幹線も乗れるJR東日本パスを有効利用できるのですが、この日はちょっと違うことを考えていました

余目駅の跨線橋ですが、新庄へ向かう陸羽西線ホームへの通路は塞がれています。現在、陸羽西線と交差する道路のトンネル工事に伴い、バス代行が2024年度中までの予定で行われています

この代行バスに乗ってみたくなりました。最上川に沿って走る陸羽西線ですが、バスからだと以前乗車した鉄道とはまた異なる景色が見られるはず

こちらは前日、古川駅に張られていたバスの時刻表。陸羽西線は酒田から直接乗り入れる運行があったため、バスで酒田からも行けるようになっていますが本数は圧倒的に余目からが多く、また久しぶりに美しい余目駅を見たい願望もありました

余裕の行動だったが…

積み上げられた雪の向こうですでにバスは待機しています。しかし過去に陸羽西線に乗車した記憶は大してお客さんはいなかったものなので

たまたまやって来た観光用の快速「海里」を眺めるなどして余裕の行動

バス出発の15分前もこんな感じで、まぁ大丈夫だろうと、この後に乗る山形新幹線の発券を行うなどして駅舎内にいました。そもそも寒いので並びたくない

ところが発車10分を切った時点で再び駅舎外に出ると、一体どこから集まってきたのかと思うほどの並びになっていました。考えてみれば、前日、川部駅で実感したように、今は東日本パスと青春18きっぷが重なる時期。人が多いのも当然。慌てて並びに参加しましたが窓際席は確保できない、どちらかといえばギリギリセーフの状況。実はバスはもう1台待機していて、運転手さんが並びの人数を何度も数えていましたが、もしかすると予備車両だったのかも。そんな理由でバスの車窓からの写真はなしとなりました

雪の車窓をながめながら旅を終える

鉄道の時刻表の感覚では大いに余裕があった新庄からの山形新幹線の乗り継ぎですが、バスは若干の遅れが発生。新庄からの新幹線は2時間に1本しかないためヒヤヒヤしましたが、無事間に合いました

こんな機会はめったにないため、指定券は余目で発券。4回まで利用できる指定席ですが、前回と同じくほぼ自由席だったため、今回の旅で唯一の指定席となりました

山形と福島の県境の雪景色を見ながら旅は事実上、終了。東北新幹線の各駅訪問、長年の念願だった羽後亀田駅も訪問できて充実の旅でした

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ホームから望む夕陽

岩城みなと駅の駅名標

2023年3月3日16時50分

※時刻表は当時のものです

あまりの寒さに予定変更

大変名残惜しいですが、羽後亀田駅を去ることにします。「町の顔」確かにその通り。バス停のような簡易駅になってしまったのでは悲しすぎるので、いつまでも美しい駅舎であってほしいですね

羽後亀田駅の時刻表。ところどころ空きますが、1時間に1本程度の列車はあります。当初の予定では16時2分の酒田行きに乗る予定でした

羽越本線の秋田~余目間には普通すらも多くが通過する駅が3駅あります。桂根、折渡、女鹿の3駅でいずれもJR移管後に信号場から昇格した駅です。そうしょっちゅう来られる場所ではないので、そのうちひとつでも訪ねておきたい、と思い。羽後亀田のお隣である折渡に訪問する予定でした

時刻表を見ると分かりますが、私が秋田から乗車してきた16時2分は折渡通過ですが、17時31分は停車します。そしてこれが折渡駅の最終列車。ほとんどの普通は通過で1日に上りが3本、下りが5本しか停車しません。ただ羽後亀田と折渡の距離はたったの3キロで、地図を見るとほぼ道路が並行している。これは迷わず40分もあれば十分歩けるはず。つまり羽後亀田から徒歩移動して羽後亀田17時31分発で折渡同35分の列車を捕まえるのです。となれば本日宿泊予定の羽後本荘に順調に着くことができる

という自画自賛的な作戦を考えたのですが、結論からすると

寒すぎてヤメ

元々気温は低かったのですが、夕暮れも迫ってきて急激に気温が下がってきました。駅間徒歩移動には夏より冬の方が絶対に良いと考えている人間ですが、ここまで寒いともう無理です。何より、せっかくの羽後亀田駅ですから、もう少し長く滞在したくなりました

目指すは新駅

そこで1駅戻って岩城みなとを目指すことにしました。こちらも羽後亀田から1駅。ちなみにこの間には二古信号場があります。山中ではなく海と国道沿いの信号場で、誰も住んでいない場所にポツンとある信号場のイメージとは全く異なり周囲には集落もあるように見えますが、70年代に駅から信号場へと降格してからは、JR移管時も駅に戻ることはありませんでした。そのすぐ先にあるのが岩城みなとです

ホームを降りると新しい駅舎が出迎えてくれます。それもそのはず。開設は2001年で旧岩城町の中心駅となるべく新たに開業しました

こちらが駅舎。夕闇が迫っています

駅前にはウェーブ岩城という新しい建物があり、図書館などが入居しています。駅前は新興住宅街となっていて、役場も至近。岩城町の中心機能が集められて新たな駅が誕生した形となっています。岩城町は2005年に周辺の町と本荘市と合併して由利本荘市となりました

道の駅も徒歩圏内で島式の漁港があります

窓口とお別れ

岩城みなとは簡易委託できっぷ売り場があります

ただ、その傍らには

こんな張り紙も。羽後亀田駅と同じく、3月17日で窓口を閉鎖して無人駅となる案内です。由利本荘市の中心で特急停車の管理駅である羽後本荘駅では一足先に指定席発券機能もある自動券売機に移行。そしてこの3月17日をもって岩城みなと、羽後亀田のほか羽後岩谷、西目の計4駅が一斉に無人化されました(羽後本荘は発券窓口はありませんが駅員さんはいます)。つまり市内のJR駅から、すべて発券の窓口がなくなってしまったわけです。時代の流れとはいえ急過ぎます

岩城みなとは海の見える駅でもあります

ホームからの風車と海は駅のみどころでもあります。この日は雨予報だったのですが、雲の合間に夕陽がなんとか顔を出してくれました。晴れた日の夕陽はもっと美しいのでしょうね

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羽後亀田駅よ永遠に

羽後亀田駅は島式ホーム構造だった

2023年3月3日16時

現代にリメイクできる砂の器

羽後亀田の駅舎内です

松本清張作品には多くの鉄道が登場します。松本清張と鉄道をメインにした本まで出ている。路線だけでなく「駅」が多く出てくるのも特徴のひとつですが、インターネットどころかテレビさえも広く普及していない昭和30年代によくぞここまで調べ上げて知識を得たと感心してしまいます

ただ鉄道が重要なファクターとして登場する作品は、有名な「点と線」の寝台列車の死角など現代版として映画、ドラマ化するのがなかなか難しものが多い。その中でも数少ないリメイク可能なものが砂の器です。刑事2人が、ここ羽後亀田と木次線の亀嵩に向かうのですが、最近のものでは亀嵩へは岡山からやくもに乗り、松江から木次線を南下することになっていました

もちろん作品の設定は松本清張が備後落合の旅館で作品の構想を練ったことで知られる通り、芸備線を備後落合で木次線に乗り換えたことになっているのですが、現代風に東京から鉄路で亀嵩に行こうとすると、そうなります

ただドラマや映画で重要なのは駅の風情。時代設定を昭和30年代にした場合はもちろん、現代風にしても駅舎というのは大切です。映画版やドラマ版のいくつかでは「亀嵩」の設定でありながら別の駅がロケ地になっていることもありますが、ここ羽後亀田だけは鉄板で動くことがありません

周辺事情を初めて知る

そんな羽後亀田にようやく訪れることができたのですから周辺散策もしましょう

と駅舎の外に出ると

な、何にもない

周囲はほんの少しの民家と農地です。廃屋らしきものが1軒ありましたが、農地部分はおそらく昔から農地でしょう。これでは刑事さんの聞き込みも3分ほどで終わってしまう。私の知識では、亀田藩と亀田城があって、その城下町だったのですが全く違います。どうしたものかと困っていると

地図を見て納得。城下町はやや離れたところにあるのですね。私が到着した時、バスが止まっていましたが、どうやら町の中心部へ向かうものだったようです

駅に見られる変化

羽後亀田はこのような構造になってしました。右に見えるのが駅舎。かつての貨物の側線も残っていますが、島式ホームに上り下りの電車がやって来て、乗客は跨線橋で駅舎に行きます

ただ駅舎のさらに奥にもうひとつのホームがあるのは何でしょう

改札からホームへの案内は秋田方面2番線、酒田方面3番線と記されています。乗り換え駅ではないので他方向に向かう列車はありません。だったら1番線は何なんだとなり、気になるので行ってみると普通に入れる

新しめのホームがあり駅名標もある。これは何だろう?と調べてみると、ようやく分かりました。私の訪問日から2週間後の3月18日から、すべての列車は上下とも、このホームに停車するのです。私が降り立った2、3番線は旅客ホームとしては閉鎖。特急や貨物などの通過線となるようです

ですから、この記事を書いている現在はもう跨線橋には入れなくなっているはず

乗り場案内が単なる紙だったことも納得です

存在感ある駅舎の将来は?

「落とし物」という表現に思わずクスッとなってしまった、この案内も、もう見られません

そしてその3月18日からの大きな変化は無人化です

訪問時は委託によるきっぷ販売が行われていましたが、それも3月17日で終了しました

そうなると気になるのは駅舎の将来です。今回、秋田~余目の羽越本線を乗車してみた感じでは古い駅舎が残っているのは、ここ羽後亀田のみ。全くの私見ですが、1日の乗降客が100人ほどの当駅の駅舎がずっと残されている理由には砂の器の存在が大きいのではないかと思っています。私のように映画やドラマを見て駅を訪れる人も少なくはないはず。今後については不明ですが、映画史にも残る当駅の駅舎は、ずっとこのままの姿であってほしいと思います

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奥羽本線を行く~羽越本線に乗り換え念願の駅へ

羽後亀田駅の駅名標

2023年3月3日14時30分

1日3往復のために働く車両

素晴らしい能代駅の駅名標とお別れして再び奥羽本線に戻ります。JR東日本の駅名標って地方の小さな駅でも特化した駅名標がよく見られますね

東能代で1日3本の特急「つがる」に乗り換えます。ホームの待合室もつがる仕様でユニークです

ほんの数分の接続でつがるがやって来ました。1日3往復ですが、この列車のおかげで先にうまく乗り継げます。常磐線でも活躍したE653に似ていますが、このE751は交直両用のE653とは異なり、交流専用仕様。元々は東北新幹線が盛岡までだった時に盛岡~青森の「スーパーはつかり」用として製造されましたが、現在は青森~秋田間のつがる専用となっています

つがるは東能代から50分で秋田に到着。つがるの終着ですが、奥羽本線はまだ続きます。ただ私は奥羽本線とはお別れ。ここから日本海沿いに羽越本線を進みます。つがるの秋田到着が15時27分そして羽越本線の秋田行きが写真でお分かりのように15時31分発とタイトな乗り継ぎで、ダイヤ乱れがあったらどうしようとヒヤヒヤでしたが、うまく乗り継げました。同ホームでの乗り換えにも助かった

未乗区間を埋め、38年来の念願の駅へ

新潟~秋田を結ぶ羽越本線ですが、私は新潟から余目までは乗車したことがあるものの、余目~秋田は未乗区間です。その区間に川部駅と並ぶ今回の旅の目的のひとつがあります

秋田から30分で、その羽後亀田に到着しました。由利本荘市に入っています

多少、くたびれた感のある駅名標ですが私は感無量でした

1974年に映画化された後、何度もテレビドラマ化されている松本清張の「砂の器」。羽後亀田駅は重要な役割を持った駅として登場します。私が映画を見たのはすでに中学生になっていたので、75年のことだと思います。砂の器といえば構内におそば屋さんが入居していることでも知られる木次線の亀嵩駅(島根県)が有名ですが、最初に登場するのはこちら

何度も映画、ドラマで見た駅舎をようやく生で見ることができました。再度記しますが、まさに感無量という言葉がぴったり

財産票によると駅舎は1920年(大正9年)の開業時のもの。赤い文字が印象に残ります

防犯連絡所の文字も古風です

ここでの時間はたっぷりあるので、しばらく感慨にふけることにしましょう

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奥羽本線を行く~1区間だけのメインルートへ寄り道

能代駅の駅舎

2023年3月3日13時

全国優勝58回の超名門校

弘前からの東能代着は12時59分。衝動的に降りはしましたが、一応、時刻表はめくってある。ここで五能線へと乗り換えます。13時1分発の岩館行き。「岩館行き」というのが実は貴重なのですが、それについては後述します

5分もかからず、お隣の能代へと到着しました

JR東日本のGV-E400というディーゼルだけど電力で走行する新型気動車ですね。初めて乗りました

能代の駅名標。東能代以上に「バスケット」が強調されています

高校バスケットの名門で全国大会のいずれもで10回以上優勝している能代工業(秋田県立能代科学技術高等学校)によるものです

ホームにはゴールも設置されています。「58」というのは全国大会の出場回数ではありません。インターハイ、国体、ウインターカップを合わせた優勝回数。凄い数字です

能代市の代表駅

さて岩館行きに乗車していたお客さんは、私を含めほとんどがゾロゾロと能代で降りてしまいました。能代市の中心部に近く代表駅なんで当然といえば当然ですが、五能線のダイヤもかなり特徴のあるもものとなっています

こちらは能代駅の時刻表。リゾートしろかみは全車指定の観光列車ですから能代から先に行く列車は1日7本。それに対し東能代行きは倍近い13本もあります。どういうことかというと東能代~能代の1区間だけの運行列車が半数を占めているからです

奥羽本線は能代の街の外れを走っています。東能代駅の開業は1901年の明治34年。当時の技術的にも地形的にも米代川に阻まれて奥羽本線は能代の中心部を通しにくかった。そこで現在の東能代駅を能代駅として設置しました。ただ街の中心部を通らないのはいかがなものかとなり、1908年に現在の東能代~能代線が支線として開業。後に能代線と名付けられました。現在の能代駅は能代町駅を経て現駅名に、最初の能代駅は2度の改名で東能代となっています

五能線の能代以遠が開業し始めたのは10年以上も後のことです

青森県の本八戸と八戸の関係と八戸線の開業理由と似ていますね

ただ八戸~本八戸は2区間で、八戸線の区間列車は本八戸止まりではなく4駅先の鮫まで運行されていることと比較すると1区間のみの運行は、かなり際立っています

高校野球で熱気

能代の改札口。東能代とは異なり自動改札機はありません。シルバーのラッチが現役なのがいいですね

立派な駅舎を携えています。構内にはコンビニもあります

駅前のロータリー。ご覧のようにここでは雪はほとんど姿がなくなっていました。ただ決して暖かくはありません

少し時間があるのでそばを食べてお昼としました

駅に戻ります。無人駅ではありませんが、かつてのびゅうプラザはなくなり、自動券売機が置かれています。ついこの間までは管理駅で東能代、能代と在来線のお隣同士の駅が管理駅になっていました

ちょうどセンバツ高校野球の直前で当駅が最寄りの能代松陽高校の出場で駅のあちらこちらで盛り上がっていました

東能代行きの改札開始を告げるアナウンスが流れ、多くの高校生がホームに向かいます。私も東能代から再び奥羽本線に乗ることにします

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奥羽本線を行く~バスケの町へ寄り道

東能代駅の駅名標

2023年3月3日11時30分

偶然重なったデビュー日

川部の滞在は45分。あっという間でしたが、ここからはあっという間ではありません。10分ほどで弘前に到着します。ちょっとだけ気分転換で外に出ます

弘前の立派な駅舎を少しだけ見る

青森もSuicaエリアになるんですね。計画したわけではありませんが、まさに記事を書いている今日が「デビュー日」です

特急乗り放題だけどトコトコ奥羽本線

弘前下車は運転停車の3分を利用してダッシュで行ったもの。ここから長いトコトコ旅となります。4年前は青春18きっぷで秋田を目指して新青森からスタートし、途中大館での昼食休憩を挟んで秋田までたどり着きましたが、それでも大館~秋田は2時間。夕方の帰宅&下校ラッシュにもはまったため、2両編成の電車は超満員で景色すら眺めることができず、かなりしんどかった。18きっぷの辛いところです

ただ今回持っているのは東日本パスなので特急も乗り放題。快適な旅を…と思ったはずですが結果はやはり秋田までトコトコ旅(泣)。新青森の項でも触れましたが青森~秋田の在来線特急「つがる」が1日3往復しかないからです。ここ弘前でつがるが来るのは2時間後。ホテルで朝食をさんざん食べたので、お腹はすかない。今乗っている普通にそのまま乗車しても秋田に1時間半も早く着いてしまいます(要は後続の特急に乗車しても30分ほどしか時間が詰められない)。ということで再び普通に戻る。弘前から秋田まで2時間半の普通電車旅はそれなりに堪えます

ただ前回とは違い、今回は車窓を眺める余裕はあります

弘前あたりで消えた雪景色が鷹ノ巣あたりで復活。気候のことは分からないのですが、交互に車窓を彩る景色は楽しい。このあたりで弘前から1時間です

衝動的に降りてみる

さらに揺られること30分。東能代接近のアナウンスがあり、降り支度を始める人が多い中、なぜか私も降り支度。秋田からは羽越本線に乗り継ぐ予定で14時1分に秋田に着いて14時31分発の電車に乗る予定。次のつがるだと間に合わないので鈍行旅を選んだのですが、なんとかなるだろう、と急に東能代で降りてみたくなりました

東能代は自動改札機も備えた駅。管理駅で全列車が停車します

五能線も含め、こちらを行き来する列車は何度も乗っていますが降りたのは初めて。それも衝動的行動のひとつですが

能代といえばバスケット。いつも車窓から眺めているだけだった、構内のこのリングを生でながめたかったのです

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奥羽本線を行く~明治生まれの駅舎で18きっぷを買う

川部駅の駅名標

2023年3月3日10時30分

乗客の多さにビックリ

川部駅に到着しました

駅名標が分岐しているように奥羽本線と五能線の接続駅となっています

ここまで車内が混雑していたことにまず驚いていたのですが、多くの人がこちらでドッと降りて二度ビックリ。その点は考慮していなかったのですが、本数が多いとはいえない五能線の接続電車だったのです

跨線橋を渡った方々はどんどん五能線の列車に吸い込まれていきます。そこで現在は青春18きっぷの期間でもあることに気付きました。もちろん私が使用している東日本パスも期間内。昨秋は両者が重なることはなかったのですが、今回は重なるのですね。それは人も多いはずです。私が七戸十和田から乗車したはやぶさが東京からの始発で、こちらにきっちり間に合う。今日は金曜日で3日間有効の東日本パスは今日さえ休みをとれば、うまく土日に重なるわけです。なるほど、と納得。今日からは他の列車も混雑しそうだと身構える

五能線の案内がありました

五能線の終点を告げる案内標

ただ私の目的は五能線ではないので改札に向かいます

間もなくお別れとなる明治の駅舎

今回の旅でのミッションは3つあって、未訪問だった東北新幹線駅訪問はすでに達成。2つ目が川部駅の訪問でした

開業時からの駅舎が残る川部駅。雪がよい風情をプラスしてくれていますね

財産票も当時のものだと告げています

ただこの駅舎はこの時点で改築が決まっていて、JR東日本の発表では旧駅舎の面影を生かした改築とのこと。そしてもうひとつの大きな変更は3月18日から無人駅となることで、訪問時は健在だったみどりの窓口はなくなります

そこで「今期の青春18きっぷを川部駅で購入する」とのミッションを付け加えます

ただ私が改札を出た時は駅スタンプを熱心に押して入場券を購入するグループの方がいたので、私は先に写真撮影をすることにしました

ギリギリだった18きっぷ購入

駅舎内です(きっぷ購入直後の写真)。ストーブがいい感じ。人もいなくなったので早速、ミッションに移りましょう

そこであるものに目がいく

時刻はすでに10時35分。これは気付きませんでした。危ない危ない

ということでミッションも無事達成

ビューカードで購入すると駅名が入るはずです(要確認事項)。これで5回の旅は「川部駅発行」の文字を見ながら旅ができます

ついでに入場券も購入しました

駅スタンプとかわいい駅の模型

「村」のみどりの窓口

まだ時間はあるので駅の向かいで恒例の100円コーヒータイム。身体が暖まる

こちらは仮設トイレ。すでに工事は一部始まっているのでしょうか

駅舎内に戻るとすでにカーテンは閉ざされていました。私の前で窓口が開くことは、もうありません。駅の住所は青森県の田舎館村。「村」にあった貴重なみどりの窓口でした

年季の入った跨線橋はしばらく保たれそうです

JR東日本の発表では新駅舎の利用開始は5月27日となっています

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奥羽本線を行く~青森で変わりすぎた姿にぼう然

新青森駅の駅名標

2023年3月3日9時20分

散水をながめながら

新青森に近づくと車窓からは融雪の散水が見られます。東北って、これまで夏と秋にしか来たことがないので初めて見る光景に見とれてしまいました

新青森に到着。この列車は新青森止まりのため、ドッと人が降ります。こちらは過去何度か来ています。ここで奥羽本線に乗り換え

美しいリンゴの鈴に一瞬、見とれてしまうが、七戸十和田からの車窓で私は心配でたまりませんでした

銀世界の貨物列車

奥羽本線のホームをのぞくと、完全な銀世界。盛岡から北上すると急に景色が変わることを前日から痛感しています

当然ながらホームもこんな様子

貨物列車がやってきました。貨物が雪の中を走る姿は、とても美しいのですが私はカメラを構える手がすでに震えつつありました

新青森駅の意味合い

青森の中心駅はもちろん青森駅ですが、かつてフェリー乗り場に直結していた青森駅に新幹線の駅を設けるとスイッチバック構造になってしまうので、それを避けるために青森から1駅のところに新青森駅ができました

世間的に有名ではないのですが、開業は国鉄末期の1986年と意外と古い。将来の新幹線駅設置を目指して早々に駅を設けたものの、寂しい単式ホームのみの駅が20年以上そのままにされていたという歴史を持っています

ここから北側は北海道新幹線となりますが、貨物列車に限られるため、表現が的確かどうか分かりませんが、この先で北海道新幹線は津軽線と一緒になります。東北新幹線が新青森まで延伸した2010年12月から北海道新幹線が開業した2016年3月まで函館からの特急はすべて当駅始発となりました

と同時に旅客の便宜を図るため、青森~新青森間に限っては特急料金を支払わなくても特急の自由席に乗車していい特例措置も誕生。当初は普通乗車券のみの適用でしたが、その後青春18きっぷでも乗れるように改められています

津軽新城駅の意味合い

ホームにいたタイミングで普通電車が来たので乗ることに

電車からはお客さんがドッと降り、私が乗ると車内はこんな感じで、ほぼ貸切状態。数人がパラパラ乗っていますが、見たところ明らかに同業者(鉄道ファン)です。それもそのはず。この電車はお隣の津軽新城駅で終点なのです

青森~新青森~津軽新城という3駅2区間のみの電車なのですが、この運行はかなり行われています。北海道新幹線が開業したことに伴い、函館からの特急はすべて姿を消しました。つまり青森~新青森の列車がそれだけ少なくなってしまったのです。特急の自由席に乗れる運賃の特例については先に説明した通りですが、適応する特急は青森~秋田の「つがる」3往復のみ。これでは青森~新青森のシャトル感が失われてしまうので、このような運行の普通が多く設定されました

かつて函館からやってきた特急は新青森が終点(始発)だったものの、新青森には折り返し能力(設備)がないため、一度津軽新城まで回送運行され、待機した後で折り返していましたが、さすがに特急停車駅にはなりませんでした。当時は特急の運行を補うように青森発新青森行きの普通電車もわずかに運行されていましたが、函館からの特急が姿を消したことで普通もすべて津軽新城行きの折り返し運行となりました

要は津軽新城で待っていても、ここ新青森で待っていても結果的には同じ電車に乗るわけですが、久しぶりに津軽新城駅に行ってみたいと、ガラガラの電車に乗ったわけです

昨年12月だったとは

津軽新城にはすぐ到着

ただ跨線橋を上がる時からおかしな雰囲気はありました

十数年ぶりに訪れたのですが、当時は趣のある明治生まれの木造駅舎があったはず。いつからこのようになったのかと調べると、昨秋に仮駅舎となった後、12月に新駅舎となったとか。まさにタッチの差ですが、事前に調べていなかった私は、ぼう然としてしまいました。各地の駅を回っていると、こんなことが特に最近多い

そろそろ今冬の役割が終わりそうな除雪車を間近で見られただけよしとしますか

跨線橋だけは古いものが残されていたことだけが救いでした

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新幹線単独駅巡り再び~暖かい手書きメッセージ

七戸十和田駅の駅名標

2023年3月3日6時

せんべい汁に感動

朝6時すぎの盛岡駅。出発まで少しあるのですがコンビニで買っておきたいものがあり、ホテルの外へ。まだ人の姿は少ないのですが、今日も冷え込みそうな予感

早くから動いてもいいのですが、時刻表的に必ず行き詰まることになるため、今日はゆっくりめのスタートでホテルで朝食を摂ったら、せんべい汁がありました。青森県八戸市の郷土料理として有名すぎますが、食べたのは初めて。「これは体中が暖まるなぁ」と感激して出発です

本州の新幹線駅全駅訪問

7時59分発のはやぶさに乗車します。目指すは七戸十和田。これで本州の新幹線駅は全駅乗下車完了となります。新幹線の全駅訪問は時刻表的な難易度はそれほど高くありませんが、金銭的な難易度がかなり高い。そもそも自宅から東北まで行くのが大変です。今回の「東日本パス」が2度にわたってリリースされなければ達成はかなり遅れたと思います。その意味ではJR東日本さんに感謝です

ちなみにこの列車は盛岡で10分も停車します。引き続き乗車する人もホームに出る余裕はありますが、以前記したように秋田新幹線との切り離し作業を見学するのは厳禁です

盛岡から50分でいよいよ七戸十和田に到着しました。簡単に50分と言いますが、130キロも離れている。当駅まで各駅停車の便ながら、新幹線のパワーとスピードを実感するのはこんな時

この日は臨時のはやぶさが運行される日で発車案内で分かるように15分後にも新青森方面への列車がやってきます。臨時ですが東京を6時に出る始発に充当します。私が乗車したのは仙台始発。この運転間隔に私の旅程は楽になったわけですが、仙台始発で乗客そのものが少なく、七戸十和田で降りたのは私を含め驚きの3人(15分後の列車は多くの人が下車しました)。おかげで他の方が写るのを気にすることなく、写真撮影ができました

日本で唯一の自治体だった

1982年に盛岡まで開業した東北新幹線は20年の歳月をかけて2002年に八戸まで延伸開業。その間には上野~東京の延伸もありました。盛岡~八戸は100キロに満たない区間なのですが、20年もかかったのは盛岡以北は整備新幹線で当初は一部区間にミニ新幹線方式の導入が計画されるなど、財政面や工事面でクリアすることが多かったからです

そしてさらに8年後の2010年12月に新青森が開通。700キロ以上に及ぶ東北新幹線の全線が開通しました。全通時に開業したのが七戸十和田です

昼間の停車は2時間に1本。それでもコロナ前までは1日に1000人以上の利用がありました。新幹線単独駅ならではです。所在地は七戸町で知名度の高い十和田湖の名前を入れました

現在、七戸町に存在する鉄道駅は当駅のみ。「自治体に存在する鉄道駅が新幹線のみ」という自治体は西九州新幹線の嬉野温泉駅(佐賀県嬉野市)が開業するまで日本で唯一でした

「現在」と記したのは、かつて七戸町には南部縦貫鉄道が走っていたため。当駅のすぐ近くで交差するので接続駅としての機能も期待されていたのですが、先に休止を経て廃線となってしまいました

美しい駅舎

2010年の開業とあって駅舎は凝ったものとなっています。八甲田連峰をモチーフとして内部は吹き抜け構造で美しい。もっともこの時の私は駅前の積雪にこれからの不安を隠せなかったのですが…

こちらも駅前にイオンが開業しています。くりこま高原駅でも見た光景ですが、人と車が集まる場所として今後の流れのひとつになりそうです

顔出しパネルにはクスッときました

構内には手作り感があふれています

そして卒業のシーズンということで、JR東日本の社員の方によるメッセージ。「寂しくなったらご家族、お友達に会いにいつでも故郷に帰ってきてくださいね」の一文にはグッときました

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